夢見町の史
Let’s どんまい!
2012
February 11
February 11
※今作には残虐な表現や性的描写が含まれています。
お読みになられる際は充分なご覚悟のほど、よろしくお願い申し上げます。
前編
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/465/
中編
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/466/
------------------------------
夜が深まった頃に男が女の部屋を訪ねる理由はそう多くはないでしょう。
大臣がいそいそと、抑えきれない欲情を胸に扉の前に立ちます。
美しく、深く彫られた獅子の彫刻は鉄の輪を咥えており、大臣はそれを手に取ってそっと3度扉を叩きました。
中から女王の声が聞こえます。
「誰じゃ」
「わたくしめにございます」
普段ならここで「入れ」と言われ、そのまま情事に励むのですが、この晩は違いました。
「わらわは疲れておる。用があるなら明日に聞く」
大臣が女王にどんな用事があるのか、いつものことなので彼女は解っているはずです。
今宵は月に1度の女の日でもありません。
にもかかわらずこの言い草。
大臣にかすかな違和感を与えました。
鎮められるとばかり思っていた自分自身を慰められないのは大臣にとって思いもよらぬこと。
すぐに戻る気が起きようはずもありません。
「女王様、愚民をこらしめるための新たな道具の話でもしませぬか」
すると扉の向こうから「くどい」と苛立った声がしてきます。
「わらわは疲れておると言っているのだ。2度言わせるようなら、おぬしが考案した道具を全ておぬしに使うぞ。下がれ馬鹿が」
こうして大臣が覚えた違和感は、さらに膨らみを増すのでした。
女王はというと、部屋で多くの書を貪るかのように読み漁っています。
様々な病気を取り扱った本。
薬草について詳しく書かれた本。
血を良くするための食事の作り方が書かれた本。
それら多くの書は女王の寝台の上で山のようになっています。
約束の日になると、いつものように物語の使い手が閲覧の間まで訪ねてきました。
女王が彼に言います。
「今日は物語を聞かせずとも良い。城外の散策をいたす。供をせい」
護衛を付けず、人目を忍ぶかのように青年を連れ出しました。
湖の畔では鳥の鳴く声が遠くでするだけで静かなものです。
切り倒された大木の幹に、2人は腰を下ろしました。
「愛の女神とまで称されるわらわに治せない病があっては沽券にかかわるからのう。家臣たちの目に届かぬほうが好都合じゃ」
女王はそのように切り出します。
彼女は次々と薬草や瓶詰めにされた薬品を取り出しました。
「そなた、これらの薬は試したことがあるか?」
「その問いに質問で返す無礼をお許しください。これらは一体…?」
「どれも血に効く物ばかりじゃ。わらわ、普段は自分の力で傷も病も治せるゆえ、知識がなくてのう。書物を久しぶりに読んだ」
薬草や薬を家臣に取り寄せさせれば、「なんでも治せるはずの女王が何故このような物を欲するのだろう」と不思議に思われてしまいます。
なので彼女は庶民に成りすまし、自ら町まで買い出しに行っていたのでした。
「そなた、これら全部持ち帰って試せ」
「恐れ多いお心遣い、痛み入ります」
「そなた独り者であったな? 食はどうしておる?」
「は。自分で作ることもあれば、宿の食堂を利用することもありまする」
「それはいかん。日頃の食にも注意を払え。治療にならずとも、悪化を食い止めることぐらいにはなろう」
「勿体無いご忠告、誠にありがとうございます」
「そうだ。そなた城まで馬で来ていたな? それ以外は歩くのであろう? 血の巡りが早くなっては身体に悪い。これからはわらわがそなたの住まいに出向いてやる。そなたは横になって物語を話せ」
彼は内心、とても大きく驚きました。
青年の病気をしっかりと理解していなければ、この薬草も、あの忠告も出ようはずがないからです。
女王が陰でどれだけの本を読んだのか、容易に察することができました。
だからこそ、女王は知っているはずです。
様々な手を尽くして、命を1日伸ばすことはできても、死は確実にやってきてしまうことを。
この日は夕刻まで世間話をし、青年は何度も女王に礼を言って帰路についてゆきました。
それからというもの、女王は護衛をつけぬまま青年の家に足を運ぶようになります。
歓迎のための茶を用意すようとすることさえ、女王は許しません。
「そなたは寝ておれ。茶など飲みたい気分ではない。それより、薬はまだあるか? そろそろなくなる頃かと思ってな、新しいのを持ってきた」
薬草を手渡す女王のその指先が傷だらけで、青年は疑問の念を抱きました。
「女王様、お手に怪我を」
「構うな。それより、今日はどんな物語を聞かせてくれるのじゃ?」
青年の寝台の横に椅子を持ってきておいて、彼女は長いようで短い物語を堪能します。
今日の噺も、とても楽しむことができました。
「面白かった。褒美じゃ。台所を借りるぞ」
女王は立つと、鞄を手に調理台に向かいます。
何を始めるのかと好奇心が湧いて青年が密かに覗くと、なんと女王は一生懸命に本を見ながら、料理を作っているではありませんか。
食材を見ると、どれも血に良いものばかり。
慣れない手つきで山菜を刻み、苦労して火を点け、湯を沸かしています。
青年はそっと場を離れ、寝台で横になって待ちました。
「できたぞ」
女王がシチューとパンを青年の部屋まで運んできました。
手の傷がさらに増えたのか、指先には薄く包帯を巻いています。
「さあ食せ。ただし、わらわの力で人が治せないことが民に知られたら、ただではおかんからな。薬草のことも食事のことも、決して他言するなよ」
「承知いたしました」
「よし、では喰おう」
それはお世辞にも美味と呼べるものではありませんでした。
肉は固く、野菜の形は歪で、風味も良くありません。
一緒に食べている女王もそう感じて、「身体に悪くないのだが、美味くないな」と悲しげな表情を浮かべます。
