夢見町の史
Let’s どんまい!
2011
April 30
April 30
目次&あらすじ
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/435/
3
「で、涼、どうだったよ~?」
和也が友人らの顔を見渡す。
アメリカンを意識した木造の内装と、マスターが煎れた特製コーヒーの良い香りが、今日も部活動の疲れを緩和させていた。
夕日が差し、照明を助けている。
大地は今朝の模様を思い返す。
「遺伝子について悩んでるみたいだった」
「違うよ」
由衣がちょいちょいと手を振った。
「一目惚れについて考えてたんだよ、涼は」
「全体的に様子がおかしかったんだけど」
小夜子が首を傾げる。
「古代のギリシャがどうとか言ってたから、歴史について悩んでたんじゃないの~?」
和也は相変わらずのんびりとした調子だ。
「あいつ、俺には本を読まねえと駄目だとか言ってたぜ~?」
「結局あいつ、何について悩んでんだ?」
大地のつぶやきに、誰もが「さあ」と不思議そうに首を捻る。
今日の客は大地たちだけだ。
一番奥のボックス席がいつもの場所で、そこに由衣と小夜子が先にいたのは確率の高い偶然だった。
ほんの十分ほど前、大地は和也と一緒にルーズボーイにやってきていた。
「やあ」
マスターはいつもと同じように手短な挨拶をし、「2人、もう来てるぞ」と咥え煙草を奥に向けた。
このバーには大地たち専用の特別裏メニューが存在していて、大地が「俺スペシャル」と頼めば餅がメインのチーズグラタンが出てくるし、和也が「俺スペシャル」と注文すればハチミツ入りのパフェが登場する。
ダブルとかトリプルなどと付け加えれば、これらは信じられないぐらい大盛りにされる。
大地と和也のオーダーは今日も、そんな俺スペシャルのトリプルだ。
「君たち、たまには裏メニュー以外の物も食べたらどうだ?」
煙が入ったのか、マスターは目を細める。
「あと、飲み物も頼んでくれ」
「んじゃあ、グレープフルーツジュースで」
と和也。
「俺、アイスミルクティお願いします。ってゆうか客に注文を促すマスターって、珍しいっすよね」
大地はつい顔を緩める。
「しかも、いつも咥え煙草で」
「君らに気ィ遣ってたら、疲れるからだ。普段はちゃんとしている」
マスターは小さく鼻を鳴らし、伝票を書いた。
そんな無礼さがフレンドリーに思えて、どこか嬉しく大地は感じる。
「ねえねえ、あのさ」
由衣が口を開いた。
「もしかして涼、好きな人できたんじゃない?」
一同の動きが、それでピタリと停止した。
「まさか」
最初に動いたのは大地だ。
「もしそうだとしたら、判りやす過ぎだろ」
「涼って、好きな人できたら、ああなるの~?」
これは小夜子が訊いた。
「さあ」
「わっかんねえ」
和也が言うと同時に、大地も首を傾ける。
「もし恋だったら面白いよね」
由衣が、取りようによっては失礼なことを言い出した。
「だって涼ってさ、いつもツッコミ役で、クールぶってるじゃん?」
今まで発生したことがない恋愛の話題が新鮮なのだろう。
由衣こそが胸をときめかせているように見えた。
マスターがグラスを2つ持ってやって来る。
「そのクールぶったツッコミ役なら、今来たぞ」
4人が反射的に目を走らせる。
カウンターには幸の薄そうな雰囲気を纏った涼がいつの間にか座っていて、ちょうど溜め息をついているところだった。
頬杖をついた体勢が、なんだか思春期の乙女のようだ。
テーブルの上に飲み物を置いて、マスターがカウンターの内側まで戻り、涼の正面に立つ。
誰かがごくりと唾を呑んだ。
成り行きを見守らなければならないような、妙な緊張感が漂う。
「マスター」
涼が静かに顎を上げた。
続く言葉は、なかなか衝撃的だった。
「マスター、何か、何か……、胸の痛みを和らげる飲み物を下さい。……下さい」
どうして2回言ったのだろうか。
大地が紅茶を盛大に吹き出す。
和也のグラスを持った手はピタリと止まり、小夜子は口を半開きにさせて固まった。
由衣の瞳孔が開く。
全員が涼に見入った。
マスターがズボンのポケットから煙草を取り出し、火を点ける。
ゆっくりと煙を吐いた。
「薬局に行け」
「この痛みは、薬じゃ癒せないんです。……癒せないんです」
無言のままでマスターはゆっくりと深く頷いた。
ウォッカのボトルを手に取り、ショットグラスに注いで涼の前に置く。
「未成年者に飲ませられない物だが、内緒にするなら私が奢ろう」
「いただきます」
高校生は制服姿のまま、グラスを一気に煽った。
涼たち5人が高校3年生になったばかりの4月。
この町にはまだ散り終えていない桜が目立っている。
赤ん坊が消えたのは、この翌日のことだ。
涼がうっとりとした目で、再び溜め息をついた。
続く。
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/435/
3
「で、涼、どうだったよ~?」
和也が友人らの顔を見渡す。
アメリカンを意識した木造の内装と、マスターが煎れた特製コーヒーの良い香りが、今日も部活動の疲れを緩和させていた。
夕日が差し、照明を助けている。
大地は今朝の模様を思い返す。
「遺伝子について悩んでるみたいだった」
「違うよ」
由衣がちょいちょいと手を振った。
「一目惚れについて考えてたんだよ、涼は」
「全体的に様子がおかしかったんだけど」
小夜子が首を傾げる。
「古代のギリシャがどうとか言ってたから、歴史について悩んでたんじゃないの~?」
和也は相変わらずのんびりとした調子だ。
「あいつ、俺には本を読まねえと駄目だとか言ってたぜ~?」
「結局あいつ、何について悩んでんだ?」
大地のつぶやきに、誰もが「さあ」と不思議そうに首を捻る。
今日の客は大地たちだけだ。
一番奥のボックス席がいつもの場所で、そこに由衣と小夜子が先にいたのは確率の高い偶然だった。
ほんの十分ほど前、大地は和也と一緒にルーズボーイにやってきていた。
「やあ」
マスターはいつもと同じように手短な挨拶をし、「2人、もう来てるぞ」と咥え煙草を奥に向けた。
このバーには大地たち専用の特別裏メニューが存在していて、大地が「俺スペシャル」と頼めば餅がメインのチーズグラタンが出てくるし、和也が「俺スペシャル」と注文すればハチミツ入りのパフェが登場する。
ダブルとかトリプルなどと付け加えれば、これらは信じられないぐらい大盛りにされる。
大地と和也のオーダーは今日も、そんな俺スペシャルのトリプルだ。
「君たち、たまには裏メニュー以外の物も食べたらどうだ?」
煙が入ったのか、マスターは目を細める。
「あと、飲み物も頼んでくれ」
「んじゃあ、グレープフルーツジュースで」
と和也。
「俺、アイスミルクティお願いします。ってゆうか客に注文を促すマスターって、珍しいっすよね」
大地はつい顔を緩める。
「しかも、いつも咥え煙草で」
「君らに気ィ遣ってたら、疲れるからだ。普段はちゃんとしている」
マスターは小さく鼻を鳴らし、伝票を書いた。
そんな無礼さがフレンドリーに思えて、どこか嬉しく大地は感じる。
「ねえねえ、あのさ」
由衣が口を開いた。
「もしかして涼、好きな人できたんじゃない?」
一同の動きが、それでピタリと停止した。
「まさか」
最初に動いたのは大地だ。
「もしそうだとしたら、判りやす過ぎだろ」
「涼って、好きな人できたら、ああなるの~?」
これは小夜子が訊いた。
「さあ」
「わっかんねえ」
和也が言うと同時に、大地も首を傾ける。
「もし恋だったら面白いよね」
由衣が、取りようによっては失礼なことを言い出した。
「だって涼ってさ、いつもツッコミ役で、クールぶってるじゃん?」
今まで発生したことがない恋愛の話題が新鮮なのだろう。
由衣こそが胸をときめかせているように見えた。
マスターがグラスを2つ持ってやって来る。
「そのクールぶったツッコミ役なら、今来たぞ」
4人が反射的に目を走らせる。
カウンターには幸の薄そうな雰囲気を纏った涼がいつの間にか座っていて、ちょうど溜め息をついているところだった。
頬杖をついた体勢が、なんだか思春期の乙女のようだ。
テーブルの上に飲み物を置いて、マスターがカウンターの内側まで戻り、涼の正面に立つ。
誰かがごくりと唾を呑んだ。
成り行きを見守らなければならないような、妙な緊張感が漂う。
「マスター」
涼が静かに顎を上げた。
続く言葉は、なかなか衝撃的だった。
「マスター、何か、何か……、胸の痛みを和らげる飲み物を下さい。……下さい」
どうして2回言ったのだろうか。
大地が紅茶を盛大に吹き出す。
和也のグラスを持った手はピタリと止まり、小夜子は口を半開きにさせて固まった。
由衣の瞳孔が開く。
全員が涼に見入った。
マスターがズボンのポケットから煙草を取り出し、火を点ける。
ゆっくりと煙を吐いた。
「薬局に行け」
「この痛みは、薬じゃ癒せないんです。……癒せないんです」
無言のままでマスターはゆっくりと深く頷いた。
ウォッカのボトルを手に取り、ショットグラスに注いで涼の前に置く。
「未成年者に飲ませられない物だが、内緒にするなら私が奢ろう」
「いただきます」
高校生は制服姿のまま、グラスを一気に煽った。
涼たち5人が高校3年生になったばかりの4月。
この町にはまだ散り終えていない桜が目立っている。
赤ん坊が消えたのは、この翌日のことだ。
涼がうっとりとした目で、再び溜め息をついた。
続く。
PR
2011
April 30
April 30
目次&あらすじ
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/435/
2
普段は冷静で思慮深いはずの涼が、明らかにおかしくなってしまったことがきっかけだった。
昨日、そのことに最初に気づいたのは和也だ。
春特有の暖かいそよ風が心地良い朝だった。
薄っすらと青い空には、綿毛のような雲がいくつか浮かんでいる。
登校すべく、バスに乗り込む。
空手道部の早朝練習にはもはや参加できない時刻だったが、それでも授業には間に合うだろう。
和也にとってはだから、これは早起きの範疇だ。
「お」
と、心の中で言う。
昔馴染みの同級生がこのバスに乗車していた。
今日も茶色の髪を無造作に立たせている。
涼だ。
涼は下を向き、何やら力んでいる。
まるで自分の体が存在していることを確認しているかのようだ。
バスが発車したせいで、和也は大きめの体を少し揺らす。
「よ~」
声をかけると、涼は驚いたような顔をし、細い目で和也を睨みつけてきた。
「願ってるそばから、どうして気づくんだよ!?」
「おあ?」
「頼むから今、俺に話しかけるな!」
小声で怒鳴られる。
トイレに急ぐときのような、切羽詰った態度だ。
「あン? どうしたんだよ、オメーよお~」
和也が歩み寄ろうとすると、涼は目立たない仕草でそれを遮った。
「いいから! 頼む、静かにしててくれ!」
やはり声を潜めたままだ。
こりゃ俺には解らねえ何かしらの事情があって、たった今の涼は面白い状況に陥っているンじゃねえだろうか。
和也の中で、そのような確信めいた予感があった。
和也は涼の肩に手を置くのをやめて、その細目を覗き込む。
喧嘩っ早く、考えることが苦手な和也とは逆の性質を、涼は持っている。
いつでも賢く、物静か。
小学生の頃からそうだった。
「もうちょっと普通にしろよ」
「なんでお前はいつもそうなんだ」
「引率の先生みたいな気分にさせやがって」
そのように、何度怒られたことか。
でもたった今は、お前が変な挙動じゃねえか。
和也は笑いをこらえる。
西夢見からは電車に乗り込むことになる。
2人でバスを降りて、和也はそれまで守ってきた沈黙をようやく破った。
「さっきのオメー、なんだったの?」
バスを降りてからの涼には、体から力みが消えていた。
「カズ、お前さ、本は読むか?」
言わんとしていることは相変わらず、さっぱり解らない。
「あ? いや~、絵が描いてあるやつなら読むけどよ~」
活字を読むのは苦手なのだ。
「だからお前は野蛮なんだ」
眩しそうな顔をして、涼は空を見上げた。
「やっぱ詩を読まないと、人間は高貴にはなれねぇンだなあ」
「おう、全く同感だぜ」
頷きながら和也は、この後乗る電車の中でも涼に話しかけるのはやめようと決意する。
ホームルーム直前。
学生たちの喧騒の中に、大地の無邪気で明るい声が混じる。
「おうカズー! お前また朝練サボったから、オニケンめっちゃ怒ってたぞ」
空手のライバルにそれを告げるだけのために、この教室までわざわざ足を運んだ。
「先生かなりご立腹だ」
「そんなことよりオメーよ~」
