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夢見町の史

Let’s どんまい!

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2025
February 02
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2010
August 05

【第1話・出逢い編】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/380/

【第2話・部活編】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/381/

【第3話・肝試し編】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/382/

【第4話・海編】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/383/

【第5話・無人島編】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/384/

【第6話・文化祭編】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/385/

【第7話・恋のライバル編】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/386/

【第8話・クリスマス編】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/387/

【第8.5話・恋のライバル編Ⅱ】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/506/

------------------------------

 顔も手もエプロンも、真っ黒でベタベタだ。
 それでもあたしは一生懸命、鍋の中をかき回し続ける。

 初めての挑戦とはいえ、あたしは明らかに苦戦をしていた。
 あたしの背後には数々の失敗作が山盛りになっている。

「うーん…」

 今まで作ったやつの中で最もマシと思われるそれを眺め、あたしは悩む。
 一応ハートっぽい形にはなっているけど、それでもどこか美しくない。
 これだと確実に手作りだってことがバレてしまうだろう。

「でもまあ、いっか!」

 あたしは不恰好なチョコレートを小箱に入れて、不器用ながらも梱包してゆく。

------------------------------

 1年の中で男子生徒が最もそわそわする日が今日だろう。
 少なくとも俺にとってはそうだ。

 佐伯の奴は果たしてチョコなんて用意するのだろうか。
 あの性格だ。
 ないかも知れない。
 直接「俺にチョコあるのか?」なんて恥ずかしくて訊けないし、訊いたところで答えはないだろう。
 一緒に初詣に行ったときも、そうだった。

「なあ、やたら長いこと手ェ合わせてたけど、なにをお参りしたんだ?」
「んふふ。内緒っ!」

 なんでいつも教えてくれないんだ、あいつは!

 登校中での会話は普通だったし、下駄箱の中には当然のように上履きしか入っていない。

 いや別に、俺は最初から期待なんてしてねえし、今後もしねえけどな!

 内心強がってみたものの、どうにも気分が落ち着かないから不思議だ。

------------------------------

 問題は渡し方だ。
 考えてみたらあたしは今日、全くのノープランなのだ。
 緊張せずに済み、かつ想いが届くような、それでいてさり気ない渡し方ってないものだろうか。
 そもそもなんて言って渡せばいいんだろう。
 これが義理チョコだったら簡単だったのに。
 あいつと話していると、ついいつもみたいに言い合っちゃうこともハードルの1つだ。
 難しいなあ。

 なんて悩んでいたら、あっという間に昼休みになってしまった。
 いつチャンスがあるか解らない。
 あたしは誰にも見られないように、小箱をブレザーのポケットに忍ばせた。

「春樹ー!」
「おう」

 向こうから「チョコくれよ」とねだられるのが1番楽だ。
 あたしはわざと今日のことを口にする。

「そ、そういえば今日、バレンタインだね」
「え!?」

 春樹が小さく飛び上がる。

「そ、そうだったっけ!? いやあ、気づかなかったなあ!」

 わざとらしく見えるのはあたしの気のせいだろうか。

 ヒューヒューと、誰かが口笛を鳴らした。
 突然の音に、あたしたちはぎょっとなる。

 春樹は口笛の主に「そんなんじゃねえよ!」と、どんなんだか解らない言い訳をした。

 駄目だ。
 教室だと人目がありすぎる。

「春樹、屋上行こ」
「え、お、おう。別に、俺は別に構わねえぜ?」

 あたしたちの背に再び口笛が浴びせられる。

------------------------------

 屋上に出ると、佐伯はもじもじと俺に小箱を差し出した。

「春樹、これ…」
「これは、なんだい?」
「い、言わせないでよ。その、バレンタインの、チョコレート。あんたのために、あたし、頑張って作ったんだ」
「これを? 俺にかい?」
「うん。あたし、ずっと前から春樹のことが好きだったの」
「えええーッ!? なんだってェ!?」
「春樹! 大好き! だから、あたしと付き合ってください!」
「フッ! まあ、お前がそこまで言うんなら、俺は構わないぜ?」

 なんていう妄想が止まらない。

 佐伯の奴、やっぱり俺にチョコくれるのか…?
 これはそう考えていいんじゃねえか?
 だって屋上だぜ?
 誰もいない屋上に誘うってことは、これはもうチョコしかないんじゃねえか?

 右足と右手が同時に出て、歩きにくい。

 屋上へと続く扉を押し開けると、俺と佐伯は同時に「あ」と気マズくなった。

 そこには点々と生徒がいて、女子が恥ずかしそうにチョコを差し出し、照れながら男子がそれを受け取っている。

「も、戻ろっか」

 と佐伯が言い、

「そ、そうだな」

 と俺が答える。

------------------------------

 教室に戻ろうと、あたしたちは並んで廊下を行く。

 緊張しすぎて、なんだか疲れた。
 とりあえず、今渡すって計画は置いておこうかな。
 考えてみれば、夜に春樹の部屋を襲撃したっていいわけだし。

 あたしは肩から力を抜いた。

「春樹」
「ん?」
「あんたまだ誰からもチョコ貰ってないでしょ」
「バ、バカ言えよ! も、もう結構貰ったぜ!?」
「ふうん、いくつ?」
「ひゃ、ひゃ、ひゃ、100個ぐらい?」
「あはは!」

 明らかな嘘に、あたしはつい噴き出す。

「あんたさっき、今日がバレンタインデーだってこと、気づかなかったなんて言ってたクセに!」
「う、うるせえな!」
「やっぱり貰ってないんだ?」
「やっぱりってなんだよ!? ったく、女どもは見る目がねえからな」
「モテない男ってみんなそう言いそう」
「うるせえな! 別にチョコなんて貰ったって嬉しくなんかねえよ!」
「強がり言っちゃって」

 と、ここでふと思う。

 あれ?
 もしかして、今ってチャンス?
 あたしの中に次のセリフが浮かんだ。

「どうせ誰からも貰えないんでしょ? 可哀想だからあげる」

 それよ!
 これならさらりと渡せる!

 あたしは意を決してポケットの中の、小さな箱に手を添える。

「ど、どうせ誰からも貰えないんでしょ? か、可哀想だから、あ、あげ」
「春樹せんぱーい!」

 いきなり後ろから女の子の声が。
 2年生の美香ちゃんだ。

「春樹先輩、探しましたよ!」
「へ? 俺を?」

 美香ちゃんは春樹に飛びつきそうな勢いだ。

「先輩! ちょっとこっち来てください!」
「え? え? え?」

 ずるずると美香ちゃんに引きづられるようにし、春樹がどこかに連れ去られてしまった。
 あたしはその場に立ち尽くし、ただぽかんと「可哀想だから、あげる…」と口をぱくぱくさせている。

 可哀想なのは自分のような気がしてならない。

------------------------------

 空気の読めない奴ってのはどこにでもいる。
 うちのクラスだと、山田がそれだ。

 帰りのホームルームが終わって、帰り支度をしていたときのことだった。
 山田の鞄が当たって、俺の鞄を床に落とす。

「あ、ごめん春樹」

 しかし時既に遅く、俺の鞄は中身をぶちまけてしまっていた。
 教科書やノートとは別に、さっき美香から貰ったチョコレートと手紙までもが床に広がっている。
 その2つは大急ぎで鞄の中に戻したが、やはり何人かに見られてしまったみたいだ。
 男子生徒たちが大騒ぎを始める。

「今慌てて隠したのって、チョコかよ春樹!?」
「手紙もあったよな!? 今!」
「おーい、全員注目ー! 春樹がチョコ貰ってたぞー!」
「佐伯からかー!?」
「ひゅーひゅー!」
「う、うるせえな! そんな騒ぐんじゃねえよ!」

 必死になって皆を静めていると、山田が不思議そうに首を傾げた。

「でも春樹、お前昔っから甘いの苦手じゃん」

 馬鹿野郎!
 それだけは今日1番言ったら駄目な情報だろ!
 美香には悪いけど、チョコは内緒で近藤に喰ってもらおうと思ってたんだ!

「ああ」

 と、俺は頭を抱えて机に突っ伏す。

 背後から、佐伯の鋭い視線を感じる。

------------------------------

 あたしはもう焦るのをやめた。
 チョコを渡すのを諦めたら、気が楽になった。

 昨日あれだけ頑張ったあたしがバカみたいじゃない。
 甘い物が食べられないなら食べられないで、ちゃんと前もって言っておきなさいよ、バカ。

 帰り道。
 スタスタと歩いていると、春樹があたしの後から着いてくる。

「佐伯、なんか怒ってるか?」
「怒ってなんかないわよ」

 美香ちゃんからの手紙にはなんて書いてあったの?
 なんて、怖くて訊けない。

 あたしは少し、歩くペースを上げた。

「おい、佐伯」
「うるさいわね」
「やっぱり怒ってるだろ、お前」
「怒ってないったら!」
「なんだよ? お前、もしかして妬いてるのか?」
「ち、ちが…!」

 そういうこと普通、ストレートに訊く?
 なんてデリカシーのない男なんだろう。
 無神経さに呆れて溜め息が出る。

 あたしはふうと息を吐いた。

「あーあ~。なんであたし、こんな奴のこと、好きになっちゃったんだろ…」
「ん? なんか言ったか?」
「なんでもない!」

 あたしはさらに歩調を強めた。
 すると、春樹もそれに合わせてくる。

 もう!
 なんで着いて来るのよ!

