夢見町の史
Let’s どんまい!
2011
April 30
April 30
目次&あらすじ
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/435/
3
「で、涼、どうだったよ~?」
和也が友人らの顔を見渡す。
アメリカンを意識した木造の内装と、マスターが煎れた特製コーヒーの良い香りが、今日も部活動の疲れを緩和させていた。
夕日が差し、照明を助けている。
大地は今朝の模様を思い返す。
「遺伝子について悩んでるみたいだった」
「違うよ」
由衣がちょいちょいと手を振った。
「一目惚れについて考えてたんだよ、涼は」
「全体的に様子がおかしかったんだけど」
小夜子が首を傾げる。
「古代のギリシャがどうとか言ってたから、歴史について悩んでたんじゃないの~?」
和也は相変わらずのんびりとした調子だ。
「あいつ、俺には本を読まねえと駄目だとか言ってたぜ~?」
「結局あいつ、何について悩んでんだ?」
大地のつぶやきに、誰もが「さあ」と不思議そうに首を捻る。
今日の客は大地たちだけだ。
一番奥のボックス席がいつもの場所で、そこに由衣と小夜子が先にいたのは確率の高い偶然だった。
ほんの十分ほど前、大地は和也と一緒にルーズボーイにやってきていた。
「やあ」
マスターはいつもと同じように手短な挨拶をし、「2人、もう来てるぞ」と咥え煙草を奥に向けた。
このバーには大地たち専用の特別裏メニューが存在していて、大地が「俺スペシャル」と頼めば餅がメインのチーズグラタンが出てくるし、和也が「俺スペシャル」と注文すればハチミツ入りのパフェが登場する。
ダブルとかトリプルなどと付け加えれば、これらは信じられないぐらい大盛りにされる。
大地と和也のオーダーは今日も、そんな俺スペシャルのトリプルだ。
「君たち、たまには裏メニュー以外の物も食べたらどうだ?」
煙が入ったのか、マスターは目を細める。
「あと、飲み物も頼んでくれ」
「んじゃあ、グレープフルーツジュースで」
と和也。
「俺、アイスミルクティお願いします。ってゆうか客に注文を促すマスターって、珍しいっすよね」
大地はつい顔を緩める。
「しかも、いつも咥え煙草で」
「君らに気ィ遣ってたら、疲れるからだ。普段はちゃんとしている」
マスターは小さく鼻を鳴らし、伝票を書いた。
そんな無礼さがフレンドリーに思えて、どこか嬉しく大地は感じる。
「ねえねえ、あのさ」
由衣が口を開いた。
「もしかして涼、好きな人できたんじゃない?」
一同の動きが、それでピタリと停止した。
「まさか」
最初に動いたのは大地だ。
「もしそうだとしたら、判りやす過ぎだろ」
「涼って、好きな人できたら、ああなるの~?」
これは小夜子が訊いた。
「さあ」
「わっかんねえ」
和也が言うと同時に、大地も首を傾ける。
「もし恋だったら面白いよね」
由衣が、取りようによっては失礼なことを言い出した。
「だって涼ってさ、いつもツッコミ役で、クールぶってるじゃん?」
今まで発生したことがない恋愛の話題が新鮮なのだろう。
由衣こそが胸をときめかせているように見えた。
マスターがグラスを2つ持ってやって来る。
「そのクールぶったツッコミ役なら、今来たぞ」
4人が反射的に目を走らせる。
カウンターには幸の薄そうな雰囲気を纏った涼がいつの間にか座っていて、ちょうど溜め息をついているところだった。
頬杖をついた体勢が、なんだか思春期の乙女のようだ。
テーブルの上に飲み物を置いて、マスターがカウンターの内側まで戻り、涼の正面に立つ。
誰かがごくりと唾を呑んだ。
成り行きを見守らなければならないような、妙な緊張感が漂う。
「マスター」
涼が静かに顎を上げた。
続く言葉は、なかなか衝撃的だった。
「マスター、何か、何か……、胸の痛みを和らげる飲み物を下さい。……下さい」
どうして2回言ったのだろうか。
大地が紅茶を盛大に吹き出す。
和也のグラスを持った手はピタリと止まり、小夜子は口を半開きにさせて固まった。
由衣の瞳孔が開く。
全員が涼に見入った。
マスターがズボンのポケットから煙草を取り出し、火を点ける。
ゆっくりと煙を吐いた。
「薬局に行け」
「この痛みは、薬じゃ癒せないんです。……癒せないんです」
無言のままでマスターはゆっくりと深く頷いた。
ウォッカのボトルを手に取り、ショットグラスに注いで涼の前に置く。
「未成年者に飲ませられない物だが、内緒にするなら私が奢ろう」
「いただきます」
高校生は制服姿のまま、グラスを一気に煽った。
涼たち5人が高校3年生になったばかりの4月。
この町にはまだ散り終えていない桜が目立っている。
赤ん坊が消えたのは、この翌日のことだ。
涼がうっとりとした目で、再び溜め息をついた。
続く。
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/435/
3
「で、涼、どうだったよ~?」
和也が友人らの顔を見渡す。
アメリカンを意識した木造の内装と、マスターが煎れた特製コーヒーの良い香りが、今日も部活動の疲れを緩和させていた。
夕日が差し、照明を助けている。
大地は今朝の模様を思い返す。
「遺伝子について悩んでるみたいだった」
「違うよ」
由衣がちょいちょいと手を振った。
「一目惚れについて考えてたんだよ、涼は」
「全体的に様子がおかしかったんだけど」
小夜子が首を傾げる。
「古代のギリシャがどうとか言ってたから、歴史について悩んでたんじゃないの~?」
和也は相変わらずのんびりとした調子だ。
「あいつ、俺には本を読まねえと駄目だとか言ってたぜ~?」
「結局あいつ、何について悩んでんだ?」
大地のつぶやきに、誰もが「さあ」と不思議そうに首を捻る。
今日の客は大地たちだけだ。
一番奥のボックス席がいつもの場所で、そこに由衣と小夜子が先にいたのは確率の高い偶然だった。
ほんの十分ほど前、大地は和也と一緒にルーズボーイにやってきていた。
「やあ」
マスターはいつもと同じように手短な挨拶をし、「2人、もう来てるぞ」と咥え煙草を奥に向けた。
このバーには大地たち専用の特別裏メニューが存在していて、大地が「俺スペシャル」と頼めば餅がメインのチーズグラタンが出てくるし、和也が「俺スペシャル」と注文すればハチミツ入りのパフェが登場する。
