夢見町の史
Let’s どんまい!
March 04
will【概要&目次】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/207/
<万能の銀は1つだけ・1>
石造りの坂道を上っていくほどに商店は身を潜め、代わりに住宅の割合が増してゆく。
馬車同士がすれ違えるほどに広かった道幅が、今は少しづつ細まり始めていた。
目指す酒場はこのような不便とも取れる区域でひっそりと夜が来るのを待っている。
無骨な厚木の看板が右手に見え、そこには「友の剣亭」と見えた。
この一風変わった名の酒場に、2大英雄の1人が僕を待ってくれているはずだ。
気を引き締めて、僕は分厚い木のドアを引く。
「いらっしゃい」
迎えてくれた店主は僕の予想と違い笑顔で、愛想が良い。
筋肉質の大男が不機嫌そうに鼻を鳴らし、「やっと来たか坊主。待ちくたびれたぜ」ぐらいのことを言ってのけ、顎で席を示すといった光景を想像していただけに、この歓迎は意外だった。
酒場の店主は大抵、横柄な態度であることが普通だからだ。
「お邪魔させていただきます」
帽子を取って頭を下げると、緊張のせいあって自身の手が震えていることに気づく。
しかしそれは当然のことだろう。
1つの戦争を終わらせてしまった英雄を前に、平然としていられるほうがどうかしている。
「ジェイクです。先日の手紙、読んでいただけて光栄です。お逢いできたことはそれ以上に」
自己紹介を済ませ、顔を上げる。
改めて見渡すと、まだ営業時間前であるためなのだろう。
ランプの灯火は最小限で、窓からはうっすらと太陽の光が差し込んできている。
暖炉の炎もぼんやりとしていて、店内は薄暗い。
入り口を入ってすぐ目につくのが正面のカウンターであり、その上には様々な酒瓶がラベルをこちらに向けて並んでいる。
テーブル席は左手に1つ、右手に2つ。
これらも店と同様に全て木製だ。
壁にはイカリや舵輪といった船具や、古びたサーベルなどが飾られている。
カウンターの右端には体格の良い大柄な男が1人で座り、早くも飲んでいるようだ。
腰に剣を差しているところを見ると、男は剣士であるらしい。
この店はやはり剣士にとっても聖地なのだろう。
「気楽に。堅苦しくしなくていい」
カウンターの中から店主は言う。
「帽子とコートを掛けたら、適当に座っていてくれ。飲み物を出そう。何がいい?」
剣士の男とは距離を置いて着席し、僕は恐縮をする。
「それでは、レム酒を」
僕の前に酒を置くと、恐れ多いことに店主は自ら手を差し伸べる。
「レーテルだ。遠方からの友を歓迎するよ」
慌ててズボンに右手をこすりつけ、僕は皮が厚い手と握手を交わした。
「15年前の話が聞きたいんだったな」
その言葉に僕は固唾を飲み込むかのように深く頷く。
史実を小説にし、発表したい旨は既に手紙で伝えてあった。
返答がないことを懸念していたがしかし、レーテル氏は快く応じると返してくれたのである。
15年前の戦争を終わらせた英雄を前に僕は自然と姿勢を正す。
彼の言葉を控えるための筆記用具をカウンターの上に並べながら、チラリと横の剣士の様子を伺った。
「ああ」
英雄が再び笑顔を見せる。
「こいつのことは気にしないでいい。ただの暇人だ」
「暇人はねえだろう」
乱暴な言葉とは裏腹に、剣士の口調には親しみが込められている。
「俺のことも書いてもらえるかも知れねえと思ってな。稽古をやめて飲みに来たんだ」
続けて若き剣士は僕に体を向ける。
「兄ちゃん、ジェイクっつったな。邪魔しねえから、俺のこたァ気にしねえでくれ」
風貌に似合わず、気さくな調子だった。
店主とのやり取りを見ても、彼はおそらく常連客なのだろう。
「さてと」
レーテル氏が自分のグラスに酒を注ぎながら、眉の片方を吊り上げる。
「2大英雄なんて言われてるが、今じゃ歯牙ない酒場のおやじだ。昔は痩せてたんだがな」
