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夢見町の史

Let’s どんまい!

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2024
March 19
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2013
July 08
 友人が急に「今日はベガとアルタイルが逢う日だから七夕ってテーマでなんか書こう」と言い出したので急遽お話を作ることになった。
 記念に載せておくことにする。
 
------------------------------
 
 心の中には水面があって、奥へ奥へと流れている。
 想いは決して口に出さず、言霊を笹の葉に乗せて次々に流した。
 ひらり、ひらりと言葉たちは行き場を求めて掻き消えてゆく。
 私は今日も笑っているけれど、本当は泣き出してしまいたいことを私だけが知っている。
 
 あの人とは高校1年生からの付き合いで、でもそれは友人としての仲だった。
 演劇部での活動では恋人同士になったことがあったけれど、でもそれは虚の世界でのことで、普段から彼と視線が交わうことは少ない。
 私が彼を見ていても、彼は他の人を見ているから。
 
「あんたさ、あの子に気があるでしょ」
 
 問うと彼は判りやすく困惑をし、大げさに手足をばたばたさせて否定をしていたけれど、その仕草は明らかに演技をたしなむ者として失敗をしていた。
 それがどれだけ私の胸を締め付けただろう。
 
 私が彼に抱いていた感情は、友情ではなかった。
 
 感情は表情に出る。
 言葉にも出る。
 それで否応なしに想いを封印する術を覚えることになった。
 私は精一杯の演技を余儀なくされて、それは今までで1番の試練で。
 しんと静まり返った地底湖のようなそこに、私は毎日のように笹舟を流していった。
 
「彼女にさ、その、交際を申し込んだ」
 
 皮肉にも彼が相談役として抜擢したのは私で、私に張り付いた笑顔は不幸にも彼を騙すには充分で、それが余計に私を悲しくさせる。
 
「ふうん。で、彼女はなんて?」
「取り敢えずは友達としてって言われた」
「デートの約束は?」
「した。7月7日に逢う。…けど、どうしていいか分からん」
「仕方ないなあ」
 
 恋人の練習。
 なんて甘美な響きだろう。
 映画を見て、食事をして、公園で夜景を眺めて。
 楽しくて幸せなことが辛く、彼が私の化粧に気づいていないことが切ない。
 
「この先の練習も、する?」
 
 提案すると彼は少しだけ慌てた。
 
「この先?」
 
 冷水を浴びさせられたような驚きの表情だ。
 
「冗談よ」
 
 言って私は髪を耳にかけ、闇夜に向かって歩き出す。
 
「待てよ」
「ここから先は自分でどうにかして」
 
 足早だったのは、彼に涙を見られたくなかったから。
 
「待てって。一緒に帰ろうぜ! 今日のお礼もしたいし」
「いいよ、お礼なんて」
「そうはいかない。俺の気が済まないだろ?」
「いいってば」
 
 彼はデート当日、あの子と過ごす。
 その出来事が必ず起こるかと思うと心の底がにわかに波を荒げ、水がどろりと濁ったような心地がした。
 
 テレビが梅雨明けを宣言していただけあって空には雲1つない。
 今夜の星はさぞかし綺麗に見えるに違いないという確固たる予感が私を憂鬱にさせる。
 
 枕を抱きしめてベットの隅でうずくまるといったお決まりの姿勢は安いドラマを彷彿させている。
 テレビから流れるバラエティの笑い声が今の心境とは不釣り合いで自分自身が滑稽に思えてならない。
 
 今頃2人はどうしているのだろう。
 上手くいっているだろうか。
 これを機に正式に交際が始まってしまうなんて話に発展はしていないだろうか。
 
 私はわざとらしく「えい」と空元気を出して服を着替える。
 
 天気予報が熱帯夜を報じているだけあって風は蒸し暑く、しっとりとブラウスの下に汗をかかせていた。
 彼と過ごしたあの公園には人影がなくて、遠くに少しだけ自動車の音が聞こえるぐらいの静けさだ。
 小高い丘まで登ってそこからは今日も夜景が綺麗に広がっているはずだけど、私は顔を眼下ではなく、上空へと向けた。
 
「好きだよー」
 
 心の中の川にではなく、私は言霊を空へと放つ。
 
「大好きだよー」
 
 言葉はまるで笹の葉に乗せられているかのように、次々に天の川へと流れた。
 
「ずっとずっと前から好きだよー。これからも好きだよー」
 
 こぼれた雫は天の川の体積を1滴分増したかのようだ。
 天空を流れる雄大な星の川に、1滴1滴と涙が溶け込んでゆく。
 
 互いに愛しく想っていても年に1度しか逢えないことと、叶わぬ恋心を引きずったまま毎日のように顔を合わせることと、辛いのはどちらなのだろう。
 私は、今なのだと思う。
 
 ぐいっと乱暴に腕で涙をぬぐい、私は立ち上がる。
 彼に想いを告げようと思った。
 失恋をして、心が散ってしまってもいい。
 このままではやがて年に1度すら逢えなくなる。
 そんな気がした。
 
「頑張ってくるね」
 
 織姫と彦星に宣言をし、私は踵を返して歩き出す。
 
 公園の出口で振り返って見上げると、そこにはおびただしい数の星々が運河を描き、まるで巨大な樹のようだ。
 その脇に一際輝く2つの星に、私は古めかしくVサインを作って小さく振り、少しだけ強がりの笑みを浮かべた。
 願わくば自分もベガになれますようにと想いを込めて。

拍手[166回]

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2012
November 30
 俺さ、小人飼ってんだよ。
 孵化させてからというもの、それからずっと育ててんの。

 見たい?
 後で見せてあげるよ。

 でさ、普通に飼うだけじゃつまらない。
 だから俺、こいつのために色々セットを組んでさ、世界観も細かく設定してやったんだ。
 つまりね、生まれたてのこいつには一切本当のことを教えず、俺がでっち上げた嘘の世界で生きてもらうっていう、なんていうのかなあ。
 俺の気まぐれなイタズラってやつだ。

 本当はこいつ1匹しかいないのに、他の小人がいるようにも見せかけてさ。
 色んなコミュニケーションを取らせて喜ばせたり悩ませたり。

 嘘の世界の嘘歴史も教え込んだし、俺からしたら有り得ない突拍子のない非常識も常識として信じ込ませた。

 こいつ、疑ったことあるのかなあ。
 今までの人生で知った全てが嘘だったなんて空想、したことあるのかなあ。

 なんて思ってね、またまた疼く俺のイタズラ心。
 この小人に本当の世界のことを少しだけ教えてやることにしたんだ。
 
 犬とか猫とか、魚とかトカゲとかカエルとかさ、本来なら存在しない生き物が当たり前のようにいるように思ってる小人に。
 豊臣なんとかとか、ナポ、ナポ、なんだっけ?
 そんな偉人が大昔にいたなんて本気で思っている小人に。
 地球、だったな、世界の名前は。
 地球が丸いなんて思ってる小人にね、少しだけ真実を教えてみて、その反応を眺めてみたくなった。

 だからこの文を読ませてみたよ。
 その小人は今、めさとかいう架空の存在が書いた「騙され小人」ってタイトルの文章を読んでいる。

 冒頭辺りで小人を見せてあげるって言ったでしょ?
 というわけでご覧いただこうか。

 鏡を見ろ。

拍手[157回]

2012
October 29
<真矢>

「あなた、彼の人生を変えることはできる?」

 グラスに口もつけず、無表情のまま彼女が視線で示す。
 その先にはヘルプで着いている俺の後輩が笑顔を絶やさずにいた。

 俺はわざと目を大きく開いて驚きの表情を浮かべる。

「人生を、ですか? 彼の」

 若手の後輩と女性議員の顔を交互に眺めてみせた。

「そうよ」
「いやあ」

 後輩が清々しく頭をかく。

「真矢さんにはもう既に人生変えさせてもらってますよ。いつも面倒見ていただいてますし」

 まだ新入りにもかかわらず、零士のリップサービスは悪くない。

「真矢さんの影響で、人生っていうんでしょうか? いい意味で意識が変わったホストやお客様は少なくないですよ」
「そう」

 年齢にしたら50手前だろうか。
 ショートカットにした黒髪を耳にかけながら、初見の客は目を鋭く細めて俺を見る。

「なら、私の人生も変えてみなさい」

 これには少なからず仰天させられた。

「目黒さんの、ですか?」
「彼の人生を変えられるのなら、私の人生だって変えられるでしょう? 期限は1週間」

 最初は暗に恋人になれと命じられたのかとも考えたが、この客は肉体関係に興味がある風ではない。
 単なる余興なのだろうか。

「この仕事に就いて短くはありませんけれど、そんな要望は初めてですよ。僕にどこまでできるか分かりませんけれど、精一杯お応えしたいですね」

 笑顔を見せてから今日で丁度1週間。

 雑踏に紛れ、俺は駅前の喫煙ブースに入る。
 ジャケットの内ポケットからシガレットケースを取り出した。

 目黒が固定客になったら間違いなく上客に位置づけされることになる。
 しかし彼女の目的がまるで解らない。
 デートをしようにも側近が常にいるし、店内での会話からもその真意が図れずにいる。
 まさか本気で人の人生を1週間で変えろと命じたわけではないだろうし。

 吐いた煙をぼんやりと眺める。

 今日でラストだ。
 何かしら彼女が納得するアクションを起こさなければみすみすデカい魚を逃がすことになるだろう。

 目黒とはもう連絡をつけてある。
 使いが車を出してくれるとのことだ。

「お待たせしました!」

 肩を叩かれて振り向くと俺よりもやや年上といった風の男がにこやかに立っていた。
 その風貌は意外なことに古びたジャンパーにジーンズといった完全な私服で、とても議員の使いとは思えない。