しかし青年は断じました。
「たいへん美味しゅうございます。このように美味なる料理は今まで口にしたことがございません」
「そうか!」
女王が嬉しそうな顔をしました。
「城の調理場で練習した甲斐があった! 今度はもっと美味くなるようにするゆえ、楽しみにしておれ」
「ありがたき幸せ。いやしくも、全て平らげさせていただきます」
「うむ。遠慮するでないぞ。そなたの病が治ったら葡萄酒を飲もう」
青年にとって孤独ではない食事は久しぶりで、それはとても心温まる一時でした。
女王はそれからというもの、毎日のように青年の家に通います。
中には物語を所望せず、ただ会話をするだけという日もありました。
「のう、そなた将来の夢はあるのか?」
「今は死を待つだけの身ゆえ、夢など持ち合わせてはおりません」
「そう言うな。愛の女神の名にかけて、必ずそなたを治す。いつまでもそなたの物語を聴きたいからな。最近はな、わらわ、治す早さを上げようと思ってな、今まで以上に癒しの力を民に振るっておる。いずれ、そなたの悪い血が巡るより早く全て治癒させるゆえ、安心せい」
「恐れ多いお言葉、重ね重ねありがとうございます」
「で、そなたの夢はなんじゃ?」
「そうですね。以前は、ささやかながら家族を持ちとうございました」
「ほう」
人が家族を欲する心も、それを大事に想う気持ちも、女王は知識として知っています。
その気持ちを拷問に利用していたからです。
どうやらこの青年も、人として当たり前の願望を持っているようです。
「そうか、家族か」
女王は拷問以外のことで、初めて家族について考えを巡らせたのでした。
どんなに力を施しても、青年の命を大きく伸ばすことはできないことを、女王は既に察していたからです。
一方、城内では不穏な空気が漂っていました。
「この頃は女王の様子がおかしい」
「護衛もつけず、行き先も告げずにどこかに通っている」
「拷問をしなくなったばかりか、癒しの力を民にまで振舞うようになった」
「あれだけの傲慢、それで許されるわけでもあるまい」
「私は人前で怒鳴られ、恥ずかしい想いをさせられたことがある」
「私など目の前で家族を苦しめられ、殺された」
「私など、妻が産んだばかり赤子を丸焼きにされた。それを皆の見守る前で、妻と一緒に喰えと命じられたのだ!」
「いつまた横暴な女に戻ることやら」
「今の女王は油断をしている」
「恨みを晴らすなら今だ」
「殺してしまうなら今だ」
進んで指揮を振るったのは、大臣でした。
そんな相談がされているとは夢にも思わず、女王は今日も青年の家まで足を伸ばします。
この日の彼女は、特に嬉しそうにしていました。
いつものように物語を楽しんで、前もって調べておいた身体に良い食材を使い、不器用ながらも料理をして、そして次に逢う約束をします。
「のう。そなたさえ無理でなければ、たまには日の光に当たらぬか」
「もちろん喜んで。お供させていただきます」
「いつか行った湖、覚えておるか?」
「はい、覚えておりまする」
「あのそばに小さな教会があってな。今はもう使われておらぬ。明日はそこで逢おうぞ」
「かしこまりました。楽しみにしております」
こうして翌日、教会を訪れた青年はその目を大きく見開くことになります。
「女王様、そのお姿は一体…?」
「ふふ。驚いたか」
女王は純白のドレスを身に纏い、王冠ではなくティアラを被って、手には小さな花束を持っているではありませんか。
「そなたの願い、叶えてやろうと思ってな」
「そんな、恐れ多い!」
「わらわが妻では嫌か?」
「とんでもございません! ですがわたくしには荷が勝ちすぎます」
「なに、そなたに王になれと言っているわけではない。普通の家庭を持ちたいのであろう? ただの真似事かも知れぬが、わらわ、そなたの妻になってみとうなった」
「し、しかし…」
「指輪もな、町の鍛冶屋に作らせた。わらわの指に嵌めよ」
女王は2つ、小さな箱を青年に差し出します。
彼女は「そなたの指には合うじゃろうか」と心配していましたが、指輪の大きさは調度良く、青年の薬指に収まりました。
「よかった! ぴったりじゃ! 本当は牧師を招きたかったが、わらわの身分が知られたら困るでな。2人きりで式を挙げようぞ」
そして女王は青年の目を心配げに覗きます。
「そなた、嫌ではないか? わらわ、そなたの妻になっても良いか?」
青年が見つめ返します。
「まさか夢が叶うとは思っておりませんでした。わたくしの妻は、わたくしの最後を看取らねばなりません。苦労なさいますよ?」
「覚悟しておる」
そして2人は口づけを交わします。
この一瞬が永遠に続きますようにと祈りを込めて。
「女王様!」
教会の扉が大きな音と共に開くと同時に、男の大声がしました。
「ここにおられましたか!」
それは城の兵隊長でした。
一体何があったというのか、彼は何本もの矢を背中に受けており、もはや柱に寄りかからねば自力で立つこともままなりません。
女王が目を見張ります。
「どうした!? なにがあったのじゃ!?」
「お逃げください! 謀反です!」
「なんじゃと!?」
「城の者共が貴方様を殺そうと、ここを目指しております!」
「なんと! 大臣は何をしておる! あの無能めが!」
「その大臣が、女王様を裏切ったのです」
「くッ! あの馬鹿め! さっさと殺しておけばよかったわ!」
そして兵隊長は最後に「お逃げください」と目を閉じました。
青年が女王に駆け寄ります。
「わたくしの馬で逃げましょう!」
森を抜けようと、一頭の白馬が駆けています。
日はもう落ちていて、女王たちの背後にはおびただしい数の松明の火が。
城の馬は訓練されており、とても速く走ります。
追っ手はもうすぐ女王たちに届こうとしていました。
手綱を握る青年に覆いかぶさるようにし、女王はしがみついています。
ドスッと肉を刺す音を、女王は自分の体内から聞きました。
同時に冷たい金属の感触が背中から入って、それが胸の中で止まります。
追っ手の放った矢が、とうとう自分に届くようになってしまいました。
彼女はさらに大きく背を伸ばし、青年の背後を覆います。
ドスッ!
