夢見町の史
Let’s どんまい!
July 04
移動の最中は皆がパジャマだから通行人たちからの視線が痛い。
今さらながら、牛柄のパジャマは目立つ。
ガチャピンやピンクパンサーの気ぐるみを身に着けた男子たちも俺と同じく、堂々と歩いたらいいのか恥じらったらいいのか判断がつかない様子だ。
挙動不審になっている。
俺は赤面しつつ、空を見上げた。
「へっ! 普通の服を着てるような連中に俺の気持ちなんて解んねーよ」
どこの世界の不良も発しないであろう不思議な一言だ。
居酒屋に入るときは示し合わせたかのように俺は1人きりにされ、どシラフの店員さんと対決させられた。
「あれ? 予約入っていませんか? ひらがなで、めさって名前で予約が」
入っているはずの予約が入っていなかったこと。
パジャマ姿で1人ぼっちにさせられたこと。
どう見ても日本人なのに「めさ」と名乗りを上げていること。
俺を辱めるには充分な環境である。
表からこちらを見守っている参加者さんたちを小刻みに手招きし、「早く来て!」と大音量でテレパシーを送る。
同時に店員さんに「今から大人数なんですけど入れますか?」と引きつった笑顔で問い、入店に必死だ。
みんなー!
誰か1人でいいから俺のそばに来いよォ!
なに玄関先から俺のテンパった様子を観察して楽しんでだよォ!
店員さん!
なんであんたら「どうしてパジャマをお召しで?」の一言が言えねえんだよ!
不思議だろうが、こんな三十路!
訊ねろよ!
そういうイベントやったんですってちゃんとした理由を説明させて!
俺が可哀想だろうが!
めさって、何それ?
本名?
みたいな顔はもっと陰でやってくれー!
様々な思惑により、このときの俺は相当あたふたとしていた。
俺は今までこんなに怪しい奴を見たことがない。
そのような、普通だったらしなくてもいい苦労をしてなだれ込んだ居酒屋にはステージなどないわけだから、俺は参加者様たちと同じテーブルを囲い、同じ目線で会話を楽しむことができる。
ピンクパンサーの彼が後半、たまらなくなったらしくトイレで私服に着替えたのを叱ったりした。
「なんで着替えるんだよ、もー! 空気読めよー!」
「めささんだってジンベエに着替えてるじゃないですか! いつの間に!?」
「ばか! 恥ずかしいからに決まってんだろ!」
イベント中よりもさらに饒舌になって、俺は散々喋り倒す。
挙句、最後のほうで俺は、
「せっかくのお台場だから海を見たい」
彼女のようなセリフを口にしていた。
「ねえ、海ってどっち?」
「基本的にはどっちに進んでもいつかは海には着きます」
「なるほど! 確かに! じゃあ最短の海はどっち?」
「最短の海、とは?」
日本語の難しさを実感しつつ、ほろ酔い加減の一行は浜辺へ。
レインボーブリッジやホテル、屋形船の明かりが綺麗だ。
しかもお台場に砂浜があることを知らなかったため、夜の砂地に俺のテンションは急上昇する。
「海だー! うおー! 浜辺スゲー! きゃっはーい!」
たまに自分で疑問に思う。
俺は本当に33なのか。
この嬉しくてたまらない感じは一体なんだ。
遠くでわずかに光る東京タワーもいい感じである。
夏の夜。
綺麗な夜景と目前の海。
ここは1つ、クサいセリフの1つも放つべきであろう。
ところが。
「めささーん! 海のほう、もっと景色がいいですよ! 行ってみて!」
「めささん、ちょっと座りましょうよ。そろそろ疲れてきたでしょ? さあ、どうぞここへ!」
俺を海に落とそうとする者、砂に埋めようとする者が多すぎだった。
バラエティ色ばっかりで、素敵さゼロだ。
試しに砂場であぐらをかいてみると、俺は一瞬にして取り囲まれる。
