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夢見町の史

Let’s どんまい!

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2017
December 17
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2012
May 13
   第一章 二人の抱擁が始まる
 
 
 
 またかしこまった店を選んだものだ。
 キャンドルの向こうに座っている彼は正装していて、なかなか様になっている。
 
「たまには背伸びして、夜景の綺麗なレストランで食事するってのはどうだい?」
 
 そう誘われた時は「最近はずっとお金がないって言ってたクセに」と意外に思ったものだ。
あたしと彼の休日といったら互いの意向から大きく外れない内容のDVDを借り、二人でのんびりと見るぐらいだし、たまに外出しても居酒屋で飲むぐらいで、デートらしいデートをしなくなってもう長いから、たまにはこういうのも新鮮で良い。
 
「たまにするから、贅沢は贅沢に感じるんだ」
 
 恩着せがましく言って、彼はメニューをこちらに差し出す。
 
 食前酒で乾杯をして、私はふと今朝のニュースを思い出した。
 
「ねえ。あのニュース、もう見た? 今度ので三組目だって」
「ああ、あの抱き合った遺骨ね。君は一組目が発見された時から興味深々だったな」
 
 最初の発見はイタリアでされた。
 まるで愛し合っている最中に亡くなったかのような体勢。
 互いを求めるように、愛でるように、抱き合った男女の遺骨。
 二人が果てた後、何者かにそのような体勢に寝かせられたのか、先立たれた方が後になって相方の遺体に寄り添ったのか、死を覚悟した二人が永遠の愛を誓い合って同時に人生を終えたのか、今となってはもう知るよしもない。
 あたしはその謎めいた太古の男女をテレビで見て、衝動的に身を乗り出していた。
 まるで自分のことのような、他人事ではないような気がしたのだ。
 
「すっごい素敵だよね」
 
あたしはうっとりとし、否応なしにロマンに溢れたドラマを空想してしまう。
 
「三組とも、どんな人生だったんだろう。どうにか解明されて映画にならないかなあ」
「自分で脚本でも書いてみたらどうだい? いい舞台になるんじゃないか?」
「あんたが書いてよ。あ、でもそのときのヒロインはちゃんとあたしをイメージしてよ? でないと脇役に回されちゃう」
「いいミュージカルになりそうだ」
 
 談笑していると前菜が届いた。
 あたしたちは行儀よく手を合わせ、頂きますと軽く頭を下げる。
 
 太古の遺骨には共通点があった。
 抱き合っている男女は三組とも、そこそこ若いらしい。
 どれも五千年から六千年前の住人だと推定されている。
 
 不可思議なのが、三組の発見場所が様々で散らばっていることだ。
 イタリア、アメリカ東部、エジプト。
 特定された地域での風習で遺体同士を抱き合わさせたのではなく、たまたま偶然それぞれの理由によって、抱き合う格好のまま白骨化したと解釈するべきだろうか。
 
「それにしてもさあ、五千年も昔、どんなことがあったんだろうねえ」
 
 食事の合間にも、あたしは遺骨の話題に夢中のままだ。
 
「ホント素敵。永遠の愛って感じでさ」
「そうでもないかも知れないぞ」
 
 彼がゆっくりとフォークを置く。
 
「彼らは、愛し合ったわけではないかも知れない」
「そりゃ、そうだけど」
「今から話すのは、とある夫婦の怖い話だ」
「急になに?」
 
 彼は前菜の続きを楽しむことなく、テーブルの上で両手の指を組み合わせ、肘をついて私を見つめる。

------------------------------
 
   振り向かざる者
 
 
 
「こんな遅くまで、ありがとうございました。馬車、手配しましょうか?」
「いえ結構。ここから遠くないので歩いて帰りますよ」
 
 診察にずいぶんと時間がかかってしまった。
 患者の自宅を訪問した時にはもう既に日が暮れていたから、きっと今頃は酒場も閉まっている時間帯に違いない。
 
 玄関まで見送ってきた主人に、「奥さんをお大事に」と告げる。
 自分で放った言葉が、私の胸を絞めつけた。
 
 ランプに火を灯し、コートの襟を立て、闇に向かって歩き出す。
 
 街は眠り、空気は冷たく、霧は深い。
 街灯の松明やランプのほとんどは消えてしまっている。
 いくら進んでも細い路地から抜け出すことができず、やはり馬車を頼めばよかったと私は若干の後悔をした。
 
 闇のせいだ。
 完全に自分の位置を見失ってしまった。
 
 手に持ったランプを胸の辺りまで掲げ、周囲を巡らせる。
 せめて現在地だけでも把握したい。
 
 明かりが、私の近くにある様々な物を照らす。
 酒樽や木箱、レンガの壁。
 
 住宅とアパートの隙間に白い影が浮かび上がり、私は手を止める。
 濃霧の夜中とはいえ、白いワンピースは目を引いた。
 
 女の後ろ姿だ。
 長い黒髪が揺れることなく垂れ、背中を隠している。
 
 建物の陰に女が黙って立っていた。
 足を組むでもなく、歩き始めるわけでもなく、ただ直立して体の正面を奥に向けている。
 私が持つランプの明かりのせいで影ができているはずなのに、女は微動だにせず無言のまま通りに背を向けていた。
 この肌寒さの中、上着も着ずに。
 
 背筋に鳥肌が立つ。
 先月見た時と全く同じ姿だ。
 そしてこの女は、やはり妻に似ている。
 
 妻が失踪したのは一ヶ月前だ。
 本屋で万引きと間違えられた時は、自分の潔白を証明した上で店員を責め返すような気の強い女だった。
 
「確かな証拠もないのに先走って人を決めつけることが不条理だと思うの。あたしにとってこれ以上ない侮辱よ」
「そう怒るなよ。その店員もちゃんと謝ったんだろう?」
「許すとか、許さないじゃないの」
 
 できることなら、あの明るい食卓をいつまでも体験し続けたい。
 あの頃に戻りたい。
 私は妻を心から愛していた。
 
 妻が行方不明になって三日目になると私は深夜を待ち、人目を避けるようにして家を出る。
 従者と馬車はあらかじめ街の郊外に待機させてあった。
私は大通りではなく、ひっそりとした裏路地を進む。
 迂回になっても構わない。
 誰かに見られるわけにはいかなかったからだ。
 したがってこの時の私は暗がりにもかかわらずランプを点けていなかった。
 
 闇の中でも白いワンピースは目を引く。
 積み上げられた木箱と物置の間にその女は立っていた。
 壁に前面を向け、ただ真っ直ぐに立っていた。
 私の足音に反応もせず、ただ立ち止まっていた。
 
 不気味に思いつつも急いでいた私はその場を足早に離れる。
 
 帰路につく頃はもう明け方で、うっすらと朝日が街を照らしだそうとしていた。
 私は街を出るときと同様、誰にも見られないように息を殺しながら狭い道を急ぎ足で進む。
 立ち尽くす女のことを思い出し、ふと物置の陰に視線を投げた。
 
 女は、まだそこに立っていた。
 何も言葉を口にせず、薄着のままで壁に向かっていた。
 その後ろ姿や服装が妻に似ていると、そこで初めて気がついた。
 しかし私は声をかけず、長い黒髪の前をそそくさと通り過ぎる。
 
 あれから一ヶ月。
 今、目の前にあの時と同じ後ろ姿がある。
 
 彼女にもし意識があるのなら、後ろでランプを掲げている私の気配を察しているだろう。
 では何故振り向かないのか。
 寒空の深夜に薄着のまま、何もない方向に体を向け、何をしているのだろう。
 普通なら誰も通らないこんな路地に、どうして居るのだろう。
 
 疑問が渦を巻き始める。
 
 この女は今、どんな表情を浮かべているのだろう。
 
 女の背中にそっと近づき、さらに照らす。
 後ろ姿はやはり妻とそっくりで、ワンピースの柄にも見覚えがあった。
 しかしこいつが妻のはずがない。
 あの頃にはもう戻れないのだ。
 
