夢見町の史
Let’s どんまい!
May 14
いつ見ても、彼は年下に見えない。
しっかりとした大人のオーラ。
ガッシリした体格はマタギを彷彿させる。
腕のタトゥに怖い顔。
まっこいさんがうちに来た。
もの凄く恐ろしい形相で、家まで来てくれた。
相変わらず彼は、バタフライナイフを舐めながらスラム街でドラム缶を囲み、焚き火とかしていそうな面構えである。
おかげで俺は、いっつも彼を「さん」付けで呼ぶ。
「まっこいさん、ありがと。さっそく頼むよ」
彼の目的はありがたいことに、うちのパソコンを世界と繋げることだ。
ボディガードみたいなガタイに似合わず、パソコンのことに詳しいのだ、まっこいさんは。
まさに救世主。
仮に、自分の知識だけでこのパソコンの問題を解消するとしよう。
すると不思議なことに、俺にはパソコン本体を水洗いすることしか思い浮かばない。
「めさ君、1ついい? こないだの日記読んだけどさ、もう2度とパソコンを水洗いするな」
いきなりダメ出しされた。
「2度とするな」
2回も叱られた。
「新しい利恵って、これ?」
まっこいさんまでうちのパソコンのことを利恵って呼んだ。
「デバイスのインストールはした?」
意味わかんない質問をされた。
「スペックはどんな感じ?」
明日メールでお知らせすると言っておいた。
「これ、根本的に駄目かも知れないね。俺じゃ駄目だ」
男らしく諦められた。
「なに? めさ君、パソコンもう1台あるの? だったら、それを繋げようか」
まっこいさんが神様に見えた。
「もう1台のパソコンは仮の利恵ってことになるのか。じゃあ略してカリエだな」
他の店ではそういうギャグは言わないほうが良いとアドバイスしておいた。
「めさ君、このカリエ、自分で設定しても繋がらなかったって言ってたじゃん? めさ君が設定の仕方を間違えてただけだよ」
もう死のうかと思った。
「ほうら、繋がった」
麦茶のお替りを注ぎ足してあげた。
「新しい利恵は今度持ち帰って、知り合いに直してもらうよ。しばらくはカリエだね」
俺が女の人だったら、もう抱かれていると思った。
そんなわけで、日記復活です。
まっこいさん、いい仕事、ホントありがとう!
May 14
「めさー! 遅い! 早くカウンターに入って働けー!」
入店早々フロアレディの皆に言われ、俺は「ごめんごめん」と謝りながら店の奥に進む。
カウンター内部からの風景が、なんだか懐かしい。
でも俺、スナックSを辞めてもう3年ぐらい経つのに、なんで働かされるのだろうか。
今日はお客さんとして来たのに。
正気に戻ってカウンター席に腰を下ろす。
隣には、近所でも有名なK氏の姿があった。
彼は本当に凄い。
歳はそこそこ中年で、印象としては「ちっちゃいおっさん」という感じなのだが、あんまり可愛くない。
彼は新人のフロアレディを見るとまず「お前は頭が悪いデスよね~」とか「お前は嫌いだ」などと口走り、傷つけるところから始める。
そのクセすぐ「デートしてくだサ~い」って言うし、お誘いの瞬間だけ何故か女の子の目じゃなく、俺の顔を見るし。
おかげで過去、うっかり電話番号を交換してしまったことがある。
背もたれが高くない椅子なのに後ろに体重をかけて寝入るから、体がマトリックスみたいに沿るし。
そんな不自然で居心地の悪そうな体勢でも絶対に起きないし。
そりゃ近所で有名にもなるわけだ。
しかし久々に見るこのK氏、どうやらしばらく見ない間に成長していたらしい。
「迷惑かけてないからいいデスよね~」
口癖のバリエーションが増えていた。
変化がない点は、何を言っているのか解からないことと、他人に対して無神経なところだろうか。
「モンブランちゃん? あの女は頭が悪いデスよね~」
モンブランというのは、この店を週に1回手伝っているフロアレディのことで、何気に俺の妹だ。
実の兄貴のすぐ横で、妹をただのバカ扱い。
すげえ。
そのことが可笑しくてたまらず、俺はげらげらと笑っていた。
ところが、他のお客さんたちが気まずそうだ。
「うわあ、あの人、お兄さんの真横で妹さんのことを頭悪いって言った~」
「めささん笑ってるけど、実は気を悪くしたんじゃないか?」
そう顔に書いてある。
気を遣わせては、皆様の楽しい酒が台無しだ。
俺は店内に聞こえるように突っ込みを入れる。
