夢見町の史
Let’s どんまい!
April 05
職場のスナックは基本的に女の子のお店だからだ。
ボスも同僚も女性のみで、俺は毎日のように女子高生気分を満喫している。
不思議というか、実に失礼なことだと思うのだが、彼女たちは俺のことを一切男として見ていない。
拾ったゴミを普通の態度で俺の胸ポケットに入れたりする。
女子高生気分から一気にゴミ箱気分にランクダウンだ。
タンクトップの似合う男になりたいものである。
「めささん、これ」
フロアレディの1人がいつものように、俺の胸ポケットに何かを忍ばせる。
ゴミなのはお前の心ですよ!
思わずそう叫びそうになった。
ところが彼女は、
「後で読んでください」
手短な小声でそうささやいた。
真剣な面持ちだ。
ゴミかと思いきや、ポケットに入れられたのは手紙だったのである。
メモ用紙が凝った形で折りたたまれていた。
おいおい、マジか。
そりゃ確かに俺は素敵な男さ?
でもお前、職場でそういうのはマズいだろ。
ったくそんなことされたって、俺は全然悪い気しねえよ。
基本的に俺は1人でいることが好きだけど、惚れてくれるというのなら俺は全然構わない。
0.5秒で俺は上記のようなことを考えていた。
心なしかスキップで帰宅をし、いそいそと手紙を開く。
「実は前から」で始まる一文が脳裏をよぎる。
もしくはシンプルに「す」から始まる意思表示。
次に一緒に働く日が気マズいぜ。
ふへへ。
気持ちの悪い笑みを浮かべて、俺は手紙を一読した。
そこには一言だけ、このように綴られている。
「ばーか」
心の中で、俺は悲鳴にも似た大声を出す。
電気の消えた台所で1人、体育座りをしたまま朝を迎えてやろうかァ!
俺ァそこまでメンタル強くねえンだよォ!
ばかちん。
April 04
will【概要&目次】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/207/
<万能の銀は1つだけ・2>
自衛士たちに事情を説明し終える頃になると日は暮れかけていて、山脈の向こうに太陽が沈もうとしている。
オレンジ色の空が男たちの影を長く伸ばしていた。
レーテルは締めくくりの言葉を口にする。
「俺たちが踏み込んだときの状況はだいたいそんなもんです」
自衛士の隊長は「なるほど」と手帳にペンを走らせた。
ガルドはというと不機嫌そうに腕を組み、殺害現場となった一軒家を見上げている。
一家が全滅していたことに憤慨しているのだろう。
仁王立ちのまま動こうとしない。
自衛士たちはそんなガルドの気迫めいた雰囲気に圧されているらしく、玄関の目の前という邪魔な場所に立っている剣士に注意することもせず、ただ彼を避けて通っている。
2階までくまなく調べた結果、生きている者は誰もいなかったのだ。
ガルドが殺気立つのも無理はないと、レーテルは思っていた。
犠牲者は1階で果てていた女性も合わせて、計4名。
中には老人や子供も含まれていて、無残なことに全員が撲殺されていた。
全ての窓は内側から板を打ちつけられていて、鍵もかかっている。
遺体のそばに凶器らしき物もなかった。
2人の剣士が神経を研ぎ澄ませている最中に、犯人がこっそり脱出したとはとても考えられない。
住人の誰かが犯人で、一家を殺害した後にどうにか工夫をして自決したという可能性も低かった。
動機が不明だし、何よりも自分自身を殴り殺し、凶器を隠すという手段が難しい。
そこまで手の込んだ心中をする必要も想像できない。
これはやはり一連の連続殺人事件の1つと解釈すべき出来事なのであろう。
ガルドの背中にたたずむ大剣は鞘に納まってはいるものの、金具が夕日を反射して、燃えているようにも見える。
まるで彼の憤りを表しているかのようだ。
いや、実際にガルドの怒りは相当に激しいものなのだろう。
平静を装っているレーテルにしても穏やかな心境ではなく、なんともやるせない心持ちだ。
レーテルは再度、自衛士の部隊長に声をかける。
「隊長殿、我々剣士2名が遺体の第一発見者である以上、俺たちにも多少なりとも容疑がかかるのではありませんか?」
すると部隊長は動揺したのか、顎ヒゲを撫でる。
「いやまあ、どちらかというと、あなた方の無実を証明するためにも様々な観点から考えなくてはならんでしょうな」
「ということはこの後、さらに具体的な証言をするために俺とガルドは屯所に行かねばならんわけでしょう?」
「ええまあ、そうしてもらえると助かります」
「もちろん協力しますよ。俺たちの身の潔白を解ってもらうためにも。ただ――」