 段々と腹が立って、あたしはついに駆け出した。

「おい、佐伯! さっきからなに怒ってんだよ!」

 春樹の足音と声が背後から聞こえる。

「おい、佐伯ったら!」
「知らない!」
「おい、待てよ!」
「やだ!」
「ちょっと待てったら!」
「嫌ったら嫌!」
「あれ? おい! お前、なんか落としたぞ?」
「へ?」

 振り返ると、あたしは「げ!」と青ざめる。
 春樹が赤い小箱を手にし、首を傾げている。

「なんだこりゃ」
「か、返して!」

 顔を真っ赤にして、あたしは春樹に詰め寄る。
 チョコを奪い返すと、恥ずかしさに耐えられなくって、あたしは顔を伏せた。
 そんなあたしの顔を、春樹は覗き込む。

「もしかして、それ…」
「なんでもないったら!」

 逃げ出したくなって、あたしは再び走り出そうと足を前に出す。
 気が急いていたらしく、その足がもつれた。

「危ねえ!」

 そこからはまるでスローモーションのように、あたしにはゆっくりと見えた。

 転倒しそうになったあたしの両腕を、春樹の両手が力強く掴む。
 手首のあたりを持たれて、あたしは万歳をするような恰好になった。
 頭の中が空っぽになって、あたしの口は半開きになり、すぐそこにある春樹の顔から視線を外すことができない。

 春樹は、真剣な顔をしていた。

 あたしの手から、小箱がするりと抜け、落ちる。
 箱はガードレールにこんと当たって、道路側へと弾む。
 それがぽとりとアスファルトに落ちたところで、時間の流れは元に戻った。

 次の瞬間。
 1台のトラックがあたしたちの横を、チョコの上を通り過ぎる。

「あ!」

 思わず叫ぶ。

 箱は無残にもぺちゃんこに潰れ、平たくなってしまった。

「ああ…」

 あたしはこれ以上崩れないように、両手でゆっくりとチョコだった物体を拾い上げる。
 歩道に戻ると、春樹は神妙な面持ちだ。

「それ、チョコか?」

 あたしは泣くのを我慢して「うん」と答えた。

「ちょっと貸してみ?」
「え? うん…」

 あたしから赤い残骸を受け取ると、春樹はそれをまじまじと見つめた。

「お前が作ったのか? これ」
「そ、そうだけど…」
「そうか。その、誰に…?」

 その問いに、あたしの顔は急激に熱くなる。
 もじもじと指を組んで、「一応、あんたに」と言葉を絞り出す。

「あんたが甘いの苦手だって、あたし知らなかったから…」

 春樹はというと、包装紙を丁寧に、細かく破いている。

「ただでさえ不恰好だったのに、さらに酷くなっちまったな」
「う、うるさいわね! どうせたいした出来じゃなかったわよ! とにかくそれ、返して。あたし捨てとくから…」
「やだね」
「なんでよ?」
「捨てるぐらいなら、くれよ」
「…え?」

 唖然としていると、春樹はいつの間にか箱まで破いていて、粉々になっている黒い物体を次から次へと口に運ぶ。

「ちょ、ちょっと春樹! お腹壊すよ!?」
「うるせえ! お前のチョコなんて受け取れる奴、俺ぐらいしかいねえだろ?」

 ガツガツと、春樹はチョコを頬張る。
 あっという間に全てを平らげてしまった。
 箱の裏に着いたチョコの粉末までさらさらと口に入れ、春樹はにかっと笑う。

「お前のチョコ、すげー美味いな!」
「バカ…。甘いの駄目なのに、無理しないでよ」
「こんなの無理でもなんでもねえよ」

 言うと、春樹は鞄を背負い直して歩き出す。

「待ってよ」

 あたしは春樹の後を追った。

 気温が低い割に、あたしの胸はなんだかポカポカしている。
 春は、もうすぐそこなんだろうなあと、あたしは感じた。

 最終話に続く。
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/389/

拍手[16回]

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2010
August 04

【第1話・出逢い編】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/380/

【第2話・部活編】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/381/

【第3話・肝試し編】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/382/

【第4話・海編】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/383/

【第5話・無人島編】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/384/

【第6話・文化祭編】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/385/

【第7話・恋のライバル編】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/386/

------------------------------

 あのとき、佐伯がピロティにいたってことは、伊集院とくっついちまったってことだよな。

「ふう」

 少し長い溜め息と同時に、俺はベットに倒れ込む。
 大吾郎が俺の腰に「にゃー」と鳴きながら乗ってきた。

 あれからというもの、佐伯には何も訊くことができず、俺はこの2ヶ月をもやもやとした気持ちで過ごしている。
 佐伯の態度はというと、伊集院と上手くいっているからなのか、俺に対して上機嫌だ。
 こうしている今だって窓を開けて入ってきかねない。

「俺ン部屋に入ってきたりして、伊集院の奴に怒られたりしねえのか?」

 そう、さり気なく探りを入れてみたこともあった。
 しかし佐伯はにやにやと笑うばかりだ。

 くっそ!
 なんで俺が佐伯なんかのために沈んだ気分にならなきゃいけないんだ!
 だいたい、俺は元々麗子さん一筋なんだ!
 佐伯が誰と付き合おうと知ったことか!

 俺はつかつかと居間に下り、連絡票片手に受話器を持ち上げる。

 フラれついでだ!
 このまま麗子さんをクリスマスに誘って、玉砕してやる!
 いや、フラれついでって、別に俺は佐伯なんかにフラれた覚えはないけどな!

 俺は憤然と電話機のボタンをプッシュした。
 今のこの勢いなら、あの麗子さんとだって平常心で話せるに決まってる!

「はい、もしもし?」
「あ、あ、あ、あの、わわ、わたくし、桜ヶ丘学園の生徒の、あの、はは、春樹と申す者でございますけども、れれ、れ、麗子さん、いら、いら、いらっしゃいますでしょうか?」
「あ、春樹君?」

 げえ!
 麗子さんが出た!
 どうしよう!?

 そこからは頭の中が真っ白になってしまい、俺から何を喋ったのかはあまり覚えていない。
 なんだけど、電話を切る間際の麗子さんの言葉だけは衝撃的すぎて忘れることができなさそうだ。

「クリスマス? いいよ。空けておくね」

 ぺこぺこと何度も頭を下げながら、俺は受話器を置いた。
 しばらくその場で立ちすくむ。

「マジで…?」

------------------------------

「おい、聞いてくれよ!」

 春樹が満面の笑みを浮かべている。
 ここ2ヶ月ぐらい見なかった明るい表情だ。

 放課後の帰り道、あたしは後ろからドンと押され、振り返るとこいつがいた。

「な、なによ急に」
「俺、とうとうさ、麗子さんとデートすることになったんだよ!」

 え?
 今こいつ、なんて?

 まるでハンマーで殴られたような衝撃が頭の中を駆け巡る。
 そんなあたしの様子に気づかず、春樹の機嫌は絶好調だ。

「まさかあの麗子さんにオーケーしてもらえるとはなあ」
「そ、そう。よ、よかった、じゃん…」
「やっぱなんかこう、プレゼントとか必要だよな!」
「え、あ、うん…。いいんじゃ、ない…?」
「そうだ! お前今度の日曜、買い物付き合ってくれよ! 俺、女の子にプレゼントなんてしたことないからさあ、どんな物買ったらいいのか解らなくってよお」
「な、なんであたしが…」
「いいじゃねえかよ! とにかく空けとけよな! じゃあ俺、今日は先帰るわ! デートに着てく服を選ばないと!」
「ちょ、あたしまだ行くだなんて…」
「じゃ、日曜なー!」

 春樹は浮かれた調子で走り去ってゆく。

「はあ…」

 あたしは深い深い溜め息をつく。

 あいつ、やっぱり今でも白鳥さんのことが好きだったんだ…。

 だいたい、なんであたしが春樹と白鳥さんのために買い物に付き合わされなきゃならないんだろう。
 きちんと断り切れなかったことも、あたしの気分を鬱蒼とさせる。

「あーあ~。あたし、なにやってんだろ…」

 そこにあった空き缶を、あたしは思わず蹴飛ばす。
 カコーン。

------------------------------

 ここ最近、佐伯が浮かれていた気持ちがよく解る。
 今の俺がそうだからだ。

 俺は意味もなく家を飛び出すと、そのまま近所を徘徊しまくった。
 公園を散歩し、商店街をぶらぶらと歩く。
 夕日が眩しかったけど、俺的にはこんなの麗子さんの輝きには及ばない。
 そんな憧れの麗子さんとクリスマスにデートできるだなんて。
 通行人が誰もいなけりゃスキップしているところだ。

「あら、お兄さん」

 声に振り向くと、そこにはおばさんの易者がいた。

「嬉しそうねえ。なんかいいことあったの?」
「あ、はい」
「あらそう、よかったわねえ。よかったらその幸せがもっと続くように占ってあげましょうか? 安くしとくわよ」

 俺は少し「う~ん」と悩んだが、まあたまにはいいだろう。
 占い師の前にあった椅子に腰かけ、俺はおばさんに両手を差し出す。
 しばらく俺の手相を見ていた易者が目を大きく見開いた。

「これは凄いわよ!」
「え、そうなんですか?」
「ええ。稀に見る幸運な相ね」
「へえ! マジですか!」
「ここまで運気のいい相はそうそうないわねえ」
「そんなにいいんですか?」
「最高よ? クリスマスの日なんて特に凄いわね。輝くツリーの前で運命の人と一緒に過ごせるってところかしら。それぐらい今のあなたは運気がいいの」
「うおお! マジですか!」

 ってことはもしや、麗子さんが俺の運命の人!?
 だから急な誘いにも応じてくれたのか!