「どうぞ! こちらへ!」

 どこか嬉しそうに男が車を示すと、それは黒塗りのベンツでも何でもない普通の自家用車。
 予想するにこの男、休日のところを急遽呼び出されたのだろう。

「恐れ入ります」

 俺も笑顔で応じ、助手席に乗り込む。

 小さないびきのような音を立てて車が進んだ。

「いやあ、もう秋も終わりですねえ」

 ハンドルを握る男は気さくな人物らしく、よく喋る。

「ここ最近急に冷え込むもんだから、私風邪引いちゃって」
「それは大変でしたね」

 相槌も会話も苦痛ではない。
 彼も目黒の関係者だ。
 愛想よく付き合っても損はないだろう。

 男がチラリと横目で俺を見る。

「それにしても、今日はいつもと雰囲気違うんですね」
「そうですか?」
「ええ、なんていうか品があるってゆうかね」
「それはそれは恐縮です」
「言葉遣いも綺麗だ。やっぱアレですか?」
「はい?」
「今日は失敗できないから緊張してるとか?」
「あはは。いつでも緊張していますよ」

 談笑していると、見覚えが全くない場所で車が停車する。
 古い幼稚園を彷彿させる建物の前だ。

「到着です。お疲れ様でした」

 にかっと気持ちのいい笑顔で男が歯を見せた。

 頭上にクエスチョンマークを浮かべながら車を降りる。

 剥がれかけたペンキ、くたびれたフェンス。
 看板には「やすらぎの家」とあった。
 児童を預かる施設なのだとしばらくしてから気がつく。

 目黒は何のつもりで俺をこんな場所まで案内したのだろうか。



<裕次郎>

 今日が駄目だったら僕には才能がない。
 だからすっぱり諦めよう!
 そうやって心の中で賭けをして、僕は煙草をもみ消す。

 喫煙ブースから出た途端、スーツを着たおじさんが品良く「お待たせしました」と僕に頭を下げた。

 繁華街は人が多くて今日も雑然としている。
 人並みを縫うようにして進むおじさんに着いて歩き、僕は用意してもらった車に乗り込んだ。
 なんか黒くて長い高級っぽい車だ。
 僕は後部座席に通された。

 あの施設のおばあさん、市からの援助金が減ってお金がないなんてぼやいていたけども、この車に予算をかけすぎたからなんじゃないかと思う。
 座席はふかふかだ。

「いやあ、いいお車ですねえ」

 本番前の緊張を紛らわす効果に期待して、僕は軽口を叩く。
 口数の多さが自信のなさを表しているようで我ながらみっともないけれど仕方がない。

「今日がラストチャンスって思うと気合入れなきゃって思います。楽しんでもらえたらいいんですけどね」
「左様ですか。リラックスなさるといいですよ」
「そうですね。なるべくそうしたいです」
「今日はお召し物がフランクなんですね。とても親しみやすいですよ」
「そうですか? でもまあ後でちゃんと別の衣装に着替えますけどね」

 肩の高さまで紙袋を持ち上げ、僕はそれをポンポンと軽く叩いてみせた。

 一発屋にすらなれない僕からすれば、お笑い芸人として成功している人たちは本当に凄いと思う。
 ネタを考える頭の良さと、それを再現するノリの良さ、演技力、トーク力、機転を利かせる能力だって必要だし、もちろんユーモアのセンスだって要る。
 そのどれもが充分ではない僕は武者修行の旅に出ることにして、だから今もこうして車に揺られている。

 町から町へ。
 ジプシーのように旅を続けて、色んな子供たちと触れ合った。
 お笑いにシビアな小学生、素直すぎてどこが笑うところなのか解らない幼稚園児、なかなか手厳しいお客さんたちである。

 僕が定めた自分への掟は、誰かを笑わせなければ次の町に進めないというもの。

 時には病室で、時には体育館で、僕はネタをやらせてもらって、ウケなかったら翌日リベンジ!
 笑ってもらうまで何度も挑戦することにしたんだ。

 なんだけど、ここ最近の僕は情けないことに自信が全くない。
 コントを10回やって1回笑ってもらえるなんてアベレージ、芸人の卵と名乗ることすらおこがましい。

 自分を責めて、悩んで、考えて、迷って、それでようやく僕は心を決めた。
 やすらぎの家で昨日やったネタは完全に滑った。
 もし今日も同じ結果で、誰1人として笑顔にできなかったら、僕は夢を諦める。
 諦め、られるだろうか。
 いや、諦める!
 それぐらいの覚悟で望むんだ!

「ご乗車お疲れ様です」

 紳士から穏やかに告げられ、僕はハッと我に帰る。
 ご丁寧に車のドアを開けてもらって表に出ると、僕は直立不動のまま口をポカンと開け、紙袋を垂直に落としてしまった。

 立派な門構えの向こうには品のいいお庭が広がっていて、池にはカラフルな鯉が泳いでいる。
 その脇には竹がカコーンって鳴るやつまであるじゃないか!

 どこよここ。

 おじさんが僕の前に立った。

「さ、どうぞ」

 何をどうぞされたんだ僕は。

「目黒様がお待ちです」

 誰よそれ。

 防犯カメラがめっちゃあるけど、これってどっきりを撮影しているからってわけじゃ、ないよねえ?



<真矢>

「私の人生を変えろ」とは、もしかしたら親子の復縁だとか、そういったことを期待した上での要望である可能性は充分にあった。

 この施設、おそらく彼女と無縁ではあるまい。
 実は隠し子がいてここで育てられているとか、何かしらの繋がりがあるに違いない。
 俺は今、試されているのだ。

 くたびれたスライド式の玄関は立て付けが悪いらしく、細かくガタガタと音を立てる。

「おやまあ、お待ちしていましたよ」

 出迎えてくれたのはいかにも人の良さそうな老婆だ。
 しわくちゃの顔が満面の笑みを浮かべている。

「始める前にお茶でもいかがですか?」

 始める?
 これから何かが始まるのか。

 婦人はどこか寂しげににこりと笑うと、パタパタとスリッパを鳴らして奥へと歩いてゆく。
 失礼しますと一礼をし、靴を脱いで俺も続いた。

 まずは現状を把握しなくてはならない。
 世間話から得られる情報は山ほどあるから、お茶を出されるのはそういった意味でありがたかった。

「いただきます」

 息を短く2度吐いて湯気を散らせ、湯呑みにそっと口をつける。
 やや肌寒い陽気のせいか玉露が身体に染み込んでゆくのが判った。

「子供たちはね、あれでみんな喜んでいたんですよ」

 ご婦人はやはりどこか陰を持っていて儚げに見える。
 俺は「ええ」と、あえてどうとでも取れる返事をして頷く。

 おそらく色んな人に何度も話したであろう、老婆の身の上話が始まる。

「去年ねえ、うちの主人が他界したから、もうここにはサンタクロースが来なくなってしまってねえ。あら、昨日もお話しましたっけ?」
「いえ、僕は伺ってないですよ」

 昨日も何も、この婦人と俺とは初対面なのだ。
 しっかりしたように見えるご婦人だが、さすがに高齢のせいか物覚えに支障があるのかも知れない。

「うちはねえ、血気盛んな子もいれば難しい年頃の子だっているでしょう?」
「ええ」

 俺が目黒から前情報を何1つ聞いていないことを、この婦人は知らされていないのだろう。
 その口調は既に事情を知る者に対する言い方だ。

「あたしがねえ、せめて主人の代わりにって思ったんだけど、最近のオモチャは高いし、色んな種類があってねえ。あたしには難しくって。あなたご存知? ミンテンドウ、デーエス?」
「DSですね? 存じています」
「それが解らなくて、あたし違う種類のゲーム機を買っちゃってねえ」

 歳のせいだろうか。
 彼女の話は長かった。

 去年に旦那さんが亡くなり、クリスマスの時期に現れるはずのサンタクロース役がいなくなってしまって、代わりに老婆がその役目に挑んだとの内容だ。
 サンタに宛てられた手紙には子供らが欲しい物がそれぞれ書かれていて、彼女は自分の年金でそれらを購入したのだが、どうやら携帯ゲーム機を間違えて、古い機種を買ってしまったらしい。

「あたし、夜中のうちにみんなの部屋にプレゼントを置いたのよ。翌朝、みんなが喜ぶ顔を見るのが楽しみでねえ。でもねえ、ミンテンドウなんちゃらを欲しがってた子がねえ、嬉しそうに包装紙を開けたら今度は泣き出しそうな顔になってねえ、これじゃない! って叫んでねえ、プレゼント投げ捨てちゃったのよ。あたし、駄目ねえ。安くない買い物だったのに、違うの買っちゃって、主人がいないとやっぱり駄目ねえ」

 胸の痛む話である。
 さらに辛辣なことに、この児童施設、市からの援助金が減らされたこともあって資金が不足し、今月いっぱいで閉鎖してしまうらしい。

「主人もいなくなったし、跡取りもいないしねえ。あたしだっていつまで生きられるか判らない。建物だって、あたしたちが結婚したときからずっと持ちこたえてくれてるけど、もうボロボロでねえ。こないだ役人さんが来て、このままじゃ運営させられませんってはっきり言われちゃってねえ。だから今月いっぱい。11月でもってここは閉鎖します。子供同士で仲良しになった子もいっぱいいるから、みんなが離れ離れになってしまうのが嫌なんだけどねえ、でも仕方ないから」

 ご婦人は最後に「やっぱり昨日もお話しませんでしたっけ?」と首を傾げた。

 お茶はすっかり冷めてしまって、ぬるい。
 俺はそれを一気に流し込んだ。

「お茶、お代わりいかがですか?」
「いえいえ、ご馳走様です。もう結構ですよ」
「そう」

 老婆は言って湯呑みを盆に乗せる。

「だからねえ、今日がたぶん最後のイベント。よろしくお願いしますね。昨日はああだったけど、みんなちゃんと楽しんでいましたから」

 特に後半のセリフが意味不明だったが、そんなことよりもまず知りたいことがある。
 これからここで俺に対する何かが始まるとばかり思っていたのだが、もしかして何かするのは俺のほうなのか?
 何をやらされるというのだ。
 まさか子供らに楽しい酒を提供するわけにもいくまい。

「準備はよろしいんですか?」

 にこやかに婦人は言って、盆を台所まで運ぶ。
 こちらに背を向けたままで彼女は続けた。

「子供たちには昨日と同じ時間に集合してもらっています。みんなね、お笑いの舞台を見るのは初めてだったから、今日も楽しみにしているのよ」
「もしや、それってお笑いライブのことですか?」

 問うと老婆はころころと笑った。

「そうそう、今時はそう言うのね。舞台じゃなくて、ライブ、ね。失礼しました」
「いえ、そうじゃなくて」

 今まで数多くの客から様々な無理難題を押し付けられたことがあるが、ここまで突拍子のない難しい注文は初めてだ。
 お笑いライブ?
 この俺が?