 出所不明の恐怖心をこらえ、私は息を飲んでから、ついに女に声をかける。
 
「君、どうかしましたか?」
 
 彼女はそれでも振り向かなかった。
 こちらに背を向けたままで返事だけをする。
 
「戻れない」
 
 頭の片隅にあった不安通り、妻の声と同じに聞こえた。
 意図せずに、私の喉の奥から小さく悲鳴が上がる。
 
 こいつが妻のはずがない。
 いくら背格好や服装、声までもが同じであっても、この女が妻であるはずがないのだ。
 
「貴様、一体誰だ!」
 
 怒鳴りながら、先月の出来事を思い出す。
 人目を避け、街から出た夜更け。
 この女の後ろ姿を初めて目にしたあの日、私は街の郊外で馬車に乗ると従者に告げた。
 
「夜分にすまんね。実は、妻は誘拐されたらしいんだ。今日になって脅迫状が届いていた。指定する時刻に、ある場所まで来い、と」
「本当ですか!?」
 
 従者は目を大きくし、馬にムチを入れた。
 
「一体どうして誘拐なんか。あんなにいい奥様を」
「それは解らない。とにかく街を出て、私が言う場所で降ろしてくれないか」
「かしこまりました。ところで旦那様、どうして雨具を?」
 
 雨も降っていないのに、私はこの夜レインコートを纏っていた。
 
「森の中が目的地らしくてね、コートが汚れないよう、着込んできたんだ」
 
 数十分も走れば道は木々に囲まれる。
 森を分断するように作られた道。
 このどこかに目指す場所がある。
 目印は木に立てかけられた鉄の棒で、赤い布が巻きつけられているはずだ。
 従者にそのことを教えると、彼はほどなくして目的の場所を見つけてくれた。
 馬車が減速し、やがて止まる。
 
「旦那様、ありました。赤い布付きの、鉄の棒です」
「ありがとう。君はここで待っていてくれたまえ」
「くれぐれもお気をつけて」
 
 馬車に背を向けたまま従者には片手を上げて応え、森へと入る。
 私はしばらく、木の陰でじっと身を潜めた。
 静かに顔を出すと木と木の間から馬車の松明に照らされた従者の横顔が見える。
 見れば見るほど彼は若く、整った顔立ちをしていて、そのことがさらに私の怒りを増幅させた。
 
「君!」
 
 私は息を切らせ、馬車の前に踊り出る。
 
「妻が……! 妻が……!」
「どうしました!?」
「妻が、殺されている」
「なんですって!?」
「一緒に来てくれ!」
 
 森の奥地に向かい、先導する。
 しばらく進むと、妻の亡骸が横たわっていた。
 
 私が殺したのだ。
 裏切り者の妻を、三日前にこの手で殺した。
 
「なんてこった……! 奥様が……」
 
 従者が遺体に駆け寄る。
 
 妻は白いワンピースの上に何も羽織っておらず、確認するまでもなく死亡していることが判る程度に顔面を負傷していた。
 
「奥様が……」
 
 従者ががっくりとうなだれ、その場にしゃがみ込む。
 彼の低くなった頭を、私は見下した。
 
「おいお前」
 
 語気が荒いので、自分に向けられた言葉だとは思わなかったのだろう。
 従者が顔を上げるまでしばらくの間があった。
 彼の目がようやく私を見る。
 そこには悪魔のように憤慨する、怒りに燃えた私の表情が映ったはずだ。
 
「お前、妻と寝ただろ」
 
 不思議そうな顔をした従者の顔を目掛け、私は一気に鉄の棒を振り下ろす。
 赤い布が素早く、宙に弧を描いた。
 
「私の女とそんなに寝たかったら、永遠に寝てろよ」
 
 気が済むまで殴って、彼の死体を妻と抱き合わせる。
 もしいつか誰かに発見されるようなことがあっても、これなら心中だと思われるだろう。
 
 馬車を走らせ、湖に凶器と返り血に染まった雨具を捨てて街に戻る。
 体は疲れていたが、興奮からなのかなかなか寝つくことはできなかった。
 
 二人を殺しても、腹の虫が治まることはない。
 あいつらは私を裏切っていた。
 浮気をしていたのだ。
 昔の患者が切り出した世間話が、発覚のきっかけになった。
 
「さすが人命を救う職業をされる方は奥様までご立派で」
「いえいえ、そう言っていただけると悪い気はしませんが、買いかぶりですよ」
「買いかぶりなんてとんでもない! 先生の奥様は従者にまで優しく接しておいでですし」
「と、言いますと?」
「いやね、こないだもお二人で買い物をしてまして、声をかけさせていただいたんですよ」
「ほほう、そしたら?」
「いえ、声をかけたと言っても挨拶だけです。楽しそうにしておられたので、邪魔をしたくありませんでしたから。いやあ、明るくて雰囲気のいい奥様で、羨ましい限りです」
 
 疑わしく思い、急患だと偽って外出し、私は密かに妻を見張った。
 そうして見たのは、市内で評判の良い高級宿に入っていく妻と従者の楽しげな笑顔だ。
 
 結婚して五年。
 あれだけ愛していたのに。
 あれだけ愛してくれていたのに。
 
 強く噛み締めたせいで、奥歯がかけた。
 
 帰ってきた妻に「おかえり」とも言わず、今日は何をしていたのかを問う。
 
「特に何もしてないわ。夕食の買い出しに行っただけよ」
 
 妻の無邪気な口調が余計に勘に触った。
 楽しそうに笑いやがって。
 私以外の男にも、その顔を見せたのか。
 
「嘘をつけ嘘を!」
 
 一声で喉が枯れそうになるほど私は取り乱し、拳を握った。
 そこからは、あまり覚えていない。
 気がつけば血にまみれた妻が横たわっていた。
 
 森まで死体を運び、私はあの忌々しい従者への報復を巡らせる。
 
 心中と見せかけて、死体を野晒しにしてやろう。
 
 その思いつきを実行してはみたものの、気分は晴れるどころか最悪なままだった。
 
 周囲には「妻に蒸発されてしまった男」としての毎日を送る。
 後日になって妻の妹が訪ねて来た。
 
「姉は、あなたを見捨てたわけではないと思うんです」
 
 彼女は最初にそう切り出した。
 
「姉とは、いつも手紙のやり取りをしていました」
「手紙?」
「ええ。『もうすぐ結婚五周年だから、主人に内緒でプレゼントを買った』と」
 
 結婚記念日のことを、そういえば私は忘れていた。
 唖然とする私の姿は、彼女には妻の身を案じているように映っているのだろう。
 義理の妹が私の心を案じるかのように続ける。
 
「ちょっと奮発して評判のいい宿を下調べするつもりだと、それは楽しそうに書いてありました」
「それは、いつの手紙です?」
「姉がいなくなる直前の物です」
 
 彼女は言って、私に封筒を差し出してきた。
 読んでいる間、私の手がずっと小さく震えていたのは後悔からなのか悲しみからなのかは解らない。
 
 私は、なんということをしてしまったのだろう。
 
 妻の部屋を調べると、引き出しからは小さな包みが見つかる。
 開封するとネクタイピンで「親愛なる貴方へ」とカードが添えられていた。
 
 今まで生きて、私はここまで自責の念に駆られたことがあっただろうか。
 妻は浮気などしてはいなかった。
 それなのに私は妻を、最愛の女性をこの手にかけてしまった。
 
「姉は、あなたを見捨てたわけではないと思うんです」
 
 妻の妹は、もう一度同じことを言った。
 
 私は取り返しのつかないことを仕出かしていたのだ。
 悔やんでも悔やみきれず、仕事に明け暮れることでしか理性を保てなかった。
 仕事に熱中することで、現実を忘れたかった。
 昼夜を問わずどこにでも駆けつけ、今夜のように深夜に帰ることも珍しくなくなった。
 
 あの頃に、妻と平穏に暮していたあの頃に戻りたい。
 
「戻れない」
 
 あれから一ヶ月。
 私は今、聞けるはずのない声をこうして耳にしている。
 
 間違いない。
 今は亡き妻と同じ声だ。
 この背中の持ち主は、やはり妻なのだろうか。
 いや、そんなはずはない。
 死者は絶対に還らない。
 それは医者でなくとも知っている前提だ。
 
