夢見町の史
Let’s どんまい!
March 09
ぼくは、頭がよくなりたいと思った。
ぼくはバカだし、言葉もまちがえるし、昨日と一昨日が一緒の日だと思うし、同じことを2回も言うし、頭がわるいし、バカだ。
でも、頭がよかったら、カッコイイと思う。
ぼくはバカだから、頭のいい人がカッコイイと思う。
ぼくは、頭がよくなろうと思った。
たくさん本を読んで、べんきょうして、天才になりたい。
毎日毎日色んな本を読んで、勉強して、パズルを解いて、クイズにも挑戦していく。
昨日の僕よりも、今日の僕のほうが頭が良くなっている。
そう思えるようになった。
様々な知識は刺激的で、僕の中で応用という形で増幅される。
わずかな情報から全体像を把握することにも慣れ、そうした仮説を論文として公表すると、世間は賑わった。
各種多用な仕事の要請があり、私は世界各国を飛び回り、時には表彰され、時には演説を依頼され、時には本を出版する。
脳の活性化は雪だるま式に加速をし、私の世界を飛び出して、第3者の世界を揺り動かす。
武技に極地がないように、知恵にも果てがなく、私は今後、どのように成長していくのかを知りたくなる。
自身のDNAを調べ、配列を書き出していると、命を設計するかのような錯覚に陥る。
愛も恐怖も、ありとあらゆる感情は、種族が繁栄するためのプログラムだ。
向上心でさえ。
虚無感が私を支配した。
知能の正体とは滅びで、生活を向上させるための工夫は、極めていくほど排他的になり、自分達の住む惑星でさえ破壊してゆく。
水質を悪化させる能力を持った魚達。
陳腐な連想をせざるを得ない矛盾した性能は、認めてしまえば今の私も所持している。
個人が生き続けることの意味も見出せず、気がつけば私は死ではなく、消滅する方法を模索する。
思考することを止めてしまいたい。
自然界は、何故に知恵という能力を生物に許してしまったのだろう。
この自虐的な特徴は、捨て去らねばならない。
仕事は全て断り、思考を刺激し得る物を遠ざけるようにする。
行動を止めれば、体力がそうであるように、私の脳は劣化してゆく。
何もしてはならない。
不意な行動からも、学べるものがあるからだ。
何も考えてはならない。
突き詰めてしまえば、全ての意味を失うからだ。
だんだんと、脳が退化してゆくのが自分でも判る。
しなくても良い苦労や2度手間が、実生活に、確実に定着していった。
頭の錆びは、広がるのが早かった。
僕は、どうしてこんなにバカなんだろう。
そう思えるまでになった。
同じことを2回も言うようになった。
言葉も間違えるようになった。
昨日と一昨日の区別もつかなくなった。
同じことを2回も言うようになった。
頭がわるいし、バカだ。
バカはカッコ悪いと思う。
でも、頭がよかったら、カッコイイと思う。
ぼくはバカだから、頭のいい人がカッコイイと思う。
ぼくはバカだし、言葉もまちがえるし、昨日と一昨日が一緒の日だと思うし、同じことを2回も言うし、頭がわるいし、バカだ。
ぼくは、頭がよくなりたいと思った。
March 09
「オメー、口堅い?」
いつになく真剣な面持ちで、トメはハンドルを握っている。
日は既に暮れていて、トメが運転する車はもうすぐ地元に差しかかるところだ。
当時の俺達はまだ20代の前半で、この日は母校にて空手のコーチをした帰り道だった。
「オメーの口が堅いならよ、ちょっと話してえことがあるんだけどよ~」
口が堅いかと訊ねられて、軽いですよと応える者はいないだろう。
言葉を選ぶ。
「まあ、今ンとこ、人の内緒話を漏らしたことはないけど」
嘘ではない。
「じゃあオメー、誰にも言うなよ?」
乗用車の中で、トメの長い話が始まった。
繁華街に車を停め、仕事をする父上殿への届け物を果たすまでは平和だったと、トメは言う。
ネオン輝く街での用事はそれだけで、あとは家に帰ってテレビでも見て、適当に過ごすつもりだったらしい。
もう時効なので書いてしまうが、この日のトメは路駐をしていたのだそうだ。
すぐに帰るつもりでいたのだろう。
わずかな間だからと高をくくって道路に駐車をし、そうしておいてトメは無事に用事を済ませると、車を止めてあった場所を綺麗に忘れ去った。
おバカさんである。
車はどこだっけ?
