夢見町の史
Let’s どんまい!
February 23
普段から何かとお世話になっている酒場は雑然と混み合っていて、中には知った顔もあった。
さすがは地元だ。
「N島さん」
知人に声をかけ、手を振る。
N島さんは「またお前かよ」と毒づきながらも席を移動し、ふらふらと危なっかしい足取りでこちらまでやってきた。
もう既に泥酔し、眠りたくなっているのだろう。
彼は目を細め、うつむき始めている。
挨拶もそこそこに、俺は悪友とグラスを合わせ、談笑に励む。
悪友が何かしらの冗談を口にして、ツッコミを入れようと横を向いた瞬間、俺は仰天して目を大きく開いた。
炎だ。
この場に似つかわしくない火炎が、在り得ない場所から発生している。
N島さんの頭が燃えていた。
ちょっとした人体発火みたいなことになっている。
おそらくタバコの火が髪に触れたのだろう。
N島さんの周りだけ、ちょっぴり明るくなっていた。
当たり前のことだが、それなりに熱かったのだろう。
N島さんは飛び跳ねるように起き、「この人こんなに速く動けたんだ」と小さく驚かされるぐらいの速度で頭を振り、手で払って火を消した。
119番の必要はなさそうだ。
このボヤ騒ぎに店内では早くも爆笑の声が響き渡っている。
中には露骨にN島さんを指差し、「日本のお笑いはレベルが高い」と言わんばかりに大笑いして召されそうになっているおばちゃんまでいらっしゃった。
大事に至らなかったからこその雰囲気だ。
N島さんにも怪我はないし、髪型が著しく変わったわけでもない。
その点は本当によかった。
「N島君、お客さんたちがね? 面白かったって」
店の姐さんが声をかけると、N島さんはムッとした顔になる。
「俺は酸化するところだったんだぞ」とでも言いたげな気配だ。
「やべ。怒らせちゃった。めさ君、お願い」
姐さんに託され、素早く頷いて了解の意を示す。
俺はN島さんの肩を叩いた。
「N島さん、怒らないの。しょうがないじゃん。店のスプリンクラーが回るところだったんだよ?」
火に油を注ぐようなことを、あえて言う。
下手にフォローを入れるより、先ほどの一件が彼にとってもオイシイことであると気づかせるほうが、N島さんにとっては効果的であると知っているからだ。
それにしても焦げ臭い。
「N島さん、火災保険が降りるよ」
「く…!」
怒りたいところだから、ここで笑ってしまっては負けだとでも思っているのだろう。
N島さんは笑いをこらえている。
「さっきのN島さん、なに? たいまつのつもり?」
「う、ぐう…!」
「夏にやったキャンプファイヤーを思い出したよ」
「く、フフ!」
「酸素を無駄に消費するの、やめてもらえる?」
「ふはは! お前、いい加減にしろ!」
互いに笑い合う。
「ヤケドしてなくってよかったよ」と告げ、続けて火の元に注意するよう促した。
気が済んだらしく、再度N島さんは寝る姿勢に入る。
カウンターの上で伏せ、安らかに寝息を立て始めた。
しかし彼の頭の近くには灰皿が。
火が付いたままのタバコが2本も入っている。
もしかして、わざとやっているのだろうか。
灰皿をそっとどかし、俺は再び悪友との対話に戻る。
心配になってたまにN島さんの様子を伺うと、彼は微動だにしない。
燃え尽きて、真っ白な灰になっている。
February 21
仕事仲間からの問いに、俺は「伊坂幸太郎さん」と応える。
「彼は重たいこともさらりと書くし、読んだ後に爽快感があって、俺好みの小説が多いんだよね」
職場がスナックということもあって、ほどよく酔った俺は饒舌だ。
お客さんを放ったらかして、従業員同士のしばしの談話。
「初めて読んだ彼の作品がね、重力ピエロっていうタイトルなんだ。それを読んでから、伊坂さんの本を買うようになった」
重力ピエロの感動ポイントなど、俺は熱を込めて同僚に語る。
「とにかくスゲー良かったよ、重力ピエロ」
するとフロアレディのHちゃんは「別にエロくないじゃないっスか」と不思議そうに首を傾げる。
その謎の反応に、俺も同じ角度で首を傾けた。
店の喧騒のせいか、はたまた俺の発音が少し悪かったのかも知れない。
彼女の耳には、重力ピエロが次のように聞こえていた。
「16Pエロ」
ふしだらすぎる。
16って、そこまで団体戦だったらもう人数とかどうでもいいだろ。
男女の比率も知りたい。
だいたい16Pの時点で相当エロいのに、わざわざ最後にエロと加える抜かりのなさ。
そんなストレートなタイトル、官能小説だって付けないだろう。
ただの聞き間違えなのだが、Hちゃんの素晴らしい才能に嫉妬してしまいそうだ。
