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夢見町の史

Let’s どんまい!

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2017
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2012
May 17
   嘘でもいいから嘘だけど
 
 
 僕は嘘をつくことができない。
 嘘をつくと必ず自ら「嘘だけど」と口走ってしまって台無しになるし、軽い冗談を口にしただけでもやっぱり「嘘だけど」と勝手に出る余計な一言のせいで周りの空気を白けさせてしまう。
 そんな僕だけど一度だけ自白をせず、嘘をついたことがある。
 
 木造校舎のここ、職員室からは校庭が見渡せている。
 暖かな風が草木を揺らし、冬の終わりを告げていた。
 つい先ほど入学式を終えたばっかりで、僕はなんだか気が抜けてしまい、だらしなく椅子の背もたれによりかかる。
 
 この季節、卒業式や入学式で僕ら教員はなかなか忙しい。
 僕は息抜きに、机にあった卒業アルバムを手に取ってパラパラとページをめくる。
 といっても僕はいつでも片手が塞がっているから、その作業は普通よりは面倒だ。
 
 僕のすぐ隣にいる死神が何気なしに開口する。
 
「それは何だ?」
 
 ああ、これ?
 と僕はエリーにアルバムを見せる。
 
「卒業アルバムだよ。こないだ卒業した教え子たちの記念品」
 
 するとエリーは「私に見せても無駄だ」と、僕の隣に椅子を持ってきてそこに腰かける。
 
「私には眼球がない。物の形や距離は感覚で判るが、視覚がない。色を見分けることは不可能だ」
 
 そうだった。
 エリーには物の形は判っても、本などに記載された文字や絵など、色の区別が全くできないんだった。
 思い出深い卒業アルバムもだから、彼女にとっては本の形をした紙の集合体に過ぎない。
 若い娘の姿に見えるけど彼女は人間ではなく、その実態は動く白骨だからだ。
 
 軽く謝って、僕は再び校庭に目を向ける。
 
「ねえ、エリー」
「なんだ?」
「嘘ってゆうのも悪くないと思わない?」
「思わんな。私が嘘を言う分には問題ないが、私自身はささいなことでも騙されたくない」
 
 びっくりするぐらいの正直さだ。
 
 僕が嘘を言えないのはこの死神のせいだったりする。
 エリーは無敵に近い能力を持っていて、それは瞬時に強力な暗示を人にかける、というもの。
 めちゃめちゃ強い催眠術みたいな感じだ。
 エリーはそれを使って僕を世界一の正直者にしてしまっていた。
 出会い頭、いきなりだ。
 頼んでもいないのに、ホントいきなりだ。
 しかも勝手にやられた。
 
 加えて僕はうっかりエリーに触れてしまい、それ以降離すことができないでいる。
 手を離すとエリーに魂を食べられてしまうからだ。
 エリーは人の魂を食べる気を失くしているから僕や周りの人たちは無事でいるけど、今繋いでいるこの手を離した瞬間はそうともいえない。
 直に触れた皮膚が離れると自動的に魂を食べるという作りになっているらしく、そればっかりはエリーの意思でどうにかできることじゃないそうだ。
 以降、いつでも女の子と手を繋いで過ごすといったつくづく不思議な人生を僕は歩まされている。
 おかげで卒業アルバムをめくるのも一苦労だ。
 
「でもさ」
 
 僕はエリーに反論を試みる。
 
「去年のこと覚えてる? あの日も入学式だった」
「ああ、あれか」
 
 エリーは僕と同じように背もたれによりかかる。
 
「お前は群れを成す生物特有の考え方をするからな」
「そりゃそうだよ。人間なんだもん」
 
 言って僕は少しだけ顔を上げ、天井の木目を見てから目を閉じて、一年前を思い出す。
 あの日も今日と同じで、職員室には僕らしかいなかった。
 
 
 
「ねえ、エリー、頼むよ」
 
 土下座をする勢いで、僕はエリーに頭を下げている。
 
「ホントお願いします! 今日だけでいいんだ! 今日はね、年に一度しかない、嘘を言ってもいい日なんだよ」
 
 するとエリーは「知らんな」と鼻を鳴らす。
 
「人間同士で勝手に作った常識に興味はない」
「そこをなんとか!」
 
 両手が自由なら拝み倒しているところだ。
 
 今日だけでもいい。
 僕は自分にかけられた暗示を、どうしても解いてもらいたかった。
 
「ねえってば、お願い、エリー! 今日だけ! ううん、一回だけでもいいよ。嘘を言えるようにしてください。その嘘はエリーには絶対に向けないから」
「私には嘘をつかない?」
「もちろん! 約束するよ」
「知ったことか。お前が自ら『嘘だけど』と言わない以上、私にはお前の嘘を見抜く術がない。お前の気が変わって私を騙した場合、私は嫌だ」
「嫌だとか言って可愛いな、ちきしょう!」
 
 あとで知った話なんだけど、この「嫌だとか言って可愛いな、ちきしょう!」から先は、僕たちの会話が廊下にいた女性教員に全て聞かれていた。
 その先生の話によると、「さすがに入っていけず、ただおろおろするしかなかった」とのこと。
 とんでもない誤解をされていたのだった。
 こんなやり取りだったんだから、まあ無理もないだろう。
 
「ねえ、ホントお願い! 一回! 一回だけでいいんだってば」
「駄目だと言っている」
「そんなこと言わずに! もう僕の気持ちがはちきれそうなんだ!」
「はちきれればいいだろう」
「よくないよ! いいじゃん一回ぐらい! 減るもんじゃないし!」
「増える減るの問題ではない」
「ねーねー! たーのーむ~! これからはエリーのこと様付けで呼ぶし、なんなら踏みつけてくれたっていい」
「そんなことが私にとって得なのか?」
「お得ですよエリー様。だってエリー様はドSでいらっしゃる。ねーねー、おーねーがーい~! ホント一回で済ませます!」
 
 思い出してみればこのとき、廊下から走り去る感じの足音が聞こえた気がする。
 
 僕はというと、どうしても言うことを聞いてもらえないことが理不尽に思えて、だんだん腹が立ってきていた。
 
「ああ、そうかいそうかい。こんなに頼んでも駄目なら僕にだって考えがあるぞ!」
「へりくだったり強気になったり、お前は振られるときの彼氏か」
「意外と人間の性質に詳しいな! いやそうじゃなくて、もし暗示を解除してくれないのなら、この手を離して僕はエリーの犠牲になるぞ! 嘘だけど。ああも~!」
 
 がっくりと、僕はうなだれる。
 エリーのことだから「そうか嘘なら問題ないな」みたいなことを言うんだとばかり思っていたのだ。
 でも違った。
 
「ふむ。お前の意思の固さは解った。一回でいいんだな?」
 
 僕の顔は「へ?」という形のまま凍りついている。
 
「解除、してくれるの? 嘘、言えるようにしてくれるの?」
「二度言わせるな」
 
 エリーは椅子からすっと立ち上がり、僕の手を引く。
 
「お前が今までにないぐらいしつこく頭を下げて私に頼むということは、そこまでして嘘を言う必要があるのだろう? どんな嘘を言い出す気なのか興味が湧いた」
 
 エリーは「立て、行くぞ」と僕を椅子から引っ張り上げる。
 
「お前の都合で構わん。解除のタイミングを言え。十分したら再び嘘を言えぬよう暗示をかけ直す。それでいいな?」
 
 僕はもう感激の余り、思わず「ありがとうございますエリー様」と判りやすく喜んだ。
 
 
 
 白くて大きい二階建ての建物。
 その前で、僕とエリーは立ち止まる。
 
「この中にね、騙したい人がいるんだ」
「ふむ。ここには何度か来たな」
「うん」
 
 ちょうどそのとき、白塗りの馬車が慌しく止まった。
 担架を持った隊員たちが降り、どやどやと建物に怪我人を運び込んでゆく。
 どうやら急患のようだ。
 
 迎えに出てきた医師に、隊員の一人が容態を説明している。
 
「大型馬車の暴走事故です! 怪我人は幼い女の子で、右腕が……!」
 
 なんだか大変なときに訪れてしまったみたいだ。
 知らぬ人とはいえ、僕は運び込まれた怪我人の無事を深くお祈りしておいた。
 
 無事でありますようにと念を送りつつ、僕らも病院に足を踏み入れる。
 
「エリーも何度か一緒にお見舞いに来たでしょ? 僕の生徒がここで入院してる」
 
 その生徒はエイシャといって、駆けっこの早い、明るくて元気な男の子だ。
 いや、元気だった、というべきだろうか。
 彼は重い病を患ってしまい、今もこうして入院生活を送っている。
 クラスのみんなで寄せ書きを書いたり見舞いに行ったりでちょくちょく顔を見せてはいるものの、明らかにエイシャの笑顔は薄れていった。
 
 以前だったらふざけて「俺は不死身だベイベー」ぐらいの軽口を叩く子だったのに、最近はどうも後ろ向きな発言が多い。
 どうやらエイシャは周りにいる大人たちの反応を見て、自分の病気の厄介さに気づいてしまったようだ。
 
 先日、彼のお母さんが神妙な顔つきで学校にやってきた。
 
「エイシャは、持ってあと三ヶ月だそうです」
 
 元気いっぱいな豪快な大笑いを普段ならするお母さん。
 そんな彼女はこのとき、この世の不幸を全て味わったかのようにやつれ、沈み、青ざめていた。
 眠っていないのだろう。
 目の下にできたクマが濃い。
 とてもじゃないけど、その辛そうな様子を見ていられなかった。
 
 エイシャ本人もきっと僕の想像を超える苦しみを毎日のように長く深く味わっているのだろう。
 悲しさと絶望と寂しさと体の痛みと、他にも色んな苦痛をきっと少年は感じ続けているのだろう。
 
 お母さんは「本人にはなにも言っていません」と暗い目を伏せる。
 
「エイシャにはなにも知らせていませんが、自分の体のことです。もう気づいているようなんです。お医者さんが言うには精神的苦痛がさらに命を縮めているとのことなんですが……」
 
 気づくと僕は「エイシャ君に希望を持ってもらえるよう、できる限りのことをします」と一方的に約束を押し付けていた。
 自分でも何が解決になるのかは分からない。
ただ、少しでもエイシャに笑っていてほしい。
 
 同じ先生って呼ばれる職業だけど、僕はお医者さんじゃない。
 だから命を延ばしてあげることはできない。
 僕は教師だ。
 生徒にいい思い出を作ることも、僕の仕事なんじゃないだろうか。
 そう思ったんだ。
 
 エイシャの病室は二階の奥にある。
 僕はドアの前で立ち止まり、上着の内ポケットから懐中時計を取り出した。
 
 今から十分だ。
 嘘でも何でもいい。
 僕はエイシャを笑わせる。
 
「エリー、解除、頼むよ」
 
 エリーが「うむ」と頷き、僕の目を見た。
 ほぼ同時に、僕は病室のドアをノックをする。
 
「エイシャ、こんにちは! お見舞いに来たよ」
 
 室内に足を踏み入れる。
 エイシャは呆然と起きて窓の外を眺めていた。
 お母さんはと訊くと、エイシャの大好きな果物を買いに行っているのだそうだ。
 どうやら入室のタイミングは間違っていなかったらしい。
 
「エイシャ、ここいい?」
 
 答えを待たずにベットの横にある椅子に腰をかけ、僕は目一杯にんまりと笑って見せた。
 焦点の合っていない虚ろな目はこちらに向けられていないけど、構わずに切り出す。
 
「エイシャ、今日は何の日か知ってる?」
 
 すると彼は「嘘をついてもいい日」とボソリとつぶやいた。
 
「そうそう。エイシャは今日、なんか嘘ついた?」
「……けないよ」
「ん?」
「つけないよ」
「なんで?」
「そんな気分にならない」
「そっかー。嘘がつけるって素晴らしいことだぞ? 先生を見ろ。エリーのせいでちょっとした冗談だって言えない」
 
 エイシャは相変わらず窓の外を見ていて僕の言葉に反応を示さない。
 しばらく雑談を続けてみたものの、彼は完全に心を閉ざしてしまっているようだ。
 
 僕は椅子から立ち上がった。
 
「エイシャ、お母さんから聞いたんだけど、自分はもう助からないなんて思ってるんだって?」
 
 しかし少年は何も応えない。
 
 僕はエリーみたいに理知的じゃない。
 教鞭を取ってはいるものの、そんなに頭がいいわけじゃない。
 だから、希望を持ってもらうにはこれしか思い浮かばなかった。
 
 僕は大きく伸びをする。
 
「なんで生徒想いの僕がこんなに上機嫌でいられる? もしエイシャが死ぬんなら、僕は取り乱しちゃって笑ってなんかいられないよ」
「そんなの、演技だ」
「おいおい、僕が世界一の正直者だってこと、忘れたのかい? 言葉の最後に『嘘だけど』がないだろう?」
「今日は嘘をついてもいい日だから」
「ああ、そうだったね。じゃあせっかくだから今から嘘を言おう」
 