レーテルは親友の背をチラリと見て、続ける。
「俺たちは今後、この事件についての調査を本格的に始めたいと考えています。一連の殺人事件のことも含めて、そちらで持っている情報を提供してもらえませんか?」
すると部隊長は「よろしいでしょう」と首を縦に振った。
「こちらとしても人手は多いほうがいい。剣士が積極的に動いてくれるというのなら、それに越したことはありません。ただ形式上、こちらからの情報提供はあなた方の無実が証明されてからでも構いませんか?」
レーテルは「もちろんです」と頷く。
2人の剣士が屯所で取り調べを受け、晴れて解放されたのは翌日になってのことだった。
「あんまり気分のいいもんじゃねえな」
自衛士隊の支部を背にして、ガルドは毒づく。
「あいつら、明らかに俺らのこと疑うような訊き方しやがって」
「まあ、そういうなよガルド」
レーテルが相棒の肩に手を添え、たしなめた。
「あちらさんも仕事なんだ。それにこれで俺たちの信頼も取り戻せたんだ。良しとしておこう」
街は相変わらずの様子で白く塗られた四角い建物が立ち並び、大通りには馬車が走り抜けている。
様々な商店が展開し、そのどれもが「うちの品は金を出して手に入れるだけの価値がある」と主張していた。
「取り合えず、俺ァ帰るぜ」
両手を精一杯に伸ばし、あくび交じりにガルドは言う。
「ガキと女房の顔が見てえし、風呂にも入りてえ。レーテル、オメーはどうすんだ?」
「俺はちょっと調べ物をしてから帰る」
「そうか」
ガルドは「じゃあここらで解散しようや」と片手を挙げ、レーテルに背を向ける。
「明日また広場で落ち合おうぜ」
「ああ」
ガルドの大きな背中を見送ると、レーテルは反対方向に歩き出す。
図書館では掲示板に貼り出された過去の事件事故の記事が保管されている。
レーテルはその中から謎の殺人事件についての紙面のみを抜き出し、片っ端から目を通していた。
自分なりに事件の関連性や共通事項を見出すためだ。
一通りの取調べで剣士2名の無実が証明された後、自衛士部隊長はレーテルとの約束を守り、判明している情報を全て教えてくれていたのである。
「まず何からお聞かせすればいいでしょう」
「あの一家撲殺事件では、凶器は出たのですか?」
「ええ。今回は珍しく出ましたね。どうやら亭主はそこそこ名の知れた画家で、いくつか賞も取っています。ダウイン絵画賞というのをご存知ですか?」
「いえ、俺は知らないですね」
「そうですか。凶器はですね、そのダウイン絵画賞のトロフィーです。クレア銀でできた重たいもので、これは暖炉の上に飾ってありました」
レーテルはそれで、1階の暖炉に聖杯を模したトロフィーがあったことを思い出した。
「あのトロフィーですか。どうしてそれが凶器だと?」
「被害者の中に1人だけ、傷口に特徴があったんです」
「特徴?」
「ええ。遺体のどれもが頭部を中心に相当強い力で殴られていました。先ほど解剖結果が出たのですが、頭蓋骨が丸みを帯びた形で陥没しているんですね」
レーテルは被害者の死の瞬間を想像し、思わず顔をしかめた。
部隊長はそんな剣士の様子に気づかなかったのか、構わず手帳のページをめくる。
「でですね、1人だけ、その陥没の具合がおかしかったんです」
「おかしい、とは?」
「窪みの形が複雑だったんですよ。私もついさっき報告を受けたばかりなのですが、トロフィーの取っ手部分の形状と傷口が一致するそうです。あの家で最初に起きた殺人事件も撲殺だったので、もしかしたら同じ凶器かも知れませんな」
「あ、そうだった」
レーテルは身を乗り出す。
「俺たちは元々、その最初の事件を調査するためにあの家に行ったんです。そちらの事件についても聞かせていただけませんか?」
すると部隊長は「ええ、いいですよ」と手帳のページを遡る。
「最初の被害者は家の主人ですね。先ほどお話しした画家の男です」
「事件があったのはつい先週のことだったと記憶していますが」
「ええ、そうです。第一発見者は奥方で、遺体は朝、1階居間で発見されました。どうやら前の晩に殺害されていたようなんですな」
隊長によると最初の被害者はアトリエから帰宅し、玄関に鍵をかけた後に何者かから後頭部を強く殴られ、死に至ったらしい。
盗まれた物はなかったが家族に動機がなく、窓の鍵は開いていた。
愉快犯による犯行との見方が強まっていた。
残された家族は戸締りのつもりで内側から全ての窓を塞いでしまったのだろう。
当時は凶器を特定できなかったとも、部隊長は言った。
「他殺であることは間違いないと見ているんですが」
