夢見町の史
Let’s どんまい!
July 14
るーずぼーいず(前編)
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/374/
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「問題は、今夜の俺は一体何を枕にしたらぐっすり眠れるかってことですよ」
「もっと重要な大問題があるだろ」
カウンターの上に両肘をつき、浅野大地は組んだ指に額を乗せている。
マスターはというと腕を組み、わずかにうつむいて顎鬚をさすっていた。
「こんな物」
マスターが視線を上げ、忌々しげにカウンターに置かれた紙袋を眺める。
「本物の麻薬かどうかは置いといて、他の客に見られるわけにはいかないな」
浅野大地がうんと頷いて見せた。
「どの道、処分しないといけないですよね。マスター、この店、ゴミ箱ありますか?」
「うちで捨てようとするなよ!」
紙袋に入れておいたはずの枕がいつの間にか謎の白い粉末と入れ替わっていた理由など、考えるのは後でよかった。
問題は、今2人の目の前にある大量の粉をどう処分するかだ。
万が一これが本物の麻薬であるのなら、所持しているだけで大問題になる。
浅野大地は自分側に置いてあった紙袋を押しのけるようにしてどかし、何気ない調子でマスターに粉を譲った。
「マスター、つまらない物ですが」
「つまらない物なんか要らない」
マスターによって押し戻され、紙袋が浅野大地の目の前にやってくる。
「いえいえいえいえ、ハッピーバースデイ、マスター」
浅野大地はしつこく、紙袋をマスターがいる方向に押して動かした。
「私の誕生日は再来月だ」
紙袋がマスターによって再び押し動かされる。
何度も戻ってくる紙袋はまるで、捨てても捨てても戻ってきてしまう呪われた日本人形のようだ。
「小麦粉か何かです」
浅野大地は必死で粉をマスターに押しつけた。
「調理に使ってお客がラリったらどうする!」
「中毒性があって癖になるかも」
「冗談じゃない!」
マスターが紙袋を持ち上げたちょうどそのとき、店の出入り口から男性の低い声が耳に入ってくる。
「ごめんください」
「ぎゃあ!」
唐突な声に、浅野大地もマスターも思わず悲鳴を上げた。
マスターが慌てて紙袋をカウンターの中に隠し、作り笑いを浮かべる。
「あ、どうも、司さん! いらっしゃいませ」
やってきた客は、浅野大地もよく知る老人だった。
西塚司は友人の祖父でもあり、年上の飲み仲間でもある。
白杖で小刻みに床に触れながら、西塚司は確かな足取りでカウンター席の手前までやってきた。
生まれたときから全盲の彼はハンディを持ちながらも手品が得意であったり、花火大会に出かけることが好きであったりと趣味や品がよく、マスターも浅野大地もこの老人のことを好いていた。
サングラス越しに、西塚司は笑顔を向ける。
「何やら取り組み中だったようですが?」
「いえいえいえいえ!」
マスターが「なんでもありません」と、老人には見られていないのに手と首を左右に振る。
「ちょっと大地君と世間話をしていただけです。さ、どうぞ」
着席を促された西塚司は「いえ、それには及びません」とにこやかに片手を挙げて制した。
「実はまたお願いしたいことがありまして、お訪ねした次第です」
「ほう! またやってくださいますか! うちは大歓迎ですよ」
表情を輝かせ、マスターはさり気なくカウンターの中から紙袋を取り出して浅野大地の前に置く。
浅野大地は「マジックショーですか?」と老人を見つめながら、紙袋を押しどけてマスターの前に戻した。
「ええ、恥ずかしながら」
西塚司は照れたように笑う。
「つたない手品ですけれど、以前ここでマジックを披露させていただいたとき、皆さん受け入れてくださったものですから、またご好意に甘えさせていただきたいのです」
「つたないだなんて、とんでもない!」
マスターが紙袋を押しどけたことで、粉が青年の前に移動する。
「司さんの手品、みんな感動していましたよ。あれは目が見えていたとしても凄いってね」
「俺も拝見しました! あの手錠の手品とか、また見たいなあ」
老人に視線を向けたままで、浅野大地は紙袋を遠ざける。
「司さんがお客さんの手の上にハンカチを一瞬だけ被せるやつ。パッて取ると、もう両手が手錠で繋がれてて、あれは驚いたなあ」