 エイシャに悟られぬよう、僕は小さく深呼吸をする。
 
「エイシャはこのまま病気で死んじゃう。嘘だけど。ああ、やっぱり駄目か」
 
 少年の目が、今日初めて僕を捕らえた。
 
「エイシャは元気になんて絶対にならない! 嘘だけど。くっそ。相変わらず言えないな。せっかく嘘をついてもいい日なのに」
 
 エイシャは黙って、落ち着きなく喋りまくる僕を見つめている。
 
「エイシャは一生退院しない! 嘘だけど。くそ! やはりか! ええい! エイシャはもう二度と廊下を走り回れない! 嘘だけど。廊下を走るなと僕に怒られたりなんかしない! 嘘だけど。ああもー!」
 
 サーカスのピエロのように、僕は一人でやかましく病室を歩き回る。
 
 エイシャは笑顔を取り戻さない。
 嘘だけど。
 エイシャはクラスのみんなと二度と一緒に遊べない。
 嘘だけど。
 エイシャはもう運動会に出られない。
 嘘だけど。
 
 思いつく限り、僕は「嘘だけど」を連発した。
 その様子が滑稽だったのだろう。
 ほんのわずかだけどエイシャが鼻で笑ってくれて、それで僕は調子づく。
 
「エイシャは不死身だベイベー! お! やっと『嘘だけど』が出なかった! やった! っと思ったら、嘘じゃなくて本当のことだからか。くそ。やっぱり僕には嘘が言えないよ」
「なるほどな」
 
 不意にエリーがつぶやく。
 次に放たれる彼女のとんでもない言葉に、僕は思わずぎょっとした。
 エリーがエイシャに冷ややかな視線を向ける。
 
「おいお前、お前は死ぬぞ」
 
 信じられないセリフに僕は心の中で大絶叫だ。
 なに言い出すんだエリィーッ!
 この骨野郎!
 お前は死神か!
 いや死神ですけども。
 
 エイシャも僕と同じく、冷水を浴びせられたような驚きの表情だ。
 エリーときたら、そんな僕らにお構いなしときている。
 
「お前がいつ死ぬかなんて私には分からないし、どうでもいい。ただな、生き物はいつか必ず死ぬのだ。いくら怖がっても喜んでも、死は生物に対し平等に訪れる」
 
 エリーは窓を顎で示す。
 
「外にいる連中を見てみろ。いつか自分が死ぬなんて当たり前のことを忘れて暮らす奴ばかりだ。それに比べればお前は死を感じているだけ、そんな輩よりもずっと優れている。死を感じたのならせっかくだ。ついでに覚悟を決めておけ。その覚悟は死ぬまで持っているといい」
 
 彼女は最後にこう締めくくる。
 
「今の言葉、年老いても忘れるなよ」
 
 また来るよと少年に告げ、僕らは病室を後にした。
 
 笑顔で手を振り、ゆっくりとドアを閉める。
 バタンという音と同時に緊張の糸が解けて、僕は大急ぎで洗面所を目指した。
 
 嘘を言いまくっていた最中、僕は泣き出したくてたまらなかった。
 無理矢理に笑顔を作ることが辛かった。
 でも、この目からあふれ返ろうとしている涙がエイシャの前で出なくてよかった。
 笑顔が作れて本当によかった。
 
「その慌てよう、腹でも壊したか?」
 
 デリカシーのない問いに答えず、僕は洗面器の前でみっともなく号泣する。
 
 エイシャ、あと三ヶ月だけかも知れないけど、少しでも多く笑って過ごしてくれ!
 先生もお前に負けないぐらい笑うから!
 だから最後まで笑顔でいてくれ!
 
 
 
「そうか。あれから一年か」
 
 エリーは僕と同じように窓から校庭をぼんやりと眺めている。
 その校庭はかつて運動会のとき、エイシャが一等賞を勝ち取った思い出の場所だ。
 
「言い忘れていたことがある」
 
 エリーはその冷たい眼差しをそっけなく僕に向けた。
 
「言い忘れたこと? 僕に?」
「うむ」
「どんなこと?」
「あの日は嘘をついてもいい日だったな」
「あ、うん、そうだね。もちろん今日もそうだけどさ」
「去年のあの日、私もお前に習い、嘘を言わせてもらった」
「へ? どんな?」
「あの少年の病室で、お前はどれだけ喋っていた?」
「えっと、どんぐらいだろ? 時計を見ながら話せないから分からないよ。けど十分より短いんじゃないの? そういうつもりで嘘を言ったつもりだし」
「お前は途中から涙をこらえるほどに感情が高ぶって時間を気にする余裕などなかった」
「あ、そう? じゃあどれぐらい喋ってた?」
「私が暗示を解いてから、ゆうに二十分間」
「え!? そんなに!? うっそ!」
「こんな日とはいえ、嘘じゃない。お前は嘘をつく前のくだらない雑談に時間を取り過ぎたんだ」
「え、でも、僕ちゃんと嘘言えてたじゃないか!」
「私が嘘をついていたからな」
「え?」
「私はお前に十分間だけ嘘を許すと言ったが、あれは嘘なんだ。実際は一時間許可していた」
「そうだったの!? なんでだよ、もー!」
「余興のつもりだったんだがな」
 
 しかしちっとも面白くなかった。
 とエリーはそっぽを向く。
 
 僕はなんだか気分がよくなってしまい、もう一度さっきの質問をぶつけてみる。
 
「ねえ、エリー。嘘ってゆうのも悪くないと思わない?」
「お前は本当に群れを成す生物特有の考え方をする」
 
 窓から入ってきた暖かい風が机の上にあった卒業アルバムのページをめくる。
 僕が「おっと」と咄嗟にアルバムを押さえると、偶然にもそこは我が教え子たちのページだ。
 
「嘘も方便っていってね、ついてもいい嘘ってゆうのもあるんだよ」
 
 誇らしい子らの似顔絵やら寄せ書き。
 卒業生の一覧には恥ずかしながら、僕から一人一人に向けてのメッセージが添えられてある。
 
「ほら見てエリー。いや、ごめん。見れないんだったね」
 
 僕はしみじみと、開かれたアルバムを膝の上に置いた。
 エリーには判らないことだけど、そこにはこう記されている。
 
「エイシャ、退院おめでとう! 君は不死身だベイベー! おじいちゃんになっても、僕とエリーのこと、忘れないでね」



 続く。

拍手[10回]

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2012
May 16
 いつものように物語を楽しんで、前もって調べておいた身体に良い食材を使い、不器用ながらも料理をして、そして次に逢う約束をします。
 
「のう。そなたさえ無理でなければ、たまには日の光に当たらぬか」
「もちろん喜んで。お供させていただきます」
「いつか行った湖、覚えておるか?」
「はい、覚えておりまする」
「あのそばに小さな教会があってな。今はもう使われておらぬ。明日はそこで逢おうぞ」
「かしこまりました。楽しみにしております」
 
 こうして翌日、教会を訪れた青年はその目を大きく見開くことになります。
 
「女王様、そのお姿は一体……?」
「ふふ。驚いたか」
 
 女王は純白のドレスを身に纏い、頭には王冠ではなくティアラを被って、手には小さな花束を持っているではありませんか。
 
「そなたの願い、叶えてやろうと思ってな」
「そんな! 恐れ多い!」
「わらわが妻では嫌か?」
「とんでもございません! ですがわたくしには荷が勝ちすぎます」
「なに、そなたに王になれと言っているわけではない。普通の家庭を持ちたいのであろう? ただの真似事かも知れぬが、わらわ、そなたの妻になってみとうなった」
「し、しかし……」
「指輪もな、町の鍛冶屋に作らせた。わらわの指に嵌めよ」
 
 女王は小さな箱を青年に差し出します。
 彼は小箱を受け取ると中から指輪を取り出し、それをゆっくりと女王の左薬指に収めます。
 
 次に女王は青年に左手を出させました。
 彼女は「そなたの指には合うじゃろうか」と心配していましたが、指輪の大きさは調度よく、青年の薬指に吸いつくように収まります。
 
「よかった! ぴったりじゃ! 本当は牧師を招きたかったが、わらわの身分が知られたら困るでな。二人きりで式を挙げようぞ」
 
 そして女王は青年の目を心配げに覗きます。
 
「そなた、嫌ではないか? わらわ、そなたの妻になってもよいか?」
 
 青年が見つめ返します。
 
「まさか夢が叶うとは思っておりませんでした。わたくしの妻は、わたくしの最後を看取らねばなりません。苦労なさいますよ?」
「覚悟しておる」
 
 そして二人は口づけを交わします。
 この一瞬が永遠に続きますようにと祈りを込めて。
 
「女王様!」
 
 教会の扉が大きな音と共に開くと同時に、男の大声がしました。
 
「ここにおられましたか!」
 
 それは城の兵隊長でした。
 一体何があったというのか、彼は何本もの矢を背中に受けており、もはや柱に寄りかからねば自力で立つこともままなりません。
 
 女王が目を見張ります。
 
「どうした!? なにがあったのじゃ!?」
「お逃げください! 謀反です!」
「なんじゃと!?」
「城の者共が貴女様を殺そうと躍起になって女王様を探しております!」
「なんと! 大臣は何をしておる! あの無能めが!」
「その大臣が、女王様を裏切ったのです」
「くッ! あの下郎め! さっさと殺しておけばよかったわ!」
 
 そして兵隊長は最後に「お逃げください」と目を閉じました。
 
 青年が女王に駆け寄ります。
 
「わたくしの馬で逃げましょう!」
 
 
 
 森を抜けようと、一頭の白馬が駆けています。
 日はもう落ちていて、女王たちの背後にはおびただしい数の松明の火が。
 城の馬は訓練されており、とても速く走ります。
 追っ手はもうすぐ女王たちに届こうとしていました。
 手綱を握る青年に覆いかぶさるようにし、女王はしがみついています。
 
 ドスッと肉を刺す音を、女王は自分の体内から聞きました。
 同時に冷たい金属の感触が背中から入って、それが胸の中で止まります。
 追っ手の放った矢が、とうとう彼女に届くようになってしまいました。
 
 女王はさらに大きく背を伸ばし、青年の背後を覆います。
 
 ドスッ!
 と、もう一本の矢が女王の背に。
 
 矢は馬にも当たっているようで、白馬は走りながらびくんびくんと時折震え、徐々に速度を落としてゆきます。
 
「あの砦に逃げ込みましょう!」
 
 青年がレンガ作りの廃屋を見つけ、そこで馬から降りました。
 二人を降ろすと白馬はうずくまり、そのまま横になります。
 
「すまない」
 
 馬の顔を撫で、青年は女王の手を取って建物の中へ。
 
 そこは大変暗かったので、青年は火打ち石で壁のランタンに火を入れます。
 わずかに明るくなったのを見て、青年はその場に片膝をつきました。
 
「大丈夫か!?」
 
 女王が駆け寄ってきました。
 
 青年が儚げに微笑みます。
 
「包み隠さず申し上げます。このような大変なときに申し訳ございません。わたくし、どうやら先立つときがきたようです」
「なにを馬鹿なことを!」
 
 女王が青年を抱きかかえるようにしました。
 それに応えようと、彼も女王の背に手を回します。
 それで青年は女王が矢を受けていたことを知りました。
 
「女王様! 背に矢が!」
 
 なんとか身を起こし、青年は女王を振り向かせます。
 
「二本も刺さっているではありませんか! 今抜きます! ご自身をお治しください!」
「いや、それには及ばん」
「何故です!?」
「矢には返しがついておる。抜けばさらに肉が避け、わらわはすぐに死んでしまうであろう」
「ですが、矢を抜いて癒しの力をお使いになれば!」
「できぬ」
「と、申しますと?」
「不便なものよ。そなたの病気以外に、わらわが治せぬものがある」
「そうなのですか」
「うむ。何故なんじゃろうな。わらわは、わらわ自身を治すことができん。だからこの傷も治せぬ」
「だったら何故! 何故わたくしをかばったのでございますか!」
「そなたを想うことで起こるこの胸の高鳴りも、治すことができぬからじゃ」
 
 それに、と女王が続けます。
 
「そなたが痛がる姿、わらわが見たくなかった。だからこの背は、わらわの自分勝手でやったことじゃ」
「しかし!」
「なに、構うな。どうしてわらわが以前から人を痛めつけることに興じたと思う?」
「己の欲求ではないのですか?」
「そうじゃ。その欲求はどうしてあったのか、そなたに解るか?」
「人を思い通りに拷問できる立場であったからではないのですか?」
「それはただの環境にすぎぬ。わらわはな、痛みが何なのかを知りたかったのじゃ」
「どういうことでございますか」
「わらわは元より、痛みを感じぬ身体を持って生まれてきた。痛いというのがどういうことなのか、わらわには解らぬのじゃ」
 