「少し準備したいのでお時間いただけますか?」

 振り絞るように言い、俺はスマホに手を忍ばせる。



<裕次郎>

 どうしてこうなった。
 この窮地に立たされてしまっていること事態がもはやいいネタになりそうだ。

「あの、あの」と言ってるうちに僕は広い洋室に通されて、そこにはどっかで見たことがあるようなショートカットのおばさんが長椅子にもたれかかって庭を見ている。
 おばさんはローブを着ていて、こちらに目もくれない。

「どうも」

 沈黙が重たいから出た言葉だ。
 なにがどうもなのか自分でも判らない。
 この人どなた?

「今日で最後ね」

 庭を見たままで、おばさんは鋭い口調で言った。
 引退の覚悟を完全に見透かされている。
 今日が最後って、この人どこで僕のことを知ったんだろう。

 僕は少し下唇を噛んだ。

「今日が駄目だったら、諦めます。夢を捨てる覚悟です」
「大袈裟ね」

 クスリと笑って、ようやくおばさんが顔をこちらに向ける。

「あなたを選んだことに深い理由はないのよ。ただそこに居たからってだけ」

 え、どういうこと?
 つまり僕は着いていく車を間違えていたってこと?
 あの喫煙所にたまたまいた人だったら僕じゃなくてもよかったって意味?
 となると、酷い話だぞこれは。

 あのおじさんは勝手に僕に目をつけて、勝手にここに運んだってわけだ。
 そりゃ僕だって迎えのお車なんだって勘違いちゃって、疑いはしなかったけどさ?
 でもだからって、あんな普通の感じで案内されたら車に乗るじゃん。
 行き先も言わないで、有無を言わせず人を運んじゃうってのは理不尽極まりないことじゃないか?
 僕は今日、小さいながらも人生最後になるかもしれないライブがあるのに。
 れっきとした用事があるのに。

「それは酷いですよ!」

 ふつふつと怒りがこみあげてくる。
 妙に迫力のある人だけど、悪いのはそっちっていう大義名分があって、僕は堂々とおばさんに向き直った。

「僕にだってやりたい事があるんです! それなのに、ただそこに居たから僕だなんて!」
「やりたいこと? それは初耳ね」
「そりゃそうですよ! 話す暇なんてなかったですもん! あなた一方的なんですよ!」
「そう、悪かったわね。あなたがやりたいことってのは、なにかしら?」
「僕は、人を笑わせることが夢です。まだまだ未熟だし修行中の身だけど、いつか大勢の人に笑ってもらえるようになりたいんです。そりゃ才能があるなんて思ってないですよ。でも、できそうだからやるとか、できなさそうだからやらないとか、そういうことを考えて決めたんじゃないんです!」

 おばさんは無表情のまま僕を見つめている。
 沈黙するとまた空気が重たくなりそうで、だから僕は必要以上にまくし立てた。

「今回もし失敗したら夢を諦めようって、そう覚悟して出てきたんです。今日は僕にとってそれだけ大事な日だったんです。それなのに、たまたまそこに居たからって、適当に石を投げたら当たったみたいじゃないですか!」
「そう、そこまで真剣に考えてくれていたのね」
「くれていたってなんですか! あなたのためじゃないですよ!」
「面白いことを言うのね」

 おばさんが少し怖い顔になる。

「私のためじゃないのなら、なんのため? お店のためかしら?」

 お店というのはきっとやすらぎの家のことだろう。
 ああいった児童を育てる施設もお店って言い方をするのか。

「今日はそう、お店のためです」
「意外。正直なところもあるのね」

 僕はこんなセレブなおばさん知らないけど、向こうは僕のことを知っているような節がある。
 さっきはたまたまランダムに僕を選んだみたいなことを言ってたけど、果たして真相はどっちなんだろう。

「今からでもまだ間に合います」

 僕は力強く胸を張った。

「次のステージに進めるかここで夢を諦めるかの瀬戸際なんです! こんなところであなたの余興にお付き合いする暇はないんです! 僕を舞台に立たせてください!」
「あなた、ますます興味深いことを言うのね。そこまで言うのなら私も見届けさせてもらうわよ」

 言うとおばさんは立ち上がって室内電話に手をかける。

「車を回しなさい」

 手短に言って受話器を置いた。

 どうやら会場には行けそうな雰囲気になりはしたけれど、なんでこの人着いてこようとしてるわけ?



<真矢>

「なにか面白い話してよ」

 水商売をやっていてよく言われるセリフの1つがこれだ。
 大抵のホストはここで言葉に詰まるのだが、場数のある者は違う。

「それ、かなりの無茶振りだよ! なんでそんな酷いことするの!?」

 と目を大きく開いて、次に念を押す。

「じゃあ本当に面白い話をするよ。いいんだね? ホント面白いよ?」

 このように自らハードルを上げることで相手を油断させ、既に用意してあるいくつかの鉄板エピソードの中から1つを選び、披露するのだ。

 しかし店とこことでは雰囲気が違う。
 俺は正直、どこか冷めたような目をしている子供たちの前に少なからず戸惑っていた。

 小学校低学年から高校生ぐらいまで、ざっと10人ぐらいはいるだろうか。
 この子らは、娯楽を何も期待していないような目をしている。
 前回のイベントではさぞかし退屈をさせられたのだろう。

 腕時計に目をやる。

 時間になっても何故だか零士は来なかった。
 もう1度電話をかけようにもスマホのバッテリーが上がってしまったし、ここには充電器もない。

 つまるところ、俺はこのまま小道具なしに彼らを楽しませなければならないというわけだ。

 営業中によくやるとびっきりの笑顔を作り、俺は子供たち全員に行き届くように視線を配った。

「突然こんなこと言うのもなんだけど、なんでみんなこんなに暗いの!? 今日誰か死んだ!?」

 アメリカ人顔負けの身振り手振りも交える。

「でね、今日はお笑いライブってことで僕今ここにいさせてもらってるんだけどね、実は今日なんにも用意してないんだよ」

 残念でたまらない、そんな表情を作った。

「みんなを笑わせるようなネタなんて僕は持ってないんですねー。だから君たち、僕がなにを言っても笑ったら駄目だよ? いいかい? みんなが笑っちゃったら僕が嘘つきになってしまう」

 わずかに空気が和らぐような感があって、俺は内心胸を撫で下ろす。

「僕ね? 弟がいるんだけど、天然っていうのかな。変わっててねー。
 工事現場でお仕事してるんだけど、ある日ね? ガス管が破裂しちゃって、その破片が飛んできたんだって! で、それが弟の頭に当たっちゃったんだよ。死ぬとか重症ってわけじゃ全然ないかすり傷なんだけど、頭の怪我だから心配でしょう?
 会社の人がね、『お前今日は仕事もういいから病院行け』って言ってくれて、車まで出してくれたんだって。
 そしたら弟がね?『自分がよく行く病院あるんで、そこまで乗せてもらっていいですか?』って言い出すもんだから、会社の先輩も『いいよー』って。
 でね、弟! 頭を怪我してるのにだよ!? 何故か歯医者に行ったんだ!」

 ここで幼い何人かが笑い声を立てて、俺は慌てたような表情を浮かべる。

「あ~! 駄目駄目! 笑っちゃ駄目~! 我慢しててよ! いい? いいね? 笑っちゃ駄目だよ~!
 でね! 弟なんだけど、受け付けで手続きをして待って! 名前を呼ばれて! 先生にどうしましたか? って訊かれて! 歯医者さんに向かって、頭が痛いんです。…痛いのはお前だよ!」

 これで笑い声がさっきの倍になった。

「笑ったら駄目って言ってるでしょ~! 耐えて耐えて!
 でさ、先生が言うの。『ここは歯医者なんで頭の怪我は直せないです』
 そりゃそうだよ! こんな正しい意見、聞いたことがない!
 で、弟が『そうですか』ってやっと病院出たんだけどさ、僕思うんだよ。
 会社の先輩! あんたも頭怪我した奴を歯医者の前で降ろすなよ!」

 どうにか全員を笑わせることができた。

 引き続きハズレのないエピソードをいくつか話し、締めくくる。

「なんだよ、結局みんな笑っちゃったねー。あれほど駄目だって言ったのに、参ったな。ま、今日は僕が負けたってことでいっか。今日はみんなの前でお喋りできて楽しかったよ。ありがとうね。大勝利おめでとう!」

 拍手を背に部屋から去る。
 腕時計に目をやるともう夕刻。
 一旦帰宅して仕事の用意をしなければ。
 まだまだ謎が多いがやむを得ない。
 運営者の婦人に挨拶をして今日は退散することにする。

 背後の拍手はまだ続いていて「楽しかったね」とか「面白かった」などといった声も耳に入ってきた。
 心に充実感が残る。



<裕次郎>

 謎のおばさんと一緒に、やすらぎの家前で車から降りる。
 同時に別の車がこっちに来て、スーツ姿で茶髪のカッコイイお兄さんが運転席から現れた。

「あ、いたいた! お疲れ様です!」

 最初はおばさんに対して言ったのかと思ったんだけどそうではなくて、彼は両手で抱えられそうに大きな白い袋を僕に渡そうとしてくる。

「これ、頼まれたやつです」
「え? え?」
「じゃあ僕もお客さんお待たせしてるんで、これで失礼しますね! 夜にまた!」

 手短に告げると青年は颯爽と車に乗り込んで走り去ってしまった。

 今のお兄さん誰?
 この巨大な袋は何?
 僕の隣に当然のようにいるこのおばさんだって何者なんだか知らされないままだし、なんだか今日はわけの解らないことばっかりだ。