ダブルとかトリプルなどと付け加えれば、これらは信じられないぐらい大盛りにされる。
大地と和也のオーダーは今日も、そんな俺スペシャルのトリプルだ。
「君たち、たまには裏メニュー以外の物も食べたらどうだ?」
煙が入ったのか、マスターは目を細める。
「あと、飲み物も頼んでくれ」
「んじゃあ、グレープフルーツジュースで」
と和也。
「俺、アイスミルクティお願いします。ってゆうか客に注文を促すマスターって、珍しいっすよね」
大地はつい顔を緩める。
「しかも、いつも咥え煙草で」
「君らに気ィ遣ってたら、疲れるからだ。普段はちゃんとしている」
マスターは小さく鼻を鳴らし、伝票を書いた。
そんな無礼さがフレンドリーに思えて、どこか嬉しく大地は感じる。
「ねえねえ、あのさ」
由衣が口を開いた。
「もしかして涼、好きな人できたんじゃない?」
一同の動きが、それでピタリと停止した。
「まさか」
最初に動いたのは大地だ。
「もしそうだとしたら、判りやす過ぎだろ」
「涼って、好きな人できたら、ああなるの~?」
これは小夜子が訊いた。
「さあ」
「わっかんねえ」
和也が言うと同時に、大地も首を傾ける。
「もし恋だったら面白いよね」
由衣が、取りようによっては失礼なことを言い出した。
「だって涼ってさ、いつもツッコミ役で、クールぶってるじゃん?」
今まで発生したことがない恋愛の話題が新鮮なのだろう。
由衣こそが胸をときめかせているように見えた。
マスターがグラスを2つ持ってやって来る。
「そのクールぶったツッコミ役なら、今来たぞ」
4人が反射的に目を走らせる。
カウンターには幸の薄そうな雰囲気を纏った涼がいつの間にか座っていて、ちょうど溜め息をついているところだった。
頬杖をついた体勢が、なんだか思春期の乙女のようだ。
テーブルの上に飲み物を置いて、マスターがカウンターの内側まで戻り、涼の正面に立つ。
誰かがごくりと唾を呑んだ。
成り行きを見守らなければならないような、妙な緊張感が漂う。
「マスター」
涼が静かに顎を上げた。
続く言葉は、なかなか衝撃的だった。
「マスター、何か、何か……、胸の痛みを和らげる飲み物を下さい。……下さい」
どうして2回言ったのだろうか。
大地が紅茶を盛大に吹き出す。
和也のグラスを持った手はピタリと止まり、小夜子は口を半開きにさせて固まった。
由衣の瞳孔が開く。
全員が涼に見入った。
マスターがズボンのポケットから煙草を取り出し、火を点ける。
ゆっくりと煙を吐いた。
「薬局に行け」
「この痛みは、薬じゃ癒せないんです。……癒せないんです」
無言のままでマスターはゆっくりと深く頷いた。
ウォッカのボトルを手に取り、ショットグラスに注いで涼の前に置く。
「未成年者に飲ませられない物だが、内緒にするなら私が奢ろう」
「いただきます」
高校生は制服姿のまま、グラスを一気に煽った。
涼たち5人が高校3年生になったばかりの4月。
この町にはまだ散り終えていない桜が目立っている。
赤ん坊が消えたのは、この翌日のことだ。
涼がうっとりとした目で、再び溜め息をついた。
続く。
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2011
April 30
April 30
目次&あらすじ
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/435/
2
普段は冷静で思慮深いはずの涼が、明らかにおかしくなってしまったことがきっかけだった。
昨日、そのことに最初に気づいたのは和也だ。
春特有の暖かいそよ風が心地良い朝だった。
薄っすらと青い空には、綿毛のような雲がいくつか浮かんでいる。
登校すべく、バスに乗り込む。
空手道部の早朝練習にはもはや参加できない時刻だったが、それでも授業には間に合うだろう。
和也にとってはだから、これは早起きの範疇だ。
「お」
と、心の中で言う。
昔馴染みの同級生がこのバスに乗車していた。
今日も茶色の髪を無造作に立たせている。
涼だ。
涼は下を向き、何やら力んでいる。
まるで自分の体が存在していることを確認しているかのようだ。
バスが発車したせいで、和也は大きめの体を少し揺らす。
「よ~」
声をかけると、涼は驚いたような顔をし、細い目で和也を睨みつけてきた。
「願ってるそばから、どうして気づくんだよ!?」
「おあ?」
「頼むから今、俺に話しかけるな!」
小声で怒鳴られる。
トイレに急ぐときのような、切羽詰った態度だ。
「あン? どうしたんだよ、オメーよお~」
和也が歩み寄ろうとすると、涼は目立たない仕草でそれを遮った。
「いいから! 頼む、静かにしててくれ!」
やはり声を潜めたままだ。
こりゃ俺には解らねえ何かしらの事情があって、たった今の涼は面白い状況に陥っているンじゃねえだろうか。
和也の中で、そのような確信めいた予感があった。
和也は涼の肩に手を置くのをやめて、その細目を覗き込む。
喧嘩っ早く、考えることが苦手な和也とは逆の性質を、涼は持っている。
いつでも賢く、物静か。
小学生の頃からそうだった。
「もうちょっと普通にしろよ」
「なんでお前はいつもそうなんだ」
「引率の先生みたいな気分にさせやがって」
そのように、何度怒られたことか。
でもたった今は、お前が変な挙動じゃねえか。
和也は笑いをこらえる。
西夢見からは電車に乗り込むことになる。
2人でバスを降りて、和也はそれまで守ってきた沈黙をようやく破った。
「さっきのオメー、なんだったの?」
バスを降りてからの涼には、体から力みが消えていた。
「カズ、お前さ、本は読むか?」
言わんとしていることは相変わらず、さっぱり解らない。
「あ? いや~、絵が描いてあるやつなら読むけどよ~」
活字を読むのは苦手なのだ。
「だからお前は野蛮なんだ」
眩しそうな顔をして、涼は空を見上げた。
「やっぱ詩を読まないと、人間は高貴にはなれねぇンだなあ」
「おう、全く同感だぜ」
頷きながら和也は、この後乗る電車の中でも涼に話しかけるのはやめようと決意する。
ホームルーム直前。
学生たちの喧騒の中に、大地の無邪気で明るい声が混じる。
「おうカズー! お前また朝練サボったから、オニケンめっちゃ怒ってたぞ」