 ランタンの微かな光が、女王の微笑みを照らしています。
 
「だから、わらわは痛うない。案ずるな」
 
 青年はそれで、そっと女王の背にある矢から手を離しました。
 
「貴女に、謝らねばなりません」
「なんじゃ?」
「わたくしは、貴女に近づくために物語を語ることを始めました」
「それを知ったときは嬉しく想ったものよ」
「ですが、それはあなたへの恨みを晴らすため」
「恨み?」
「はい。いつぞやは、手投げの矢を娘の腹に投げさせられた商人の噺をさせていただきました」
「覚えておるよ」
「あれがわたくしの兄です」
「そうであったか。ではこの矢を引き抜くなり、もっと深く突き刺すなりするがいい」
「それはしませぬ」
「何故じゃ。絶好の好機じゃぞ?」
「わたくしの復讐は、貴女から愛する者を奪うこと。この短い命を使ってできることといったら、それしか思い浮かばなかったのです」
「そうか」
 
 女王はそれで、過去にした様々な拷問を思い返しました。
 目の前で愛する者に死なれる悲しみは、かくにも重たく強大なものだったのでございます。
 
「わらわにも、少しは痛みが解ったかも知れぬ。そなたに出逢えてよかった」
「わたくしは後悔しております。貴女に逢うべきではありませんでした」
「そうなのか?」
「ええ。復讐などするものではありません。貴女に愛されようと振舞ううちに、こちらが先に愛してしまったのですから」
 
 言うと青年は微笑んで、そっと女王の顔に触れます。
 女王はそれで身を起こし、目をつぶって顔を夫に向けました。
 二人はゆっくりと、長く唇を重ねます。
 
 離れると、女王は今まで堪えてきた涙を溢れ返させました。
 
「嫌じゃ! そなたが死ぬのは嫌じゃよ!」
 
 自分の身分など忘れ、彼女は泣いて泣いて泣き喚きます。
 
「そなた! 死ぬでない! わらわを悲しませるな! これは命令じゃ! そなたが死ぬのは嫌なのじゃ! もし死ぬというなら、先にわらわを殺せ! わらわ、そなたと一緒に死ぬ! 頼むから先に逝くでない!」
 
 青年はすると力強く女王の胸ぐらを掴み、乱暴に顔を引き寄せました。
 
「甘ったれるんじゃない!」
 
 青年は最後の力を振り絞って、腹の底から怒鳴ります。
 
「貴方が今まで殺した者は皆、今の貴方よりも苦しんだのです! 散々人を責めておいて、自分が悲しむのは嫌!? なにを都合のよいことを! なんとみっともない!」
 
 赤く充血した彼の目は、女王へと真っ直ぐに向けられています。
 
「貴方、それでも私の妻ですか!」
 
 やがて青年はふっと力を緩め、女王の胸元から手を離し、代わりに彼女の頬を撫でます。
 
「貴女は優しい人です」
 
 そんなことを今まで誰からも言われたことがなくて、女王は大きくうろたえました。
 
「優しい? わらわが、優しい?」
「そう。いつか、生まれ変わりの話をしましたね?」
「うむ。覚えておる。そなたの話は全部覚えておる」
「あなたは生まれる前に、天国で色んな人と約束をしていたのです」
「約束?」
「人はこの世に生まれ落ちる前に、自分自身への不幸を自分で用意するのです。人生の中で否応なしに降りかかってくる不運は他者によるものではなく、前もって他の魂に頼み、自分自身で準備していた試練なのです」
「では、わらわが拷問死させた者共は、あの世でわらわに頼んでいたというのか? 自分を苦しめて殺してほしいと」
「そうです。苦労をすればするだけ、辛い想いをすればするだけ、天国や来世で幸せになれますからね。しかし誰もがそんな不幸を与える役を引き受けようとはしません。人を不幸にすればするほど、死んだあとに罰を受けねばならないからです。貴女が今まで大勢を苦しめて殺したということは、自分が罰を受けると知りながらも、自ら損な役を買って出たということなのですよ」
「わらわではない。優しいのは、そなたじゃ」
 
 自分が死ぬ間際に、妻を安心させようとそんな作り話をするのじゃからな。
 その言葉を、あえて女王は口にしませんでした。
 
「そなた、そろそろ死期か?」
「ええ、そのようです」
「楽しかった」
「私もです」
「そのまま目を閉じて、聞いていてくれ」
 
 彼女は夫を横たえ、子守唄を唄う母のようにその髪を撫でます。
 
「わらわ、これから何度も生まれ変わって罪を償うよ。様々な者を殺した分だけ、大勢の命を助ける。苦しめた分だけ、楽をさせる。わらわ、娯楽も多く奪ってしまったな。わらわが奪ってしまった分だけ、踊り、描き、唄って人を楽しめてゆくよ。そうじゃ。そなたと同じく、物語も作ろう。書を書いたり、話して聞かせてゆこう。そうやって、全ての償いが済んだら、そのときは、改めてわらわを妻に貰ってやってくれ。改めてわらわに物語を聞かせてくれ。約束じゃぞ。何千年かかっても必ずわらわは罪を償う。そうしたら、また出逢っておくれ」
 
 夫に最後の口づけをすると、彼はもう冷たくなり始めていました。
 
「本当ならそなたと抱き合ったまま果てたいが、それは未来に取っておくよ。また逢おう」
 
 外には大勢の兵士たちが弓を構えているはずでした。
 ここに踏み込まれては、夫の亡骸までどうされてしまうか分かったものではありません。
 
 彼女はそっと夫の顔を撫でるとその場を立ち、砦の出口に向います。
 最初の償いを果たすために。
 
 さて、それから数千年も時が過ぎれば人々の暮らしは大きく変化しています。
 馬を使わない鉄の車がたくさん町を行き来し、栄えた場所は夜になってもまるで昼のように輝いています。
 
 多く立ち並んでいる高い塔の一つでは、若い男女が食事を楽しんでおります。
 二人は抱き合った太古の遺骨が三組も発見されたという話題に夢中。
 
 男は画像でその亡骸を見て、その者たちがどのような人生を送ったのかを察し、女はその者たちの人生を夢中になって聴きます。
 やがて三組全ての話が終わると、男はこう告げるのでした。
 
「実は四組目の話があるんだ」
「え? 四組目?」
「そう。でも、まだ発見されていない」
 
 どうして発見されていないにもかかわらず、その話を男が知っているのでしょうか。
 女が問い詰めます。
 すると、男はわずかに緊張しました。
 
「四組目はまだ生きていて白骨化していない。ってのはどうかな?」
「何よ、『どうかな』って」
「君にプロポーズがしたいんだ」
「へ?」
「ここで格好良く『俺たちが未来で四組目になろう』なんて言えたらいいんだけどね。でも我ながらキザっぽくって」
 
 彼が上着の内側に手を忍ばせ、小さな箱を取り出します。
 男は気恥ずかしいような、それでいて誇らしい気持ちであるようでした。
 女に胸を張ります。
 
「ちゃんとベタに給料三ヶ月分だ。律儀だろう?」
 
 それはそれは、とても綺麗な月の晩でした。
 その美しさときたらまるで数千年前の、あの夜のよう。



 続く。

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2012
May 16
「かのようにし、その二人は園から追い出され、この地に住まうことになったのです」
「それで、裏切りの魔王はどうなったのじゃ?」
「彼もまた、男女と同様にこの地に堕ちました。力の全てを奪われた後に」
「では今もどこかに魔王はいるのか。興味深いのう。是非とも逢ってみたいものじゃ」
 
 そして女王が玉座から立ち上がります。
 彼女がその言葉を発するのは初めてのことでした。
 
「そなたの話は面白い。もっと聴かせよ」
 
 特に悪い点のない娯楽、または女王にされた指摘を綺麗に切り返せた表現者はそれまでにも何人かいて、そういった賢き者は死に追い込まれることがありませんでした。
 片腕の女性語り部を筆頭にどうにか生き永らえる者はあったのですが、女王から賛美の言葉をかけられた者や他の作品を求められた者はそれまで一人たりともおりません。
 次の話を所望された青年が幸運かどうかは判りませんが、彼は女王にとってとても珍しく、特別な者であったようです。
 
「承知いたしました。それでは、そうですね。太古にあった戦争の御話などいかがでございましょう? ある王が大剣を振りかざし、たった一人で様々な国を制してゆく物語にございます」
「よし、話せ」
 
 青年の語る物語は、女王の興味を非常に駆りたてました。
 ある話は新鮮で、ある話は痛快。
 またある話は刺激的で、ある話は神秘に満ちています。
 青年は次々に物語を繰り広げてゆきました。
 
 当初は椅子に深く腰を下ろし、軽く頬杖をついていた女王ですが、いつしか身を乗り出し、その目を大きく見張って青年の話に没頭しています。
 
「つまり彼女が男装を解かれたのも、落下するところを助けられたのも、全ては父親に殺されるこの日のためだったのでございます」
「なるほどのう。では常に女の恰好をさせれられていた弟のほうはどうなったのじゃ?」
「彼はその後、姉に成り代わって男として生きることとなり、終いには父親の財を継ぎました」
「ほう、無情なりにもよく頭の回る親じゃ」
 
 あくる日もあくる日も、青年は物語を語ります。
 女王は人を悶絶させたい衝動など忘れ、ずっと耳を傾けています。
 青年はまるで竪琴を奏でるかの如く、流れるように言葉を紡いでゆきました。
 
「その男は言葉が足りないばかりか人の話さえも解しません。美しき姫は道理に合わぬことを許しませんから、その商人をひっ捕らえ、痛み渦巻く地下の部屋へと連れました。
 男はこれから自分の身に降りかかる苦痛を予感し、止めてほしいと哀願します。自分には大切な一人娘がいるのだと。結婚したばかりで子を宿しているのだと。だから無傷で帰りたいのだと申し出ます。その言がまたしても説明になっていなかったので、姫は怒りのあまり笑いました。
『孕んだ娘がいるから無事に帰りたい? 意味が解らんわ! 娘がいようといまいと関係なかろう! そんなに許してほしいならこの十五本の手投げの矢を全てあの的に当てよ』
 指差す先には壁があって、そこは色とりどりに塗られています。花畑のようなその壁には丸い印があって、的として盛り上がっておりました。的は大の大人が両の手を結んで作った輪ほどの大きさです。そこにはいやらしく笑う魔人の絵が描かれてありました。
 姫が合図をすると楽団が高らかに陽気な曲を奏で、姫は男に『心して遊戯せよ』と命じました。
 一投、また一投と商人は小さな矢を投げてゆきます。一本でも外れてしまえば殺されてしまいますから、その様はとても必死でござました。
 ところが、途中で投げた矢が的に刺さらずに床へと落ちてしまいます。商人は青ざめて『お許しを』とひれ伏しました。しかし意外にも姫は寛大で『気にするな。一投ぐらい大目に見てやろう。今一度投げよ』と自ら矢を広い、男に手渡してあげるのです。
 商人はそれで安堵し、やがて全ての矢を的に当てました。
『見事じゃ!』と姫が手を叩きます。男はそれでさらに安心しました。しかしすぐ、男は大きな声で泣きじゃくることになるのでした。
 明るい曲が止まり、兵士たちが彩り豊かな壁をどけると、そこには若い女が柱に括りつけられているのが判ります。
 姫が高らかに言います。『娘がいるから無事に帰りたいのか、娘が子を宿しているから無事に帰りたいのか、おぬしの言いたいことがさっぱり解らぬが、両方ともいなければ問題なかろう? おぬしが自ら排除したのじゃ。これでもう、家に帰らずともよいな?』
 男が的だと思って矢を突き立てていた物は、落書きを施された一人娘の膨れた腹だったのでございます」
 
 その話をとても不思議に思ったので、女王は問いました。
 
「そなた、その話は本当に自分で作った物語か?」
「その問いに答える前に、わたくしに遊戯の提案をさせていただけませぬでしょうか?」
「許そう。なんだ?」
「質問の合戦にございます。女王様の問いに答えたら、今度はわたくしの問いに貴女様がお答になる。これを交互に繰り返すのです」
「ほう、面白い。乗ってやろう」
「ありがたき幸せ。では先の問いの答えを申し上げさせてくださいませ。今させていただいた噺は、わたくしの想像によるものではございません」
「ふむ。では、そなたが問う番じゃ」
「お訊ねします。何故、この噺が私の作ではないと気づかれましたか?」
「心当たりがあるからじゃ。では、わらわの番じゃな? そなたの物語、必ず最後に人が死んだり国が滅ぶのう。何故じゃ?」
「そこにお気づきになるとは、女王様の才にはつくづく思い知らされます」
「世辞も達者よのう」
「わたくしの物語はわたくしが考え出すものではなく、亡骸が教えてくれるのでございます」
「亡骸が? どういうことじゃ?」
「恐れながら申し上げます。女王様、問いは交互とさせていただいております」
「おお、そうだったな。今のはわらわの失言であった。許せ」
 