ってゆうか、ここがどこだっけ?
人はどこから来て、どこに向かっていくのだろうか。
異国に取り残されたゴツいヒヨコみたいなことになっていたのだろう。
トメはピヨピヨとさ迷った。
「お兄サ~ン! チョット寄ってってヨ!」
いつしか大人のエリアに足を踏み入れてしまったようで、トメはエッチなご職業のお姉様方に、「自分はいい仕事をする。安くしておく」的なことを言われまくる。
皆さん金髪だったりもして、彼女達は海外からの出稼ぎなのだろうなと、トメは察しをつける。
「お兄サン、時間あるでショ?」
「2時間だけヨ!」
「安いヨ!」
うっかりカモられそうになる。
皆さん積極的で、トメを囲んで逃がさない。
おラブなホテルに連れ込もうと、トメの腕をぐいぐいと引っ張ってくる。
擬似モテだ。
「いや、俺はいいって~」
「いいから! アタシにしなヨ!」
何度断っても諦めない猛者が、1人だけいた。
彼女は見た目以上に馬力があって、トメをギラギラした目でガン見し、逃がしてなるものかとばかりに必死の形相で掴んだ腕を離さない。
近距離パワー型だ。
トメは、ついに覚悟を決めた。
ちょめちょめ用ホテルの前で、30分も粘られるほうが恥ずかしかったからだ。
ってゆうか、30分って意外と長い。
2人とも、よく頑張ったものである。
「それでホテル入っちゃったの!?」
助手席で、俺はトメに向かって身を乗り出す。
俺には縁がないだけに、大人の世界にわくわくだ。
「部屋に入ったらさ~」
「うんうん」
「何故かその人、俺から先にシャワー浴びさせようとするんだあ」
「お金は?」
「前払いだったよ~」
シャワーを浴びている間に、逃げられてしまったのだろうか。
「それでそれで?」
「シャワーから出たら、その人、もう下着姿になっててさ~」
「わおう!」
「ビールが飲みたいだの、タバコが吸いたいから買ってきてくれだの言われてさ~」
タバコの買い出しに行かされた隙に、逃げられちゃったのだろうか。
ってゆうか俺だったら、自分が逃げる。
「タバコ買って、俺が部屋に戻ってきたらさ~」
「戻んなきゃいいじゃん。この好き者が!」
「でも相手も、下着姿のまま待っててさあ~。いきなり…」
「いきなり!?」
ここの描写については、どうか省略させて頂きたい。
とてもじゃないがリアルに表現できない。
書くのが恥ずかしい。
悪友が様々な施しを受ける姿を想像したくもない。
なんていうか、アルファベットで言えばBの後半だったとだけ記しておく。
18禁だ。
「…ひゃあ~」
聞いてるこっちが赤面する始末だった。
話すほうであるトメにも恥じらいがあって、具体的な行為については伏せられていたが、想像できちゃう自分が嫌だ。
「でも、その人は何故か脱がなくてさ~」
このセリフからは、トメの方は脱いじゃったんだと推察できる。
どうやら一方的にアレコレ好きにされちゃったらしい。
「でよ~。一旦落ち着いて、会話だけの時間になってさ~」
なんで落ち着けるような気分にトメがなっちゃっているのか、考えたくもない。
「俺の友達の話をしたんだ~」
トメの友人には、男の人なのに男の人に色々されちゃった過去の持ち主がいる。
その彼の体験談を、トメは冗談混じりに話して聞かせたのだそうだ。
「俺の男友達で、男の人とまぐわっちゃった奴がいてさあ~」
下着姿のままでいい仕事をする人はトメの話に頷き、最高の名言を放つ。
「え? アタシも男ヨ?」
とんでもない事実をさらっと口走られる。
そういう大事なことは、服を着ている時に言って頂きたい。
手の平に、俺はいつしか汗をかいていた。
「それでどうした!?」
「マジかよ~!? って思ってさあ~、乳バンドの中に手ェ突っ込んだんだあ」
