夢見町の史
Let’s どんまい!
March 09
「オメー、口堅い?」
いつになく真剣な面持ちで、トメはハンドルを握っている。
日は既に暮れていて、トメが運転する車はもうすぐ地元に差しかかるところだ。
当時の俺達はまだ20代の前半で、この日は母校にて空手のコーチをした帰り道だった。
「オメーの口が堅いならよ、ちょっと話してえことがあるんだけどよ~」
口が堅いかと訊ねられて、軽いですよと応える者はいないだろう。
言葉を選ぶ。
「まあ、今ンとこ、人の内緒話を漏らしたことはないけど」
嘘ではない。
「じゃあオメー、誰にも言うなよ?」
乗用車の中で、トメの長い話が始まった。
繁華街に車を停め、仕事をする父上殿への届け物を果たすまでは平和だったと、トメは言う。
ネオン輝く街での用事はそれだけで、あとは家に帰ってテレビでも見て、適当に過ごすつもりだったらしい。
もう時効なので書いてしまうが、この日のトメは路駐をしていたのだそうだ。
すぐに帰るつもりでいたのだろう。
わずかな間だからと高をくくって道路に駐車をし、そうしておいてトメは無事に用事を済ませると、車を止めてあった場所を綺麗に忘れ去った。
おバカさんである。
車はどこだっけ?
ってゆうか、ここがどこだっけ?
人はどこから来て、どこに向かっていくのだろうか。
異国に取り残されたゴツいヒヨコみたいなことになっていたのだろう。
トメはピヨピヨとさ迷った。
「お兄サ~ン! チョット寄ってってヨ!」
いつしか大人のエリアに足を踏み入れてしまったようで、トメはエッチなご職業のお姉様方に、「自分はいい仕事をする。安くしておく」的なことを言われまくる。
皆さん金髪だったりもして、彼女達は海外からの出稼ぎなのだろうなと、トメは察しをつける。
「お兄サン、時間あるでショ?」
「2時間だけヨ!」
「安いヨ!」
うっかりカモられそうになる。
皆さん積極的で、トメを囲んで逃がさない。
おラブなホテルに連れ込もうと、トメの腕をぐいぐいと引っ張ってくる。
擬似モテだ。
「いや、俺はいいって~」
「いいから! アタシにしなヨ!」
何度断っても諦めない猛者が、1人だけいた。
彼女は見た目以上に馬力があって、トメをギラギラした目でガン見し、逃がしてなるものかとばかりに必死の形相で掴んだ腕を離さない。
近距離パワー型だ。
トメは、ついに覚悟を決めた。
ちょめちょめ用ホテルの前で、30分も粘られるほうが恥ずかしかったからだ。
ってゆうか、30分って意外と長い。
2人とも、よく頑張ったものである。
「それでホテル入っちゃったの!?」
助手席で、俺はトメに向かって身を乗り出す。
俺には縁がないだけに、大人の世界にわくわくだ。
「部屋に入ったらさ~」
「うんうん」
「何故かその人、俺から先にシャワー浴びさせようとするんだあ」
「お金は?」
「前払いだったよ~」
シャワーを浴びている間に、逃げられてしまったのだろうか。
「それでそれで?」
「シャワーから出たら、その人、もう下着姿になっててさ~」
「わおう!」
「ビールが飲みたいだの、タバコが吸いたいから買ってきてくれだの言われてさ~」
タバコの買い出しに行かされた隙に、逃げられちゃったのだろうか。
ってゆうか俺だったら、自分が逃げる。
「タバコ買って、俺が部屋に戻ってきたらさ~」
「戻んなきゃいいじゃん。この好き者が!」
「でも相手も、下着姿のまま待っててさあ~。いきなり…」
「いきなり!?」
ここの描写については、どうか省略させて頂きたい。
とてもじゃないがリアルに表現できない。
書くのが恥ずかしい。
悪友が様々な施しを受ける姿を想像したくもない。
なんていうか、アルファベットで言えばBの後半だったとだけ記しておく。
18禁だ。
「…ひゃあ~」
聞いてるこっちが赤面する始末だった。
話すほうであるトメにも恥じらいがあって、具体的な行為については伏せられていたが、想像できちゃう自分が嫌だ。
「でも、その人は何故か脱がなくてさ~」
このセリフからは、トメの方は脱いじゃったんだと推察できる。
どうやら一方的にアレコレ好きにされちゃったらしい。
「でよ~。一旦落ち着いて、会話だけの時間になってさ~」
なんで落ち着けるような気分にトメがなっちゃっているのか、考えたくもない。
「俺の友達の話をしたんだ~」
トメの友人には、男の人なのに男の人に色々されちゃった過去の持ち主がいる。
その彼の体験談を、トメは冗談混じりに話して聞かせたのだそうだ。
「俺の男友達で、男の人とまぐわっちゃった奴がいてさあ~」
下着姿のままでいい仕事をする人はトメの話に頷き、最高の名言を放つ。
「え? アタシも男ヨ?」
とんでもない事実をさらっと口走られる。
そういう大事なことは、服を着ている時に言って頂きたい。
手の平に、俺はいつしか汗をかいていた。
「それでどうした!?」
「マジかよ~!? って思ってさあ~、乳バンドの中に手ェ突っ込んだんだあ」
「お前も大胆ですね。そしたら?」
「たくましい胸板だったよ~」
車は既に、地元の町を走っている。
もうすぐ俺の家だ。
「それで、どうにかホテルから逃げ出したよ~」
「ああそう」
「ぜってえ人に言うなよ? オメーよ~」
「ってゆうかお前、なんで俺にそんな重大なこと話したんだよ。黙ってりゃいいのに」
率直な疑問にトメが示した解答は、実に人間らしい素敵な答えだった。
「とても自分1人の胸には支え切れねえよ~」
トメはめちゃめちゃナーバスな顔になっていた。
「トメ、ここでいい。降ろしてくれ」
まだ俺の家に着く前だったから、不思議に思ったのだろう。
トメが顔の影を濃くする。
「オメー、ホント誰にも言うなよ?」
「気持ちは判る。気持ちは判る」
「なんで2回言うんだよ~。お前、ここで降りてどうすんだよ、一体よ~」
「今日は1杯やって帰ろうと思って」
半ば強引に下車し、トメの車を見送る。
当時行きつけだったバーに、俺は足早に向かった。
思い返すは、トメの言葉だ。
「とても自分1人の胸には支え切れねえよ~」
馬鹿野郎が。
そんなの、こっちだって同じだっつーの!
ドアを開け、店に入る。
「みんな聞いて聞いて! トメがね!? トメがね!? すっごい体験したのー!」
人様の秘密を喋ってしまったのは、生まれて初めてでした。