 ただの平民に謝罪をするのは初めてのことでしたが、女王は何一つ嫌な気がしません。
 そのことが自分でも不思議でした。
 
「お訊ねいたします。女王様は、今まで殺めた者のことを覚えておられますか?」
「忘れることもあれば、思い出すこともある。で、 亡骸がそなたに物語を伝えるとは、どういうことじゃ? 詳しく申せ」
「は。女王様に癒しの力があるように、わたくしにも特別な力がございます」
「ほう」
「人の亡骸を見ると、その者が生前にどのような道を歩んでいたのか、まるで自分の思い出であるかのように知れてしまうのです」
「なるほどのう。それで今の噺にも納得がいく。そなた、わらわが処刑し、野ざらしにしておいた男の亡骸を見たというわけか」
 
 女王はそれで、責めに責め抜いた商人のことを思い返しました。
 ささくれのような細かな返しの棘がたくさん付いた鉄の棒で、何度も何度も尻を犯したときの、あの男の表情といったら。
 気を失う寸前に下郎の傷を癒し、再び体内を傷つけ、失神に成功されたら今度はへその穴に木の枝を刺して起こす。
 そんなことを何度繰り返したことか。
 
 女王はかすかに吐息を漏らし、足を組み直しました。
 自分が湿っているのが自分でも判ります。
 
「遊戯は止めじゃ」
 
 女王はまじまじと青年の唇を眺め回します。
 彼は若く、たくましく、眼に力がありました。
 
「そなた、わらわの夜の相手をしてみるか?」
 
 一国の長が庶民に体を委ねるなど、今までに例がありません。
 しかし女王は続けました。
 
「わらわに面白い噺を聴かせた褒美じゃ」
 
 椅子からゆっくりと立ち上がり、留めていた黄金色の髪をほどくと、女王は女の眼で青年の首筋に手を添えます。
 
「誰もが羨むこの身体、抱いてみい」
 
 しかし、なんとしたことでしょう。
 青年は片手を挙げて女王を制してしまうのでした。
 
「お断り申し上げます」
 
 まさか拒絶されるとは思っていなかったので女王はわずかに驚き、また同時に残酷な光を表情に浮かべます。
 
「おぬし、怖気づいたか? それとも自分には勿体ないと判断したか?」
 
 答えによっては青年に命はありません。
 女王は腰に下げた鎖に手を添えました。
 
 青年は、まっすぐに女王の目を見つめます。
 
「わたくしと交われば、貴女様が死んでしまうのです」
「なに?」
 
 思いもよらぬ答えでした。
 
「わらわが死ぬとな?」
「はい」
「何故じゃ」
「わたくしの病が移り、女王様の身体を汚してしまうからです」
「ほう。そなた病気か」
 
 それならば問題が大きくありません。
 女王は鎖の柄から手を離します。
 
「そなたは運が良い。わらわ自らが特別に治してくれようぞ。どこが悪い?」
 
 ここかここかと女王は青年の胸を、腰を、背に手をやります。
 すると女王はたじろいて、青年の顔を、頭を、手を、足を、指を、隅々まで触ります。
 
「なんじゃこれは! 良いところなど一つもない! そなた、全身を冒されておるではないか!」
 
 すると青年は寂しげに微笑みます。
 
「わたくしは血を患っているのでございます」
「血だと!?」
 
 女王にとってそれは聞いたことのない症例でした。
 
「治しても治しても、悪い血がすぐに良い血を汚してしまいます。わたくしの命はもう長くはないのです」
「なにを馬鹿な! 試しもせずに何故判る!?」
 
 青年の服を脱がせ、女王はその胸板に両手を置いて念を込めます。
 治しても治しても良くなったその血は体内を流れてしまい、すぐに悪い血と混ざって汚れてしまいます。
 女王は狼狽しました。
 
「わらわの治す早さが足りぬのか……」
「自分の身体にあるこの悪い予感、勘違いではありますまい」
「そなた、死ぬのか」
「はい。近いうちに、必ず」
「死ぬると人はどうなるのじゃ?」
 
 今まで散々人を死に追いやっておきながら、そんな疑問は今の今まで持ったことがありません。
 女王は若き男にすがります。
 
「教えよ。人は死んだあと、どこへ行く?」
「生まれ変わって別の者となり、再び生きます」
「ではそなたが死んだらすぐに生まれ変われ。そしてわらわを訪ね、面白い物語をもっと聞かせるのじゃ」
「それは叶いません」
「どうしてじゃ!?」
「次に生まれるときには、今のことを全て忘れてしまうからです」
「そうだ! そなたの血、全て移し替えしてしまおう! この国には腕の良い医者だって大勢おる! 血も屑どもから集めれば事足りよう」
「ありがたいお話ですが、それもできることではございません」
「何故に!?」
「理由が二つございます。どちらも大事なことです」
「申せ」
「はい。一つは、人の血には多くの種類があるのです。闇雲に他者の血をわたくしに入れてしまえば馴染まぬ血はたちまちに我が身の中で暴れだし、わたくしは二度と動けなくなってしまうでしょう」
「もう一つの理由とは?」
「もう一つは、わたくし自身の性質故でございます」
「性質とな?」
「はい。水のない場所で魚が生きられないのと同じく。わたくしは、自分のために誰かが犠牲になることを嫌います。そんなことがあるぐらいなら、わたくしは自らこの命を絶ってしまうことでしょう」
「そうか。では、どうにもならぬのか」
「なりませぬ」
 
 それで女王は黙ってしまいました。
 夜風がそよそよとバルコニーを流れ、松明の光を揺らせます。
 
「わたくしが死ぬまでの間――」
 
 青年が沈黙を破りました。
 
「少しでも多く、女王様のお側に居させてはもらえぬでしょうか?」
「そなたはなにを望んでおるのじゃ?」
「貴女様にもっと多くの物語をお聴かせしたい。それがわたくしの希望にございます」
「何故じゃ? 何故そなたは命を使ってわらわに尽くす?」
「わたくしが物語を語るようになったのは女王様、貴女様にお聴き入れいただきたかったからに他なりません」
「それが解らん。わらわに慕情があるわけでもあるまいに」
「あります」
「ん? 今、なんと?」
「貴女はお美しい」
 
 この言に女王はすっかり唖然としてしまい、もはや声を出すことが叶いません。
 
 青年がすっと腰を上げ、女王の肩にローブをかけました。
 
「今宵は寒うございます。お身体を壊さぬよう」
 
 彼は深々と女王に礼をします。
 
「それではまた明日に。失礼いたします」
 
 それはそれはとても綺麗な月夜のことでございました。
 
 詩人のように美しい気持ちを持つ青年。
 彼の本当の願いが女王への復讐であることを、彼女はまだ知りません。
 
 
 
 夜が深まった頃に男が女の部屋を訪ねる理由はそう多くはないでしょう。
 大臣がいそいそと、抑えきれぬ欲情を胸に扉の前に立ちます。
 美しく浮き彫りにされた黄金の獅子は輪を咥えており、大臣はそれを手に取ってそっと三度扉を叩きました。
 
 中から女王の声が聞こえます。
 
「誰じゃ」
「わたくしめにございます」
 
 普段ならここで「入れ」と命じられ、そのまま情事に励むのですが、この晩は違いました。
 
「わらわは疲れておる。用があるなら明日に聞く」
 
 大臣が女王にどんな用事があるのか、いつものことなので彼女は解っているはずです。
 今宵は月に一度の女の日でもありません。
 にもかかわらずこの言い草。
 大臣にかすかな違和感を与えました。
 
 鎮められるとばかり思っていた自分自身を慰められないのは大臣にとって思いもよらぬこと。
 すぐに戻る気が起きようはずもありません。
 
「女王様、愚民をこらしめるための新たな道具の話でもしませぬか」
 
 すると扉の向こうから「くどい」と苛立った声が。
 
「わらわは疲れておると言っているのだ。二度言わせるようならおぬしが考案した道具を全ておぬしに使うぞ。下がれ馬鹿が」
 
 こうして大臣が覚えた違和感はさらに膨らみを増すのでした。
 
 女王はというと、部屋で多くの書を貪るかのように読み漁っています。
 様々な病気を取り扱った本。
 薬草について詳しく書かれた本。
 血を良くするための食事の作り方が書かれた本。
 それら多くの書は女王の寝台の上で山のようになっています。
 
 約束の日になると、いつものように物語の使い手が閲覧の間に現れました。
 うやうやしく頭を垂れる彼に、女王が命令をします。
 
「今日は物語を聞かせずともよい。城外の散策をいたす。供をせい」
 
 護衛を付けず、人目を忍ぶかのように女王は青年を連れ出すのでした。
 
 湖の畔では鳥の鳴く声が遠くでするだけで静かなもの。
 切り倒された大木の幹に、二人は腰を下ろしました。
 
「愛の女神とまで称されるわらわに治せない病があっては沽券にかかわるからのう。家臣たちの目に届かぬほうが好都合なのじゃ」
 
 女王はそのように切り出します。
 彼女は次々と薬草や瓶詰めにされた薬品を取り出しました。
 
「そなた、これらの薬は試したことがあるか?」
「その問いに質問で返す無礼をお許しください。これらは一体……?」
「どれも血に効く物ばかりじゃ。わらわ、普段は自分の力で傷も病も治せるゆえに知識がなくてのう。書物を久しぶりに読んだ」
 
 薬草や薬を家臣に取り寄せさせれば「なんでも治せるはずの女王が何故このような物を欲するのだろう」と不思議に思われてしまいます。
 そこで彼女は変装をして庶民に成りすまし、自ら町まで買い出しに行っていたのでした。
 
「そなた、これら全部持ち帰って試せ」
「恐れ多いお心遣い、痛み入ります」
「そなた独り者であったな? 食はどうしておる?」
「は。自分で作ることもあれば、宿の食堂を利用することもありまする」
「それはいかん。日頃の食にも注意を払え。治療にならずとも、悪化を食い止めることぐらいにはなろう」
「勿体無いご忠告、誠にありがとうございます」
「そうだ。そなた城まで馬で来ていたな? それ以外は歩くのであろう? 血の巡りが早くなっては身体に悪い。これからはわらわがそなたの住まいに出向いてやる。そなたは横になったまま物語を話せ」
 
 彼は内心、とても大きく驚いていました。
 青年の病気をしっかりと理解していなければ、この薬草もあの忠告も出ようはずがないからです。
 女王が陰でどれだけの本を読んだのか、容易に察することができました。
 
 だからこそ、女王は知っているはずです。
 様々な手を尽くして命を一日伸ばすことはできても、死は確実にやってきてしまうことを。
 
 この日は夕刻まで世間話をし、青年は何度も女王に礼を言って帰路についてゆきました。
 
 それからというもの、女王は護衛をつけぬまま青年の家に足を運ぶようになります。
 歓迎のための茶を用意しようとすることさえ、女王は許しません。
 
「そなたは寝ておれ。茶など飲みたい気分ではない。それより、薬はまだあるか? そろそろなくなる頃かと思ってな、新しいのを持ってきた」
 
 薬草を手渡す女王のその指先が傷だらけだったので、青年は疑問の念を抱きました。
 
「女王様、お手に怪我を」
「構うな。それより、今日はどんな物語を聞かせてくれるのじゃ?」
 
 青年の寝台の横に椅子を持ってきておいて、彼女は長いようで短い物語を堪能します。
 今日の噺も、とても楽しむことができました。
 
「面白かった。褒美じゃ。台所を借りるぞ」
 
 女王は立つと、鞄を手に調理台に向かいます。
 
 何を始めるのかと好奇心が湧いて青年が密かに覗くと、なんと女王は一生懸命に本を見ながら、料理を作っているではありませんか。
 食材を見ると、どれも血に良い物ばかり。
 慣れない手つきで山菜を刻み、苦労して火を点け、湯を沸かしています。
 青年はそっと場を離れ、寝台で横になって待ちました。
 
「できたぞ」
 
 女王がシチューとパンを青年の部屋まで運んできました。
 手の傷がさらに増えたのか、指先には薄く包帯を巻いています。
 
「さあ食せ。ただし、わらわの力で人が治せないことが民に知られたらただではおかんからな。薬草のことも食事のことも決して他言するなよ」
「承知いたしました」
「よし、では喰おう」
 