「大地君、ありがとう。じゃあ手錠のやつはリクエストということで、今回もやらせていただきますよ。よろしいでしょうか、マスター」
「もちろん!」
マスターが紙袋を再び青年に押しつける。
「いい客引きになりますし、こちらからお願いしたいぐらいですよ」
実際、西塚司の手品は見事なもので、趣味の範疇から大いに外れた高い完成度を誇っている。
しかし本人は「個人的な趣味を一方的に見せつけてしまうことは申し訳ない」と謙虚な態度を崩そうとしない。
「それでは、後ほど道具を持って、リハーサルをさせていただいてもよろしいですか?」
「どうぞどうぞ。お待ちしていますよ」
「お世話になります。では、しばらくしたらまたお邪魔させていただきますので」
西塚司が店を後にした。
「さて、大地君」
「うん、紙袋ですよね? 確かに2人で押しつけ合っても埒が明かない」
「それが解ったら、早いとこどっかで処分してきてくれ!」
「処分かあ。売りさばいたらいくらぐらいになるんだろうか」
「いいから早く行ってくれってば!」
困った青年を追い出すと、マスターは壁にもたれかかり、ふうと深い溜め息をついた。
浅野大地が残していった水やおしぼりを片付ける。
カウンターの拭き掃除が終わった頃になると、店の出入り口がカランコロンと音を立てた。
ショートヘアーの若い女性が沈んだ表情を浮かべている。
「やあ、由衣ちゃん。いらっしゃい」
声をかけたがしかし、西塚由衣は無言のままカウンターに腰を下ろした。
「さっきまでね、大地君が来てたよ。あと、由衣ちゃんのおじいちゃんもいた」
「はあ」
マスターの挨拶に、西塚由衣は憂鬱そうな溜め息で応じていた。
「おじいちゃん、あとでマジックショーのリハーサルしにまた来てくれるって」
青年にやったように、マスターはお冷とおしぼりを女性客の前に差し出す。
「由衣ちゃん、どうかしたのかい?」
西塚由衣は呆然と視線を伏せたまま口を開く。
「マスター」
「はいはい?」
「励まして」
「え?」
「あたしを励まして」
珍しい注文だった。
察するに、彼女は元気を失くすような何事かの体験をしたのだろう。
マスターは困惑しつつも、必死に言葉を振り絞る。
「由衣ちゃん、なんで元気がないのか解らないけど、君は長所ばっかりの素敵な女の子だよ」
「ですかねえ?」
「そうだとも! いつもみたいに元気いっぱいの由衣ちゃんも魅力的だし、容姿や性格だっていいしね!」
「そうかなあ」
「もちろん! それに、剣道で全国大会まで行ってるとなると、こりゃもう天は二物を与えすぎだよ! 美少女剣士とは君のことだ」
「美少女剣士だなんて、そんなあ~」
「いやいや、これは決して過言じゃない。実際の話さあ、どうなの? 例えば街の喧嘩とかに遭遇したらさ、棒か何かがあったら無敵だったりする?」
「正直、負ける気がしなーい!」
「そりゃ大したモンだよ! 大の男が揃っても由衣ちゃんには勝てないってわけでしょう?」
「うん、まあ、ねえ~」
「そうかそうか。それは本当に素晴らしい。で、どう? 由衣ちゃん、元気出た?」
「思い出させないでよ」
西塚由衣は再びうつむき、長い溜め息を吐いた。
思わずマスターも似たような表情を浮かべる。
「なんて難しい子なんだ」
そのとき、店の電話が鳴った。
「はい、もしもし。バー、ルーズ・ボーイです」
マスターが出ると受話器から若い娘の声がする。
しばらく通話を続けるマスターは徐々に歯切れが悪くなり、見るからに困惑していることが解った。
「いや、うちではそういうの、やってないんですよ」
だとか、
「他を当たったほうがいいですよ」
などと言い、何事かを断っているようだ。
やがてマスターは「実はもうウエイトレスを雇ったばかりなんで、来てもらってもいいけど要望は聞けませんよ」と受話器を置いた。
「どうしたのマスター?」
西塚由衣が尋ねると、マスターは「困った日だな今日は」と独り言のようにつぶやいた。
「アルバイト希望の女の子からだよ。うち、人を雇うほど儲かってないんだけどなあ。そうでなくとも問題児ってゆうか、名前を聞いたら評判の悪い子でね」
「へえ。誰?」
「由衣ちゃん知ってるかなあ? 相沢ひとみさん」
すると西塚由衣は大きく目を見開いた。
「知ってる! スリ師だよね、その子!」