空手のライバルにそれを告げるだけのために、この教室までわざわざ足を運んだ。
「先生かなりご立腹だ」
「そんなことよりオメーよ~」
「そんなあっさりと流すの!?」
まるで動じていない和也のふてぶてしい態度に、大地は目を丸くする。
筋肉質な和也とは対称的に、大地はやや小振りな体格だし子供っぽい顔つきをしているものだから、人からは肉弾戦の能力があるようには到底思われない。
和也の腕っ節の強さが地元でも有名なだけに、大地としては自分が持つ意外性が誇らしかった。
和也と互角に戦える高校生は、大地だけだ。
和也が口の端を吊り上げる。
「いいからちっとオメー、涼に話しかけてみろよ~。面白いからよ~」
聞き捨てならない台詞だった。
「なに? 涼が面白いの?」
持ちつ持たれつといった馴れ合いよりも、刺しつ刺されつ。
そんな刺激を大地は心地良く思う。
今日はどうやら、自分が刺す側に回れるらしい。
涼が面白いとはすなわち、涼の様子がおかしい、つまり何かしらの弱みがあるということだ。
窓際の後方に目をやると涼は席に着いていて、銅像のように静止していた。
いそいそと彼の正面に立つ。
「涼、おはよう」
いつもの涼だったら、大地がいつも腰からぶら下げている鎖の音だけで、悪友の接近に気がつくはずだった。
ところが今日は微動だにせず、ただ黙って指を組み、それを口に当てたままでいる。
いつのまにか自分はもう死んでいて幽霊になっているから、それで涼に声が届かないのではないか。
そんな錯覚を大地は覚えた。
「なあ、涼!」
手が届くほどの近距離なのに、大地は気づかれもしない。
「おい涼! おいったら!」
目の前で手を振っても、涼は微動だにしないままでいる。
いよいよ亡霊になった気分だ。
「くっそ!」
ついに大声を出す。
「おい、っこの、栄養失調!」
他の生徒が一斉に大地を見た。
なんだか気まずい雰囲気で恥ずかしくなる。
どうして反応しないのだ、この男は。
「あ、大地」
やっと顔を上げると涼は、気の毒なほどにか細い声を出した。
これではもはや、こいつのほうが亡霊だ。
死んでいたのは涼のほうだった。
亡者が口を開く。
「お前さ、人類が種を維持するために神が与えたプログラム、何て呼ぶか知ってるか?」
「邪魔したな」
暗く澱んだ目をした友人を残し、大地はさっさと自分の教室へと引き返す。
「涼ー! なんかあんた、面白いんだって? 大地とカズが言ってたよ」
弁当をさっさと平らげると、由衣は3年2組の教室を訪れていた。
柔らかいショートカットの髪が、さらりと揺れる。
「なんかあったの? 元気ないじゃん」
自分の大きな瞳がらんらんと輝いていることを、由衣は自覚していた。
「ああ、由衣か」
伏せられていた涼の顔が、方向を調節するミサイル発射台のようにゆっくりと由衣に向けられる。
遠くを見ているのか近くを見ているのか、判断できないような目線だった。
「由衣、お前さ、一目惚れって、信じる?」
ゆっくりと、由衣は頷く。
なんか知らんけど、この男はもう駄目だ。
由衣は黙って微笑みを浮かべた。
涼の額にそっと手をやる。
もう片方の手は自分のおでこに添えて、互いの体温の差を測る。
「熱がないから、なおさら怖え」
「なあ由衣、目が合っただけで、人が人を――」
「いやああああッ!」
由衣は駆け出し、その場を去った。
帰宅の準備もしていないし、立ち上がる気配さえもないまるでない。
今が放課後だと認識していないのだろうか。
さっきから同じポーズのまま固まっていてオブジェみたいだし、これでは心配にもなる。
小夜子はそれで、涼を誘うことにした。
「ね~、どうしたの~? 今日、涼、変だよ~?」
この語尾を延ばす癖がいけないのか、小夜子は俗にいう「天然」のレッテルを貼られている。
確かに最近までムー大陸を五大大陸の1つに数えていたし、聖徳太子と千手観音の区別もつかなかった。
再生専用ビデオには再生のボタンしかなくて、テープを巻戻せないと思い込んでいた。
それでも口癖は、「天然じゃないもん!」
「だってさ? 天然の人は、早い曲吹けないでしょ~?」
「その持論には根拠がねえよ」
昔そう、涼に指摘されたことがある。
「サヨ? 天然も才能だよ? だからさ、そこは治さないで、むしろ伸ばそうよ」
由衣には何故かアドバイスをされた。
どいつもこいつも腹立たしい。
「だーかーらー! 天然じゃないんだったら!」
毎度のことながら、涙目になって前提から否定をする。
自覚が少しもないのだから仕方ない。
「ねえ涼、なんかあったの~?」
再び尋ねたのは、涼が無反応だったからだ。
彼は先と全く同じ体勢を維持している。
小夜子は「ねえ」を、もう三回繰り返した。
ねえ涼。
ねえってば。
ねえ。
指で隠れている涼の口元が、やっと動く。
「本、貸してくれてありがとう。凄く素敵だったよ」
謎の賛辞だった。
涼に本を貸した覚えなどない。
目線は相変わらずこちらを向かないままだし、夢でも見ているのだろうか。
「ね~、涼~」
本日何回「ねえ」を言えば、話が前に進むのだろう。
「ああアレね!」
涼が急に張り切った声を出した。
「古代ギリシャの星空が浮かんだよ」
浮いているのはお前です。
なんだか腹が立ってきた。
「意味わかんない! どうしたんだっつーの!」
いい加減、質問に答えてほしい。
しかし涼は「いや、そんな! とびきりの場所を探しておくよ」と、自分さえ探せていないくせに言い切って、そして頭を抱えた。
「ねえ涼! 探すって何をだっつーの!」
「え、あ、サヨか」
涼は今まで誰と喋っていたのだろうか。
愕然と力が抜ける。
今までの自分の頑張りはなんだったのだろう。
「サヨかじゃないよう!」
もはや怒りを通り越して涙が出てくる。
「涼もう、ホントどうしちゃったの~?」
「え、いやあ別に。どうした?」
「お前がどうしたんだっつーの!」
鼻をすする。
「あたし、今日部活休みだから、由衣ちゃんとルーズ行くから、涼も誘おうと思ったの~!」
いつもの溜まり場でなら、悩み事を打ち明けやすいのではないか。
小夜子なりに、そのような気を利かせたつもりだった。
「だから、行く~?」
涼がうっとりと笑んむ。
「サヨ、なんで人間は、夢を見るのかな?」
会話になっていない。
「寝るから~?」
よく解らなかったので、無難な解答を出しておいた。
