夢見町の史
Let’s どんまい!
September 24
俺は信じられないものを見た。
お店が開いてる!
職場のスナックが、開店している!
今日は定休日じゃないのか!?
1日中、俺はずっとパソコンに向かって作業をしていた。
夜分にはさすがにお腹が減ったので、ラーメン屋さんに向かおうと家を出る。
気持ち良くチャリでしゃしゃしゃ~って走っていた。
やがて視界に飛び込んできたのが、光り輝く職場のネオンだった。
なんでお店やってんの!?
俺としては今日が日曜日だと思っていたのだが、実は気のせいなのかも知れない。
いや、もしかしたら人類は、俺が知らないうちに曜日という概念を捨て去ってしまったのかも知れない。
いやいや、もっと現実的に考えるんだ俺。
ここはどう考えても、俺かお店のどちらかがタイムスリップでもしたのだろう。
日にちを間違えて、知らぬ間にサボってしまったのでは断じてない。
ところで神様。
リセットボタンはどこですか?
いつものスーツ姿ではなく、ジンベエといったラフこの上ない恰好だったけれど、俺は恐る恐る玄関を開け、店内を覗き込む。
めちゃめちゃ人がいたので、俺はそっと玄関を閉めた。
すんごい込んでるじゃないか。
パッと見だけで解った。
果てしなく忙しそうじゃね?
一気に血の気が引き、俺は一瞬にして空腹を忘れた。
なんでこんなに忙しいのに、俺は電話などで呼び出されなかったのだろう。
多忙すぎて通話の間さえなかったか、あるいは人として諦められたかのどっちかであろう。
いやいや違う。
今日は日曜日だ。
ケータイで確認するのは怖いからやめておくが、今日は日曜、つまりスマイルの定休日であるはずなのだ。
その証拠に、昨日は土曜日だった。
待てよ?
従業員もお客さんも、みんなまとめて勘違いしているんじゃなかろうか。
だったらいいな。
ってゆうか、もう何を信じていいのか解らない。
神か時空か俺以外の全人類が間違っている。
あ!
もしかしたら、全ては幻なのかも!
明かりの灯った看板も、込み合う店内も、全てはアスファルトジャングルが見せる真夜中の蜃気楼なのかも!
でなかったら夢だ夢。
再び、そっと玄関を開けてみる。
カラオケや談笑による喧騒がリアルに聞こえる。
実にリアルな立体映像だ。
みんな凄くいい酒飲んでいらっしゃる。
「あ、めさ!? どうしたの!?」
スマイルのボス、K美ちゃんが驚きの表情を浮かべた。
俺だって似たような表情だ。
「いやね? 違うの。今日は日曜なのにラーメン食べに行こうとしてお店の看板がチャリでしゃしゃしゃ~って走ってるときにスマイルの明かりが」
「え? もしかして看板点いてた?」
よくぞ解読できたものである。
K美ちゃんは慌ててスイッチを切り、看板の光を消した。
事情を聞けば、今宵はK美ちゃんたちによる、一種のホームパーティであるとのことだ。
飲み場として店を利用していただけで、営業をしていたわけではないらしい。
安心した。
凄く安心した。
時空とかあんま乱れてなかった。
「なあんだ、そうだったのかー。よかった。俺、曜日を間違えて仕事をすっぽかしちゃったのかと思ったよ~」
俺的には、本日最高の笑顔である。
「じゃあ俺、改めてご飯食べに行くね」
店を後にしようと、振り返る。
そこには数々の顔と声が。
「おー! めさ君! 来たか!」
「こっちこっち!」
「飲んでいきなって!」
ああ、気持ちは嬉しいんだけど、俺はこれからご飯に。
「何飲む?」
「めさ君、紹介するよ。こちら俺の兄弟分」
「カラオケ唄いなさいよー!」
あはは、いや実は俺、今日はまだ何も食べてな…。
「はい酒!」
「駆けつけ3杯ね!」
いやほら、すきっ腹で飲んだら俺、酔っちゃうから、後でまた来るから。
「いいから取り合えず飲みなさいってば!」
「飲みな! めさ君、飲みな!」
「早くカラオケ唄ってよー!」
うっせえな!
飲むよ!
飲ませていただきますよ!
いただきますよ!
俺の死に様、よく見とけ!
おりゃー!