見れば確かに彼は太っていて、かつては名の知れた剣士であった面影がもう残っていない。
そのことが平和な今を象徴しているような気がして、僕は改めて尊敬と畏怖の念を覚えた。
「緊張する気持ちが解らないわけじゃないが、他の酒場でもそうするよう、くつろいで飲んでたらいいや」
氏が自分のグラスを片手に僕の前に来る。
「15年前のことはどこまで知っているんだい?」
「大雑把な知識しか持ち合わせていません」
2大英雄の1人が今ここにいるレーテル氏であること。
もう片方は故人で、やはり剣豪であったガルド氏。
各地で同時に発生した殺人事件が例の戦争に発展してしまい、それをたったの2人で終わらせてしまったこと。
要するに僕が持っている情報は一般人と変わりがない。
「それだけ知ってりゃ上等だ」
英雄が白い歯を見せる。
「じゃあ順序よく、最初から細かく話すとするか」
出されたレム酒に手をつけることも忘れ、僕は「お願いします」とその場で小さく頭を下げる。
「ありゃまだ俺の髪が多かったころの話だ。謎だらけの事件だと、当時は不思議に思ったもんだよ」
酒を一口飲んで、氏は語り始める。
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闘技場で戦うことが剣士の主な仕事だ。
人間同士の対決なら真剣は使わないし、対動物の試合は滅多にない。
それでも普段からの帯刀を許されるには理由があった。
「久々に対戦以外の仕事になるかもな」
レーテルが広場の掲示板を眺め、つぶやいている。
「殺しなんて年に1回あるかどうかだ。それが見てみろ。この件数は異常だぜ」
看板のようにして立つそこには紙面が貼り付けられており、数々の物騒な事件の発生を民に知らせている。
レーテルは無意識に腰の剣に手を添えていた。
横に並ぶ剣士は腕を組み、武者震いのようにそわそわと体を揺らせている。
「俺ァやるぜ。剣士はみんなのヒーローで、正義の味方だからな」
続けて男は広場の全体を振り返り、見渡した。
「見ろよレーテル。ガキどもが楽しそうに遊んでる。あそこのベンチで喋ってる男女は恋人同士だろうな。いつか結婚して、子供が産まれるかも知れねえ」
言いながら男はレーテルの肩に手を添える。
「オメー、この光景が壊されたら嫌な気分にならねえか?」
「酔ってるのかお前は。すっかり丸くなっちまいやがって」
するとガルドはカラカラと笑い、「正直言うとよ、自分のガキに恰好良いパパの姿を拝んでほしくてな」とレーテルの背を強く2度叩いた。
数々の試練を乗り越えて剣士の称号を得た者には富と栄光が約束される代わりに、有事の際は自主的に労力を使うことが義務づけられている。
事件性の強い出来事があれば、ときに自衛士らと手を組んで解決に望まねばならない。
しかし、実際に行動に出る剣士はごく少数であるのが現状だ。
武力行使の果てに冤罪であった場合の罰則が非常に厳しいものだし、無償で働かねばならないからだ。
不動の剣士を取り締まる機関もなく、大抵の剣豪たちは事件を見て見ぬふりをするのが情けない通常となっている。
「まずは調査か。どこから行く?」
レーテルが訊くと、相方は「近いとこからだろ」と掲示板に背を向けた。
広場を後にし、街道を抜ける。
厚手の皮で作られた肩当てと胸当てと腰の剣、そして2人の大柄な身体が周囲に存在感を明らかにしており、すれ違う度に通行人が視線を逸らす。
まるで町民を威圧をしているかのようでレーテルは肩をすぼめるのだが、ガルドは気にしていないらしい。
相変わらず胸を張って、歩幅を広く取っている。
「それにしても、おかしな事件だぜ。前代未聞じゃねえか?」
ガルドの言う通りだった。
ここバイムルの町でも今月に入って4度もの殺人事件が発生したらしい。
被害者に関連はなく、有力な目撃情報もない。
死因はまちまちだが、だいたいは撲殺か斬殺であるようだ。