と、もう1本の矢が女王の背に。
矢は馬にも当たっているようで、白馬は走りながらびくんびくんと時折震え、徐々に速度を落としてゆきます。
「あの砦に逃げ込みましょう!」
青年がレンガ作りの廃屋を見つけ、そこで馬から降りました。
2人を降ろすと白馬はうずくまり、そのまま横になります。
「すまない」
馬の顔を撫で、青年は女王の手を取って建物の中へ。
そこは大変暗かったので、青年は火打ち石で壁のランタンに火を入れます。
わずかに明るくなったのを見て、青年はその場に片膝をつきました。
「大丈夫か!?」
女王が駆け寄ってきました。
青年が儚げに微笑みます。
「包み隠さず申し上げます。このような大変なときに申し訳ございません。わたくし、どうやら先立つときがきたようです」
「なにを馬鹿なことを!」
女王が青年を抱きかかえるようにしました。
それに応えようと、彼も女王の背に手を回します。
それで青年は女王が矢を受けていたことを知りました。
「女王様! 背に矢が!」
なんとか身を起こし、青年は女王を振り向かせます。
「2本も刺さっているではありませんか! 今抜きます! ご自身をお治しください!」
「いや、それには及ばん」
「何故です!?」
「矢には返しがついておる。抜けばさらに肉が避け、わらわはすぐに死んでしまうであろう」
「ですが、矢を抜いて癒しの力をお使いになれば!」
「できぬ」
「と、申しますと?」
「不便なものよ。そなたの病気以外に、わらわが治せぬものがある」
「そうなのですか」
「うむ。わらわ自身は、何故だか治すことができん。この傷も治せぬ」
「だったら何故! 何故わたくしをかばったのでございますか!」
「そなたを想うことで起こるこの胸の高鳴りも、治すことができんからじゃ」
それに、と女王が続けます。
「そなたが痛がる姿、わらわが見たくなかった。わらわの自分勝手でやったことじゃ」
「しかし!」
「なに、構うな。どうしてわらわが以前から人を痛めつけることに興じたと思う?」
「己の欲求ではないのですか?」
「そうじゃ。その欲求はどうしてあったのか、解るか?」
「人を思い通りに拷問できる立場であったからではないのですか?」
「それはただの環境にすぎぬ。わらわはな、痛みが何なのかを知りたかったのじゃ」
「どういうことでございますか」
「わらわは元より、痛みを感じぬ身体を持って生まれてきた。痛いというのがどういうことなのか、わらわにはどうしても解らぬのじゃ」
ランタンの微かな光が、女王の微笑みを照らしています。
「だから、わらわは痛うない。案ずるな」
青年はそれで、そっと女王の背にある矢から手を離しました。
「貴方に、謝らねばなりません」
「なんじゃ?」
「わたくしは、貴方に近づくために物語を語ることを始めました」
「それを知ったときは嬉しかったものよ」
「ですが、それはあなたへの恨みを晴らすため」
「恨み?」
「はい。いつぞやは、手投げの矢を娘の腹に投げさせられた商人の噺をさせていただきました」
「覚えておるよ」
「あれがわたくしの兄です」
「そうであったか。ではこの矢を引き抜くなり、もっと深く突き刺すなりするがいい」
「それはしませぬ」
「何故じゃ。絶好の好機じゃぞ?」
「わたくしの復讐は、貴方から愛する者を奪うこと。この短い命を使ってできることといったら、それしか思い浮かばなかったのです」
「そうか」
女王はそれで、過去にした様々な拷問を思い返しました。
目の前で愛する者に死なれる悲しみは、かくにも重たく強大なものだったのでございます。
「わらわにも、少しは痛みが解ったかも知れぬ。そなたに出逢えてよかった」
「わたくしは後悔しております。貴方に逢うべきではありませんでした」
「そうなのか?」
「ええ。復讐などするものではありません。貴方に愛されようと振舞ううちに、こちらが先に愛してしまったのですから」
言うと青年は、そっと女王に唇を重ねます。
女王はそれで、今まで堪えてきた涙を溢れ返させました。
「嫌じゃ! そなたが死ぬのは嫌じゃよ!」
自分の身分など忘れ、彼女は泣いて泣いて泣き喚きます。
「そなた! 死ぬでない! わらわを悲しませるな! これは命令じゃ! そなたが死ぬのは嫌なのじゃ! もし死ぬというなら、先にわらわを殺せ! わらわ、そなたと一緒に死ぬ! 頼むから先に逝くでない!」
青年はすると、力強く女王の胸ぐらを掴み、乱暴に顔を引き寄せました。
「甘ったれるんじゃない!」
青年は最後の力を振り絞って、腹の底から怒鳴ります。
「貴方が今まで殺した者は皆、今の貴方よりも苦しんだのです! 散々人を責めておいて、自分が悲しむのは嫌!? なにを都合の良いことを! なんとみっともない!」
赤く充血した彼の目は、女王へと真っ直ぐに向けられています。
「貴方、それでも私の妻ですか!」
そして、ふっと力を緩め、女王の胸元から手を離し、代わりに彼女の頬を撫でます。
「貴方は優しい人です」
そんなことを今まで誰からも言われたことがなくて、女王は激しく狼狽しました。
「優しい…? わらわが、優しい…?」
「そう。いつか、生まれ変わりの話をしましたね?」
「うむ。覚えておる。そなたの話は全部覚えておるよ」
「あなたは生まれる前に、天国で色んな人と約束をしていたのです」
「約束?」