盛り上がった。
September 20
「初めまして!」
ちっとも初めましてじゃない人からのメールは、そのような件名であった。
送ってきたのは劇団「りんく」の歌姫、通称「空」だ。
最初は同名の別人からかと思ったけれど、どう見ても間違いない。
俺が知っている、あの空からのメールだ。
>例の掲示板から来ました!
>貴方みたいな人でも、あんな活動をしているんですね。
>なかなか人に言える内容ではないので解り合える人がいて嬉しいです。
>運命的なものを感じたので、メールしてみました。
>もし宜しければ掲示板に書き込んでいたようなことを、親密に語り合いませんか?
>返事、待ってます!
なんで仲間から迷惑メールが?
悪ふざけの完成度がやたら高い感じが否めない。
どうやら彼女はめちゃめちゃ暇すぎて困っているらしい。
きっと俺以外のメンバーにも、同じ文面のメールを送っているに違いない。
そうして返信を待ち、各メンバーのリアクションを比べたいのであろう。
だからって、なんで普段なかなかメールの返事ができない俺にまで。
「ちきしょう、今回だけだからな!」
俺はパソコンモニターの前に、どっかりとあぐらをかいた。
昨日メールを頂きました、めさです。
まさか例の掲示板参加者さんから連絡を頂けるとは夢にも思っていなかったので、実に嬉しい驚きです。
お恥ずかしい話、僕は結構真面目にあの活動に取り組んでいるのですが、空さんはいかがですか?
やはりタバスコを目に入れるのは危険ですよね。
先日も、眼球に多大なるダメージを受けました。
眼科に行ったところ、主治医に「また君か」と呆れられた次第です。
それでも大いなる野望のために、次はパンダの黒い部分を白く塗りつぶそうと考えています。
1日3頭ほどを目標にしているのですが、長い道のりになりそうで、気が遠くなっていますよ。
でも、中国を白クマだらけにしたいので頑張ります。
よろしければ、空さんの武勇伝などお聞かせいただければ幸いです。
これを機に、是非仲良くしてやってください。
よーし!
なんじゃこりゃ…。
September 09
油断していた。
まさか温泉で重傷者が出るなんて、予想すらしなかった。
もし予め解っていたなら、俺は「山の天候と温泉はナメるな」ぐらいの忠告を残しておけたのに。
俺的に、やはり外せないのは温泉だった。
今回の宿泊先はネットで調べたのだが、条件検索でしっかり「温泉」と付け加えていたほどだ。
大好きな温泉。
そこはしかも、露天風呂だった。
サウナまである。
なんかもう、幸せすぎる。
俺はウキウキと服を脱ぎ捨て、湯船に浸かって景色を眺めたり、サウナで汗をかいたりと、夏の温泉を堪能しまくった。
その頃。
俺から離れた場所にいた、とある男子。
彼は睡眠不足でも祟ったのか、のぼせて意識を失い、前のめりに倒れる。
その際、床に顎を強打してしまった。
そんなことは露知らず、俺はサウナでかいた汗をシャワーで流そうとしていた。
「めささん!」
脱衣所からこちらに顔を出している男子は、焦りの色を隠していない。
「ん? どうしたの?」
「それが、つい今、K君が倒れたんです」
「マジで!?」
「はい。それで、顎を打ったらしくて、切っちゃってるんですよ」
「なあんだ」
俺は、何故か怪我に強い。
自分が負傷しても、他人の傷口を見ても、滅多なことでは動じない。
この時もしたがって、俺は大したことはないだろうと高をくくり、軽い気持ちで様子を見に行っていた。
怪我人である男子は脱衣所のベンチに腰を下ろしていて、タオルで顎を押さえている。
「どれ、見せてみ?」
下から顎を覗き込む。
「うわ。思ったより酷え。こりゃ病院だな」
