夢見町の史
Let’s どんまい!
2010
July 16
July 16
るーずぼーいず(前編)
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/374/
るーずぼーいず(中編)
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/375/
------------------------------
手錠を忘れてはならない。
大切な客からのリクエストだからだ。
1つ1つ丁寧に、手品の道具を鞄に詰め込む。
目を閉じていたが、老人は少年のような微笑を浮かべていた。
手品とは、手軽に起こせる奇跡のようなものだと西塚司は考える。
その小さな奇跡がいつか本当の奇跡に繋がって、誰かを助けることができたらどんなに幸せだろう。
最近できたその新しい夢は老いて尚青春を感じさせ、西塚司を嬉しい気持ちにさせていた。
今日は気分が良い。
にこにこと楽しそうに、西塚司は鞄を抱え、自宅を後にする。
少し遠回りをして、今日は公園の池を散歩してからルーズ・ボーイに向かうとしよう。
そんなことを考えていた。
------------------------------
その池のほとりでは、浅野大地がベンチに座って頭を抱えている。
大量の白い粉が入っている紙袋はというと、足元だ。
謎の粉を全て池に溶かし込んで処分することを思いついたはいいものの、その軽はずみな行為が池の生態系を乱しそうで悩んでいる。
そこに現れたのは体格の良いアロハシャツだ。
見るからに落胆しており、寺元康司の心を声にするならば「一体どこを探せばいいんだ」といったところだろう。
運んでいた麻薬が、いつの間にかこんな変な枕に変わっちまいやがって。
寺元康司が憎憎しげに手にしている紙袋を睨む。
しかしすぐにその視線は力を失くし、死人のような目を地面に向けた。
駄目だ。
適当に歩いてたどり着いたこんな池で、探し物が見つかるわけがない。
死人のような目をしているのは浅野大地も一緒だった。
ふとした瞬間、寺元康司と浅野大地が焦点の合わない視線を同時に上げる。
呆然とした目と目が合い、互いの存在を認めた。
どちらの表情もぼんやりとしていたが、やがてどちらも同じ勢いで目を丸くする。
互いが持つ全く同じデザインの紙袋。
そしてあいつは急ブレーキをかけた電車の中でぶつかった相手だ!
寺元康司と浅野大地が同じ考えに至ったのはほぼ同時だった。
反射的に足元の紙袋を掴み、浅野大地が駆け出す。
「待てコラァ!」
逃がしてなるものかと、寺元康司がその後を追った。
拳銃はジーンズの腰元に差してある。
神崎竜平から預かったそれを、いざとなったら使うつもりだ。
しかしその切り札が走っているときの振動で抜け落ちてしまうことを、寺元康司は予測していない。
------------------------------
「あたし、もうかっぱらいはやめます!」
「かっぱらいって言葉、久々に聞いたよ」
ルーズ・ボーイでは尚も相沢ひとみが熱く夢を語っている。
「スリも2度としません! 歌手になるから!」
マスターはすっかり困ってしまい、ノーギャラでいいのなら1度くらい店を貸してみようかと検討するも、いやいやレジの金が心配だと首を縦に振ろうとしない。
そんな折り、店の外から短い炸裂音が轟く。
何かが軽く爆発したかのような、大きな音だ。
何事かと、マスターと相沢ひとみが店の出入り口に視線を走らせる。
そこに立っていたのは、買い出しから戻った西塚由衣だ。
彼女はビニールに入れられたトマトジュースと、どういったわけか拳銃を手にしている。
銃口からわずかに煙が上がっているように見えて、マスターが驚きの表情を浮かべた。
「由衣、ちゃん…?」
「あのね!?」
西塚由衣はぜいぜいと肩で息をしている。