「ああ。今の電話の話だと、しばらく捕まっていたんだそうだ。で、釈放されたから雇ってください、と」
「あたしが聞いたことある噂だと、その相沢さん、スリ以外にも色んな窃盗に関わってるって」
「とにかく雇うわけにはいかないから、咄嗟に嘘をついてしまったよ」
「もうウエイトレスを雇ってあるって?」
「そう。でも彼女、強引でね。困ったよ」
「なんて言ってたの?」
「とにかく面接を受けたいから、今から店に来るってさ」
「ふうん」
西塚由衣の表情からはいつしか鬱蒼とした気配が消え、普段通りの満面の笑みを浮かべている。
「ねえマスター、あたし、ウエイトレスのフリしてあげよっか?」
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「頼もう!」
まるで道場破りのような勇ましい声が店内に響く。
ルーズ・ボーイの玄関には小柄な少女が胸を張って仁王立ちをしている。
「さっき電話した相沢です! 雇ってください!」
エプロンをつけた西塚由衣もマスターも、当然の大声に驚きを隠せない。
マスターがぽつりと、「こんな高圧的なお願いのされ方、初めてだ」とこぼした。
「相沢さん、さっき電話でも言ったけど、うちはバイト募集してないんだ」
言いつつマスターがカウンター席を示す。
相沢ひとみはその椅子に飛び乗るかのように、ちょこんと座った。
少女が真っ直ぐとマスターの目を見つめる。
「じゃあ逆に訊きますけど、なんで募集しないんですか!?」
「だからほら、さっき電話でも言ったでしょ。もうバイト雇っちゃったんだよ。ほら、こちら、ウエイトレスの由衣ちゃん」
マスターに示されて、西塚由衣がニコっと会釈で挨拶をした。
しかし相沢ひとみはひるまない。
今度は西塚由衣の目を直視する。
「初めまして。相沢ひとみです。あのさ、由衣ちゃん。あっちにもっといいお店あったよ? そっちに移りなよ」
「あっちにもっといい店があるって、なんだか私が傷つくんだが」
マスターがうなだれる。
「とにかくね、相沢さん。このお店はもう誰も雇えないんだよ。どうしても働きたいなら、他を当たったほうがいいと思うんだけどなあ」
すると相沢ひとみは小さな胸を堂々と張った。
「他はもうみんな当たりました! でも駄目でした! あたし、めちゃくちゃ評判悪いんです。盗み癖あったから」
「聞いてて気持ちがいいぐらい正直な告白だ。そんな真っ直ぐな性格で、なんで盗み癖が?」
「あたし、歌が好きなんですよ」
相沢ひとみが遠くを見るような目をする。
「子供の頃から歌を唄うことが大好きで、でも段々大人になっていくと、いつの間にか唄うこと忘れちゃってて。気づいたら毎日がつまんなくなっちゃった。むしゃくしゃしてスリを始めたりして、色んな物を盗んで生計を立ててました」
「まさか生い立ちから話を聞けるとは思わなかったよ」
「もういっそあたし、ウエイトレスじゃなくてもいいです!」
「何を言い出すんだ、君は」
「ここで歌を唄わせてください! ギャラも要りません! バンド仲間も連れてきます! あたし、もう決めました!」
「それを決めていいのは君じゃなく、私なんだが」
「バンド仲間、みんないい子ばっかりなんです! 留置所で意気投合したんです!」
「つまり、何かしらの犯罪を犯した方々がここに集まってこようとしているのか」
マスターと相沢ひとみのやり取りを、西塚由衣は可笑しそうに眺めている。
「ねえ、マスター。せっかくだから、相沢さんに飲み物でもサービスしたら?」
「え、あ。まあ、そうだな。相沢さん、何か飲むかい?」
「じゃあトマトジュース! 体にいいから!」
「君はピンポイントで切らしている物を頼むね。由衣ちゃん、悪いけど買い物頼んでいいかな?」
「トマトジュースね! 了解!」
元気いっぱいに、西塚由衣が駆け足で店を出る。
マスターはふと浮かび上がった悪い予感を理性で一生懸命にかき消そうとしていた。
大丈夫だ。
今日はちょっと変な日だが、もうこれ以上トラブルはない。
あるはずがない。
大地君は変な粉を捨てることにちゃんと成功するし、この子も諦めて帰ってくれるし、もちろん思わぬイレギュラーなんて絶対に現れない。
現れるはずがない。
ルーズ・ボーイは今日も荒れない。
荒れるはずがない。
続く。
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