即行で足首に砂がかけられ、俺の素足は見えなくなった。
「なにすんの!」
「足首だけ、足首だけ」
「え~? まあ、足首だけなら…」
なんで俺はいつも気色の悪い許可の仕方をするのだろう。
初デートの処女みたいだ。
しかし、足首だけなら埋めてもいいなんて言ったのは普通に失敗で、俺は次の瞬間「約束が違う!」と声を荒げていた。
俺を埋めようと集まった有志の者が多すぎだった。
ものの数秒で俺の下半身は砂の下に。
「ちょっ! やめてよう!」
「いいからいいから」
「なにがいいんだよ、もー!」
「ここまできたら一緒でしょ。めささん横になってください」
「やだよ!」
「あ、そっか。あぐらをかいたまま横になるのは難しいかー」
「ううん、平気。ほら。俺、変なとこだけ体が柔らかいんだ」
俺はバカなのだろうか。
自慢げに体を横たえると、もはや顔だけを残し、あっという間に全身に砂をかけられてしまった。
いや、かけられるなんて生易しいものではない。
お台場は埋立地。
俺も今から埋立地だ。
気がつけばそこは、つまり俺はちょっとした山と化している。
グーグルアースからも確認できそうだ。
取り合えず口にしてみた胸キュン台詞も、
「あ~あ。来年もきっと、お前と一緒なんだろうな」
まるで説得力がなかった。
せっかくだからここで、埋められている最中の俺のつぶやきを記念に列挙しておこうと思う。
「俺、海パンじゃないのに。ジンベエなのに」
「夜の浜辺で埋められるとさー、マフィアに始末された死体の気分になれる」
「ねえ、早くない? 早くない? 人間を埋めるのってこんなに素早くできるもんだったの? ねえ、早い早い」
「海を見に来たのに、曇った夜空しか見えないんですけど」
何にせよ、滅多にできない貴重な体験ではあった。
砂山から脱出すると、皆自然と輪になって、めさ埋立地跡にさらに砂をかけ始めている。
砂の山はさらに大きさを増していった。
海そっちのけで俺も夢中になる。
「なんか楽しい。ねえ、みんな! エアーズロック作ろうぜ!」
世界最大の岩山、エアーズロック。
ゴールが見えない。
その間、それぞれは人を海に落とそうとしたり、倒して埋めようとしたり、野生の狩りのように走り回ったりと楽しそうに人間関係を悪化させている。
結局、浜辺では2時間ほど遊んでいただろうか。
ツワモノどもが夢の跡。
エアーズロックを残して一行はその場を後にした。
ジンベエのポケットに入っている砂を払いながら、俺たちは駅に向かう。
「楽しかったねー」
「ねー」
皆の声を耳にしつつ、さっそく寝言本のページをめくってみた。
普通に致命的な誤植を発見してしまったので本を閉じる。
俺のミスだと思われたらたまらないので、明日にでも出版社に連絡しておこう。
次にイベントの様子を回想する。
ミスパジャマ、やってなくね?
なんで誰も気づかなかったのだ。
俺もだ。
反省点はポケットに入っていた砂の数ほどありそうである。
次回はもっと楽しく、「大人の馬力で本気で枕投げをやると人はどうなるのか?」とか「男だけ参加可能の飲み会を開催したらどれだけ人が来ないのか」とか、喰いつきの良さそうな企画を立てる所存だ。
皆で持ち寄ったペットボトルのキャップだけでピラミッドを作って記念撮影をし、帰りにキャップを寄付し、発展途上国の子供たちのワクチンにしてもらうのも良さそうである。
次は何やるかねー。
追伸・ご来場の皆様、本当に楽しかったです。
わざわざ足を運んでくださって、ありがとうございました。
次の機会がありましたら、是非またいらしてやってくださいませ。
その日を楽しみにしています。
みんな最高でした!