ダン、と大きな音が鳴る。
涼が両手で机を叩き、手の平をそのまま机に押しつけ、わずかに立ち上がった。
「なぞなぞじゃない!」
じゃあ、なに。
涼は自分の頭に両手をやって、ぐしゃぐしゃと髪を掻き乱した。
乱暴にシャンプーをするかのような激しい動作だ。
「古代ギリシャじゃ、人は街灯もない中夜空を見上げて、星で絵を描いて過ごした!」
目撃でもしたのだろうか。
でもまあ、なんだか必死のようだし、星座の話題に乗ってやろうと小夜子は思い、深刻な顔をした。
「大地がこないだ、オリオン座は砂時計座だって言ってた~」
「ああ」
涼がうなだれる。
「詩人でない奴とは、俺は生きられないのか」
重い息。
下手な俳優が死の宣告を受けた患者を演じたら、きっとこんな感じだ。
「涼から詩の話なんて、聞いたことないよ~?」
「誰もが歩んできた道を、俺もまた進むのか」
またしても会話が噛み合わない。
何よりも、今日の涼は気味が悪い。
「ねえ涼、ホントどうしたの~? 春だから~? 私、キモいから帰る~」
涼に背を向け、歩調を速める。
振り返るのが怖かった。
続く。
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/438/
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/435/
2
普段は冷静で思慮深いはずの涼が、明らかにおかしくなってしまったことがきっかけだった。
昨日、そのことに最初に気づいたのは和也だ。
春特有の暖かいそよ風が心地良い朝だった。
薄っすらと青い空には、綿毛のような雲がいくつか浮かんでいる。
登校すべく、バスに乗り込む。
空手道部の早朝練習にはもはや参加できない時刻だったが、それでも授業には間に合うだろう。
和也にとってはだから、これは早起きの範疇だ。
「お」
と、心の中で言う。
昔馴染みの同級生がこのバスに乗車していた。
今日も茶色の髪を無造作に立たせている。
涼だ。
涼は下を向き、何やら力んでいる。
まるで自分の体が存在していることを確認しているかのようだ。
バスが発車したせいで、和也は大きめの体を少し揺らす。
「よ~」
声をかけると、涼は驚いたような顔をし、細い目で和也を睨みつけてきた。
「願ってるそばから、どうして気づくんだよ!?」
「おあ?」
「頼むから今、俺に話しかけるな!」
小声で怒鳴られる。
トイレに急ぐときのような、切羽詰った態度だ。
「あン? どうしたんだよ、オメーよお~」
和也が歩み寄ろうとすると、涼は目立たない仕草でそれを遮った。
「いいから! 頼む、静かにしててくれ!」
やはり声を潜めたままだ。
こりゃ俺には解らねえ何かしらの事情があって、たった今の涼は面白い状況に陥っているンじゃねえだろうか。
和也の中で、そのような確信めいた予感があった。
和也は涼の肩に手を置くのをやめて、その細目を覗き込む。
喧嘩っ早く、考えることが苦手な和也とは逆の性質を、涼は持っている。
いつでも賢く、物静か。
小学生の頃からそうだった。
「もうちょっと普通にしろよ」
「なんでお前はいつもそうなんだ」
「引率の先生みたいな気分にさせやがって」
そのように、何度怒られたことか。
でもたった今は、お前が変な挙動じゃねえか。
和也は笑いをこらえる。
西夢見からは電車に乗り込むことになる。
2人でバスを降りて、和也はそれまで守ってきた沈黙をようやく破った。
「さっきのオメー、なんだったの?」
バスを降りてからの涼には、体から力みが消えていた。
「カズ、お前さ、本は読むか?」
言わんとしていることは相変わらず、さっぱり解らない。
「あ? いや~、絵が描いてあるやつなら読むけどよ~」
活字を読むのは苦手なのだ。
「だからお前は野蛮なんだ」
眩しそうな顔をして、涼は空を見上げた。
「やっぱ詩を読まないと、人間は高貴にはなれねぇンだなあ」
「おう、全く同感だぜ」
頷きながら和也は、この後乗る電車の中でも涼に話しかけるのはやめようと決意する。
ホームルーム直前。
学生たちの喧騒の中に、大地の無邪気で明るい声が混じる。
「おうカズー! お前また朝練サボったから、オニケンめっちゃ怒ってたぞ」
空手のライバルにそれを告げるだけのために、この教室までわざわざ足を運んだ。
「先生かなりご立腹だ」
「そんなことよりオメーよ~」
「そんなあっさりと流すの!?」
まるで動じていない和也のふてぶてしい態度に、大地は目を丸くする。
筋肉質な和也とは対称的に、大地はやや小振りな体格だし子供っぽい顔つきをしているものだから、人からは肉弾戦の能力があるようには到底思われない。
和也の腕っ節の強さが地元でも有名なだけに、大地としては自分が持つ意外性が誇らしかった。
和也と互角に戦える高校生は、大地だけだ。
和也が口の端を吊り上げる。
「いいからちっとオメー、涼に話しかけてみろよ~。面白いからよ~」
聞き捨てならない台詞だった。
「なに? 涼が面白いの?」
持ちつ持たれつといった馴れ合いよりも、刺しつ刺されつ。
そんな刺激を大地は心地良く思う。
今日はどうやら、自分が刺す側に回れるらしい。
涼が面白いとはすなわち、涼の様子がおかしい、つまり何かしらの弱みがあるということだ。
窓際の後方に目をやると涼は席に着いていて、銅像のように静止していた。
いそいそと彼の正面に立つ。
「涼、おはよう」
いつもの涼だったら、大地がいつも腰からぶら下げている鎖の音だけで、悪友の接近に気がつくはずだった。
ところが今日は微動だにせず、ただ黙って指を組み、それを口に当てたままでいる。
いつのまにか自分はもう死んでいて幽霊になっているから、それで涼に声が届かないのではないか。
そんな錯覚を大地は覚えた。
「なあ、涼!」
手が届くほどの近距離なのに、大地は気づかれもしない。
「おい涼! おいったら!」
目の前で手を振っても、涼は微動だにしないままでいる。
いよいよ亡霊になった気分だ。
「くっそ!」
ついに大声を出す。
「おい、っこの、栄養失調!」
他の生徒が一斉に大地を見た。
なんだか気まずい雰囲気で恥ずかしくなる。
どうして反応しないのだ、この男は。
「あ、大地」
やっと顔を上げると涼は、気の毒なほどにか細い声を出した。
これではもはや、こいつのほうが亡霊だ。