「モデルガンが落ちてると思って撃ってみたら、本物だったの!」
「なんでだよォ!」
マスターが悲痛の叫び声を上げた。
続いて浅野大地が大慌てで店内に入ってくる。
「マスター! 匿って!」
青年の手には、まだしっかりと紙袋が握られていた。
それを見たマスターが再び大声を出す。
「なんでみんなうちに犯罪の匂いがする物ばっかり持ち込むんだ!」
怒鳴られた浅野大地はしかし、「ごめんマスター! 池の生き物たちが心配だったから!」と意味の解らないことを口走る。
「とにかく匿って!」
浅野大地が勝手にカウンターの中に潜り込んだ。
「おい、大地君!」
「いいから! なんかチンピラっぽい人が来たら、俺はいないって言って! すぐに追い返して!」
マスターは泣きそうになりながら、「これは一体どういったストーリー展開なんだ」と力なくつぶやいた。
そのとき、またしても店のドアが音を立てる。
西塚由衣は慌てて銃を隠し、マスターが「今度は誰だ」と言わんばかりに玄関に目をやった。
薄い赤のアロハシャツにパンチパーマの男が、顔面を蒼白にしてテーブル席に腰を下ろす。
チンピラ風の男が来たら追い返せみたいなことを浅野大地が言っていたが、こうどっかりと座られては出て行けとなどと言いにくい。
軽食でも取ってもらえば長居されることはないだろうと、マスターは西塚由衣に指示を出した。
「由衣ちゃん、注文聞いてきてもらっていい?」
「はーい!」
相沢ひとみがいる手前、西塚由衣にはウエイトレスを演じさせる必要があるのだ。
西塚由衣はカウンターにトマトジュースを置くと、伝票を持ってテーブル席へと向かう。
寺元康司は両手で顔を覆い隠すようにして微動だにしない。
そんな男の顔を覗き込むように、西塚由衣は少ししゃがんだ。
「あの、ご注文よろしいですか?」
「ああ。もう駄目だ」
「駄目なんですか」
「俺ァ、これからどうすりゃいいんだ」
「注文すればいいんじゃないかと」
「1日に2つも大事な物を失くしちまった。俺ァどうすりゃいいんだよぉ」
何があったのかは解らないが、男の様子はあまりに気の毒に見えた。
西塚由衣が優しげな顔を見せる。
「お客さん、元気出してください。探し物なんて、案外近くにあったりもしますし」
現に麻薬も銃もこの店にあるのだが、寺元康司はそのことを知らない。
男はただただうなだれ、もはや「もう駄目だ」としか言わなくなっていた。
「元気出してくださいってば」
西塚由衣が男の肩をポンと叩く。
「嫌なことなんて生きていれば普通にありますよ。あたしもさっき嫌なことがあって、こう見えてもかなり凹んでるんですよ」
「ああ、もう駄目だ」
「あたし今、自動車免許取ろうって頑張ってて、やっと仮免までいったんです。でもね? その仮免で運転してたら事故起こしちゃって。たぶん誰も怪我してないと思うんだけど、1歩間違えたらたくさんの人を死なせちゃうって思ったら、凄く怖くなっちゃいました」
マスターが「だから最初、元気なかったのか」と独り言を言った。
西塚由衣は続ける。
「あたし今、お客さんに勝手に話を聞いてもらえたから、ちょっと元気になりました。誰かに打ち明けたら、お客さんも少しは楽になるんじゃないですか?」
「ああ、もう駄目だ」
「取り合えず何か飲みましょっか!」
「ああ、もう駄目だ」
と、そのとき。
店のドアがカランコロンと音を立てる。
いらっしゃいませと口を開きかけた西塚由衣の表情が一瞬で強張った。
「いらっしゃ、げえ! じいちゃん!」
大きな鞄と白杖を持った西塚司が嬉しそうに立っていた。
孫がウエイトレスの真似事をやっている事情など、西塚司は知らないでいる。
相沢ひとみを騙し続けるためには、祖父に「自分が西塚由衣である」と気づかれては上手くない。
じいちゃんの口から「由衣ちゃんはバイトなんてしてないよ」なんて言われたら全部台無しになっちゃう!