「ラッキーアイテムはね、プラチナの指輪」

 おばさんはそんなことを言っていたけど、さすがにそれは高くて買えないし周りに持っている奴だっていない。
 話だけ聞いておいた。

------------------------------

 日曜日。
 春樹はにこにことあたしが家から出てくるのを待っていた。

「じゃ、行こうぜ! 駅前のデパートがいいよな!」

 あたしは「はあ」と浮かない返事をする。
 デパートに向かって、あたしたちは歩き出した。

「俺さあ、デートってしたことねえんだよ。どうするもんなんだ?」
「したことないって、あんた夏祭りのとき、美香ちゃんと一緒にいたじゃない」
「え? あれもデートっていうのか?」
「呆れた。年頃の男女が2人きりで遊びに行ったら、立派なデートでしょ」

 すると春樹はまじまじとあたしの顔を覗き込む。

「だったら、俺と1番デートしてるのお前じゃねえか」

 その言葉に心臓が反応してしまった自分が許せない。

「じゃ、じゃあ今日は白鳥さんとのデートの練習ってことにしといてあげる! ちゃ、ちゃんとエスコートしなさいよ!」

 考えなしに出たその言葉のせいで、あたしたちは公園に行ったりゲームセンターに寄ったりと、夕方までデパートを目指すことをしなかった。

「やっべ! もう暗くなる!」

 春樹が街の時計に目をやった。

「買い物する時間がなくなっちまう!」
「あんたがゲーセンで大はしゃぎしてたからでしょ?」
「いやあ、つい夢中になっちまったよ。デートって楽しいんだな」
「…え?」
「ほら、急ぐぞ!」

 春樹があたしの手を取った。
 あたしは、春樹に連れられるようにして駆け足になる。

 急いでいたクセに、春樹は陳列されていたサングラスをかけたり、あたしに帽子を被せたりと楽しそうだ。
 店内にはそこそこの客足があって、がやがやとしている。

「全くもう、白鳥さんへのプレゼント買うんでしょ?」
「ああ、いっけね! そうだった! 何にしたらいいと思う?」
「そうねえ」

 あたしはショーウインドウに顔を寄せた。

「そのネックレスなんていいんじゃない? 値段も春樹の予算内だし、デザイン可愛いし」
「よし! じゃあそれにしよう!」

 春樹は店員を呼ぶと、それ包んでくださいと注文をする。

「包装はクリスマス用になさいますか?」
「はい、お願いします」

 あたしはこのとき、聞き捨てならない言葉を聞いた気がした。

「ちょっと春樹」

 緑と赤の包装紙に包まれたネックレスを受け取った春樹が「ん?」というような顔をする。

「あのさ、白鳥さんとのデートっていつなの?」
「あ、話さなかったっけ? 聞いて驚けよ? なんと、クリスマスだ」

 一瞬にして店内の喧騒が消え、来客たちが立ち止まってこちらを見た。
 あたしが平手で、春樹の頬を思いっきり強く打ったからだ。

「最低」

 目から涙が止まらなくて、あたしは走って春樹を置き去りにする。

------------------------------

 いつもの強烈な鉄拳パンチより、遥かに心に響く一撃だったように思う。
 考えてみれば佐伯からビンタされたことなんて、今まで1度もなかった。

 あれ以来、あいつは口を利いてくれなくなった。
 なにをそんなに怒っているのか解らないから、謝ろうにも謝れない。
 俺、あいつに何か酷いことでもしたのだろうか。
 駄目だ、解らない。

「春樹君、どうしたの?」

 麗子さんが心配そうに俺を見た。

「え、いや! なんでもない、よ」

 日はすっかり落ちている。
 俺と麗子さんは今、ベンチに腰を下ろし、カラフルで品のよい光の点灯を眺めている。

 予行演習の通りに公園を散歩して、ゲーセンで賞品を取って、それでこの商店街まで戻ってきたのだ。

 イルミネーションは色鮮やかで、その形をトナカイに変えたりサンタクロースに変えたりと輝いている。

「春樹君、聞いてもいい?」
「え?」
「さっきのプレゼントなんだけどさあ」
「うん」
「ホントはあたしにじゃなくて、佐伯さんに用意してた物なんじゃないの?」
「いや、そんなことないよ! なんで麗子さんまでそんなこと!」

 すると麗子さんは照れたようにコロコロと笑う。

「あたしね、こないだフラれちゃったんだ」
「え? 麗子さんが!?」
「うん。あたしずっと、伊集院君のことが好きだったの。頑張って告白したんだけどなあ」
「あ、うん。そうだったんだ」
「でもね、伊集院君、好きな人がいるからあたしとは付き合えないって」

 伊集院の好きな人というキーワードがグサっと胸に突き刺さる。
 佐伯と伊集院も今、2人で過ごしているのだろうか。

 麗子さんは続ける。

「でも、その伊集院君もフラれたって、こないだ笑って話してた」
「え!?」

 思わず身を乗り出す。

「麗子さん、それどういうこと? 佐伯の奴、伊集院と付き合うならピロティに来るように言われてて、それで…」
「佐伯さんは、付き合うために行ったんじゃなくて、謝るために行ったって聞いたよ? 行かないって形で断ったら、なんだか無視したみたいで、相手に悪いと思ったんじゃないかな」

 なんてこった。
 そうだったのか。
 あ!

 今にしてようやく、佐伯が怒ったわけに思いが至った。

 そんな俺の顔色を、麗子さんは伺っていたらしい。

「ペンダント、やっぱり返そうか?」
「いや、それはホントにプレゼントなんだ! でも」
「でも?」
「ごめん、俺ちょっと用事思い出しちゃって!」
「うん、解った」

 麗子さんがついっと立ち上がる。

「あたしは今でもまだ伊集院君のことが好き。その素直な気持ちを、誰かに聞いてほしかったんだ。だから…」
「だから?」
「春樹君も素直になってあげてね」
「え、いや、うん、えっと」
「今日はありがと」
「うん! 今日はホントごめん! また学校で!」

 走りながら、俺は文化祭の練習に付き合ってくれたときの佐伯を思い出す。

 佐伯と伊集院がくっついたなんて誤解をしていたからこそ、俺はクリスマスに麗子さんを誘った。 
 とはいえ、我ながら酷いことをしていた!
 あの場所に初めて佐伯を連れていったとき、俺のほうから先に言い出したんじゃねえか!

「今日のお礼によ、クリスマスになったらまたこの場所に連れてきてやるよ」

 俺の馬鹿野郎!
 待ってろよ、佐伯!

------------------------------

 あたし、バカみたい。
 ここに誰も来ないことなんて、始めから解っていたことなのに。
 それなのに、普段ならしないメイクを薄っすらとして、お母さんからアクセサリーまで借りて。

 あたしは両手を口に近づけ、はあと白い息を吹きかける。

 鉄柵の前にしゃがみ込んで膝を抱え、どれぐらいの時間が経っただろう。
 春樹の言う通り、ここから望める光のショーはとても綺麗で。
 でも、その美しさがあたしをさらに悲しくさせている。

「あ」

 ふっと、イルミネーションが消えた。
 タイムオーバーだ。

 お化粧、涙で滅茶苦茶になってるだろうな。

 あたしはふらっと立ち上がると、そのままよろよろと手すりに背を向ける。
 とても前を見て歩けそうもない。
 1歩、また1歩とあたしはお年寄りのようにゆっくりと進む。

 前方から、ぜいぜいと荒い息遣いが聞こえた。

「え、なんで…」

 春樹が両膝に手をついて、息を整えている。
 なんで春樹が!?