死んでいたのは涼のほうだった。
亡者が口を開く。
「お前さ、人類が種を維持するために神が与えたプログラム、何て呼ぶか知ってるか?」
「邪魔したな」
暗く澱んだ目をした友人を残し、大地はさっさと自分の教室へと引き返す。
「涼ー! なんかあんた、面白いんだって? 大地とカズが言ってたよ」
弁当をさっさと平らげると、由衣は3年2組の教室を訪れていた。
柔らかいショートカットの髪が、さらりと揺れる。
「なんかあったの? 元気ないじゃん」
自分の大きな瞳がらんらんと輝いていることを、由衣は自覚していた。
「ああ、由衣か」
伏せられていた涼の顔が、方向を調節するミサイル発射台のようにゆっくりと由衣に向けられる。
遠くを見ているのか近くを見ているのか、判断できないような目線だった。
「由衣、お前さ、一目惚れって、信じる?」
ゆっくりと、由衣は頷く。
なんか知らんけど、この男はもう駄目だ。
由衣は黙って微笑みを浮かべた。
涼の額にそっと手をやる。
もう片方の手は自分のおでこに添えて、互いの体温の差を測る。
「熱がないから、なおさら怖え」
「なあ由衣、目が合っただけで、人が人を――」
「いやああああッ!」
由衣は駆け出し、その場を去った。
帰宅の準備もしていないし、立ち上がる気配さえもないまるでない。
今が放課後だと認識していないのだろうか。
さっきから同じポーズのまま固まっていてオブジェみたいだし、これでは心配にもなる。
小夜子はそれで、涼を誘うことにした。
「ね~、どうしたの~? 今日、涼、変だよ~?」
この語尾を延ばす癖がいけないのか、小夜子は俗にいう「天然」のレッテルを貼られている。
確かに最近までムー大陸を五大大陸の1つに数えていたし、聖徳太子と千手観音の区別もつかなかった。
再生専用ビデオには再生のボタンしかなくて、テープを巻戻せないと思い込んでいた。
それでも口癖は、「天然じゃないもん!」
「だってさ? 天然の人は、早い曲吹けないでしょ~?」
「その持論には根拠がねえよ」
昔そう、涼に指摘されたことがある。
「サヨ? 天然も才能だよ? だからさ、そこは治さないで、むしろ伸ばそうよ」
由衣には何故かアドバイスをされた。
どいつもこいつも腹立たしい。
「だーかーらー! 天然じゃないんだったら!」
毎度のことながら、涙目になって前提から否定をする。
自覚が少しもないのだから仕方ない。
「ねえ涼、なんかあったの~?」
再び尋ねたのは、涼が無反応だったからだ。
彼は先と全く同じ体勢を維持している。
小夜子は「ねえ」を、もう三回繰り返した。
ねえ涼。
ねえってば。
ねえ。
指で隠れている涼の口元が、やっと動く。
「本、貸してくれてありがとう。凄く素敵だったよ」
謎の賛辞だった。
涼に本を貸した覚えなどない。
目線は相変わらずこちらを向かないままだし、夢でも見ているのだろうか。
「ね~、涼~」
本日何回「ねえ」を言えば、話が前に進むのだろう。
「ああアレね!」
涼が急に張り切った声を出した。
「古代ギリシャの星空が浮かんだよ」
浮いているのはお前です。
なんだか腹が立ってきた。
「意味わかんない! どうしたんだっつーの!」
いい加減、質問に答えてほしい。
しかし涼は「いや、そんな! とびきりの場所を探しておくよ」と、自分さえ探せていないくせに言い切って、そして頭を抱えた。
「ねえ涼! 探すって何をだっつーの!」
「え、あ、サヨか」
涼は今まで誰と喋っていたのだろうか。
愕然と力が抜ける。
今までの自分の頑張りはなんだったのだろう。
「サヨかじゃないよう!」
もはや怒りを通り越して涙が出てくる。
「涼もう、ホントどうしちゃったの~?」
「え、いやあ別に。どうした?」
「お前がどうしたんだっつーの!」
鼻をすする。
「あたし、今日部活休みだから、由衣ちゃんとルーズ行くから、涼も誘おうと思ったの~!」
いつもの溜まり場でなら、悩み事を打ち明けやすいのではないか。
小夜子なりに、そのような気を利かせたつもりだった。
「だから、行く~?」
涼がうっとりと笑んむ。
「サヨ、なんで人間は、夢を見るのかな?」
会話になっていない。
「寝るから~?」
よく解らなかったので、無難な解答を出しておいた。
ダン、と大きな音が鳴る。
涼が両手で机を叩き、手の平をそのまま机に押しつけ、わずかに立ち上がった。
「なぞなぞじゃない!」
じゃあ、なに。
涼は自分の頭に両手をやって、ぐしゃぐしゃと髪を掻き乱した。
乱暴にシャンプーをするかのような激しい動作だ。
「古代ギリシャじゃ、人は街灯もない中夜空を見上げて、星で絵を描いて過ごした!」
目撃でもしたのだろうか。
でもまあ、なんだか必死のようだし、星座の話題に乗ってやろうと小夜子は思い、深刻な顔をした。
「大地がこないだ、オリオン座は砂時計座だって言ってた~」
「ああ」
涼がうなだれる。
「詩人でない奴とは、俺は生きられないのか」
重い息。
下手な俳優が死の宣告を受けた患者を演じたら、きっとこんな感じだ。
「涼から詩の話なんて、聞いたことないよ~?」
「誰もが歩んできた道を、俺もまた進むのか」
またしても会話が噛み合わない。
何よりも、今日の涼は気味が悪い。
「ねえ涼、ホントどうしたの~? 春だから~? 私、キモいから帰る~」
涼に背を向け、歩調を速める。
振り返るのが怖かった。
続く。
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/438/
2011
April 28
April 28
1
手品と決定的に違う点は、観客を想定していないところだ。
駅員との問答を終え、由衣は大地と並んでホームに立っていた
。
地下という薄暗いイメージに背くかのように、駅は人込みや広告で溢れている。
食虫植物は進化するとコインロッカーに擬態して、人を捕食するのかも知れない。
そんな不気味な想像をし、由衣は理性でそれをかき消した。
つい先ほど、コインロッカーの中から赤ん坊が消えた。
学校をサボって、ある女性を尾行していたら、赤ちゃんがコインロッカーに入れられる瞬間を目撃してしまった。
厄介なものを見てしまったものだ。
自然と溜め息が出る。
「あたしたち、また巻き込まれた?」
「ああ。今回は失踪事件だな」
大地もどこか呆然としている。