西塚由衣はそのように判断し、裏声を上げた。
「いらっしゃいませー!」
「お邪魔させていただきますよ。はて、ウエイトレスの方でしょうか?」
「はいっ! 最近使っていただくようになりました! 名乗るほどの者ではありませんけど、よろしくお願いします!」
明らかに甲高い西塚由衣の声色に、相沢ひとみがふとトマトジュースから口を離す。
「その声どうしたの? 由衣ちゃ」
「わー!」
マスターが慌てて助け舟を出した。
「司さん、お待ちしていましたよ! 相沢さんも見ていくといい。こちらの紳士が今からマジックショーのリハーサルしてくれるから!」
西塚司はというと、空いているテーブルの上に鞄を置きながら、ウエイトレスを気遣っている。
「名乗るほどの者ではないなんて、謙虚な娘さんですね」
「いえ! とんでもありません!」
「うちの孫も、あなたぐらいおしとやかだといいんですがねえ」
「ぐっ! お、お孫さんがいらっしゃるんですねっ!」
西塚由衣の声は裏返ったままである。
「きっと、もの凄く素晴らしいお孫さんなんでしょうね! もう、そうに決まってる!」
「いえいえ、それがとんでもないじゃじゃ馬娘でしてね、お恥ずかしい限りですよ。どこかに忍び込んで打ち上げ花火をして怒られたり、旅行に行ったかと思えば指名手配犯を捕まえてきたりと」
「うう…。で、でも凄いじゃないですかっ! お孫さん勇ましいんですね! あたしにはとても真似できない」
「真似なんてする必要ありません。剣道を習ったり1人旅に出たりだの。少しは落ち着いてほしいものですよ。今は車の免許を取ろうと頑張っているみたいですが、早々に事故の1つも起こしそうでね」
「うちのじいちゃんエスパーか…?」
「はい?」
「いえ! 手品のリハ、楽しみにしてますっ!」
西塚由衣は逃げるようにしてカウンターの中へと戻った。
「由衣ちゃん」
マスターが心配そうに小声を出す。
「事故って、大丈夫だったの?」
「うん」
西塚由衣はわずかに顔を曇らせた。
「アクセルとブレーキ間違えちゃって、踏み切りに突っ込んじゃったの」
「ええ!?」
マスターが大きくのぞける。
「そりゃ大変だ!」
「幸い無事だったんだけどさあ。電車がもの凄い音を立てて急ブレーキしてたよ」
「あの電車、お前のせいか!」
今まで厨房に隠れていた浅野大地が顔を出した。
「お前のおかげで酷い目に遭った!」
「ああ!」
テーブル席で顔を伏せていた寺元康司が勢いよく立ち上がる。
「見つけたぞ小僧!」
「やっべ!」
「あ! こっちにも!」
次に寺元康司は隣のテーブルに広げられている手品の道具に注目をした。
「あった! あった! やった!」
西塚司を押しのけ、寺元康司は拳銃を手に取る。
「あのう」
申し訳なさそうに西塚司が声を出したが、寺元康司は老人に気づかない。
ジーンズのポケットから携帯電話を取り出して耳に当てた。
「神崎さん、見つけましたよ!」
------------------------------
「見つけた?」
神埼竜平が大理石の灰皿に煙草を押しつける。
電話の向こうから、興奮気味になった部下の声が続いた。
「はい! ブツを持ち逃げしやがった小僧、やっと見つけました! 今目の前にいます!」
「で、ブツは?」
「今から締め上げて吐かせます!」
「テメーだけじゃ心配だな。場所はどこだ?」
「はい! ルーズ・ボーイ? そんな名前のバーです! 場所は――」
神埼竜平が店の場所をメモに取った。
「今からその店に何人か連れて行く。俺が行くまでそのガキ逃がすんじゃねえぞ」
電話を切り、神崎竜平は事務所の中をギラリと見渡した。
「行くぞ」
目つきの悪い男が3人、無言で立ち上がり、神崎竜平の後に続く。
------------------------------
「おい小僧、俺の紙袋、返せコラ」
寺元康司が浅野大地に銃を向ける。
「さっさと返せ!」
そこを西塚司が申し訳なさそうに口を挟んだ。