「お前も大胆ですね。そしたら?」
「たくましい胸板だったよ~」
車は既に、地元の町を走っている。
もうすぐ俺の家だ。
「それで、どうにかホテルから逃げ出したよ~」
「ああそう」
「ぜってえ人に言うなよ? オメーよ~」
「ってゆうかお前、なんで俺にそんな重大なこと話したんだよ。黙ってりゃいいのに」
率直な疑問にトメが示した解答は、実に人間らしい素敵な答えだった。
「とても自分1人の胸には支え切れねえよ~」
トメはめちゃめちゃナーバスな顔になっていた。
「トメ、ここでいい。降ろしてくれ」
まだ俺の家に着く前だったから、不思議に思ったのだろう。
トメが顔の影を濃くする。
「オメー、ホント誰にも言うなよ?」
「気持ちは判る。気持ちは判る」
「なんで2回言うんだよ~。お前、ここで降りてどうすんだよ、一体よ~」
「今日は1杯やって帰ろうと思って」
半ば強引に下車し、トメの車を見送る。
当時行きつけだったバーに、俺は足早に向かった。
思い返すは、トメの言葉だ。
「とても自分1人の胸には支え切れねえよ~」
馬鹿野郎が。
そんなの、こっちだって同じだっつーの!
ドアを開け、店に入る。
「みんな聞いて聞いて! トメがね!? トメがね!? すっごい体験したのー!」
人様の秘密を喋ってしまったのは、生まれて初めてでした。
March 09
あの瞬間にあの曲を耳にしたことが運命めいていて、だからこの話を再び持ち出すことにした。
4年前の今頃、涙を流しながら綴った文章だ。
今回紹介致しますエピソードは、楽しいものではありません。
ある決意があり、書き記す事に致しました。
俺の姉貴分にあたる女性と、その子供に捧げます。
N美さんは俺より年上で、お酒が大好きで豪快で明るくて素敵な女性でした。
あるバーで知り合い、気が合って仲良しになった俺とN美さんは、いつも楽しく飲んでいました。
誤解がないように書き記しておきますが、俺もN美さんも決して互いに恋愛感情はなく、体の関係にも発展し得ない付き合いをしていました。
N美さんは俺を弟のように可愛がってくれましたし、俺もN美さんを実の姉のように慕っていました。
「めさと仲がいいね、N美ちゃんは」
「うん! だってあたしの弟だもん!」
俺には今、N美さんを思い出すと涙が出る理由があります。
N美さんはもう他界しているのです。
車の交通事故でした。
N美さんの友人から電話で知らせを受けた翌日から俺は葬儀に出席し、いつも会っていたバーの空席に彼女の好きな酒を置きました。
N美さんは、ビールが大好きでした。
恥ずかしい話ですが、酒の勢いに任せて号泣した事もあります。
それから月日が流れ、2年後。
鋭い霊感を持つ、ある女性が俺に尋ねてきました。
「めさ君てさ、N美ちゃんと仲良かった?」
俺が「兄弟レベルの仲だった」と応えると、その霊感の持ち主は神妙な面持ちになり、言います。
「N美ちゃん、亡くなった時に妊娠していたみたいだよ。でも、誰もその事を知らないから、お葬式はN美ちゃんの分だけだったでしょう? N美ちゃん、子供の為にまだ天国に行けないみたいなの。でね? めさ君に何か言いたい事があるみたいなのよ」
かなりの衝撃を受けました。
N美さんが妊娠していた事など、全く知りませんでした。
もちろんN美さんのご家族も知らないでいるのでしょう。
俺にも多少の霊感がありますし、その女性も嘘を言う人ではありません。
勘違いなどではなく、N美さんが妊娠していたのは事実であると確信が持てました。
ただ、N美さんが俺に対して、一体どんな用件があるのかが誰にも分からないのです。
ではどうすれば良いのか?