 あたしは慌てて涙を拭う。

「あ、あんたなんで!? 白鳥さんは…?」

 しかし、春樹は質問に答えない。
 春樹はすっと大きく息を吸い込むと、それを一気に吐き出した。

「佐伯! 遅れてごめん!」
「バカ!」

 せっかく拭ったのに、また涙が出てきちゃうじゃない。

------------------------------

 デートに浮かれたせいで小遣いのほとんどを使い果たしていたから、俺は「たいした物は買えないけど」と断りを入れて、佐伯を連れて商店街まで引き返す。
 遠慮する佐伯に、俺は温かな缶を渡した。

「悪い、こんなことしかできなくて」
「ううん、ありがと」

 ぷしゅっという音がして、佐伯はコーンポタージュに口をつけようとした。
 しかし佐伯は動きをピタリと止め、驚愕の眼差しで手元を凝視する。

「ない!」

 佐伯の顔色が一瞬にして悪くなった。

「ない! さっきまであったのに!」
「どうした、なにがないんだ?」
「お母さんから借りてた指輪! 大事な指輪なのに」

 その焦った様子からも相当大切な物らしい。
 俺は「さっきまであったなら、まだそこら辺に落ちてるはずだ! 探そう!」と地面に這いつくばる。

 どれだけ探していただろう。
 同じ道を何度も何度も行ったり来たりしていたが、闇夜のせいで指輪はなかなか発見できずにいる。

 不意に、懐中電灯の光が俺を照らした。

「こらこら、君たち、高校生でしょ~。こんな時間に何やってんの」

 少し訛りのある警備員のおじさんに、俺は事情を説明する。

「そっちの女の子が、お母さんから借りた大事な指輪をここら辺で落としちゃったんです」
「なに!? そりゃ大変だ。ちょっと待ってろよ。今明かり点けてやっから」

 小走りで警備員が去る。

 顔面蒼白になって地面をまさぐる佐伯の肩を、俺はポンポンと優しく叩いた。

「佐伯、大丈夫だぞ。今明るくしてくれるって」
「うん、ごめんね。ごめんね」
「いいって」

 さっきからずっと、佐伯は泣き出しそうな顔だ。
 一刻も早く、指輪を見つけてやらないと。
 そう思った瞬間、自販機の下で何か小さい物が光を反射させたような気がした。

 足早に近づいて、それを拾い上げる。

「佐伯ー!」

 佐伯の元に駆けつける。

「もしかして、これじゃないか?」

 シンプルなデザインの銀色の指輪を渡すと、佐伯はパアッと表情を輝かせた。

「これ! この指輪! ありがとう春樹!」
「そうか、よかった」
「ホントにありがとう! これ、お母さん凄い大事にしてたんだ! お父さんから貰ったプラチナの指輪なんだって」

 プラチナの指輪?
 ふと、先日の占い師の言葉を思い出す。

「ラッキーアイテムはね、プラチナの指輪」

 それに、あの占い師はこうも言っていた。

「最高よ? クリスマスの日なんて特に凄いわね。輝くツリーの前で運命の人と一緒に過ごせるってところかしら」

 まさか。
 だいたい、この町にクリスマスツリーなんてないじゃないか。

 そう思っていたら、突然辺りが眩しくなる。

「わあ」

 佐伯が感嘆の声を上げた。

 あの警備員の人、イルミネーションを点灯させてくれたのか!

 見上げると、そこには光が折り重なって見事なクリスマスツリーが描き出されている。

「輝くツリーの前で運命の人と一緒に過ごせるってところかしら」

 占い師の言葉が再び蘇った。

 佐伯と2人、しばらく呆然とネオンを見上げる。

「あ、雪」

 佐伯が大きく天を見渡した。
 釣られて顔を上げると、ひらひらと大粒の雪が踊るように落ちてきている。

「ねえ、春樹」

 すっと、佐伯が俺の目の前まで移動してきた。
 にこりと笑んだその表情に、思わずドキッとなる。

「メリー、クリスマス」

 なんだか照れ臭いけど、俺も「メリークリスマス」と返しておいた。

 ふわふわと、雪が俺たちの周りを舞っている。

 続く。
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2010
August 04

【第1話・出逢い編】
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【第2話・部活編】
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【第3話・肝試し編】
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【第4話・海編】
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【第5話・無人島編】
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【第6話・文化祭編】
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「文化祭では迷惑をかけたね」

 秋の風が伊集院の髪を乱す。
 俺は「別にいいよ」とさらりと言った。

 伊集院はわざわざ、そのことを詫びるためだけに俺をここに呼び出したのだろうか。

 校舎の屋上に出ていると風が強く、わずかに寒い。
 俺はぶるっと身震いをする。

「伊集院、盲腸はもういいのかよ?」

 手櫛で髪を整えると、伊集院は「おかげさまでね」とはにかむ。

「退院してからは順調そのものだよ」
「そりゃ何よりだ」
「春樹君」
「ん?」
「君に訊きたいことがあるんだ。真剣に答えてくれ」
「なんだよ、急に改まって」
「君と佐伯さんは、どういう関係なんだい?」
「な…!」

 思いがけない質問だった。
 反射的に焦って、俺は強がりを見せる。

「べ、別にあいつとはなんにもねーよ! あいつとはただの腐れ縁で…! たまたま家が隣ってだけで…!」
「それを聞いて安心したよ」
「え? なにが」
「僕が佐伯さんに交際を申し込んでも、問題ないということでいいんだね?」
「え? いや、まあ、お、おう」

 ついいつものクセで、俺は胸を張る。

「あ、あいつがいいって言えば、いいんじゃねえか?」
「そうか」

 伊集院が再び「それを聞いて安心したよ」と髪をかき上げる。

------------------------------

 いつものように、あたしは自室の窓から手を伸ばし、春樹の部屋の窓を勝手にあける。
 春樹はまた格闘ゲームをやっていた。
 コントローラーを持って「なんだよ、またお前かよ」と毎度のセリフを口にしている。

「お邪魔するよー」
「ったく、せめてノックぐらいしろよな!」
「なによ今さら。いいでしょ? 別に」

 あたしは足元に擦り寄ってきた猫を抱き上げ、定位置である春樹のベットに腰を下ろす。
 ただ呆然と、あたしはゲーム画面を眺めていた。
 筋肉質のレスラーと、線の細いチャイナ服の女の子が、時折手から光線のようなものを発射しながら戦っている。

「今日はなんの用だよ」

 あたしが黙り込んだままでいたからだろう。
 画面に注目したまま、春樹がそう訊ねてきた。

「あのさ?」

 あたしは静かに、大吾郎の頭を撫でる。

「あたし、伊集院君から告白されちゃった」

 ちゅどーん。
 と、テレビから音がした。
 画面には「ゲームオーバー」と表示されている。
 春樹はどうやら負けてしまったようだ。
 コントローラーをかちゃかちゃと操作しながら、コンテニューを選択している。

「で、なんて答えたんだよ?」
「ううん、返事はまだ。『もし交際してくれるなら、次の日曜に学校のピロティまで来てほしい』って言われただけ」
「次の日曜って、3年の引退試合の日だぞ。マネージャー休むのかよ」

 自分が動かすキャラクターを選ぶと、春樹はポンとボタンを押した。
 その横顔を見ながら、あたしは溜め息混じりに口を開く。

「あたし、どうしたらいいかな?」
「そ、そんなの、お前の好きにしたらいいじゃねえか。なんで俺に訊くんだよ」

 こっちに顔すら向けないその春樹の態度に、あたしは少しカチンとくる。

「なによ!」

 テレビが「ファイッ」と戦闘開始を合図した。

「あたしが伊集院君と付き合ってもいいって言うの!?」
「そんなのお前の問題だろ!? 俺が決めることじゃねえじゃねえか!」
「なによそれ!? 春樹はあたしが誰と付き合おうが関係ないんだ!?」
「そういうことじゃなくて!」
「じゃあどういうことよ!」

 大吾郎があたしの膝から降り、ベットの下へと避難する。
 気づけばあたしは立ち上がっていて、ゲームを続ける春樹を見下ろす形になっていた。

「あんたっていつもそう! 人の気も知らないで!」
「なんだと!?」
「なによ!」

 あたしは乱暴に窓をガラガラと開け放つ。

「もういい! あたし次の日曜、試合見に行かないから!」

 自分の部屋の窓も開けて、あたしは淵に足をかけた。

「どういうことだよ!?」

 背後からした春樹の声に、あたしは勢い余って断言をする。

「伊集院君はあんたと違って頭もいいしカッコイイし紳士的だし、せっかく日曜待っててくれるんだからピロティまで行ってくる!」

 テレビがまた「ちゅどーん」と音を立てた。
 黙り込んでしまった春樹を尻目に、あたしは窓をまたいで部屋へと戻る。
 荒々しく窓を閉め、しゃっとカーテンを引いた。

 なによ、あいつ。

 握っていたカーテンを離し、あたしはそこに寄りかかる。

「もう、鈍感なんだから」

 その晩は、なかなか寝つけなかった。
 あたしは悩みに悩んだ末、1つの決心をして布団に潜り込む。

 翌日。
 あたしは練習の後に、顧問の安田先生に時間を作ってもらっていた。
 先生が体育教官室のドアを開ける。

「なんだ佐伯、先生に相談って」
「実は、次の日曜なんですけど…」

 サッカー部の3年生たちによる高校最後の引退試合は、親交の深い他校にて行われる。
 あたしはその日、用事があってそこには行けませんと先生に告げた。

「休むのは構わんが、どうしたんだ佐伯? 顔色が良くないぞ?」
「いえ、なんでもありません」
「まあ、入れ」

 教官室に招き入れられ、あたしは椅子を勧められる。
 先生がコーヒーを淹れてくれた。

「ほら、飲め。砂糖とミルクはそこにあるから」
「あ、ありがとうございます」

 ふうふうと冷ましながらカップに口をつける。
 先生は何も言わず、あたしの正面に椅子を持ってきて座った。

「美味いか?」
「はい」

 あたしは顔を伏せ、黙ってコーヒーをいただく。
 そうしていたら、両手で抱え込むようにして持たれているカップに、ポタリと雫が落ちた。
 ポタリ。
 ポタリ。
 またポタリ。