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June 29
2009年6月27日の今日は、待ちに待った「寝言本出版記念パーティ」だ。
ミクシィ内で立ち上げたお笑い投稿系のコミュニティ「変な寝言が忘れられない」が書籍化されることになって、その記念にみんなで大騒ぎしちゃおう的な企画である。
場所はお台場。
カバンにパジャマを入れて、俺は颯爽と電車に乗り込む。
ぶっちゃけ、不安だらけだ。
来る予定だったモデルさんやタレント志望の女の子たちは連絡がつかなくなったり、体調不良で来られなくなったりしていた。
がっかりしすぎて俺の具合が悪くなってしまいそうだ。
いや、実際に二日酔いが酷く、今日の俺は絶好調とはほど遠い。
皆が見ている前で今回のイベントの収益金をボランティア団体にお渡しし、ほっこりする感じで幕を閉じる予定もあった。
封筒を手渡しする際、「難病の子供たちに『いい夢見ろよ』とお伝えください」などとカッコつける気満々だ。
ボランティア団体の人からお礼を言われた際に返すコメントだって用意してあったのだ。
「いえいえ、とんでもありません。僕は色んな人からいい人だと思われるのが大好きなんです」
照れ隠しなんだか正直すぎる心の声なのか解りにくいけど、まあいいだろう。
ところがどっこい、パソコンにメールが届く。
要約すると次のような内容だ。
「うす。ボランティアの人です。例のイベントぶっちゃけ行けないっす。正直すまんかった」
つまりイベントの収益金は皆の前でお渡しするのではなく、後日銀行から振り込むことになった。
ちょっと想像してみてほしい。
日中に30代の男が銀行を訪れ、無言でATMにお金を入れている姿を。
別に変なところは何もないが、とにかく地味だ。
盛大な拍手の中、にこやかに封筒をお渡しするのと比べると涙が出そうになる。
幸先が良くない感を拭えないまま、俺はジンベエ姿のままお台場に足を踏み入れた。
「おはようございます。リハに間に合わなくてすみません」
まずはイベントハウス店長、横山氏に挨拶をお詫びを入れる。
11時からリハーサルや最終調整を行う予定だったのだが、あまりに二日酔いが酷くて電車を降り、俺はひとしきり唸ったりしていたので遅くなってしまったのだ。
こういったとき、水商売は不利である。
前日の無茶な飲まされ方は尋常ではなかった。
しかしこれは言い訳にしかならない。
俺が遅刻をした点は事実だ。
とにかく平謝りである。
「ホントすみません!」
リハーサルも最終調整も、段取りの確認という大事な作業だ。
こんなことなら昨日、店からお休みを貰っておけばよかった。
「リハとか、今から少しでもできませんかね?」
「ああいえ」
横山さんは笑顔で首を横に振る。
「あんまりやることなかったです。ですんで、開始までくつろいでてください」
なんか釈然としないが結果オーライのようだ。
俺が昨日、本職に打ち込んだのは正解だったらしい。
俺は楽屋でジンベエを脱ぎ、用意していた牛柄のパジャマに着替える。
今日のコンセプトの1つが「パジャマパーティ」でもあるからだ。
なんだけど、ここでふと思った。
既にジンベエ姿の俺が、今さらパジャマに着替える必要がどこに?
開店15分前のミーティングにしてもそうだ。
横山さんが店のスタッフを集め、盛り上げていきましょう的な扇動を行う。
「では、主催者のめさ君、一言」
ここで実際は「今日はよろしくお願いします」と無難に挨拶をしたのだが、俺はこのとき声を大にしたかった。
「なんで俺だけパジャマなんだよォー!」
スタッフの皆さんは普通にユニフォームを装備しておいでだったからだ。
空気が遊びじゃなかっただけに、恥ずかしかった。
一応小声で「こんな格好ですんません」と赤面だけしておいた。
やがて続々とお客様方が入場し始める。
1人1人に挨拶と来場のお礼を言って、席に案内をした。
相席が嫌でないお客さんには友達作りの一環として1つのテーブルを囲んでもらい、俺なりに人見知りな方とそうでない方をバランス良く一緒になってもらったつもりだ。
中には気合を入れて、ガチャピンやピンクパンサーの着ぐるみを用意して来た猛者も目立つ。
寝言本の出版社はブログハウスというのだが、しばらくするとそこの代表取締役である小田原氏も姿を現してくださった。
彼は今日、ここ東京カルチャーカルチャーでも寝言本を販売すべく、本をたくさん持ってきてくれている。
小田原氏は言った。
「持ってきた本ですけど、イベント参加者様全員に行き渡ると思うんです。それだけ大量に持ってきました。ですんでこれ全部、お土産として皆さんに配っちゃいましょう」
太っ腹!