 それはお世辞にも美味と呼べるものではありませんでした。
 肉は固く、野菜の形は歪で、風味も良くありません。
 
 一緒に食べている女王もそう感じ、「身体に悪くないのだが、美味くないな」と悲しげな表情を浮かべます。
 
 しかし青年は断ずるのでした。
 
「たいへん美味しゅうございます。このように美味なる料理は今まで口にしたことがございません」
「そうか!」
 
 女王が嬉しそうに表情を明るくします。
 
「城の調理場で練習した甲斐があった! 今度はもっと美味くなるようにするゆえ、楽しみにしておれ」
「ありがたき幸せ。いやしくも、全て平らげさせていただきます」
「うむ。遠慮するでないぞ。そなたの病が治ったら葡萄酒を飲もう」
 
 青年にとって孤独ではない食事は久しぶりで、それはとても心温まる一時でした。
 
 女王はそれからというもの、毎日のように青年の家に通います。
 中には物語を所望せず、ただ会話をするだけという日もありました。
 
「のう、そなた将来の夢はあるのか?」
「今は死を待つだけの身ゆえ、夢など持ち合わせてはおりません」
「そう言うな。愛の女神の名にかけて必ずそなたを治す。いつまでもそなたの物語を聴きたいからな。最近はな、わらわ、治す早さを上げようと思ってな、今まで以上に癒しの力を民に振るっておる。いずれそなたの悪い血が巡るよりも早く全て治癒させるゆえ、安心せい」
「恐れ多いお言葉、恐縮せざるを得ません」
「で、そなたの夢はなんじゃ?」
「そうですね。以前はささやかながらでも家族を持ちたいと望んでおりました」
「ほう」
 
 人が家族を欲する心も、それを大事に想う気持ちも、女王は知識として理解していました。
 民の持つその感情を拷問に利用していたからです。
 この青年も人として当たり前の願望を持っていたのでした。
 
「そうか、家族か」
 
 女王は拷問以外のことで、初めて家族について考えを巡らせます。
 どんなに力を施しても、青年の命を大きく伸ばすことはできないことを女王は既に察していたからです。
 
 一方、城内では不穏な空気が漂っていました。
 
「この頃は女王の様子がおかしい」
「護衛もつけず、行き先も告げずにどこかに通っている」
「拷問をしなくなったばかりか、癒しの力を民にまで振舞うようになった」
「あれだけの傲慢、それで許されるわけでもあるまい」
「私は人前で怒鳴られ、恥ずかしい想いをさせられたことがある」
「私など目の前で家族を苦しめられ、殺された」
「私など、妻が産んだばかり赤子を丸焼きにされた。それを皆の見守る前で、妻と一緒に喰わされたのだ!」
「いつまた横暴な女に戻ることやら」
「今の女王は油断をしている」
「恨みを晴らすなら今だ」
「殺してしまうなら今だ」
 
 進んで指揮を振るったのは、大臣でした。
 
 そんな相談がされているとは露とも知らず、女王は今日も青年の家まで足を伸ばします。
 この日の彼女は特に胸を弾ませておりました。


 
 続く。

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2012
May 16
 物静かな瞳をしているその娘は白銀の薄い衣を身にまとっていて、足には皮のサンダルを履いている。
 髪飾りは銀の鎖で編み込まれていて、同じく銀色をした長い髪が風になびく。
 彼女が身に着けている物のいたるところから、どこか品格を感じさせる細い鎖が伸びていて、それも風に吹かれ、わずかに揺れていた。
 
 彼女はまるでいつか絵本で見た精霊のようだとあなたは思う。
 
「ここはあなたが住んでいた世界とは全く別の世界です」
 
 敵意を感じさせない娘の口調が、あなたにかすかな安らぎを与える。
 彼女の話を聞けば未知は未知ではなくなり、それで不安や恐怖は拭われるような心地がした。
 
「ご覧なさい、太陽を」
 
 言われるがままに見上げると、強い光を発している丸い物体こそが太陽なのだと、あなたは初めて理解する。
 
「この世界には太陽が二つあります」
 
 頭上には大きな太陽があって、視線を下げると小さな太陽もまた、地平線の近くで力強く輝いていた。
 
 本物の太陽は自分が作った太陽とは比べ物にならないほどに神々しく、眩しくて、あなたは少しばかりの恥を覚える。
 
「あの二つの太陽のおかげで、この世界には滅多に夜が来ないのです」
 
 夜。
 その言葉はあなたに、ラトを連想させた。
 
「ラトは!? 僕の他にもう一人、近くにいませんでしたか!?」
「彼なら」
 
 娘は静かにあなたの背後、木が群生している所を手で示す。
 
「あそこにいますよ」
 
 目を凝らすと、木と木の間で蝶を追いかけ回している親友がうかがえて、あなたは安堵する。
 
「この世界には、よく人が迷い込んでくるのです」
 
 娘に視線を戻すと彼女は既に立ち上がっていて、うやうやしく頭を下げている。
 
「私の名はレビト。あなたを導く者です。この世界に来てしまった者を、元の世界に送り届けることを使命としています」
「お聞きしたいことが山ほどあります」
 
 あなたはようやく腰を上げ、レビトの前に立つ。
 改めて見ると、彼女は瞳までもが銀色だ。
 
「お答えします。ただそれは旅を続けながらにしましょう」
「旅、ですか?」
「この世界には一ヶ所だけ『夜がくる場所』があるのです。あなた方はそこに行かねばなりません。私が案内しましょう」
「よよよ、夜が見れる! 夜!」
 
 いつの間にかこちらまで来ていたラトが飛び跳ねながら両手を叩いた。
 
 あなたには何もかもが初めてのことだ。
 旅も外気も、景色も、異世界も。
 
 この外が、自分たちの世界の外ではなくてよかったとあなたは思う。
 もし元の世界の外だったなら、あなたは毒を含んだ空気のせいで死に、砂の中に溶けてしまっていたことだろう。
 
「夜がくる場所には」
 
 レビトはこの世界の様々なことを知っていた。
 
「砂時計の塔が建っています。あなた方が元の世界に帰るにはその塔に登らなくてはなりません」
 
 告げて、レビトが歩き出す。
 あなたは慌てて親友を呼び寄せ、彼女の後に続いた。
 
 旅の最初、あなたの中で大きかった感情は不安だったが、それは次第に好奇心に取って代わられる。
 
 飛べば天空を覆い隠すほどに巨大な鳥。
「大地を憎む者」と呼ばれる、大剣で何度も地面を突き刺し続けている鎧。
 連なった山脈にぽっかりと開いた巨大な横穴からは、向こう側の光景が望めた。
 
 夜のない世界では日数の経過が解りにくかったが、数日に渡って旅を続けると慣れ、気がつけばあなたは次の景色を楽しみに思っている。
 あなた以上に好奇心が強いラトにとっては、さらに胸が躍らされているに違いない。
 
「ねねね、ねえ! れれ、れび、れび、レビト! ここ、この実の他には、どどど、どんな、どんな実がある?」
 
 泉のほとりで座り、黄色い果実の皮を剥き、喉を潤していると、やはりラトが騒ぎ出した。
 
「せせせ、世界一、おおお、美味しい実、どど、どこ? どれ?」
「そうですね」
 
 案内人は静かに微笑む。
 
「この世界には、千年に一つしか実らないという『神の果実』がありますよ」
「そそそ、それ、それ、おお、美味しい?」
「味は、どうでしょう? ただ、その実を口にした者にはある変化が訪れるとされています」
 
 その話にあなたは興味を示し、ラトに代わって問う。
 
「それを食べると、どのように変化するのです?」
「最初の実は」
 
 レビトの憂うような横顔がどこか寂しげに見えた。
 
「口にした者に永遠の命を与えました」
 
 最初の実、と彼女は言った。
 神の実は、実る毎に違う効果があるということだ。
 
「では、次の実は?」
「禁断の知恵を」
「では、さらにその次は?」
「そこまでは知られていません。『始まりを終わらせる実』とも『終わりを始まらせる実』ともいわれています」
「それは、どういうことですか?」
「ねね、ねえねえ!」
 
 興奮を抑えきれないらしいラトが、大きな声であなたたちの会話に横槍を入れた。
 
「どどど、どこにある! そそ、その実! 実! どこ行けば食べれる?」
「ラト、話を聞いていたのか? 千年に一つしか実らないんだぞ」
「ででで、でも! でも!」
「その果実は、この世界で最も巨大な樹に実ります」
 
 続けてレビトは、ラトを喜ばせるようなことを告げた。
 
「その雲よりも高い樹は、もう近く。夜がくる場所に立っていますよ」
 
 やったー!
 とラトは両手を挙げて、もう既に幻の実を食べられる気になっている。
 
 夜がくる場所。
 そこには夜があって、元の世界に帰るための巨塔が建っていて、世界最大の樹木が雲を貫いている。
 あなたはその景色を思い浮かべた。
 
「さあ、行きましょう。もうすぐ夜がきます」
「よよ、夜!?」
 
 やったー!
 とラトが、再び両手を挙げた。
 
 目的地が、いよいよ近いのである。
 
 
 
 暗いと星が見られるという友の説が事実だったと思い知り、あなたは感嘆の溜め息をつく。
 風に吹かれることのない無数の白い瞬きが、つくづく空の無限さを感じさせていた。
 満月が赤く三人の旅路を照らしている。
 
 視界が許す限りに膝ほどに高い草の絨毯がどこまでも広がっていて、遠方には山々がぼんやりと眺められた。
 初めて目撃する夜に親友は大いにはしゃぎ、それを尻目に案内人が口を開く。
 
「この世界には昼の季節と夜の季節とがあって、夜とは必ずしも毎日訪れるものではありません。この『夜がくる場所』を除いては」
 
 レビトは前方をまっすぐに見つめ、あなたの前を歩いていたが、やがてふっと立ち止まる。
 
「さあ、ご覧なさい。あれが砂時計の塔です」
「なんと! あそこまで巨大な塔だとは思っていませんでした」
 
 塔は闇のせいで形しか判らず、それでも遠くから強大な存在感をあなたに与えた。
 雲一つない星空を背景に、塔は大地から生えた角のようにどっしりとし、天に向かって伸びている。
 もし雲があればそれに届きそうなほどに高い。
 
 砂時計の塔という名称から、あなたは上下対称のアンバランスな形状を想像していたのだが、実際には上にいくほどに塔は細まっている。
 
「さあ、あの扉を」
 
 見上げても頂上が見えないほどに塔に近づく頃になると、レビトが入り口を示す。
 塔は全て木で作られているようで、重そうな両開きの扉も同様だ。
 あなたは竜の浮き彫りが施された扉の取っ手を掴む。
 
 ラトが「神の実が成る樹を見に行きたい」と駄々をこねたのを、あなたは一喝した。
 
 砂時計の塔は内部さえも全て継ぎ目のない木でできていで、あなたは足を踏み入れた瞬間にどういったわけか馴染み深い空気を感じ取る。
 
「この塔の、どこまで登れば僕らは元の世界に戻れるのでしょうか?」
 
 木造の長い螺旋階段を上りながらあなたが問うと、レビトはうつむいた。
 
「もうすぐです」
「おや?」
 
 あるべき気配がなくなっていることにあなたは気づき、身の毛が立つような心地に襲われる。
 
「ラトがいない!」
 
 階段を見下ろすと手すりのない螺旋が闇に向かって下りていて、底が見えることはない。
 背後から着いてきていたはずの親友の姿がなく、あなたは激しく狼狽する。
 落ちていたら助からないと察し、あなたは背筋を凍らせた。
 
「ラト! ラトー! どこだ!」
「この世界には、人間は二人しかいません」
 
 案内人が謎の言葉を発する。
 
「次の扉を開ければ、あなたは元の世界に戻れるでしょう」
「そんなことより、ラトがいなくなりました! 彼を探さなければ!」
「彼は大丈夫です。消えてしまったのは、あなたのほうなのだから」
「どういうことです!?」
「彼が一緒だと困るのです。私が故意に、あなたを連れて彼から逃げました」
「なんですって!?」
「さあ、扉を開きましょう」
 
 長かった階段がようやく終わり、レビトが扉の前に立つ。
 
「ちょっと待ってください!」
 
 あなたは強い口調になって案内人に詰め寄る。
 
「ラトから逃げたとは一体どういうことなんですか!?」
 
 レビトは儚い者を見るかのように、あなたの目を見つめ返している。
 
「何もかもお話しします。そのためにもまず、この扉を開くことが必要なのです」
 
 彼女が扉を押し開けた。
 開かれた扉の向こうには見覚えがある景色が広がっていて、だからこそあなたはこの現実を信じることができない。
 
 そこは、あなたが暮らしていた街だった。
 偽の夜に覆われた街並みには一切の人気がなく、見慣れたはずの光景をどこか不気味にあなたは感じた。
 
「さあ、元の世界です」
「どういうことですか、これは!」
 
 無人の街並に、あなたは踊り出る。
 
「僕の街がどうしてここに!? それに、何故誰もいないんだ!」
 
 案内人はここでもやはりあなたの前に立ち、先を進んでいく。
 あなたは早足になってレビトの後を追った。
 
 彼女はうつむいて、悲しげに問う。
 
「あなたは今まで疑ったことがないのですか?」
「なにを!」
「自分が今まで知ったことの全てが真実であるか否かを」
 
 レビトは角を曲がり、商店を抜け、やがて袋小路に差し掛かる。
 樽に隠されたドアに手をかけた。
 
「あなたが地下だと思って育ったこの町は地下ではなく、むしろ上空にあったのです。この塔こそが、あなたが生まれ育った町」
「なんですって!?」
「あなたは異世界に堕とされたのではありません。ただ単に外に出てしまっただけなのです」
「そんな馬鹿な! 外は灼熱の世界のはずです!」
「三千年も経てば汚染は浄化されます。あなたは生まれた時から嘘を教え込まれてきたのです」
「まさか! 外に出ただけですって!? ここが異世界だと言ったのはレビト! あなたではないですか!」
「それは近くにラトがいたからです」
「太陽だって二つもあった! それこそ異世界のように!」
「三千年前、小さな太陽は木星と呼ばれていました。当時は惑星規模でも大変動が起こり、この世界の軌道までもが変わったほどです。木星は高熱化し、第二の太陽となりました」
 