「誘拐事件かも知れないけど」と付け足して、宙を眺めたまま動かない。
大地が駅員を連れて来るまでは、由衣がロッカーを見張っていた。
だからこそ解せない。
駅員がスペアキーを差して開けたそこは、空だった。
「尾行を失敗したことよりも大問題だ」
大地の表情には明らかに困惑が込められている。
由衣は黙って頷いた。
男友達の恋路は既にどうでも良くなっている。
とにかく今は赤ん坊の安否が心配だ。
あの子の両親はこのことを、おそらくまだ知るまい。
電車が来る。
徐行し、やがて止まる。
「実行犯が誰だかは解るけど、今のままじゃ何も解らないのと一緒だ」
開いたドアに、大地が踏み出した。
由衣は、尾行は今日だけでは足りないであろうなどと考えながら、大地に続く。
続く。
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/436/
手品と決定的に違う点は、観客を想定していないところだ。
駅員との問答を終え、由衣は大地と並んでホームに立っていた
。
地下という薄暗いイメージに背くかのように、駅は人込みや広告で溢れている。
食虫植物は進化するとコインロッカーに擬態して、人を捕食するのかも知れない。
そんな不気味な想像をし、由衣は理性でそれをかき消した。
つい先ほど、コインロッカーの中から赤ん坊が消えた。
学校をサボって、ある女性を尾行していたら、赤ちゃんがコインロッカーに入れられる瞬間を目撃してしまった。
厄介なものを見てしまったものだ。
自然と溜め息が出る。
「あたしたち、また巻き込まれた?」
「ああ。今回は失踪事件だな」
大地もどこか呆然としている。
「誘拐事件かも知れないけど」と付け足して、宙を眺めたまま動かない。
大地が駅員を連れて来るまでは、由衣がロッカーを見張っていた。
だからこそ解せない。
駅員がスペアキーを差して開けたそこは、空だった。
「尾行を失敗したことよりも大問題だ」
大地の表情には明らかに困惑が込められている。
由衣は黙って頷いた。
男友達の恋路は既にどうでも良くなっている。
とにかく今は赤ん坊の安否が心配だ。
あの子の両親はこのことを、おそらくまだ知るまい。
電車が来る。
徐行し、やがて止まる。
「実行犯が誰だかは解るけど、今のままじゃ何も解らないのと一緒だ」
開いたドアに、大地が踏み出した。
由衣は、尾行は今日だけでは足りないであろうなどと考えながら、大地に続く。
続く。
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2011
April 28
April 28
<あらすじ>
コインロッカーを開けると、そこは空だった。
高校3年生になったばかりの涼が想いを寄せたのは、通学途中のバスで毎朝乗り合わせている、少し年上の女の子。
涼の片想いの行方を見守るべく、友人たちは勝手に調査を開始する。
大地と由衣がバスの女性を尾行し、素行を調べようと試みた。
バスの女性は産婦人科に入ったかと思いきや、すぐさま赤ん坊を抱えて出てくる。
その足で駅へと向かった。
あろうことか、女性は赤ん坊を駅のコインロッカーに預けると、鍵をかけてその場を立ち去ってしまう。
「こりゃ尾行どころじゃないぞ!」
由衣がコインロッカーを見張り、大地が駅員を呼ぶ。
事情を話し、マスターキーでロッカーを開けてもらうと、そこには何も入ってはいなかった。
赤ん坊失踪事件の解決に取り組む、高校生5人組の物語。
そこは空 1
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/436/
そこは空 2
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/437/
そこは空 3
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/438/
そこは空 4
(執筆中)
※このページは目次に該当します。
「そこは空」の続きを書き上げ次第、URLを追加してゆきます。
※長編小説「そこは空」はミステリー小説のコンテストに応募するために執筆します。
受賞をした場合は削除しますので、予めご了承ください。
コインロッカーを開けると、そこは空だった。
高校3年生になったばかりの涼が想いを寄せたのは、通学途中のバスで毎朝乗り合わせている、少し年上の女の子。
涼の片想いの行方を見守るべく、友人たちは勝手に調査を開始する。
大地と由衣がバスの女性を尾行し、素行を調べようと試みた。
バスの女性は産婦人科に入ったかと思いきや、すぐさま赤ん坊を抱えて出てくる。
その足で駅へと向かった。
あろうことか、女性は赤ん坊を駅のコインロッカーに預けると、鍵をかけてその場を立ち去ってしまう。
「こりゃ尾行どころじゃないぞ!」
由衣がコインロッカーを見張り、大地が駅員を呼ぶ。
事情を話し、マスターキーでロッカーを開けてもらうと、そこには何も入ってはいなかった。
赤ん坊失踪事件の解決に取り組む、高校生5人組の物語。
そこは空 1
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そこは空 2
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そこは空 3
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そこは空 4
(執筆中)
※このページは目次に該当します。
「そこは空」の続きを書き上げ次第、URLを追加してゆきます。
※長編小説「そこは空」はミステリー小説のコンテストに応募するために執筆します。
受賞をした場合は削除しますので、予めご了承ください。
2011
April 24
April 24
M子がうちのカーテンレールを壊した。
なんでそんな酷いことを。
だいたい「俺は帰る」って何度も、それこそ10回ぐらい主張したのだ。
それなのに帰宅時刻はというと、なんと朝の10時半。
夜から飲んでいたのに帰りは10時半。
考え方によっては、この時刻は昼とも表現できる。
俺もM子もTちゃんもその時間まで飲み続けていたわけだから、3人ともべろんべろんである。