 再度、私は震えた大声を出す。
 
「お前は誰なんだ!」
 
 女の肩を掴み、乱暴に引き寄せる。
 冷たく堅い感触がして、慌てて手を離した。
 
 途端、意識が遠のく。
 
 女の顔がこちらを向いた。
 血だらけの顔面は腫れ上がり、怒りの形相凄まじく、焦点の合わない瞳で私を睨みつける、それは間違いなく妻の顔だ。
 妻の、鮮血まみれの死に顔だった。
 錯覚などではない。
 薄れつつある意識でも判別ができる。
 やはり妻だった。
 
 大きく見開いた妻の目から視線を外すことができない。
 私は声を振り絞った。
 
「許してくれ」
 
 妻の腫れた口元がパリパリと音を立て、ゆっくりと動く。
 
「許すとか、許さないじゃないの」
 
 そうだよな。
 そう返したかったが、私にはもはや喋ることさえできなかった。
 視界が白く染まり、足の力が抜ける。
 
 妻が私を許すはずがないのだ。
 そのことを私は最初から知っていた。
 
「確かな証拠もないのに先走って人を決めつけることが不条理だと思うの。あたしにとってこれ以上ない侮辱よ」
 
 回想の中から届いた声なのか、今目の前にいる亡霊の言葉なのか、朦朧としている私には区別ができない。
 私は膝をつき、ついに倒れ込む。
 石の地面に頬が触れたが、冷気をも感じ取ることができない。
 地面に打ちつけた際にはもはや痛みすらもなかった。
 まだ目蓋を閉じていないのに目の前は真っ白で何も見えない。
 
 このまま死ぬのなら、せめて私が妻と抱き合って果てたい。
 
 最後の願いが叶わないことも、私には判っていた。
 妻の遺体は今も、従順で罪のない従者と共に森の中にいる。



 続く。

拍手[60回]

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2012
February 11
※今作には残虐な表現や性的描写が含まれています。
 お読みになられる際は充分なご覚悟のほど、よろしくお願い申し上げます。

 前編
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/465/

 中編
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/466/

------------------------------

 夜が深まった頃に男が女の部屋を訪ねる理由はそう多くはないでしょう。
 大臣がいそいそと、抑えきれない欲情を胸に扉の前に立ちます。
 美しく、深く彫られた獅子の彫刻は鉄の輪を咥えており、大臣はそれを手に取ってそっと3度扉を叩きました。

 中から女王の声が聞こえます。

「誰じゃ」
「わたくしめにございます」

 普段ならここで「入れ」と言われ、そのまま情事に励むのですが、この晩は違いました。

「わらわは疲れておる。用があるなら明日に聞く」

 大臣が女王にどんな用事があるのか、いつものことなので彼女は解っているはずです。
 今宵は月に1度の女の日でもありません。
 にもかかわらずこの言い草。
 大臣にかすかな違和感を与えました。

 鎮められるとばかり思っていた自分自身を慰められないのは大臣にとって思いもよらぬこと。
 すぐに戻る気が起きようはずもありません。

「女王様、愚民をこらしめるための新たな道具の話でもしませぬか」

 すると扉の向こうから「くどい」と苛立った声がしてきます。

「わらわは疲れておると言っているのだ。2度言わせるようなら、おぬしが考案した道具を全ておぬしに使うぞ。下がれ馬鹿が」

 こうして大臣が覚えた違和感は、さらに膨らみを増すのでした。

 女王はというと、部屋で多くの書を貪るかのように読み漁っています。
 様々な病気を取り扱った本。
 薬草について詳しく書かれた本。
 血を良くするための食事の作り方が書かれた本。
 それら多くの書は女王の寝台の上で山のようになっています。

 約束の日になると、いつものように物語の使い手が閲覧の間まで訪ねてきました。
 女王が彼に言います。

「今日は物語を聞かせずとも良い。城外の散策をいたす。供をせい」

 護衛を付けず、人目を忍ぶかのように青年を連れ出しました。

 湖の畔では鳥の鳴く声が遠くでするだけで静かなものです。
 切り倒された大木の幹に、2人は腰を下ろしました。

「愛の女神とまで称されるわらわに治せない病があっては沽券にかかわるからのう。家臣たちの目に届かぬほうが好都合じゃ」

 女王はそのように切り出します。
 彼女は次々と薬草や瓶詰めにされた薬品を取り出しました。

「そなた、これらの薬は試したことがあるか?」
「その問いに質問で返す無礼をお許しください。これらは一体…?」
「どれも血に効く物ばかりじゃ。わらわ、普段は自分の力で傷も病も治せるゆえ、知識がなくてのう。書物を久しぶりに読んだ」

 薬草や薬を家臣に取り寄せさせれば、「なんでも治せるはずの女王が何故このような物を欲するのだろう」と不思議に思われてしまいます。
 なので彼女は庶民に成りすまし、自ら町まで買い出しに行っていたのでした。

「そなた、これら全部持ち帰って試せ」
「恐れ多いお心遣い、痛み入ります」
「そなた独り者であったな? 食はどうしておる?」
「は。自分で作ることもあれば、宿の食堂を利用することもありまする」
「それはいかん。日頃の食にも注意を払え。治療にならずとも、悪化を食い止めることぐらいにはなろう」
「勿体無いご忠告、誠にありがとうございます」
「そうだ。そなた城まで馬で来ていたな? それ以外は歩くのであろう? 血の巡りが早くなっては身体に悪い。これからはわらわがそなたの住まいに出向いてやる。そなたは横になって物語を話せ」

 彼は内心、とても大きく驚きました。
 青年の病気をしっかりと理解していなければ、この薬草も、あの忠告も出ようはずがないからです。
 女王が陰でどれだけの本を読んだのか、容易に察することができました。

 だからこそ、女王は知っているはずです。
 様々な手を尽くして、命を1日伸ばすことはできても、死は確実にやってきてしまうことを。

 この日は夕刻まで世間話をし、青年は何度も女王に礼を言って帰路についてゆきました。

 それからというもの、女王は護衛をつけぬまま青年の家に足を運ぶようになります。
 歓迎のための茶を用意すようとすることさえ、女王は許しません。

「そなたは寝ておれ。茶など飲みたい気分ではない。それより、薬はまだあるか? そろそろなくなる頃かと思ってな、新しいのを持ってきた」

 薬草を手渡す女王のその指先が傷だらけで、青年は疑問の念を抱きました。

「女王様、お手に怪我を」
「構うな。それより、今日はどんな物語を聞かせてくれるのじゃ?」

 青年の寝台の横に椅子を持ってきておいて、彼女は長いようで短い物語を堪能します。
 今日の噺も、とても楽しむことができました。

「面白かった。褒美じゃ。台所を借りるぞ」

 女王は立つと、鞄を手に調理台に向かいます。

 何を始めるのかと好奇心が湧いて青年が密かに覗くと、なんと女王は一生懸命に本を見ながら、料理を作っているではありませんか。
 食材を見ると、どれも血に良いものばかり。
 慣れない手つきで山菜を刻み、苦労して火を点け、湯を沸かしています。
 青年はそっと場を離れ、寝台で横になって待ちました。

「できたぞ」

 女王がシチューとパンを青年の部屋まで運んできました。
 手の傷がさらに増えたのか、指先には薄く包帯を巻いています。

「さあ食せ。ただし、わらわの力で人が治せないことが民に知られたら、ただではおかんからな。薬草のことも食事のことも、決して他言するなよ」
「承知いたしました」
「よし、では喰おう」

 それはお世辞にも美味と呼べるものではありませんでした。
 肉は固く、野菜の形は歪で、風味も良くありません。

 一緒に食べている女王もそう感じて、「身体に悪くないのだが、美味くないな」と悲しげな表情を浮かべます。

 しかし青年は断じました。

「たいへん美味しゅうございます。このように美味なる料理は今まで口にしたことがございません」
「そうか!」

 女王が嬉しそうな顔をしました。

「城の調理場で練習した甲斐があった! 今度はもっと美味くなるようにするゆえ、楽しみにしておれ」
「ありがたき幸せ。いやしくも、全て平らげさせていただきます」
「うむ。遠慮するでないぞ。そなたの病が治ったら葡萄酒を飲もう」