こうした出来事がこの町のみではなく、ルメリア全土で発生している。
凶器は見つからない場合がほとんどで、たまに発見されることがあればそれは被害者の持ち物だ。
自治体の対策としては、夜分に1人にならぬよう呼びかけるといった単純な手段しか取れないでいる。
まだ日が高く、振り返ると町に続く道が緩やかにカーブしていた。
2人の剣士は郊外に立てられた一軒家を前にしている。
周囲は草原ばかりでたまに針葉樹が立ち、人気はない。
なるほど、この立地条件なら犯行に及びやすい。
レーテルは率直にそのような感想を持った。
殺人事件の1つはこの家で発生していて、今日は現場検証と被害者の家族から話を聞くことが目的だ。
家は大きめな丸太小屋といった印象で、窓は内側から打ち付けられて外部から覗けないように細工がされている。
玄関に備え付けられた金具を2度打ち、来訪を知らせたのはレーテルだ。
野蛮とも取れる勇ましい風貌のガルドが対面の相手では、先方が何かと緊張をするだろう。
玄関が開く気配がないので、レーテルは再度ノックをしつつ大声を出す。
「どなたかおられませんか! こちら剣士のレーテルです! どなたかおられませんか!」
すっと、レーテルの手が制される。
ガルドが「しっ!」と唇に指を添え、ノックの手を止めていた。
「どうしたガルド?」
「気づかねえか?」
ガルドは神妙な面持ちで言う。
「血の匂いだ」
言うが早いかガルドはノブを掴み、鍵がかかっていることを確認するとスタスタと早足になって家の周りを1周し始める。
野生の勘とも言うべきガルドの鋭い感覚には定評があり、レーテルは無言で後に続いた。
窓は内側から板で塞がれ、密封されている。
見上げると2階も同じようで、裏口の類もない。
ガルドが小さく舌打ちをした。
「あんまり良くねえ感じだぜ」
玄関に戻ると、今度はガルドがドアを叩く。
その様は焦りのせいか乱暴だ。
「誰かいねえか! 剣士のガルドだ! 返事がねえならドアをぶち破る! 開けろ!」
次にガルドは1歩下がると、渾身の力を込めるようにしてドアを蹴る。
3度ほどで蝶番ごとドアが外れかけ、2人の剣士は板と化してしまった玄関を家からむしり取った。
「う」
レーテルは思わず手で鼻を覆う。
血の臭気が凄まじく充満している。
それどころか、足元には女の死体が転がっているではないか。
まさか惨劇に立ち会うとは予測していなかっただけに、レーテルの動揺は大きい。
女はこちら、つまり玄関に頭を向けてうつ伏せになっていて、頭部から床に広がった血は既に固まってしまっている。
元々はこれが水溜りのようになっていたことが容易に想像できた。
「真後ろから後頭部を殴られてるな」
ガルドが片膝をつき、死体を観察している。
「ひでえことしやがる。この匂い、死体はこれだけじゃねえぞ」
立ち上がるとガルドは暖炉脇の階段を上り、2階を目指す。
「待てガルド!」
その叫びにガルドが歩を止めた。
レーテルを振り返り「どうかしたのか?」と目で訊ねている。
「密室だ」
レーテルは高まる動悸を抑え、平静を意識した。
「この家丸ごと、密室なんだ」
「それがどうした」
「お前は馬鹿か。犯人はどうやってここを出たんだ?」
「知らねえ」
「まだどこかに隠れて、脱出を図っているかも知れん」
「おお、そうか。オメー頭いいな」
2人は玄関を中心に人が隠れられそうな場所を探す。
そこは居間として使われているらしい空間で、服の収納タンスと暖炉ぐらいしか物陰はない。
玄関から見て右手が台所になっていて、地下の食材保管庫は野菜と肉ばかりだ。
トイレももちろん見たが、やはり何者もいない。
視線を下げると絨毯はなく、木の床がむき出しになっている。
不審な足跡はないようだが、花瓶や椅子、酒瓶などが倒れており、テーブルの位置も斜になっていて、争った形跡がそこここに見られる。
「じゃ、いよいよ2階だな」