出血はさほどないが、バンソウコウでどうにかなるレベルではなかった。
ちょっと痛々しいので細かい描写は避けるが、軽く重症だ。
温泉の係員らしき男性が、おろおろと気を遣う。
「彼、横にしたほうがいいでしょうか?」
俺はそれを制した。
「座ったままの体勢のほうがいいかも知れません。このままだと、心臓より上に患部がある格好になりますから」
「そうですよね。今、別の者が救急隊を呼んでいますから」
「そりゃ助かります。ありがとうございます」
数分後には俺も服を着て、彼の様子を見守っていた。
結果から先に書けば、彼は病院で治療を受けたものの、傷の具合は入院するほどではなかった。
でも当時はそんなこと判らないし、なんせ顎だ。
打った時に強く噛み合わせる形になったのだろう。
奥歯が痛むという。
倒れた際に生じた衝撃は脳にまで達しているであろう。
俺はお風呂上りの牛乳を我慢した。
不意に、ポケットの中で携帯電話が鳴る。
女子からだ。
「もしもし?」
「あ、めささん? あのね?」
「うん?」
「女の子たち、やっぱり遅くなると思うの」
「そうだろうねー」
「だから、もしアレだったら、先に行っててもいいから」
「大丈夫、みんなで外で待ってるよ」
悲しいお知らせがあるからな。
とは言わなかった。
ここで報告してしまったら、彼女たちのことだ。
温泉を堪能するどころではなくなってしまうだろう。
心配すれば治るというわけでもないし、あえて知らせずにおく。
やがて、救急隊が到着。
怪我した男子をストレッチャーに乗せる。
彼の足元はおぼつかなかった。
やはりダメージが脳に及んでいるのだろう。
救急隊員の方が、「お名前は?」と男子に訊ねる。
すると彼は、
「大丈夫です!」
全く関係ないことを答えた。
判りやすく錯乱していらっしゃる。
一方、女湯。
「露天風呂、いいねー」
「ホントだよねー。あ!」
「何?」
「木と木の間、今モモンガが飛んでいった!」
「ホント!? どこどこ!?」
「あっちあっち!」
「きゃー!」
楽しんでもらえたようで何よりである。
場面を男湯の脱衣所に戻す。
ストレッチャーで移動する際、彼の呂律は意外としっかりとしていた。
「余裕っす。全然余裕っすよ」
何が余裕なのか全然解らなかったが、それだけしっかり喋れれば大丈夫であろう。
わずかながら、安堵した。
付き添いの男子と共に、怪我人は救急車で運ばれていった。
さて、次だ。
風呂から出てきた女子たちに、どう報告しよう。
どう知らせれば、彼女たちの心配を少なくできるだろうか。
「いやあ、さっきね? 彼、風呂場でコケてさあ。あっはっは! ちょいと顎をぶつけたみたい。今頃、CTスキャンでも撮ってんじゃない? がはははは!」
軽すぎる。
「みんな、ちょっと円になって座ってくれ。実はさっき、彼が浴室で倒れた。その際に顎を強打して、意識はあるが間違いなく重症だ。救急車を呼ぶといった騒ぎにも発展した。顎の傷はもの凄いことになっているし、見えない箇所にも大ダメージを受けているだろう。彼が帰ってくることを、みんな祈っていてくれ。報告は以上だ。じゃあ、気持ちを切り替えて、みんなでバーベキューを楽しもうぜ!」
楽しめるか!
じゃあ、なんて伝えようかなあ。
一方、救急車内。
誰からも、何も訊かれていないのに、怪我人はずっと喋り続けていた。
「余裕っす! 超余裕っすよ! 全然余裕っす!」
何度もしつこい。
彼は、やはり錯乱していた。
「なんか、ホントすんません」
友のウザさを救急隊員に詫びる、付添い人。
「余裕っす。余裕っす。全然余裕っすよ」
尚もうるさい怪我人。
なんで救急隊員のお友達みたいな感じを出すのだ。
あと、大丈夫じゃない人ほど大丈夫って言うのは何故?