「そんなあっさりと流すの!?」
まるで動じていない和也のふてぶてしい態度に、大地は目を丸くする。
筋肉質な和也とは対称的に、大地はやや小振りな体格だし子供っぽい顔つきをしているものだから、人からは肉弾戦の能力があるようには到底思われない。
和也の腕っ節の強さが地元でも有名なだけに、大地としては自分が持つ意外性が誇らしかった。
和也と互角に戦える高校生は、大地だけだ。
和也が口の端を吊り上げる。
「いいからちっとオメー、涼に話しかけてみろよ~。面白いからよ~」
聞き捨てならない台詞だった。
「なに? 涼が面白いの?」
持ちつ持たれつといった馴れ合いよりも、刺しつ刺されつ。
そんな刺激を大地は心地良く思う。
今日はどうやら、自分が刺す側に回れるらしい。
涼が面白いとはすなわち、涼の様子がおかしい、つまり何かしらの弱みがあるということだ。
窓際の後方に目をやると涼は席に着いていて、銅像のように静止していた。
いそいそと彼の正面に立つ。
「涼、おはよう」
いつもの涼だったら、大地がいつも腰からぶら下げている鎖の音だけで、悪友の接近に気がつくはずだった。
ところが今日は微動だにせず、ただ黙って指を組み、それを口に当てたままでいる。
いつのまにか自分はもう死んでいて幽霊になっているから、それで涼に声が届かないのではないか。
そんな錯覚を大地は覚えた。
「なあ、涼!」
手が届くほどの近距離なのに、大地は気づかれもしない。
「おい涼! おいったら!」
目の前で手を振っても、涼は微動だにしないままでいる。
いよいよ亡霊になった気分だ。
「くっそ!」
ついに大声を出す。
「おい、っこの、栄養失調!」
他の生徒が一斉に大地を見た。
なんだか気まずい雰囲気で恥ずかしくなる。
どうして反応しないのだ、この男は。
「あ、大地」
やっと顔を上げると涼は、気の毒なほどにか細い声を出した。
これではもはや、こいつのほうが亡霊だ。
死んでいたのは涼のほうだった。
亡者が口を開く。
「お前さ、人類が種を維持するために神が与えたプログラム、何て呼ぶか知ってるか?」
「邪魔したな」
暗く澱んだ目をした友人を残し、大地はさっさと自分の教室へと引き返す。
「涼ー! なんかあんた、面白いんだって? 大地とカズが言ってたよ」
弁当をさっさと平らげると、由衣は3年2組の教室を訪れていた。
柔らかいショートカットの髪が、さらりと揺れる。
「なんかあったの? 元気ないじゃん」
自分の大きな瞳がらんらんと輝いていることを、由衣は自覚していた。
「ああ、由衣か」
伏せられていた涼の顔が、方向を調節するミサイル発射台のようにゆっくりと由衣に向けられる。
遠くを見ているのか近くを見ているのか、判断できないような目線だった。
「由衣、お前さ、一目惚れって、信じる?」
ゆっくりと、由衣は頷く。
なんか知らんけど、この男はもう駄目だ。
由衣は黙って微笑みを浮かべた。
涼の額にそっと手をやる。
もう片方の手は自分のおでこに添えて、互いの体温の差を測る。
「熱がないから、なおさら怖え」
「なあ由衣、目が合っただけで、人が人を――」
「いやああああッ!」
由衣は駆け出し、その場を去った。
帰宅の準備もしていないし、立ち上がる気配さえもないまるでない。
今が放課後だと認識していないのだろうか。
さっきから同じポーズのまま固まっていてオブジェみたいだし、これでは心配にもなる。
小夜子はそれで、涼を誘うことにした。
「ね~、どうしたの~? 今日、涼、変だよ~?」
この語尾を延ばす癖がいけないのか、小夜子は俗にいう「天然」のレッテルを貼られている。
確かに最近までムー大陸を五大大陸の1つに数えていたし、聖徳太子と千手観音の区別もつかなかった。
再生専用ビデオには再生のボタンしかなくて、テープを巻戻せないと思い込んでいた。
それでも口癖は、「天然じゃないもん!」
「だってさ? 天然の人は、早い曲吹けないでしょ~?」
「その持論には根拠がねえよ」
昔そう、涼に指摘されたことがある。
「サヨ? 天然も才能だよ? だからさ、そこは治さないで、むしろ伸ばそうよ」
由衣には何故かアドバイスをされた。
どいつもこいつも腹立たしい。
「だーかーらー! 天然じゃないんだったら!」
毎度のことながら、涙目になって前提から否定をする。
自覚が少しもないのだから仕方ない。
「ねえ涼、なんかあったの~?」
再び尋ねたのは、涼が無反応だったからだ。
彼は先と全く同じ体勢を維持している。
小夜子は「ねえ」を、もう三回繰り返した。
ねえ涼。
ねえってば。
ねえ。
指で隠れている涼の口元が、やっと動く。
「本、貸してくれてありがとう。凄く素敵だったよ」
謎の賛辞だった。
涼に本を貸した覚えなどない。
目線は相変わらずこちらを向かないままだし、夢でも見ているのだろうか。
「ね~、涼~」
本日何回「ねえ」を言えば、話が前に進むのだろう。
「ああアレね!」
涼が急に張り切った声を出した。
「古代ギリシャの星空が浮かんだよ」
浮いているのはお前です。
なんだか腹が立ってきた。
「意味わかんない! どうしたんだっつーの!」
いい加減、質問に答えてほしい。
しかし涼は「いや、そんな! とびきりの場所を探しておくよ」と、自分さえ探せていないくせに言い切って、そして頭を抱えた。
「ねえ涼! 探すって何をだっつーの!」
「え、あ、サヨか」
涼は今まで誰と喋っていたのだろうか。
愕然と力が抜ける。
今までの自分の頑張りはなんだったのだろう。
「サヨかじゃないよう!」
もはや怒りを通り越して涙が出てくる。
「涼もう、ホントどうしちゃったの~?」
「え、いやあ別に。どうした?」
「お前がどうしたんだっつーの!」
鼻をすする。
「あたし、今日部活休みだから、由衣ちゃんとルーズ行くから、涼も誘おうと思ったの~!」
いつもの溜まり場でなら、悩み事を打ち明けやすいのではないか。
小夜子なりに、そのような気を利かせたつもりだった。
「だから、行く~?」
涼がうっとりと笑んむ。
「サヨ、なんで人間は、夢を見るのかな?」
会話になっていない。
「寝るから~?」
よく解らなかったので、無難な解答を出しておいた。
ダン、と大きな音が鳴る。
涼が両手で机を叩き、手の平をそのまま机に押しつけ、わずかに立ち上がった。
「なぞなぞじゃない!」
じゃあ、なに。
涼は自分の頭に両手をやって、ぐしゃぐしゃと髪を掻き乱した。
乱暴にシャンプーをするかのような激しい動作だ。
「古代ギリシャじゃ、人は街灯もない中夜空を見上げて、星で絵を描いて過ごした!」
目撃でもしたのだろうか。
でもまあ、なんだか必死のようだし、星座の話題に乗ってやろうと小夜子は思い、深刻な顔をした。
「大地がこないだ、オリオン座は砂時計座だって言ってた~」
「ああ」
涼がうなだれる。
「詩人でない奴とは、俺は生きられないのか」
重い息。
下手な俳優が死の宣告を受けた患者を演じたら、きっとこんな感じだ。
「涼から詩の話なんて、聞いたことないよ~?」
「誰もが歩んできた道を、俺もまた進むのか」
またしても会話が噛み合わない。
何よりも、今日の涼は気味が悪い。
「ねえ涼、ホントどうしたの~? 春だから~? 私、キモいから帰る~」
涼に背を向け、歩調を速める。
振り返るのが怖かった。
続く。
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/438/
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/435/
2
普段は冷静で思慮深いはずの涼が、明らかにおかしくなってしまったことがきっかけだった。
昨日、そのことに最初に気づいたのは和也だ。
春特有の暖かいそよ風が心地良い朝だった。
薄っすらと青い空には、綿毛のような雲がいくつか浮かんでいる。
登校すべく、バスに乗り込む。
空手道部の早朝練習にはもはや参加できない時刻だったが、それでも授業には間に合うだろう。
和也にとってはだから、これは早起きの範疇だ。
「お」
と、心の中で言う。
昔馴染みの同級生がこのバスに乗車していた。
今日も茶色の髪を無造作に立たせている。
涼だ。
涼は下を向き、何やら力んでいる。
まるで自分の体が存在していることを確認しているかのようだ。
バスが発車したせいで、和也は大きめの体を少し揺らす。
「よ~」
声をかけると、涼は驚いたような顔をし、細い目で和也を睨みつけてきた。
「願ってるそばから、どうして気づくんだよ!?」
「おあ?」
「頼むから今、俺に話しかけるな!」
小声で怒鳴られる。
トイレに急ぐときのような、切羽詰った態度だ。
「あン? どうしたんだよ、オメーよお~」
和也が歩み寄ろうとすると、涼は目立たない仕草でそれを遮った。
「いいから! 頼む、静かにしててくれ!」
やはり声を潜めたままだ。
こりゃ俺には解らねえ何かしらの事情があって、たった今の涼は面白い状況に陥っているンじゃねえだろうか。
和也の中で、そのような確信めいた予感があった。
和也は涼の肩に手を置くのをやめて、その細目を覗き込む。
喧嘩っ早く、考えることが苦手な和也とは逆の性質を、涼は持っている。
いつでも賢く、物静か。
小学生の頃からそうだった。
「もうちょっと普通にしろよ」
「なんでお前はいつもそうなんだ」
「引率の先生みたいな気分にさせやがって」
そのように、何度怒られたことか。
でもたった今は、お前が変な挙動じゃねえか。
和也は笑いをこらえる。
西夢見からは電車に乗り込むことになる。
2人でバスを降りて、和也はそれまで守ってきた沈黙をようやく破った。
「さっきのオメー、なんだったの?」
バスを降りてからの涼には、体から力みが消えていた。
「カズ、お前さ、本は読むか?」
言わんとしていることは相変わらず、さっぱり解らない。
「あ? いや~、絵が描いてあるやつなら読むけどよ~」
活字を読むのは苦手なのだ。
「だからお前は野蛮なんだ」
眩しそうな顔をして、涼は空を見上げた。
「やっぱ詩を読まないと、人間は高貴にはなれねぇンだなあ」
「おう、全く同感だぜ」
頷きながら和也は、この後乗る電車の中でも涼に話しかけるのはやめようと決意する。
ホームルーム直前。
学生たちの喧騒の中に、大地の無邪気で明るい声が混じる。
「おうカズー! お前また朝練サボったから、オニケンめっちゃ怒ってたぞ」
空手のライバルにそれを告げるだけのために、この教室までわざわざ足を運んだ。
「先生かなりご立腹だ」
「そんなことよりオメーよ~」
「そんなあっさりと流すの!?」
まるで動じていない和也のふてぶてしい態度に、大地は目を丸くする。
筋肉質な和也とは対称的に、大地はやや小振りな体格だし子供っぽい顔つきをしているものだから、人からは肉弾戦の能力があるようには到底思われない。
和也の腕っ節の強さが地元でも有名なだけに、大地としては自分が持つ意外性が誇らしかった。
和也と互角に戦える高校生は、大地だけだ。
和也が口の端を吊り上げる。
「いいからちっとオメー、涼に話しかけてみろよ~。面白いからよ~」
聞き捨てならない台詞だった。
「なに? 涼が面白いの?」
持ちつ持たれつといった馴れ合いよりも、刺しつ刺されつ。
そんな刺激を大地は心地良く思う。
今日はどうやら、自分が刺す側に回れるらしい。
涼が面白いとはすなわち、涼の様子がおかしい、つまり何かしらの弱みがあるということだ。
窓際の後方に目をやると涼は席に着いていて、銅像のように静止していた。
いそいそと彼の正面に立つ。
「涼、おはよう」
いつもの涼だったら、大地がいつも腰からぶら下げている鎖の音だけで、悪友の接近に気がつくはずだった。
ところが今日は微動だにせず、ただ黙って指を組み、それを口に当てたままでいる。
いつのまにか自分はもう死んでいて幽霊になっているから、それで涼に声が届かないのではないか。
そんな錯覚を大地は覚えた。
「なあ、涼!」
手が届くほどの近距離なのに、大地は気づかれもしない。
「おい涼! おいったら!」
目の前で手を振っても、涼は微動だにしないままでいる。
いよいよ亡霊になった気分だ。
「くっそ!」
ついに大声を出す。
「おい、っこの、栄養失調!」
他の生徒が一斉に大地を見た。
なんだか気まずい雰囲気で恥ずかしくなる。
どうして反応しないのだ、この男は。
「あ、大地」
やっと顔を上げると涼は、気の毒なほどにか細い声を出した。
これではもはや、こいつのほうが亡霊だ。
死んでいたのは涼のほうだった。
亡者が口を開く。
「お前さ、人類が種を維持するために神が与えたプログラム、何て呼ぶか知ってるか?」