困惑したときに出る彼の癖なのだろう。
部隊長は顎ヒゲをさすり、静かに手帳を閉じる。
「家族全員を詳しく調べてみても、これといった殺害の動機がなければ証拠もない。全く難儀していますよ。昨日の皆殺し事件のせいで、尚更です」
珍しく凶器が特定されたことがせめてもの手がかりに繋がればいいのですが。
とも部隊長は言っていた。
昼下がりの図書館は利用者も少なく閑静だ。
古びた紙と木の匂いがレーテルには妙に心地がよく、また静けさもあって作業がはかどる。
レーテルは既にいくつかの記事を抜き出しており、改めてそれらを熟読していった。
凶器が特定された事件だけに注目することにしたのだ。
中には一連の事件に便乗しての犯行も混ざっているのかも知れないが、今は他にこれといった考えが浮かばない。
最近になってルメリア各地で多発している事件のほとんどは調べてみると、やはり凶器が発見されていないものばかりだ。
中には冤罪で罰せられた者がいてもおかしくないだろう。
それほどまでに多くの事件は謎をはらんでいる。
過去、掲示板に貼られていた記事の中から凶器が見つかった事件はたったの4件で、これには昨日レーテルたちが遭遇した事件は含まれてはいない。
記事に目を通して、レーテルはつい「おや」と口に出す。
これは偶然なのだろうか?
ミアシスの富豪は自宅で、サーベルによって腹部を刺されていた。
凶器はクレア銀でできた装飾用の剣だ。
また、同じくミアシスでは路上で剣士の遺体が発見されている。
こちらも斬殺で、凶器は剣士自身が所持していたクレア銀のダガーナイフだった。
バイムルで見つかった遺体はいわゆる一流階級の婦人で、こちらは珍しく絞殺されている。
クレア銀のペンダントが凶器と断定された。
シノテで発見されたのは撲殺死体で、貿易商人が犠牲者だ。
運搬中だった商品が凶器で、これもまたクレア銀でできた壷だった。
レーテルたちが第一発見者として昨日直接関わった事件も、凶器はクレア銀製のトロフィー。
凶器が断定されればそれはクレアで作られている物ばかりだ。
これは何を示しているのだろうか。
レーテルは元通り日付け順に記事を並び代えると、元の場所に戻す。
長髪を後ろで束ねた剣士はそのまま、図書館の静寂を後にした。
奇妙な胸騒ぎがする。
相変わらず犯人像は浮かばないままだが、やはりどう考えてもルメリア全土で同じような殺人事件が頻繁に起こるのは異常だ。
事件のだいたいは栄えた街を中心に発生しており、比較的裕福とされる住民が被害に遭ってはいるものの、金品の一切が奪われていないのだ。
したがって組織的な犯行とも考えにくい。
レーテルはふと不安に駆られる。
数年前にミアシスで開催された剣術の大会を思い出したのだ。
それはまさにルメリア最強の座を証明するための催しで規模が大きく、参加表明を出す剣士も大勢いた。
そこでの決勝戦でレーテルは初めてガルドと戦うこととなったのである。
コロシアムの中央で2名の剣士は闘気を爆発させた。
速さでガルドを惑わせるも、彼の力強さと剣速と野生的な勘には叶わず、ついにレーテルは敗北を喫する。
決着がついたことによって巻き起こる大歓声の中、跪いたレーテルに対し、ガルドは握手を差し出してきた。
「レーテルっつったな。強かったぜ」
その手を握ると彼はレーテルを引っ張り上げて立たせ、労うように肩を抱く。
「10回やったら、俺ァ5回は負けるだろうな。今日はたまたま勝てて運が良かった」
そんなとことはないと、レーテルが首を横に振ったのを覚えている。
認めたくはないが、ガルドは強い。
妙な清々しさと悔しさを混ぜ合わせたような複雑な気持ちは生涯忘れることはないだろう。
優勝者であるガルドに贈られたのは特別製の大剣だ。
それを手に、ガルドはレーテルを酒に誘った。
「敗者にこんなこと言うのは酷かも知れねえが、オメーと1杯やりてえ。付き合ってくれるかい」
酒場を訪れると、既にガルドは優勝賞品を背負ってレム酒を煽っている。
2人は決勝戦での闘いについて語り合い、住む町が同じであること知り、さらに酒を飲み交わす。
そのときガルドはこうも言っていた。
「背中の剣は大きさといい形といい、野蛮な俺にはぴったりだ。だけどよ、もしオメーの腕がたいしたことなかったら、俺ァこの剣を壁飾りにしかしようと思わねえ。こいつァオメーから勝ち取った俺の誇りだ。オメーが強くて感謝してるぜ。俺は一生、この剣を大切にする。約束だ」
それが言いたくてガルドは自分を誘ったのだろう。
心地よく酔いながら、レーテルはそのように悟った。