「人はこの世に生まれ落ちる前に、自分自身への試練を自分で用意するのです。人生の中で否応なしに降りかかってくる不幸は、実は他者によるものではありません。前もって他の魂に頼み、自分自身で準備していたものなのです」
「では、わらわが拷問死させた者共は、あの世でわらわに頼んでいたというのか? 自分を苦しめて殺してほしいと」
「はい、そうです。苦労をすればするだけ、天国や来世で幸せになれますからね。しかし、誰もがそんな不幸を与える役を引き受けようとはしません。人を不幸にすればするほど、死んだあとに罰を受けねばならないからです。貴方が今まで大勢を苦しめて殺したということは、自分が罰を受けると知りながらも、自ら損な役を買って出ていたのですよ」
「優しいのは、そなたじゃよ」
自分が死ぬ間際に、妻を安心させようとそんな作り話をするのじゃからな。
その言葉を、あえて女王は口にしませんでした。
「そなた、そろそろ死期か?」
「ええ、そのようです」
「楽しかった」
「私もです」
「そのまま目を閉じて、聞いていてくれ」
彼女は夫を横たえ、子守唄を唄う母のようにその髪を撫でます。
「わらわ、これから何度も生まれ変わって、罪を償うよ。様々な者を殺した分だけ、大勢の命を助ける。苦しめた分だけ、楽をさせる。わらわ、娯楽も多く奪ってしまったな。わらわが奪ってしまった分だけ、踊り、描き、唄って人を楽しめてゆくよ。そうじゃ。そなたと同じく、物語も作ろう。書を書いたり、話して聞かせてゆこう。そうやって、全ての償いが済んだら、そのときは、改めてわらわを妻に貰ってやってくれ。改めてわらわに物語を聞かせてくれ。約束じゃぞ。何千年かかっても必ず、わらわは罪を償う。そうしたら、また出逢っておくれ」
夫に口づけをすると、彼はもう冷たくなり始めていました。
「また逢おう」
外には大勢の兵士たちが弓を構えているはずでした。
ここに踏み込まれては、夫の亡骸までどうされてしまうか解ったものではありません。
彼女はそっと夫の顔を撫でると、その場を立ち、砦の出口に向います。
最初の償いを果たすために。
さて、それから数千年も時が過ぎれば、人々の暮らしは大きく変化しています。
馬を使わない鉄の車がたくさん町を行き来し、栄えた場所は夜になってもまるで昼のように輝いています。
多く立ち並んでいる高い塔の1つでは、若い男女が食事を楽しんでおります。
2人は抱き合った太古の遺骨が3組も発見されたという話題に夢中。
男は画像でその亡骸を見て、その者たちがどのような人生を送ったのかを話し、女はそれを夢中で聴きます。
やがて3組全ての話が終わると、男はこう告げるのでした。
「実は、4組目の話があるんだ」
「え? 4組目?」
「そう。でも、まだ発見されてない。」
どうして発見されていないにもかかわらず、その話を男が知っているのでしょうか。
女が問い詰めます。
すると、男はわずかに緊張しました。
「4組目は、まだ生きていて、白骨化していない。ってのは、どうかな?」
「何よ、『どうかな』って」
「君に、プロポーズがしたいんだ」
「へ?」
「ここで格好良く、『俺たちが未来で4組目になろう』なんて言えたらいいんだけどね。でも、我ながらキザっぽくって」
彼が上着の内側に手を忍ばせ、小さな箱を取り出します。
男は気恥ずかしいような、それでいて誇らしい気持ちであるようでした。
女に胸を張ります。
「ちゃんとベタに、給料3ヶ月分だ。律儀だろう?」
それはそれは、とても綺麗な月の晩でした。
その美しさときたら、まるで数千年前の、あの夜のよう。
――了――
参照リンク「永遠の抱擁が始まる」
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/17/
お読みになられる際は充分なご覚悟のほど、よろしくお願い申し上げます。
前編
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/465/
中編
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/466/
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夜が深まった頃に男が女の部屋を訪ねる理由はそう多くはないでしょう。
大臣がいそいそと、抑えきれない欲情を胸に扉の前に立ちます。
美しく、深く彫られた獅子の彫刻は鉄の輪を咥えており、大臣はそれを手に取ってそっと3度扉を叩きました。
中から女王の声が聞こえます。
「誰じゃ」
「わたくしめにございます」
普段ならここで「入れ」と言われ、そのまま情事に励むのですが、この晩は違いました。
「わらわは疲れておる。用があるなら明日に聞く」
大臣が女王にどんな用事があるのか、いつものことなので彼女は解っているはずです。
今宵は月に1度の女の日でもありません。
にもかかわらずこの言い草。
大臣にかすかな違和感を与えました。
鎮められるとばかり思っていた自分自身を慰められないのは大臣にとって思いもよらぬこと。
すぐに戻る気が起きようはずもありません。
「女王様、愚民をこらしめるための新たな道具の話でもしませぬか」
すると扉の向こうから「くどい」と苛立った声がしてきます。