 レビトがドアの中に入ってゆく。
 そこはあなたもよく知った場所、木の部屋だ。
 あなたは彼女を追うように続いて部屋に入る。
 
 室内はあの時のままだった。
 あなたの作った小さな太陽が倒れていて、レイヤの木が立っていて、薄暗い。
 
「私は、この実を食べることを目的としていました」
 
 熟れて地面に落ちていた赤い木の実を、レビトは拾い上げる。
 以前、手作り太陽をラトに見せた日にあった、一つだけ実ったレイヤの実だ。
 
「この実を口にした者は楽園から追放されることになります。それは言い換えれば、この世界から脱出できるということ」
 
 実を手にし、レビトはあなたに体を向ける。
 
「私はずっと待っていました。この神の果実が実るのを」
「それはレイヤの実だ! 神の実なんかじゃない!」
「いえ、神の実です」
 
 レビトはさらに哀愁を瞳に宿らせ、あなたを見つめる。
 
「神の実を実らせる巨木は人を飼う者の手によって削られ、塔の形にされました。この世界で最も大きな樹こそが、砂時計の塔。それがあなたの故郷です。あなたは元々地下ではなく、大木の中で暮らしていたのですよ」
「意味が解らない! そもそも、そんな! 樹を削るだなんて馬鹿げたことを! そんなことをしたのは何者ですか! 人を飼う者ですって!?」
「あなたは今までずっと飼われ、監視されていました。この世には、人間はもう二人しかいないのです。あなたと私の二人だけしか」
 
 最後のお別れにと、レビトは全てを語る。
 
「私は科学という名の魔術でこの部屋に穴を開けました。この実が熟し、落ちる頃に」
 
 あなたは顔を青ざめさせ、それでも彼女の話に黙って聞き入る。
 
「空間を繋げ、落下した実が私の元にくるようにしてあったのです。しかし落ちてきたのは実ではなく、あなた方でした。この部屋に開けた穴は物が通過したら消滅し、そして二度と開けることができなくなります。だから穴はあなた方が落ちてしまったことにより、永久に閉じてしまったのです。私は計画を変更し、あなた方をこの塔まで送り届けることにしました。私一人に対してはこの塔は扉を開いてはくれません。したがって私はあなたを飼い主に回収させると見せかけ、自分で直接この部屋に来ることにしたのです」
「信じられない!」
 
 あなたは絶叫する。
 
「ここが僕の街であるはずがない! この世界こそが偽物なんだ!」
「まだ気づいていないのですか?」
 
 レビトの銀色の瞳には涙が浮かび始めている。
 
「あなたの友人の名は?」
「ラトがどうした!」
「では、私の名は?」
「レビト! 偽名でないのならな!」
「あなたの父、母の名は?」
「ルークにマナト! それがどうしたんだ!」
「それでは、あなたの名は?」
 
 まるで頭に岩を落とされたかのような衝撃を、あなたは味わう。
 あなたは今まで生きてきて、ただの一度も名を呼ばれたことがなかった。
 
「あなたには名前がありません」
 
 呆然と、それでもどこかで激しく頭を巡らせ、あなたはただ立ち尽くしている。
 レビトの目からついに雫がこぼれた。
 
「あなたは他の者と区別される必要がないのです。だから名前を与えられませんでした」
「嘘だ」
「この街の住民は全員、人を飼う者の操り人形です。ご両親も、ご友人も、全て」
「やめろ」
「この街も、与えられる情報も、何もかもあなた一人のために作られた虚構なのです」
「やめろ!」
 
 今までの生涯で最も大きい声を、あなたは出す。
 
「僕に世界を返してくれ!」
 
 あなたが叫ぶと同時に、何かが破裂したかのような炸裂音が部屋中に響き渡った。
 赤い実がレビトの手を離れ、床を転がり落ち、止まる。
 案内人は崩れ去るかのように両膝を床について、やがてゆっくりと前のめりに倒れ込んだ。
 
 うつ伏せになった彼女の向こうにはラトの姿があった。
 
「ラト!」
 
 あなたは親友に駆け寄ろうとする。
 しかし違和感があって、あなたは足を止め、ラトの様子を伺った。
 表情の全くない彼を見るのは初めてのことだ。
 
 ラトは右手に黒い道具を持っていて、それは短い棒を直角に折り曲げたような形をしている。
 あなたはそれが武器なのだと直感した。
 
 ラトが口の端を吊り上げる。
 
「この女、最初に異世界に迷い込んだなどと嘘を言ったのは、やはり俺の目を気にしてのことか。この人間を気絶でもさせてここまで運ぶようならまだしも、何もかもバラしやがって」
「ラ、ラト? どういうことだ?」
「人飼いはもうやめだ。それにしてもまだ外に人間の生き残りがいたとはな。全て滅んだとばかり思っていたが、この女はどうやって生き延びたんだろうな。殺す前に訊いておけばよかったか」
「ラト、お前、なにを?」
「お前を身近で観察し、想像を巡らせては楽しんでいたよ。あと数十年ほど飼って、その頃にこの世界の正体を教えれば、お前は今以上に苦しんでいたんだろうってな」
「おい、冗談はよせよ、ラト」
「お前が産まれる前はな、いくらか他の人間もいたんだ。だが思うように繁殖しなくてな。徐々に数を減らしていった。お前が最後の一人だったんだ」
 
 どのような感情からか、あなたは涙を流していた。
 
「おい、なに言ってんだよ、ラト。お前、本当にラトなのか?」
「ちなみにお前の本当の両親な、お前を産ませてすぐに始末してやった。使い道が思いつかなかったんだ」
「なんだよ、はは。お前、ちゃんと喋れるんじゃないか」
「どけ。その実は俺が喰う。実は、最初から直接自分で取って喰うつもりだったんだ。それを、そこに転がる女に邪魔をされたのさ」
「そうだ、ラト!」
 
 あなたは親友に顔を近づけ、「にー!」と笑ってみせる。
 人を飼う者は冷ややかに「どけ」ともう一度言った。
 
「ラト! 目を覚ませよ! お前、操られてるんだな? それとも偽物か? はは。いつもの調子に戻れよ。頼むよ。戻ってくれよ」
 
 するとラトはあなたに笑って見せる。
 いつか見た絵画にあった、悪魔のような残酷さを秘めた笑顔だ。
 暗くなった殺風景な部屋に、その表情はどこか映えて見えた。
 
 ラトが、覚えのある言葉を発する。
 
「馬鹿だな、お前は。それは今までの人生のほうが間違えているんだ。先入観、ってやつだよ」
「うわああああ!」
 
 あなたはついに暴走し、親友に殴りかかる。
 
 この世のどこまでが嘘で、どれが真実なのか解らない。
 疑うべきが何で、受け止めるべき事実はどこにあるのか。
 上とか下といった概念さえも嘘なのか、目に見えるものも、耳に入る音や声も信じてはいけないのだろうか。
 自分は果たして存在しているのだろうか。
 あなたが知っているラトはもう二度と現れないのだろうか。
 この偽物を倒せば、あるいは強く叩けば、親友は元の無邪気さを取り戻してくれるのだろうか。
 
 あなたの攻撃を一切避けようともせず、微動だにしないで、ラトは残虐そうに高笑いを続けている。
 
 あなたはやがて疲れて、ラトにしがみついたまま崩れ、嗚咽した。
 
「世界は正体を現すと、僕から友人さえも奪うのか!」
 
 ラトは「フン」と鼻を鳴らせ、実に向かって歩こうとした。
 
 案内人はそこで死体を演じることをやめて立ち上がり、あなたが作った太陽を起こし、起動させる。
 強力な光は、部屋にある物全てを照らし出した。
 
 壁に映った木や、自分やラトの影を見て、あなたはボロボロになった短剣に手を添える。
 以前ラトから受け取った刃は、廃墟となった教会をあなたに思い出させた。
 
「天使の殺し方を知っていますか?」
「天使と悪魔は、同じ生き物なのです」
「影を刺すのです」
「ぼぼぼ、僕は、ささ、さ、刺さないでね」
 
 あなたは再び絶叫をする。
 壁に投影された友の影に、渾身の力を込めて刃を突き立てた。
 ラトは驚いたような表情を浮かべ、両手で胸を押さえ、その場に座り込む。
 
「ラト!」
 
 短剣を捨て、あなたは親友に駆け寄って抱き起こした。
 
 手製の太陽に照らされながらラトは真っ直ぐにあなたを見つめている。
 
「その実は、お前らが喰っても無駄だ。俺に喰わせろ。喰えば、俺は輪廻の輪から外れ、無になることができる。人飼いなんて余興に構う必要もなくなる」
「ラト! ラト! すまん! ラト!」
「また一からやり直しだ。お前ら人間どものせいでな」
「ラト! 大丈夫か! ラトぉ!」
「フン」
 
 ラトは最後に、思いっきり明るい笑顔をあなたに見せる。
 
「ぼ、ぼぼ、僕は刺さないでねって、いい、い、言ったのに」
 
 そして彼は目を閉じた。
 
「うわあああ! ラトー!」
 
 あなたは親友を抱きしめる。
 
 電球の寿命がきてあなたの太陽がふっと消え、木の部屋が再び闇を取り戻した。
 
 あなたは二度と動くことのない親友を床に横たえると、頭を抱えてうずくまる。
 やがてよろよろと立ち上がると、あなたは無心で木の実を拾った。
 赤子のように泣きじゃくりながら、あなたは実にかじりつく。
 味など解らず、ただひたすらにかじり続けた。
 
 その実には、この世界から脱する効果がある。
 ただの人間であるあなたにとって、それは死ぬということだ。
 
 レビトと名乗った案内人、つまり私は二千年も昔にこの樹から実を取って口にし、永遠に死ぬことができない体になってしまっていた。
 太古の武器でさえ私を殺すことはできない。
 不死になってからさらに千年後に私は再び実を食し、膨大な知恵や知識を手に入れる。
 神の木が育つ条件が二つの太陽であることや人類の真の歴史、千年毎に実る神の実の効果などの全てを知る。
 次に実る追放の果実を食べなければ、私は永久に生き続けるしかないのだ。
 そのことを知恵の実は私に教えていた。
 
 私は黙って、銀の瞳であなたの背中を見つめている。
 
 案内人としてあなたを導こうではないか。
 その実であなたは解放される。
 せめて安らかにと私は実を食すあなたを止めないだろう。
 このまま始まりを終え、終わりを始めようではないか。
 
 背後に立っている私の気配に気づくことなく、あなたは夢中で実をむさぼり続ける。
 
 あなたはやがて呼吸を止めた。
 
 私はあなたの亡骸に近づいて、半分になってしまった実を拾い上げ、口へと運ぶ。
 
 
 
「起きて! ねえ、起きてってば!」
 
 騒がしい声に目を覚ますと、銀色の瞳が僕を覗き込んでいた。
 
「レビト?」
 
 思わず口にした言葉に我ながら戸惑う。
 レビトとはなんだ?
 