それは皆さん大喜びしてくれるであろう。
まさかのサプライズプレゼントである。
既にネットで予約をしちゃってる人には申し訳ないけども、余った1冊はプレゼント用として活用していただこう。
「まだ発売日前なんで、ここにいる皆さんが日本で初めて寝言本を手にする人たちになりますね」
と笑顔を見せる小山田氏。
素敵すぎだ。
イベント収益金をボランティア団体に直接お渡しできなくなったけれど、これで最後は大盛り上がりに違いない。
実はさっきからイベント最後の締めをどうするか、ずっと頭を悩ませていたのである。
でもこれで支障はなかろう。
俺は瞬時に計画を立て直す。
つい先日、俺にも彼女さんができちゃったので、まずはそのことを皆さんに発表しよう。
寝言とかに全然関係ないどうでもいい報告に、みんな静まり返るに違いない。
そこで俺は「もうちょっと俺に興味持ってよ!」と返し、間を持たせる。
そうしておいて「次の報告なら皆さんも嬉しくなると思いますよ」と、お土産が書籍である旨をお知らせするわけだ。
おいおい、悪くない流れじゃないか。
ラストはこれで完璧だな。
そうこうしつつイベント開始。
横山氏と一緒にステージに立ち、コミュの歴史や書籍化での苦労話、はたまた裏話や「面白かったけど諸事情あってボツになったネタ」などを披露していく。
後半では事前に取った参加者様たちのアンケートを見ながら、面白い夢の話や寝言の話題に花を咲かせた。
さて、いよいよラストだ。
俺はマイクに口を近づける。
「ではここで2つほど、皆さんにお知らせしたいことがあります」
「あ、そうだ! 大事なこと忘れてた!」
と、横山さんが割って入る。
どうしました?
「出版社の社長さんもいらしてくれてるから、何か一言お願いしましょう」
ああ、確かに。
そうでしたね。
小山田さん、せっかくですからお願いしてもいいですか?
かくして小山田氏もステージに上がり、出版に関するお話をしていただいた。
ジンベエ姿の小山田さんは、最後にこう宣言する。
「今日ここに来てくださった皆さんに、この寝言の本を1冊ずつプレゼントします」
先に言われちゃったー!
盛大な拍手と、タイミング良く鳴る感動的な音楽。
その喧騒の中、横山さんが俺に視線を送る。
「じゃあ、めさ君からのお知らせ、2つっていうのを最後に」
特にねえよ!
なんでキレてんのか絶対に解ってもらえないだろうから、俺は誤魔化す方向に神経を集中させる。
「いやあ、あったんですけどね。今、小山田さんに言ってもらえたんで、僕からはもうありません。実は先日、彼女さんができましてね?」
とここで、「おおー!」と歓声が沸いた。
計算外だ。
みんなそこは白ける場面じゃないのか?
どうでもいいって顔をしてくれー!
俺のトークは最後の最後でめちゃめちゃもうグダグダだ。
「あ、皆さん、なんかすんません、拍手してもらっちゃって。俺ぶっちゃけ、ここでシーンってするかと思ってて、でもその後に『本をあげるよ』って加えれば空気を取り戻せるって思ってて、でももういいです」
投げた。
サイン会みたいなことも初めてやれて、申し訳ない気分ながらも新鮮だったし、全体的にはとても楽しく雰囲気も良かった。
小山田氏からのプレゼントもみんなに喜んでもらえたし、主催者としての満足感なら上々だ。
この後は、行きたい人たちとで打ち上げ兼2次会となる。
謎のパジャマ一同は近場の居酒屋を目指した。
まさかこの後、破棄される死体の気持ちになれるなんて露知らず。
後半に続く。
April 20
マンガの1シーンみたいな経験ならそこそこあるけれど、中にも他人同士の喧嘩を止める、または発生させないよう気を配ることが、思い返せば多いような気がする。
「満月の夜なのでイライラしてまーす」
みたいな感じで、街中でそういった血気盛んな場面に何故か出くわすのだ。
しかもこっちが出版社に向かう途中であったりなんかして、ぶっちゃけ構っている暇がない。
以前、どこかで書いたことかも知れないお話だけど。
昔見たのは駅付近で、おばちゃん1人に対して絡む2名の若者。
俺の視界に入ったときは既に心のエキサイトゲージが溜まった後だったらしく、着飾ったお兄さんがおばちゃんの肩をドンと押し、険悪な雰囲気となっていた。
ああもう、人が急いでるときに限って解りやすいトラブル起こしやがってからに!