「あの、何かと勘違いしていませんか?」
「うるせえ! いいから小僧! 俺のアレ返せ! でねえと」
寺元康司は天井に向けて銃の引き金を引く。
すると銃口からポンと花が咲き、店内が静まり返った。
西塚司が言う。
「それ、私の手品の道具です」
浅野大地も罰が悪そうに顔をしかめていた。
「紙袋の中身、厨房に隠れてたとき、流しに流しちゃったんですよね」
それを聞いた寺元康司は「神崎さんが部下連れてここに来るんだぞ!」と悲鳴のような声を上げた。
------------------------------
「そりゃ俺ァ昔っから悪さばっかりしてたよ」
寺元康司は来店時と同様、この世の終わりのような調子になっている。
誰に聞かせるわけでもなく、寺元康司は饒舌になっていた。
「気づきゃ堅気じゃねえ仕事に就いちまってよ、おふくろに逢わせる顔もねえ。神崎さんは俺のこと許さねえだろう。きっと、罰が当たったんだろうな。悪さばっかしてたからよお。こんなことなら、真面目に人生やってりゃよかった。死にたくねえよ。生まれ変わりてえよ」
「あたしも、同じでした」
相沢ひとみだった。
少女は力強い目で、寺元康司を見つめる。
「でもあたし、この店で人生をやり直すことにしたんです。お兄さんも頑張ろうよ」
「ちょっと待て。うちの店で私の許可なく人生やり直さないでくれるか」
マスターの横槍を、相沢ひとみは気にかけない。
「お兄さん、音楽やろうよ! 今うちのバンド、ドラムがいないんだ」
マスターが「うちにドラムは置けないよ!」と激しい口調で遮った。
「じゃあトライアングル!」
と相沢ひとみは瞳を輝かせる。
寺元康司が大きく首を横に振った。
「あのチーンってやつだろ? 恥ずかしくてできるかよ。それよりなんとかしねえと、神崎さんたち来ちまう! 逃げてもいつか捕まる。俺ァもう駄目だ」
「その神崎って人がボスですか?」
浅野大地が口を挟んだ。
「その人だけが逮捕されちゃえば問題ないわけですよね?」
すると西塚由衣が大きく手を挙げた。
「大地! あたしも作戦考える! そういうの大好き!」
その声に反応し、西塚司が見えない目を孫のほうに向ける。
「まさか、由衣ちゃん?」
「げえ! バレたあ!」
「由衣ちゃん、いつからいたんだい」
「だいぶ前から、ウエイトレスをしてました」
「ん? どういうことだい。さっきのウエイトレスの子が由衣ちゃん? 確かに不自然な声色だったけれど」
「もう誤魔化せないな」
マスターがふうと息を吐いた。
「司さん、あなたまで騙すようなことになってしまい、すみません。実は今日だけ、由衣ちゃんにウエイトレスを演じてもらっていたんですよ」
「演じる? どういうこと?」
相沢ひとみが不思議そうな顔をした。
「小細工までして悪かったね、相沢さん」
マスターは陰のある表情だ。
「うちは、どうしても君を雇うわけにはいかないんだよ。だから嘘をついた」
「なんで? 雇ってよ」
「それが、そうはいかないんだ。実はこの店、今月いっぱいで閉めるつもりでね」
これには全員が驚きの声を上げる。
「なんで!?」
「マジ!?」
「嘘でしょ!?」
しかしマスターの態度は真剣そのものだ。
「情けない話だが経営困難でね。ここしばらく、ずっと赤字続きなんだ」
マスターは寂しそうに店内を眺める。
「今日だって賑わっちゃいるが、誰も何も注文していない」
全員がそれで「ああ~」と深く何度も頷いた。
「いい店じゃねえかよ」
寺元康司が握った両方の拳に向かってつぶやく。
「俺ァこの店、初めて来たがいい店じゃねえかよ。俺みてえなチンピラの相談に乗ってくれる連中がこんなに集まるんだぜ? こんないい店ねえよ」
ゆっくりと、寺元康司が顔を上げる。
「この店、潰さなねえでくれよマスター! 俺も客になるよ!」
しかし、ふっとチンピラは自嘲気味に笑った。
「俺が無事だったらの話だけどな」
「このメンバーがいるなら、無事で済むかも知れないですよ」