「邪魔したな」
暗く澱んだ目をした友人を残し、大地はさっさと自分の教室へと引き返す。
「涼ー! なんかあんた、面白いんだって? 大地とカズが言ってたよ」
弁当をさっさと平らげると、由衣は3年2組の教室を訪れていた。
柔らかいショートカットの髪が、さらりと揺れる。
「なんかあったの? 元気ないじゃん」
自分の大きな瞳がらんらんと輝いていることを、由衣は自覚していた。
「ああ、由衣か」
伏せられていた涼の顔が、方向を調節するミサイル発射台のようにゆっくりと由衣に向けられる。
遠くを見ているのか近くを見ているのか、判断できないような目線だった。
「由衣、お前さ、一目惚れって、信じる?」
ゆっくりと、由衣は頷く。
なんか知らんけど、この男はもう駄目だ。
由衣は黙って微笑みを浮かべた。
涼の額にそっと手をやる。
もう片方の手は自分のおでこに添えて、互いの体温の差を測る。
「熱がないから、なおさら怖え」
「なあ由衣、目が合っただけで、人が人を――」
「いやああああッ!」
由衣は駆け出し、その場を去った。
帰宅の準備もしていないし、立ち上がる気配さえもないまるでない。
今が放課後だと認識していないのだろうか。
さっきから同じポーズのまま固まっていてオブジェみたいだし、これでは心配にもなる。
小夜子はそれで、涼を誘うことにした。
「ね~、どうしたの~? 今日、涼、変だよ~?」
この語尾を延ばす癖がいけないのか、小夜子は俗にいう「天然」のレッテルを貼られている。
確かに最近までムー大陸を五大大陸の1つに数えていたし、聖徳太子と千手観音の区別もつかなかった。
再生専用ビデオには再生のボタンしかなくて、テープを巻戻せないと思い込んでいた。
それでも口癖は、「天然じゃないもん!」
「だってさ? 天然の人は、早い曲吹けないでしょ~?」
「その持論には根拠がねえよ」
昔そう、涼に指摘されたことがある。
「サヨ? 天然も才能だよ? だからさ、そこは治さないで、むしろ伸ばそうよ」
由衣には何故かアドバイスをされた。
どいつもこいつも腹立たしい。
「だーかーらー! 天然じゃないんだったら!」
毎度のことながら、涙目になって前提から否定をする。
自覚が少しもないのだから仕方ない。
「ねえ涼、なんかあったの~?」
再び尋ねたのは、涼が無反応だったからだ。
彼は先と全く同じ体勢を維持している。
小夜子は「ねえ」を、もう三回繰り返した。
ねえ涼。
ねえってば。
ねえ。
指で隠れている涼の口元が、やっと動く。
「本、貸してくれてありがとう。凄く素敵だったよ」
謎の賛辞だった。
涼に本を貸した覚えなどない。
目線は相変わらずこちらを向かないままだし、夢でも見ているのだろうか。
「ね~、涼~」
本日何回「ねえ」を言えば、話が前に進むのだろう。
「ああアレね!」
涼が急に張り切った声を出した。
「古代ギリシャの星空が浮かんだよ」
浮いているのはお前です。
なんだか腹が立ってきた。
「意味わかんない! どうしたんだっつーの!」
いい加減、質問に答えてほしい。
しかし涼は「いや、そんな! とびきりの場所を探しておくよ」と、自分さえ探せていないくせに言い切って、そして頭を抱えた。
「ねえ涼! 探すって何をだっつーの!」
「え、あ、サヨか」
涼は今まで誰と喋っていたのだろうか。
愕然と力が抜ける。
今までの自分の頑張りはなんだったのだろう。
「サヨかじゃないよう!」
もはや怒りを通り越して涙が出てくる。
「涼もう、ホントどうしちゃったの~?」
「え、いやあ別に。どうした?」
「お前がどうしたんだっつーの!」
鼻をすする。
「あたし、今日部活休みだから、由衣ちゃんとルーズ行くから、涼も誘おうと思ったの~!」
いつもの溜まり場でなら、悩み事を打ち明けやすいのではないか。
小夜子なりに、そのような気を利かせたつもりだった。
「だから、行く~?」
涼がうっとりと笑んむ。
「サヨ、なんで人間は、夢を見るのかな?」
会話になっていない。
「寝るから~?」
よく解らなかったので、無難な解答を出しておいた。
ダン、と大きな音が鳴る。
涼が両手で机を叩き、手の平をそのまま机に押しつけ、わずかに立ち上がった。
「なぞなぞじゃない!」
じゃあ、なに。
涼は自分の頭に両手をやって、ぐしゃぐしゃと髪を掻き乱した。
乱暴にシャンプーをするかのような激しい動作だ。
「古代ギリシャじゃ、人は街灯もない中夜空を見上げて、星で絵を描いて過ごした!」
目撃でもしたのだろうか。
でもまあ、なんだか必死のようだし、星座の話題に乗ってやろうと小夜子は思い、深刻な顔をした。
「大地がこないだ、オリオン座は砂時計座だって言ってた~」
「ああ」
涼がうなだれる。
「詩人でない奴とは、俺は生きられないのか」
重い息。
下手な俳優が死の宣告を受けた患者を演じたら、きっとこんな感じだ。
「涼から詩の話なんて、聞いたことないよ~?」
「誰もが歩んできた道を、俺もまた進むのか」
またしても会話が噛み合わない。
何よりも、今日の涼は気味が悪い。
「ねえ涼、ホントどうしたの~? 春だから~? 私、キモいから帰る~」
涼に背を向け、歩調を速める。
振り返るのが怖かった。
続く。
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/438/
2011
April 28
April 28
1
手品と決定的に違う点は、観客を想定していないところだ。
駅員との問答を終え、由衣は大地と並んでホームに立っていた
。
地下という薄暗いイメージに背くかのように、駅は人込みや広告で溢れている。
食虫植物は進化するとコインロッカーに擬態して、人を捕食するのかも知れない。
そんな不気味な想像をし、由衣は理性でそれをかき消した。
つい先ほど、コインロッカーの中から赤ん坊が消えた。
学校をサボって、ある女性を尾行していたら、赤ちゃんがコインロッカーに入れられる瞬間を目撃してしまった。
厄介なものを見てしまったものだ。
自然と溜め息が出る。
「あたしたち、また巻き込まれた?」
「ああ。今回は失踪事件だな」
大地もどこか呆然としている。
「誘拐事件かも知れないけど」と付け足して、宙を眺めたまま動かない。
大地が駅員を連れて来るまでは、由衣がロッカーを見張っていた。
だからこそ解せない。
駅員がスペアキーを差して開けたそこは、空だった。
「尾行を失敗したことよりも大問題だ」
大地の表情には明らかに困惑が込められている。
由衣は黙って頷いた。
男友達の恋路は既にどうでも良くなっている。
とにかく今は赤ん坊の安否が心配だ。
あの子の両親はこのことを、おそらくまだ知るまい。
電車が来る。
徐行し、やがて止まる。
「実行犯が誰だかは解るけど、今のままじゃ何も解らないのと一緒だ」
開いたドアに、大地が踏み出した。
由衣は、尾行は今日だけでは足りないであろうなどと考えながら、大地に続く。
続く。
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/436/
手品と決定的に違う点は、観客を想定していないところだ。
駅員との問答を終え、由衣は大地と並んでホームに立っていた
。
地下という薄暗いイメージに背くかのように、駅は人込みや広告で溢れている。
食虫植物は進化するとコインロッカーに擬態して、人を捕食するのかも知れない。
そんな不気味な想像をし、由衣は理性でそれをかき消した。
つい先ほど、コインロッカーの中から赤ん坊が消えた。
学校をサボって、ある女性を尾行していたら、赤ちゃんがコインロッカーに入れられる瞬間を目撃してしまった。
厄介なものを見てしまったものだ。
自然と溜め息が出る。
「あたしたち、また巻き込まれた?」
「ああ。今回は失踪事件だな」
大地もどこか呆然としている。
「誘拐事件かも知れないけど」と付け足して、宙を眺めたまま動かない。
大地が駅員を連れて来るまでは、由衣がロッカーを見張っていた。
だからこそ解せない。
駅員がスペアキーを差して開けたそこは、空だった。
「尾行を失敗したことよりも大問題だ」
大地の表情には明らかに困惑が込められている。
由衣は黙って頷いた。
男友達の恋路は既にどうでも良くなっている。
とにかく今は赤ん坊の安否が心配だ。
あの子の両親はこのことを、おそらくまだ知るまい。
電車が来る。
徐行し、やがて止まる。
「実行犯が誰だかは解るけど、今のままじゃ何も解らないのと一緒だ」
開いたドアに、大地が踏み出した。
由衣は、尾行は今日だけでは足りないであろうなどと考えながら、大地に続く。
続く。
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/436/
2011
April 09
April 09
「騙される奴が悪いのさ」
よく耳にするフレーズだが、それが俺の口癖だ。
「人を騙すなんてよくないよ」
正論だが俺には関係ない。
詐欺師が人を騙してなにが悪いというのだ。
これからも様々な手口でボロ儲けしていってやる。
と、意気込んでみたはいいものの、正直、最近は不景気でパッとしない。
詐欺のアイデアがなかなか浮かんでこない。
だいたいの手が使い古されているせいか、どいつもこいつも用心深いし、やりづらい世の中だ。
そんな折り、電話が鳴る。
詐欺師仲間からだ。
「もしもし? ご無沙汰してます~。今って電話しちゃって大丈夫でした?」
大丈夫だ、どうした?
そう返すと先方は単刀直入に、俺の胸に突き刺さることを言った。
「いいカモ、見つけたんですよ。それもたくさん」
「ほう」
話によるとこの電話相手は、非常に素晴らしいリストを入手したのだという。
「僕は『いいカモリスト』って呼んでるんですけどね? これがホント凄いんですよ。今までにないリストです」
「どう今までにないんだ?」
「いいカモしか載ってないんですよ」
「ほう」
「チキンみたいな奴ばっかりでどいつもこいつも臆病だし、いざとなったら腕っ節一つで、僕でも勝てるような連中しか載せられてないから安心なんです」
「本当か?」
「ええ。高飛びされないようにだけ気をつければ、あとは煮るなり焼くなり好き放題ですよ」
「そりゃ助かるな。お前そのリスト今持ってるのか?」
「ええ、持ってます」
「おお! 俺にもくれよ」
「いやあ、こんな珍しいリストをタダでってわけには…」
「解った! じゃあ売ってくれ!」
相手はするとなかなか高い金額を口にしたが、背に腹は変えられない。
ただでさえ仕事が上手くいっていないのにこの出費は痛いが、あとでいくらでも取り戻せる。
「いいだろう。その金額で買おう」
「じゃあ、振り込まれたのを確認したら現物を送りますね」
「ああ、頼む」
「では、好きに料理しちゃってください」
電話を切って、俺は銀行へと足を向けた。
いいカモリストは数日後、宅配でうちに届けられる。
「確かにいいカモ揃えやがって!」
俺は全力で、リストを壁に投げつけた。
どのページを開いても、カモ、カモ、カモ。
カモ目カモ科の鳥類で、首があまり長くなく、雄と雌で色彩が異なるものをいう。
漢字では「鴨」と表記される。
いうまでもなく、鳥のカモである。
思い出されるのは、電話口での奴の言葉だ。
「いいカモ、見つけたんですよ。それもたくさん」
俺が見つけてえのはそっちのカモじゃねえよ!
「チキンみたいな奴ばっかりでどいつもこいつも臆病だし、いざとなったら腕っ節一つで、僕でも勝てるような連中しか載せられてないから安心なんです」
勝ち負けの前に、まず喧嘩にならねえよ!
「高飛びされないようにだけ気をつければ、あとは煮るなり焼くなり好き放題ですよ」
たっぷり料理しろってか!?
うるせえよ!
「好きに料理しちゃってください」
うるせえよ!
怒り奮闘に、俺は携帯電話を開いて奴に発信する。
「おや、怒ってますね。どうしました?」
「あのリストはなんなんだよ!?」
「だから言ったでしょう? いいカモのリストだって」
「誰がカルガモやアヒルやマガモの生息地を知りたがったよ!? ヒメハジロなんて種類の鳥、初めて知ったわ!」
「しっかり目を通したんですね」
「やかましい! 金返せ!」
「返せませんよ。だって僕、嘘は何も言っていませんもの」
「騙す気がなきゃ、あんなふざけたリスト大金で売りつけるわけねえだろうが!」
すると奴は聞き覚えのある言葉を口にする。
「騙される奴が悪いのさ」
思わず「人を騙すなんてよくないよ」と当たり前のことを返していた。
結局、奴に払った金は戻らない。
今、俺の手元にあるのは、一風変った鳥図鑑だ。
こんな妙なリスト、使い道なんて1つしかねえじゃねえか!