良き思い出はしかし、今は不安の種になっている。
ガルドの大剣もまた、クレア銀でできているのだ。
翌日になると、レーテルは心にさらに影を落としていた。
いつもの広場に、ガルドが姿を見せなかったからだ。
<巨大な蜂の巣の中で・2>に続く。
April 01
嘘をつくと必ず自ら「嘘だけど」と口走ってしまって台無しになるし、軽い冗談を口にしてもやっぱり「嘘だけど」と周りの空気を白けさせてしまう。
そんな僕だけど、1度だけ自白をせず、嘘をついたことがある。
木造校舎のここ、職員室からは校庭が見渡せて、暖かな風が草木を揺らし、冬の終わりを告げていた。
つい先ほど入学式を終え、僕はなんだか気が抜けてしまい、だらしなく椅子の背もたれによりかかる。
この季節、卒業式や入学式で僕ら教員はなかなか忙しい。
僕は息抜きに、机にあった卒業アルバムを手に取って、パラパラとページをめくる。
といっても僕はいつでも片手が塞がっているから、その作業は普通よりは面倒だ。
僕のすぐ隣にいる死神が、何気なしに開口する。
「それは何だ?」
ああ、これ?
と僕はエリーにアルバムを見せる。
「卒業アルバムだよ。こないだ卒業した僕の教え子たちの記念品」
するとエリーは「私に見せても無駄だ」と、僕の隣に椅子を持ってきて、そこに腰かける。
「私には眼球がない。物の形や距離は感覚で解るが、視覚がない。色を見分けることは不可能だ」
そうだった。
エリーには物の形は解っても、本などに記載された文字や絵など、色の区別が全くできないんだった。
思い出深い卒業アルバムも、彼女にとっては本の形をした紙の集合体に過ぎない。
若い娘の姿に見えるけど、実は彼女の実態は動く白骨だからだ。
軽く謝って、僕は再び校庭に目を向ける。
「ねえ、エリー」
「なんだ?」
「嘘ってゆうのも、悪くないと思わない?」
「思わんな。私が嘘を言う分には問題ないが、私自身はささいなことでも騙されたくない」
びっくりするぐらいの正直さだ。
僕が嘘を言えないのはこの死神のせいだったりする。
エリーは無敵に近い能力を持っていて、それは瞬時に強力な暗示を人にかける、というもの。
めちゃめちゃ強い催眠術みたいな感じだ。
エリーはそれを使って、僕を世界一の正直者にしてしまっていた。
出会い頭、いきなりだ。
頼んでもいないのに、ホントいきなりだ。
しかも勝手にやられた。
加えて僕はうっかりエリーに触れてしまい、それ以降離すことができないでいる。
手を離すとエリーに魂を食べられてしまうからだ。
エリーは人の魂を食べる気を失くしているから僕や周りの人たちは無事でいるけど、今繋いでいるこの手を離した瞬間はそうともいえない。
直に触れた皮膚が離れると、自動的に魂を食べるという作りになっているらしく、そればっかりはエリーの意思でどうにかできることじゃないそうだ。
以降、いつでも女の子と手を繋いで過ごすといった、つくづく不思議な人生を僕は歩まされている。
おかげで卒業アルバムをめくるのも一苦労だ。
「でもさ」
僕はエリーに反論を試みる。
「去年のこと、覚えてる? あの日も入学式だった」
「ああ、あれか」
エリーは僕と同じように背もたれによりかかる。
「お前は群れを成す生物特有の考え方をするからな」
「そりゃそうだよ。人間なんだもん」
言って僕は少しだけ顔を上げ、天井の木目を見てから目を閉じて、1年前を思い出す。
あの日も今日と同じで、職員室には僕らしかいなかった。
------------------------------
「ねえ、エリー、頼むよ」
土下座する勢いで、僕はエリーに頭を下げている。
「ホントお願いします! 今日だけでいいんだ! 今日はね、年に1度しかない、嘘を言ってもいい日なんだよ」
するとエリーは「知らんな」と鼻を鳴らす。
「人間同士で勝手に作った常識に興味はない」
「そこをなんとか!」
両手が自由なら拝み倒しているところだ。
今日だけでもいい。
僕は自分にかけられた暗示を、どうしても解いてもらいたかった。
そんな僕の腰の低さときたら、間違いなく「たった今めちゃくちゃ必死な人ランキング」の上位に位置されてるに違いない。
「ねえってば、お願い、エリー! 今日だけ! ううん、1回だけでもいいよ。嘘を言えるようにしてください。その嘘はエリーには絶対に向けないから」
「私には嘘をつかない?」
「もちろん! 約束するよ」
「知ったことか。お前が自ら『嘘だけど』と言わない以上、私にはお前の嘘を見抜く術がない。お前の気が変わって私を騙した場合、私は嫌だ」