浅野大地が自信あり気に微笑んでいる。
完結編に続く。
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/377/
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/374/
るーずぼーいず(中編)
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/375/
------------------------------
手錠を忘れてはならない。
大切な客からのリクエストだからだ。
1つ1つ丁寧に、手品の道具を鞄に詰め込む。
目を閉じていたが、老人は少年のような微笑を浮かべていた。
手品とは、手軽に起こせる奇跡のようなものだと西塚司は考える。
その小さな奇跡がいつか本当の奇跡に繋がって、誰かを助けることができたらどんなに幸せだろう。
最近できたその新しい夢は老いて尚青春を感じさせ、西塚司を嬉しい気持ちにさせていた。
今日は気分が良い。
にこにこと楽しそうに、西塚司は鞄を抱え、自宅を後にする。
少し遠回りをして、今日は公園の池を散歩してからルーズ・ボーイに向かうとしよう。
そんなことを考えていた。
------------------------------
その池のほとりでは、浅野大地がベンチに座って頭を抱えている。
大量の白い粉が入っている紙袋はというと、足元だ。
謎の粉を全て池に溶かし込んで処分することを思いついたはいいものの、その軽はずみな行為が池の生態系を乱しそうで悩んでいる。
そこに現れたのは体格の良いアロハシャツだ。
見るからに落胆しており、寺元康司の心を声にするならば「一体どこを探せばいいんだ」といったところだろう。
運んでいた麻薬が、いつの間にかこんな変な枕に変わっちまいやがって。
寺元康司が憎憎しげに手にしている紙袋を睨む。
しかしすぐにその視線は力を失くし、死人のような目を地面に向けた。
駄目だ。
適当に歩いてたどり着いたこんな池で、探し物が見つかるわけがない。
死人のような目をしているのは浅野大地も一緒だった。
ふとした瞬間、寺元康司と浅野大地が焦点の合わない視線を同時に上げる。
呆然とした目と目が合い、互いの存在を認めた。
どちらの表情もぼんやりとしていたが、やがてどちらも同じ勢いで目を丸くする。
互いが持つ全く同じデザインの紙袋。
そしてあいつは急ブレーキをかけた電車の中でぶつかった相手だ!
寺元康司と浅野大地が同じ考えに至ったのはほぼ同時だった。
反射的に足元の紙袋を掴み、浅野大地が駆け出す。
「待てコラァ!」
逃がしてなるものかと、寺元康司がその後を追った。
拳銃はジーンズの腰元に差してある。
神崎竜平から預かったそれを、いざとなったら使うつもりだ。
しかしその切り札が走っているときの振動で抜け落ちてしまうことを、寺元康司は予測していない。
------------------------------
「あたし、もうかっぱらいはやめます!」
「かっぱらいって言葉、久々に聞いたよ」
ルーズ・ボーイでは尚も相沢ひとみが熱く夢を語っている。
「スリも2度としません! 歌手になるから!」
マスターはすっかり困ってしまい、ノーギャラでいいのなら1度くらい店を貸してみようかと検討するも、いやいやレジの金が心配だと首を縦に振ろうとしない。
そんな折り、店の外から短い炸裂音が轟く。
何かが軽く爆発したかのような、大きな音だ。
何事かと、マスターと相沢ひとみが店の出入り口に視線を走らせる。
そこに立っていたのは、買い出しから戻った西塚由衣だ。
彼女はビニールに入れられたトマトジュースと、どういったわけか拳銃を手にしている。
銃口からわずかに煙が上がっているように見えて、マスターが驚きの表情を浮かべた。
「由衣、ちゃん…?」
