夢見町の史
Let’s どんまい!
March 09
「俺が金縛りに遭うのってよ~、決まって夜中の1時でさあ~」
トメの顔色は、まるで風邪でもひいてしまったかのような具合だ。
「日本時間にしてみると、ちょうど2時なんだよ~。丑三つ時でさぁ~」
この悪友に覇気はないが、時差ボケで体調を壊したわけではないらしい。
そもそもフィリピンならば、時差ボケを起こすほどの距離じゃない。
トメはフィリピン人と日本人のハーフで、彼の言う里帰りはすなわち、母親の住むフィリピンへの遠征をさす。
あれは高校2年の夏で、トメは夏休みを利用して、そんな「里帰り」をしていた。
帰国したトメの話に、俺は付き合わされている。
「毎晩毎晩、そのホテルで金縛りに遭ってよ~」
聞けば彼は、生まれて初めて金縛りを体験したのだという。
「金縛りが解けた瞬間、怖くて叫んで、毎晩部屋を飛び出したよ~」
大きいホテルだったのだろう。
トメには兄弟がいたが、1人1室があてがわれたらしい。
「もう『あァーッ!』って叫んでよ~。廊下に転がり出て、弟の部屋をガンガン叩いて、みんなを起こしたよ~」
迷惑な長男である。
「でも、体が動かなくなるだけなんだろ?」
「ばっかオメー、それがどんなに怖えことだと思ってンだよ~。恐ろしいことぜ?」
「まあ、俺もチキンだから気持ちは解る」
経験がないので想像するしかないが、原因不明で体の自由が奪われる怪現象は、確かに恐怖だ。
「今でもコレがねえと、怖くて生活できねえよ~」
トメがシャツの中から、十字架のペンダントを引っ張り出した。
向こうの教会で渡された物なのだそうだ。
ペンダントを仕舞い、彼は話を続ける。
「毎日同じ時間に、絶対に金縛りにかかるからよ~、俺、試すことにしたんだよ~」
「何を?」
トメは、日本で見た心霊番組を思い出したのだと言う。
ある霊能力者が、その番組で金縛りついて語っていたのだそうだ。
金縛りには2種類ある。
疲労が原因によるものと、霊なる存在が引き起こすものだ。
見分け方は簡単で、目を開けてしまえば判別できるらしい。
「目を開けると、どうなるの?」
「何も見えなかったら疲れの金縛りで、何か変なものが見えたら霊だってよ~」
そんなの嫌だ。
何か変なものが見えるって、どういうことだ。
見えちゃった時点で、俺だったら舌を噛んで死ぬ。
「俺も嫌だったけど、とうとう目を開けることにしたんだよ~」
やらなきゃいいのに。
「そしたらさあ…」
まぶたにまでは、金縛りの効果が及んでいなかったのだろう。
おかげで、トメは見てしまった。
鍵がかけてあるはずのドアが、勝手に開くのを。
トメに向かって一直線に走り込んでくる、透き通った子供の姿を。
子供は、地面から少し浮かんでいた。
「マジで!?」
夏なのに鳥肌が立った。
だから目なんか開けなきゃいいのに。
「それでどうしたの!?」
「もう俺よ~、怖くて怖くてさ~」
トメはもう怖くて怖くて、とんでもないことを仕出かした。
霊なる理由の金縛りを、なんと己の筋力だけで解き、強引に体の自由を取り戻すと、ベットから足を下ろし、駆け寄ってきた子供の霊に蹴りを放った。
前代未聞この上ない。
霊に対しての物理攻撃なんて、聞いたことがない。
生身の人が、霊の人を蹴った。
「…何やってんの、お前」
「もう、怖くてよ~」
「お前のほうが怖い」
蹴られた子供は、壁まで吹っ飛んだらしい。
化けて出て、まさかそんな酷い仕打ちを受けるとは予想しなかったに違いない。
「ってゆうか、幽霊って蹴れるものだったんだ…。透き通るものだとばかり…。誰も実際には試さないだろうから、知らなかった…」
「なんでか分かンねえけど、取り合えず当たったぜ? ガキ、よろめいてたよ~」
「足に来てる、その子…」
「ンでさあ~」
トメの嫌な霊体験談は続く。
「うわああああ!」
加害者は叫び、再び家族を叩き起こす。
俺はもう、トメと口を利きたくない。
蹴りくれた事件のことを家族に話し、一緒に部屋まで来てもらうと、子供の姿は既になく、トメは弟の部屋に入れてもらったのだそうだ。
「どうやらそのホテル、前に一家心中があったらしくってよ~」
「子供は?」
「その家族の子供っぽいよ~」
「遊んでほしかったんじゃないのか? その子は」
「かも知れねえ」
「蹴るなあ!」
「おかげで、呪われちまったよ~」
そりゃ呪われもするだろう。
詳しく聞けば、トメにかかった呪いというのが、また一風変わっていた。
フィリピンのそこはキリスト教の信仰があるらしく、ところどころに十字架が飾られている。
トメにかけられた呪いは、そういった十字架を触れるだけで壊してしまうという、いかにも罰当たりな呪いだった。
台座が取れ、キリスト様がもげる。
壁にかけてあったギターを持ち上げただけで、数メートル先の十字架が落下する。
大暴れだ。
なんというか、野蛮で悪魔じみたトメに、よく似合う呪いだ。
「俺がもし現地にいたら、お前をどっかに閉じ込める」
「さすがに困ってさあ、教会でお祓いしてもらったよ~」
教会という西洋風の施設で「お祓い」という表現が正しいのかどうかは解らないが、とにかくトメはそこで何かしらの儀式をしてもらい、霊現象を静めてもらったのだと言う。
「そこで、このペンダントを貰ったんだよ~」
トメは再びペンダントを取り出す。
よほど大事なのだろう。
「しばらく外せねえよ~」
そうかトメ。
その、今時ガチャガチャでも売ってなさそうな恐ろしいまでに安っぽい十字架なんだが、1つ腑に落ちない点がある。
「んあ?」
お前が大事そうに身につけているそれ、何故に蛍光塗料が塗られているのだ。
「おう。暗闇で光るぜ?」
それが何になる。
そこそこ怖い話のはずなのに、お前のせいで台無しだ。
普通の霊体験をしろトメ。