「嫌だとか言って可愛いな、ちきしょう!」
あとで知った話なんだけど、この「嫌だとか言って可愛いな、ちきしょう!」から先は、僕たちの会話が廊下にいた女性教員に聞かれていた。
その先生の話によると、「さすがに入っていけず、ただおろおろするしかなかった」とのこと。
とんでもない誤解をされていたのだった。
こんなやり取りだったんだから、まあ無理もないだろう。
「ねえ、ホントお願い! 1回! 1回だけでいいんだってば」
「駄目だと言っている」
「そんなこと言わずに! もう僕の気持ちがはちきれそうなんだ!」
「はちきれればいいだろう」
「よくないよ! いいじゃん1回ぐらい! 減るもんじゃないし!」
「増える減るの問題ではない」
「ねーねー! たーのーむ~! これからはエリーのこと様付けで呼ぶし、なんなら踏みつけてくれたっていい」
「そんなことが私にとって得なのか?」
「お得ですよエリー様。だってエリー様はドSでいらっしゃる。ねーねー、おーねーがーい~! ホント1回で済ませます!」
考えてみればこのとき、廊下から走り去る感じの足音が聞こえた気がする。
僕はというと、どうしても言うことを聞いてもらえないことが理不尽に思えて、だんだん腹が立ってきていた。
「ああ、そうかいそうかい。こんなに頼んでも駄目なら、僕にだって考えがあるぞ!」
「へりくだったり強気になったり、お前は振られるときの男か」
「意外と人間の性質に詳しいな! いやそうじゃなくて、もし暗示を解除してくれないのなら、この手を離して僕はエリーの犠牲になるぞ! 嘘だけど。ああも~!」
がっくりと、僕はうなだれる。
エリーのことだから「そうか嘘なら問題ないな」みたいなことを言うんだとばかり思っていたのだ。
でも違った。
「ふむ。お前の意思の固さは解った。1回でいいんだな?」
僕の顔は「へ?」という形のまま凍りついている。
「解除、してくれるの? 嘘、言えるようにしてくれるの?」
「2度言わせるな」
エリーは椅子からすっと立ち上がり、僕の手を引く。
「お前が今までにないぐらいしつこく頭を下げて私に頼むということは、そこまでして嘘を言う必要があるのだろう? どんな嘘を言い出す気なのか興味が湧いた」
エリーは「立て、行くぞ」と僕を椅子から引っ張り上げる。
「お前の都合で構わん。解除のタイミングを言え。10分したら再び嘘を言えぬよう暗示をかけ直す。それでいいな?」
僕はもう感激の余り、思わず「ありがとうございますエリー様」と解りやすく喜んだ。
白くて大きい2階建ての建物。
その前まで、僕はエリーを連れてくる。
「この中にね、騙したい人がいるんだ」
「ふむ。ここには何度か来たな」
「うん」
ちょうどそのとき、白塗りの馬車が慌しく止まった。
担架を持った隊員たちが降り、どやどやと建物に怪我人を運び込んでゆく。
どうやら急患のようだ。
迎えに出てきた医師に、隊員の1人が容態を説明している。
「大型馬車の暴走事故です! 怪我人は幼い女の子で、右腕が…!」
なんだか大変なときに訪れてしまったみたいだ。
知らぬ人とはいえ、僕は運び込まれた怪我人の無事を深くお祈りをしておいた。
無事でありますようにと念を送りつつ、僕らも病院に足を踏み入れる。
「エリーも何度か一緒にお見舞いに来たでしょ? 僕の生徒がここで入院してる」
その生徒はエイシャといって、駆けっこの早い、明るくて元気な男の子だ。
いや、元気だった、というべきだろうか。
彼は重い病を患ってしまい、今もこうして入院生活を送っている。
クラスのみんなで寄せ書きを書いたり見舞いに行ったりでちょくちょく顔を見せてはいるものの、明らかにエイシャの笑顔は薄れていった。
以前だったらふざけて「俺は不死身だベイベー」ぐらいのことを言う子だったのに、最近はどうも後ろ向きな発言が多い。
どうやらエイシャは周りにいる大人たちの反応を見て、自分の病気の厄介さに気づいてしまったようだ。
先日、とうとう彼のお母さんが学校にやってきた。
「エイシャは、持ってあと3ヶ月だそうです」
元気いっぱいで豪快な大笑いを普段ならするお母さん。
そんな彼女はこのとき、この世の不幸を全て味わったかのようにやつれ、沈み、青ざめていた。
眠っていないのだろう。
目の下にできたクマが濃い。
とてもじゃないけど、その辛そうな様子を見ていられなかった。
エイシャ本人もきっと、僕の想像を超える苦しみを毎日長く、深く味わっているのだろう。
悲しさと絶望と寂しさと、体の痛みと、他にも色んな苦痛をきっと少年は感じ続けているのだろう。