「Kちゃん、兄貴のそばでそういうこと言わないの! もっと陰で言いな!」
「だってモンブランちゃん、頭が悪い…」
「のぉーい! 言ってるそばからまた言ったー! 確かに妹は『頭が悪い』けど、オメーは『頭がおかしい』よ!」
そのやり取りを喜んだのは、うら若きフロアレディだ。
腹をかかえて笑っているところを見ると、彼女も以前、K氏に何事かを言われ、ショックを受けた経験があるのだろう。
目でお礼を言ってきた。
彼女のその笑顔に、K氏が嬉しそうな表情を浮かべる。
彼のお目当ては、どうやら今目の前にいる彼女のようだ。
「じゃあ、デートしてくだサ~い」
じゃあってなんだ。
なんでそれを俺に言うんだKちゃん。
「めささんの言う通りですよ、Kさん。デートのお誘いする時は、ちゃんと相手の目を見ないと」
「そしたらデートしてくれるんでスか~」
それとこれとは別問題だよ、Kちゃん。
「なんで誰もデートしてクレないのでしょうカ~。ボク、こんなにいい男じゃないでスか~。ボクはいい男」
そんなことないよ。
「じゃあ、デートしてくだサ~い」
だから何故そこで俺を見る?
いい?
Kちゃん。
デートに誘いたいなら姿勢を正して、まっすぐ女の子の目を見て、真摯な態度で言わなきゃ駄目だよ。
しっかり相手に伝えなくっちゃ。
そうすれば向こうだってちゃんと、「ごめんなさい」って言うんだから。
「あはは! めささん、ちょっと聞いてくださいよ」
大笑いしながら、従業員の彼女が言う。
「あたし、Kさんに初対面で『お前は男だ』って言われたんですよ。それなのにデートしてくれって言われても、行きたくないですよねえ」
またそういうこと言ったの!?
駄目でしょKちゃん、ごめんなさいは!?
「迷惑かけてないからいいデスよね~」
ううん、すっごく迷惑かけてるよ。
「あたし、本当にショックだったんですよ」
Kちゃんは新人みんなにそういう扱いをしちゃうんだよ。
気にしない気にしない。
「でも、迷惑かけてないからいいデスよね~」
いいえ、迷惑かけてます。
そこまで見事な迷惑も珍しいよ。
だいたいね、この子なんかKちゃんのせいで毎晩泣いてたんだぜ?
土砂降りの中、傘も差さずに。
俺と抱き合って、2人で号泣したんだから。
「ね~、めささん。抱き合いましたよね~」
ね~。
「じゃあボクも~」
だから「じゃあ」ってなんだ!
あと、今の「抱き合った」の下りは凄く解かりやすい冗談なのだから、突っ込みお願い申し上げたい。
元職場は、相変わらず平和でした。
May 09
寝ようと思っていた矢先、妹からだ。
「もしもし!? めさちゃん!? もうすぐあたし、誕生日なんだけど!?」
いきなりキレられる。
どうやら酔っ払っているらしい。
ご立腹だ。
彼女は何度も「5月は誕生日ィー!」と繰り返している。
キレるポイントが解らない。
「忘れてねえだろうなー!」
忘れられるわけがないだろう。
4月のカレンダーを破り去った時は驚いたものだ。
うちのカレンダーは、トイレのドア内側に貼ってある。
そこには酔った妹による汚い字で、誕生日のところにでっかく名前が書いてあった。
なんでトイレに筆記用具を持ち込むんだ、妹は。
おかげで妹の誕生日のことは、忘れたくても忘れられない。
「そうだ! 言おう言おうと思ってたんだ!」
妹の気迫に負けぬよう、声を張り上げる。
「なんで勝手にカレンダーに名前書くわけ!? もし俺に好きな人ができて、その子と仲良くなって、お家まで来てくれるようになったとしたら、どうすんだ!」
思わず想像する。
「めさ、お手洗い借りるね」
「どうぞ。そっちだよ」
そこにあるカレンダーには、どっかの女の名前が書いてあるということになる。
「ち、違うんだ! それ、妹なんだよ!」
「ふうん」
なんで本当のことなのに、凄く嘘っぽいのだろう。
その点を叱ると、妹は大笑いだ。
「ってゆうか、めさちゃん! もし彼女ができたとすんべ? そしたらさ、彼女とあたし、どっちが大事?」
ウザい女ランキング上位に入るような質問だな。
当たり前のこと訊くなよ。
そんなの彼女に決まってるだろう。
「きゃっはーい! きょほほーう!」
密林に生息するカラフルな鳥みたいな奇声を出すな妹よ。
「もう1回訊くね!? もし彼女ができたら、あたしとどっちが大事!?」
だーかーらー!