 いつの間にか、あたしは肩を小刻みに上下させ、ひっくひっくと顔をくしゃくしゃにしている。

「やっぱり悩みがあるんだな? そういうのはな、佐伯。誰かに聞いてもらうだけでも、楽になるもんだ」

 下を向いていたので見えなかったけど、先生はきっとこのとき、優しげに微笑んでいた。

------------------------------

 あれから眠れない日が続いたせいか、今日のコンディションは最悪だ。
 シュートをミスるどころか、ろくにパスも回せないし、なんだか足が上手く回転しない。

 あいつそろそろ、ピロティで伊集院と逢うんだろうな。

 佐伯の顔が、どうしても頭から離れないでいる。
 ぼんやりしていると俺の目の前をボールが通り過ぎ、それを相手チームの選手がさらっていった。

「春樹ー! なにやってんだ!」

 安田先生の怒声がして、俺はハッとなる。

「す、すみません!」

 すると、あっけなく前半戦の終了を告げるホイッスルが鳴り響いた。

「春樹、ちょっと来い」

 ハーフタイム中、先生がグランドの隅に俺を呼び出す。

「さっきのプレイは一体なんなんだ!?」
「すみません!」

 深々と頭を下げたが、先生の怒りは収まりそうもない。

「あんなんじゃ、チームの足を引っ張るだけだ!」
「はい! 後半戦は気をつけます!」
「後半戦?」

 先生はフンと鼻を鳴らす。

「お前みたいな奴は、後半戦に出せん」
「そんな! お願いします! 今後は気をつけるんで出させてください!」
「駄目だ駄目だ! 佐伯から聞いたぞ。お前どうせ、佐伯のことが気になって試合に集中できなかったんだろ? そんな軟弱な精神の奴を試合に出すことはできん!」
「いえ、もう大丈夫です! 試合に集中します! だからプレイさせてください!」
「駄目だと言っているだろう! 前半でみんなの足を引っ張った罰だ」

 先生は尻のポケットから財布を取り出すと、千円札を何枚か取り出して俺に握らせる。

「これでみんなの分のジュースを買ってこい! …桜ヶ丘学園のピロティまでな」
「…え?」
「俺、コーラな。先生、そこで売っているコーラしか口に合わないんだ」
「先生…」

 ニヤリと笑ったかと思うと、先生は踵を返す。
 すたすたと遠ざかってゆく安田先生の背中に、俺は精一杯に頭を下げた。

「すみませんでした! 行ってきます!」

 俺に背を向けたまま、先生がひらひらと片手を挙げる。

「行きのタクシー代も持たせたけどな、帰りは炭酸が抜けないようにゆっくり戻ってこいよ」
「はい!」

 ユニフォーム姿のまま、俺は走り出す。

------------------------------

「待ってたよ、佐伯さん」

 自販機横のベンチに座っていた伊集院君が、すっと立ち上がってあたしに歩み寄る。

「ここに来てくれたってことは、僕と交際してくれるんだね?」

 あたしは手を前で軽く組み、つま先を見つめている。
 口を開かないあたしに、伊集院君は「どうかしたのかい?」と優しく訊ねた。

 あたしは意を決し、バッと頭を下げる。

「ごめんなさい! 今日は、伊集院君にお礼を言いに来たんです」
「お礼?」
「はい。こんなあたしなのに好きになってくれて、ありがとうございました!」

 しばらくの静寂。
 あたしはゆっくりと頭を上げる。
 なんだけど申し訳ない気持ちばっかりで、またしても自分のつま先に目がいってしまう。

 伊集院君が「そうか」と溜め息をついた。

「そんなことだろうと思っていたよ。君は、やっぱり春樹君のことが好きなんだね」

 あたしはゆっくりと顔を上げ、しっかりと伊集院君の目を正面から見据える。

「はい、好きです」

 はっきりと答えることが、せめてもの誠意だと思った。

「参ったな」

 伊集院君が自嘲気味に笑う。

「やっぱり君たちの絆には敵わなかったってわけか」
「絆なんて、そんな!」

 あたしは手をぶんぶんと振った。

「あいつきっと、あたしに興味なんてないんですよ」

 泣きたくなるのをこらえながら、あたしはへらへらと笑ってみせる。

「あいつ、今日のことだって話したのに無関心だったんです。あたしを引き止めてくれなかったし…。だからこれ、あたしの片想いなんです」
「そうでも、ないみたいだよ?」
「え?」

 伊集院君が指差す方向に目をやる。
 遠く、学校の外にタクシーが止まっていて、見慣れたユニフォームが代金を支払っているのが見えた。

「さてと、邪魔者は退散しますか」

 気取った素振りで肩をすぼめると、伊集院君があたしに右手を差し出す。

「佐伯さん、素敵な恋だった。ありがとう」

 あたしはその手を握る。

「はい」
「お幸せに」

 手を離すと、伊集院君は颯爽と歩き出し、タクシーとは逆方向へと去っていった。

「おーい!」

 遠くから聞きなれた声がする。

「佐伯ー!」
「なによー」

 あたしは後ろ手を組んで、てくてくと春樹に向かって歩き出す。

「あんた、試合はどうしたのよ?」

 春樹はぜいぜいと肩で息をさせている。

「そんなことより、伊集院は?」
「もう帰ったよ」
「そうなのか。それで、どうなったんだ?」
「どうなったって、なにがー?」

 あたしは意地悪く笑う。
 春樹は「だから、その、付き合うことになったのか?」とおろおろするばかりだ。

 あたしは春樹の手を取った。

「行こ」
「え、でも、その」
「まだ試合、終わってないんでしょ?」
「え、ああ、そうだな。先生と、あとみんなにジュース買って戻らねえと」

 春樹が自販機に千円札を入れる。

 大量のスポーツドリンクと、コーラを1本。
 袋も鞄もないのに、そのジュースどうやって運ぶのよ。
 全くバカねと、あたしは春樹の腰を叩いて、そして笑った。

 続く。
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2010
August 03
【第1話・出逢い編】
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【第2話・部活編】
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【第3話・肝試し編】
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【第4話・海編】
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【第5話・無人島編】
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 どうにもラストシーンが気に入らない。
 俺自身よく解らないが、なんだかむしゃくしゃする。

 伊集院が主役に選ばれたのはクラスのみんなでやった投票の結果だし仕方がない。

「伊集院君、凄いなあ。あんな長いセリフ覚えられちゃうなんて」

 佐伯の賞賛する声にもなんだか腹が立った。

 文化祭の出し物で、うちのクラスは劇をやることになる。
 俺は読んだことがないけど、脚本は「千年交差」っていう小説が元になっているらしい。
 悲恋を続けては死んで、また生まれてを繰り返す、ある男女の生まれ変わりを描いた物語なんだそうだ。
 1000年間も転生を続け、最後の最後にようやく結ばれるといった内容のようだ。
 これのハッピーエンドの部分だけをクローズアップして劇にする。
 最後はキスシーンで終わるんだが、それはさすがに高校生がやるには問題があるということで抱き合うって形で表現することになるんだが、いかん、思い出したらイライラしてきた。

 伊集院と佐伯が熱い抱擁を交わしている場面が勝手に脳裏をよぎり、俺はそれをぶんぶんと首を振ってかき消す。

 麗子さんのほうがヒロインにふさわしいと、きっと何人もの男子が思っていただろうに、肝心の麗子さん本人が「目立つのは苦手なんです」と早々に辞退したこともあって、何故か佐伯がヒロインをやることになったのだ。

 背景に使うベニヤ板にペンキを塗っていると、嫌でも2人の練習する声が耳に入ってくる。
 どうやら今はクライマックスシーンをやっているらしい。
 伊集院が佐伯の前に立った。

「長いこと探していたものがあるんだ。でもそれは自分で探していたことにさえ気づけないもので、俺はそれを見つけ出していても、見つかったことをずっと知らないままでいた。気づくまで長かったよ。でも、お前はそれでも待ってくれていた。俺が、俺の運命と感情に気がつく今日までの間、待たせたな。ずっと前から言わなきゃいけなかった言葉を俺はようやく今、口にできるよ。ずっと前から、お前のことが好きだった」