お母さんは、「本人には何も言ってません」と暗い目を伏せる。
「エイシャには何も知らせていませんが、自分の体のことです。もう気づいているようなんです。お医者さんが言うには、精神的苦痛がさらに命を縮めているとのことなんですが…」
気づくと僕は「エイシャ君に希望を持ってもらえるよう、出来る限りのことをします」と一方的に約束を押し付けていた。
自分でも何が解決なのか解らないけど、でも少しでもエイシャに笑ってほしい。
同じ先生って呼ばれる職業だけど、僕はお医者さんじゃない。
だから命を延ばしてあげることはできない。
僕は教師だ。
生徒にいい思い出を作ることも、僕の仕事なんじゃないだろうか。
そう思ったんだ。
エイシャの病室は2階の奥にある。
僕はドアの前で立ち止まり、上着の内ポケットから懐中時計を取り出す。
今から10分だ。
嘘でも何でもいい。
僕はエイシャを笑わせる。
「エリー、解除、頼むよ」
エリーが「うむ」と頷き、僕の目を見た。
ほぼ同時に、僕は病室のドアをノックをする。
「エイシャ、こんにちは! 今日はエリーと2人で来たよ」
室内に足を踏み入れる。
エイシャは呆然と起きていて窓の外を眺め、特に何かをしていたわけでもなかった様子だ。
お母さんはと訊くと、エイシャの大好きな果物を買出しに行っているのだそうだ。
どうやら入室タイミングは間違っていなかったらしい。
「エイシャ、ここいい?」
答えを待たずに僕はベットの横にある椅子に腰かける。
目一杯にんまりと笑って、僕はエイシャの目を見た。
焦点の合っていない虚ろな目はこちらに向けられていないけど、僕は構わず続ける。
「エイシャ、今日は何の日か知ってる?」
すると彼は「嘘をついてもいい日」とボソリとつぶやいた。
「そうそう。エイシャは今日、なんか嘘ついた?」
「…けないよ」
「ん?」
「つけないよ」
「なんで?」
「そんな気分にならない」
「そっかー。嘘がつけるって、素晴らしいことだぞ? 先生を見ろ。エリーのせいで冗談だって言えない」
エイシャは相変わらず窓の外を見て、あまり反応を示さない。
しばらく雑談を続けてみたものの、彼は心を閉ざしてしまっているようだ。
僕は椅子から立ち上がる。
「エイシャ、お母さんから聞いたんだけど、自分はもう助からないなんて思ってるんだって?」
相変わらず、少年は何も応えない。
僕は自分の判断が当っているのか間違っているのか解らないけれど、もしかしたら残酷な嘘になるのかも知れないけど、でも、これしか思い浮かばない。
お医者さんやお母さんだって患者に何も教えないんだから、まあいいじゃないか。
と無理に自分に言い聞かせ、僕は大きく伸びをする。
「なんで生徒想いの僕がこんなに上機嫌でいられる? もしエイシャが死ぬんなら、僕は大慌てで笑ってなんかいられないよ」
「そんなの、演技だ」
「おいおい、僕が世界一の正直者だってこと、忘れたのかい? 言葉の最後に『嘘だけど』がないだろう?」
「今日は嘘をついてもいい日だから」
「ああ、そうだったね。じゃあせっかくだから今から嘘を言おう」
少しだけ、僕は小さく深呼吸をする。
「エイシャはこのまま病気で死んじゃう。嘘だけど。ああ、やっぱり駄目か」
少年の目が、今日初めて僕を捕らえた。
「もうすぐエイシャは元気になんて絶対にならない! 嘘だけど。くっそ。相変わらず言えないな。せっかく嘘をついてもいい日なのに」
エイシャは黙って、落ち着きなく喋りまくる僕を見つめている。
「エイシャは一生退院しない! 嘘だけど。くそ! やはりか! ええい! エイシャはもう2度と廊下を走り回って僕に怒られたりなんかしない! 嘘だけど。ああもー!」
サーカスのピエロのように、僕は1人でうるさく騒ぐ。
エイシャは笑顔を取り戻さない。
嘘だけど。
エイシャはクラスのみんなと2度と一緒に遊べない。
嘘だけど。
エイシャはもう運動会に出られない。
嘘だけど。
思いつく限り、僕は「嘘だけど」を連発した。
その様子が滑稽だったのだろう。
ほんのわずかだけだけど、エイシャが鼻で笑ってくれた。
僕は調子づく。
「エイシャは不死身だベイベー! お! やっと『嘘だけど』が出なかった! やったー! っと思ったら、嘘じゃなくて本当のことだからか。くそ。やっぱり僕には嘘が言えないよ」
「なるほどな」
不意にエリーがつぶやく。
次に放たれる彼女のとんでもない言葉に、僕は思わずぎょっとした。
エリーがエイシャに体を向ける。
「おいお前、お前は死ぬぞ」
心の中で僕は大絶叫だ。
なに言い出すんだエリィーッ!