なんて考えつつも早足で若者の元へ。
2人ともオシャレで、色んなところにピアスを開け、眉毛をハの字に曲げている。
スキーのボーゲンみたいな眉毛だ。
笑いたくなったけど、空気を読んで我慢した。
青年の怒気はおばちゃんに向けられている。
「テメーが悪いんだろ!? ああ!?」
おばちゃんが何をしたのかは知らないけれど、男2人がかりで声を荒げるべきではない。
これが少年漫画だったら彼らは残念な負け方をしてしまうところであろう。
でも、瞬殺なんかしたら俺のほうがカッコ悪いことになってしまうではないか。
俺は街中でも好感度を気にしているのだ。
手なんか出してたまるか。
仮にお巡りさんが来ちゃったら、空手の段を持っているだけに俺まで怒られる。
出版社での待ち合わせに遅刻することを覚悟し、俺は穏やかな表情でただそこに立った。
若者が暴れ出したらすぐに手を掴める位置だ。
これだけ近ければ、彼らはおばちゃんに手を上げることが心理的にやりにくくなる。
青年はさっきほどの勢いではなくなったけれど、目上の女性に対して文句言いまくりだ。
原因はどうやら、電車内で喋る彼らをおばちゃんが注意したことであるらしい。
その注意の仕方がヒステリックで、若者の逆鱗に触れてしまったのだそうだ。
いやいやいやいや。
おばちゃんの注意の仕方に問題があったとしても、悪いの君たちじゃないか?
だって電車の中でうるさく喋ってたんでしょ?
自分ら自覚ないだろうけど、世間ではそれを逆ギレって呼んでいます。
などと、思ったことを口にしたら余計なトラブルに発展するのでやっぱり我慢。
若者の口調はというと、今度はお説教モードだ。
おばちゃんには悪いけど、面白い。
第三者から見て悪いほうが説教してる。
「こう見えても俺、子供いるんだあ? 人の親やってんのね?」
えーッ!?
意外すぎる言葉に内心大いに驚く。
じゃあなんでそんなに器ちっちゃいんですかーッ!?
お子様の将来が非常に心配である。
でもまあ、若者たちは気が済んだらしく、お行儀悪く唾を吐いてその場を去った。
俺も急ぎの用だったので、改めて駅へと向かう。
ここからはちょっといい話なんだけど、実はもう1名、このやり取りを見守っていた人物がいた。
通行人の大学生らしき女の子だ。
彼女は俺の視界の隅でおろおろし、「自分も輪に加わるべきじゃないか」と明らかに迷っていた。
俺が弱そうだから逆にやっつけられやしないか、おばちゃんごとぶっ飛ばされてしまうのではないかと心配してくれていたことが伺える。
女の子なのに凄い勇気だ。
この日最もカッコよかったのは間違いなく彼女であった。
俺と違って、彼女には武器がないのだ。
にも関わらず、彼女は問題が解決するまでその場を後にはしなかった。
くっそ。
なんか悔しい。
そうそう。
喧嘩といえば、悪友のトメだ。
今はすっかり落ち着いて優しげな顔つきになってはいるものの、彼は学生時代、クラスメイトの不良たちに一目置かれるぐらいに険しい表情をしていた。
実際強いし、すぐに暴れる。
中学の頃、彼は自転車同士が少しかすっただけでも大声を出した。
「いてーじゃねえかテメーらァー!」
痛くない、痛くないよトメ。
当たったのは自転車だよトメ。
お前どんだけ気が短いんだ。
俺がいなかったので、トメは自由に羽ばたき、3名の不良の人たちをやっつけてしまう。
気づいた頃にはトメの足元で知らない人が3人で土下座をしていたのだそうだ。
もう1度書こう。
自転車同士がちょっとかすっただけだ。
それなのにこれだ。
頭が悪いのだろうか。
そんな悪友が身近にいるものだから、日常からして気が抜けたものではない。
高校に上がり、みんなで遊園地に行こうといった話になったときのことだ。