 インターフォンは壊れているので玄関はノックをする。
 軽く叩いてもガラス戸はガシャンガシャンと派手な音を立てた。

「あらまあ」

 管理者のおばあさんは今日も愛想良くしてくれる。

「これはこれはどうもお疲れ様でした」

 深々と頭を下げられ、僕も釣られておじぎで返す。

 顔を上げると、おばあさんは嬉しそうに笑った。

「みんなねえ、本当に楽しそうに笑っててねえ。あんなに楽しそうな子供たちは久しぶりですよ」

 それは昨日の話をしているのだろうか。
 めちゃめちゃ静まり返してしまったのに、実は喜んでもらえてたってこと?
 とてもそうは思えなかったけれども。

 おばあさんは不思議そうにしている僕の様子に気がついていないらしく、絶賛の嵐だ。

「さすがお話が上手ねえ。もっと聞きたい、またあのお兄さんに来てもらいたい、ってねえ、たった今も子供たちみんな言ってたのよ」

 この言葉に背後から謎のおばさんが「へえ、やるじゃない」とつぶやいた。

「それで、あの」

 と、おばあさんの言葉を遮る。

「ちょっと遅くなっちゃって申し訳ないんですけど、今からまたやらせてもらってもいいですか?」

 するとおばあさん、「え、また!?」とやたら大きく驚いた。

 昨日のネタがやっぱり面白くなかったからだろう。
 僕は焦って両手をバタバタと左右に振る。

「あ、あ、違うんです! 前回とは全く違う内容なんで、是非やらせてください! こちらの都合でこんな時間になってしまったのでお願いしにくいんですけども、どうかお願いします!」
「いいええ、とんでもないですよ。子供たちも喜びます。じゃあちょっとみんなに声かけてきますね」
「ありがとうございます! あ、どっか着替えるところはありますか?」

 こうして僕は再び子供たちの前に立っている。

 若いお客さんたちは誰もが目をキラキラと輝かせていて、中には期待感たっぷりといった体で身を乗り出している子までいる。
 まるでもう既に会場が温まっているかのような和んだ空気だ。

「みんな、遅くなってごめんね! また来たよ!」

 元気よく言うと子供らは歓声を上げ、大きな拍手で迎えてくれた。

 なんか僕もの凄く好かれてる。
 こんな感じは初めてだ。
 めちゃめちゃやりやすい。

 僕は自分が着ているサンタの衣装が見えるよう、両手を広げて見せた。

「ご覧の通り、僕ね、実はサンタさんだったんだよ。いやあ、本当に遅くなっちゃった。ねえ君!」

 僕から近い席に座っている小学生の女の子に声をかける。

「今ってさ、何月なのかなあ? 判る?」

 すると女の子はとても高いテンションで「11月ー!」と大きな声を出した。

「11月ー!?」

 僕はわざとらしくびっくりし、その勢いで後ろにひっくり返ってみせる。
 途端、数々響く笑いの声。

 なんだこの好感触。
 めちゃくちゃ楽しいぞ!
 こんなにも自分を出しやすいライブは初めてだ!

 よろよろと尻をさすりながら立ち上がる。

「いてて…。そっか、11月かあ…。なんてこったい。ってことは僕、11ヶ月も遅れてきちゃったのかあ。みんな本当にごめんね!」

 謎のおばさんはというと部屋の奥で腕組みをして黙って見てる。
 あの人のことは気にせず楽に続けよう。

 今日のネタは、昨日一晩かけて一生懸命考えた。
 経営者のおばあさんから聞いた切ないお話をモデルにさせてもらっている。

 テーマは、へこたれないサンタさん。

「今転んだお尻がまだ痛い。もうね、僕いつもこうだよ。去年なんてこんな感じだった」

 チワワに追われ、噛まれる状況を動作とセリフで表現する。
 すると笑い声。

 次は煙突を探してうろうろしていたらお巡りさんに見つかってしまうシーン。
 常軌を逸した苦しい言い逃れで誤魔化す場面を演じる。
 また笑い声。

 忍び込んだ家で泥棒と間違われ、通報されるとさっきのお巡りさんにまた出くわしちゃった!
 大爆笑!

 もう楽しくて楽しくて。
 楽しんでもらえてることが最高に楽しくて。
 ネタ作りのときには想定していなかったアドリブを調子づいて入り混ぜちゃったりなんかもして。

「サンタクロースはね、人数が少ないからプレゼント配るの大変なんだ。君たちのところにだってそうだし、大勢の子供たちの元に行かなくちゃいけない」

 いよいよ締めに取り掛かる。
 僕の中で再び緊張感が蘇る。

「僕ぐらいドジなサンタさんは珍しいけれど、それでもね、サンタは全員、みんな頑張っているんだよ。なんだけど、今日みたいに遅れちゃったり、プレゼントを間違えてしまったりすること、これからもたくさんあると思います。ごめんなさい。
 でもね! サンタクロースは諦めない! 最近のオモチャのことが判らなくても、1年2年遅くなってしまっても、僕ら一生懸命やるから! みんなが笑顔で過ごせるように頑張るから! だから、たまにしか来てあげられなくて申し訳ないけど、僕たちからのプレゼント、大事に大事に使ってあげてください。貰った物は大切に使ってください」

 僕は最後に「物を大切に扱える素敵な大人になってください」と付け加え、その場を後にする。

 子供たちはさっきと違って静まり返っていたけれど、やがて誰かがパチパチと手を叩いて、思い出したかのように他の拍手が起こって、やがて音が土砂降りのような音量にまで育って、僕はそれを背中で聞いた。

 これで、僕は次の町に旅立てる。
 そう思った。

 気づけば暖かい涙が頬を伝わっている。

 よかった。
 本当によかった。
 これからも僕は、諦めなくてもいいんだ。
 夢を追い続けても、いいんだ。

「見させてもらったわ」

 あのおばさんが壁に寄りかかっている。

 僕は慌てて涙を拭った。

「はあ。ありがとうございます」

 結局この人がどこの誰なのかは判らないままだけど、今更訊くのもおかしい気がするし、もういいやと思う。

「僕、このまま行きますね、おばあさんに挨拶してから」
「そう。あたしはじゃあ、その後にしようかしら」
「え?」
「ちょっとね、ここの運営者に訊きたいことができたのよ」
「はあ、そうですか」
「また会いましょう」
「え、あ、はい」

 やすらぎの家を出て、僕は駅へと歩を進める。
 近所のおじさんにまた車をお願いするのも悪いから、徒歩だ。

 見上げるとすっかり日が暮れていて、星が綺麗に見える。

 人は誰でもサンタクロースになれるのだ。
 そんな当たり前のことを思って、口に出してみる。

「人は誰でもサンタクロースになれるのだ」

 そう。
 そして、サンタクロースはへこたれない!
 どんなに遅れても、サンタは絶対に諦めないのだ!
 僕だってサンタ候補、負けてなんかいられない。
 いつか必ずお笑い芸人になってやる!

 駅についたらコインロッカーに預けた荷物を引き取って、そしたら切符売り場の前でコイントスをしよう。
 そうして次の行き先を決めるんだ。

 次の町を想い、僕は早くもその景色を想像する。
 そうだ。
 せっかく用意したんだからサンタの衣装はまた使おうかな。

「あ」

 つい口に出る。
 サンタの衣装で思い出した。
 あの茶髪のお兄さんがくれた白い大袋、やすらぎの家に置いてきちゃった。
 あれの中身、一体何だったんだろう。



<真矢>

「いらっしゃいませ。この時間帯にいらっしゃるだなんて珍しいですね。それにお1人だなんて初めてじゃないですか」
「ちょっと色々しててね、遅くなっちゃったのよ」
「いえいえ、嬉しいですよ」

 目黒が店にやってきたのは日付が変わる間際の頃だ。

 いつものように奥へと通し、ソファに座ってもらう。
 スマートに見えるよう、流れるように水割りを作って差し出す。
 ご一緒しても良いですかと短く断りを入れ、了承を受けて自分の酒も用意した。

「いただきます。乾杯」
「お疲れ様」

 2人同時に酒を口に含んだ。

 グラスを置いて、俺はバツが悪そうに顔を歪める。

「僕の負けです」
「やられたわ、あなたには」

 ほぼ同じタイミングで目黒も開口していた。

「え?」

 驚いて彼女を見る。
 目黒は涼しげな調子だ。

「見事にやってくれたわね。私の負けよ」

 彼女は何を言っているのだろうか。
 1週間で人生を変えろとのお達しは今日が最終日で、俺は何もできなかったではないか。

 相変わらず真意が読めず、聞きに徹することしかできない。

「やすらぎの家、っていったかしら?」

 やはりあの施設、目黒と関係があったのだ。
 俺は「ええ」とだけ返しておいた。

「吉川さんに色々と話を聞いたんだけど」
「吉川?」
「呆れた。あなたあそこの経営者の名前も知らなかったの?」
「ああ、いえ、失礼しました」
「吉川さんから色々と伺ったわ」

 どうやら目黒もあのご婦人から長話を聞かされたらしい。

「今の市長は駄目ね。前々から予算の使い方が偏っていたとは感じてた。どう考えても予算の優先順位がおかしいわ」

 珍しく感情的になって、目黒は2口目を飲んだ。

「予算の問題、なんとかしましょう。市長に影響力のあるコネぐらい、私にだってあるわ」

 その発言に俺は目を丸くした。

「ということは、あの施設、閉鎖しないで済むんですか!?」
「ええ、そういうことにしてみせる」
「老朽化した建物はどうするんです?」
「これね、吉川さんからお借りしてきたの」

 言って目黒はボロボロになった大学ノートを鞄から取り出す。
 中を拝見すると個人名とその住所、連絡先などが書いてある。

「全部で62人、あの施設から出ているの。みんなそれぞれ仕事をするなり家庭を持ったり、しっかりと暮らしているみたい」
「へえ、いわばあの施設の卒業生ってわけですか」
「全員と連絡を取ったわ」
「え!? 今日ですか!?」
「そう。さすがに誰もが在宅していたわけじゃなかったから全員と話せたわけじゃないけど」

 目黒が穏やかに笑んで続ける。

「事情を話したら何人かの主婦が交代交代で手伝いを名乗り出てくれたわ」
「へえ、それはいい。あのおばあさん、助かるでしょうね」
「大工になっている人もいたし、建設業に携わっている人もいた。来月から忙しくなるわよ」
「あ」

 目黒が言いたいことが解ったような気がした。

「そう、察しがいいわね。安く請け負うと約束はしてくれたけど、さすがに市から出るお金だけじゃ足りないでしょう。これは私が個人で負担します」

 綺麗に建て直されたやすらぎの家がふっと脳裏に浮かんで、思わず鳥肌を立ててしまった。
 もしかして俺は今感動しているのか?