俺は再び電話を手にし、今度は別の詐欺師仲間に声をかけた。
「いいカモ見つけたぞ! それもたくさん!」
よく耳にするフレーズだが、それが俺の口癖だ。
「人を騙すなんてよくないよ」
正論だが俺には関係ない。
詐欺師が人を騙してなにが悪いというのだ。
これからも様々な手口でボロ儲けしていってやる。
と、意気込んでみたはいいものの、正直、最近は不景気でパッとしない。
詐欺のアイデアがなかなか浮かんでこない。
だいたいの手が使い古されているせいか、どいつもこいつも用心深いし、やりづらい世の中だ。
そんな折り、電話が鳴る。
詐欺師仲間からだ。
「もしもし? ご無沙汰してます~。今って電話しちゃって大丈夫でした?」
大丈夫だ、どうした?
そう返すと先方は単刀直入に、俺の胸に突き刺さることを言った。
「いいカモ、見つけたんですよ。それもたくさん」
「ほう」
話によるとこの電話相手は、非常に素晴らしいリストを入手したのだという。
「僕は『いいカモリスト』って呼んでるんですけどね? これがホント凄いんですよ。今までにないリストです」
「どう今までにないんだ?」
「いいカモしか載ってないんですよ」
「ほう」
「チキンみたいな奴ばっかりでどいつもこいつも臆病だし、いざとなったら腕っ節一つで、僕でも勝てるような連中しか載せられてないから安心なんです」
「本当か?」
「ええ。高飛びされないようにだけ気をつければ、あとは煮るなり焼くなり好き放題ですよ」
「そりゃ助かるな。お前そのリスト今持ってるのか?」
「ええ、持ってます」
「おお! 俺にもくれよ」
「いやあ、こんな珍しいリストをタダでってわけには…」
「解った! じゃあ売ってくれ!」
相手はするとなかなか高い金額を口にしたが、背に腹は変えられない。
ただでさえ仕事が上手くいっていないのにこの出費は痛いが、あとでいくらでも取り戻せる。
「いいだろう。その金額で買おう」
「じゃあ、振り込まれたのを確認したら現物を送りますね」
「ああ、頼む」
「では、好きに料理しちゃってください」
電話を切って、俺は銀行へと足を向けた。
いいカモリストは数日後、宅配でうちに届けられる。
「確かにいいカモ揃えやがって!」
俺は全力で、リストを壁に投げつけた。
どのページを開いても、カモ、カモ、カモ。
カモ目カモ科の鳥類で、首があまり長くなく、雄と雌で色彩が異なるものをいう。
漢字では「鴨」と表記される。
いうまでもなく、鳥のカモである。
思い出されるのは、電話口での奴の言葉だ。
「いいカモ、見つけたんですよ。それもたくさん」
俺が見つけてえのはそっちのカモじゃねえよ!
「チキンみたいな奴ばっかりでどいつもこいつも臆病だし、いざとなったら腕っ節一つで、僕でも勝てるような連中しか載せられてないから安心なんです」
勝ち負けの前に、まず喧嘩にならねえよ!
「高飛びされないようにだけ気をつければ、あとは煮るなり焼くなり好き放題ですよ」
たっぷり料理しろってか!?
うるせえよ!
「好きに料理しちゃってください」
うるせえよ!
怒り奮闘に、俺は携帯電話を開いて奴に発信する。
「おや、怒ってますね。どうしました?」
「あのリストはなんなんだよ!?」
「だから言ったでしょう? いいカモのリストだって」
「誰がカルガモやアヒルやマガモの生息地を知りたがったよ!? ヒメハジロなんて種類の鳥、初めて知ったわ!」
「しっかり目を通したんですね」
「やかましい! 金返せ!」
「返せませんよ。だって僕、嘘は何も言っていませんもの」
「騙す気がなきゃ、あんなふざけたリスト大金で売りつけるわけねえだろうが!」
すると奴は聞き覚えのある言葉を口にする。
「騙される奴が悪いのさ」
思わず「人を騙すなんてよくないよ」と当たり前のことを返していた。
結局、奴に払った金は戻らない。
今、俺の手元にあるのは、一風変った鳥図鑑だ。
こんな妙なリスト、使い道なんて1つしかねえじゃねえか!
俺は再び電話を手にし、今度は別の詐欺師仲間に声をかけた。
「いいカモ見つけたぞ! それもたくさん!」
2010
September 04
September 04
【脚本】一部屋のトライアングル
団長(男)
秋燈(女優)
さおり(脚本家)
優美(メイク)
------------------------------
秋燈「あたし、もうダメかも…。頑張れないや…。団長を好きな気持ち、もう抑えきれない…」
団長「ふふふふふ~。ん~? ごめん、よく聞こえなかった。もう1回やってくれないかなあ!」
秋燈「ちっ! …じゃ、じゃあもう1回いきます。コホン。…あたし、もうダメかも…。頑張れないや…。団長を好きな気持ち、もう抑えきれない…」
団長「きゃっほーい! イエスッ!」
秋燈「団長」
団長「ん?」
秋燈「なんでここのセリフ、相手の名前が団長なんですか?」
団長「なんだよ。別にこれは演技の練習なんだから、名前なんてどうでもいいじゃないか」
秋燈「よくありません!」
団長「なんでだよ? せっかくだからいい気分になりたいっていう、俺の純粋な気持ちはどうなる?」
秋燈「立場を悪用しないでください! セクハラで訴えますよ!?」
団長「これはね、セクハラなんかじゃ断じてない! 演技指導!」
秋燈「だったら名前のところ、団長じゃなくって、ユウスケ君にしてくださいよ」
団長「ユウスケ? はん! あんな顔が良くて、演技が上手くて、人気者の役者なんて駄目駄目!」
秋燈「なんでですか?」
団長「見ててなんか悔しくなるから」
秋燈「完っ全に私利私欲に走ってるじゃないですか」
団長「ち、違う! これはあくまで、演技指導ってゆうかだな、ほら、アレだ。カッコイイ奴とやるラブシーンより、親兄弟とやるラブシーンのほうが難しいだろ? そういうのに慣れておかなきゃ、これから先色々なシーンをだな、演じられないぞ?」
秋燈「顔が笑ってるのはなんでですか? あと、団長は親でも兄弟でもありません」
団長「そんな子に育てた覚え、ないのに?」
秋燈「ないなら、尚さら家族じゃないじゃないですか!」
団長「いいからいいから。ほら、アレだアレ」
秋燈「なんですか?」
団長「さっきのシーン、どうも気になるんだ。もう1回、行こっか!」
秋燈「(団長に聞こえないように)…っこの、ブタ野郎…! 迷ってたけど、もう決めた! 毒殺してやる。こないだたくさん毒仕入れちゃったんだから。もうホント使ってやるんだから。あとでコーヒーに入れて、飲ませてやるんだから」
団長「なにぶつぶつ言ってんだ?」
秋燈「い、いえっ! な、なんでもないですっ!」
団長「じゃ、早く早く。スタンバイスタンバイ」
秋燈「…ぬう…!」
さおり、入場。
さおり「団長、ちょっといいですかぁ?」
団長「おー、さおりちゃん。どうしたんだ? 相変わらず可愛いぞ?」
さおり「も~、やだ~。団長ったら」
秋燈「あ、あの、団長!」
団長「ん?」
秋燈「あたし、ちょっと疲れちゃったんで、一旦休憩挟みませんか?」
団長「ああ、そうだな。じゃあ、少し休憩にしようか」
秋燈「(悪い顔で)じゃあ、ちょっとコーヒー淹れてきますね」
団長「お。気が効くねえ。頼むよ」
秋燈「はーい!」
秋燈、退場。
さおり「でさでさ、団長~」
団長「うん、なに?」
さおり「あたし、今書いてる脚本で、どうしてもセリフで行き詰っちゃって、団長に相談したいんですよ~」
団長「なんだって!? さおりちゃんほどの天才がかい!?」
さおり「(団長に聞こえないように)ちっ。よく言うわ。あたしの脚本、舞台で使ったことなんてないクセに」
団長「…え? 今、なんて?」
さおり「いや今、団長の明晰な頭脳をお借りしたいな~って言ったんですぅ」
団長「はっはっは! そうかそうか! …この俺の、なんだって?」
さおり「…うっぜぇ。…だ、団長のその、素晴らしいお知恵を~」
団長「ったくぅ、仕方ないなあ! さおりちゃんがそこまで言うんなら、やむを得まい。協力してやっても、いいぜ…?」
さおり「…なんだそのクソキャラ。…うわあ、嬉しいっ! ありがとうございます団長~」
団長「で、俺は何をすればいいんだい?」
さおり「…死ねばいいのに。…あのですね? 恋人のお別れのシーンなんですけど、男役が言う別れセリフが、どうしても出てこないんですよ~」
団長「ほうほう。どれどれ?(さおりから脚本を受け取る)…ん~、なるほど。この男の人は、なかなかのロマンチストみたいだねえ」
さおり「そうなんですよ~。彼女さんとお別れを決意するんですけど、それがもう、この世の終わりみたいに考えちゃってて、死ぬ想いで言葉を絞り出すんです~」
団長「なるほどねえ。そのときの男のセリフを、俺が考えればいいのかな?」
さおり「はいっ! なるべく、こう、恋愛についてでなくって、何もかも全てからお別れしちゃうような、意味深なセリフにしたいんですよ~。お願い、できますか?」
団長「ん~。そうねえ。こういうのはどうだろう。『僕は今、絶望の中にいる』――」
さおり「(紙とペンを渡しながら)書いて書いて!」
団長「え? あ、ああ」
優美、入場。
優美「あー、団長! まだいてたんですかー?」
団長「おーう! 優美ちゃん! どうしたの?」
優美「どうしたの、じゃないでしょ~! この部屋掃除するって、あたし言ってたじゃないですか」
団長「あ、そういえば…」
優美「ほら、出てって出てって。さおりちゃんも、ごめんね?」
さおり「いえ~。じゃ団長、あっちで書いてくださいよぅ」
団長「おう、そうだな。そうしよう」
団長とさおり、退場。
優美「…ふう。これで良し、と。(団長の椅子に向かってしゃがむ)ふふ。…ここのスイッチを入れれば、団長が座った瞬間、罠が作動してナイフが飛び出し、あの男の胸に…! …お父さん、あれだけの役者やのにクビにするなんて、あたし、絶対に団長を許さへん!」
秋燈、コーヒーを手に入場。
秋燈「失礼しまーす! …あれ?」
優美「わあ! あ、秋ちゃん!?」
秋燈「あ、優美さん、団長は…?」
優美「えとね、さっき追い出したよ?」
秋燈「追い、出した? なんでですか?」
優美「え。いやほら、あ、あたし、部屋の掃除しようと思ってて、それで、ね!」
秋燈「ふうん、そうなんですか…。せっかく団長に毒、ううんっ! コーヒー淹れてきたのに…」
優美「コーヒー? あ、ちょうどよかった~。それって、あたしが貰ってもいい?」
秋燈「え!?」
優美「団長にはあとで、あたしからコーヒー淹れておくから」
秋燈「いや、でも…っ!」
優美「ちょっと初めての殺しで緊張、じゃなかった! 色々あって喉渇いててん。もらうね~」
秋燈「だっ…! ダメダメダメダメッ!」
優美「…なんで?」
秋燈「あ、あの、これはあのっ! うんと、団長のための、その、特別なコーヒーで…」
優美「特別?」
秋燈「そ、そう! これはその、あたしがですね? その、自分で育てた豆!」
優美「自分で育てたぁ!?」
秋燈「そう! 団長にですね? 飲んでもらおうと、こう、毎日お水をあげてですね、育てたんです。だから1人分しかなくって」
優美「…もしかして、秋ちゃん? 団長のこと…」
秋燈「うええ!?」
優美「上?(見上げる)」
秋燈「いえっ! そう! あ、あたし、団長のこと、す、すす、好き! なんです…」
優美「え!? そうなん!? 普段、なんか嫌がってるように見えたのに…」
秋燈「あれはですね、ポーズですポーズ!」
優美「そうなんやぁ。だったら言ってくれれば、あたし毎日秋ちゃんにメイクしてあげてたのに」
秋燈「いいええっ! ありのままの自分でいたいんでお構いなく!」
優美「あ、そうなん? …あのさ、秋ちゃん」
秋燈「…はい?」
優美「もしさ? 団長が死んじゃったらさ? その、悲しい、よね…?」
秋燈「そんなの嬉しいに決まっ、いえ! ものすっごい悲しいと思いますっ!」
優美「思いますって、なに? でも、そうやんねえ…? 悲しいよねえ…」
秋燈「?」
紙を持った団長とさおり、入場。
団長「(紙を読み上げる)『僕は今、絶望の中にいる。失意の底でこれ以上あがくのはもう無理だ。僕は、僕の全てに別れを告げよう。今までありがとう。さようなら』…って感じでどうだろう?」
さおり「最高の遺書、じゃない! 最高のセリフです団長~!」