「あのね!?」
西塚由衣はぜいぜいと肩で息をしている。
「モデルガンが落ちてると思って撃ってみたら、本物だったの!」
「なんでだよォ!」
マスターが悲痛の叫び声を上げた。
続いて浅野大地が大慌てで店内に入ってくる。
「マスター! 匿って!」
青年の手には、まだしっかりと紙袋が握られていた。
それを見たマスターが再び大声を出す。
「なんでみんなうちに犯罪の匂いがする物ばっかり持ち込むんだ!」
怒鳴られた浅野大地はしかし、「ごめんマスター! 池の生き物たちが心配だったから!」と意味の解らないことを口走る。
「とにかく匿って!」
浅野大地が勝手にカウンターの中に潜り込んだ。
「おい、大地君!」
「いいから! なんかチンピラっぽい人が来たら、俺はいないって言って! すぐに追い返して!」
マスターは泣きそうになりながら、「これは一体どういったストーリー展開なんだ」と力なくつぶやいた。
そのとき、またしても店のドアが音を立てる。
西塚由衣は慌てて銃を隠し、マスターが「今度は誰だ」と言わんばかりに玄関に目をやった。
薄い赤のアロハシャツにパンチパーマの男が、顔面を蒼白にしてテーブル席に腰を下ろす。
チンピラ風の男が来たら追い返せみたいなことを浅野大地が言っていたが、こうどっかりと座られては出て行けとなどと言いにくい。
軽食でも取ってもらえば長居されることはないだろうと、マスターは西塚由衣に指示を出した。
「由衣ちゃん、注文聞いてきてもらっていい?」
「はーい!」
相沢ひとみがいる手前、西塚由衣にはウエイトレスを演じさせる必要があるのだ。
西塚由衣はカウンターにトマトジュースを置くと、伝票を持ってテーブル席へと向かう。
寺元康司は両手で顔を覆い隠すようにして微動だにしない。
そんな男の顔を覗き込むように、西塚由衣は少ししゃがんだ。
「あの、ご注文よろしいですか?」
「ああ。もう駄目だ」
「駄目なんですか」
「俺ァ、これからどうすりゃいいんだ」
「注文すればいいんじゃないかと」
「1日に2つも大事な物を失くしちまった。俺ァどうすりゃいいんだよぉ」
何があったのかは解らないが、男の様子はあまりに気の毒に見えた。
西塚由衣が優しげな顔を見せる。
「お客さん、元気出してください。探し物なんて、案外近くにあったりもしますし」
現に麻薬も銃もこの店にあるのだが、寺元康司はそのことを知らない。
男はただただうなだれ、もはや「もう駄目だ」としか言わなくなっていた。
「元気出してくださいってば」
西塚由衣が男の肩をポンと叩く。
「嫌なことなんて生きていれば普通にありますよ。あたしもさっき嫌なことがあって、こう見えてもかなり凹んでるんですよ」
「ああ、もう駄目だ」
「あたし今、自動車免許取ろうって頑張ってて、やっと仮免までいったんです。でもね? その仮免で運転してたら事故起こしちゃって。たぶん誰も怪我してないと思うんだけど、1歩間違えたらたくさんの人を死なせちゃうって思ったら、凄く怖くなっちゃいました」
マスターが「だから最初、元気なかったのか」と独り言を言った。
西塚由衣は続ける。
「あたし今、お客さんに勝手に話を聞いてもらえたから、ちょっと元気になりました。誰かに打ち明けたら、お客さんも少しは楽になるんじゃないですか?」
「ああ、もう駄目だ」
「取り合えず何か飲みましょっか!」
「ああ、もう駄目だ」
と、そのとき。
店のドアがカランコロンと音を立てる。
いらっしゃいませと口を開きかけた西塚由衣の表情が一瞬で強張った。
「いらっしゃ、げえ! じいちゃん!」
大きな鞄と白杖を持った西塚司が嬉しそうに立っていた。
孫がウエイトレスの真似事をやっている事情など、西塚司は知らないでいる。
相沢ひとみを騙し続けるためには、祖父に「自分が西塚由衣である」と気づかれては上手くない。
じいちゃんの口から「由衣ちゃんはバイトなんてしてないよ」なんて言われたら全部台無しになっちゃう!