さて。
結局女子たちには、涼しい顔を意識し、ありのままを伝えることにした。
「俺も傷を見たけど、軽い重症だったよ」
「それって、例えばめささんだったら、病院に行ってます?」
「ありゃ俺でも病院に行ってるなあ」
「じゃあ、ホントに深いんだ」
納得のされ方に納得がいかなかった。
川辺では、付添い人と怪我人の分も食事を用意しておいた。
随時、付き添いの彼と連絡を取り合う。
しばらくすれば戻れるとのことだ。
やがて、
「いやあ、迷惑かけて、すみません」
「いやいや、怪我で済んで何よりだよ」
とにかく命に別状がなくてよかった。
さすがに酒は飲ませられないが、会話ぐらいは楽しめるであろう。
それにしても、今回のキャンプときたら、川に流された奴が3人、重傷者1人、キュン死に者多数。
安全度が低すぎだ。
これからは「死ぬな」以外に、もっと細かく注意事項を言っておかなくちゃ。
September 08
山々や木々。
川の美しさからしても、ここが東京都内とは信じられない。
あまり寝ておらず、しかも前日に大酒かっ喰らったにも関わらず、不思議と二日酔いにはなっていなかった。
2日目の昼。
起きてからはしばらく、川で遊ぶことにした。
水着を持参していたのに着替えなかったのは、足だけ浸かる気でいたからだ。
あと、ただ単に面倒臭かった。
この時の俺はジンベエを着ていて、背中に宴会用グッズ「キューピットの羽」を着け、頭部には変な黄色いマスクを装着していた。
部屋でやったカードゲームで、また負けたからである。
どんな角度から見ても立派な変態であったが、罰ゲームなので仕方ない。
川辺に下りようと、数人で部屋を出る。
すると、一緒に泊まっていた女子が外の風に当たっているのが判った。
俺と目が合う。
彼女は俺の格好を見て、挨拶をしないと、不信そうな表情を露骨に見せた。
頭に被っていたのがマスクではなく、パンツだったとしても彼女は同じような目線を俺に向けていたに違いない。
「ち、違うんだ!」
浮気がバレた彼氏のように、俺は激しく言い訳をした。
「これはただの罰ゲームで、決して俺の個人的な趣味とかじゃないんだ! 解るでしょ!?」
彼女はたった一言、
「話しかけてこないでください」
涙が出そうになった。
川には他のコテージを利用している知らない人たちがいて、俺を見ないように気をつけている。
さすがに耐え切れなくなって、羽とマスクは脱いだ。
川の水に足を浸す。
ひんやりとしていて、実に気持ちがいい。
足場は石ころだらけで、うっかりすると転びそうだ。
そんな不安定な場所に、誰かがビーチボールを放ってきた。
それがきっかけだ。
みんな自然と円になり、川の浅瀬でビーチバレーが始まる。
ビニールのボールは大きくて、軽い。
ちょっとした風に簡単に流されてしまう。
「あ」
ボールは俺の頭上を大きく飛び超えて、川の中央部に落下した。
そこから最も近いのは、俺だ。
「めささん! 早く取ってきて!」
「やだよ!」
俺は水着を履いていないのだ。
ボールが落ちたエリアは間違いなく、腰まで浸かる程度に深い。
あんなところまでボールを取りに行ったら、濡れちゃうじゃないか。
徐々に流され行くボールを指差して、若者が叫ぶ。
「めささん! いいから早く! ボールが流されちゃう!」
やだってば!
水着の人が行ったらいいじゃん!
「俺、カナヅチなんですよ! めささんが行ったほうが、絶対にオイシイですって!」
そう?
でもやだ!
川の水、冷たい!
駄々をこねていると、男子の1人が手を挙げる。
「だったら俺が行くわ」
なんかカッコイイことを言い出した。
ちょっぴり嫉妬するけども、でも助かる提案だ。
するとほぼ同時に、他の男子2名も手を挙げた。
「いや、俺が行くよ」
「いやいや、俺が行くって」
3人とも徐々にムキになってゆく。
「俺が行くって!」
「いいってば! 俺が行くよ!」
「いやいや、ここは俺が!」
置いてきぼりにされた感があって、ついつい俺も手を挙げる。
「だったら俺が行くよ!」
すると3名、綺麗に声を揃えた。
「どうぞどうぞどうぞ!」
どちきしょう。
俺は上島竜兵のように川に飛び込んだ。
川は、思ったよりも深かった。
俺のジンベエがどうなってしまったかは、皆さんの想像にお任せしたいと思う。
ボールを救出して戻ってくると、いつの間にか新たな遊び道具が増えていることに気づく。
水鉄砲だ。
案の定、撃たれる。
「やめてやめて!」
俺は必死になって抵抗をした。
「俺、水に濡れたくない人なの!」
乾いた部分のほうが少ない男が一体何を言っているのだろうか。
「ところでさあ」
俺は下流に目をつける。
川を少し下ると、見るからに水の流れが速くなっているのだ。
もの凄く冒険心をくすぐられるじゃないか。
「ねえ、みんな。あっちに行ってみない?」
こうして、男子たちはざぶざぶと川の中を。
女子たちは陸地を歩き、皆で下流を目指す。
水位は太ももぐらい。
流れは思った以上に急だ。
急流の先は見た感じ、足が着かないような色をしていて深そうだった。
うっかり流されようものなら、軽く死ねる印象を受ける。
「こりゃあ、どこまで行けるか限界が知りたいね」
「ですね! すげーロマンがある!」
俺たち男子は、この時点で既にお馬鹿さんだった。
ギリギリまで進むということは、どこが限界であるのかを自分で見極めなくてはならないということだ。
それが判る頃というのは、流されている最中である。
先頭を行っていたのは、先ほどカナヅチ発言をしていた男子だ。
泳げない分、ウォーキングが上手で、彼はぐんぐん先に進んでいってしまう。
「すげー! 流れが速い!」
早いのはお前の歩調です。
さすがに危険を感じ、俺は彼に「ちょっと待って!」と口を開きかけた。
いざという時、掴める距離に彼にいてほしかったからだ。
ところが俺は「ちょ」までしか言えなかった。
カナヅチの男子が突如、スピードアップした。
あれはマラソンランナークラスの速度だった。
速すぎる。
どう見ても間違いない。
彼は流されていた。
今だからこそ笑って書けることだが、当時は本当に焦った。
遠目で見たら流しそうめんみたいに、彼はつるんと流されちゃっている。
だいたい、なんでカナヅチの奴が先にガンガン進んじゃってたんだよ!