「わらわは疲れておると言っているのだ。2度言わせるようなら、おぬしが考案した道具を全ておぬしに使うぞ。下がれ馬鹿が」
こうして大臣が覚えた違和感は、さらに膨らみを増すのでした。
女王はというと、部屋で多くの書を貪るかのように読み漁っています。
様々な病気を取り扱った本。
薬草について詳しく書かれた本。
血を良くするための食事の作り方が書かれた本。
それら多くの書は女王の寝台の上で山のようになっています。
約束の日になると、いつものように物語の使い手が閲覧の間まで訪ねてきました。
女王が彼に言います。
「今日は物語を聞かせずとも良い。城外の散策をいたす。供をせい」
護衛を付けず、人目を忍ぶかのように青年を連れ出しました。
湖の畔では鳥の鳴く声が遠くでするだけで静かなものです。
切り倒された大木の幹に、2人は腰を下ろしました。
「愛の女神とまで称されるわらわに治せない病があっては沽券にかかわるからのう。家臣たちの目に届かぬほうが好都合じゃ」
女王はそのように切り出します。
彼女は次々と薬草や瓶詰めにされた薬品を取り出しました。
「そなた、これらの薬は試したことがあるか?」
「その問いに質問で返す無礼をお許しください。これらは一体…?」
「どれも血に効く物ばかりじゃ。わらわ、普段は自分の力で傷も病も治せるゆえ、知識がなくてのう。書物を久しぶりに読んだ」
薬草や薬を家臣に取り寄せさせれば、「なんでも治せるはずの女王が何故このような物を欲するのだろう」と不思議に思われてしまいます。
なので彼女は庶民に成りすまし、自ら町まで買い出しに行っていたのでした。
「そなた、これら全部持ち帰って試せ」
「恐れ多いお心遣い、痛み入ります」
「そなた独り者であったな? 食はどうしておる?」
「は。自分で作ることもあれば、宿の食堂を利用することもありまする」
「それはいかん。日頃の食にも注意を払え。治療にならずとも、悪化を食い止めることぐらいにはなろう」
「勿体無いご忠告、誠にありがとうございます」
「そうだ。そなた城まで馬で来ていたな? それ以外は歩くのであろう? 血の巡りが早くなっては身体に悪い。これからはわらわがそなたの住まいに出向いてやる。そなたは横になって物語を話せ」
彼は内心、とても大きく驚きました。
青年の病気をしっかりと理解していなければ、この薬草も、あの忠告も出ようはずがないからです。
女王が陰でどれだけの本を読んだのか、容易に察することができました。
だからこそ、女王は知っているはずです。
様々な手を尽くして、命を1日伸ばすことはできても、死は確実にやってきてしまうことを。
この日は夕刻まで世間話をし、青年は何度も女王に礼を言って帰路についてゆきました。
それからというもの、女王は護衛をつけぬまま青年の家に足を運ぶようになります。
歓迎のための茶を用意すようとすることさえ、女王は許しません。
「そなたは寝ておれ。茶など飲みたい気分ではない。それより、薬はまだあるか? そろそろなくなる頃かと思ってな、新しいのを持ってきた」
薬草を手渡す女王のその指先が傷だらけで、青年は疑問の念を抱きました。
「女王様、お手に怪我を」
「構うな。それより、今日はどんな物語を聞かせてくれるのじゃ?」
青年の寝台の横に椅子を持ってきておいて、彼女は長いようで短い物語を堪能します。
今日の噺も、とても楽しむことができました。
「面白かった。褒美じゃ。台所を借りるぞ」
女王は立つと、鞄を手に調理台に向かいます。
何を始めるのかと好奇心が湧いて青年が密かに覗くと、なんと女王は一生懸命に本を見ながら、料理を作っているではありませんか。
食材を見ると、どれも血に良いものばかり。
慣れない手つきで山菜を刻み、苦労して火を点け、湯を沸かしています。
青年はそっと場を離れ、寝台で横になって待ちました。
「できたぞ」
女王がシチューとパンを青年の部屋まで運んできました。
手の傷がさらに増えたのか、指先には薄く包帯を巻いています。
「さあ食せ。ただし、わらわの力で人が治せないことが民に知られたら、ただではおかんからな。薬草のことも食事のことも、決して他言するなよ」
「承知いたしました」
「よし、では喰おう」
それはお世辞にも美味と呼べるものではありませんでした。
肉は固く、野菜の形は歪で、風味も良くありません。
一緒に食べている女王もそう感じて、「身体に悪くないのだが、美味くないな」と悲しげな表情を浮かべます。
しかし青年は断じました。
「たいへん美味しゅうございます。このように美味なる料理は今まで口にしたことがございません」
「そうか!」
女王が嬉しそうな顔をしました。
「城の調理場で練習した甲斐があった! 今度はもっと美味くなるようにするゆえ、楽しみにしておれ」
「ありがたき幸せ。いやしくも、全て平らげさせていただきます」
「うむ。遠慮するでないぞ。そなたの病が治ったら葡萄酒を飲もう」
青年にとって孤独ではない食事は久しぶりで、それはとても心温まる一時でした。
女王はそれからというもの、毎日のように青年の家に通います。
中には物語を所望せず、ただ会話をするだけという日もありました。
「のう、そなた将来の夢はあるのか?」
「今は死を待つだけの身ゆえ、夢など持ち合わせてはおりません」