 青年にとって孤独ではない食事は久しぶりで、それはとても心温まる一時でした。

 女王はそれからというもの、毎日のように青年の家に通います。
 中には物語を所望せず、ただ会話をするだけという日もありました。

「のう、そなた将来の夢はあるのか?」
「今は死を待つだけの身ゆえ、夢など持ち合わせてはおりません」
「そう言うな。愛の女神の名にかけて、必ずそなたを治す。いつまでもそなたの物語を聴きたいからな。最近はな、わらわ、治す早さを上げようと思ってな、今まで以上に癒しの力を民に振るっておる。いずれ、そなたの悪い血が巡るより早く全て治癒させるゆえ、安心せい」
「恐れ多いお言葉、重ね重ねありがとうございます」
「で、そなたの夢はなんじゃ?」
「そうですね。以前は、ささやかながら家族を持ちとうございました」
「ほう」

 人が家族を欲する心も、それを大事に想う気持ちも、女王は知識として知っています。
 その気持ちを拷問に利用していたからです。
 どうやらこの青年も、人として当たり前の願望を持っているようです。

「そうか、家族か」

 女王は拷問以外のことで、初めて家族について考えを巡らせたのでした。
 どんなに力を施しても、青年の命を大きく伸ばすことはできないことを、女王は既に察していたからです。

 一方、城内では不穏な空気が漂っていました。

「この頃は女王の様子がおかしい」
「護衛もつけず、行き先も告げずにどこかに通っている」
「拷問をしなくなったばかりか、癒しの力を民にまで振舞うようになった」
「あれだけの傲慢、それで許されるわけでもあるまい」
「私は人前で怒鳴られ、恥ずかしい想いをさせられたことがある」
「私など目の前で家族を苦しめられ、殺された」
「私など、妻が産んだばかり赤子を丸焼きにされた。それを皆の見守る前で、妻と一緒に喰えと命じられたのだ!」
「いつまた横暴な女に戻ることやら」
「今の女王は油断をしている」
「恨みを晴らすなら今だ」
「殺してしまうなら今だ」

 進んで指揮を振るったのは、大臣でした。

 そんな相談がされているとは夢にも思わず、女王は今日も青年の家まで足を伸ばします。
 この日の彼女は、特に嬉しそうにしていました。
 いつものように物語を楽しんで、前もって調べておいた身体に良い食材を使い、不器用ながらも料理をして、そして次に逢う約束をします。

「のう。そなたさえ無理でなければ、たまには日の光に当たらぬか」
「もちろん喜んで。お供させていただきます」
「いつか行った湖、覚えておるか?」
「はい、覚えておりまする」
「あのそばに小さな教会があってな。今はもう使われておらぬ。明日はそこで逢おうぞ」
「かしこまりました。楽しみにしております」

 こうして翌日、教会を訪れた青年はその目を大きく見開くことになります。

「女王様、そのお姿は一体…?」
「ふふ。驚いたか」

 女王は純白のドレスを身に纏い、王冠ではなくティアラを被って、手には小さな花束を持っているではありませんか。

「そなたの願い、叶えてやろうと思ってな」
「そんな、恐れ多い!」
「わらわが妻では嫌か?」
「とんでもございません! ですがわたくしには荷が勝ちすぎます」
「なに、そなたに王になれと言っているわけではない。普通の家庭を持ちたいのであろう? ただの真似事かも知れぬが、わらわ、そなたの妻になってみとうなった」
「し、しかし…」
「指輪もな、町の鍛冶屋に作らせた。わらわの指に嵌めよ」

 女王は2つ、小さな箱を青年に差し出します。
 彼女は「そなたの指には合うじゃろうか」と心配していましたが、指輪の大きさは調度良く、青年の薬指に収まりました。

「よかった! ぴったりじゃ! 本当は牧師を招きたかったが、わらわの身分が知られたら困るでな。2人きりで式を挙げようぞ」

 そして女王は青年の目を心配げに覗きます。

「そなた、嫌ではないか? わらわ、そなたの妻になっても良いか?」

 青年が見つめ返します。

「まさか夢が叶うとは思っておりませんでした。わたくしの妻は、わたくしの最後を看取らねばなりません。苦労なさいますよ?」
「覚悟しておる」

 そして2人は口づけを交わします。
 この一瞬が永遠に続きますようにと祈りを込めて。

「女王様!」

 教会の扉が大きな音と共に開くと同時に、男の大声がしました。

「ここにおられましたか!」

 それは城の兵隊長でした。
 一体何があったというのか、彼は何本もの矢を背中に受けており、もはや柱に寄りかからねば自力で立つこともままなりません。

 女王が目を見張ります。

「どうした!? なにがあったのじゃ!?」
「お逃げください! 謀反です!」
「なんじゃと!?」
「城の者共が貴方様を殺そうと、ここを目指しております!」
「なんと! 大臣は何をしておる! あの無能めが!」
「その大臣が、女王様を裏切ったのです」
「くッ! あの馬鹿め! さっさと殺しておけばよかったわ!」

 そして兵隊長は最後に「お逃げください」と目を閉じました。

 青年が女王に駆け寄ります。

「わたくしの馬で逃げましょう!」

 森を抜けようと、一頭の白馬が駆けています。
 日はもう落ちていて、女王たちの背後にはおびただしい数の松明の火が。
 城の馬は訓練されており、とても速く走ります。
 追っ手はもうすぐ女王たちに届こうとしていました。
 手綱を握る青年に覆いかぶさるようにし、女王はしがみついています。

 ドスッと肉を刺す音を、女王は自分の体内から聞きました。
 同時に冷たい金属の感触が背中から入って、それが胸の中で止まります。
 追っ手の放った矢が、とうとう自分に届くようになってしまいました。

 彼女はさらに大きく背を伸ばし、青年の背後を覆います。

 ドスッ!
 と、もう1本の矢が女王の背に。

 矢は馬にも当たっているようで、白馬は走りながらびくんびくんと時折震え、徐々に速度を落としてゆきます。

「あの砦に逃げ込みましょう!」

 青年がレンガ作りの廃屋を見つけ、そこで馬から降りました。
 2人を降ろすと白馬はうずくまり、そのまま横になります。

「すまない」

 馬の顔を撫で、青年は女王の手を取って建物の中へ。

 そこは大変暗かったので、青年は火打ち石で壁のランタンに火を入れます。
 わずかに明るくなったのを見て、青年はその場に片膝をつきました。

「大丈夫か!?」

 女王が駆け寄ってきました。

 青年が儚げに微笑みます。

「包み隠さず申し上げます。このような大変なときに申し訳ございません。わたくし、どうやら先立つときがきたようです」
「なにを馬鹿なことを!」

 女王が青年を抱きかかえるようにしました。
 それに応えようと、彼も女王の背に手を回します。
 それで青年は女王が矢を受けていたことを知りました。

「女王様! 背に矢が!」

 なんとか身を起こし、青年は女王を振り向かせます。

「2本も刺さっているではありませんか! 今抜きます! ご自身をお治しください!」
「いや、それには及ばん」
「何故です!?」
「矢には返しがついておる。抜けばさらに肉が避け、わらわはすぐに死んでしまうであろう」
「ですが、矢を抜いて癒しの力をお使いになれば!」
「できぬ」
「と、申しますと?」
「不便なものよ。そなたの病気以外に、わらわが治せぬものがある」
「そうなのですか」
「うむ。わらわ自身は、何故だか治すことができん。この傷も治せぬ」
「だったら何故! 何故わたくしをかばったのでございますか!」
「そなたを想うことで起こるこの胸の高鳴りも、治すことができんからじゃ」

 それに、と女王が続けます。

「そなたが痛がる姿、わらわが見たくなかった。わらわの自分勝手でやったことじゃ」
「しかし!」
「なに、構うな。どうしてわらわが以前から人を痛めつけることに興じたと思う?」
「己の欲求ではないのですか?」
「そうじゃ。その欲求はどうしてあったのか、解るか?」
「人を思い通りに拷問できる立場であったからではないのですか?」
「それはただの環境にすぎぬ。わらわはな、痛みが何なのかを知りたかったのじゃ」
「どういうことでございますか」
「わらわは元より、痛みを感じぬ身体を持って生まれてきた。痛いというのがどういうことなのか、わらわにはどうしても解らぬのじゃ」