心の中で毒づきながら、俺は流れの先を目指して飛び込む。
溺れてる人を助けるときは、正面からではなく、背後から近づく。
でないと掴まれて、助ける側まで溺れてしまうからだ。
後ろから近寄ったら胴体などを持ち、仰向けになるようにして呼吸をさせる。
間に合わなかったら、人工呼吸だ。
急流の中、平泳ぎで加速しながら、俺は救命方法を脳内で復唱していた。
ところがどっこい。
俺が着ているジンベエは、水中では邪魔にしかならない。
水の抵抗をモロに受けてしまう。
思った方向に泳ぐことが全くできない。
やがて足が届かないポイントに到達する頃になると、自分の顔を水面に出すので精一杯といった有様だった。
溺れるとしたら、恋に。
とか言ってる場合じゃない。
マジ流され、マジ溺れだ。
身動きが取れん。
どうしましょう。
先に行ったはずの男子に目をやる。
彼は自力で足の着く場所まで辿り着いていて、そこには本当に安心した。
あとは俺だけだ。
でもまあ、泳ぎにくい服装だったとはいえ、そこは流れも緩やかになっていたので無事、どうにか岸まで移動することができた。
「いやあ、怖かった!」
「でしたねー」
2人で無事を祝い合う。
「水難事故が起こる理由、リアルに解りましたよ」
「俺もだよ。この経験のおかげで、次からは無茶する奴を止めてやれるね」
「あれ?」
男子の視線に釣られて、俺も上流に目をくばらせる。
なんと、3人目の犠牲者が流されてくるところだった。
仲間が増えたと喜ぶところかも知れないが、さすがに冗談を言える状況ではない。
俺は川の中に戻り、彼を受け止める体勢を整えた。
「君も来たか」
「だって、めささんとあいつ、2人で流されて行っちゃうんですもん。助けなきゃ、と思って」
「俺が飛び込んだ動機と一緒だ。でもさ、流されている間は、誰か助けることなんて不可能だと思ったでしょ」
「思いました思いました! ありゃ無理ですよ」
「だよねー。とにかく、上まで戻ろう」
目指すべき上流に、再び視線を走らせる。
そこには、やはり俺たちを助けるつもりになっていたのだろう。
4人目の男子が心配そうに、こちらに来ようとしていた。
流された3人組は必死になって、大声を張り上げる。
「来るなーッ!」
「ひーきーかーえーせー!」
「こっちには絶対、来ちゃ駄目だーッ!」
このマジっぽさが、川の危険度を浮き彫りにしていた。
これをお読みになった皆さん、水難事故は簡単に発生します。
本当に気をつけて。
「山とか川だけじゃねえ。温泉にも危険はいっぱいだ」編に続く。
September 08
全員、俺よりも干支が1周ほど若いことにショックを受けていた。
駅に集合したのは10名ほどの若者たち。
「これで全員だよね? じゃあ行こう!」
コテージはもう借りてある。
これからみんなで、東京の外れで2泊3日だ。
「みんな聞いてー!」
電車を待つ間、俺は最年長者として、若き友人らを集める。
「これから行くキャンプ村では川遊びもできるのね? それ以外にも色んな危険性ってあると思うんだ。だから誰も死なないでね」
全員が注目してくれていることを感じつつ、俺は引き続き注意を呼びかける。
「こういう場合で誰か死ぬと、何故か1番年上が怒られるんだ。俺、叱られるのホント嫌だから、みんなマジで死なないでね」
なんか最低な大人である。
他にも反復横飛びをしながら、「浮かれて大はしゃぎするな」と大はしゃぎながら言っておいた。
完璧だ。
一同は、やってきた電車に乗り込む。
寝泊りする施設はコテージだ。
しかし場所がキャンプ村とのことなので、以降はこの小旅行を「キャンプ」と表記することにする。
夜にはちゃんとキャンプファイヤーをやる予定だし、みんなも自然に「キャンプ」って言ってたから、誤った表記ではあるけれど、とにかくキャンプだ。
このキャンプという特殊な環境の中では誰もがハイテンションになるといった、魔力にも似た不思議な力が脳に働きかける。
女子にしても、もちろん例外ではない。
俺は初日から、うら若き乙女の人々から何度も言われてしまうことになる。
「愛してる」
いやマジでだ。
本当に言われた。
32年間生きてきて、こんなの初めてだ。
20歳ちょいの女子から何度も何度も。
「愛してる」
きゃっはーい。
こんな飲み屋があったら絶対に儲かるよ!