なんでまた訊くの?
彼女のほうが大事だ。
ぷくくー!
架空の彼女に負けてやんの。
実在しない人に!
「ふははははー!?」
なんで笑い声が疑問系なのだ。
「もう1回訊くね!?」
もういいってば!
お前、兄弟愛に満ち溢れすぎ!
明日メールする!
「じゃあ、彼女とあたしと、あとスヴェンちゃんも足すから!」
なんで次男を追加するんだよ!
「誰が大事ー!?」
分かった分かった!
お前お前お前お前お前!
5回も言ったよ?
満足?
「いやホントに! 誰!?」
だからお前だってば!
誰よりもお前のことが大事だから、もう寝かせて!
心の底からお前がウザいのです。
「じゃあ、最後に1つだけいい? 土曜にスヴェンちゃん家に集まったじゃん? それでさ、めさちゃんは来られなかったけど、会社の話になってね? 職場ではめさちゃんとスヴェンちゃん、凄くよく頑張っ…」
なげーよ!
オメーは田舎のおばあちゃんですか!?
これで誕生日プレゼントを買わなかったら、もっとしつこく色々言われるに違いない。
今月ピンチなのに。
April 25
先方が気を遣ってくれた。
「めささん、自転車に乗りながら話してて、大丈夫なんですか?」
なあに、大丈夫。
心の目があるからね。
などと、達人めいた根拠を述べる。
「それにさ、イヤホンマイクってあるでしょ。知ってる? 手離しで通話できるやつ」
「あ、知ってますー」
「そう、そのイヤホンマイク。それがね? なかなか便利なんだよ」
「便利ですよねえ」
「今は持ってないけどね」
「めささん?」
電話の相手からは、「右から突っ込んでやろうか、左から突っ込んでやろうか」といった気配が感じ取れた。
もの凄い科学力によって発明された文明の利器、イヤホンマイク。
以前なら、ちゃんとそれを愛用していた。
自転車での移動時間を利用して、連絡を取ることが多いからだ。
電話しながらのチャリンコ走行は、乗っている者の危機意識などの高さにかかわらず、周囲からは「危なっかしい」と思われてしまう。
通行人の皆様を心配な気持ちにさせるのが申し訳なくて、俺はイヤホンマイクを装着していた。
日常会話への集中力が高まる。
「人間はどこから来て、どこに向かっていくのだろう」
両手でしっかりとハンドルを握れるので、いい感じだ。
ちなみに会話の内容はフィクションです。
「猿が人間に進化したのなら、なんで猿は猿のままなんだ」
会話に熱中する。
知らない人を追い越す。
視界の狭間に見えたのは、「なんだこの人」と言いたげな通行人の表情だった。
そうか、しまった!
イヤホンマイクのデメリットは、事情を知らない人に目撃されると、テンション高い独り言だと誤解されちゃうことだ。
だって手に電話を持ってないんだもの。
創意工夫をもって、この難点は解消しなければならない。
再び通行人の姿を確認。
俺の声が届く距離だ。
「それにしても、イヤホンマイクって、ホント便利だよねえ。おかげで、チャリの運転が楽でさあ」
この「あえて現状を口にする作戦」は一石二鳥だった。
知らない人には「なんだ独り言じゃないのか」と思わせることが可能だし、通話先の友人にも「それならチャリでも平気か」と、安心させられる。
もしかして、俺は天才なんじゃなかろうか。
再び通行人。
「イヤホンマイクのおかげで、すっごく快適な自転車ライフだよ」
またまた通行人。
「手放しで喋れるからいいよね、イヤホンマイク」
ドラクエの敵よりも出現頻度の高い通行人。
「最高、イヤホンマイク」
お前らどこから湧いてくるわけ?