 ランタンの微かな光が、女王の微笑みを照らしています。

「だから、わらわは痛うない。案ずるな」

 青年はそれで、そっと女王の背にある矢から手を離しました。

「貴方に、謝らねばなりません」
「なんじゃ?」
「わたくしは、貴方に近づくために物語を語ることを始めました」
「それを知ったときは嬉しかったものよ」
「ですが、それはあなたへの恨みを晴らすため」
「恨み?」
「はい。いつぞやは、手投げの矢を娘の腹に投げさせられた商人の噺をさせていただきました」
「覚えておるよ」
「あれがわたくしの兄です」
「そうであったか。ではこの矢を引き抜くなり、もっと深く突き刺すなりするがいい」
「それはしませぬ」
「何故じゃ。絶好の好機じゃぞ?」
「わたくしの復讐は、貴方から愛する者を奪うこと。この短い命を使ってできることといったら、それしか思い浮かばなかったのです」
「そうか」

 女王はそれで、過去にした様々な拷問を思い返しました。
 目の前で愛する者に死なれる悲しみは、かくにも重たく強大なものだったのでございます。

「わらわにも、少しは痛みが解ったかも知れぬ。そなたに出逢えてよかった」
「わたくしは後悔しております。貴方に逢うべきではありませんでした」
「そうなのか?」
「ええ。復讐などするものではありません。貴方に愛されようと振舞ううちに、こちらが先に愛してしまったのですから」

 言うと青年は、そっと女王に唇を重ねます。
 女王はそれで、今まで堪えてきた涙を溢れ返させました。

「嫌じゃ! そなたが死ぬのは嫌じゃよ!」

 自分の身分など忘れ、彼女は泣いて泣いて泣き喚きます。

「そなた! 死ぬでない! わらわを悲しませるな! これは命令じゃ! そなたが死ぬのは嫌なのじゃ! もし死ぬというなら、先にわらわを殺せ! わらわ、そなたと一緒に死ぬ! 頼むから先に逝くでない!」

 青年はすると、力強く女王の胸ぐらを掴み、乱暴に顔を引き寄せました。

「甘ったれるんじゃない!」

 青年は最後の力を振り絞って、腹の底から怒鳴ります。

「貴方が今まで殺した者は皆、今の貴方よりも苦しんだのです! 散々人を責めておいて、自分が悲しむのは嫌!? なにを都合の良いことを! なんとみっともない!」

 赤く充血した彼の目は、女王へと真っ直ぐに向けられています。

「貴方、それでも私の妻ですか!」

 そして、ふっと力を緩め、女王の胸元から手を離し、代わりに彼女の頬を撫でます。

「貴方は優しい人です」

 そんなことを今まで誰からも言われたことがなくて、女王は激しく狼狽しました。

「優しい…? わらわが、優しい…?」
「そう。いつか、生まれ変わりの話をしましたね?」
「うむ。覚えておる。そなたの話は全部覚えておるよ」
「あなたは生まれる前に、天国で色んな人と約束をしていたのです」
「約束?」
「人はこの世に生まれ落ちる前に、自分自身への試練を自分で用意するのです。人生の中で否応なしに降りかかってくる不幸は、実は他者によるものではありません。前もって他の魂に頼み、自分自身で準備していたものなのです」
「では、わらわが拷問死させた者共は、あの世でわらわに頼んでいたというのか? 自分を苦しめて殺してほしいと」
「はい、そうです。苦労をすればするだけ、天国や来世で幸せになれますからね。しかし、誰もがそんな不幸を与える役を引き受けようとはしません。人を不幸にすればするほど、死んだあとに罰を受けねばならないからです。貴方が今まで大勢を苦しめて殺したということは、自分が罰を受けると知りながらも、自ら損な役を買って出ていたのですよ」
「優しいのは、そなたじゃよ」

 自分が死ぬ間際に、妻を安心させようとそんな作り話をするのじゃからな。
 その言葉を、あえて女王は口にしませんでした。

「そなた、そろそろ死期か?」
「ええ、そのようです」
「楽しかった」
「私もです」
「そのまま目を閉じて、聞いていてくれ」

 彼女は夫を横たえ、子守唄を唄う母のようにその髪を撫でます。

「わらわ、これから何度も生まれ変わって、罪を償うよ。様々な者を殺した分だけ、大勢の命を助ける。苦しめた分だけ、楽をさせる。わらわ、娯楽も多く奪ってしまったな。わらわが奪ってしまった分だけ、踊り、描き、唄って人を楽しめてゆくよ。そうじゃ。そなたと同じく、物語も作ろう。書を書いたり、話して聞かせてゆこう。そうやって、全ての償いが済んだら、そのときは、改めてわらわを妻に貰ってやってくれ。改めてわらわに物語を聞かせてくれ。約束じゃぞ。何千年かかっても必ず、わらわは罪を償う。そうしたら、また出逢っておくれ」

 夫に口づけをすると、彼はもう冷たくなり始めていました。

「また逢おう」

 外には大勢の兵士たちが弓を構えているはずでした。
 ここに踏み込まれては、夫の亡骸までどうされてしまうか解ったものではありません。

 彼女はそっと夫の顔を撫でると、その場を立ち、砦の出口に向います。
 最初の償いを果たすために。

 さて、それから数千年も時が過ぎれば、人々の暮らしは大きく変化しています。
 馬を使わない鉄の車がたくさん町を行き来し、栄えた場所は夜になってもまるで昼のように輝いています。

 多く立ち並んでいる高い塔の1つでは、若い男女が食事を楽しんでおります。
 2人は抱き合った太古の遺骨が3組も発見されたという話題に夢中。

 男は画像でその亡骸を見て、その者たちがどのような人生を送ったのかを話し、女はそれを夢中で聴きます。
 やがて3組全ての話が終わると、男はこう告げるのでした。

「実は、4組目の話があるんだ」
「え? 4組目?」
「そう。でも、まだ発見されてない。」

 どうして発見されていないにもかかわらず、その話を男が知っているのでしょうか。
 女が問い詰めます。
 すると、男はわずかに緊張しました。

「4組目は、まだ生きていて、白骨化していない。ってのは、どうかな?」
「何よ、『どうかな』って」
「君に、プロポーズがしたいんだ」
「へ?」
「ここで格好良く、『俺たちが未来で4組目になろう』なんて言えたらいいんだけどね。でも、我ながらキザっぽくって」

 彼が上着の内側に手を忍ばせ、小さな箱を取り出します。
 男は気恥ずかしいような、それでいて誇らしい気持ちであるようでした。
 女に胸を張ります。

「ちゃんとベタに、給料3ヶ月分だ。律儀だろう?」

 それはそれは、とても綺麗な月の晩でした。
 その美しさときたら、まるで数千年前の、あの夜のよう。



 ――了――

 参照リンク「永遠の抱擁が始まる」
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/17/

拍手[49回]

2012
February 06
※今作には残虐な表現や性的描写が含まれています。
 お読みになられる際は充分なご覚悟のほど、よろしくお願い申し上げます。

 前編
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/465/

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 女王がその言葉を発するのは初めてのことでした。

「そなたの話は面白い。もっと聴かせよ」

 特に悪い点のない娯楽、または女王にされた指摘を綺麗に切り返せた表現者はそれまでに何人かいて、そう いった賢き者は死に追い込まれることがありませんでした。
 かのようにして生き永らえる者はあったのですが、女王から賛美の言葉をかけられた者や他の作品を求められた者は、それまで1人たりともおりません。
 次の話を所望された青年が幸運かどうかは解りませんが、彼は女王にとってとても珍しく、特別な者であったようです。

「承知致しました。それでは、そうですね。太古にあった戦争の御話などいかがでございましょう? ある王が大剣を振りかざし、たった1人で様々な国を制してゆく物語にございます」
「よし、話せ」

 青年の語る物語は、女王の興味を非常に駆りたてました。
 ある話は新鮮で、ある話は痛快。
 またある話は刺激的で、ある話は神秘に満ちています。
 青年は次々に物語を繰り広げてゆきました。