って感じだ。
ラブコールは複数人から発せられた。
「好きだよ」
耳元でささやかれもした。
ありがとう夏の魔力。
よくぞ今、生きて日記が書けるものだ。
嬉しすぎて死んじゃうかと思った。
コテージに到着して、しばらくは自由行動になる。
バーベキューの準備をする者、持参のカードゲームに興じる者、川で遊ぶ者。
「あ、めささん! 丁度よかった!」
ちょっとした荷物を取りにコテージに入ると、男女が輪になっていて、何やら盛り上がっている。
「どうしたの?」
「いいから、こっち! ここに座ってください!」
言われるがまま円に入る。
畳の上に腰を下ろすと、ゲームの説明が始まった。
「めささん、『愛してるゲーム』って知ってます?」
「所詮、恋愛はゲームさ」
「いえ、そういうんじゃなくて」
「ですよねー」
「ってゆうか、めささん、そういうキャラになれない人じゃないですか」
「はい。自分で自分のこと、よく解ってます。ホントすみませんでした」
ゲームの概要はこうだ。
まず円状に、男女交互に座る。
自分の両隣にはつまり、必ず異性が座ることになる。
続けてジャンケンなどをし、最初の者を決める。
こうしてゲーム開始だ。
最初の人は左右どちらでもいいので、隣の異性に対し、ちゃんと目を見て「愛してる」と言わねばならない。
言われた側は「え?」と返すのだが、左右どちらの異性に振っても構わない。
「え?」と返された者は照れることなく、「愛してる」と目を見返すわけだが、やはり隣の異性であればどちらに言おうが自由だ。
全員にまんべんなく順番に繋がることもあれば、同じ人同士が何度も「愛してる」「え?」と繰り返すことも有り得るわけだ。
照れたり、目を見られなかったりしたら負け。
ゲーム趣旨やルールを理解すると、俺は両手で顔を覆った。
「そんなこと恥ずかしくて言えない!」
処女か俺は。
必死の抵抗も空しく、強制的にゲームは始まった。
「愛してる」
「え?」
「愛してる」
「え?」
イタリア人でもここまで言わないんじゃないだろうか。
なんだか恥ずかしい応酬である。
それにしても、みんな猛者だ。
なんで照れずに言えるのだ。
この場にいるだけで、どことなく気マズイ。
やがて隣の女子が、綺麗な瞳で俺の目を真っ直ぐに見つめてきた。
「愛してる」
ついに俺の番が来た。
瞬時に切り返す。
「恐れ入ります」
これ以上ない完敗だった。
もうホント無理。
この手のゲームで、俺より弱い奴ァいねえ。
「めささんの負けー!」
「だって照れちゃうんだもん! しょうがないじゃん!」
涙目になって訴えた。
それでも負けは負けなので、次は俺が最初に「愛してる」を言わねばならない。
でも、どっちの女子に?