友人宅で待ち合わせをし、面子が揃って出発。
友人の家は団地で、階段を下りて外へと出る。
そこで何かしらの気配をトメは感じたのだろう。
彼は後ろを振り返り、空を見上げていた。
釣られてトメの視線を追うと、団地の屋上からこちらを見下ろしている連中が。
明らかに俺たちを威嚇しておいでだった。
やることないのか他に。
だいたいトメよ。
背後からの視線に気づくって、どこのエスパーなんだお前は。
こちらには女子も含めて計6名。
屋上の方々のほうが見た感じ多人数で、しかも全員が戦闘要員みたいな面構えだ。
トメさん、余計なことはやめてくださいね。
彼にはそのように敬語でテレパシーを送っておいた。
俺からの念を受け取ったと同時に、トメは天に叫ぶ。
「なんだテメーらァ! 中坊か!?」
戦闘民族地球人だけを置いて、さっさと遊園地に行きたくなる。
トメはおバカさんだから、何も考えてはいない。
勝とうが負けようが、喧嘩になってしまった時点で遊園地を楽しむ空気ではなくなるではないか。
もう既に女子たちがドン引きしていることに気づいていただきたい。
屋上の皆さんもやる気満々で、トメからの「中坊か?」の問いに怒鳴り返してくる。
「ンなわきゃねーだろ!」
ああもう。
とってもたぎっていらっしゃる。
さらに何事かを怒鳴り返すトメ。
その背後に、俺はそっと立った。
そのまま屋上に顔を向け、手を大きく振り、不良の皆さんに満面の笑みを見せる。
トメに悟られぬよう、気配も完璧に消しておいた。
このフレンドリー大作戦を目にし、屋上の彼らは「あれ? 敵意あっての質問じゃなかったんだ」と錯覚を起こしたようだ。
「どっか行くのかよー!?」と、さっきとは違ったトーンで語りかけてきた。
どこか交友的な空気を察し、トメの声からも迫力が消える。
「あー! ちょっと遊園地にー!」
「そうかー! 気ィつけてなー!」
「おーう! 行ってくるー!」
全く世話の焼ける奴である。
喧嘩の止め方としてよく「やめて」の連呼を目にするけれど、それは逆効果にしかならない。
言われた側は否定された気分にしかならず、さらにイライラさせてしまうだけだ。
怒った理由をじっくり訊いたり、雰囲気によってはこんなセリフもアリだろう。
「ちょっと一旦待って! 少しだけ! OKOK! いくよ? ファイッ!」
何気に俺が最も使う言葉がこれだったりする。
この一言で当人たちは「他に人目があること」を思い出すのだ。
喧嘩の機会なんてないに越したことはないけれど、もしそんな展開になりそうだったら早めに是非。
オススメだ。
ちなみに遊園地、楽しかったです。
みんなも大事な喧嘩しか、しちゃダメよ。
March 07
2009年元旦。
俺はお世話になっている飲み屋さんのママとマスターから挨拶を受けていた。
律儀なことに、わざわざ電話をかけてきてくれたのだ。
「めさ君、今年もよろしくね」
「いえいえ、こちらこそですよ」
そのような他愛のないやり取りをしていると、ママさんが意外なことを言い出す。
「チーフが何か考えてるみたいだよ? だから近々またねー。チーフとサプライズやるから」
記憶違いでなければ、そのようなセリフだったと思う。
チーフが俺にサプライズ?
言われてみればもうすぐ俺の誕生日だ。
チーフというのは男友達で、考えてみれば以前「誰かにサプライズをやったことはあるけど、されたことはない」なんて話をしたことがある。
間違いない。
チーフは俺のために、バースデイサプライズを企画しているのだ。
カレンダーを見ると誕生日当日は俺が休みの日だし、絶対そうに決まっている。
ママさんはなんだか嬉しそうな声だ。
「だからめさ君、また今度ね」
「え、あ、はい」
サプライズをやるだなんてこと、俺に言ったら駄目じゃないか?