重力ピエロが16Pエロ。
俺は膝から崩れ落ちた。
間違いなく俺の負けだ。
「がはははは! 16Pって! お祭りかよ! あーっはっはっは! ひー! 息が! なんで俺、そんな本買ってファンになってんだよ! がはははは!」
「めささん! 日記に書かないで!」
「無理! だって16Pだぜ!? その16人は何繋がりなんだ! がはははは!」
目には早くも涙が。
息が、吐けるのに吸えない。
背後に死神でも微笑んでいるんじゃないかと疑うぐらい苦しい。
「16Pエロー! あーはははは! 昔、熱帯魚屋にいた小学生が『エロンガータス』っていう魚を見て『エロンガー、タス!』って叫んだことを思い出した! ふはははは!」
手をバンバン叩く。
お客さん方、置いてきぼりにしてしまい、誠に申し訳ございませんでした。
February 14
そのようなことを悪友が前触れもなく言い出した。
ガンダーラというのはいわゆる楽園とか理想郷の一種で、ゴダイゴという日本人で構成されたバンドが歌にしたことで名を広めた。
当事は西遊記がドラマ仕立てで放映されていて、そのエンディング曲がガンダーラだったのだ。
ちなみにオープニングで流れていた曲目はモンキーマジック。
どちらも名曲である。
「首相がガンダーラを目指し始めたらよ~」
悪友が続ける。
「そいつ既にモンキーマジックにかかってるよ~」
モンキーマジック。
直訳すれば猿の手品。
そんなものに引っかかってしまうような人が日本のリーダーをやっている時点で非常に不安だが、俺は別のことを考え始めている。
「そうなった場合の国会中継が見てみたいな」
モンキーマジックをかけてやろうと大量の猿たちが国会議事堂を襲撃する。
なんてファンタスティックな映像だろう。
視聴率だってうなぎ上りに違いない。
「ちきしょう、猿どもまた来やがった! 何か議論しようとすればすぐこれだ!」
「迎え撃て!」
いきなり国会中継じゃない感じが素敵ではないか。
悪友も俺も、目を輝かせて妄想に励む。
「野郎! マグナムが効かねえ! こいつらただの日本猿じゃねえぞ!」
どうしてそんな物を持って来ているのだ。
猿も凄いが、あんたも凄い。
「くそ! このままじゃ数で負ける! 他の議員たちはまだか!」
なんで警察とかに頼らない?
「みんなー! もう何もかも忘れてガンダーラ行こうぜ。そこに行けばどんな夢も叶うってゆうし、生きることの苦しみさえ消えるよーん」
「首相! 気をしっかり持って!」
「首相がモンキーマジックにかけられた! ちきしょう、いつの間に…!」
なんか楽しそう。
「くそが! 猿どものせいで、まともに会議できたためしがない! こいつらの目的は一体なんなんだ!」
すみません。
そこまで考えていませんでした。
それにしても強いな猿。
悪友と2人、大いに盛り上がる。
「ちきしょう! 絶対に生きて帰るって家族と約束したんだ! こんなところでくたばってたまるか!」
「ぎゃはははは! 猿の襲撃を予想していたならもっと対策しっかり立てとけよ~」
朝まで飲んで、語ったことがこんな妄想話。
内容の薄さに落胆の色が隠せない。
February 13
こいつのせいで、俺にとっての青春の思い出はときに、人から「伝説」と呼ばれてしまうことがある。
悪友のトメが、職場のスナックに飲みに来た。
挨拶代わりの第一声からして一般的ではないところがまた彼らしい。
「俺さあ~、最近よ~、出会い系サイトにハマっててさ~」
いきなり飢えてる発言。
そもそも出会い系サイトって、ホントに出会えるの?
「おう。いつもいい感じになって待ち合わせしようかって話になってさ~。あいつら商売上手いよな~。丁度いいところでポイントが切れるよ~」
それって結構な金額になるんじゃねえのか?
「安いとこもあるんだけどよ~、基本的には金かかるよ~。相手のプロフィール見るときとか、返信するときにポイントかかるからよ~。それが嫌で退会しようとしても、出来ないしよ~」
え?
退会出来ない?
なんで?
「退会しようと思うじゃん? そんで退会画面まで進むと『ホントにそれで後悔しませんか?』って怒られるんだよ~」
お前の意思ってどこにあるんだ?
だいたいさ、サクラだって多いんだろ?
「おう、スゲー多いぜ? 見る?」
見る見る!
どこの時点でサクラだってことが解るのか、興味ある!
今見れるの?
ケータイ貸して!
「おら、これだよ」
なになに?
愛情を込めてエッチなことをして欲しい?
いきなりそっちの話かよ。
やる気満々だな。
「プロフィールの画像もスゲーぜ?」
どれどれ?