ガルドが先に立つ。
死体を尻目にレーテルも続き、わずかに首を傾げた。
不可解な疑問が多すぎる。
もし2階にまで人がいなかったら、犯人は既にここから出たことになる。
表に放り出されたドアだった物体を見ると、かんぬきが鍵としてかけられていたようだ。
犯行後、犯人が外から細工を弄してこの錠をかけたのだろうか。
明らかな他殺であるにもかかわらず密室を作り上げた理由は、少なくとも自殺に見せかけるためではない。
各地で発生している事件と今回の件は別件なのかも知れないが、レーテルは言い知れぬ不安を感じ取っていた。
<巨大な蜂の巣の中で・1>に続く。
March 02
出産?
みたいな勢いだ。
そのような画像が、俺のケータイにも大切に保管されている。
職場のスナック「スマイル」で、お客さんによって撮影されたものだ。
その晩は誰もが酔っ払っていた。
従業員たちももちろんそうで、俺がHちゃんに対して何かしらの軽口を叩いたんだったと思う。
そこの記憶は曖昧だが、きっと「お前の前世は戦国武将」とでも言ったのだろう。
フロアレディのHちゃんは激昂し、俺に物理的に襲いかかってきた。
殺されると判断し、俺はシリアスな顔になって悲鳴を上げ、大真面目に逃げ出す。
カンフー映画の如くテーブルを飛び越えたところで捕まり、このザマだ。
Hちゃんの腕が俺の喉に回され、そのまま締め上げられる。
チョークスリーパーは腕が細いほうが有利なのだ。
血管など色々と塞がれ、意識が遠くなる。
「マジごめんなさいマジごめんなさい!」
叫びながらタップするのだが、力が緩まる気配がまるでない。
「マジ無理マジ無理! 死ぬ死ぬ! ホントやめてホントやめて!」
しかしHちゃんは無情で、お客さんに「カウント取って!」と指示を出す。
カウントも何も、俺はとっくにギブアップしてるのに。
ちなみにカウントを頼まれたお客さんは、はしゃぐ孫でも見るかのように微笑んでケータイを取り出し、カメラを起動させている。
カウントが進まないものだから、Hちゃんは攻撃の手を緩めない。
俺の顔色が見る見るうちに青ざめてゆく。
「この感覚は死!」
今までの思い出が走馬灯のように巡り出す。
Hちゃんは仕方なく、自分でカウントをし始めた。
俺の降参宣言は受け入れない方針らしい。
「ワーン! ツー! スリー! うおりゃあ!」
フォーの代わりに気合いを入れ直すHちゃん。
いい感じに魂が抜け始める俺。
とてもスナックの光景とは思えない。
Hちゃんもしこたま飲んでいたために、早くも記憶が抜けているようだ。
再び「ワーン!」とカウントをリセットし、始めから数え直している。
人の命を何だと思っているのだろうか。
しかもスリーから先に絶対に進まない。
10までの道のりは果てしなく長い。
結局、Hちゃんが疲れるまでずっと俺は首を絞められ続け、終わる頃になると俺は屍と化して動けないでいた。
Hちゃんが勇ましく両手でガッツポーズを取る。
お客さんのケータイには、きっとそのときの画像も残っているに違いない。
続けてHちゃんは、お客さんに怒り出す。
「カウント取れっつってんの! 写メ撮ってどうすんスか!」
幽体離脱の状態で、俺はその声を遠くから聞いていた。
後日。
Hちゃんは不思議そうな面持ちで、自分のケータイを俺に見せてくる。
そこには冒頭にあったような構図の、めちゃめちゃ力んでいる彼女の顔が大きく映し出されている。
苦しんでいる俺はというと、画面の外にいて映ってはいない。
言うに事欠いて、彼女は被害者に対して次のような疑問を投げかける。
「こないだお客さんからこんな画像が送られてきたんですけど、なんであたし、こんな顔になってんスか?」
信じられない。
なんでピンポイントで俺に訊ねてくるのだ。
明らかに殺人未遂だったのだから、忘れないでいただきたい。
「このときあたし、何してんスか?」
俺にチョークスリーパーをかけていた。