「そう言うな。愛の女神の名にかけて、必ずそなたを治す。いつまでもそなたの物語を聴きたいからな。最近はな、わらわ、治す早さを上げようと思ってな、今まで以上に癒しの力を民に振るっておる。いずれ、そなたの悪い血が巡るより早く全て治癒させるゆえ、安心せい」
「恐れ多いお言葉、重ね重ねありがとうございます」
「で、そなたの夢はなんじゃ?」
「そうですね。以前は、ささやかながら家族を持ちとうございました」
「ほう」
人が家族を欲する心も、それを大事に想う気持ちも、女王は知識として知っています。
その気持ちを拷問に利用していたからです。
どうやらこの青年も、人として当たり前の願望を持っているようです。
「そうか、家族か」
女王は拷問以外のことで、初めて家族について考えを巡らせたのでした。
どんなに力を施しても、青年の命を大きく伸ばすことはできないことを、女王は既に察していたからです。
一方、城内では不穏な空気が漂っていました。
「この頃は女王の様子がおかしい」
「護衛もつけず、行き先も告げずにどこかに通っている」
「拷問をしなくなったばかりか、癒しの力を民にまで振舞うようになった」
「あれだけの傲慢、それで許されるわけでもあるまい」
「私は人前で怒鳴られ、恥ずかしい想いをさせられたことがある」
「私など目の前で家族を苦しめられ、殺された」
「私など、妻が産んだばかり赤子を丸焼きにされた。それを皆の見守る前で、妻と一緒に喰えと命じられたのだ!」
「いつまた横暴な女に戻ることやら」
「今の女王は油断をしている」
「恨みを晴らすなら今だ」
「殺してしまうなら今だ」
進んで指揮を振るったのは、大臣でした。
そんな相談がされているとは夢にも思わず、女王は今日も青年の家まで足を伸ばします。
この日の彼女は、特に嬉しそうにしていました。
いつものように物語を楽しんで、前もって調べておいた身体に良い食材を使い、不器用ながらも料理をして、そして次に逢う約束をします。
「のう。そなたさえ無理でなければ、たまには日の光に当たらぬか」
「もちろん喜んで。お供させていただきます」
「いつか行った湖、覚えておるか?」
「はい、覚えておりまする」
「あのそばに小さな教会があってな。今はもう使われておらぬ。明日はそこで逢おうぞ」
「かしこまりました。楽しみにしております」
こうして翌日、教会を訪れた青年はその目を大きく見開くことになります。
「女王様、そのお姿は一体…?」
「ふふ。驚いたか」
女王は純白のドレスを身に纏い、王冠ではなくティアラを被って、手には小さな花束を持っているではありませんか。
「そなたの願い、叶えてやろうと思ってな」
「そんな、恐れ多い!」
「わらわが妻では嫌か?」
「とんでもございません! ですがわたくしには荷が勝ちすぎます」
「なに、そなたに王になれと言っているわけではない。普通の家庭を持ちたいのであろう? ただの真似事かも知れぬが、わらわ、そなたの妻になってみとうなった」
「し、しかし…」
「指輪もな、町の鍛冶屋に作らせた。わらわの指に嵌めよ」
女王は2つ、小さな箱を青年に差し出します。
彼女は「そなたの指には合うじゃろうか」と心配していましたが、指輪の大きさは調度良く、青年の薬指に収まりました。
「よかった! ぴったりじゃ! 本当は牧師を招きたかったが、わらわの身分が知られたら困るでな。2人きりで式を挙げようぞ」
そして女王は青年の目を心配げに覗きます。
「そなた、嫌ではないか? わらわ、そなたの妻になっても良いか?」
青年が見つめ返します。
「まさか夢が叶うとは思っておりませんでした。わたくしの妻は、わたくしの最後を看取らねばなりません。苦労なさいますよ?」
「覚悟しておる」
そして2人は口づけを交わします。
この一瞬が永遠に続きますようにと祈りを込めて。
「女王様!」
教会の扉が大きな音と共に開くと同時に、男の大声がしました。
「ここにおられましたか!」
それは城の兵隊長でした。
一体何があったというのか、彼は何本もの矢を背中に受けており、もはや柱に寄りかからねば自力で立つこともままなりません。
女王が目を見張ります。
「どうした!? なにがあったのじゃ!?」
「お逃げください! 謀反です!」
「なんじゃと!?」
「城の者共が貴方様を殺そうと、ここを目指しております!」
「なんと! 大臣は何をしておる! あの無能めが!」
「その大臣が、女王様を裏切ったのです」
「くッ! あの馬鹿め! さっさと殺しておけばよかったわ!」
そして兵隊長は最後に「お逃げください」と目を閉じました。
青年が女王に駆け寄ります。
「わたくしの馬で逃げましょう!」
森を抜けようと、一頭の白馬が駆けています。
日はもう落ちていて、女王たちの背後にはおびただしい数の松明の火が。
城の馬は訓練されており、とても速く走ります。
追っ手はもうすぐ女王たちに届こうとしていました。
手綱を握る青年に覆いかぶさるようにし、女王はしがみついています。
ドスッと肉を刺す音を、女王は自分の体内から聞きました。
同時に冷たい金属の感触が背中から入って、それが胸の中で止まります。
追っ手の放った矢が、とうとう自分に届くようになってしまいました。
彼女はさらに大きく背を伸ばし、青年の背後を覆います。
ドスッ!