俺は色々と思案に暮れました。
N美さんの家族にこの事実を告げ、子供の葬儀を改めて執り行ってもらうにしても、N美さんのご家族は引っ越してしまい、誰に訊いても住所が分かりませんでした。
また、インターネットで墓地の電話番号を調べ、片っ端から電話を掛けましたが、N美さんに該当する人物はいないとの事です。
N美さんが眠っている場所は、もっとずっと遠くなのでしょう。
図書館にも訪れ、当時の新聞も調べましたが、結局は無駄足でした。
そもそも、N美さんの子供はどうすれば成仏出来るのでしょうか?
俺は考える方向を変えてみました。
子供が成仏出来ない理由を解消すれば、きっと親子は浮かばれると思ったのです。
まだ生まれていない子供が持つ不満とはなんだろう?
外の景色が見たかった?
いや、亡くなった後でも景色ぐらいは見れそうだ。
愛情に飢えているとか?
それも違う。
N美さんに愛情があるからこそ、N美さんは自分の子供の為にさ迷っているんだ。
その時点で母の愛情は充分に見受けられる。
そもそも葬儀が2人分でさえあれば、おそらく子供は成仏出来たんだろうな。
子供は自分の儀式をされていない。
無視されたんだ。
…無視?
俺の中で「無視された」というキーワードが浮上し、重要になり、やがて1つの思いが確信に変わります。
存在を認めて欲しいんだ!
きっとそうだ。
よし!
俺がお前の存在を認めてやるぜ!
俺はN美さんの子供に名前と、名付けのパパをプレゼントする事にしました。
俺は親友の子供に名前を付けました。
未来、と。
来世での幸せを祈って、一生懸命考えた名前です。
そして仕上げに、ある約束を果たすべく俺はお金を貯めました。
「めさー、いつかさあ、夜景が綺麗なバーで、カッコ良く飲もうよ」
「お! いいね! カッコ良く飲もう! 俺、スーツ着てくるからさ!」
2002年、母の日。
俺はスーツを着込み、ジンの家を訪れました。
ジンにN美さんの事を話し、彼にもスーツを着てもらいます。
親友と談笑する俺の元気な姿を、N美さんに見てもらおう。
ランドマークタワー70階にある、世界一標高が高いバー、シリウスに出発です。
俺達はシリウスの入り口で「4名です」と告げ、席に案内してもらいました。
「注文なんですが、まだ来ていない2人の分も頼んでいいですか? 2人はそこと、この席に座ると思います」
俺はN美さんと未来ちゃんの席と飲み物を注文しました。
俺はブランデー。
ジンはカクテル。
N美さんは大好物の生ビール。
未来ちゃんは当然ミルクです。
飲み物が届くと、俺達は乾杯します。
ジンがちゃんと2人にもグラスを合わせてくれたので、俺は感動しました。
フォークギターとグランドピアノが奏でる心地良い音楽を聴きながら、俺達4人は楽しく飲みました。
俺にも多少の霊感はありますから、N美さんと未来ちゃんの存在を感じる事が出来ます。
2人は、来てくれていました。
そして演奏曲が変わり、偶然でしょうか? 映画「ゴースト」の主題曲「アンチェンド・メロディー」が店内に流れたのです。
俺は涙をこらえました。
やがてシリウスを後にすると、俺はジンに礼を言い、持ち合わせがあるので「この後1杯奢るよ」と告げました。
ジン、普通だったらおかしいと思われても仕方ない頼み事を、あっさり聞いてくれて、本当にありがとうな。
N美さん、夜景はどうだった?
姿まで見れる訳じゃないから、俺、分からなかったんだけど、ちゃんとドレスは着てきましたか?
俺が死んだら、あの世でまた飲もうぜ。
未来ちゃん、もう寂しくないか?