団長「そうだろう?(紙をさおりに渡し、椅子に座ろうとする)」
優美「危ないッ!(団長を突き飛ばす)」
団長「うわ! な、なんだよ優美ちゃん、いきなり!」
優美「まだ死んだらアカン!」
団長「…ふえ?」
優美「団長は確かにダメな大人やけど、それでも待ってる人がいてるんです!」
団長「なんで俺、今説教されてんの?」
秋燈「だ、団長! コーヒー淹れておきまし、わああ!(転ぶ)」
団長「あっちぃ!」
さおり「あああ! せっかく書かせたのに~!」
秋燈「す、すみません! …ヤケドで済ませるつもりじゃなかったのに…」
団長「あーあ~。びしょびしょだ。でもまあ、これまだ読めるからいいよね? ちょっと汚れちゃったけど、はい、さおりちゃん」
さおり「ダメです! 書き直してください!」
団長「…え、なんで?」
さおり「どこの世界にコーヒーまみれの遺書、…いえ、やっぱいいです」
優美「秋ちゃん、大丈夫? ヤケドしなかった?」
秋燈「え、はい! 平気です」
団長「なんで俺の心配をしないんだ?」
さおり「それより団長、もう1つお願いしたいセリフが~」
団長「おいおい、今度はなんだよ」
さおり「えっと、どうしよ。うんとじゃあ、自暴自棄になって家族を捨てる男の捨て台詞なんて、いいと思いますかね?」
団長「質問なんだ!? それよりコーヒーでびしょびしょだ。着替えないと」
団長、退場。
さおり「あ、待ってくださいよぉ~」
さおり、退場。
秋燈「…しくじった」
優美「そうだよね、秋ちゃんがせっかく育てた豆で淹れたコーヒー、こぼれちゃったね」
秋燈「いえ、毒はまだあります」
優美「え!?」
秋燈「いえいえいえいえ! あたしじゃあ、紅茶淹れてきますんで!」
優美「色んなの育ててる子やね…」
秋燈「失礼しますっ!」
秋燈、退場。
優美「…ふう。秋ちゃん、団長のこと、まさか栽培するレベルで好きだったなんて…。いくらお父さんのためとはいえ、やっぱ団長殺すのは諦めようかなあ」
団長、入場。
団長「諦めるって、なにが?」
優美「うわあっ! だ、団長! いきなり入ってこないでくださいよ! アホか!?」
団長「みんなの部屋なのに、なんで怒られたの俺?」
優美「もー! 入るなら入るで前触れくださいよ!」
団長「前触れ、って」
優美「心臓に悪いやん! フェードインするとかしてください!」
団長「フェードイン!? そんなことができる人間がいるとは思えないけど、まあ、頑張ってみるよ」
優美「ホントお願いしますっ!」
団長「あ、ああ。ところでさ、優美ちゃん。お父さん、元気にしてる? 最近どうしてるのか、なんか心配でさあ」
優美「…自分でクビにしておきながら、いけしゃあしゃあとぉ…!」
団長「え?」
優美「げ、元気ですよ!」
団長「そうか、元気かあ。逢ったらよろしく伝えといてよ」
優美「…っこの野郎ぉ! …は、はい、伝えておきますね!」
団長「うん、頼むわ」
優美「…やっぱ死なせたる…」
団長「え? なんて?」
優美「いえ! そういえば団長! 掃除まだ終わってないから、出て出て!」
団長「え? あ、ああ」
団長、退場。
優美「…メイクだけでなく、小道具までこなすあたしの本気を見せてやるんやから! ここをこうして、と。よし! これで椅子に座ったらナイフが飛んでくるだけじゃなくて、引き出しを開けたら天井から鈍器が落ちて、団長の頭を…。ふふ」
さおり、入場。
さおり「(紙を読み上げながら)『もうヤケだ! 何もかも捨ててやる! こんな毎日、もうたくさんだ! 大事なものなんて何もない! さよならだ、さよなら!』…ふふ、いい遺書…」
優美「…さおりちゃん?」
さおり「…え? わあ! ゆ、優美さん…っ! いつの間に!?」
優美「あたし最初からいたよ?」
さおり「そ、そうだったんですか」
優美「今、なに読み上げてたの?」
さおり「あ、これですか? さっき団長に書いてもらった、えっと、うんと、ある登場人物のセリフですっ!」
優美「ふうん、遺書かと思ってびっくりしちゃった」
さおり「い、遺書だなんてそんなあ…! やだなあ、優美さんったら。優美さんはなにしてたんですか?」
優美「え!? あたし!? えっとね、お部屋の掃除! べ、別に罠なんて仕掛けてないよ!?」
さおり「罠…?」
優美「ううんっ! と、ところでさ? 団長は?」
さおり「なんか廊下でぶつぶつ言ってますよ」
優美「ぶつぶつ…? なんて?」
さおり「なんか、フェードインの練習しなきゃとか、なんとか。相変わらずわけの解らない人ですよねえ。フェードインなんてできる人、いるわけないじゃないですか」
優美「そ、そうだよね! あ、あはは。ホント団長って頭おかしいよね」
さおり「優美さん、お掃除はもういいんですか?」
優美「あ、うん、終わった終わった」
さおり「お疲れ様です~(団長の机に向かう)」
優美「ん…? あの、さおりちゃん、なにしてんの?」
さおり「ちょっと遺書を仕込み、じゃなかった! えっと、団長に頼まれたんですよ。うんと、この書類を、引き出しに入れておくようにって」
優美「引き出しィ!?」
さおり「…え。いくら関西の人だからってリアクション大きすぎですよ、優美さん」
優美「…さおりちゃん、あたしの目を見て」
さおり「え、はい」
優美「1つだけ約束して。大事な約束」
さおり「どう、したんですか?」
優美「その机の引き出しだけは、絶対に開けないって」
さおり「…え? なんでまた…」
優美「なんでって、うんと、うんと…。とにかくアカンの!」
さおり「アカンって、どうして…?」
優美「えっと、そうだ! さおりちゃん、虫って苦手?」
さおり「うわあ…。はい。すっごい苦手です~」
優美「よし! えっとね、さおりちゃん。団長の引き出しにはね? 虫の死骸がたっくさん入ってんねん」
さおり「えええ!? 虫が!?」
優美「そう! あんなのやこんなのが、うじゃうじゃ」
さおり「なんでそんなの集めてるんですかぁ? 団長~!」
優美「団長の趣味」
さおり「…さらに嫌いな要素増えた…」
優美「だからね? 引き出しだけは絶対に開けんといて! 団長の椅子にも座ったら絶対アカン!」
さおり「椅子に座っちゃいけない理由はよく解りませんけど、解りました~。別のとこに仕込みます~」
優美「…仕込み?」
さおり「いえっ! なんでもありません!」
団長「(声がだんだん近づいてくる)…団長入ります。団長入ります。団長入ります。団長入ります」
団長、入場。
団長「団長入ります。団長、入りましたー!」
さおり「なにその登場の仕方~。気味が悪い~。生理的に無理~」
優美「お、お疲れ様です! 団長!」
団長「いやあ、お疲れ様。さおりちゃん、どう? さっき俺が考えたセリフは」
さおり「いやあ! 近づかないで! 不潔~!」
団長「ふ、不潔!?」
さおり「この人ホント無理~」
団長「数分逢わない間に、さおりちゃんの心境に一体なにがあったんだ…?」
優美「あ、団長!」
団長「ん?」
優美「お掃除終わったんで、ゆっくり腰かけてください」
団長「ああ、ありがと。…なんか特別部屋が綺麗になったように見えないんだけど、まあありがとう(椅子に座ろうとする)」
優美「あ、待って!」
団長「ん?」
優美「座るのとか、引き出し開けるのとか、1人のときにしてください」
団長「…なんで?」
優美「グロいことになるから」
団長「グロいこと…? それって、どういうこと?」
優美「女の子に、そんなん見せたらアカンやろ!? アホか!」
団長「なんで俺、また怒られてんの…?」
優美「じゃ、あたしこれで失礼しまーす」
団長「え、あ、うん…」
優美、退場。
さおり「あたしも、団長と同じ空気を吸いたくないので失礼しますっ!」
団長「ちょっと待って、さおりちゃん! どうしてそこまで嫌われてんの俺?」
さおり「団長! 胸に手を当てて、ご自身の趣味を振り返ってください!」
団長「え、あ、はい…。えっと、アウトドア、読書、音楽鑑賞。…特におかしいところはないと思うんだが…」
秋燈、入場。
秋燈「団長、紅茶淹れてきました~!」
団長「え、ああ。ありがとう」
さおり「じゃあ、あたしはこれで!」
団長「ちょっと待って! 全然腑に落ちないから! …そうだ! さおりちゃんに改めて話があったんだよ。えっと、ちょっと待っててね。確かこの引き出しに…」
さおり「きゃあ! なに開けようとしてるんですかぁ!(団長を突き飛ばす)」
団長「うわあ!(秋燈とぶつかる)」
秋燈「きゃあ!(紅茶を団長の上に落とす)」
団長「うわっちぃ!」
秋燈「ああー! また失敗ー!」
団長「失敗ってなんだ! なんで謝らないんだ!」
さおり「秋ちゃん、ごめーん! 大丈夫だった!?」
秋燈「え、あ、うん。大丈夫」
団長「君らは意地でも俺を心配しないんだな…。ああ、も~。なんでこの短い期間に2度も着替えるなんて目に…」
団長、退場。
さおり「秋ちゃん、本当にごめんね?」
秋燈「ううん、ホント大丈夫だよ? ありがと」
さおり「ううん、ごめんね? あたし、代わりに紅茶淹れてくるね」
秋燈「あ、それはもういいよー。…ちっ! またヤケドで済んだか…」
さおり「えっ?」
秋燈「え、ううん! なんでもない! さおりちゃんは、なにしてたの?」
さおり「どこに遺書を置いておくか考え…、じゃなくって! とにかくもう、あたしこの部屋から出たいの」
秋燈「え? なんかあったの?」
さおり「優美さんから聞いちゃったの」
秋燈「なにを?」
さおり「団長の机、虫の死骸でいっぱいなんだって!」
秋燈「ええ!? それ、ホント!?」
さおり「あたし見てないけど、ホントっぽいよ? あんなのや、こんなのが、うじゃうじゃ入ってるんだって」
秋燈「なんでそんなの入ってるの~…?」
さおり「なんかね、団長の生き甲斐らしいよ? 毎夜毎夜、虫を集めては殺し、集めては殺しってやってるんじゃないかなぁ?」
秋燈「うわあ…。クソ野郎以上の人って、なんて言ったらいいの~…?」
さおり「うんとね、辞書に載ってるような言葉じゃ言い表せないよね…。『ゲス野郎を八つ裂きにしてやりたい』の略で、ゲッパってどう?」
秋燈「さっすが脚本家! あたしもう、団長のことゲッパって呼ぶ~!」
さおり「じゃああたしも~!」
優美、変装をして入場。
秋燈「…もしかして、優美、さん…?」
さおり「…どうしたんですか、その恰好…」
優美「あ、2人ともいたんだ!? ちょっと団長の死体を確認、じゃなかった! 2人ともなにしてたの? 団長は?」
秋燈「知りません! ゲッパのことなんか」
さおり「ゲッパになんか用ないです」
優美「ゲッパって、なに…?」
秋燈「団長の新しいあだ名です」
優美「へえ、そうなんや。由来はわかんないけど、じゃああたしもゲッパって呼ぶわ」
さおり「優美さんは、なんでそんな恰好してるんですか?」
優美「人に見られたら困…、あ、いや! これはね! うんと、新しい手法でメイクを試してみて…! あ! そうだ! 団長に見てもらおう思うて、だからゲッパ? ゲッパ探してたん!」
さおり「まるで今思いついたような言い方だけど、なかなかいいじゃないですか~」
優美「そう? えへへ。ありがとう。ところでさ、なんで団長って、ゲッパって呼ばれてるん?」
秋燈「さおりちゃんが考えてくれたんです。ゲス野郎を八つ裂きにしたい、の略ですよ」
さおり「そうそう」
優美「へ? 秋ちゃん? だってさっき、ゲッパのこと好きって言――」
秋燈「わーわー! あんな人、実はなんでもないですよ! むしろ死んでほしいぐらいです!」
さおり「そうそう。ゲス野郎を八つ裂きにしたい」
優美「解る解る」
しばし沈黙。
3人「…あのさあ」
さおり「あ、どうぞぞうぞ」
優美「いやいや、先に言って」
秋燈「いえいえいえいえ、お先にどうぞ」
さおり「…じゃあ、あのさ? 2人はゲッパのこと、ホントに死んだらいいって、真面目に思ってたり、するのかな…?」
優美「正直、はい…」
秋燈「100回ぐらい死んだらいい」
さおり「だよね~」
優美「…あのさ?」
さおり「はい?」
優美「…ゲッパ、ホントに殺そう、ぐらいに考えてる人、いたりする…?」
秋燈「まあ、毒殺したいなあ、ぐらいですかねえ? いっつもセクハラしてくるから」
さおり「あたしの場合は、自殺に見せかけたいなあ、的な? いつまで経ってもあたしの脚本使わないし」