 最初、椅子に深く腰を下ろし、軽く頬杖をついていた女王ですが、いつしか身を乗り出し、その目を大きく見張って青年の話に没頭しています。

「かのようにし、その2人は園から追い出され、この地に住まうことになったのです」
「それで、裏切りの魔王はどうなったのじゃ?」
「彼もまた、男女と同様にこの地に堕ちました。力の全てを奪われた後に」
「では今もどこかに魔王はいるのか。面白いのう。是非とも逢ってみたいものじゃ」

 あくる日もあくる日も、青年は物語を語ります。
 女王は人を悶絶させたい衝動など忘れ、ずっと耳を傾けています。
 青年はまるで竪琴を奏でるかの如く、流れるように言葉を紡いでゆきました。

「その男は言葉が足りないばかりか人の話さえも解しません。美しき姫は道理に合わぬことを許しませんから、その商人をひっ捕らえ、痛み渦巻く地下の部屋へと連れました。
 男はこれから自分の身に降りかかる苦痛を予感し、止めてほしいと哀願します。自分には大切な1人娘がいるのだと。結婚したばかりで子を宿しているのだと。だから無傷で帰りたいのだと言い出します。その言がまたしても説明になっていなかったので、姫は怒って笑いました。
『孕んだ娘がいるから無事に帰りたい? 意味が解らんわ! 娘がいようといまいと関係なかろう! そんなに許してほしいなら、この15本の手投げの矢を全てあの的に当てよ』
 指差す先には壁があって、そこは色とりどりに塗られています。 花畑のようなその壁には丸い印があって、的として盛り上がっておりました。大の大人が両の手を結んで作った輪ほどの大きさです。そこにはいやらしく笑う魔人の絵が描かれてありました。
 姫が合図をすると楽団が高らかに陽気な曲を奏で、姫は男に『心して遊戯せよ』と命じました。
 1投、また1投と商人は小さな矢を投げてゆきます。1本でも外れてしまえば殺されてしまいますから、その様はとても必死でござました。
 ところが、途中で投げた矢が的に刺さらず、床へと落ちます。商人は青ざめて『お許しを』とひれ伏しました。しかし意外にも姫は寛大で『気にするな。1投ぐらい大目に見てやろう。今1度投げよ』と自ら矢を広い、男に手渡してあげるのです。
 商人はそれで安堵し、やがて全ての矢を的に当てました。
『見事じゃ!』と姫が笑います。男はそれでさらに安心しました。しかしすぐ、男は大きな声で泣きじゃくることになるのでした。
 明るい曲が止まり、兵士たちが彩り豊かな壁をどけると、そこには若い女が柱に括りつけられているのが解ります。
 姫が高らかに言います。『娘がいるから無事に帰りたいのか、娘が子を宿しているから無事に帰りたいのか、おぬしの言いたいことがさっぱり解らぬが、両方ともいなければ問題なかろう? おぬしが自ら排除したのじゃ。これでもう、家に帰らずとも良いな?』
 男が的だと思って矢を突き立てていた物は、落書きを施された1人娘の膨れた腹だったのでございます」

 その話をとても不思議に思ったので、女王は青年に問いました。

「そなた、その話は本当に自分で作った物語か?」
「その問いに答える前に、わたくしに遊戯の提案をさせていただけませぬでしょうか?」
「許そう。なんだ?」
「質問の合戦にございます。女王様の問いに答えたら、今度はわたくしの問いに貴方様がお答になる。これを交互に繰り返すのです」
「ほう、面白い。乗ってやろう」
「ありがたき幸せ。では先の問いの答えを申し上げさせてくださいませ。今した噺は、わたくしの想像によるものではございません」
「ふむ。では、そなたが問う番じゃ」
「お訊ねします。何故、この噺が私の作ではないと気づかれましたか?」
「心当たりがあるからじゃ。では、わらわの番じゃな? そなたの物語、必ず最後に人が死んだり国が滅ぶのう。何故じゃ?」
「そこにお気づきになるとは、女王様の才にはつくづく思い知らされます」
「世辞も達者よのう」
「わたくしの物語は、わたくしが考え出すものではなく、亡骸が教えてくれるのでございます」
「亡骸が? どういうことじゃ?」
「恐れながら申し上げます。女王様、問いは交互とさせていただいております」
「おお、そうだったな。今のはわらわの失言であった。許せ」

 ただの平民に謝罪をするのは初めてのことでしたが、女王は何1つ嫌な気がしません。
 そのことが、自分でも不思議でした。

「お訊ねいたします。女王様は、今まで殺した者のことを覚えておられますか?」
「忘れることもあれば、思い出すこともある。で、 亡骸がそなたに物語を伝えるとは、どういうことじゃ? 詳しく申せ」
「は。女王様に癒しの力があるように、わたくしにも特別な力がございます」
「ほう」
「人の亡骸を見ると、その者が生前にどのような道を歩んでいたのか、まるで自分の思い出であるかのように知れてしまうのです」
「なるほどのう。先の話は、わらわが処刑した男の亡骸を、そなたが見たというわけか」

 女王はそれで、責めに責め抜いた商人のことを思い返しました。
 ささくれのような細かな返しの棘がたくさん付いた鉄の棒で、何度も何度も尻を犯したときの、あの男の表情といったら。
 気を失う寸前に下郎の傷を癒し、再び体内を傷つけ、失神に成功されたら今度はへその穴に木の枝を刺して起こす。
 そんなことを何度繰り返したことか。

 女王はかすかに吐息を漏らし、足を組み直しました。
 自分が湿ってい るのが自分でも解ります。

「遊戯は止めじゃ」

 女王はまじまじと青年の唇を眺め回します。
 彼は若く、たくましく、眼に力がありました。

「そなた、わらわの夜の相手をしてみるか?」

 一国の長が庶民に体を委ねるなど、今までに例がありません。
 しかし女王は続けました。

「わらわに面白い噺を聴かせた褒美じゃ」

 椅子からゆっくりと立ち上がり、留めていた黄金色の髪をほどくと、女王は女の眼で青年の首筋に手を添えます。

「誰もが羨むこの身体、抱いてみい」

 しかし、なんとしたことでしょう。
 青年は片手を挙げて女王を制してしまうのでした。

「お断り申し上げます」

 まさか拒絶されるとは思っていなかったので、女王は わずかに驚き、また同時に残酷な光を表情に浮かべます。

「おぬし、怖気づいたか? それとも自分には勿体ないと判断したか?」

 答えによっては青年に命はありません。
 女王は腰に下げた鎖に手を添えました。

 青年は、まっすぐに女王の目を見つめます。

「わたくしと交われば、貴方様が死んでしまうのです」
「なに?」

 思いもよらぬ答えでした。

「わらわが死ぬとな?」
「はい」
「何故じゃ」
「わたくしの病が移り、女王様の身体を汚してしまうからです」
「ほう。そなた病気か」

 それならば問題が大きくありません。
 女王は鎖の柄から手を離します。

「そなたは運が良い。わらわ自らが特別に治してくれようぞ。どこが悪い? 」

 ここかここかと女王は青年の胸を、腰を、背に手をやります。
 すると女王はたじろいて、青年の顔を、頭を、手を、足を、指を、隅々まで触ります。

「なんじゃこれは! 良いところなど1つもない! そなた、全身を冒されておるではないか!」

 すると青年は寂しげに微笑みます。

「わたくしは、血を患っているのでございます」
「血だと!?」

 女王にとってそれは聞いたことのない症例でした。

「治しても治しても、悪い血がすぐに良い血を汚してしまいます。わたくしの命はもう長くはないのです」
「なにを馬鹿な! 試しもせずに何故解る!?」

 青年の服を脱がせ、女王はその胸板に両手を置いて念を込めます。
 治しても治しても、その血はすぐに体内を流れてしまい、すぐに悪い血と混ざって汚れてしまいます。
 女王は狼狽しました。

「わらわの治す早さが足りぬのか…」
「自分の身体にあるこの悪い予感、勘違いではありますまい」
「そなた、死ぬのか」
「はい。近いうちに、必ず」
「死ぬると人はどうなるのじゃ?」