この表情からして、よほどマジだったんだね。
何度タップしても外してくれなかったし。
「あたしが!? めささんに!? なんで!?」
脳に行くはずだった血液を止められたせいで覚えてない。
「あっはっはっは! あたしかー!」
Hちゃんは、それはそれは楽しそうに大笑いしておいでだった。
追記・この日記を書くにあたって、俺はHちゃんの留守番電話にメッセージを残し、断りを入れておいた。
その内容が日常的には珍しいものだったので、記念に記しておくことにする。
「Hちゃん、おはようございます。めさです。チョークスリーパーの件なんだけど、日記に書かせていただきます。じゃねー」
チョークスリーパーの件て!
February 27
<そこはもう街ではなく・1>
大地の中に誰かがいる。
これは、地面の下に何者かが埋まっているという意味合いではない。
名が大地という若者の、内面での話だ。
彼は時々、自分の意思に全く反する声を聞くことがある。
音声ならぬ声が脳裏に響いたのは、最も古い記憶だと大地が3歳の頃だ。
悪さをして母親から叱られることなどストレスではなく、通い始めた幼稚園では友達にも恵まれて日々が楽しかった。
「望むのは死ではない。完全なる無だ」
遊んでいるときでもテレビを見ているときでも、眠ろうと横になっているときでも、声は唐突に頭の中で発生した。
「普通に死ねば生まれ変わって次の人生を送る。それでは駄目だ。たかが1つの生命に一体どんな意味がある? もう疲れた。無にならなければならない」
言葉は難しかったが、その言霊が紡ぎ出す感情は不思議と理解ができる。
ただ当時の大地には「死」の概念がなかったせいで「無」との違いまでは判らない。
「苦しいこともあるだろう。悲しいこともあるだろう。しかし幸せを感じることだって多くあるはずだ」
小学校に入るまで、無になりたいと「声」は主張を続けていた。
「幸せだと思える人生だったとしても消滅するほうが良い。人生そのものに意味が無いからだ」
時々とはいえ、まだ幼かった大地はこのような声を頭の中で何度も繰り返された。
それでも後ろ向きな性格にならなかったのは、親や友人たちのおかげだろう。
自殺願望など元々持ったことはないし、「声」自体も自決を否定する。
「車にもそれ以外のことにも、神経質なぐらいに気をつけろ。少しでも死ぬ確率を減らすべきだ。死ねば魂が残ってしまう」
中学では個性的な友人が4人できていて、気がつけば彼らとばかり行動を共にするようになる。
それぞれと初めて出逢ったときは、毎回あの声がしていた。
「こいつだ」
だからというわけでは全くないが、不思議と居心地が良く、いつしか大地はその4人と友達になる。
悪態をつき合う仲ではあるが、彼らも大地を仲間として認めているようだ。
5人で大騒ぎをし、様々な事件に首を突っ込んだり、または巻き込まれたりしていくうちに、例の声は徐々に発言をやめてゆく。
最後に声が聞こえたのは、大地が高校生の頃だったか。
「私の影響で、お前は多少の知能を持ったはずだ。それを駆使して生きるがいい。23歳になるまではな」
それに対し、心の中で言い返す。
「知能を持ったって言われてもしっくりこない。いい高校に入れなかったからな」
もちろん大地はこの声のことを話題に上げようなどと思ってはいない。
話して面白いものではないし、事実であると証明することができないからだ。
唯一、女友達に口を滑らせたぐらいで、他には内密にするよう意識している。
今となっては謎の声ではなく、携帯電話のアラーム音が大地の耳を突いていた。
そろそろ起きて、仕事に行かなくてはならない。
身を起こすには異様に寒く、大地は布団の中でもぞもぞと枕元に手を伸ばす。
携帯電話を探り、アラームを止め、ついでに時刻を確認した。
「ん?」
ケータイにはあまり見慣れない文字が表示されている。
「現在、ご使用になれません」
なんで?