「全く」

 目黒がふっと息を吐いた。

「あなたにしてやられたわ。まさか若い頃の情熱を蘇らせるなんてね」
「いえ、僕は何もしていません」

 これは謙遜しているわけでもなんでもなく、本当に何もしていないから出た言葉だ。
 しかし目黒の耳には届いていなかった。

「たまたまとはいえ、あなたに頼んでよかった」

 加えて目黒はぼそりと「病気に負けてる場合じゃないわね」とつぶやいた。
 寂しさを帯びたその言葉が、あの要望の根源にあるような気がした。

「見届けさせていただきます。最後まで」

 言うと目黒は初めて笑顔を見せる。

「お願いするわ。…あ、そうそう」

 せかせかとした様子で目黒が再び鞄をまさぐる。

「これ、返品ですって。サンタクロースさん」

 差し出された小箱は1度梱包が解かれた形跡があった。
 それが再び包み直されている。
 なんだろうと開けると、中にはミンテンドウDSが入っているではないか。

 どうやら零士の奴、遅刻はしたがちゃんと頼んだ物を持って来ていたらしい。
 万が一ウケが悪かったときのため、金に物を言わせて用意した子供たちへのプレゼント。
 いわば袖の下ってやつだ。
 ご婦人から話を聞いていたから物の1つはDSを選んだのだが、それが返されてしまうとはどういうことだろうか。
 他のオモチャはちゃんと全員に行き渡ったとは思うのだが。

「あそこの子から預かってきたの」

 首を傾げていると、目黒から水色の封筒を渡された。

「今読んでも?」
「ええ、どうぞ」
「ちょっと失礼」

 目を通すと、子供の文字が次のように並んでいる。

 サンタさん、ミンテンドウDSをくれて、どうもありがとうございます。
 でも、ぼくは、これはいりません。
 ぼくはきょねん、ミンテンドウDSをほしいといったのに、ゲームワールドアドバンスが入っていて、そして、それをよしかわママの前ですててしまいました。
 あとになって、サンタクロースがだれなのか気がついて、ぼくはゲームワールドアドバンスをひろって、そして、いっしょに入っていたゲームで遊んでみました。
 とても面白かったです。
 でも、よしかわママにかわいそうなことをしてしまいました。
 よしかわママに、いつか、ありがとうとごめんなさいを言いたいです。
 ゲームワールドアドバンスでもうれしいです。
 だから、ぼくは、ミンテンドウDSはいりません。
 サンタさんがせっかくくれたのに、かえしてごめんなさい。
 これは、ほかの子供にあげてあげてください。
 さっきサンタさんが言っていたように、ぼくは、物を大事にしようと思います。
 ゲームワールドアドバンスを大事にして、そして、色んなゲームで遊ぼうと思います。
 でも、サンタさんには、また来て、そして、面白いお話をもっとたくさんしてほしいです。
 だから、また来てください。

 読み終えて、俺はグラスを持ち上げ、中身を少し飲む。

「これは吉川さんに教えてあげたいですね」
「そうね」
「目黒さん」
「なあに?」

 俺は改めて目黒と向かい合う。

「僕の名前、真矢ってのは源氏名です」
「ええ、そうでしょね」
「普段隠している本名なんですが、これがその、親には申し訳ないんですが、率直に言いますとダサくてね」
「へえ、なんて名前なの?」
「漢数字の三に太郎の太。三太っていうんですよ」

 あはは。
 2人で声に出して笑い合う。

「ふう」

 俺は背もたれに身を預ける。

 そうか。
 あの施設、まだこれからも運営を続けられるのか。

「目黒さん、やっぱり負けたのは僕のほうです」
「あら、どうして」
「あなたの人生を変えようと意気込んでみましたが、結果、人生を変えられてしまったのは僕のほうでした」

 今度は目黒が目を丸くする。

「どういうこと?」
「やすらぎの家、跡取りがいないとも言ってましたね、吉川さんは」
「ええ、おっしゃっていたわね」
「ホストなんて一生続けられる仕事じゃないです」
「あら」
「ああ、いえ、今日思いついたことなんで、まだ決心はしていないんですよ。でも今、やすらぎの家が無くならないことを伺いましたし、ちょっと腰を据えて考えてみてもいいかな、と」
「いいんじゃない? 向いてるわよ、あなた。子供にウケがいいもの」
「え!? もしかして、見ていらしたんですか!?」
「あら、気づかなかったの? 真正面にいたのよ? 部屋の隅だったけど」
「これはお恥ずかしいところをお見せ致しました」
「いいえ、楽しかったわよ」

 再び笑い合う。
 まさかこの人とこんなに気安く談笑をすることになるだなんて、昨日までは思いもしなかった。

「目黒さん、もう1度乾杯しませんか?」
「いいわよ。何に?」
「子供たちと吉川さんに」

 再度、グラスが小さく音を立てる。

「メリークリスマス」

 気取った調子になって、俺は精一杯キザにグラスを掲げた。



 ――了――

拍手[72回]

2012
February 11
※今作には残虐な表現や性的描写が含まれています。
 お読みになられる際は充分なご覚悟のほど、よろしくお願い申し上げます。

 前編
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/465/

 中編
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/466/

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 夜が深まった頃に男が女の部屋を訪ねる理由はそう多くはないでしょう。
 大臣がいそいそと、抑えきれない欲情を胸に扉の前に立ちます。
 美しく、深く彫られた獅子の彫刻は鉄の輪を咥えており、大臣はそれを手に取ってそっと3度扉を叩きました。

 中から女王の声が聞こえます。

「誰じゃ」
「わたくしめにございます」

 普段ならここで「入れ」と言われ、そのまま情事に励むのですが、この晩は違いました。

「わらわは疲れておる。用があるなら明日に聞く」

 大臣が女王にどんな用事があるのか、いつものことなので彼女は解っているはずです。
 今宵は月に1度の女の日でもありません。
 にもかかわらずこの言い草。
 大臣にかすかな違和感を与えました。

 鎮められるとばかり思っていた自分自身を慰められないのは大臣にとって思いもよらぬこと。
 すぐに戻る気が起きようはずもありません。

「女王様、愚民をこらしめるための新たな道具の話でもしませぬか」

 すると扉の向こうから「くどい」と苛立った声がしてきます。

「わらわは疲れておると言っているのだ。2度言わせるようなら、おぬしが考案した道具を全ておぬしに使うぞ。下がれ馬鹿が」

 こうして大臣が覚えた違和感は、さらに膨らみを増すのでした。

 女王はというと、部屋で多くの書を貪るかのように読み漁っています。
 様々な病気を取り扱った本。
 薬草について詳しく書かれた本。
 血を良くするための食事の作り方が書かれた本。
 それら多くの書は女王の寝台の上で山のようになっています。

 約束の日になると、いつものように物語の使い手が閲覧の間まで訪ねてきました。
 女王が彼に言います。

「今日は物語を聞かせずとも良い。城外の散策をいたす。供をせい」

 護衛を付けず、人目を忍ぶかのように青年を連れ出しました。

 湖の畔では鳥の鳴く声が遠くでするだけで静かなものです。
 切り倒された大木の幹に、2人は腰を下ろしました。

「愛の女神とまで称されるわらわに治せない病があっては沽券にかかわるからのう。家臣たちの目に届かぬほうが好都合じゃ」

 女王はそのように切り出します。
 彼女は次々と薬草や瓶詰めにされた薬品を取り出しました。

「そなた、これらの薬は試したことがあるか?」
「その問いに質問で返す無礼をお許しください。これらは一体…?」
「どれも血に効く物ばかりじゃ。わらわ、普段は自分の力で傷も病も治せるゆえ、知識がなくてのう。書物を久しぶりに読んだ」

 薬草や薬を家臣に取り寄せさせれば、「なんでも治せるはずの女王が何故このような物を欲するのだろう」と不思議に思われてしまいます。
 なので彼女は庶民に成りすまし、自ら町まで買い出しに行っていたのでした。

「そなた、これら全部持ち帰って試せ」
「恐れ多いお心遣い、痛み入ります」
「そなた独り者であったな? 食はどうしておる?」
「は。自分で作ることもあれば、宿の食堂を利用することもありまする」
「それはいかん。日頃の食にも注意を払え。治療にならずとも、悪化を食い止めることぐらいにはなろう」
「勿体無いご忠告、誠にありがとうございます」
「そうだ。そなた城まで馬で来ていたな? それ以外は歩くのであろう? 血の巡りが早くなっては身体に悪い。これからはわらわがそなたの住まいに出向いてやる。そなたは横になって物語を話せ」

 彼は内心、とても大きく驚きました。
 青年の病気をしっかりと理解していなければ、この薬草も、あの忠告も出ようはずがないからです。
 女王が陰でどれだけの本を読んだのか、容易に察することができました。