この骨骨ロック!
そっちの意味でも死神ですか!
エイシャも僕と同じく、ゾッとしたような表情だ。
エリーはお構いなしに、少年に冷ややかな目を向ける。
「お前がいつ死ぬか、私にはどうでもいいし解らない。ただな、生き物はいつか必ず死ぬのだ。いくら怖がっても喜んでも、死は生物に対し平等に訪れる」
エリーは窓を顎で示す。
「外にいる連中を見てみろ。いつか自分が死ぬなんて当たり前のことを忘れて暮らす奴ばかりだ。それに比べればお前は死を感じているだけに、そんな輩よりもずっと優れている。死を理解したならせっかくだ。ついでに覚悟でも決めておけ。その覚悟は死ぬまで持っているといい」
エリーは最後に、こう締めくくる。
「私の言葉、老いても忘れるなよ」
また来るよと少年に告げ、僕らは病室を後にした。
笑顔で手を振り、ゆっくりとドアを閉める。
バタンという音と同時に緊張の糸が解けて、僕は大急ぎで洗面所を目指した。
嘘を言いまくっていた最中、僕は泣き出したくてたまらなかった。
無理矢理な笑顔を作ることが辛かった。
でも、この目からあふれ返ろうとしている涙が、エイシャの前で出なくてよかった。
笑顔が作れて、本当によかった。
「その慌てよう、消化器官でも壊したか?」
エリーの問いに答えず、僕は洗面器の前でみっともなく号泣する。
エイシャ、あと3ヶ月だけかも知れないけど、少しでもいいから笑って過ごしてくれ!
先生もお前に負けないぐらい笑うから!
だから最後まで笑顔でいてくれ!
-----------------------------
「そうか。あれから1年か」
エリーは僕に釣られて、窓から校庭をぼんやりと眺めている。
その校庭はかつて運動会のとき、エイシャが1等賞を勝ち取った思い出の場所だ。
「言い忘れていたことがある」
エリーはその冷たい視線を僕に向けた。
「言い忘れたこと? 僕に?」
「うむ」
「どんなこと?」
「あの日は、嘘を言ってもいい日だったな」
「あ、うん、そうだね。もちろん今日もそうだけどさ」
「去年のあの日はな、私もお前に習い、嘘を言わせてもらった」
「へ? どんな?」
「あの少年の病室で、お前はどれだけ喋っていた?」
「いや、時計を見ながら話せないから解らないけど、10分より短いんじゃないの? そういうつもりで嘘を言ったつもりだし」
「お前は途中から涙をこらえるほどに感情が高ぶって、時間を気にする余裕などなかった」
「あ、そう? じゃあどれぐらい喋ってた?」
「私が暗示を解いてから、ゆうに20分間」
「え!? そんなに!? うっそ!」
「こんな日とはいえ、嘘じゃない。お前は嘘をつく前のくだらない雑談に時間を取り過ぎたんだ」
「え、でも、僕ちゃんと嘘言えたし!」
「私が嘘をついていたからな」
「え?」
「私はお前に10分間だけ嘘を許すと言ったが、あれは嘘なんだ。実際は1時間許可していた」
「そうだったの!? なんでだよ、もー!」
「余興のつもりだったんだがな」
しかしちっとも面白くなかった。
とエリーは言う。
僕はなんだか気分がよくなって、さっきの質問をもう1回エリーにぶつける。
「ねえ、エリー。嘘ってゆうのも、悪くないと思わない?」
「お前は本当に群れを成す生物特有の考え方をする」
窓から暖かい風が入ってきて、机の上にあった卒業アルバムのページをめくる。
僕は「おっと」と咄嗟にアルバムを押さえると、偶然にもそこは我が教え子たちのページだ。
「いいんだよ、嘘も方便ってね」
誇らしい子らの似顔絵やら寄せ書き。
卒業生の一覧には恥ずかしながら、僕から1人1人に向けてのメッセージが添えられている。
「ほら見てエリー。いや、ごめん。見れないんだったね」
僕はしみじみと、開かれたアルバムを膝の上に置いた。