と、文字に対して思わず問う。
電波状況は「圏外」と記されていた。
電話料金を滞ってはいないはずだ。
寒さに耐え、ベットから足を下ろす。
そのまま部屋を出て居間に向かった。
母は買い物にでも出たのか、そこには誰もいない。
再びケータイを開くと、まだ「使用不可」と表示されたままだ。
朝の一服をしても顔を洗っても、その文字が消えることはなかった。
今日も愛用のジャンパーを着て表に出ると、大地は反射的に空気の冷たさに身を震わせる。
呼吸をすれば肺が冷え、冷気のせいで耳が痛むほどに気温が低い。
真冬とはいえ、例年にない寒さだ。
ジーンズのポケットに手を入れ、通常以上の重ね着をしておいたことが正解だったと大地は確信をした。
緩やかな坂道を下り、郵便局を通り過ぎる。
雲一つない青空が、冷えた空気のせいかやたらと澄んで見えた。
歩道にも車道にも動く物はなく、静かな昼上がりといったところだ。
さすがにもう眠気は飛んでいて、意識もしっかりとしている。
何かを探し出さなくてはならないような気がするが、特に心当たりがないのでそれは錯覚なのだろう。
少し肩を丸めて、大地は歩調を速めた。
風の音しか聞こえない、奇妙な静寂が町には満ちている。
下り坂の先は十字路になっていて、4車線の道路と交差をしているのが見えるが、やはり車が通っていない。
角にある24時間営業のスーパーマーケットはシャッターを下ろすわけでもなく、ただ電気を消している。
町全体の気配に、大地はどこか違和感を覚えた。
そこそこ大きなマンションの前で、大地はふと立ち止まる。
視線を感じ、何気なく来た道を振り返った。
小学校低学年ぐらいだろうか。
少女が大地を見つめ、こちらに歩み寄ろうとしている。
日本人らしくない白く整った顔立ちで、黒味がかった金髪を2つに結わえており、白いドレスを着ていた。
「今日初めて人と会ったな」と思うと同時に「いつの間に後ろにいたんだろう」と疑問を感じる。
少女とは既に目が合っているだけに、大地は取り繕うように「こんにちは」と笑顔を見せた。
瞬間、大地は後ずさり、全身の毛穴が鳥肌に変わるのを感じる。
少女は声を上げて笑い、大地のことを指差した。
目だけが全く笑っておらず、それは残虐性を秘めた笑みにしか見えない。
「キャハハハハ!」
不気味さを感じさせる日本人形やフランス人形が突然動き出したような恐怖――。
悲鳴を上げてしまいたくなるのを大地はグッと堪える。
少女は尚もこちらに近づき、あと数歩で「飛びかかられたら触られる距離」だ。
さらに後方に下がる。
と同時に、少女はあろうことか大地の目の前で空気に溶け込むように消えてしまった。
映写機の電源を落としたかのような一瞬の消え去り方だ。
「キャハハハハ!」
消滅の後に耳元で鳴った笑い声に、大地はついに悲鳴を発する。
結局、大地は自宅まで引き返してきていた。
職場のリサイクルショップも他の店舗と同様にシャッターが下っており、店長が来ていなかったからだ。
電話をかけようにも携帯電話が使用できない状態のままなので、どうにもやりようがない。
大通りにもやはり車や人影がないし、コンビニまでもが照明を落とし、閉店している。
暖かい飲み物を買いたくても自動販売機に電源が入っておらず、諦めざるを得なかった。
自室のテレビはというと、これも全く反応を示さない。
ブレーカーが落ちているわけでもないのに、電気が止まってしまっているのだ。
この停電はおそらく広範囲に渡るもので、町人がいなくなってしまったことと連動しているに違いない。
どうやら自分はその騒動に何かしらの理由で参加できなかったのだろう。
大地はそのように考えた。
不意に、頭の中で例の声がする。
「いよいよだ」
今回の声は発音から察するに、喜びの余り一言だけ漏らしてしまったといった印象だ。
それ以上のことは何も言ってこなかった。
大地は先ほど見た消え去る少女について考えることにした。
彼女の一連の行動が、現状を把握するための鍵になると思ったからだ。
あの子みたいな感じで他の皆も消えるようにいなくなったのか?