優美「あたしは、お父さんクビにされた恨みかな。トラップ仕掛けて自分の手ぇ汚さへん」
秋燈「それ、いい!」
さおり「それだったら、ゲッパの筆跡で書かれた遺書なんてあったら良くない? こんな感じで」
優美「どれどれ? へえ、こんなんあったらホント自殺だと思われるね!」
秋燈「本当! これ、ゲッパの字そっくりー!」
さおり「これ実際、ゲッパの字だよ?」
優美「そうなん!?」
さおり「さっき書かせたの。(悪い顔で)…脚本のセリフを考えてくれ、ってね」
秋燈「あったまいー! さおりちゃん! それだったら毒飲ませても自殺扱いされそう!」
優美「毒?」
秋燈「そう! あとでお茶に毒淹れてさ、ゲッパに飲ませれば…」
さおり「でも毒なんて、そう簡単に手に入らなくない?」
秋燈「それがね、あたし持ってるの」
優美「ホンマ!? だったら罠に仕掛けるより、そっちのほうがええやん!」
さおり「待って! 罠は罠でさ、こっちでアリバイ作りやすくない?」
優美「ううん、それだとあとで罠があった跡を仕舞わなきゃいけないから、そこがネックなんよねえ」
秋燈「あ、そっかぁ。じゃあやっぱり、あたしの毒で…」
優美「それがええね。あ、ちょい待ちぃな(優美、罠を解除する)」
さおり「優美さん? それって…」
優美「実はね、あたし、本気なんだ。だからさっき仕組んでおいたの」
秋燈「そうだったんですか!? 実はあたし、さっきからコーヒーや紅茶に毒を…。失敗しちゃったけど」
さおり「あたしが書かせた遺書、役に立たせて」
優美「ありがとう!」
秋燈「あたし、ちょっとお茶淹れてきます!」
秋燈、退場。
優美「問題は、いかにあたしらがいーひん間に、ゲッパにそれを飲ますか、やな」
さおり「ですね。どう言いくるめましょうか?」
団長「(声がだんだん近づいてくる)…団長入ります。団長入ります。団長入ります。団長入ります」
団長、入場。
団長「団長入ります。団長、入りましたー!」
さおり「マジうっぜぇ、このゲッパ…。なんでさっきからその入り方なんだよ」
優美「お疲れ様です、ゲッパ!」
団長「お疲れー! …ゲッパってなに? ってゆうか、あなたは?」
優美「うっそ! あたし、気づかれてない!? どんだけ鈍感!?」
さおり「あ、こ、この方は、えっと、あたしの友達の、えっと、ミユちゃんですっ! うちの劇団の、ファ、ファンなんで見学に…!」
団長「あ~、始めまして。ここの団長を務めている者です」
優美「は、始めまして。ミユでーっす!」
団長「うちのファンだなんて、ありがたい。どなたか好きな役者さんとか、いますか?」
優美「えっと、はい! うんと、ここのメイクの優美さんって、いてはるじゃないですか?」
団長「優美ちゃんね? はいはい」
優美「その人のお父さんが、あたしの好きな役者さんなんです!」
団長「…そっかぁ。じゃあここにはいないなあ。逢わせてあげられなくて悪いね」
優美「いえいえ、そんなあ! それにしても、ホントいい役者さんでしたよねえ! なんで辞めさせられたんでしょーかッ!?」
団長「なんだか責めるような訊き方をするね」
優美「これは元からの口調ですね! ええ、そうですとも!」
団長「…ミユちゃん、だっけ?」
優美「え、はい!」
団長「君、口は堅い?」
優美「殺害の意思ぐらい堅いですッ!」
団長「堅さの基準がよくわからんけど、まあいっか。これは内緒で頼むよ?」
優美「はい!」
団長「優美ちゃんのお父さんはね、ここを自分から去って行ったんだ。何度も引き止めたんだけどねえ」
優美「え…? だってクビになった、って…」
団長「『自分のことはクビにしたことにしてください』って、彼が頼むもんだからさ。娘の優美ちゃんには、特にって」
優美「なんで!?」
団長「彼、凄くいい役者だけど、ここでの活動だけじゃ家族を養っていけないってね、悩んでたんだよ。娘の優美ちゃんは、お父さんの夢が役者として成功することだって知ってたから、なかなか辞めるとも言い出せなかったんだって」
優美「ホンマ…?」
団長「ホンマ。だからまあ、お父さんがクビになったってことにすれば、他の仕事に就けて、家族を守れるだろう? それで辞めてったんだ」
優美「そう、だったんですか…」
団長「あ、さおりちゃんも内緒で頼むよ? 特に、優美ちゃんにはね」
さおり「手遅れだと思いますけど、了解でーす!」
秋燈、ポットを持って入場。
秋燈「失礼しまーす! お茶、お持ちしましたー! ポットに入れてあるから、あとで飲んでくださいね、ゲッパ! …あたしらが帰ったあとにでも…!」
さおり「秋ちゃん、ナイス!」
団長「ってゆうか、マジでなに? ゲッパって…」
優美「…あの、ゲッパ?」
団長「はいはい? …自然に返事をしてしまう自分が不思議だ…」
優美「あたし、これで失礼しますね。…あたしバイトでもしよう。お父さんには夢に向かってってもらわなきゃ」
団長「なにぶつぶつ言ってんの? ってゆうか、帰っちゃうの? うちは歓迎なんだから、もう少し見学してったらいいのに」
優美「いえ、もうこれで。秋ちゃん、さおりちゃん、ごめん。あたし、抜けさせてもらうね」
秋燈「え!? なんでですか!?」
さおり「いいの、秋ちゃん。あとで話す」
秋燈「え、うん」
優美「それじゃ、どうもお邪魔しましたー!」
団長「はい、また。また遊びにおいでねー」
優美「はーい! またー! 失礼しまーす! ゲッパー! ありがとうございましたー!」
優美、退場。
団長「結局なんなんだ、ゲッパってのは。なんで誰も教えてくれないんだ…。あ、そうだ、秋ちゃん」
秋燈「はい?」
団長「次の劇なんだけど、君が憧れてたユウスケ君に主役をやってもらおうと思うんだ」
秋燈「きゃー! ホントですか!?」
団長「ホントホント。でね、秋ちゃんにはまたヒロインをお願いしたくってね」
秋燈「わあ! ありがとうございます!」
団長「しかも! なんとラブコメ!」
秋燈「あたしそれ、鼻血出しますよ!?」
団長「出せ出せ! 今まで散々、演技練習でいい思いさせてもらったからね。次は秋ちゃんがユウスケ君に好きなだけすればいい。…演技練習という名の、セクハラをな…!」
秋燈「結局セクハラだったんじゃねえか! で、でも! 嬉しいです! ありがとうございますゲッパ!」
団長「そのゲッパっていうのは、最近流行りの語尾か何かなの?」
秋燈「じゃああたし、今日はこれで失礼させていただきますね!」
団長「ああ、お疲れ様。…あれ? ねえちょっと、秋ちゃん! なんでお茶持ってっちゃうの!?」
秋燈「ついカッとなってやってました。今は後悔してます」
団長「どこの容疑者だ、君は」
秋燈「じゃあ失礼しますね! ゲッパ、お疲れ様でしたー!」
秋燈、退場。
団長「お茶をー! ってゆうか、ゲッパってホントなにィー!?」
さおり「これで武器なくなっちゃった、どうしよう…」
団長「あ、そうそう! さおりちゃんにね、さっき言おうと思ったんだけど」
さおり「はい?」
団長「(引き出しから台本を取り出す)次の劇なんだけどね、ラブコメって言ったじゃん」
さおり「ええ」
団長「これをやろうと思うんだ」
さおり「え!? それって…」
団長「そう! さおりちゃんが書いてくれた『春に包まれて』! これ最高だよ」
さおり「ホントですかぁ!?」
団長「ああ! 今までなんだかんだ事情があって他の脚本家さんの話しかできなかったけど、これからはやっとさおりちゃんの本でやれそうになってね!」
さおり「わあ! ありがとうございますゲッパ!」
団長「…そろそろ真剣にゲッパが何なのか訊ねてもいい?」
さおり「そんなことより!」
団長「そんなことなんだ…? 微妙に傷ついた気がするのは何故だろう…」
さおり「さっき書いてもらったこれ!」
団長「ああ、俺が考えたセリフね? それが?」
さおり「こうさせていただきます!」
団長「あーッ! なんで破くのォー! せっかく書いたのにィーッ!」
さおり「じゃあ、あたしも上がりますね! お疲れ様でした! ゲッパ!」
さおり、退場。
団長「お茶も貰えない! 一生懸命書いたセリフは破られる! なんなんだ、うちの劇団は! 何よりも、ゲッパって一体なんなんだよォー!」
――END――
団長(男)
秋燈(女優)
さおり(脚本家)
優美(メイク)
------------------------------
秋燈「あたし、もうダメかも…。頑張れないや…。団長を好きな気持ち、もう抑えきれない…」
団長「ふふふふふ~。ん~? ごめん、よく聞こえなかった。もう1回やってくれないかなあ!」
秋燈「ちっ! …じゃ、じゃあもう1回いきます。コホン。…あたし、もうダメかも…。頑張れないや…。団長を好きな気持ち、もう抑えきれない…」
団長「きゃっほーい! イエスッ!」
秋燈「団長」
団長「ん?」
秋燈「なんでここのセリフ、相手の名前が団長なんですか?」
団長「なんだよ。別にこれは演技の練習なんだから、名前なんてどうでもいいじゃないか」
秋燈「よくありません!」
団長「なんでだよ? せっかくだからいい気分になりたいっていう、俺の純粋な気持ちはどうなる?」
秋燈「立場を悪用しないでください! セクハラで訴えますよ!?」
団長「これはね、セクハラなんかじゃ断じてない! 演技指導!」
秋燈「だったら名前のところ、団長じゃなくって、ユウスケ君にしてくださいよ」
団長「ユウスケ? はん! あんな顔が良くて、演技が上手くて、人気者の役者なんて駄目駄目!」
秋燈「なんでですか?」
団長「見ててなんか悔しくなるから」
秋燈「完っ全に私利私欲に走ってるじゃないですか」
団長「ち、違う! これはあくまで、演技指導ってゆうかだな、ほら、アレだ。カッコイイ奴とやるラブシーンより、親兄弟とやるラブシーンのほうが難しいだろ? そういうのに慣れておかなきゃ、これから先色々なシーンをだな、演じられないぞ?」
秋燈「顔が笑ってるのはなんでですか? あと、団長は親でも兄弟でもありません」
団長「そんな子に育てた覚え、ないのに?」
秋燈「ないなら、尚さら家族じゃないじゃないですか!」
団長「いいからいいから。ほら、アレだアレ」
秋燈「なんですか?」
団長「さっきのシーン、どうも気になるんだ。もう1回、行こっか!」
秋燈「(団長に聞こえないように)…っこの、ブタ野郎…! 迷ってたけど、もう決めた! 毒殺してやる。こないだたくさん毒仕入れちゃったんだから。もうホント使ってやるんだから。あとでコーヒーに入れて、飲ませてやるんだから」
団長「なにぶつぶつ言ってんだ?」
秋燈「い、いえっ! な、なんでもないですっ!」
団長「じゃ、早く早く。スタンバイスタンバイ」
秋燈「…ぬう…!」
さおり、入場。
さおり「団長、ちょっといいですかぁ?」
団長「おー、さおりちゃん。どうしたんだ? 相変わらず可愛いぞ?」
さおり「も~、やだ~。団長ったら」
秋燈「あ、あの、団長!」
団長「ん?」
秋燈「あたし、ちょっと疲れちゃったんで、一旦休憩挟みませんか?」
団長「ああ、そうだな。じゃあ、少し休憩にしようか」
秋燈「(悪い顔で)じゃあ、ちょっとコーヒー淹れてきますね」
団長「お。気が効くねえ。頼むよ」
秋燈「はーい!」
秋燈、退場。
さおり「でさでさ、団長~」
団長「うん、なに?」
さおり「あたし、今書いてる脚本で、どうしてもセリフで行き詰っちゃって、団長に相談したいんですよ~」
団長「なんだって!? さおりちゃんほどの天才がかい!?」
さおり「(団長に聞こえないように)ちっ。よく言うわ。あたしの脚本、舞台で使ったことなんてないクセに」
団長「…え? 今、なんて?」
さおり「いや今、団長の明晰な頭脳をお借りしたいな~って言ったんですぅ」
団長「はっはっは! そうかそうか! …この俺の、なんだって?」
さおり「…うっぜぇ。…だ、団長のその、素晴らしいお知恵を~」
団長「ったくぅ、仕方ないなあ! さおりちゃんがそこまで言うんなら、やむを得まい。協力してやっても、いいぜ…?」
さおり「…なんだそのクソキャラ。…うわあ、嬉しいっ! ありがとうございます団長~」
団長「で、俺は何をすればいいんだい?」
さおり「…死ねばいいのに。…あのですね? 恋人のお別れのシーンなんですけど、男役が言う別れセリフが、どうしても出てこないんですよ~」