 だからこそ、女王は知っているはずです。
 様々な手を尽くして、命を1日伸ばすことはできても、死は確実にやってきてしまうことを。

 この日は夕刻まで世間話をし、青年は何度も女王に礼を言って帰路についてゆきました。

 それからというもの、女王は護衛をつけぬまま青年の家に足を運ぶようになります。
 歓迎のための茶を用意すようとすることさえ、女王は許しません。

「そなたは寝ておれ。茶など飲みたい気分ではない。それより、薬はまだあるか? そろそろなくなる頃かと思ってな、新しいのを持ってきた」

 薬草を手渡す女王のその指先が傷だらけで、青年は疑問の念を抱きました。

「女王様、お手に怪我を」
「構うな。それより、今日はどんな物語を聞かせてくれるのじゃ?」

 青年の寝台の横に椅子を持ってきておいて、彼女は長いようで短い物語を堪能します。
 今日の噺も、とても楽しむことができました。

「面白かった。褒美じゃ。台所を借りるぞ」

 女王は立つと、鞄を手に調理台に向かいます。

 何を始めるのかと好奇心が湧いて青年が密かに覗くと、なんと女王は一生懸命に本を見ながら、料理を作っているではありませんか。
 食材を見ると、どれも血に良いものばかり。
 慣れない手つきで山菜を刻み、苦労して火を点け、湯を沸かしています。
 青年はそっと場を離れ、寝台で横になって待ちました。

「できたぞ」

 女王がシチューとパンを青年の部屋まで運んできました。
 手の傷がさらに増えたのか、指先には薄く包帯を巻いています。

「さあ食せ。ただし、わらわの力で人が治せないことが民に知られたら、ただではおかんからな。薬草のことも食事のことも、決して他言するなよ」
「承知いたしました」
「よし、では喰おう」

 それはお世辞にも美味と呼べるものではありませんでした。
 肉は固く、野菜の形は歪で、風味も良くありません。

 一緒に食べている女王もそう感じて、「身体に悪くないのだが、美味くないな」と悲しげな表情を浮かべます。

 しかし青年は断じました。

「たいへん美味しゅうございます。このように美味なる料理は今まで口にしたことがございません」
「そうか!」

 女王が嬉しそうな顔をしました。

「城の調理場で練習した甲斐があった! 今度はもっと美味くなるようにするゆえ、楽しみにしておれ」
「ありがたき幸せ。いやしくも、全て平らげさせていただきます」
「うむ。遠慮するでないぞ。そなたの病が治ったら葡萄酒を飲もう」

 青年にとって孤独ではない食事は久しぶりで、それはとても心温まる一時でした。

 女王はそれからというもの、毎日のように青年の家に通います。
 中には物語を所望せず、ただ会話をするだけという日もありました。

「のう、そなた将来の夢はあるのか?」
「今は死を待つだけの身ゆえ、夢など持ち合わせてはおりません」
「そう言うな。愛の女神の名にかけて、必ずそなたを治す。いつまでもそなたの物語を聴きたいからな。最近はな、わらわ、治す早さを上げようと思ってな、今まで以上に癒しの力を民に振るっておる。いずれ、そなたの悪い血が巡るより早く全て治癒させるゆえ、安心せい」
「恐れ多いお言葉、重ね重ねありがとうございます」
「で、そなたの夢はなんじゃ?」
「そうですね。以前は、ささやかながら家族を持ちとうございました」
「ほう」

 人が家族を欲する心も、それを大事に想う気持ちも、女王は知識として知っています。
 その気持ちを拷問に利用していたからです。
 どうやらこの青年も、人として当たり前の願望を持っているようです。

「そうか、家族か」

 女王は拷問以外のことで、初めて家族について考えを巡らせたのでした。
 どんなに力を施しても、青年の命を大きく伸ばすことはできないことを、女王は既に察していたからです。

 一方、城内では不穏な空気が漂っていました。

「この頃は女王の様子がおかしい」
「護衛もつけず、行き先も告げずにどこかに通っている」
「拷問をしなくなったばかりか、癒しの力を民にまで振舞うようになった」
「あれだけの傲慢、それで許されるわけでもあるまい」
「私は人前で怒鳴られ、恥ずかしい想いをさせられたことがある」
「私など目の前で家族を苦しめられ、殺された」
「私など、妻が産んだばかり赤子を丸焼きにされた。それを皆の見守る前で、妻と一緒に喰えと命じられたのだ!」
「いつまた横暴な女に戻ることやら」
「今の女王は油断をしている」
「恨みを晴らすなら今だ」
「殺してしまうなら今だ」

 進んで指揮を振るったのは、大臣でした。

 そんな相談がされているとは夢にも思わず、女王は今日も青年の家まで足を伸ばします。
 この日の彼女は、特に嬉しそうにしていました。
 いつものように物語を楽しんで、前もって調べておいた身体に良い食材を使い、不器用ながらも料理をして、そして次に逢う約束をします。

「のう。そなたさえ無理でなければ、たまには日の光に当たらぬか」
「もちろん喜んで。お供させていただきます」
「いつか行った湖、覚えておるか?」
「はい、覚えておりまする」
「あのそばに小さな教会があってな。今はもう使われておらぬ。明日はそこで逢おうぞ」
「かしこまりました。楽しみにしております」

 こうして翌日、教会を訪れた青年はその目を大きく見開くことになります。

「女王様、そのお姿は一体…?」
「ふふ。驚いたか」

 女王は純白のドレスを身に纏い、王冠ではなくティアラを被って、手には小さな花束を持っているではありませんか。

「そなたの願い、叶えてやろうと思ってな」
「そんな、恐れ多い!」
「わらわが妻では嫌か?」
「とんでもございません! ですがわたくしには荷が勝ちすぎます」
「なに、そなたに王になれと言っているわけではない。普通の家庭を持ちたいのであろう? ただの真似事かも知れぬが、わらわ、そなたの妻になってみとうなった」
「し、しかし…」
「指輪もな、町の鍛冶屋に作らせた。わらわの指に嵌めよ」

 女王は2つ、小さな箱を青年に差し出します。
 彼女は「そなたの指には合うじゃろうか」と心配していましたが、指輪の大きさは調度良く、青年の薬指に収まりました。

「よかった! ぴったりじゃ! 本当は牧師を招きたかったが、わらわの身分が知られたら困るでな。2人きりで式を挙げようぞ」

 そして女王は青年の目を心配げに覗きます。

「そなた、嫌ではないか? わらわ、そなたの妻になっても良いか?」

 青年が見つめ返します。

「まさか夢が叶うとは思っておりませんでした。わたくしの妻は、わたくしの最後を看取らねばなりません。苦労なさいますよ?」
「覚悟しておる」

 そして2人は口づけを交わします。
 この一瞬が永遠に続きますようにと祈りを込めて。

「女王様!」

 教会の扉が大きな音と共に開くと同時に、男の大声がしました。

「ここにおられましたか!」

 それは城の兵隊長でした。
 一体何があったというのか、彼は何本もの矢を背中に受けており、もはや柱に寄りかからねば自力で立つこともままなりません。

 女王が目を見張ります。

「どうした!? なにがあったのじゃ!?」
「お逃げください! 謀反です!」
「なんじゃと!?」
「城の者共が貴方様を殺そうと、ここを目指しております!」
「なんと! 大臣は何をしておる! あの無能めが!」
「その大臣が、女王様を裏切ったのです」
「くッ! あの馬鹿め! さっさと殺しておけばよかったわ!」

 そして兵隊長は最後に「お逃げください」と目を閉じました。

 青年が女王に駆け寄ります。

「わたくしの馬で逃げましょう!」

 森を抜けようと、一頭の白馬が駆けています。
 日はもう落ちていて、女王たちの背後にはおびただしい数の松明の火が。
 城の馬は訓練されており、とても速く走ります。
 追っ手はもうすぐ女王たちに届こうとしていました。
 手綱を握る青年に覆いかぶさるようにし、女王はしがみついています。

 ドスッと肉を刺す音を、女王は自分の体内から聞きました。
 同時に冷たい金属の感触が背中から入って、それが胸の中で止まります。
 追っ手の放った矢が、とうとう自分に届くようになってしまいました。

 彼女はさらに大きく背を伸ばし、青年の背後を覆います。

 ドスッ!
 と、もう1本の矢が女王の背に。

 矢は馬にも当たっているようで、白馬は走りながらびくんびくんと時折震え、徐々に速度を落としてゆきます。

「あの砦に逃げ込みましょう!」

 青年がレンガ作りの廃屋を見つけ、そこで馬から降りました。
 2人を降ろすと白馬はうずくまり、そのまま横になります。

「すまない」

 馬の顔を撫で、青年は女王の手を取って建物の中へ。

 そこは大変暗かったので、青年は火打ち石で壁のランタンに火を入れます。
 わずかに明るくなったのを見て、青年はその場に片膝をつきました。

「大丈夫か!?」

 女王が駆け寄ってきました。

 青年が儚げに微笑みます。

「包み隠さず申し上げます。このような大変なときに申し訳ございません。わたくし、どうやら先立つときがきたようです」
「なにを馬鹿なことを!」

 女王が青年を抱きかかえるようにしました。
 それに応えようと、彼も女王の背に手を回します。
 それで青年は女王が矢を受けていたことを知りました。

「女王様! 背に矢が!」

 なんとか身を起こし、青年は女王を振り向かせます。

「2本も刺さっているではありませんか! 今抜きます! ご自身をお治しください!」
「いや、それには及ばん」
「何故です!?」
「矢には返しがついておる。抜けばさらに肉が避け、わらわはすぐに死んでしまうであろう」
「ですが、矢を抜いて癒しの力をお使いになれば!」
「できぬ」
「と、申しますと?」
「不便なものよ。そなたの病気以外に、わらわが治せぬものがある」
「そうなのですか」
「うむ。わらわ自身は、何故だか治すことができん。この傷も治せぬ」
「だったら何故! 何故わたくしをかばったのでございますか!」
「そなたを想うことで起こるこの胸の高鳴りも、治すことができんからじゃ」