それにしては人ならぬ気味の悪さをあの女の子は持っていた。
このクソ寒い中ドレス着てたし。
彼女は町民ではないと考えたほうがよさそうだ。
それにしても町の住人や少女が消えた仕組みが解らない。
まさか煙みたいに蒸発しちまったのか?
そういえば俺の中にいる「声」も昔、無になりたいと訴えていた。
とにかく探さねば。
何を?
解らない。
さっきから何かを見つけなきゃいけないと俺は思っている。
この感覚はなんなんだ?
ああ、そうか。
俺以外の誰か人を探すって意味か。
いや違う。
俺が探し出したいのはそういうものでは、きっとない。
考察を重ねていくうちに、大地は自分の中に住まう別人格にも思いを巡らせてゆく。
あいつ久々に喋ったと思ったら「いよいよだ」しか言わなかったな。
何が「いよいよ」なんだ?
もしかして何か知っているのか?
こちらから語りかけても絶対に応答しないし、困ったもんだ。
と、そのとき、玄関を叩く音が大地の耳に入った。
インターホンが鳴らないはずだから、きっとこれはノックなのだろう。
何者かが大地の家を訪れている。
大地以外にも町に残っている者がいたというわけだ。
足早に玄関に向かいながら大地は、ふと例の声からの言葉を思い出す。
「私の影響で、お前は多少の知能を持ったはずだ。それを駆使して生きるがいい。23歳になるまではな」
嫌なタイミングで思い出しちまったな。
と大地は自嘲気味に笑む。
つい先日、大地は23歳の誕生日を迎えたばかりだ。
<万能の銀は1つだけ・1>に続く。
February 26
地球の人口が1夜にしてたったの5人になってしまった。
電気は止まり、携帯電話も通じない。
短期間の間に大勢が消滅してしまった原因、自分たちだけが消え去らなかった理由も解らずに、5人の若者は無言の街を徘徊する。
中世を思わせる街並みでは、15年前に起こった大事件を取材するべく小説家志望の青年が酒場を訪れる。
あの特殊な戦争にまで発展した連続同時大量殺人事件の詳細を、この店の主は知っているのだ。
その当事、人類の敵は人類ではなかった。
意思を持つアンドロイドが語る未来は、ある男によって行われる人類飼育計画と文明回帰。
大切な人たちが住まうシティを、世界全土を救うべく、医師と人ならぬ者は調査を開始する。
2つの世界の命運を左右する物語。
will・1【さまよう少女】<そこはもう街ではなく・1>
will・2【英雄は語り始める】<万能の銀は1つだけ・1>
will・3【新しいメリア】<巨大な蜂の巣の中で・1>
will・4【機体は何も語らない】<そこはもう街ではなく・2>
will・5【友の剣】<万能の銀は1つだけ・2>
will・6【現れる蜃気楼】<巨大な蜂の巣の中で・2>
will・7【まがい物】<そこはもう街ではなく・3>
will・8【降りしきっていた雨】<万能の銀は1つだけ・3>
will・9【理を保つ医師】<巨大な蜂の巣の中で・3>
will・10【寒風吹きすさぶ中で】<そこはもう街ではなく・4>
will・11【赤い目の娘】<万能の銀は1つだけ・4>
will・12【ジルの行動】<巨大な蜂の巣の中で・4>
will・13【白煙の元には】<そこはもう街ではなく・5>