 今まで散々人を死に追いやっておきながら、そんな疑問は今の今まで持ったことがありません。
 女王は若き男にすがります。

「教えよ。人は死んだあと、どこへ行く?」
「生まれ変わって、別の者になり、再び生きます」
「ではそなたが死んだら、すぐに生まれ変われ。わらわと逢って、面白い物語をもっと聞かせるのじゃ」
「それは叶いません」
「どうしてじゃ!?」
「次に生まれるときには、今のことを全て忘れてしまうからです」
「そうだ! そなたの血、全て移し替えしてしまおう! この国には腕の良い医者だって大勢おる! 血も屑どもから集めれば事足りよう」
「ありがたいお話ですが、それもできることではございません」
「何故に!?」
「理由が2つございます。どちらも大事なことです」
「申せ」
「はい。1つは、人の血には多くの種類があるのです。闇雲に他者の血をわたくしに入れてしまえば、馴染まぬ血はたちまちに我が身の中で暴れだし、わたくしは2度と動けなくなるでしょう」
「もう1つの理由とは?」
「もう1つは、わたくし自身の性質故でございます」
「性質とな?」
「はい。水のない場所で魚が生きられないのと同じく。わたくしは、自分のために誰かが犠牲になることを嫌います。そんなことがあるぐらいなら、わたくしは自らこの命を絶ってしまうことでしょう」
「そうか。では、どうにもならぬのか」
「なりませぬ」

 それで女王は黙ってしまいました。
 夜風がそよそよとバルコニーを流れ、松明の光を揺らせます。

「わたくしが死ぬまでの間――」

 青年が沈黙を破りました。

「少しでも多く、女王様のお側に居させてはもらえぬでしょうか?」
「そなたは、なにを望んでおるのじゃ?」
「貴方様に、もっと多くの物語をお聴かせしたい。それがわたくしの希望にございます」
「何故じゃ? 何故そなたは命を使ってわらわに尽くす?」
「わたくしが物語を語るようになったのは女王様、貴方様にお聞き入れいただきたかったからに他なりません」
「それが解らん。わらわに慕情があるわけでもあるまいに」
「あります」
「ん? 今、なんと?」
「貴方はお美しい」

 この言に女王はすっかり唖然としてしまい、もはや声を出すことが叶いません。

 青年がすっと腰を上げ、女王の肩にローブをかけました。

「今宵は寒うございます。お身体を壊さぬよう」

 彼は深々と女王に礼をします。

「それではまた明日に。失礼いたします」

 それはそれは綺麗な月夜のことでございました。

 詩人のように美しい気持ちを持つ青年。
 彼の本当の願いが女王への復讐であることを、彼女はまだ知りません。



 後編に続きます。

拍手[44回]

2012
February 03
※今作には残虐な表現や性的描写が含まれています。
 お読みになられる際は充分なご覚悟のほど、よろしくお願い申し上げます。

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「そなたのような人ならぬ者の血が赤いとは不可解な」

 女王は言って、笑います。
 彼女がけたたましい声を上げながら鎖を振るうと、男は顔面の痛みのために悲鳴を上げ、床を血で汚しました。
 男は後ろ手を縛られており、うつ伏せのような体勢で吊るし上げられています。
 服の一切は脱がされていますが、女王のせいで全身はくまなく赤く濡らされておりました。

「ははははは! 良い気味じゃ!」

 女王は、それはそれは嬉しそうです。
 しかし彼女の目は少しも笑ってなどいません。

「そなたのような馬鹿でも、さすがに自分の何がどう悪いかを理解したであろう? 申してみよ。そなたの罪は何じゃ?」

 しかし男は呻くばかり。
 言語を発しようとはしません。

 女王はしゃがみ込むと、男の髪を掴んで顔を自分に向けさせます。

「痛みの余り、口が効けぬか。では少しばかり治してやろう」

 血に塗れながらも美しい手。
 それを男にかざすと、みるみるうちに傷口が塞がってゆきます。

「どうじゃ? 話せる程度には痛みが和らいだであろう? さあ言え。そなたの罪は何じゃ?」

 男はそれで、恐る恐る口を開くことになります。

「私の言葉が足りず、女王様に誤解をさせてしまうようなことを申し上げてしまいました」
「違うわ愚か者めが!」

 怒声と同時に鎖が飛びます。
 男の眼球に、それは強く当たりました。

 男は身動きを封じられているせいで、もがくこともできません。
 ただただ悲痛の声を上げ続けるばかりです。

 そんな男に、女王は何度も何度も鎖を振るいました。

「そもそもは! おぬしが! わらわの言を勝手に曲解し! 先走って! わらわに無駄な忠告をよこしおったのだ! 愚か者! 無礼者! そなた! 聞く耳がないのか!? わらわが! 祭り事を中止にするなどと! いつ申した!? 言え! いつ申した!? それを! おぬしは! わらわに! 祭り事を続行すべきと! 馬鹿者が! そういったとは! 祭り事の中止を! 提案した者に! 申せ! 愚か者! 愚か者! 愚か者!」

 女王が最も嫌うこと。
 それは言葉が通じぬことでした。
 説明の足りぬ者には「人に伝わらぬ言葉など言葉ではない」と責め、理解が及ばぬ者には「正確な言葉を正確に聞けぬ者は人ではない」と責めました。

 今から記す物語は、遠い遠い昔の、ある国の御話です。

 現代の巷では太古の男女が抱き合ったまま発見されたとか。
 その数は3組に及ぶと耳にしております。

 ですが、世にある抱き合った男女の遺骨は果たしてその3組だけなのでしょうか?
 いえ、そうではありません。
 永遠に見つからぬ4組目があるのです。

 片方は男。
 片方は女。

 女は、誰よりも人に苦しみを与えた、この女王です。
 彼女は常に拷問を行っておりました。

 あまりに酷い拷問に耐えられず、自分の非を認めることで逃れようとする者は少なくありません。
 しかし女王は不敵に笑みます。

「そうかそうか。ようやく解ったか。おぬしがどれだけうつけ者なのか、ようやく解ったか。人はな、頭が良いから人なのじゃ。言葉の通じぬそなたはしたがって、人とは程遠い。人間以下じゃ。そのような馬鹿は、わらわの国には要らん」

 そう言って、今度は死に至るまで、何日間も苦しめ続けるのでした。

 どんなに酷く痛めつけられても、女王に逆らい続ける民も稀にいます。
 そのような数少ない人種にも、彼女は高らかに笑いました。

「ほう。ここまでわらわが尽くしても、まだ解らぬと申すか。おぬしほどの阿呆は珍しい。褒美に、先ほど潰したおぬしの目、見えるよう戻してやろう」

 男の両目にしばらく手をかざしてから、女王は部下に合図をします。
 すると、男の前には巨大な水槽が運ばれてきました。
 中にはおびただしい数の小魚が泳いでいて、まるで風に散る花びらのようです。

「見えるか? 西より取り寄せた人喰いの魚じゃ」

 水槽に肉を放り込むと、魚たちが一斉にむらがって喰らい、あっという間に骨だけが水底に沈みます。

「この魚、血の匂いを好む好む」

 女王の目が、残酷な光を帯びました。

「おぬし、妻があったな? 連れてきてある」
「おやめください!」

 何かしらの悪い予感を察して声を荒げる男の顔を、女王は冷たく一瞥します。

「うるさい」

 言うが同時に部下の1人が手慣れた手つきで男に猿ぐつわを噛ませました。

 石だけで作られた地下の拷問部屋に、男の妻が通されました。
 彼女は男と同様に後ろ手を縛られ、一糸纏わぬ姿です。

「なかなか美しい女ではないか」

 女王はそして、部屋中を見渡します。

「誰か! こやつを犯したい者はおるか! 何人でも構わんぞ」

 おお、と声がして、兵士の数名が手を挙げます。

 満足したかのように女王は深く頷き、他人の妻を部下たちに与えました。
 男は「んー!」と何度も喉を鳴らし、激しく首を横に振り続けます。
 その表情は、女王が最も見たかった光景でした。