 それに、と女王が続けます。

「そなたが痛がる姿、わらわが見たくなかった。わらわの自分勝手でやったことじゃ」
「しかし!」
「なに、構うな。どうしてわらわが以前から人を痛めつけることに興じたと思う?」
「己の欲求ではないのですか?」
「そうじゃ。その欲求はどうしてあったのか、解るか?」
「人を思い通りに拷問できる立場であったからではないのですか?」
「それはただの環境にすぎぬ。わらわはな、痛みが何なのかを知りたかったのじゃ」
「どういうことでございますか」
「わらわは元より、痛みを感じぬ身体を持って生まれてきた。痛いというのがどういうことなのか、わらわにはどうしても解らぬのじゃ」

 ランタンの微かな光が、女王の微笑みを照らしています。

「だから、わらわは痛うない。案ずるな」

 青年はそれで、そっと女王の背にある矢から手を離しました。

「貴方に、謝らねばなりません」
「なんじゃ?」
「わたくしは、貴方に近づくために物語を語ることを始めました」
「それを知ったときは嬉しかったものよ」
「ですが、それはあなたへの恨みを晴らすため」
「恨み?」
「はい。いつぞやは、手投げの矢を娘の腹に投げさせられた商人の噺をさせていただきました」
「覚えておるよ」
「あれがわたくしの兄です」
「そうであったか。ではこの矢を引き抜くなり、もっと深く突き刺すなりするがいい」
「それはしませぬ」
「何故じゃ。絶好の好機じゃぞ?」
「わたくしの復讐は、貴方から愛する者を奪うこと。この短い命を使ってできることといったら、それしか思い浮かばなかったのです」
「そうか」

 女王はそれで、過去にした様々な拷問を思い返しました。
 目の前で愛する者に死なれる悲しみは、かくにも重たく強大なものだったのでございます。

「わらわにも、少しは痛みが解ったかも知れぬ。そなたに出逢えてよかった」
「わたくしは後悔しております。貴方に逢うべきではありませんでした」
「そうなのか?」
「ええ。復讐などするものではありません。貴方に愛されようと振舞ううちに、こちらが先に愛してしまったのですから」

 言うと青年は、そっと女王に唇を重ねます。
 女王はそれで、今まで堪えてきた涙を溢れ返させました。

「嫌じゃ! そなたが死ぬのは嫌じゃよ!」

 自分の身分など忘れ、彼女は泣いて泣いて泣き喚きます。

「そなた! 死ぬでない! わらわを悲しませるな! これは命令じゃ! そなたが死ぬのは嫌なのじゃ! もし死ぬというなら、先にわらわを殺せ! わらわ、そなたと一緒に死ぬ! 頼むから先に逝くでない!」

 青年はすると、力強く女王の胸ぐらを掴み、乱暴に顔を引き寄せました。

「甘ったれるんじゃない!」

 青年は最後の力を振り絞って、腹の底から怒鳴ります。

「貴方が今まで殺した者は皆、今の貴方よりも苦しんだのです! 散々人を責めておいて、自分が悲しむのは嫌!? なにを都合の良いことを! なんとみっともない!」

 赤く充血した彼の目は、女王へと真っ直ぐに向けられています。

「貴方、それでも私の妻ですか!」

 そして、ふっと力を緩め、女王の胸元から手を離し、代わりに彼女の頬を撫でます。

「貴方は優しい人です」

 そんなことを今まで誰からも言われたことがなくて、女王は激しく狼狽しました。

「優しい…? わらわが、優しい…?」
「そう。いつか、生まれ変わりの話をしましたね?」
「うむ。覚えておる。そなたの話は全部覚えておるよ」
「あなたは生まれる前に、天国で色んな人と約束をしていたのです」
「約束?」
「人はこの世に生まれ落ちる前に、自分自身への試練を自分で用意するのです。人生の中で否応なしに降りかかってくる不幸は、実は他者によるものではありません。前もって他の魂に頼み、自分自身で準備していたものなのです」
「では、わらわが拷問死させた者共は、あの世でわらわに頼んでいたというのか? 自分を苦しめて殺してほしいと」
「はい、そうです。苦労をすればするだけ、天国や来世で幸せになれますからね。しかし、誰もがそんな不幸を与える役を引き受けようとはしません。人を不幸にすればするほど、死んだあとに罰を受けねばならないからです。貴方が今まで大勢を苦しめて殺したということは、自分が罰を受けると知りながらも、自ら損な役を買って出ていたのですよ」
「優しいのは、そなたじゃよ」

 自分が死ぬ間際に、妻を安心させようとそんな作り話をするのじゃからな。
 その言葉を、あえて女王は口にしませんでした。

「そなた、そろそろ死期か?」
「ええ、そのようです」
「楽しかった」
「私もです」
「そのまま目を閉じて、聞いていてくれ」

 彼女は夫を横たえ、子守唄を唄う母のようにその髪を撫でます。

「わらわ、これから何度も生まれ変わって、罪を償うよ。様々な者を殺した分だけ、大勢の命を助ける。苦しめた分だけ、楽をさせる。わらわ、娯楽も多く奪ってしまったな。わらわが奪ってしまった分だけ、踊り、描き、唄って人を楽しめてゆくよ。そうじゃ。そなたと同じく、物語も作ろう。書を書いたり、話して聞かせてゆこう。そうやって、全ての償いが済んだら、そのときは、改めてわらわを妻に貰ってやってくれ。改めてわらわに物語を聞かせてくれ。約束じゃぞ。何千年かかっても必ず、わらわは罪を償う。そうしたら、また出逢っておくれ」

 夫に口づけをすると、彼はもう冷たくなり始めていました。

「また逢おう」

 外には大勢の兵士たちが弓を構えているはずでした。
 ここに踏み込まれては、夫の亡骸までどうされてしまうか解ったものではありません。

 彼女はそっと夫の顔を撫でると、その場を立ち、砦の出口に向います。
 最初の償いを果たすために。

 さて、それから数千年も時が過ぎれば、人々の暮らしは大きく変化しています。
 馬を使わない鉄の車がたくさん町を行き来し、栄えた場所は夜になってもまるで昼のように輝いています。

 多く立ち並んでいる高い塔の1つでは、若い男女が食事を楽しんでおります。
 2人は抱き合った太古の遺骨が3組も発見されたという話題に夢中。

 男は画像でその亡骸を見て、その者たちがどのような人生を送ったのかを話し、女はそれを夢中で聴きます。
 やがて3組全ての話が終わると、男はこう告げるのでした。

「実は、4組目の話があるんだ」
「え? 4組目?」
「そう。でも、まだ発見されてない。」

 どうして発見されていないにもかかわらず、その話を男が知っているのでしょうか。
 女が問い詰めます。
 すると、男はわずかに緊張しました。

「4組目は、まだ生きていて、白骨化していない。ってのは、どうかな?」
「何よ、『どうかな』って」
「君に、プロポーズがしたいんだ」
「へ?」
「ここで格好良く、『俺たちが未来で4組目になろう』なんて言えたらいいんだけどね。でも、我ながらキザっぽくって」

 彼が上着の内側に手を忍ばせ、小さな箱を取り出します。
 男は気恥ずかしいような、それでいて誇らしい気持ちであるようでした。
 女に胸を張ります。

「ちゃんとベタに、給料3ヶ月分だ。律儀だろう?」

 それはそれは、とても綺麗な月の晩でした。
 その美しさときたら、まるで数千年前の、あの夜のよう。



 ――了――

 参照リンク「永遠の抱擁が始まる」
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/17/

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2012
February 06
※今作には残虐な表現や性的描写が含まれています。
 お読みになられる際は充分なご覚悟のほど、よろしくお願い申し上げます。

 前編
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/465/

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 女王がその言葉を発するのは初めてのことでした。

「そなたの話は面白い。もっと聴かせよ」

 特に悪い点のない娯楽、または女王にされた指摘を綺麗に切り返せた表現者はそれまでに何人かいて、そう いった賢き者は死に追い込まれることがありませんでした。
 かのようにして生き永らえる者はあったのですが、女王から賛美の言葉をかけられた者や他の作品を求められた者は、それまで1人たりともおりません。
 次の話を所望された青年が幸運かどうかは解りませんが、彼は女王にとってとても珍しく、特別な者であったようです。

「承知致しました。それでは、そうですね。太古にあった戦争の御話などいかがでございましょう? ある王が大剣を振りかざし、たった1人で様々な国を制してゆく物語にございます」
「よし、話せ」

 青年の語る物語は、女王の興味を非常に駆りたてました。
 ある話は新鮮で、ある話は痛快。
 またある話は刺激的で、ある話は神秘に満ちています。
 青年は次々に物語を繰り広げてゆきました。

 最初、椅子に深く腰を下ろし、軽く頬杖をついていた女王ですが、いつしか身を乗り出し、その目を大きく見張って青年の話に没頭しています。

「かのようにし、その2人は園から追い出され、この地に住まうことになったのです」
「それで、裏切りの魔王はどうなったのじゃ?」
「彼もまた、男女と同様にこの地に堕ちました。力の全てを奪われた後に」
「では今もどこかに魔王はいるのか。面白いのう。是非とも逢ってみたいものじゃ」

 あくる日もあくる日も、青年は物語を語ります。
 女王は人を悶絶させたい衝動など忘れ、ずっと耳を傾けています。
 青年はまるで竪琴を奏でるかの如く、流れるように言葉を紡いでゆきました。