「なあに、レビトって」
 
 彼女が可笑しそうに笑った。
 
 楽園は今日も小鳥がさえずっていて、暑くも寒くもなく、うららかだ。
 僕は寝たままの体勢でのんびりと伸びをする。
 
「いや、ごめん。変な夢を見ていて、まだ寝ぼけているみたいだ」
 
 そのままゆったりと身を起こす。
 作り物の空と、作り物の風と、作り物の草原が今日も僕たち二人を包み込んでいる。
 
 僕はあくびを噛み殺し、彼女に目覚めのキスをして再び草の上に寝転がった。
 
「で、どうしたんだい? イヴ」
「あのね?」
 
 イヴは悪戯っ子のように、ペロっと舌を出す。
 
「あたしね? 禁断の果実、食べちゃったの」
「なんだって!?」
 
 僕は慌ててしまい、すぐさま上半身を起こす。
 
「なんてことを! あれを食べたらこの楽園から追い出されるんだぞ!?」
 
 エデンの塔とか園と呼ばれるここには自由と平和が許されていて、与えられた掟は一つのみ。
 神の果実を口にしてはならない。
 これを破った者は偉大なる禁断の知恵と引き換えに楽園と安心を奪われてしまう。
 
 僕はイヴを責めた。
 
「なんでそんなことを!」
「だって」
 
 イヴは楽しくてたまらないという顔をしている。
 
「凄く珍しい蛇がいたんだもの」
「蛇?」
「そう、蛇。なんと言葉を喋るのよ」
「蛇がかい?」
「うん。その蛇がね? 実を食べちゃいな、って。すっごく面白い蛇なの。アダムも見に行こうよ」
「いや、しかし僕は」
「いいから、ほら! 禁断の実、素敵な味わいだったわ。アダムも絶対に食べるべきよ。蛇とも約束したの」
「なんて?」
「アダムを紹介するって。それにね? 本当に可笑しい蛇なんだから」
「可笑しいって、どう可笑しいんだ?」
「あのね? なんか、ちゃんと喋れないのよ」
 
 イヴが芝居がかった調子になり、蛇の口調を真似る。
 
「こ、ここ、この、この実を、実を、たた、た、食べると、い、いいよ。ここ、今度こそ、うう、うまく、うまくやるから」
 
 終わりはもう始まっている。
 そんな予感が僕の心に影を落とした。



 続く。

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2012
May 16
   最初の抱擁
 
 
 
「そなたのような人ならぬ者の血が赤いとは不可解な」
 
 女王は言って、笑います。
 彼女がけたたましい声を上げながら鎖を振るうと、男は顔面の痛みのために悲鳴を上げ、床を血で汚しました。
 男は後ろ手を縛られており、うつ伏せのような体勢で吊るし上げられています。
 服の一切は脱がされていますが、女王のせいで全身はくまなく赤く濡らされておりました。
 
「ははははは! 良い気味じゃ!」
 
 女王は、それはそれは嬉しそうです。
 しかし彼女の目は少しも笑ってなどいません。
 
「そなたのような愚者でも、さすがに自分のなにがどう悪いかを理解したであろう? 申してみよ。そなたの罪は何じゃ?」
 
 しかし男は呻くばかり。
 言語を発しようとはしません。
 
 女王はしゃがみ込むと、男の髪を掴んで顔を自分に向けさせます。
 
「痛みの余り、口が効けぬか。では少しばかり治してやろう」
 
 血に塗れながらも美しい手。
 それを男にかざすと、みるみるうちに傷口が塞がってゆきます。
 
「どうじゃ? 話せる程度には痛みが和らいだであろう? さあ言え。そなたの罪は何じゃ?」
 
 男はそれで、恐る恐る口を開くことになります。
 
「私の言葉が足りず、女王様に誤解をさせてしまうようなことを申し上げてしまいました」
「違うわ愚か者めが!」
 
 怒声と同時に鎖が飛びます。
 男の眼球に、それは強く当たりました。
 
 男は身動きを封じられているせいで、もがくこともできません。
 ただただ悲痛の声を上げ続けるばかりです。
 
 そんな男に、女王は何度も何度も鎖を振るいました。
 
「そもそもは! おぬしが! わらわの言を勝手に曲解し! 先走って! わらわに無駄な忠告をよこしおったのだ! 愚か者! 無礼者! そなた! 聞く耳がないのか!? わらわが! 祭り事を中止にするなどと! いつ申した!? 言え! いつ申した!? それを! おぬしは! わらわに! 祭り事を続行すべきと! 馬鹿者が! そういったとは! 祭り事の中止を! 提案した者に! 申せ! 愚か者! 愚か者! 愚か者!」
 
 女王が最も嫌うこと。
 それは言葉が通じぬことでした。
 説明の足りぬ者には「人に伝わらぬ言葉など言葉ではない」と責め、理解が及ばぬ者には「正確な言葉を正確に聞けぬ者は人ではない」と責めました。
 
 今から記す物語は、遠い遠い昔の、ある国の御話です。
 
 現代の巷では太古の男女が抱き合ったまま発見されたとか。
 その数は三組に及ぶと耳にしております。
 
 ですが、世にある抱き合った男女の遺骨は果たしてその三組だけなのでしょうか?
 いえ、そうではありません。
 未だに見つからぬ四組目があるのです。
 
 片方は男。
 片方は女。
 
 女は、誰よりも人に苦しみを与えたこの女王です。
 彼女には地位があり、名誉があり、富があり、足りぬ物などありません。
 その権力は天にそびえる巨大な塔を建設させるに至っております。
 
 全てを与えられ、何不自由ない暮らしを続けると人はどうなってしまうのでしょうか。
 通常の娯楽では満たされず、女王は常に拷問を行うこと快感を得ておりました。
 
 あまりに酷い拷問に耐えられず、自分の非を認めることで逃れようとする者は少なくありません。
 しかし女王は不敵に笑みます。
 
「そうかそうか。ようやく解ったか。おぬしがどれだけうつけ者なのか、ようやく解ったか。人はな、頭が良いから人なのじゃ。言葉の通じぬそなたはしたがって、人とは程遠い。人間以下じゃ。そのような馬鹿はわらわの国に要らん」
 
 そう言って、今度は死に至るまで何日間も苦しめ続けるのでした。
 
 どんなに酷く痛めつけられても、女王に逆らい続ける民も稀にいます。
 そのような数少ない人種にも、彼女は高らかに笑いました。
 
「ほう。ここまでわらわが尽くしても、まだ解らぬと申すか。おぬしほどの阿呆は珍しい。褒美に、先ほど潰したおぬしの目、見えるよう戻してやろう」
 
 男の両目にしばらく手をかざしてから、女王は部下に合図をします。
 すると、男の前には巨大な水槽が運ばれてきました。
 中にはおびただしい数の小魚が泳いでいて、まるで風に散る花びらのようです。
 
「見えるか? 西より取り寄せた人喰いの魚じゃ」
 
 水槽に肉を放り込むと、魚たちが一斉にむらがって喰らい、あっという間に骨だけが水底に沈みます。
 
「この魚、血の匂いを好む好む」
 
 女王の目が残酷な光を帯びました。
 
「おぬし、妻があったな? 連れてきてある」
「おやめください!」
 
 何かしらの悪い予感を察して声を荒げる男の顔を、女王は冷たく一瞥します。
 
「うるさい」
 
 言うが同時に部下の一人が手慣れた手つきで男に猿ぐつわを噛ませました。
 
 石だけで作られた地下の拷問部屋に、男の妻が通されました。
 彼女は男と同様に後ろ手を縛られ、一糸纏わぬ姿です。
 
「なかなか美しい女ではないか」
 
 女王はそして、部屋中を見渡します。
 
「誰か! こやつを犯したい者はおるか! 何人でも構わんぞ」
 
 おお、と声がして、兵士の数名が手を挙げます。
 
 満足したかのように女王は深く頷き、他人の妻を部下たちに与えました。
 男は「んー!」と何度も喉を鳴らし、激しく首を横に振り続けます。
 その表情は、女王が最も見たかった光景でした。
 
 女王は片手を自らの乳房に、もう片方の手を下腹部に忍ばせます。
 自身を愛撫しながら、恍惚とした顔で命じました。
 
「大臣を呼んでまいれ」
 
 やがて兵士たちが果て、男とその妻ががっくりとうなだれる頃、女王は舌舐めずりをします。
 
「おぬしの妻、おぬしが馬鹿なせいでずいぶんと汚されてしまったのう。言葉が通ずる程度の最低限の英知がおぬしにあればよかったのにのう」
 
 言われた男は顔を上げ、涙をいっぱいに溜めた目で女王を睨みます。
 
「ははははは! まだ怒れるとは気の強い男じゃ! だが安心せい。おぬしの女、たっぷりと清めてくれようぞ」
 
 女王の合図で女は吊り上げられます。
 彼女の股から兵士たちの体液がボタボタとしたたりました。
 
 女王は小さな刃を持ち、女の足に当て、すっと引きます。
 白い素肌に、一本の赤い線が引かれました。
 
 女は「痛い」と声を出し、男は再び激しく喉を鳴らせ、許しを乞うような表情を浮かべます。
 女王はそれを、当然のように無視しました。
 
「そなた、わらわの言いたいことが理解できぬのであろ? ならばわらわも解らんな。そなたが何を望んでいるのか、わらわには見当もつかぬ」
 
 そして女王は小さな刃を走らせます。
 薄く小さく、女の足の指を、足首を、膝下を、太ももを。
 女の足元では、白い物と赤い物とが混ざりました。
 
「この魚、血の匂いを好む好む」
 
 先と同じことを言う女王の目の先には例の巨大な水槽があります。
 男がそれに気づき、今までにない大声を喉の奥で鳴らしました。
 妻は泣き叫び、全身全霊を持って抵抗しています。
 
 女王はその悲痛な妻の声を男に聞かせるために、わざと彼女に猿ぐつわを使わなかったのでした。
 
 妻の下半身は赤く染められ、もはや肌の色をした部分がありません。
 暴れれば暴れるほど滴が散って、女王の服に紅色の染みを作ってゆきます。
 
 自分の口元に跳ねてきた女の血を、女王はうっとりと舐め回しました。
 
「やれ」
 
 ジャラジャラと鎖の音がして、女が吊り上げられ、水槽の上まで運ばれます。
 地下室は、嫌がる女の声と男の大きな唸り声でいっぱいになりました。
 
 女は少しずつ、少しずつ降ろされてゆきます。
 しばらくは足を上げて逆らっていましたが、やがて足の一部が水面に達してしまいました。
 魚たちがバシャバシャと、まるで喜ぶ子供のように激しく飛び跳ねます。
 女を中心に赤い物が広がって、水槽の中がどうなっているのか見えなくなりました。
 
 女の悲鳴がさらに高く、大きく響きます。
 男の唸りもさらに激しく、大きくなりました。
 女王の高笑いが止まりません。
 
 女はさらにゆっくりと、少しずつ、少しずつ降ろされてゆきます。
 その都度、魚たちが飛び跳ねました。
 
 女王は先ほど呼んだ大臣を自分の背後に立たせます。
 大臣は既に下半身を露わにしており、男の中心を突き立てると、そのまま女王の中で踊らせました。
 
 貫かれながら女王は喜び、白目を剥いて気を失っている女と、血の涙を流している男の顔を交互に見比べ、快楽をむさぼり続けます。
 
 女王と大臣が満足をする頃になると、男の妻は腰まで水に浸かっていました。
 着衣の乱れを整えると女王はふっと一息つき、尻まで伸びた美しい金髪をかき上げます。
 
 男の猿ぐつわを外すと、女王は優しげに言いました。
 
「先ほどはわらわの部下がそなたの妻を犯してしまったであろう? それはそなたが愚か者だからなのじゃが、だからといってそなたの妻を孕ますのはわらわの本意ではない。子ができぬよう、計らってやったぞ」
 
 女王の合図で滑車が動きます。
 赤く濁っていた水から、女の下半身が引き上げられました。
 
 それを見た男は一瞬押し黙り、しかしすぐに何もかもを吐き出すかのようなとてつもない絶望の悲鳴を上げます。
 
 女王は「次はそなたの番じゃ」と微笑み、愛用の鎖を手にするのでした。
 
 彼女は人の怪我や病を治すことができたので「愛の女神」などと呼ばれ、持てはやされてきましたが、実際は残酷な女でしたから民は安心して暮らすことなどできません。
 いっそ別の言語を作り、会話が通じないことを女王に知られないように工夫する者まで現われる始末です。
 
 しかし女王は「痛み」に興味深々。
 あまりにも拷問をしたいとき、彼女は町娘に扮して街を行き、理不尽を探すようにさえなりました。
 
 酒場で議論を交わしている最中、人の話を途中で遮った酒飲み。
 息子に解りにくい指示を出しておきながら、間違えたら怒るといったパン屋。
 
 城の中でも女王の目は光ります。
 会議の際、気にすべきではないどうでもいいことにこだわった者。
 現実に行ったらどうなるかの想像をせず安易に「こっちのほうが早い」などと間違った手段を提示した者。
 
 彼女の鎖は、多くの者に飛びました。
 
 一方、城の者も国民も、女王に対して油断をしなくなってゆきます。
 どういったことで彼女が怒るのかを観察し、研究し、逆鱗に触れぬよう努めたのです。
 おかげで、拷問死させられる者は一時的に減りました。
 
 そうなると今度は女王が面白くありません。
 以前は自分を怒らせる者をこらしめていましたが、今となっては拷問できないことが腹立たしいことなのです。
 女王の矛先はそこで、娯楽の世界に向けられました。
 