おお、めっちゃ可愛いじゃん!
でもなんでこの娘、いきなり片乳出してんの?
最初の段階で半裸になってる理由が知りてえよ。
「全くだよ~。誰に撮ってもらったんだって話だよな~」
確かに自分で自分を撮った構図じゃねえな。
少なくともこの娘には、自分のヌードを撮らせる何者かがいる。
「ちなみに最近はさ~、他のサクラの人と仲良くなっててさ~」
お前の楽しみ方が特殊だってことはよく解ったよ。
そのサクラの人とは、結構メールの応酬してんの?
「それがさ~、俺よ~、元々メール嫌いじゃん?」
ああ、そうだな。
今まで俺、お前からメアド教えてもらったことなんて1度もねえもん。
「だろ~? だからメール返すのが面倒でさ~」
なるほどな。
さっきから気になっているんだけどさ。
「ん?」
お前、最初「出会い系サイトにハマってる」って言ったよな?
「おう、ハマってるぜ?」
でもお前、相手がサクラだって簡単に見分けるし、しかも退会しようとしたじゃねえか。
要するにお前、何1つハマってねえよ。
なんで「ハマってる」って言うんだ。
「おう。スゲー面倒臭いぜ? 有料だしよ~」
つまりお前、なんにも楽しんでねえじゃねえか!
普通だったら「出会い系に手ェ出してるけどハマってはいない」みたいに取り繕うだろうに、なんでお前は逆なんだ。
自ら「ハマった」って、言ってるそばから興味持ってねえじゃん!
「暇つぶしに始めたんだよ~」
メール嫌いな人には向いていないってことに最初に気づかなかったんですか!?
悪友との酒盛りは続く。
February 03
それは「続・永遠の抱擁が始まる」を書いている途中のことで、確か5話だか6話ぐらいまで話が進んでいた時期だったと思う。
女友達が2人で、うちに遊びにきた。
お酒を作り、それぞれにグラスを渡す。
「じゃあガールズトークしようぜ!」
自分の性別を忘れたかのように、俺は目を輝かせていた。
2名の女子はというと、なかなかどうして辛辣だ。
「うちら勝手に喋ってるから、めさは永遠の抱擁の続き書いてていいよ」
「早く書け。今書け」
なんで俺の家なのに、俺は話に混ぜてもらえないのだろうか。
小説の続きを楽しみにしてくれるのはありがたいが、少しは労わってほしいものである。
「もうあったまきた!」
俺はパソコンに向かう。
「男女が食事してるレストランに隕石を落として話を終わらせてやる!」
作者、まさかの暴挙に出る。
例のレストランか俺の自宅に隕石が降れば、確かにあの話は続かない。
我ながらとんでもない人質を思いついたものである。
「そんなの嫌だけど」
友人は迷いを露にする。
「それはそれで読んでみたいかも」
「じゃあ、いつか強制終了バージョンも書いてみようかな」
夢もへったくれもない悪い冗談みたいなことにしかならないんだろうなあ。
なんてことを俺は考えた。
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小出しに運ばれてくるいくつもの料理に舌鼓を打つ。
キャンドルに灯った小さな炎がわずかになびき、それがあたしには喜びに震えているように見えた。
このような錯覚を起こすあたり、自分は単純なのだろう。
「展開からしてさ」
テーブルの上に指を組んで、あたしはそこに顎を乗せる。
「まだ続くんでしょ? その話」
ワインで少し頬を赤くしながら、彼は頷く。
「もちろん」
次の瞬間、夜空全体が光を放ったように、あたしには見えた。
凄まじい爆発音と同時に店内の照明が消え、瞬時に建物が大きく揺れる。
他の客たちの慌てる声が耳に入ってくる。
「地震!?」
「いや、隕石だ!」
なんでこのタイミングで隕石?
どこに落ちたのだろうか。
「逃げたほうが良さそうだ」
彼の目線を追うと、倒れたキャンドルが早くもテーブルクロスを焦がしている。
「ねえ、話の続きは?」
「そんなのあとだ!」
逃げ惑う人々の列に、あたしたちも混じる。
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なんかもう、書きたくないんですけど。
そう告げると、友人らは勝手に盛り上がっている。
「で、ビルが倒壊してさ、永遠の抱擁が始まる」
「あはははは!」
ブラックすぎるだろ、それは。
最悪な後味じゃないか。
「まあ冗談は置いといてさ、早くちゃんとした続き書いてよ。あたしら飲んでるから」
「早く書け。今書け」
ここが俺の家でなかったら「もう帰る!」といじけてしまうところである。
「もうあったまきた!」
俺はパソコンに向かう。
「男女が食事してるレストランに隕石を落として話を終わらせてやる!」
今にして心から思う。
早まらなくて、本当によかった。