と、もう1本の矢が女王の背に。
矢は馬にも当たっているようで、白馬は走りながらびくんびくんと時折震え、徐々に速度を落としてゆきます。
「あの砦に逃げ込みましょう!」
青年がレンガ作りの廃屋を見つけ、そこで馬から降りました。
2人を降ろすと白馬はうずくまり、そのまま横になります。
「すまない」
馬の顔を撫で、青年は女王の手を取って建物の中へ。
そこは大変暗かったので、青年は火打ち石で壁のランタンに火を入れます。
わずかに明るくなったのを見て、青年はその場に片膝をつきました。
「大丈夫か!?」
女王が駆け寄ってきました。
青年が儚げに微笑みます。
「包み隠さず申し上げます。このような大変なときに申し訳ございません。わたくし、どうやら先立つときがきたようです」
「なにを馬鹿なことを!」
女王が青年を抱きかかえるようにしました。
それに応えようと、彼も女王の背に手を回します。
それで青年は女王が矢を受けていたことを知りました。
「女王様! 背に矢が!」
なんとか身を起こし、青年は女王を振り向かせます。
「2本も刺さっているではありませんか! 今抜きます! ご自身をお治しください!」
「いや、それには及ばん」
「何故です!?」
「矢には返しがついておる。抜けばさらに肉が避け、わらわはすぐに死んでしまうであろう」
「ですが、矢を抜いて癒しの力をお使いになれば!」
「できぬ」
「と、申しますと?」
「不便なものよ。そなたの病気以外に、わらわが治せぬものがある」
「そうなのですか」
「うむ。わらわ自身は、何故だか治すことができん。この傷も治せぬ」
「だったら何故! 何故わたくしをかばったのでございますか!」
「そなたを想うことで起こるこの胸の高鳴りも、治すことができんからじゃ」
それに、と女王が続けます。
「そなたが痛がる姿、わらわが見たくなかった。わらわの自分勝手でやったことじゃ」
「しかし!」
「なに、構うな。どうしてわらわが以前から人を痛めつけることに興じたと思う?」
「己の欲求ではないのですか?」
「そうじゃ。その欲求はどうしてあったのか、解るか?」
「人を思い通りに拷問できる立場であったからではないのですか?」
「それはただの環境にすぎぬ。わらわはな、痛みが何なのかを知りたかったのじゃ」
「どういうことでございますか」
「わらわは元より、痛みを感じぬ身体を持って生まれてきた。痛いというのがどういうことなのか、わらわにはどうしても解らぬのじゃ」
ランタンの微かな光が、女王の微笑みを照らしています。
「だから、わらわは痛うない。案ずるな」
青年はそれで、そっと女王の背にある矢から手を離しました。
「貴方に、謝らねばなりません」
「なんじゃ?」
「わたくしは、貴方に近づくために物語を語ることを始めました」
「それを知ったときは嬉しかったものよ」
「ですが、それはあなたへの恨みを晴らすため」
「恨み?」
「はい。いつぞやは、手投げの矢を娘の腹に投げさせられた商人の噺をさせていただきました」
「覚えておるよ」
「あれがわたくしの兄です」
「そうであったか。ではこの矢を引き抜くなり、もっと深く突き刺すなりするがいい」
「それはしませぬ」
「何故じゃ。絶好の好機じゃぞ?」
「わたくしの復讐は、貴方から愛する者を奪うこと。この短い命を使ってできることといったら、それしか思い浮かばなかったのです」
「そうか」
女王はそれで、過去にした様々な拷問を思い返しました。
目の前で愛する者に死なれる悲しみは、かくにも重たく強大なものだったのでございます。
「わらわにも、少しは痛みが解ったかも知れぬ。そなたに出逢えてよかった」
「わたくしは後悔しております。貴方に逢うべきではありませんでした」
「そうなのか?」
「ええ。復讐などするものではありません。貴方に愛されようと振舞ううちに、こちらが先に愛してしまったのですから」
言うと青年は、そっと女王に唇を重ねます。
女王はそれで、今まで堪えてきた涙を溢れ返させました。
「嫌じゃ! そなたが死ぬのは嫌じゃよ!」
自分の身分など忘れ、彼女は泣いて泣いて泣き喚きます。
「そなた! 死ぬでない! わらわを悲しませるな! これは命令じゃ! そなたが死ぬのは嫌なのじゃ! もし死ぬというなら、先にわらわを殺せ! わらわ、そなたと一緒に死ぬ! 頼むから先に逝くでない!」
青年はすると、力強く女王の胸ぐらを掴み、乱暴に顔を引き寄せました。
「甘ったれるんじゃない!」
青年は最後の力を振り絞って、腹の底から怒鳴ります。
「貴方が今まで殺した者は皆、今の貴方よりも苦しんだのです! 散々人を責めておいて、自分が悲しむのは嫌!? なにを都合の良いことを! なんとみっともない!」
赤く充血した彼の目は、女王へと真っ直ぐに向けられています。
「貴方、それでも私の妻ですか!」
そして、ふっと力を緩め、女王の胸元から手を離し、代わりに彼女の頬を撫でます。
「貴方は優しい人です」
そんなことを今まで誰からも言われたことがなくて、女王は激しく狼狽しました。
「優しい…? わらわが、優しい…?」
「そう。いつか、生まれ変わりの話をしましたね?」
「うむ。覚えておる。そなたの話は全部覚えておるよ」
「あなたは生まれる前に、天国で色んな人と約束をしていたのです」
「約束?」
「人はこの世に生まれ落ちる前に、自分自身への試練を自分で用意するのです。人生の中で否応なしに降りかかってくる不幸は、実は他者によるものではありません。前もって他の魂に頼み、自分自身で準備していたものなのです」
「では、わらわが拷問死させた者共は、あの世でわらわに頼んでいたというのか? 自分を苦しめて殺してほしいと」