 すると佐伯は「待たせすぎよ、バカ」と泣き顔になる。
 で、2人で抱き合って終わり、と。

 なんなんだ、このムカつく感じは。
 よく解らん感情だ。

 俺は力いっぱいペンキを塗りたくる。

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 演技とはいえ、人前で男の人と抱き合うなんて嫌だなあ。

 練習中、実際に抱き合うようになるのは本番近くになってからだ。
 だから今はまだ平気なんだけど、やっぱりどうも乗り気がしない。
 でも、今さら誰かにヒロインを代わってもらうのもクラスのみんなに迷惑かけちゃうだけだし、困ったものだ。

 頬杖をつきながら、軽い溜め息をつく。

 チャイムの音がして、教室に安田先生が入ってきた。

 起立、礼、着席といつもの流れをやったあと、先生は困ったようにポリポリと頭を掻く。

「ちょっとお前らに大事な知らせがある」

 先生は言いにくそうに「実は」と間を空けた。

「昨日、伊集院の家から連絡があってな。伊集院の奴、盲腸で入院してしまったらしいんだ」

 どよどよと教室内がざわめき、先生は「静かに!」と声を通す。

「文化祭まであと少ししかないけどな、主役は別の誰かに頑張ってもらうしかないと思うんだ」

 当たり前だけど、主役は出番が1番多い。
 今から文化祭までの短い期間で、全ての演技とセリフを覚えようとする男子が果たしているだろうか。
 誰もがそう感じているらしく、男子生徒の「そんなの無理だよなあ」という声がいくつか耳に入ってくる。

「大変だとは思うんだがなあ」

 先生は申し訳なさそうな顔であたしたちを見渡した。

「誰か、主役に立候補してくれる奴はいないか?」

 誰も手を挙げないだろうな。
 あたしはそう思っていた。

 しかし、

「俺やります!」

 この発言にはクラス全体がびっくりしたに違いない。
 高々と手を挙げたのは、春樹だった。

「あんた、主役なんて引き受けて大丈夫なの?」

 すっかり成長した猫の大吾郎が、あたしの膝でごろごろとくつろいでいる。

 夜になって、あたしはいつものように窓から春樹の部屋に侵入していた。

「うるせえなあ。集中できねえだろ? 大丈夫だって。俺はやるときにはやる男だ」

 春樹はこちらに目もくれず、机に向かって熱心に台本を読んでいる。
 鉢巻までしていて、なんだか受験生みたいだ。

 こいつ、こんなに真面目な顔もできるんだ。
 ちょっとぐらい協力してあげようかな。

 あたしはその横顔を見つめた。

「ねえ春樹。読んでるだけじゃなくて、実際に口に出したほうが覚えやすいよ?」
「え? そうなのか?」

 春樹が顔を上げる。

「うん。あたしがそうだったし、伊集院君もそうやって覚えたみたい」
「なるほど、そうなのか。あ!」

 ポンと手を叩いて、春樹が嬉しそうに叫ぶ。

「お前、付き合ってくれよ!」
「な、え? え?」

 いきなり付き合ってくれって、どういうこと!?
 あたし今、もしかして告白されてるの!?
 なんでこの流れで交際申し込んでくるのよ、この男!

 そんなあたしの困惑をよそに、春樹は必死に両手を合わす。

「頼む! お前でなきゃ駄目なんだ!」
「そ、そんな、いきなり、なによ」
「いいだろ!? 頼むから! ちょっとでいいから付き合ってくれよ!」
「へ? ちょっと? なによ、ちょっとって」
「いやだから、ちょっとでもいいって意味だ」
「どういうことよそれ! そんないい加減な気持ちだったわけ!?」
「ンなわけねえだろ!? 俺は大真面目だ!」
「大真面目なら、ちょっとでもいいなんて言わないでよ!」
「なんだ。ってことは、とことん俺の練習に付き合ってくれんのか?」
「へ? 練習?」
「ん? お前なんの話だと思ってたんだ?」
「し、知らないわよ! っこのバカッ!」

 顔を真っ赤にして、あたしは春樹を殴りつける。
 あたしが何を勘違いしたのか、これは一生誰にも言わないでおこう。

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 それ以上騒ぐと親に迷惑だから、俺はとっておきの場所まで佐伯を連れ出す。

「今日のお礼によ、クリスマスになったらまたこの場所に連れてきてやるよ」

 そこはちょっとした小高い丘で、手すりの向こうにはささやかな夜景が広がっている。
 公園になっているわけではないし、ベンチすらないけど、ここは俺が見つけた絶好のポイントだ。
 何もなさすぎて人だって来ない。

「クリスマス?」

 佐伯が俺から顔を逸らす。

「な、なんであんたと一緒にクリスマス過ごさなきゃならないのよ」
「ここから見る商店街のイルミネーションが最高なんだ。マジすげーぞ」
「イルミネーション?」
「桜ヶ丘では、クリスマスに毎年やるんだ」
「そ、そのことならどっかで聞いたことあるけど」
「そのイルミネーション、普通に見ても綺麗なんだけど、ここから眺めるともっと凄いんだぜ」

 しかし、佐伯は何故か俺の目を見ない。

「ま、まあ、そういうことなら、クリスマス、空けといてあげてもいいけど」

 俺は上機嫌で「よし!」と台本を手に取った。

「じゃあ練習しようぜ!」

 ところが、演劇ってのがこんなに難しいものだとは思わなかった。
 普通に言ってるつもりでもセリフが棒読みだと指摘されるし、動作を覚えるとセリフを忘れる。
 セリフを覚えたら今度は動作が着いてこない。
 何より、クライマックスのセリフがやたらと長くて、こいつが俺にとって最大の難所になりそうだ。

「長いこと探していたものがあるんだ。でもそれは自分で…、なんだっけ?」
「でもそれは自分で探していたことにさえ気づけないもので、俺はそれを見つけ出していても、見つかったことをずっと知らないままでいた。でしょ?」
「くっそ。もう1回!」

 練習は学校でもやっていたが、夜のここにも毎日のように俺たちは通い続ける。
 最も肝心な最後のセリフはそれでもなかなか身につかない。

 佐伯が呆れたように両手を腰に当てた。

「あんたねー、なにが『俺はやるときはやる男だ』よ。明日はもう文化祭、本番なんだからね」
「解ってるよ! いいからもう1回! 今度こそキメるから!」
「はいはい」

 佐伯が俺の前に立った。
 演技で、泣きそうな顔を作っている。

「じゃ、いくからな」

 宣言をして、俺は意識を高め、佐伯の目をじっと見つめた。

「長いこと探していたものがあるんだ。でもそれは自分で探していたことにさえ気づけないもので、俺はそれを見つけ出していても、見つかったことをずっと知らないままでいた。気づくまで長かったよ。でも、お前はそれでも待ってくれていた。俺が、俺の運命と感情に気がつく今日までの間、待たせたな。ずっと前から言わなきゃいけなかった言葉を俺はようやく今、口にできるよ。ずっと前から、お前のことが好きだった」

 言えた!
 初めて最後までつまずかずに言い切れた!
 やったぞ!

 と喜びそうになった瞬間、佐伯が俺の胸に顔を埋めてくる。
 細い腕がぎゅっと強く、俺を抱きしめた。

「待たせすぎよ、バカ」

 と、佐伯の震える声。

 そ、そうだ。
 まだ演技の途中だった。

 俺はせかせかと佐伯の背中に手を回し、力を込める。

 心臓の音がやたら激しくなっていて、そのことを佐伯に悟られないか心配だ。

 どれぐらい抱き合っていただろう。
 俺たちはほぼ同時に力を緩めてゆく。
 それでも手はそれぞれ相手に添えられたままで、体だけを少しだけ離した。

 俺の両手は佐伯の肩に。
 佐伯の両手は俺の腰に。

 目と目が合った。
 互いにそのまま見つめ続ける。
 やがて俺たちは自然と目を閉じた。
 佐伯が顔を上げたまま背伸びをし、俺は顎を下げて顔を少し傾ける。
 佐伯の吐息が俺の顔まで届いた。

 どん!

 突然佐伯に突き飛ばされて、俺は一瞬なにが起こったのか解らなかった。
 佐伯がコホンと咳払いをしている。

「ま、まあ、こんな感じでい、いいんじゃない?」
「え、ああ。そう、だな」

 夜風がそよそよと吹いた。
 なんだか微妙な沈黙が訪れる。
 それを破ったのは佐伯だった。

「じゃ、明日の本番、頑張ってね。あたしも頑張るから」
「え、あ、おう」
「じゃあね!」

 佐伯は走って帰ってしまった。

 なんだよあいつ、どうせ家が隣なんだから一緒に帰ればいいのに。
 変な奴だな。
 それにしても、さっきの妙に自然な流れは一体なんだったんだろう。
 いやいや、いかんいかん!
 明日が本番だからな、もうちょっと1人で練習していよう!