誰もが君を無視するなんて事は、もうないよ。
優しいママだっていることだし、大丈夫だろう。
君の名付けの親は俺ですよ。
感謝しとけよっ。
そして、この文章は君がいるから書いたんだぜ。
君が立派に存在するという証拠です。
安心出来ましたか?
そしてみなさん、ここまで読んで下さって、本当にありがとうございました。
俺の大切な親子の事を、心のどこかに留めて下されば幸いです。
この文章を、N美さんと未来ちゃんに捧げます。
ランドマークタワーを訪れてから、もう4年が経った。
風邪薬の代わりに酒を飲んで、もう帰ろうかという時に、有線が曲目を変えなかったら、ここは普段通りの馬鹿日記だ。
つい先ほどだ。
マスターが席を外したわずかな間に、アンチェンド・メロディが流れた。
聴いた瞬間に、今日は母の日なのだと気がつく。
カーネーションを買った。
N美さん、4年振り。
いつの間にか、俺のほうが年上になっちゃったね。
この花、買ったはいいけれど、どこに届けたらいいのか、まだ考え中なんだ。
でも、母の日にカーネーションなんて初めてだべ?
とびっきりのポイントまで届けるよ。
未来ちゃん、元気か?
俺や、俺の仲間達は、今でも全員が君の幸せを願っている。
これからも、絶対に忘れない。
2人とも、今日は久々だぜ。
カッコ良くスーツを着込んで、思いっきりキザに、花を届ける名づけの親の勇姿を見よ。
2006年5月14日、著。
March 08
すき焼きを食べよう。
でも、モヒカンは勘弁してもらおう。
具合が悪いから来ないでくれと言ってあったにもかかわらず、友人2名がうちにやって来ていた。
彼らは、俺が以前貸したゲームを忘れてきたのに、バリカンだけは持ってきている。
俺をモヒカンにする気満々だ。
「めささん、試しに1回だけ! リハーサルだけやってみましょうよ」
「そうですよ。気に入らなかったら本番はナシでいいですから」
よく解らない説得をされる。
これでもし俺がモヒカンになって職場復帰を果たしたら、変な髪型にされたせいで休んでいたと思われてしまうじゃないか。
「もー! 今チャットやってて気が散るから、話しかけないでよ!」
パソコンに向かい、ニート丸出しの拒み方で2人を遠ざけた。
「食材も買ってきましたよ」
ふん。
どうせそれも嫌がらせ効果を狙ってチョイスした食料なんでしょ。
節分の豆の残りとか、スープをどっかに失くしたラーメンとか。
「すき焼きですよ」
ほうら、やっぱり。
そんなこったろうと思っ、…え?
す、き、や、き…?
「そうですよ。ほら、すき焼きの具材」
目の錯覚…?
なんか、牛肉に見える…。
仕事に行けないせいで生活費もない状態だったので、この世に牛肉なる物が存在していたことをすっかり忘れてしまっていた。
確かに、それは牛肉だった。
ネギも豆腐もあるし、シラタキまであるじゃないか。
迷い込んだ砂漠でオアシスの幻を見ているようなものだと最初は本気で思ったが、これは本当にすき焼きセットだ。
「実は、不調が長引いた原因は、牛肉が足りなかったからなんだ…」
果てしなく可哀相な設定を咄嗟に設ける。
「土鍋、あります?」
さっそく調理か!
きゃっほう!
いきなり張り切ることにした。
土鍋はキッチンの下だ!
そのビニールにゴミを入れて!
違う!
カセットコンロはまだ早い!
前半はガスコンロを使うんだ!
包丁はそこ!