「その男は言葉が足りないばかりか人の話さえも解しません。美しき姫は道理に合わぬことを許しませんから、その商人をひっ捕らえ、痛み渦巻く地下の部屋へと連れました。
 男はこれから自分の身に降りかかる苦痛を予感し、止めてほしいと哀願します。自分には大切な1人娘がいるのだと。結婚したばかりで子を宿しているのだと。だから無傷で帰りたいのだと言い出します。その言がまたしても説明になっていなかったので、姫は怒って笑いました。
『孕んだ娘がいるから無事に帰りたい? 意味が解らんわ! 娘がいようといまいと関係なかろう! そんなに許してほしいなら、この15本の手投げの矢を全てあの的に当てよ』
 指差す先には壁があって、そこは色とりどりに塗られています。 花畑のようなその壁には丸い印があって、的として盛り上がっておりました。大の大人が両の手を結んで作った輪ほどの大きさです。そこにはいやらしく笑う魔人の絵が描かれてありました。
 姫が合図をすると楽団が高らかに陽気な曲を奏で、姫は男に『心して遊戯せよ』と命じました。
 1投、また1投と商人は小さな矢を投げてゆきます。1本でも外れてしまえば殺されてしまいますから、その様はとても必死でござました。
 ところが、途中で投げた矢が的に刺さらず、床へと落ちます。商人は青ざめて『お許しを』とひれ伏しました。しかし意外にも姫は寛大で『気にするな。1投ぐらい大目に見てやろう。今1度投げよ』と自ら矢を広い、男に手渡してあげるのです。
 商人はそれで安堵し、やがて全ての矢を的に当てました。
『見事じゃ!』と姫が笑います。男はそれでさらに安心しました。しかしすぐ、男は大きな声で泣きじゃくることになるのでした。
 明るい曲が止まり、兵士たちが彩り豊かな壁をどけると、そこには若い女が柱に括りつけられているのが解ります。
 姫が高らかに言います。『娘がいるから無事に帰りたいのか、娘が子を宿しているから無事に帰りたいのか、おぬしの言いたいことがさっぱり解らぬが、両方ともいなければ問題なかろう? おぬしが自ら排除したのじゃ。これでもう、家に帰らずとも良いな?』
 男が的だと思って矢を突き立てていた物は、落書きを施された1人娘の膨れた腹だったのでございます」

 その話をとても不思議に思ったので、女王は青年に問いました。

「そなた、その話は本当に自分で作った物語か?」
「その問いに答える前に、わたくしに遊戯の提案をさせていただけませぬでしょうか?」
「許そう。なんだ?」
「質問の合戦にございます。女王様の問いに答えたら、今度はわたくしの問いに貴方様がお答になる。これを交互に繰り返すのです」
「ほう、面白い。乗ってやろう」
「ありがたき幸せ。では先の問いの答えを申し上げさせてくださいませ。今した噺は、わたくしの想像によるものではございません」
「ふむ。では、そなたが問う番じゃ」
「お訊ねします。何故、この噺が私の作ではないと気づかれましたか?」
「心当たりがあるからじゃ。では、わらわの番じゃな? そなたの物語、必ず最後に人が死んだり国が滅ぶのう。何故じゃ?」
「そこにお気づきになるとは、女王様の才にはつくづく思い知らされます」
「世辞も達者よのう」
「わたくしの物語は、わたくしが考え出すものではなく、亡骸が教えてくれるのでございます」
「亡骸が? どういうことじゃ?」
「恐れながら申し上げます。女王様、問いは交互とさせていただいております」
「おお、そうだったな。今のはわらわの失言であった。許せ」

 ただの平民に謝罪をするのは初めてのことでしたが、女王は何1つ嫌な気がしません。
 そのことが、自分でも不思議でした。

「お訊ねいたします。女王様は、今まで殺した者のことを覚えておられますか?」
「忘れることもあれば、思い出すこともある。で、 亡骸がそなたに物語を伝えるとは、どういうことじゃ? 詳しく申せ」
「は。女王様に癒しの力があるように、わたくしにも特別な力がございます」
「ほう」
「人の亡骸を見ると、その者が生前にどのような道を歩んでいたのか、まるで自分の思い出であるかのように知れてしまうのです」
「なるほどのう。先の話は、わらわが処刑した男の亡骸を、そなたが見たというわけか」

 女王はそれで、責めに責め抜いた商人のことを思い返しました。
 ささくれのような細かな返しの棘がたくさん付いた鉄の棒で、何度も何度も尻を犯したときの、あの男の表情といったら。
 気を失う寸前に下郎の傷を癒し、再び体内を傷つけ、失神に成功されたら今度はへその穴に木の枝を刺して起こす。
 そんなことを何度繰り返したことか。

 女王はかすかに吐息を漏らし、足を組み直しました。
 自分が湿ってい るのが自分でも解ります。

「遊戯は止めじゃ」

 女王はまじまじと青年の唇を眺め回します。
 彼は若く、たくましく、眼に力がありました。

「そなた、わらわの夜の相手をしてみるか?」

 一国の長が庶民に体を委ねるなど、今までに例がありません。
 しかし女王は続けました。

「わらわに面白い噺を聴かせた褒美じゃ」

 椅子からゆっくりと立ち上がり、留めていた黄金色の髪をほどくと、女王は女の眼で青年の首筋に手を添えます。

「誰もが羨むこの身体、抱いてみい」

 しかし、なんとしたことでしょう。
 青年は片手を挙げて女王を制してしまうのでした。

「お断り申し上げます」

 まさか拒絶されるとは思っていなかったので、女王は わずかに驚き、また同時に残酷な光を表情に浮かべます。

「おぬし、怖気づいたか? それとも自分には勿体ないと判断したか?」

 答えによっては青年に命はありません。
 女王は腰に下げた鎖に手を添えました。

 青年は、まっすぐに女王の目を見つめます。

「わたくしと交われば、貴方様が死んでしまうのです」
「なに?」

 思いもよらぬ答えでした。

「わらわが死ぬとな?」
「はい」
「何故じゃ」
「わたくしの病が移り、女王様の身体を汚してしまうからです」
「ほう。そなた病気か」

 それならば問題が大きくありません。
 女王は鎖の柄から手を離します。

「そなたは運が良い。わらわ自らが特別に治してくれようぞ。どこが悪い? 」

 ここかここかと女王は青年の胸を、腰を、背に手をやります。
 すると女王はたじろいて、青年の顔を、頭を、手を、足を、指を、隅々まで触ります。

「なんじゃこれは! 良いところなど1つもない! そなた、全身を冒されておるではないか!」

 すると青年は寂しげに微笑みます。

「わたくしは、血を患っているのでございます」
「血だと!?」

 女王にとってそれは聞いたことのない症例でした。

「治しても治しても、悪い血がすぐに良い血を汚してしまいます。わたくしの命はもう長くはないのです」
「なにを馬鹿な! 試しもせずに何故解る!?」

 青年の服を脱がせ、女王はその胸板に両手を置いて念を込めます。
 治しても治しても、その血はすぐに体内を流れてしまい、すぐに悪い血と混ざって汚れてしまいます。
 女王は狼狽しました。

「わらわの治す早さが足りぬのか…」
「自分の身体にあるこの悪い予感、勘違いではありますまい」
「そなた、死ぬのか」
「はい。近いうちに、必ず」
「死ぬると人はどうなるのじゃ?」

 今まで散々人を死に追いやっておきながら、そんな疑問は今の今まで持ったことがありません。
 女王は若き男にすがります。

「教えよ。人は死んだあと、どこへ行く?」
「生まれ変わって、別の者になり、再び生きます」
「ではそなたが死んだら、すぐに生まれ変われ。わらわと逢って、面白い物語をもっと聞かせるのじゃ」
「それは叶いません」
「どうしてじゃ!?」
「次に生まれるときには、今のことを全て忘れてしまうからです」
「そうだ! そなたの血、全て移し替えしてしまおう! この国には腕の良い医者だって大勢おる! 血も屑どもから集めれば事足りよう」
「ありがたいお話ですが、それもできることではございません」
「何故に!?」
「理由が2つございます。どちらも大事なことです」
「申せ」
「はい。1つは、人の血には多くの種類があるのです。闇雲に他者の血をわたくしに入れてしまえば、馴染まぬ血はたちまちに我が身の中で暴れだし、わたくしは2度と動けなくなるでしょう」
「もう1つの理由とは?」
「もう1つは、わたくし自身の性質故でございます」
「性質とな?」
「はい。水のない場所で魚が生きられないのと同じく。わたくしは、自分のために誰かが犠牲になることを嫌います。そんなことがあるぐらいなら、わたくしは自らこの命を絶ってしまうことでしょう」
「そうか。では、どうにもならぬのか」
「なりませぬ」

 それで女王は黙ってしまいました。
 夜風がそよそよとバルコニーを流れ、松明の光を揺らせます。

「わたくしが死ぬまでの間――」

 青年が沈黙を破りました。

「少しでも多く、女王様のお側に居させてはもらえぬでしょうか?」
「そなたは、なにを望んでおるのじゃ?」
「貴方様に、もっと多くの物語をお聴かせしたい。それがわたくしの希望にございます」
「何故じゃ? 何故そなたは命を使ってわらわに尽くす?」
「わたくしが物語を語るようになったのは女王様、貴方様にお聞き入れいただきたかったからに他なりません」
「それが解らん。わらわに慕情があるわけでもあるまいに」
「あります」
「ん? 今、なんと?」
「貴方はお美しい」

 この言に女王はすっかり唖然としてしまい、もはや声を出すことが叶いません。

 青年がすっと腰を上げ、女王の肩にローブをかけました。

「今宵は寒うございます。お身体を壊さぬよう」

 彼は深々と女王に礼をします。

「それではまた明日に。失礼いたします」

 それはそれは綺麗な月夜のことでございました。

 詩人のように美しい気持ちを持つ青年。
 彼の本当の願いが女王への復讐であることを、彼女はまだ知りません。



 後編に続きます。

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プロフィール
HN:
めさ
年齢:
48
性別:
男性
誕生日:
1976/01/11
職業:
悪魔
趣味:
アウトドア、料理、格闘技、文章作成、旅行。
自己紹介:
 画像は、自室の天井に設置されたコタツだ。
 友人よ。
 なんで人の留守中に忍び込んで、コタツの熱くなる部分だけを天井に設置して帰るの?

 俺様は悪魔だ。
 ニコニコ動画などに色んな動画を上げてるぜ。

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