「そなたの舞台、見させてもらったが、あれは一体なんじゃ? なぜあのような下品な言動で民が笑ったのじゃ?」
 
 そのように喰ってかかり、議論を生じさせるのです。
 論争になればこっちのもの。
 噛み合わない会話が出てくるまで言葉を交わし、そこを指摘し、拷問部屋に連行するだけです。
 
「わらわが思うに、そなたの作は二通りの解釈ができるように思う。一つは同じ題材の作品に対して明確な反論を呼びかけるという考え。もう一つは――」
「恐れながら女王様、それは誤った見方にございます」
「わらわの話はまだ途中じゃ! 何故もう一方の説を最後まで聞けぬのだ愚か者めが!」
 
 この流れは非常に便利で、ごく自然に人を痛めるつけることができます。
 女王はすっかり味を占めてしまいました。
 少しでも評判に上ると、どんな娯楽でも進んで観覧するようになります。
 音楽、本、舞台、絵、踊り。
 彼女は様々なものを味わい、わずかでも生じれば疑問をぶつけ、言葉が通じぬという理由で表現者を殺してしまうので、結果的には様々な娯楽をこの世から葬っていきました。
 
 そんな中、ある青年の噂を耳にします。
 彼は物語の使い手で、書ではなく噺で人を魅了するとか。
 
「文字ではなく、物語を喋るのか」
 
 女王は興味を持ちました。
 言葉を使う者がどれほど自分との会話を成立させられるか、試してみたくなったのです。
 
「その者を呼んでまいれ」
 
 再び女王の瞳が残酷に輝き、人を屠るための鎖を手で撫でました。
 
 しかし彼女は結局、その青年を責め殺すことができませんでした。
 彼の繰り広げる物語が、とてもとても面白かったからです。
 それは次のような、壮大で神秘的な物語でした。

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   最後のアダム
 
 
 
「天使の殺し方を知っていますか?」
 
 唐突な質問にあなたは、「いえ、知りません。そもそも殺せるのですか?」とわずかにたじろく。
 
 廃墟となった石の教会は一枚の壁だけを残してほとんどが朽ちていて、天使と悪魔の戦争をモチーフにした絵画がかろうじて残り、今は太陽の光に照らされている。
 
「天使と悪魔は、同じ生き物なのです」
 
 案内人は眩しそうに目を細め、巨大な壁画を見上げた。
 
「同じ生き物ですって? これが?」
 
 あなたも同じく目線を上げる。
 空と二つの太陽と色あせた絵とを同時に眺めてあなたはどこか懐かしさに似た感覚を覚える。
 
 白い翼を持った天使はどちらかというと人間に近い格好に見えた。
 悪魔はというとまるで魔物のようで、黒い肌から角やコウモリと同じような羽を生やさせ、残忍そうな笑みを浮かべている。
 
「これのどこが同じ生き物なのです?」
 
 あなたが訊ねると、案内人は静かに目を伏せた。
 
「この絵は、思い込んだ人間によって描かれたものです。想像の絵なのです」
「あなたは本当の天使と悪魔を見たことがあるのですか?」
 
 しかし案内人はあなたの質問に答えない。
 
「影を刺すのです。天使も悪魔も、体を攻めても死なせることはできません。影こそが彼らの本体だからです」
「影、が?」
 
 その時に、親友の明るい声が背後からした。
 
「みみみ、見て、見て! こんなに、たくたく、たくさん」
 
 相変わらずのどもった口調に振り返ると、ホコリにまみれたあなたの友は満面の笑みで、両手には数々のガラクタを抱えている。
 あなたは呆れてしまい、檄を飛ばす。
 
「そんな物、どこかに捨ててこい!」
「ででで、でも、でも! けけ、剣も、剣もある!」
「本当か?」
 
 しかしそれは剣と呼ぶにはあまりに小さく、そしてくたびれている。
 あなたは「ないよりはマシか」と言って短剣を受け取り、親友は「ぼぼぼ、僕は、ささ、さ、刺さないでね」と、にんまりと笑った。
 絵の中にいる悪魔とは対照的な笑顔に、あなたも「にー!」と彼に歯を見せる。
 
「さあ」
 
 案内人は、いつの間にかあなたたちの背後にいた。
 
「旅を続けましょう。砂時計の塔はもうすぐそこです」
 
 あなたはうなずくと雑然と散らばった瓦礫を避けて歩き、荒野へと歩を戻す。
 砂漠を振り返ると、数日前に歩いていた草原や森、砂に刻まれた自分達の足跡、様々な景色が一度に見えた。
 遠くの物も、近くの物も。
 
 空の高さは無限に思えて、どんな鳥も雲も、太陽でさえもその高みには永久に到達できそうにない。
 そのことを、あなたは最近になって初めて知った。
 
 今日の風は、強い。
 しかしそれが乾いた風なのか、湿気た風なのか、あなたはまだ判断できないでいる。
 風に吹かれることに、まだ慣れていないからだ。
 
 そもそもあなたは、それまで空を見たことがなかった。
 あなただけではない。
 両親も友人も学校の先生も、あなたの街の住民は余すことなく、空を知らずに一生を終える予定だった。
 あなたの街には空がないからだ。
 
 全てではないにしろ、人類が滅んだのは三千年前だったとあなたは記憶している。
 歴史によれば太古の人々は多くいて、偉大な知恵を持っていたという。
 丸い大地の反対側にいる者にも意思を疎通させ、天を刺すかのような巨大な塔を次々と建て、月の地面にさえも足を踏み入れていた。
 
 滅びの理由は様々だったのか一つだったのかは誰もが憶測を口にしていて、あなたにはよく解らない。
 ただ理解できるのは、自分たちの暮らす街が先住民によって作られた地下の都市であるということだけだ。
 
 あなたの家も学校も、それぞれの商店も迷宮の中にある。
 そこには旧人類の英知が未だに生きていて、光の射す頃と闇の頃があった。
 昼と夜。
 あなたたちはそう呼んでいる。
 
「なあ、ラト。太陽を見たいと思わないか?」
 
 あなたが親友の名を口にした場所は、お気に入りの「木の部屋」だ。
 殺風景な白い壁に囲まれたその部屋にはレイヤの木が一本だけ立っていて、あなたは自分の家の次にこの秘密の部屋が好きだった。
 
「んん、んー?」
 
 ラトは大好物のマナをほお張りながら、あなたに澄んだ瞳を向ける。
 
「んななな、なあに?」
「太陽だよ、ラト。太陽。見てみたいと思わないか?」
 
 そう訊ねつつもあなたはラトに顔を向けてはいなかった。
 ある工作に熱中しているからだ。
 あぐらをかいて、足の上に置いた電球に装飾を施している。
 
「ぼぼ、僕は、ん僕はね」
 
 やっと食べ物を飲み込んだ友が言う。
 
「よよよ、夜。夜がみみみ、見たい。夜」
 
 外は三千年前からずっと死の世界のままで、その光景は想像に頼るより他はなく、もし仮に人が外気に触れればたちまち焼きただれて死に至ると強く教え込まれた。
 砂しかない外の世界の景色はだから、絵でしか見たことがないのである。
 
「夜、か」
 
 ラトの斬新とも取れる発言に、あなたは「こいつらしい」とある種の感心をする。
 空が見たいという発想ではなく、夜。
 
「だだ、だってさ、だってさ、夜は、ほほほ、星が見れるから、ほほ、星」
「星? 天空にいくつも浮いているっていう、あの星のことか?」
「そそ、そう! そう! そーう!」
「途方もない遠くで浮いているんだぞ? そんな物が見られるものか」
「み、見れるもん! みみみ、見れる! ほほ、本! 本に! 本にかか、書いてあった。本」
「本当か? もし見られるとしたら、それは明るくないと見られないんじゃないのか? なんで暗い夜だと星が見られるんだ?」
「そそ、それは、しし、知らない」
「馬鹿だな、お前は。それは本のほうが間違えているんだ。先入観、ってやつだよラト」
 
 いつしかあなたの工作の手は止まっている。
 再び作業に戻ろうと手元を見ると、部屋が少しずつ薄暗くなってゆくことに気がついた。
 
「ああ、そろそろ夜か。ラト、お前が好きな夜だよ」
「よよ、夜ー!」
 
 偽物の夜にさえ喜ぶ親友が好ましく、あなたはラトに「にー!」と笑む。
 ラトも、あなたと同じように顔をしわくちゃにして、「にー!」と大きな声を出した。
 
「さて、ラト。夜は光がないから夜なんだ」
 
 あなたが作った物は、大きな花のような形をしている。
 人目を忍び、街外れの天井から電球を一つ拝借して作った。
 自分の身長ほどもある木の棒にそれを取り付け、地面から伸びた黒いロープと繋がるようにしてある。
 
 もう少し装飾を懲りたかったのだが、「まあいいか」とあなたは思う。
 
「今を昼にしてやるよ」
 
 あなたは得意げに言って、むき出しになっている電球とロープとを繋げた。
 
 あなたさえも予想していなかった強烈な光が部屋中を照らし出す。
 
「おうおうわー!」
 
 ラトが両手で目を押さえ、転げまわっている。
 
「どうだいラト。太陽を作ってみたんだ。みんなには内緒だぞ」
「まぶまぶ! 眩し! まま、眩しい! でででも、すす、凄い!」
 
 その光は強すぎて、あなたも目を細めている。
 ラトは少しだけ、指の間から目を覗かせた。
 
「でで、でもでも、ぼぼ、僕は、よよよ、夜が見たい! 夜も作って」
「それは無理だよ、ラト」
「あああっ!」
 
 突然、ラトが叫び声を発した。
 あなたはすかさず、何事か、と思う。
 
 ラトはもう、あなたのことも小さな太陽のことも見てはいなかった。
 友は下から照らされたレイヤの木を興味津々に注目していて、どうやら夜を作れという自分の依頼さえも忘れ去ってしまったようだ。
 
「ああ、あれ! あれあれ! みみ、あれ見て! みみ」
 
 レイヤの木を見上げると、あなたはそこに赤い木の実があることを知る。
 ラトはそれを見つけて興奮しているのだ。
 苦労して作った太陽よりも、たまたま実っていた実に興味を持っていかれて、あなたはわずかに機嫌を損ねる。
 
「ねね、ねえ! ねえ! ああ、あれを、あれを、とと、と、取って! あれ!」
 
 駄目だ。
 そう言うために、あなたは口を開こうとする。
 
 すると突然、あなたの目は見えなくなった。
 光が消えただけなのだが、あまりにも急だったために、そして闇が完全すぎたために、あなたは自分の目が見えなくなったのだと錯覚を起こしたのだ。
 地面が無くなり、重力から開放されたような浮遊感も同時にあった。
 
 覚えているのはそれまでで、あなたは意識を失った。
 
 目が覚めると最初に風を感じ、次に青い空間が見えた。
 あなたがそれを空だと理解するには、少しばかりの時間が必要だった。
 
 ここには壁も天井も存在しないし、地面の広さに果てがない。
 異常な世界だった。
 
 巨人でさえも手を届かせられないであろう位置にたたずんでいる物が太陽で、その下にある形を変えない真っ白な煙が雲。
 限りなく広がる草木の床が大地で、さらに遠くに見える波のような影が山。
 そして、終わりのない空間が空なのだと、あなたはそれまで全く知らずにいた。
 
 砂漠を通過して森を抜け、あなたたちは今、大草原を進んでいる。
 
「あそこで休憩しましょうか」
 
 案内人が泉を見つけ、それを指で差した。
 泉の周囲には、いかにも果実が実っているであろう樹木が生い茂っていて、それを見たラトが歓喜の声を上げる。
 
「みみ、実ー! 実!」
 
 友のはしゃぎように、あなたは少し笑った。
 そして「実」という言葉から、あなたは初めてこの世界に来た日のことを回想する。
 
 あなたがあの時、どうして気を失ってしまったのかは未だ自分でも解らない。
 あの落下するような感覚はなんだったのか。
 どうやってこの世界に来たのか。
 
 あの日、目覚めた瞬間から、あなたにとってはこの現実こそが夢のようだった。
 
 上半身だけを起こすと見たこともない壮大な景色が周囲を覆っていて、あなたは未知からくる恐怖のせいで混乱をした。
 
「お目覚めになられたようですね」
 
 すぐそばから発せられた声に、あなたは鋭く振り返る。
 細身の娘がしゃがんでいて、あなたを見つめていた。

 

 続く。

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プロフィール
HN:
めさ
年齢:
41
性別:
男性
誕生日:
1976/01/11
職業:
悪魔
趣味:
アウトドア、料理、格闘技、文章作成、旅行。
自己紹介:
 画像は、自室の天井に設置されたコタツだ。
 友人よ。
 なんで人の留守中に忍び込んで、コタツの熱くなる部分だけを天井に設置して帰るの?

 俺様は悪魔だ。
 ニコニコ動画などに色んな動画を上げてるぜ。

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