団長「ほうほう。どれどれ?(さおりから脚本を受け取る)…ん~、なるほど。この男の人は、なかなかのロマンチストみたいだねえ」
さおり「そうなんですよ~。彼女さんとお別れを決意するんですけど、それがもう、この世の終わりみたいに考えちゃってて、死ぬ想いで言葉を絞り出すんです~」
団長「なるほどねえ。そのときの男のセリフを、俺が考えればいいのかな?」
さおり「はいっ! なるべく、こう、恋愛についてでなくって、何もかも全てからお別れしちゃうような、意味深なセリフにしたいんですよ~。お願い、できますか?」
団長「ん~。そうねえ。こういうのはどうだろう。『僕は今、絶望の中にいる』――」
さおり「(紙とペンを渡しながら)書いて書いて!」
団長「え? あ、ああ」
優美、入場。
優美「あー、団長! まだいてたんですかー?」
団長「おーう! 優美ちゃん! どうしたの?」
優美「どうしたの、じゃないでしょ~! この部屋掃除するって、あたし言ってたじゃないですか」
団長「あ、そういえば…」
優美「ほら、出てって出てって。さおりちゃんも、ごめんね?」
さおり「いえ~。じゃ団長、あっちで書いてくださいよぅ」
団長「おう、そうだな。そうしよう」
団長とさおり、退場。
優美「…ふう。これで良し、と。(団長の椅子に向かってしゃがむ)ふふ。…ここのスイッチを入れれば、団長が座った瞬間、罠が作動してナイフが飛び出し、あの男の胸に…! …お父さん、あれだけの役者やのにクビにするなんて、あたし、絶対に団長を許さへん!」
秋燈、コーヒーを手に入場。
秋燈「失礼しまーす! …あれ?」
優美「わあ! あ、秋ちゃん!?」
秋燈「あ、優美さん、団長は…?」
優美「えとね、さっき追い出したよ?」
秋燈「追い、出した? なんでですか?」
優美「え。いやほら、あ、あたし、部屋の掃除しようと思ってて、それで、ね!」
秋燈「ふうん、そうなんですか…。せっかく団長に毒、ううんっ! コーヒー淹れてきたのに…」
優美「コーヒー? あ、ちょうどよかった~。それって、あたしが貰ってもいい?」
秋燈「え!?」
優美「団長にはあとで、あたしからコーヒー淹れておくから」
秋燈「いや、でも…っ!」
優美「ちょっと初めての殺しで緊張、じゃなかった! 色々あって喉渇いててん。もらうね~」
秋燈「だっ…! ダメダメダメダメッ!」
優美「…なんで?」
秋燈「あ、あの、これはあのっ! うんと、団長のための、その、特別なコーヒーで…」
優美「特別?」
秋燈「そ、そう! これはその、あたしがですね? その、自分で育てた豆!」
優美「自分で育てたぁ!?」
秋燈「そう! 団長にですね? 飲んでもらおうと、こう、毎日お水をあげてですね、育てたんです。だから1人分しかなくって」
優美「…もしかして、秋ちゃん? 団長のこと…」
秋燈「うええ!?」
優美「上?(見上げる)」
秋燈「いえっ! そう! あ、あたし、団長のこと、す、すす、好き! なんです…」
優美「え!? そうなん!? 普段、なんか嫌がってるように見えたのに…」
秋燈「あれはですね、ポーズですポーズ!」
優美「そうなんやぁ。だったら言ってくれれば、あたし毎日秋ちゃんにメイクしてあげてたのに」
秋燈「いいええっ! ありのままの自分でいたいんでお構いなく!」
優美「あ、そうなん? …あのさ、秋ちゃん」
秋燈「…はい?」
優美「もしさ? 団長が死んじゃったらさ? その、悲しい、よね…?」
秋燈「そんなの嬉しいに決まっ、いえ! ものすっごい悲しいと思いますっ!」
優美「思いますって、なに? でも、そうやんねえ…? 悲しいよねえ…」
秋燈「?」
紙を持った団長とさおり、入場。
団長「(紙を読み上げる)『僕は今、絶望の中にいる。失意の底でこれ以上あがくのはもう無理だ。僕は、僕の全てに別れを告げよう。今までありがとう。さようなら』…って感じでどうだろう?」
さおり「最高の遺書、じゃない! 最高のセリフです団長~!」
団長「そうだろう?(紙をさおりに渡し、椅子に座ろうとする)」
優美「危ないッ!(団長を突き飛ばす)」
団長「うわ! な、なんだよ優美ちゃん、いきなり!」
優美「まだ死んだらアカン!」
団長「…ふえ?」
優美「団長は確かにダメな大人やけど、それでも待ってる人がいてるんです!」
団長「なんで俺、今説教されてんの?」
秋燈「だ、団長! コーヒー淹れておきまし、わああ!(転ぶ)」
団長「あっちぃ!」
さおり「あああ! せっかく書かせたのに~!」
秋燈「す、すみません! …ヤケドで済ませるつもりじゃなかったのに…」
団長「あーあ~。びしょびしょだ。でもまあ、これまだ読めるからいいよね? ちょっと汚れちゃったけど、はい、さおりちゃん」
さおり「ダメです! 書き直してください!」
団長「…え、なんで?」
さおり「どこの世界にコーヒーまみれの遺書、…いえ、やっぱいいです」
優美「秋ちゃん、大丈夫? ヤケドしなかった?」
秋燈「え、はい! 平気です」
団長「なんで俺の心配をしないんだ?」
さおり「それより団長、もう1つお願いしたいセリフが~」
団長「おいおい、今度はなんだよ」
さおり「えっと、どうしよ。うんとじゃあ、自暴自棄になって家族を捨てる男の捨て台詞なんて、いいと思いますかね?」
団長「質問なんだ!? それよりコーヒーでびしょびしょだ。着替えないと」
団長、退場。
さおり「あ、待ってくださいよぉ~」
さおり、退場。
秋燈「…しくじった」
優美「そうだよね、秋ちゃんがせっかく育てた豆で淹れたコーヒー、こぼれちゃったね」
秋燈「いえ、毒はまだあります」
優美「え!?」
秋燈「いえいえいえいえ! あたしじゃあ、紅茶淹れてきますんで!」
優美「色んなの育ててる子やね…」
秋燈「失礼しますっ!」
秋燈、退場。
優美「…ふう。秋ちゃん、団長のこと、まさか栽培するレベルで好きだったなんて…。いくらお父さんのためとはいえ、やっぱ団長殺すのは諦めようかなあ」
団長、入場。
団長「諦めるって、なにが?」
優美「うわあっ! だ、団長! いきなり入ってこないでくださいよ! アホか!?」
団長「みんなの部屋なのに、なんで怒られたの俺?」
優美「もー! 入るなら入るで前触れくださいよ!」
団長「前触れ、って」
優美「心臓に悪いやん! フェードインするとかしてください!」
団長「フェードイン!? そんなことができる人間がいるとは思えないけど、まあ、頑張ってみるよ」
優美「ホントお願いしますっ!」
団長「あ、ああ。ところでさ、優美ちゃん。お父さん、元気にしてる? 最近どうしてるのか、なんか心配でさあ」
優美「…自分でクビにしておきながら、いけしゃあしゃあとぉ…!」
団長「え?」
優美「げ、元気ですよ!」
団長「そうか、元気かあ。逢ったらよろしく伝えといてよ」
優美「…っこの野郎ぉ! …は、はい、伝えておきますね!」
団長「うん、頼むわ」
優美「…やっぱ死なせたる…」
団長「え? なんて?」
優美「いえ! そういえば団長! 掃除まだ終わってないから、出て出て!」
団長「え? あ、ああ」
団長、退場。
優美「…メイクだけでなく、小道具までこなすあたしの本気を見せてやるんやから! ここをこうして、と。よし! これで椅子に座ったらナイフが飛んでくるだけじゃなくて、引き出しを開けたら天井から鈍器が落ちて、団長の頭を…。ふふ」
さおり、入場。
さおり「(紙を読み上げながら)『もうヤケだ! 何もかも捨ててやる! こんな毎日、もうたくさんだ! 大事なものなんて何もない! さよならだ、さよなら!』…ふふ、いい遺書…」
優美「…さおりちゃん?」
さおり「…え? わあ! ゆ、優美さん…っ! いつの間に!?」
優美「あたし最初からいたよ?」
さおり「そ、そうだったんですか」
優美「今、なに読み上げてたの?」
さおり「あ、これですか? さっき団長に書いてもらった、えっと、うんと、ある登場人物のセリフですっ!」
優美「ふうん、遺書かと思ってびっくりしちゃった」
さおり「い、遺書だなんてそんなあ…! やだなあ、優美さんったら。優美さんはなにしてたんですか?」
優美「え!? あたし!? えっとね、お部屋の掃除! べ、別に罠なんて仕掛けてないよ!?」
さおり「罠…?」
優美「ううんっ! と、ところでさ? 団長は?」
さおり「なんか廊下でぶつぶつ言ってますよ」
優美「ぶつぶつ…? なんて?」
さおり「なんか、フェードインの練習しなきゃとか、なんとか。相変わらずわけの解らない人ですよねえ。フェードインなんてできる人、いるわけないじゃないですか」
優美「そ、そうだよね! あ、あはは。ホント団長って頭おかしいよね」
さおり「優美さん、お掃除はもういいんですか?」
優美「あ、うん、終わった終わった」
さおり「お疲れ様です~(団長の机に向かう)」
優美「ん…? あの、さおりちゃん、なにしてんの?」
さおり「ちょっと遺書を仕込み、じゃなかった! えっと、団長に頼まれたんですよ。うんと、この書類を、引き出しに入れておくようにって」
優美「引き出しィ!?」
さおり「…え。いくら関西の人だからってリアクション大きすぎですよ、優美さん」
優美「…さおりちゃん、あたしの目を見て」
さおり「え、はい」
優美「1つだけ約束して。大事な約束」
さおり「どう、したんですか?」
優美「その机の引き出しだけは、絶対に開けないって」
さおり「…え? なんでまた…」
優美「なんでって、うんと、うんと…。とにかくアカンの!」
さおり「アカンって、どうして…?」
優美「えっと、そうだ! さおりちゃん、虫って苦手?」
さおり「うわあ…。はい。すっごい苦手です~」
優美「よし! えっとね、さおりちゃん。団長の引き出しにはね? 虫の死骸がたっくさん入ってんねん」
さおり「えええ!? 虫が!?」
優美「そう! あんなのやこんなのが、うじゃうじゃ」
さおり「なんでそんなの集めてるんですかぁ? 団長~!」
優美「団長の趣味」
さおり「…さらに嫌いな要素増えた…」
優美「だからね? 引き出しだけは絶対に開けんといて! 団長の椅子にも座ったら絶対アカン!」
さおり「椅子に座っちゃいけない理由はよく解りませんけど、解りました~。別のとこに仕込みます~」
優美「…仕込み?」
さおり「いえっ! なんでもありません!」
団長「(声がだんだん近づいてくる)…団長入ります。団長入ります。団長入ります。団長入ります」
団長、入場。
団長「団長入ります。団長、入りましたー!」
さおり「なにその登場の仕方~。気味が悪い~。生理的に無理~」
優美「お、お疲れ様です! 団長!」
団長「いやあ、お疲れ様。さおりちゃん、どう? さっき俺が考えたセリフは」
さおり「いやあ! 近づかないで! 不潔~!」
団長「ふ、不潔!?」
さおり「この人ホント無理~」
団長「数分逢わない間に、さおりちゃんの心境に一体なにがあったんだ…?」
優美「あ、団長!」
団長「ん?」
優美「お掃除終わったんで、ゆっくり腰かけてください」
団長「ああ、ありがと。…なんか特別部屋が綺麗になったように見えないんだけど、まあありがとう(椅子に座ろうとする)」
優美「あ、待って!」
団長「ん?」
優美「座るのとか、引き出し開けるのとか、1人のときにしてください」
団長「…なんで?」
優美「グロいことになるから」
団長「グロいこと…? それって、どういうこと?」
優美「女の子に、そんなん見せたらアカンやろ!? アホか!」
団長「なんで俺、また怒られてんの…?」
優美「じゃ、あたしこれで失礼しまーす」
団長「え、あ、うん…」
優美、退場。
さおり「あたしも、団長と同じ空気を吸いたくないので失礼しますっ!」
団長「ちょっと待って、さおりちゃん! どうしてそこまで嫌われてんの俺?」
さおり「団長! 胸に手を当てて、ご自身の趣味を振り返ってください!」
団長「え、あ、はい…。えっと、アウトドア、読書、音楽鑑賞。…特におかしいところはないと思うんだが…」
秋燈、入場。
秋燈「団長、紅茶淹れてきました~!」
団長「え、ああ。ありがとう」
さおり「じゃあ、あたしはこれで!」
団長「ちょっと待って! 全然腑に落ちないから! …そうだ! さおりちゃんに改めて話があったんだよ。えっと、ちょっと待っててね。確かこの引き出しに…」