エリーには解らないことだけど、そこにはこう記されている。
「エイシャ、退院おめでとう! 君は不死身だベイベー! じいさんになっても、エリーの言葉を覚えていてね」
March 25
俺の職場、スナック「スマイル」にもそういった残念な、もとい。
純粋な魂を持ったフロアレディが働いている。
仮にMちゃんとしておこう。
Mちゃんに九州地方の地図を試しに書かせると、彼女は愛媛県や高知県まで書き込んでおり、四国との融合を見事に果たした謎の大陸を完成させた。
屋根裏部屋から出た宝の地図よりもファンタジックなデザインで、事情を知らない人がそれを見たら「邪馬台国の想像図ですか?」ぐらいの感激をするに違いない。
そんなMちゃんが自信満々に胸を張る。
「私これでも一般常識あるんですよ?」
その発言に俺はびっくりして瞬きをし忘れ、眼球が乾きそうになる。
「マジで?」
「マジですよマジ」
というわけで出題だ。
問題。
土星と金星。
地球に近いのはどっち?
「土星!」
見事だ!
2択なのにそこまで堂々と間違うとは!
「あ、違った! 金星です金星」
遅くね?
俺のリアクション見てから言ったらズルくね?
「でも金星だもん。やった当たったー!」
ああそう。
君がそれでいいなら俺は別に構わないよ。
じゃあ2問目。
聖徳太子とイエスキリストは産まれたときの状況が一緒なのね?
さて、具体的には何が一緒だったでしょうか?
「産まれた場所が同じとか?」
おお!
そんな感じ!
じゃあ、その場所とはどこ!?
「島根県!」
なんでだよ!
なんでキリストが和の国で産まれてんだよ!
聖母マリアは何目的で島根に来たんだよ!
「え~? じゃあ何県ですか?」
日本から離れて!
そういうエリア的な意味で「同じ場所」じゃなくてね?
なんていうかこう、施設的な意味。
「あ、解った! 病院!」
一般人じゃねえか!
君はなに!?
俺を笑い死にさせることが今日の目標なの!?
息ができないことがどれほど苦痛か知っていますか?
「じゃあ、産婆さん?」
昔の人かよ!?
いやごめん、聖徳太子もキリストも昔の人だった。
そうじゃなくて、じゃあヒント!
馬!
「産ま!?」
字が違う!
なんでそんな語呂悪いとこで途切れさすんだ!
息を整え、冷静な気持ちに戻る。
俺は「本当に微笑ましい店ですね」と優しげな眼差しをMちゃんに向けた。
March 13
何かしらの簡単なゲームをして、負けた人にペナルティとして飲ませることが多い。
誰かが一気するときは、それ用の掛け声を皆で言って盛り上げる。
うちのお店で最も使われる一気飲みの音頭は、なかなか傷つくフレーズだ。
「飲め飲めブサイクー! 飲まなきゃブサイクー!」
カッコイイ人にも平気で言うし、本当に不細工な人にもお構いなしだ。
しかも飲んだら飲んだで、
「飲んでもブサイクー!」
結局ブサイクにされてしまう。
先日は、ある常連のお客さんが一気する羽目に陥っていた。
たまたまフロアレディたちのテンションは低めだ。
普段だったら「飲め飲めブサイクー! 飲まなきゃブサイクー! 飲んでもブサイクー!」と威勢がいいのに、この日は違った。
「…ブサイク。…ブサイク。…ブサイク」
ただの悪口である。
しかも誰1人として手拍子を打たなかった。
別の機会では、2代目ママのKちゃんが飲むという展開に。
お客さんが声を通す。
「飲め、K。ブス」
リズム感がないばかりか、語呂が悪い。
知らない人から見たら、イジメとしか思われない。
アレンジされればされるほど、言葉の暴力にしか聞こえない。
なんか新しい一気の音頭はないものだろうか。
ブスとかブサイクとかだと心を痛めやすいから、「虫けらちゃん!」みたいな感じで。