「いいからあっち行ってて下さい」
はーい。
おとなしくしてます。
キッチンからはやがて、「なんで醤油がないんだ、この家は!」と、困った時の声がした。
「ってゆうか、どうせすき焼き作ってくれるなら、俺がご飯食べる前に来てよねー」
「え!? めささん、もうご飯食べちゃったんですか?」
「うん。2人が来るちょっと前に」
「だったらなんであんた、食べるペースが俺らと変わんねえンですか」
すき焼きは、本当に美味かった。
久し振りの味だった。
前回のすき焼きがいつだったのかは、思い出せないぐらい遠い過去だ。
「さてと、じゃあやりますか」
片方が腰を上げ、片方がバリカンを準備する。
なんだこの段取り。
「俺、モヒにしないからね!」
「駄目ですよ」
「駄目ってなんだよ! そっちが駄目だ!」
「じゃあ何モヒならいいんです?」
「モヒって属性が既に嫌だ!」
以前彼にはサイト上で、モヒカンについての話題を強引に振ってしまったことがある。
それがきっかけで、友人は何故か俺をリアルでモヒカンにするという迷惑な使命に目覚めてしまっていた。
どこでそんな発想をしちゃったのだろう。
「めささんがモヒカンになったら、いい日記書けると思って」
絵に描いたようなありがた迷惑なんですけど。
「芸人として、もう限界なんですか?」
俺は普通の会社員だ!
「めささんトコの読者さんが、ガッカリしますよ?」
君らが勝手に立てた企画が潰れたぐらいで、ガッカリされてたまるか!
いや、されるね…。
えっと、じゃあ、読者様なんてガッカリすればいい!
「開き直ったー! すき焼きまで食べといて」
あのすき焼きはだって、アレでしょ?
俺に対する日頃の感謝の印とかじゃないの?
「あなたに何を感謝するんですか」
なんかこう、生まれてくれてありがとう的な…。
「だいぶ髪が長いから、中央だけ残して全部刈っても誤魔化せるよね」
「大丈夫でしょ、これなら」
話を聞いて。
今夜泊まってっていいから!
「そりゃ泊まりますよ。もう電車ないんだから」
ですよねー。
ってゆうか違うのー!
会社では奇抜な髪型になっちゃいけないのー!
というわけで、お腹いっぱいになったことだし、もう寝ます。
「その状態だと、半端なモヒになりますよ?」
パーカーのフードを被ります。
おやすみなさい。
早々とベットに横になり、毛布に潜り込む。
2人の目がマジだっただけに、本当に危なかった。
March 08
<めさの視点>
これでも一応は、365日、24時間、常に頭のどこかで作家になることを考えている。
今年は1つの物語を大切に仕上げよう。
そして、いよいよ来年に、具体的な行動を起こそうではないか。
そんな計画を立てた。
親愛なるバー「イージーバレル」では、ちょうど今年の目標は何にするかといった話題になっており、俺は自分の気持ちを抑えず、マスターに告げる。
「2007年は、助走に専念しようと思うんですよ」
自分の表情が輝いているのが、自分でも判る。
しかしマスターは、どういうわけか無言無表情だ。
きっと、俺の情熱に感動でもしているのだろう。
追い討ちをかけるように、俺はさらに饒舌になる。
「来年に、本格的に行動する計画です」
マスターは、やはり黙ったままだ。
「遅咲きってことになるんでしょうけどねー」
ここのところ、才気溢れる若い書き手さんが多いことだし、頑張らなくっちゃ。
負けないぞう、とばかりに、俺はグラスを煽る。
<マスターの視点>
今年の目標は何にするの?
そう訊ねたら、めさ君がまた訳の解らないことを言い出した。
「2007年は、女装に専念しようと思うんですよ」
そうか…。
またやるのか…。
いつも嫌がってる風にしていたのは、ポーズだったんだ。
この人、目覚めちゃってたんだ…。
さすがの私も言葉に詰まる。
女装に専念するってこの人、まさかうちの店でやるんじゃないだろうな…。
だいたい女装なんてして、将来何になりたいんだろうか。
「来年に、本格的に行動する計画です」
手術を受ける宣言されても困る。
瞳が熱く輝いてるところとか、本気で気味が悪い。
だいたい、仕事はどうするの?
「遅咲きってことになるんでしょうけどねー」
30超えてオカマデビューは、確かに遅咲きだ。
私が1歩引いたことに、めさ君は気づいていない。
相変わらず「デビューがどうの」とか「売れっ子になりたい」などと、性転換への夢を語っている。
普通のお客さん、来ないかなあ。