「はい、そうです。苦労をすればするだけ、天国や来世で幸せになれますからね。しかし、誰もがそんな不幸を与える役を引き受けようとはしません。人を不幸にすればするほど、死んだあとに罰を受けねばならないからです。貴方が今まで大勢を苦しめて殺したということは、自分が罰を受けると知りながらも、自ら損な役を買って出ていたのですよ」
「優しいのは、そなたじゃよ」
自分が死ぬ間際に、妻を安心させようとそんな作り話をするのじゃからな。
その言葉を、あえて女王は口にしませんでした。
「そなた、そろそろ死期か?」
「ええ、そのようです」
「楽しかった」
「私もです」
「そのまま目を閉じて、聞いていてくれ」
彼女は夫を横たえ、子守唄を唄う母のようにその髪を撫でます。
「わらわ、これから何度も生まれ変わって、罪を償うよ。様々な者を殺した分だけ、大勢の命を助ける。苦しめた分だけ、楽をさせる。わらわ、娯楽も多く奪ってしまったな。わらわが奪ってしまった分だけ、踊り、描き、唄って人を楽しめてゆくよ。そうじゃ。そなたと同じく、物語も作ろう。書を書いたり、話して聞かせてゆこう。そうやって、全ての償いが済んだら、そのときは、改めてわらわを妻に貰ってやってくれ。改めてわらわに物語を聞かせてくれ。約束じゃぞ。何千年かかっても必ず、わらわは罪を償う。そうしたら、また出逢っておくれ」
夫に口づけをすると、彼はもう冷たくなり始めていました。
「また逢おう」
外には大勢の兵士たちが弓を構えているはずでした。
ここに踏み込まれては、夫の亡骸までどうされてしまうか解ったものではありません。
彼女はそっと夫の顔を撫でると、その場を立ち、砦の出口に向います。
最初の償いを果たすために。
さて、それから数千年も時が過ぎれば、人々の暮らしは大きく変化しています。
馬を使わない鉄の車がたくさん町を行き来し、栄えた場所は夜になってもまるで昼のように輝いています。
多く立ち並んでいる高い塔の1つでは、若い男女が食事を楽しんでおります。
2人は抱き合った太古の遺骨が3組も発見されたという話題に夢中。
男は画像でその亡骸を見て、その者たちがどのような人生を送ったのかを話し、女はそれを夢中で聴きます。
やがて3組全ての話が終わると、男はこう告げるのでした。
「実は、4組目の話があるんだ」
「え? 4組目?」
「そう。でも、まだ発見されてない。」
どうして発見されていないにもかかわらず、その話を男が知っているのでしょうか。
女が問い詰めます。
すると、男はわずかに緊張しました。
「4組目は、まだ生きていて、白骨化していない。ってのは、どうかな?」
「何よ、『どうかな』って」
「君に、プロポーズがしたいんだ」
「へ?」
「ここで格好良く、『俺たちが未来で4組目になろう』なんて言えたらいいんだけどね。でも、我ながらキザっぽくって」
彼が上着の内側に手を忍ばせ、小さな箱を取り出します。
男は気恥ずかしいような、それでいて誇らしい気持ちであるようでした。
女に胸を張ります。
「ちゃんとベタに、給料3ヶ月分だ。律儀だろう?」
それはそれは、とても綺麗な月の晩でした。
その美しさときたら、まるで数千年前の、あの夜のよう。
――了――
参照リンク「永遠の抱擁が始まる」
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/17/
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無題
素敵な物語をありがとうございました。
二日前からめささんが小説の続きを書かれるとおっしゃってたので、数時間置きにサイトやツイッターを見ては後編はまだかまだかと待っていました(・ω・)
「永遠の抱擁が始まる」シリーズが大好きです。
今後のご活躍も期待してます。
二日前からめささんが小説の続きを書かれるとおっしゃってたので、数時間置きにサイトやツイッターを見ては後編はまだかまだかと待っていました(・ω・)
「永遠の抱擁が始まる」シリーズが大好きです。
今後のご活躍も期待してます。
無題
凄く凄く泣けました(;_;)
最後に青年の優しさが
じわじわと伝わってきました!
私的には
女王様も悩んでいて
それが間違った方になってしまったんだと思っています
めささんの小説
読みやすくて面白かったです(-^〇^-)
(ノω;`)
とても感動しました…;;
ほんのつかの間の2人の幸せでしたが
とても暖かい幸せでした^^
よく自分が生まれ変わって
また地に立つ時はすべての記憶が
きれいに洗い流されてから…という話が
ありますが、
この2人は記憶がなくても
心にしっかり刻み込まれてるから
また愛し合う事ができると私は思います
今度2人が出逢った時は
暖かい家庭を作り上げていきながら…
未来永劫に…
生きていってほしいですね^^
めささんの「永遠の抱擁が始まる」は
よく拝見させていただいてます^^
次の作品も楽しみに待っています!
無題
それまでの自分を変えても傍にいたいと思える相手と出会えた女王、プライドを持ちながらも青年に寄り添う気持ち。
なんともいえず好きです。
うまく感想がまとまらないのですが頭の中でイメージしながら何度も読ませていただきます。
お忙しいとは思いますが、あまり無理をしないでくださいね。
応援してます。
なんともいえず好きです。
うまく感想がまとまらないのですが頭の中でイメージしながら何度も読ませていただきます。
お忙しいとは思いますが、あまり無理をしないでくださいね。
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