 俺はなるべく、さっき抱き合った後に起こりそうになったことについては考えないよう努めた。

 演技が上手いかと訊かれれば俺はそうでもないと思うんだが、本番はそこそこ無難に進行してゆく。
 緊張しまくりだけど、見ている観客たちから野次を飛ばされるなんてことは今のところはない。
 問題はやはりクライマックスのあのセリフだ。

 体育館のステージ中央に、俺は立つ。
 目の前には衣装を身に纏った佐伯が涙ぐんでいた。

 いよいよか。
 あのセリフが成功したのは結局夕べの1回だけだった。
 だからって、ここまで来たらもう引き返せない!

 俺は視線を佐伯の目に合わせ、ごくりと唾を飲む。

「長いこと探していたものがあるんだ。でもそれは自分で探していたことにさえ気づけないもので、俺はそれを見つけ出していても、見つかったことをずっと知らないままでいた」

 半分ぐらいを口にしたところで、俺は思わずパニックを起こしそうになる。

 なんてこった!
 ここから先のセリフが全く出てこない!
 頭ン中が真っ白だ!

 固まっていると、観客たちがどよめき出す。
 俺がわざと間を作っているのか、セリフが飛んでしまったのかを測りかねているみたいだ。

 どうしようどうしようどうしよう。
 なんだっけなんだっけ。
 このままセリフが出てこなかったら、高校最後の文化祭が台無しになっちまう!

 困っていたそのとき、佐伯が意外な行動に出た。
 まだセリフの途中なのに、俺に抱きついてきたのだ。

 バカお前、まだ早い!
 と思ってあたふたしたら、佐伯は小さく短く、俺の耳元でささやく。

「そのままあたしを抱きしめて」

 わけのわからないまま、それでも俺は言われた通りに手を伸ばし、佐伯の体に手を回す。

 佐伯が再び俺の耳元でささやいた。

「気づくまで長かったよ。でも、お前はそれでも待ってくれていた」

 その言葉が何なのか すぐにピンとくる。
 セリフの続きだ!

 俺は佐伯の言葉をそのまま復唱する。

「気づくまで長かったよ。でも、お前はそれでも待ってくれていた」

 佐伯が続きを言い、俺がそれを次々となぞってゆく。

「俺が、俺の運命と感情に気がつく今日までの間、待たせたな」
「俺が、俺の運命と感情に気がつく今日までの間、待たせたな」
「ずっと前から言わなきゃいけなかった言葉を俺はようやく今、口にできるよ」
「ずっと前から言わなきゃいけなかった言葉を俺はようやく今、口にできるよ」

 さっきの混乱のせいで俺の声は自然と震えている。
 聞いてるお客にそれは、俺が泣くのを我慢しているように耳に入っていることだろう。

「ずっと前から、お前のことが好きだった」
「ずっと前から、お前のことが好きだった!」

 すると佐伯は俺の腕からするりと抜けて、笑い泣きのような表情で大声を出した。

「待たせすぎよ! バカァ!」

 続けて佐伯が覆いかぶさるかのように飛びついてきて、俺はそれを受け止める。

 ステージには幕がゆるゆると下りてきて、観客たちは盛大な拍手を俺たちに贈ってくれた。

「お前にはホント助けられたよ」

 クラスのみんなで成功を祝い、その帰り道。
 俺は佐伯にジンジャーエールを奢った。

「それにしても」

 気が抜けてしまって、俺はついだらしない声を出す。

「無事終わってよかった。一時はどうなることかと」
「ねえ、春樹」
「ん?」
「なんであんた、主役に立候補したの?」

 どういった感情からなのか、佐伯はにやにやと薄ら笑いを浮かべている。
 そんな質問、答えられるわけねえじゃねえか!
 佐伯が他の男子と抱き合うのを見たくなかっただなんて、死んでも言えるか!

 俺はそっぽを向いて、ぶっきらぼうに「忘れた」と吐き捨てる。

「それにしても、お前、ホントすげーな」

 話を逸らすことが目的だけど、俺はついつい本音を口にする。

「お前、自分のセリフどころか、俺のセリフまで覚えてたし」
「そりゃあんだけ練習に付き合わされればね」
「アドリブも不自然じゃなかったしよー」
「あんときはあたしも焦ってたよ」
「だいたいお前、演技うめーよ」

 すると、佐伯がぴょんと小さく飛んで、俺の前で悪戯っぽく舌を出す。

「だって、演技じゃないもん」
「え?」
「じゃ、またねー!」

 たたたっと駆けて、佐伯は自分の家へと入っていった。

 俺はその場に立ち止まり、ただただ首を捻るばかりだ。

 演技じゃなかった?
 演技じゃなかったら、なんだったんだ?
 俺にはなんだかよく解らん。
 ったく、相変わらず変な女だぜ。

 続く。
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拍手[24回]

2010
August 03
【第1話・出逢い編】
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【第2話・部活編】
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【第3話・肝試し編】
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【第4話・海編】
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 最初に声をかけてきたのは佐伯のほうだった。

「ねえねえ、昨日から気になってたんだけどさ、あの島に行ってみない?」

 夏旅行2日目も、俺たちは朝から海を堪能する。

 夕べはあれだけ星が綺麗だったのに、今は曇り空だ。
 昨日と比べて波も随分と荒い。

 天気が悪くなったら民宿に戻ってトランプでもしていよう。
 そんな相談をしていたら、近藤が「伯父さんから借りてきたよ」と嬉しそうにゴムボートを引きずってきた。

「ただこれ小さいから、乗れるのは2人だけなんだ」
「じゃあ、交代交代で乗ろうぜ!」

 誰と誰がゴムボートに一緒に乗るのかだとか、どのような順番で乗るのかは特に決めたわけじゃなかったけど、最初は近藤がさっちゃんを誘って荒波のスリルを楽しんでいた。

 さっちゃんが溺れるなんてちょっとしたアクシデントがあったからなのか、伊集院と麗子さんは遠慮がちだ。
 それならば俺が、と黄色いボートに乗り込んだ。
 少しだけ沖に出てみるか。

「よいしょっと」

 呼んでもいないのに佐伯がボートによじ登ってくる。

「うわあ、揺れるねー」
「またか! なんでいつも麗子さんじゃなくってお前なんだよ!」
「白鳥さんじゃなくって悪かったわねー」

 佐伯は意地悪そうにべーと舌を出した。

 オールを漕ぐ。
 ボートはゆっくりと沖へと進んでゆく。

「あーあ~」

 佐伯はどこか残念そうな声を出した。

「また来年も、どうせあんたと一緒なんだろうなあ」
「え!?」

 不意を着かれたような心地だ。
 動揺を悟られないように、俺はわざと口調を強める。

「いやお前、来年って、いやほら、俺たちもう3年で、来年は卒業してるんだぞ!?」
「あれ? あ、そっか、春樹聞いてなかったんだっけ?」
「え? なにを?」
「夕べ部屋で、さっちゃんと近藤君とで、毎年同じメンバーで来たいねーなんて話してたんだ」
「え、あ、そ、そういうことか」
「なんだと思ったのよ?」
「な、なんでもねえよ!」

 そんな他愛もない話をしていたら、佐伯がさらに沖にある島を指差して、ちょっとした冒険を提案したってわけだ。
 その島は徒歩で1周するのに何時間もかかりそうなぐらいの大きさだけど、住んでる人間はいないらしい。
 いわゆる無人島ってやつだ。

 浜にいる近藤たちに、俺は声を張り上げる。

「おーい! 近藤ー! ちょっと俺ら、あの無人島に行ってくるー!」

 遠くからかすかに「気をつけてー!」と親友の声が返ってきた。
 近藤とさっちゃんがこちらに大きく手を振っているのが見える。

 俺はオールを漕ぐ腕に、さらに力を込めた。

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 春樹の奴、信じられない!

 ちょっと島を散歩していたら雨が降り始めて、あたしたちは元の浜辺に戻ろうとボートを目指す。
 海がさっきよりも荒れてきているから、戻るのは大変かも知れない。
 雨の勢いもちょっとずつ増してきてるようだったから、あたしたちは自然と早歩きをしていた。

「うっわ! マジかよ!」

 春樹が悲痛な声を出す。
 あたしも目を見開いた。

 ゴムボートを停めてあった場所にあったのは、荒れ狂う波だけだった。

「なんで!? ボート流されちゃったの!?」
「ああ、そうみたいだな」
「なんでちゃんとロープ結んでおかなかったのよ!」
「結んだよ! きっと、波が高いせいでほどけたんだ」
「そういうのは『ちゃんと結んだ』って言わないのよ! バカ!」
「なんだと!?」
「なによ!?」

 喧嘩をしても始まらない。
 あたしたちはどこか雨宿りができそうな場所を求めて島の中心へと足を向けた。

 雨がさらに強くなって、あたしと春樹は言い合いながらも探索を続ける。

 昔は道だっただろう地面は雑草だらけで足がチクチクするし、雨がどんどん体温を奪ってゆく。
 振り返ってみると海はさっきよりもさらに波を高めていて、あたしは台風のニュースを思い出していた。
 空が、ゴロゴロと音を立てている。
 ホント最悪だ。

「やった!」

 春樹が表情を輝かせる。

「小屋がある!」

 春樹が見つけたそれは木造の小さな山小屋で、幸い鍵はかかっていなかった。
 どうせ無人だからと、あたしたちは勝手にその小屋へと避難する。

「でさ、この後どうするの?」

 土砂降りの雨が激しく窓を叩いている。
 帰る手段が思いつかなくて、あたしは焦りの色を隠せなかった。

「あんだけ波が高かったんだよ? 助けが来れるわけないじゃない」
「近藤が、俺たちがここにいることを知ってる。天気が良くなるまでここにいるしかねえだろ」
「そんな!」

 こんな廃墟みたいな小屋で、濡れた体を拭く物もなくて、ごはんもなくて、しかも春樹と2人きり?