西塚由衣はそのように判断し、裏声を上げた。
「いらっしゃいませー!」
「お邪魔させていただきますよ。はて、ウエイトレスの方でしょうか?」
「はいっ! 最近使っていただくようになりました! 名乗るほどの者ではありませんけど、よろしくお願いします!」
明らかに甲高い西塚由衣の声色に、相沢ひとみがふとトマトジュースから口を離す。
「その声どうしたの? 由衣ちゃ」
「わー!」
マスターが慌てて助け舟を出した。
「司さん、お待ちしていましたよ! 相沢さんも見ていくといい。こちらの紳士が今からマジックショーのリハーサルしてくれるから!」
西塚司はというと、空いているテーブルの上に鞄を置きながら、ウエイトレスを気遣っている。
「名乗るほどの者ではないなんて、謙虚な娘さんですね」
「いえ! とんでもありません!」
「うちの孫も、あなたぐらいおしとやかだといいんですがねえ」
「ぐっ! お、お孫さんがいらっしゃるんですねっ!」
西塚由衣の声は裏返ったままである。
「きっと、もの凄く素晴らしいお孫さんなんでしょうね! もう、そうに決まってる!」
「いえいえ、それがとんでもないじゃじゃ馬娘でしてね、お恥ずかしい限りですよ。どこかに忍び込んで打ち上げ花火をして怒られたり、旅行に行ったかと思えば指名手配犯を捕まえてきたりと」
「うう…。で、でも凄いじゃないですかっ! お孫さん勇ましいんですね! あたしにはとても真似できない」
「真似なんてする必要ありません。剣道を習ったり1人旅に出たりだの。少しは落ち着いてほしいものですよ。今は車の免許を取ろうと頑張っているみたいですが、早々に事故の1つも起こしそうでね」
「うちのじいちゃんエスパーか…?」
「はい?」
「いえ! 手品のリハ、楽しみにしてますっ!」
西塚由衣は逃げるようにしてカウンターの中へと戻った。
「由衣ちゃん」
マスターが心配そうに小声を出す。
「事故って、大丈夫だったの?」
「うん」
西塚由衣はわずかに顔を曇らせた。
「アクセルとブレーキ間違えちゃって、踏み切りに突っ込んじゃったの」
「ええ!?」
マスターが大きくのぞける。
「そりゃ大変だ!」
「幸い無事だったんだけどさあ。電車がもの凄い音を立てて急ブレーキしてたよ」
「あの電車、お前のせいか!」
今まで厨房に隠れていた浅野大地が顔を出した。
「お前のおかげで酷い目に遭った!」
「ああ!」
テーブル席で顔を伏せていた寺元康司が勢いよく立ち上がる。
「見つけたぞ小僧!」
「やっべ!」
「あ! こっちにも!」
次に寺元康司は隣のテーブルに広げられている手品の道具に注目をした。
「あった! あった! やった!」
西塚司を押しのけ、寺元康司は拳銃を手に取る。
「あのう」
申し訳なさそうに西塚司が声を出したが、寺元康司は老人に気づかない。
ジーンズのポケットから携帯電話を取り出して耳に当てた。
「神崎さん、見つけましたよ!」
------------------------------
「見つけた?」
神埼竜平が大理石の灰皿に煙草を押しつける。
電話の向こうから、興奮気味になった部下の声が続いた。
「はい! ブツを持ち逃げしやがった小僧、やっと見つけました! 今目の前にいます!」
「で、ブツは?」
「今から締め上げて吐かせます!」
「テメーだけじゃ心配だな。場所はどこだ?」
「はい! ルーズ・ボーイ? そんな名前のバーです! 場所は――」
神埼竜平が店の場所をメモに取った。
「今からその店に何人か連れて行く。俺が行くまでそのガキ逃がすんじゃねえぞ」
電話を切り、神崎竜平は事務所の中をギラリと見渡した。
「行くぞ」
目つきの悪い男が3人、無言で立ち上がり、神崎竜平の後に続く。
------------------------------
「おい小僧、俺の紙袋、返せコラ」
寺元康司が浅野大地に銃を向ける。
「さっさと返せ!」
そこを西塚司が申し訳なさそうに口を挟んだ。
「あの、何かと勘違いしていませんか?」
「うるせえ! いいから小僧! 俺のアレ返せ! でねえと」