February 23
普段から何かとお世話になっている酒場は雑然と混み合っていて、中には知った顔もあった。
さすがは地元だ。
「N島さん」
知人に声をかけ、手を振る。
N島さんは「またお前かよ」と毒づきながらも席を移動し、ふらふらと危なっかしい足取りでこちらまでやってきた。
もう既に泥酔し、眠りたくなっているのだろう。
彼は目を細め、うつむき始めている。
挨拶もそこそこに、俺は悪友とグラスを合わせ、談笑に励む。
悪友が何かしらの冗談を口にして、ツッコミを入れようと横を向いた瞬間、俺は仰天して目を大きく開いた。
炎だ。
この場に似つかわしくない火炎が、在り得ない場所から発生している。
N島さんの頭が燃えていた。
ちょっとした人体発火みたいなことになっている。
おそらくタバコの火が髪に触れたのだろう。
N島さんの周りだけ、ちょっぴり明るくなっていた。
当たり前のことだが、それなりに熱かったのだろう。
N島さんは飛び跳ねるように起き、「この人こんなに速く動けたんだ」と小さく驚かされるぐらいの速度で頭を振り、手で払って火を消した。
119番の必要はなさそうだ。
このボヤ騒ぎに店内では早くも爆笑の声が響き渡っている。
中には露骨にN島さんを指差し、「日本のお笑いはレベルが高い」と言わんばかりに大笑いして召されそうになっているおばちゃんまでいらっしゃった。
大事に至らなかったからこその雰囲気だ。
N島さんにも怪我はないし、髪型が著しく変わったわけでもない。
その点は本当によかった。
「N島君、お客さんたちがね? 面白かったって」
店の姐さんが声をかけると、N島さんはムッとした顔になる。
「俺は酸化するところだったんだぞ」とでも言いたげな気配だ。
「やべ。怒らせちゃった。めさ君、お願い」
姐さんに託され、素早く頷いて了解の意を示す。
俺はN島さんの肩を叩いた。
「N島さん、怒らないの。しょうがないじゃん。店のスプリンクラーが回るところだったんだよ?」
火に油を注ぐようなことを、あえて言う。
下手にフォローを入れるより、先ほどの一件が彼にとってもオイシイことであると気づかせるほうが、N島さんにとっては効果的であると知っているからだ。
それにしても焦げ臭い。
「N島さん、火災保険が降りるよ」
「く…!」
怒りたいところだから、ここで笑ってしまっては負けだとでも思っているのだろう。
N島さんは笑いをこらえている。
「さっきのN島さん、なに? たいまつのつもり?」
「う、ぐう…!」
「夏にやったキャンプファイヤーを思い出したよ」
「く、フフ!」
「酸素を無駄に消費するの、やめてもらえる?」
「ふはは! お前、いい加減にしろ!」
互いに笑い合う。
「ヤケドしてなくってよかったよ」と告げ、続けて火の元に注意するよう促した。
気が済んだらしく、再度N島さんは寝る姿勢に入る。
カウンターの上で伏せ、安らかに寝息を立て始めた。
しかし彼の頭の近くには灰皿が。
火が付いたままのタバコが2本も入っている。
もしかして、わざとやっているのだろうか。
灰皿をそっとどかし、俺は再び悪友との対話に戻る。
心配になってたまにN島さんの様子を伺うと、彼は微動だにしない。
燃え尽きて、真っ白な灰になっている。