 何かしら文句を言いたかったけど、寒さのせいで、あたしは腕を抱えて震えることしかできないでいた。

「お!」

 小屋の中をごそごそと探っていた春樹が声を上げる。

「毛布あったぞ!」

 春樹はそれを「ほらよ」とこちらに放り投げてきた。

 今この状況で、毛布はありがたい。

「ありがと」

 あたしは体の水滴をなるべく払うと、さっそく毛布に身を包んだ。
 春樹はというと、海パン姿のままガチガチと歯を鳴らして寒そうにしている。

「あれ? 春樹の毛布は?」
「それが」

 言いにくそうに、春樹は顔を伏せる。

「毛布、1枚しかなかったんだ」
「へ?」

 あたしは口をぽかんと開けた。

------------------------------

「だって、仕方ないでしょ?」

 俺はいいって言ってるのに、佐伯はしつこい。

「この寒さだと、あんたまた熱出すよ?」
「大丈夫だって。寒くなんかねえよ」
「いいから、ほら!」

 佐伯が強引に、俺を毛布の中に引き込んだ。

 なんだか部屋の真ん中で抱き合っているみたいで、間が持たない。

「そ、そうだ! 非常用の水もあったんだ!」

 俺は自然体を装って毛布から脱出する。
 毛布から出ると肌寒いが、何故か顔だけが温かい。 

 棚の中からペットボトルを取り出して、佐伯に差し出す。

「まだ期限切れてないみたいだから、喉乾いたら飲めよ」
「あんたってさ」

 佐伯が感心したような顔をして俺を見つめる。

「意外と頼りになるとこ、あるんだ」
「バ、バカ言ってんじゃねえよ! こんなの普通だよ!」

 ペットボトルを佐伯に放って、俺は顔を背ける。

 それからどれぐらい経っただろう。
 小屋の中は真っ暗闇だ。

 俺と佐伯は結局、2人で1枚の毛布に包まって座り、壁に背を預けている。
 どちらも水着のままだから、二の腕の部分は素肌で、触れ合っている部分が温かい。

 佐伯は俺が見つけたペットボトルから口を離す。

「あ、ごめんね。あたしだけ飲んじゃって」

 はい、と水を渡される。

「え!?」

 どうしても飲み口の部分に目がいってしまう。

 そんなの、間接キスじゃないか!

 俺はあたふたと「いや俺は全然喉渇いてないから大丈夫!」と、ペットボトルを佐伯に押し返した。

「なに遠慮してんのよ」
「え、遠慮なんてしてねえよ!」
「なにムキになってるの?」
「は、はあ!? ム、ムキになんてなってねえし! 俺、水なんてなくたって全然平気だし!」
「なにサボテンみたいなこと言ってんのよ」
「誰が砂漠の植物だ!」
「もう! さっきからなによ! あたしが親切で言ってやってんのに! 意味のない無理ばっかしてバカみたい!」
「なんだと!?」
「なによ!」

 と、そのとき。
 天気は良くなるどころか、さらに悪くなって雷まで発生したらしい。
 窓の外が一瞬だけ眩しいほどの光を放ったかと思うと、耳元で大太鼓を打ち鳴らされたような大音量が轟く。 

「きゃあ!」

 毛布の中で、佐伯が俺に抱きついてきた。

「な、なんだよ!」
「あたし雷苦手なの!」

 すると2発目の雷が。

 佐伯は再び悲鳴を上げて、ぎゅっと俺の体を強く抱きしめる。

「お、お前ホント怖がりだな」
「う、うるさいなあ!」

 語気は荒いが、佐伯は俺を離す気がないようだ。

「あたし、肝試しのとき決めたの」
「なにをだよ?」
「怖いものは怖いって、正直に言おうって」

 フラッシュを焚いたかのような光と、再びの轟音。

「きゃあ!」
「いちいち大袈裟な」
「ちょっと春樹」
「なんだよ」
「怖い」

 な、なんだよこいつ、急にしおらしくなりやがって。
 普段からこうなら可愛げあるのによ。
 なんて思っていたら、佐伯の言葉には続きがあった。

「あの、春樹。あのさ、その」
「なんだよ」
「あのね? あの、雷怖いから、その」
「だからなんだよ」
「あの、その、春樹も、その、あたしをさ? もー! 解るでしょ!?」
「わかんねえよ! なんなんだ一体!?」
「もう! 鈍いなあ! あたしを抱っこしててほしいの!」

 なんだってェ!?
 だだだ、抱っこだと!?
 いやでも、こ、怖いんなら仕方ねえ。

「ちッ! しょ、しょうがねえなあ」

 全身が硬直して、俺はギクシャクと佐伯の肩に腕を回す。
 こんな状況、もしクラスの連中に見られたらどう思われるんだ。
 水着姿で、同じ毛布に包まって、抱き合って、しかも他人のいない小屋で2人きりで一晩を明かす?

 2人きりで、一晩を明かすー!?

 俺が漫画だったら頭を爆発させているところだ。

「さ、佐伯。も、もういいだろ?」

 声をかけるが、返事はない。

「おい、佐伯」

 それでも反応がないので見てみると、暗くて解りにくかったが佐伯はどうやら寝入ってしまったらしい。
 すーすーと寝息が聞こえる。

 抱き合ったせいで温かくなったからなのか、安心したからなのか、こいつ眠りやがった!

「ったく」

 肩に回した腕を外すと起こしてしまいそうだったので、俺もそのままの体勢で眠ることに集中し始める。
 心の中で、邪心を払うかのように俺は念じた。

「羊が1匹、羊が2匹、羊が…」

 駄目だ、全然眠れねえ!

 数えた羊の数は1万に達していたが、眠気は一向に訪れてこない。
 窓の外が明るくなり始めている。
 雨はまだ降っているようだったが、夜ほどの激しさはなくなっていて、これは朝になる頃に止むだろうと予感させた。

 薄明かりが佐伯の寝顔を照らす。

「こいつ、黙ってりゃ可愛いのによ」

 つい独り言を出してしまった。

「ん…」

 俺の声に反応したのか、佐伯は目を閉じたまま顎を上げ、顔をこちらに向ける。

「ちょ!」

 佐伯の吐息が俺の首筋をくすぐった。

 俺たちの姿勢は抱き合ったままの状態で、佐伯は目を閉じて俺に顔を向けている。
 この体勢はやばい!

「お、おい、佐伯、さん?」

 恐る恐る声をかける。
 すると佐伯は返事をするかのように「ん」と、どこか色っぽい声を出した。

 心臓の鼓動はもはやヘビメタのドラムぐらい早くなっている。

「おい、寝てんのか?」
「ん」
「お前、そんな無防備だと、ほら、な?」
「んん」
「おいおい、起きろって」
「んー」
「起きろよ」
「ン…」
「起きねえとお前、キ、キスしちまうぞ?」
「ん」
「起きろって。本気だぞ?」
「ん…」
「い、いいんだな? ホントにやるぞ? お、お前がいいって言ったんだからな?」
「んんっ」

 ええい、もうどうにでもなれ!

 俺は覚悟を決めた。
 目をつぶり、唇を尖らせ、佐伯に迫る。
 ファーストキスまであと1センチ!
 というところで、「へ?」という声がした。

 目を開けてみると、佐伯の顔がすぐ目の前にあって、驚きの表情が俺を見つめている。
 驚愕していたその顔は、みるみるうちに怒りの表情へと変化した。

「いや、これはちが、ちが、違うんだ」

 弁明空しく、佐伯は俺に絡めていた腕を外すと拳を握る。

「っこの、バカーッ!」

 助けに来てくれた近藤の伯父さんが俺の顔を見て、「熊にでも遭ったのかい?」と不思議そうな顔をしたのは言うまでもない。

 続く。
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/385/

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プロフィール
HN:
めさ
年齢:
49
性別:
男性
誕生日:
1976/01/11
職業:
悪魔
趣味:
アウトドア、料理、格闘技、文章作成、旅行。
自己紹介:
 画像は、自室の天井に設置されたコタツだ。
 友人よ。
 なんで人の留守中に忍び込んで、コタツの熱くなる部分だけを天井に設置して帰るの?

 俺様は悪魔だ。
 ニコニコ動画などに色んな動画を上げてるぜ。

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