さおり「きゃあ! なに開けようとしてるんですかぁ!(団長を突き飛ばす)」
団長「うわあ!(秋燈とぶつかる)」
秋燈「きゃあ!(紅茶を団長の上に落とす)」
団長「うわっちぃ!」
秋燈「ああー! また失敗ー!」
団長「失敗ってなんだ! なんで謝らないんだ!」
さおり「秋ちゃん、ごめーん! 大丈夫だった!?」
秋燈「え、あ、うん。大丈夫」
団長「君らは意地でも俺を心配しないんだな…。ああ、も~。なんでこの短い期間に2度も着替えるなんて目に…」
団長、退場。
さおり「秋ちゃん、本当にごめんね?」
秋燈「ううん、ホント大丈夫だよ? ありがと」
さおり「ううん、ごめんね? あたし、代わりに紅茶淹れてくるね」
秋燈「あ、それはもういいよー。…ちっ! またヤケドで済んだか…」
さおり「えっ?」
秋燈「え、ううん! なんでもない! さおりちゃんは、なにしてたの?」
さおり「どこに遺書を置いておくか考え…、じゃなくって! とにかくもう、あたしこの部屋から出たいの」
秋燈「え? なんかあったの?」
さおり「優美さんから聞いちゃったの」
秋燈「なにを?」
さおり「団長の机、虫の死骸でいっぱいなんだって!」
秋燈「ええ!? それ、ホント!?」
さおり「あたし見てないけど、ホントっぽいよ? あんなのや、こんなのが、うじゃうじゃ入ってるんだって」
秋燈「なんでそんなの入ってるの~…?」
さおり「なんかね、団長の生き甲斐らしいよ? 毎夜毎夜、虫を集めては殺し、集めては殺しってやってるんじゃないかなぁ?」
秋燈「うわあ…。クソ野郎以上の人って、なんて言ったらいいの~…?」
さおり「うんとね、辞書に載ってるような言葉じゃ言い表せないよね…。『ゲス野郎を八つ裂きにしてやりたい』の略で、ゲッパってどう?」
秋燈「さっすが脚本家! あたしもう、団長のことゲッパって呼ぶ~!」
さおり「じゃああたしも~!」
優美、変装をして入場。
秋燈「…もしかして、優美、さん…?」
さおり「…どうしたんですか、その恰好…」
優美「あ、2人ともいたんだ!? ちょっと団長の死体を確認、じゃなかった! 2人ともなにしてたの? 団長は?」
秋燈「知りません! ゲッパのことなんか」
さおり「ゲッパになんか用ないです」
優美「ゲッパって、なに…?」
秋燈「団長の新しいあだ名です」
優美「へえ、そうなんや。由来はわかんないけど、じゃああたしもゲッパって呼ぶわ」
さおり「優美さんは、なんでそんな恰好してるんですか?」
優美「人に見られたら困…、あ、いや! これはね! うんと、新しい手法でメイクを試してみて…! あ! そうだ! 団長に見てもらおう思うて、だからゲッパ? ゲッパ探してたん!」
さおり「まるで今思いついたような言い方だけど、なかなかいいじゃないですか~」
優美「そう? えへへ。ありがとう。ところでさ、なんで団長って、ゲッパって呼ばれてるん?」
秋燈「さおりちゃんが考えてくれたんです。ゲス野郎を八つ裂きにしたい、の略ですよ」
さおり「そうそう」
優美「へ? 秋ちゃん? だってさっき、ゲッパのこと好きって言――」
秋燈「わーわー! あんな人、実はなんでもないですよ! むしろ死んでほしいぐらいです!」
さおり「そうそう。ゲス野郎を八つ裂きにしたい」
優美「解る解る」
しばし沈黙。
3人「…あのさあ」
さおり「あ、どうぞぞうぞ」
優美「いやいや、先に言って」
秋燈「いえいえいえいえ、お先にどうぞ」
さおり「…じゃあ、あのさ? 2人はゲッパのこと、ホントに死んだらいいって、真面目に思ってたり、するのかな…?」
優美「正直、はい…」
秋燈「100回ぐらい死んだらいい」
さおり「だよね~」
優美「…あのさ?」
さおり「はい?」
優美「…ゲッパ、ホントに殺そう、ぐらいに考えてる人、いたりする…?」
秋燈「まあ、毒殺したいなあ、ぐらいですかねえ? いっつもセクハラしてくるから」
さおり「あたしの場合は、自殺に見せかけたいなあ、的な? いつまで経ってもあたしの脚本使わないし」
優美「あたしは、お父さんクビにされた恨みかな。トラップ仕掛けて自分の手ぇ汚さへん」
秋燈「それ、いい!」
さおり「それだったら、ゲッパの筆跡で書かれた遺書なんてあったら良くない? こんな感じで」
優美「どれどれ? へえ、こんなんあったらホント自殺だと思われるね!」
秋燈「本当! これ、ゲッパの字そっくりー!」
さおり「これ実際、ゲッパの字だよ?」
優美「そうなん!?」
さおり「さっき書かせたの。(悪い顔で)…脚本のセリフを考えてくれ、ってね」
秋燈「あったまいー! さおりちゃん! それだったら毒飲ませても自殺扱いされそう!」
優美「毒?」
秋燈「そう! あとでお茶に毒淹れてさ、ゲッパに飲ませれば…」
さおり「でも毒なんて、そう簡単に手に入らなくない?」
秋燈「それがね、あたし持ってるの」
優美「ホンマ!? だったら罠に仕掛けるより、そっちのほうがええやん!」
さおり「待って! 罠は罠でさ、こっちでアリバイ作りやすくない?」
優美「ううん、それだとあとで罠があった跡を仕舞わなきゃいけないから、そこがネックなんよねえ」
秋燈「あ、そっかぁ。じゃあやっぱり、あたしの毒で…」
優美「それがええね。あ、ちょい待ちぃな(優美、罠を解除する)」
さおり「優美さん? それって…」
優美「実はね、あたし、本気なんだ。だからさっき仕組んでおいたの」
秋燈「そうだったんですか!? 実はあたし、さっきからコーヒーや紅茶に毒を…。失敗しちゃったけど」
さおり「あたしが書かせた遺書、役に立たせて」
優美「ありがとう!」
秋燈「あたし、ちょっとお茶淹れてきます!」
秋燈、退場。
優美「問題は、いかにあたしらがいーひん間に、ゲッパにそれを飲ますか、やな」
さおり「ですね。どう言いくるめましょうか?」
団長「(声がだんだん近づいてくる)…団長入ります。団長入ります。団長入ります。団長入ります」
団長、入場。
団長「団長入ります。団長、入りましたー!」
さおり「マジうっぜぇ、このゲッパ…。なんでさっきからその入り方なんだよ」
優美「お疲れ様です、ゲッパ!」
団長「お疲れー! …ゲッパってなに? ってゆうか、あなたは?」
優美「うっそ! あたし、気づかれてない!? どんだけ鈍感!?」
さおり「あ、こ、この方は、えっと、あたしの友達の、えっと、ミユちゃんですっ! うちの劇団の、ファ、ファンなんで見学に…!」
団長「あ~、始めまして。ここの団長を務めている者です」
優美「は、始めまして。ミユでーっす!」
団長「うちのファンだなんて、ありがたい。どなたか好きな役者さんとか、いますか?」
優美「えっと、はい! うんと、ここのメイクの優美さんって、いてはるじゃないですか?」
団長「優美ちゃんね? はいはい」
優美「その人のお父さんが、あたしの好きな役者さんなんです!」
団長「…そっかぁ。じゃあここにはいないなあ。逢わせてあげられなくて悪いね」
優美「いえいえ、そんなあ! それにしても、ホントいい役者さんでしたよねえ! なんで辞めさせられたんでしょーかッ!?」
団長「なんだか責めるような訊き方をするね」
優美「これは元からの口調ですね! ええ、そうですとも!」
団長「…ミユちゃん、だっけ?」
優美「え、はい!」
団長「君、口は堅い?」
優美「殺害の意思ぐらい堅いですッ!」
団長「堅さの基準がよくわからんけど、まあいっか。これは内緒で頼むよ?」
優美「はい!」
団長「優美ちゃんのお父さんはね、ここを自分から去って行ったんだ。何度も引き止めたんだけどねえ」
優美「え…? だってクビになった、って…」
団長「『自分のことはクビにしたことにしてください』って、彼が頼むもんだからさ。娘の優美ちゃんには、特にって」
優美「なんで!?」
団長「彼、凄くいい役者だけど、ここでの活動だけじゃ家族を養っていけないってね、悩んでたんだよ。娘の優美ちゃんは、お父さんの夢が役者として成功することだって知ってたから、なかなか辞めるとも言い出せなかったんだって」
優美「ホンマ…?」
団長「ホンマ。だからまあ、お父さんがクビになったってことにすれば、他の仕事に就けて、家族を守れるだろう? それで辞めてったんだ」
優美「そう、だったんですか…」
団長「あ、さおりちゃんも内緒で頼むよ? 特に、優美ちゃんにはね」
さおり「手遅れだと思いますけど、了解でーす!」
秋燈、ポットを持って入場。
秋燈「失礼しまーす! お茶、お持ちしましたー! ポットに入れてあるから、あとで飲んでくださいね、ゲッパ! …あたしらが帰ったあとにでも…!」
さおり「秋ちゃん、ナイス!」
団長「ってゆうか、マジでなに? ゲッパって…」
優美「…あの、ゲッパ?」
団長「はいはい? …自然に返事をしてしまう自分が不思議だ…」
優美「あたし、これで失礼しますね。…あたしバイトでもしよう。お父さんには夢に向かってってもらわなきゃ」
団長「なにぶつぶつ言ってんの? ってゆうか、帰っちゃうの? うちは歓迎なんだから、もう少し見学してったらいいのに」
優美「いえ、もうこれで。秋ちゃん、さおりちゃん、ごめん。あたし、抜けさせてもらうね」
秋燈「え!? なんでですか!?」
さおり「いいの、秋ちゃん。あとで話す」
秋燈「え、うん」
優美「それじゃ、どうもお邪魔しましたー!」
団長「はい、また。また遊びにおいでねー」
優美「はーい! またー! 失礼しまーす! ゲッパー! ありがとうございましたー!」
優美、退場。
団長「結局なんなんだ、ゲッパってのは。なんで誰も教えてくれないんだ…。あ、そうだ、秋ちゃん」
秋燈「はい?」
団長「次の劇なんだけど、君が憧れてたユウスケ君に主役をやってもらおうと思うんだ」
秋燈「きゃー! ホントですか!?」
団長「ホントホント。でね、秋ちゃんにはまたヒロインをお願いしたくってね」
秋燈「わあ! ありがとうございます!」
団長「しかも! なんとラブコメ!」
秋燈「あたしそれ、鼻血出しますよ!?」
団長「出せ出せ! 今まで散々、演技練習でいい思いさせてもらったからね。次は秋ちゃんがユウスケ君に好きなだけすればいい。…演技練習という名の、セクハラをな…!」
秋燈「結局セクハラだったんじゃねえか! で、でも! 嬉しいです! ありがとうございますゲッパ!」
団長「そのゲッパっていうのは、最近流行りの語尾か何かなの?」
秋燈「じゃああたし、今日はこれで失礼させていただきますね!」
団長「ああ、お疲れ様。…あれ? ねえちょっと、秋ちゃん! なんでお茶持ってっちゃうの!?」
秋燈「ついカッとなってやってました。今は後悔してます」
団長「どこの容疑者だ、君は」
秋燈「じゃあ失礼しますね! ゲッパ、お疲れ様でしたー!」
秋燈、退場。
団長「お茶をー! ってゆうか、ゲッパってホントなにィー!?」
さおり「これで武器なくなっちゃった、どうしよう…」
団長「あ、そうそう! さおりちゃんにね、さっき言おうと思ったんだけど」
さおり「はい?」
団長「(引き出しから台本を取り出す)次の劇なんだけどね、ラブコメって言ったじゃん」
さおり「ええ」
団長「これをやろうと思うんだ」
さおり「え!? それって…」
団長「そう! さおりちゃんが書いてくれた『春に包まれて』! これ最高だよ」
さおり「ホントですかぁ!?」
団長「ああ! 今までなんだかんだ事情があって他の脚本家さんの話しかできなかったけど、これからはやっとさおりちゃんの本でやれそうになってね!」
さおり「わあ! ありがとうございますゲッパ!」
団長「…そろそろ真剣にゲッパが何なのか訊ねてもいい?」
さおり「そんなことより!」
団長「そんなことなんだ…? 微妙に傷ついた気がするのは何故だろう…」
さおり「さっき書いてもらったこれ!」
団長「ああ、俺が考えたセリフね? それが?」
さおり「こうさせていただきます!」
団長「あーッ! なんで破くのォー! せっかく書いたのにィーッ!」
さおり「じゃあ、あたしも上がりますね! お疲れ様でした! ゲッパ!」
さおり、退場。
団長「お茶も貰えない! 一生懸命書いたセリフは破られる! なんなんだ、うちの劇団は! 何よりも、ゲッパって一体なんなんだよォー!」
――END――