2人の女の子は当然のように、うちに転がり込んできていた。
そもそもこのM子というは俺の元同僚で、職場のスナック「スマイル」で共に働いていたことがある。
なかなかの腐れ縁だ。
そんなM子が、Tちゃんという女の子と一緒にスマイルに飲みに来た。
俺は初対面だったのだが、このTちゃんという大人しげな子も、以前はこのスマイルでフロアレディをやっていたとのこと。
M子と違って物静かな女性である。
スマイルではこの日、俺の弟や妹まで飲みにきていて、それはそれで賑やかだった。
午前4時に終わるはずのスマイルが、気づけばもう5時だ。
俺はお客さんたちや従業員たちを見送ると、そのまま店の後片付けを始めた。
酔ってふらふらになりながらも、お尻のポケットから細かな振動を感じ取る。
携帯電話が鳴っていることに気がついた。
「はいよ、もしもし?」
「めさちゃーん!」
妹からだった。
「めさちゃん! 今どこ!?」
「スマイルで後片付けしてるよ?」
「それ終わったら飲みにおいでよ! みんな次の店にいるから!」
「眠いからやだ」
俺は電話を切った。
すると、また振動。
今度はM子だ。
「あんたなにやってんの。早く来なさいよ」
「やだよ。眠いもん」
「せっかく誘ってやってんのに?」
「どこから目線なんだお前は。なんの立場での物言いだ、それは」
「いいから早く! いつもの店にいるから!」
「嫌だってば! 俺はもう帰るの!」
「もー! いいから来いってば! しつこい!」
「お前がな!」
「うるさい! 早く来な!」
スッポンは、一度獲物に噛み付くと、雷が鳴るまで決して離さないという。
スマイルを出て見上げると、夜空は晴れ渡っていた。
俺は「マジで帰る」と何度も口にしつつ、楽しい仲間がぽぽぽぽ~んな2件目に歩を進める。
で、およそ昼。
そんな時間までやっている店も店だが、変らぬペースで飲み続けられた俺たちも無駄に凄い。
弟と妹は既に限界を向かえ、早朝に帰っていってたし、他のお客さん方もそうだ。
我ながら思うけれど、よくぞまあ、そんな何ガロンも飲めたものである。
歩道で振り返ってみると、M子とTちゃんは帰るためのエネルギーと気力が見事に足りないことが解った。
夢遊病患者のような足取りだが、当たり前のように俺ン家に向かっている。
完全にうちで寝る気だ。
めさ邸に到着すると、短パンとTシャツを2人に与える。
着替え終わった頃に部屋に入ると、そこでM子が悲劇を起こした。
信じられない。
M子は立ち上がろうとする際、カーテンを掴んで、全体重を預けた。
こいつ、自分ン家では絶対そんなことしないクセに、カーテンにぶら下がる格好で立ち上がろうとしやがった!
ばり!
「うそー!」
不吉な破壊音と共に、カーテンとM子が畳みに落ちる。
アルミ製のカーテンレールも道連れになっていた。
ささやかなこのアパートに引っ越してきた当時を思い出す。
この部屋の窓にはそもそも、カーテンレールが付いていなかった。
そこをどうにか工夫して、色々と頑張って、やっと装着させたカーテンレールが、取れた。
そういえば昔、このカーテンレールを壊した奴が他にもいたっけ。
思わず遠い目になる。
引っ越し祝いにと飲みに来た妹は、何かにつまずき、カーテンを掴んだまま派手にコケた。
カーテンレールはそのときも、根元から取れていた。
カーテンレールが取れたといってもそれは片側だけで、反対側だけはどうにか壁に付いたまま、ぷらんぷらんと揺れている。
カーテンを掴んだままで、妹が叫んだ。
「あたし直すから!」
人ン家のカーテンを両手で鷲づかみにし、豪快に振り回す妹。
俺も叫んだ。
「それ以上壊さないでくれ!」
後日、泣きそうになりながらカーテンレールを直し、散らかった部屋を片付けた。
一通りの再現シーンを脳内で終え、意識が現実に戻ってくる。
デジャヴかこれは。
M子はカーテンを両手で掴み、ぐりぐりと回転させながら、わずかに付いたままでいるカーテンレールをもぎ取ろうとしていた。
「あたし直すから!」
「それ以上壊さないでくれ!」
どうしてなんでこういうタイプの奴は、こういうことをするのだろうか。
M子と俺の妹は血でも繋がっているのだろうか。
親兄弟の顔が見たい。
その後になっても、M子の大暴走は留まることを知らない。
アウトドアグッズの1つである焼き網をM子に見せると、取っ手の部分を豪快にひん曲げ、「意味わかんない!」と意味の解らないことを言った。
頑張って取っ手を真っ直ぐに直しながら、俺は涙目になってM子を睨む。
「もう寝ろォ!」
数時間ほど眠り、やがて起きる。
M子もTちゃんも、これは俺もそうだが激しい二日酔いのため、すこぶる気分が悪い。
俺はよろよろと台所まで歩くと、味噌汁を3人分作った。
「まな板から包丁の音がする~。あいつは新妻か!」
その一声が、味噌汁を与える気を失くさせる。
それにしても具合が悪い。
もうお酒なんて見るのも嫌な心地だ。
俺はだらだらとベットに潜り込み、再び眠ることにした。
Tちゃんの声が遠くから聞こえる。
「なんかジュース飲みたい。近くに売ってない?」
するとM子は「この家を出て右に真っ直ぐ進むと自動販売機があるよ」と嘘をついた。
誰の家と間違えているのだろうか。
俺ン家を出て右に真っ直ぐ進むと、電柱があるだけだ。
M子がごろりと横になる。
「ねえねえ、めさ~」
「ん~?」
続くM子の言葉は、これを書いている今でも信じられない内容だった。
「あんたン家ってさ、なんでカーテンないの? 眩しいんだけど」
「完全にお前の功績だよ!」
「あたしなんかした~? すぐあたしのせいにする」
「お前みたいな酷い奴を見るのは初めてだ!」
かくして、俺の2度寝は泣き寝入りといった形になった。
夕方に起きると、M子とTちゃんは帰ったらしい。
置手紙と後片付けの痕跡が少しもないところが彼女らしい。
「ったく」
軽く呪いながらベットから起き出す。
焼き網を仕舞おうとアウトドアグッズを拾い上げた。
「あいつ…ッ!」
寝る前に一生懸命に直した取っ手の部分は、再び大きく折り曲げられている。
「M子ォーッ!」
俺の悲痛な叫び声がアパート全体にこだました。
なんでそんな酷いことを。
だいたい「俺は帰る」って何度も、それこそ10回ぐらい主張したのだ。
それなのに帰宅時刻はというと、なんと朝の10時半。
夜から飲んでいたのに帰りは10時半。