全くママさんは天然でいらっしゃる。
なんて浮かれたことを思いつつ、通話を終える。
電話を置くと、俺は誕生日当日のことを想像し始めていた。
結果から先にいえば、このときから俺は勘違いをしている。
誰も俺にサプライズなんて用意していなかったのである。
ママさんが何故「サプライズ」なんて言ったのかは未だに解らないが、少なくとも俺の誕生日とは全く関係のないことだったのだろう。
そんなことも露知らず、俺はノリノリで心の準備をしていないフリをするために、心の準備を始めていた。
「えー!? なんでみんな集まってるのー! うっそ! 俺の誕生日!? もー! やめてよー! 俺そういうのホント弱いんだからー!」
弱いのはお前の頭である。
それでも俺は大真面目で、当日の様子を何度も何度も試行錯誤し、シミュレーションを重ねていった。
主役が驚いてあげなくては、せっかくのサプライズが台無しになってしまう。
実は最初からサプライズの計画なんてないわけだから台無し以下なんだけど、この時点ではそんなこと知らない。
俺は演技が下手だから、何も知らないフリを完璧にできるように練習しておかなくちゃ。
それでみんなから「生まれてくれてありがとう」的なことを言ってもらって、俺は俺で「今までで最高の誕生日です」とか言ってわざと泣くのだ。
それぐらい喜んでやれば来年からも祝ってもらえるであろう。
2009年のめさは、腹黒キャラでいかせていただく。
「えええええ!?」って大きく驚くのと、びっくりしすぎて固まってしまうのと、どっちのほうが真に迫っているだろうか。
そのような計算を本気でしながら、1日1日が過ぎていく。
友達からの電話でも、俺の痛々しさは絶好調だ。
「もしもし、めさ? 11日にさ、そっちに2人で遊び行ってもいい?」
「あ、その日はね、俺は大丈夫なんだけど、もしかしたらチーフから呼び出し喰らうかも知れないんだ。そうなった場合、近所の飲み屋さんに行くことになるんだけど、それでもいい?」
「いいよー」
「いやね、実はチーフが俺にサプライズを企画してくれてるみたいでさあ」
可哀想にもほどがある。
存在しない企画を楽しみにしすぎだ。
しかもバースデイ当日、なかなか呼び出しの連絡がないために、俺は自分からチーフにメールまで送っているのである。
「チーフ、今夜は何してるの?」
チーフからの返信は驚くべきことに、たったの2文字だった。
「夜勤」
これ以上のサプライズが他にあるだろうか。
本当にびっくりした。
33歳になった日、俺は静かに泣き寝入る。
September 09
油断していた。
まさか温泉で重傷者が出るなんて、予想すらしなかった。
もし予め解っていたなら、俺は「山の天候と温泉はナメるな」ぐらいの忠告を残しておけたのに。
俺的に、やはり外せないのは温泉だった。
今回の宿泊先はネットで調べたのだが、条件検索でしっかり「温泉」と付け加えていたほどだ。
大好きな温泉。
そこはしかも、露天風呂だった。
サウナまである。
なんかもう、幸せすぎる。
俺はウキウキと服を脱ぎ捨て、湯船に浸かって景色を眺めたり、サウナで汗をかいたりと、夏の温泉を堪能しまくった。
その頃。
俺から離れた場所にいた、とある男子。
彼は睡眠不足でも祟ったのか、のぼせて意識を失い、前のめりに倒れる。
その際、床に顎を強打してしまった。
そんなことは露知らず、俺はサウナでかいた汗をシャワーで流そうとしていた。
「めささん!」
脱衣所からこちらに顔を出している男子は、焦りの色を隠していない。
「ん? どうしたの?」
「それが、つい今、K君が倒れたんです」
「マジで!?」
「はい。それで、顎を打ったらしくて、切っちゃってるんですよ」
「なあんだ」
俺は、何故か怪我に強い。
自分が負傷しても、他人の傷口を見ても、滅多なことでは動じない。
この時もしたがって、俺は大したことはないだろうと高をくくり、軽い気持ちで様子を見に行っていた。
怪我人である男子は脱衣所のベンチに腰を下ろしていて、タオルで顎を押さえている。
「どれ、見せてみ?」
下から顎を覗き込む。
「うわ。思ったより酷え。こりゃ病院だな」
出血はさほどないが、バンソウコウでどうにかなるレベルではなかった。
ちょっと痛々しいので細かい描写は避けるが、軽く重症だ。
温泉の係員らしき男性が、おろおろと気を遣う。
「彼、横にしたほうがいいでしょうか?」