またしても通行人。
「これ、イヤホンマイクだから」
どうやらここは、世界で最も人口密度の高い地域のようだ。
「もうイヤホンマイク」
ここまでたくさんイヤホンマイクって言ったのは初めてだった。
友人も気の毒に、俺から幾度となく「イヤホンマイクだから」といった同じ説明を繰り返されて、最終的には返事をしてくれなくなっていた。
どうやら作戦失敗のようだ。
通行人からは確かに変な人だって思われない。
けれど、電話を受けている友人からは「めさは頼んでもいないのに、同じ説明を何度もしてくれるウザい子だ」って確信されちゃう。
再度、通行人が現れる。
俺は右手を耳に当てるだけで、そのまま談笑を続けた。
「魚っていう種族にお説教がしたいよ。だって奴ら、何千年も釣られ続けてるんだぜ? 少しも成長が見られない」
案の定、通行人は違和感を感じなかったようだ。
耳に手を当てることで、俺が電話をしていると悟ったのだろう。
思惑通りだ。
これぞ新たな作戦、「電話してるフリ」である。
いや実際にちゃんと電話しているのだから「電話してるフリ」ってのはおかしいけども。
だから正確には、なんて言うの?
独り言じゃないアピール?
でもまあとにかく、これで俺は自転車に乗りつつ、誰かに違和感を与えることなく、通話を楽しむことができるようになったわけだ。
歩く者が多ければ、右手は常に耳の位置。
たったそれだけの動作で、誰からもおかしな子だと思われない。
ひょっとして、俺は歴史に名を残す人物になるのかも知れない。
電話してるフリには、すぐに馴染むことができた。
気づけば、俺の右手は耳元だ。
ある日のこと、やはり片手運転をしていて、ふと俺は「信じられない」といわんばかりの顔になる。
いつでも片手運転って、イヤホンマイクしてる意味、ないんじゃ?
そこまで高度な思想に想いが至るだなんて、やっぱり俺は天才かも知れない。
いつかお札になるに違いない。
ジーンズのポケットから携帯電話を取り出すと、俺はそっとイヤホンマイクを抜き、泣いた。
そんな回想を、電話で話す。
「というわけで、俺はイヤホンマイクを封印したわけですよ。天才じゃね?」
先方は、「はあ」としか言わなかった。
これからは、チャリに乗りながら電話するの、自粛しよう。
決意を固めた春の夜。
April 20
何を頼んでも確実にエラーを出し、単純な作業でさえも拒む。
「お前は壊れたパソコンか!」
間違えて、思わずそのまんまの突っ込みを入れてしまった。
終いには本体の電源を入れても、モニターが点かなくなる始末。
動かざること山の如しだ。
こうなるともう、ハイテク機器がただの鈍器にしか見えない。
しかし、泣き寝入るのはまだ早い。
かなりの高確率で電化製品を復活させる術を、俺は知っているからだ。
本体からケーブル類を全て引き抜き、俺はパソコンを抱え、台所へと向かう。
流しの中にそっと横たえると、俺は蛇口を全開にし、パソコンの水洗いを開始した。
何やってんの?
そう思われるかも知れない。
しかしこれは友人から教わった根拠ある裏技で、これやったらアンタ、完全に直すことだって夢じゃない。
電化製品の故障の原因、約8割以上は、内部で積もったホコリのせいだ。
それらを水で洗い流し、充分に陰干ししてやると、当然中身は綺麗な状態まで戻る。
つまり、ホコリが消え去って新品同様になっているといった寸法だ。
友人は実際に、プレステ2をこの方法で復活させた。
なんてお手軽で、それでいて確率の高い修理方であろうか。
「ふんふふふ~ん、っと」
めっちゃご機嫌で鼻歌など唄い、俺はパソコンから水を切る。
ゴトリと棚の上に置いた。
あとは完全に乾燥するのを待つだけだ。
こうして、今まさに、俺はウェブ上で日記を書いている。
陰干ししたパソコンは見事に、そして完璧に、思わず見とれてしまうほどに、電源すら入らなくなっていた。
まさかもっと酷くなるなんて…。
これじゃあ、また会社のパソコンから日記を書くしかないじゃないか。
今みたいにな!
ちなみに、前もって用意してあった新しいパソコンはというと、何故か一向に世界と繋がろうとしない。
水洗い、してみようかな…。