考え方によっては、この時刻は昼とも表現できる。
俺もM子もTちゃんもその時間まで飲み続けていたわけだから、3人ともべろんべろんである。
2人の女の子は当然のように、うちに転がり込んできていた。
そもそもこのM子というは俺の元同僚で、職場のスナック「スマイル」で共に働いていたことがある。
なかなかの腐れ縁だ。
そんなM子が、Tちゃんという女の子と一緒にスマイルに飲みに来た。
俺は初対面だったのだが、このTちゃんという大人しげな子も、以前はこのスマイルでフロアレディをやっていたとのこと。
M子と違って物静かな女性である。
スマイルではこの日、俺の弟や妹まで飲みにきていて、それはそれで賑やかだった。
午前4時に終わるはずのスマイルが、気づけばもう5時だ。
俺はお客さんたちや従業員たちを見送ると、そのまま店の後片付けを始めた。
酔ってふらふらになりながらも、お尻のポケットから細かな振動を感じ取る。
携帯電話が鳴っていることに気がついた。
「はいよ、もしもし?」
「めさちゃーん!」
妹からだった。
「めさちゃん! 今どこ!?」
「スマイルで後片付けしてるよ?」
「それ終わったら飲みにおいでよ! みんな次の店にいるから!」
「眠いからやだ」
俺は電話を切った。
すると、また振動。
今度はM子だ。
「あんたなにやってんの。早く来なさいよ」
「やだよ。眠いもん」
「せっかく誘ってやってんのに?」
「どこから目線なんだお前は。なんの立場での物言いだ、それは」
「いいから早く! いつもの店にいるから!」
「嫌だってば! 俺はもう帰るの!」
「もー! いいから来いってば! しつこい!」
「お前がな!」
「うるさい! 早く来な!」
スッポンは、一度獲物に噛み付くと、雷が鳴るまで決して離さないという。
スマイルを出て見上げると、夜空は晴れ渡っていた。
俺は「マジで帰る」と何度も口にしつつ、楽しい仲間がぽぽぽぽ~んな2件目に歩を進める。
で、およそ昼。
そんな時間までやっている店も店だが、変らぬペースで飲み続けられた俺たちも無駄に凄い。
弟と妹は既に限界を向かえ、早朝に帰っていってたし、他のお客さん方もそうだ。
我ながら思うけれど、よくぞまあ、そんな何ガロンも飲めたものである。
歩道で振り返ってみると、M子とTちゃんは帰るためのエネルギーと気力が見事に足りないことが解った。
夢遊病患者のような足取りだが、当たり前のように俺ン家に向かっている。
完全にうちで寝る気だ。
めさ邸に到着すると、短パンとTシャツを2人に与える。
着替え終わった頃に部屋に入ると、そこでM子が悲劇を起こした。
信じられない。
M子は立ち上がろうとする際、カーテンを掴んで、全体重を預けた。
こいつ、自分ン家では絶対そんなことしないクセに、カーテンにぶら下がる格好で立ち上がろうとしやがった!
ばり!
「うそー!」
不吉な破壊音と共に、カーテンとM子が畳みに落ちる。
アルミ製のカーテンレールも道連れになっていた。
ささやかなこのアパートに引っ越してきた当時を思い出す。
この部屋の窓にはそもそも、カーテンレールが付いていなかった。
そこをどうにか工夫して、色々と頑張って、やっと装着させたカーテンレールが、取れた。
そういえば昔、このカーテンレールを壊した奴が他にもいたっけ。
思わず遠い目になる。
引っ越し祝いにと飲みに来た妹は、何かにつまずき、カーテンを掴んだまま派手にコケた。
カーテンレールはそのときも、根元から取れていた。
カーテンレールが取れたといってもそれは片側だけで、反対側だけはどうにか壁に付いたまま、ぷらんぷらんと揺れている。
カーテンを掴んだままで、妹が叫んだ。
「あたし直すから!」
人ン家のカーテンを両手で鷲づかみにし、豪快に振り回す妹。
俺も叫んだ。
「それ以上壊さないでくれ!」
後日、泣きそうになりながらカーテンレールを直し、散らかった部屋を片付けた。
一通りの再現シーンを脳内で終え、意識が現実に戻ってくる。
デジャヴかこれは。
M子はカーテンを両手で掴み、ぐりぐりと回転させながら、わずかに付いたままでいるカーテンレールをもぎ取ろうとしていた。
「あたし直すから!」
「それ以上壊さないでくれ!」
どうしてなんでこういうタイプの奴は、こういうことをするのだろうか。
M子と俺の妹は血でも繋がっているのだろうか。
親兄弟の顔が見たい。
その後になっても、M子の大暴走は留まることを知らない。
アウトドアグッズの1つである焼き網をM子に見せると、取っ手の部分を豪快にひん曲げ、「意味わかんない!」と意味の解らないことを言った。
頑張って取っ手を真っ直ぐに直しながら、俺は涙目になってM子を睨む。
「もう寝ろォ!」
数時間ほど眠り、やがて起きる。
M子もTちゃんも、これは俺もそうだが激しい二日酔いのため、すこぶる気分が悪い。
俺はよろよろと台所まで歩くと、味噌汁を3人分作った。
「まな板から包丁の音がする~。あいつは新妻か!」
その一声が、味噌汁を与える気を失くさせる。
それにしても具合が悪い。
もうお酒なんて見るのも嫌な心地だ。
俺はだらだらとベットに潜り込み、再び眠ることにした。
Tちゃんの声が遠くから聞こえる。
「なんかジュース飲みたい。近くに売ってない?」
するとM子は「この家を出て右に真っ直ぐ進むと自動販売機があるよ」と嘘をついた。
誰の家と間違えているのだろうか。
俺ン家を出て右に真っ直ぐ進むと、電柱があるだけだ。
M子がごろりと横になる。
「ねえねえ、めさ~」
「ん~?」
続くM子の言葉は、これを書いている今でも信じられない内容だった。
「あんたン家ってさ、なんでカーテンないの? 眩しいんだけど」
「完全にお前の功績だよ!」
「あたしなんかした~? すぐあたしのせいにする」
「お前みたいな酷い奴を見るのは初めてだ!」
かくして、俺の2度寝は泣き寝入りといった形になった。
夕方に起きると、M子とTちゃんは帰ったらしい。
置手紙と後片付けの痕跡が少しもないところが彼女らしい。
「ったく」
軽く呪いながらベットから起き出す。
焼き網を仕舞おうとアウトドアグッズを拾い上げた。
「あいつ…ッ!」
寝る前に一生懸命に直した取っ手の部分は、再び大きく折り曲げられている。
「M子ォーッ!」
俺の悲痛な叫び声がアパート全体にこだました。