俺はそれを制した。
「座ったままの体勢のほうがいいかも知れません。このままだと、心臓より上に患部がある格好になりますから」
「そうですよね。今、別の者が救急隊を呼んでいますから」
「そりゃ助かります。ありがとうございます」
数分後には俺も服を着て、彼の様子を見守っていた。
結果から先に書けば、彼は病院で治療を受けたものの、傷の具合は入院するほどではなかった。
でも当時はそんなこと判らないし、なんせ顎だ。
打った時に強く噛み合わせる形になったのだろう。
奥歯が痛むという。
倒れた際に生じた衝撃は脳にまで達しているであろう。
俺はお風呂上りの牛乳を我慢した。
不意に、ポケットの中で携帯電話が鳴る。
女子からだ。
「もしもし?」
「あ、めささん? あのね?」
「うん?」
「女の子たち、やっぱり遅くなると思うの」
「そうだろうねー」
「だから、もしアレだったら、先に行っててもいいから」
「大丈夫、みんなで外で待ってるよ」
悲しいお知らせがあるからな。
とは言わなかった。
ここで報告してしまったら、彼女たちのことだ。
温泉を堪能するどころではなくなってしまうだろう。
心配すれば治るというわけでもないし、あえて知らせずにおく。
やがて、救急隊が到着。
怪我した男子をストレッチャーに乗せる。
彼の足元はおぼつかなかった。
やはりダメージが脳に及んでいるのだろう。
救急隊員の方が、「お名前は?」と男子に訊ねる。
すると彼は、
「大丈夫です!」
全く関係ないことを答えた。
判りやすく錯乱していらっしゃる。
一方、女湯。
「露天風呂、いいねー」
「ホントだよねー。あ!」
「何?」
「木と木の間、今モモンガが飛んでいった!」
「ホント!? どこどこ!?」
「あっちあっち!」
「きゃー!」
楽しんでもらえたようで何よりである。
場面を男湯の脱衣所に戻す。
ストレッチャーで移動する際、彼の呂律は意外としっかりとしていた。
「余裕っす。全然余裕っすよ」
何が余裕なのか全然解らなかったが、それだけしっかり喋れれば大丈夫であろう。
わずかながら、安堵した。
付き添いの男子と共に、怪我人は救急車で運ばれていった。
さて、次だ。
風呂から出てきた女子たちに、どう報告しよう。
どう知らせれば、彼女たちの心配を少なくできるだろうか。
「いやあ、さっきね? 彼、風呂場でコケてさあ。あっはっは! ちょいと顎をぶつけたみたい。今頃、CTスキャンでも撮ってんじゃない? がはははは!」
軽すぎる。
「みんな、ちょっと円になって座ってくれ。実はさっき、彼が浴室で倒れた。その際に顎を強打して、意識はあるが間違いなく重症だ。救急車を呼ぶといった騒ぎにも発展した。顎の傷はもの凄いことになっているし、見えない箇所にも大ダメージを受けているだろう。彼が帰ってくることを、みんな祈っていてくれ。報告は以上だ。じゃあ、気持ちを切り替えて、みんなでバーベキューを楽しもうぜ!」
楽しめるか!
じゃあ、なんて伝えようかなあ。
一方、救急車内。
誰からも、何も訊かれていないのに、怪我人はずっと喋り続けていた。
「余裕っす! 超余裕っすよ! 全然余裕っす!」
何度もしつこい。
彼は、やはり錯乱していた。
「なんか、ホントすんません」
友のウザさを救急隊員に詫びる、付添い人。
「余裕っす。余裕っす。全然余裕っすよ」
尚もうるさい怪我人。
なんで救急隊員のお友達みたいな感じを出すのだ。
あと、大丈夫じゃない人ほど大丈夫って言うのは何故?
さて。
結局女子たちには、涼しい顔を意識し、ありのままを伝えることにした。
「俺も傷を見たけど、軽い重症だったよ」
「それって、例えばめささんだったら、病院に行ってます?」
「ありゃ俺でも病院に行ってるなあ」
「じゃあ、ホントに深いんだ」
納得のされ方に納得がいかなかった。
川辺では、付添い人と怪我人の分も食事を用意しておいた。
随時、付き添いの彼と連絡を取り合う。
しばらくすれば戻れるとのことだ。
やがて、
「いやあ、迷惑かけて、すみません」
「いやいや、怪我で済んで何よりだよ」
とにかく命に別状がなくてよかった。
さすがに酒は飲ませられないが、会話ぐらいは楽しめるであろう。
それにしても、今回のキャンプときたら、川に流された奴が3人、重傷者1人、キュン死に者多数。
安全度が低すぎだ。
これからは「死ぬな」以外に、もっと細かく注意事項を言っておかなくちゃ。