寺元康司は天井に向けて銃の引き金を引く。
すると銃口からポンと花が咲き、店内が静まり返った。
西塚司が言う。
「それ、私の手品の道具です」
浅野大地も罰が悪そうに顔をしかめていた。
「紙袋の中身、厨房に隠れてたとき、流しに流しちゃったんですよね」
それを聞いた寺元康司は「神崎さんが部下連れてここに来るんだぞ!」と悲鳴のような声を上げた。
------------------------------
「そりゃ俺ァ昔っから悪さばっかりしてたよ」
寺元康司は来店時と同様、この世の終わりのような調子になっている。
誰に聞かせるわけでもなく、寺元康司は饒舌になっていた。
「気づきゃ堅気じゃねえ仕事に就いちまってよ、おふくろに逢わせる顔もねえ。神崎さんは俺のこと許さねえだろう。きっと、罰が当たったんだろうな。悪さばっかしてたからよお。こんなことなら、真面目に人生やってりゃよかった。死にたくねえよ。生まれ変わりてえよ」
「あたしも、同じでした」
相沢ひとみだった。
少女は力強い目で、寺元康司を見つめる。
「でもあたし、この店で人生をやり直すことにしたんです。お兄さんも頑張ろうよ」
「ちょっと待て。うちの店で私の許可なく人生やり直さないでくれるか」
マスターの横槍を、相沢ひとみは気にかけない。
「お兄さん、音楽やろうよ! 今うちのバンド、ドラムがいないんだ」
マスターが「うちにドラムは置けないよ!」と激しい口調で遮った。
「じゃあトライアングル!」
と相沢ひとみは瞳を輝かせる。
寺元康司が大きく首を横に振った。
「あのチーンってやつだろ? 恥ずかしくてできるかよ。それよりなんとかしねえと、神崎さんたち来ちまう! 逃げてもいつか捕まる。俺ァもう駄目だ」
「その神崎って人がボスですか?」
浅野大地が口を挟んだ。
「その人だけが逮捕されちゃえば問題ないわけですよね?」
すると西塚由衣が大きく手を挙げた。
「大地! あたしも作戦考える! そういうの大好き!」
その声に反応し、西塚司が見えない目を孫のほうに向ける。
「まさか、由衣ちゃん?」
「げえ! バレたあ!」
「由衣ちゃん、いつからいたんだい」
「だいぶ前から、ウエイトレスをしてました」
「ん? どういうことだい。さっきのウエイトレスの子が由衣ちゃん? 確かに不自然な声色だったけれど」
「もう誤魔化せないな」
マスターがふうと息を吐いた。
「司さん、あなたまで騙すようなことになってしまい、すみません。実は今日だけ、由衣ちゃんにウエイトレスを演じてもらっていたんですよ」
「演じる? どういうこと?」
相沢ひとみが不思議そうな顔をした。
「小細工までして悪かったね、相沢さん」
マスターは陰のある表情だ。
「うちは、どうしても君を雇うわけにはいかないんだよ。だから嘘をついた」
「なんで? 雇ってよ」
「それが、そうはいかないんだ。実はこの店、今月いっぱいで閉めるつもりでね」
これには全員が驚きの声を上げる。
「なんで!?」
「マジ!?」
「嘘でしょ!?」
しかしマスターの態度は真剣そのものだ。
「情けない話だが経営困難でね。ここしばらく、ずっと赤字続きなんだ」
マスターは寂しそうに店内を眺める。
「今日だって賑わっちゃいるが、誰も何も注文していない」
全員がそれで「ああ~」と深く何度も頷いた。
「いい店じゃねえかよ」
寺元康司が握った両方の拳に向かってつぶやく。
「俺ァこの店、初めて来たがいい店じゃねえかよ。俺みてえなチンピラの相談に乗ってくれる連中がこんなに集まるんだぜ? こんないい店ねえよ」
ゆっくりと、寺元康司が顔を上げる。
「この店、潰さなねえでくれよマスター! 俺も客になるよ!」
しかし、ふっとチンピラは自嘲気味に笑った。
「俺が無事だったらの話だけどな」
「このメンバーがいるなら、無事で済むかも知れないですよ」
浅野大地が自信あり気に微笑んでいる。
完結編に続く。
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/377/
PR