右も左も可愛いんですけど。
「それは自由です。どっちでもいいですよ」
「どっちでもいいだなんて、そんな軽い気持ちだったわけ!?」
「だって、そういうゲームなんですもん」
「ゲームですって!? つまり遊びだったのね!?」
「誤魔化しはいいから、めささん早く」
楽しみにしていたキャンプで、なんでこんな目に。
考えれば考えるほど解らなくなる。
右の女子も左の女子もそれぞれ素敵だし、でもまだお互いよく知り合っていないのだ。
歳の差だってあるし、まずは交換日記から始めるべきところであろう。
それをあんた、どちらか片方に「愛してる」なんて大それたことを言わなくちゃいけないだなんて、そんな。
迷いに迷う。
やがて俺は男らしく腹を決め、両手で頭を抱えた。
「どっちか1人なんて、俺には選べないよう!」
なに1人だけマジに考え込んでいるのだろうか。
それでもどうにかして、俺はようやく重たかった口を開く。
「あ、愛してる」
「え?」
「なんで聞き返すのー!」
秒速で負ける。
俺は畳の上でジタバタと転がった。
「『え?』じゃないよー! ちゃんと聞こえたべ!? こういう言葉は何度も言えることじゃないじゃん! もー!」
ちなみに俺は32歳だ。
キャンプファイヤーが実に良い具合だ。
薪をくべる毎に、俺は「出火原因はあなたです」などと、ずっとぶつぶつ言っていた。
星空の下、川の畔で炎を見ながら飲む酒は格別だった。
精神的に満たされる最高の贅沢のように感じる。
皆で談笑。
話のテーマは、「キャンプ中に異性から言われたい一言」で、これは俺から提案した。
俺は恋バナが大好きなのである。
例えば、なんか気になる女子と一緒に夜風に当たっているとする。
川辺でふと、女子が口を開くのだ。
「どうせ来年も、あんたと一緒なんだろうなあ」
そんなことが実際にあったら、俺は「ちょっと待ってて」とか言ってその場を離れ、川原でゴロゴロとのた打ち回るに違いない。
「めささん!」
男子からの呼びかけに、妄想中断。
何事かというと、「あの子が凄い」とのことだった。
「凄いって、何が?」
「やばいっすよ! めちゃめちゃ凄い『異性を落とす一言』を、あの子が言ったんです!」
「なんだってェ!? そいつァ大変じゃねえか! 聞かせてもらおうか!」
一見すると、おとなしそうな女の子。
彼女がそれを言い放ったらしい。
どうやら耳元でささやくことで効果を発揮する類の名文句であるようだ。
ところがその女子は非常に困惑している。
「もう恥ずかしいから言えませんよ~」
うっせえ!
恥らい具合も、なんか可愛いんだよ!
誤ったキレ方をしながら詰め寄った。
彼女の元には、すでにちょっとした列が出来上がっている。
どうやら、ささやいてもらうために、みんな順番待ちをしているらしい。
心の底から恥ずかしいようで、その女子はもじもじとしていたが、列は少しずつ消化されていった。
耳にした女子は「それいい!」とか「きゃー!」などと喜び、男子は次々と倒れ、ザコキャラのように悶絶している。
やがて俺の番。
大いに照れながら、女子は俺の耳に片手を添えて、顔を近づける。
可愛らしい声が、妙にズルかった。
「好きだよ」
「ひゃっほーう!」
危うく川に飛び込みそうになるところだった。
夏の思い出を、本当にありがとう。
なんか日中からずっと、俺はキュン死にしそうになっている。
夏のキャンプに、まさかこのような危険性があったとは予想外だ。
このままだと死人が出るぞ。
火の番ついでに、呆然と炎を眺めている時もそうだった。
キャンプファイヤーという企画は大好評かつ大成功で、誰もが口を揃える。
「火を見ていると、安心する」
「物が燃えているのって、なんか好き」
「全てを焼き尽くし、何もかも灰にしてくれる!」
聞きようによっては連続放火魔の独り言のようだが、俺も同感だった。
酒を片手に、無心で火に見入る。
ふとした瞬間、頬に冷たい感触が突然あって、驚いた。
反射的に振り返ると、それはグラスを当てられた感覚であることに気づく。
「なーに黄昏てんのっ!」
その声は、めちゃめちゃ低音で野太かった。
背後に立っていたのは男子だったからだ。
「な! なんだよ! お、お前かよ!」
状況、行動、セリフ、俺のリアクションまで理想通りだ。
ただ1つだけ残念なのは、どっちも男である点だ。
「そういうんじゃないんだよ、俺が求めていたのはさ~!」
再び頭を抱え、俺はその場でうずくまった。
「お若いの、決して下流に行ってはならん。あそこに足を踏み入れて帰ってきた者はおらん」編に続く。