 女王は片手を自らの乳房に、もう片方の手を下腹部に忍ばせます。
 自身を愛撫しながら、恍惚とした顔で命じました。

「大臣を呼んでまいれ」

 やがて兵士たちが果て、男とその妻ががっくりとうなだれる頃、女王は舌舐めずりをします。

「おぬしの妻、おぬしが馬鹿なせいでずいぶんと汚されてしまったのう。言葉が通ずる程度の最低限の英知がおぬしにあればよかったのにのう」

 言われた男は顔を上げ、涙をいっぱいに溜めた目で女王を睨みます。

「ははははは! まだ怒れるとは気の強い男じゃ! だが安心せい。おぬしの女、たっぷりと清めてくれようぞ」

 女王の合図で女は吊り上げられます。
 彼女の股から兵士たちの体液がボタボタとしたたりました。

 女王は小さな刃を持ち、女の足に当て、すっと引きます。
 白い素肌に、1本の赤い線が引かれました。

 女は「痛い」と声を出し、男は再び激しく喉を鳴らせ、許しを乞うような表情を浮かべます。
 女王はそれを、当然のように無視しました。

「そなた、わらわの言いたいことが理解できぬのであろ? ならばわらわも解らんな。そなたが何を望んでいるのか、わらわには見当もつかぬ」

 そして女王は小さな刃を走らせます。
 薄く小さく、女の足の指を、足首を、膝下を、太ももを。
 女の足元では、白い物と赤い物とが混ざりました。

「この魚、血の匂いを好む好む」

 先と同じことを言う女王の目の先には例の巨大な水槽があります。
 男がそれに気づき、今までにない大声を喉の奥で鳴らしました。
 妻は泣き叫び、全身全霊を持って抵抗しています。

 女王はその悲痛な妻の声を男に聞かせるために、わざと彼女に猿ぐつわを使わなかったのでした。

 妻の下半身は赤く染められ、もはや肌の色をした部分がありません。
 暴れれば暴れるほど滴が散って、女王の服に紅色の染みを作ってゆきます。

 自分の口元に跳ねてきた女の血を、女王はうっとりと舐め回しました。

「やれ」

 ジャラジャラと鎖の音がして、女が吊り上げられ、水槽の上まで運ばれます。
 地下室は、嫌がる女の声と、男の大きな唸り声でいっぱいになりました。

 女は少しずつ、少しずつ降ろされてゆきます。
 しばらくは足を上げて逆らっていましたが、やがて足の一部が水面に達してしまいました。
 魚たちがバシャバシャと、まるで喜ぶ子供のように激しく飛び跳ねます。
 女を中心に赤い物が広がって、水槽の中がどうなっているのか見えなくなりました。

 女の悲鳴がさらに高く、大きく響きました。
 男の唸りが、さらに激しく、大きくなりました。
 女王の高笑いが止まりません。

 女はさらにゆっくりと、少しずつ、少しずつ降ろされてゆきます。
 その都度、魚たちが飛び跳ねました。

 女王は先ほど呼んだ大臣を自分の背後に立たせます。
 大臣は既に下半身を露わにしており、男の中心を突き立てると、そのまま女王の中で踊らせました。

 貫かれながら女王は喜び、白目を剥いている気を失っている女と、血の涙を流している男の顔を交互に見比べ、快楽をむさぼり続けます。

 女王と大臣が満足をする頃になると、男の妻は腰まで水に浸かっていました。
 着衣の乱れを整えると女王はふっと一息つき、尻まで伸びた美しい金髪を搔き上げます。

 男の猿ぐつわを外すと、女王は優しげに言いました。

「先ほどはわらわの部下が、そなたの妻を犯してしまったであろう? それはそなたが愚か者だからなのじゃが、だからといってそなたの妻を孕ますのはわらわの本意ではない。子ができぬよう、計らってやったぞ」

 女王の合図で滑車が動きます。
 赤く濁っていた水から、女の下半身が引き上げられました。

 それを見た男は一瞬押し黙り、しかしすぐに何もかもを吐き出すかのようなとてつもない絶望の悲鳴を上げます。

 女王は「次はそなたの番じゃ」と微笑み、愛用の鎖を手にするのでした。

 彼女は人の怪我や病を治すことができたので「愛の女神」などと呼ばれ、持てはやされてきましたが、実際は残酷な女でしたから、国民は安心して暮らすことなどできません。
 いっそ別の言語を作り、会話が通じないことを女王に知られないように工夫する者まで現われる始末です。

 しかし女王は「痛み」に興味深々。
 あまりにも拷問をしたいとき、彼女は町娘に扮して理不尽を探すようにさえなりました。

 酒場で議論を交わしている最中、人の話を途中で遮った酒飲み。
 息子に解りにくい指示を出しておきながら、間違えたら怒るといったパン屋。

 城の中でも女王の目は光ります。
 会議の際、気にすべきではないどうでもいいことにこだわった者。
 現実に行ったらどうなるかの想像をせず安易に「こっちのほうが早い」などと間違った手段を提示した者。

 彼女の鎖は、多くの者に飛びました。

 一方、城の者も国民も、女王に対して油断をしなくなってゆきます。
 どういったことで彼女が怒るのかを観察し、研究し、逆鱗に触れぬよう努めたのです。
 おかげで、拷問死させられる者は一時的に減りました。

 そうなると、今度は女王が面白くありません。
 以前は自分を怒らせる者をこらしめていましたが、今となっては拷問できないことが腹立たしいことなのです。
 女王の矛先はそこで、娯楽の世界に向けられました。

「そなたの舞台、見させてもらったが、あれは一体なんじゃ? なぜあのような下品な言動で民が笑ったのじゃ?」

 そのように喰ってかかり、議論を生じさせるのです。
 論争になればこっちのもの。
 噛み合わない会話が出てくるまで言葉を交わし、そこを指摘し、拷問部屋に連行するだけです。

「わらわが思うに、そなたの作は2通りの解釈ができるように思う。1つは同じ題材の作品に対して明確な反論を呼びかけるという考え。もう1つは――」
「恐れながら女王様、それは誤った見方にございます」
「わらわの話はまだ途中じゃ! 何故もう一方の説を最後まで聞けぬのだ愚か者めが!」

 この流れは非常に便利で、合理的に人を責めることができます。
 女王はすっかり味を占めてしまいました。
 少しでも評判に上ると、どんな娯楽でも進んで観覧するようになります。
 音楽、本、舞台、絵、踊り。
 彼女は様々なものを味わい、結果的には様々な娯楽をこの世から葬っていきました。

 そんな中、ある青年の噂を耳にします。
 彼は物語の使い手で、書ではなく噺で人を魅了するとか。

「文字ではなく、物語を喋るのか」

 女王は興味を持ちました。
 言葉を使う者がどれほど自分との会話を成立させられるか、試してみたくなったのです。

「その者を呼んでまいれ」

 再び女王の瞳が残酷に輝き、人を屠るための鎖を手で撫でました。

 しかし彼女は結局、その青年を痛めつけることができませんでした。
 彼の繰り広げる物語が、とてもとても面白かったからです。



 中編に続きます。
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/466/

拍手[35回]

2012
January 06
 第1話・再会
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/457/

 第2話・募る想い
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/458/

 第3話・すれ違う想い
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/459/

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 まだ小さな子供だったあの頃は、本当に、本当に幸せだった。

「僕が、君のお婿さんになってあげる」
「なんか男らしくないー」
「…一生、君を守るよ」
「それだったら、まあ、いいかな」

 結婚できる歳になったら一緒に住もうなんて約束も、2人でしたっけ。

「あたしが16歳になったら結婚しよー!」
「ダメだよ、さっちゃん。男は確か、18歳にならないと、結婚できないんだよ」
「じゃあ、なおくんが18歳になったらね!」
「うん!」
「いつなるの?」
「えっとね、えっとね、今3歳だから、ずっと先の3月!」
「どんぐらい先?」
「わかんない。18歳になったら!」

 それであたしたちは、大きな桜の木の根元に手作りの指輪を埋めた。

「ベス…」

 あたしはベットに腰掛けたまま、古びたクマのぬいぐるみを顔の高さまで持ち上げる。

「あたしたち、もう、一緒に居られないのかなあ…」

 冬休みが終わって、新学期。
 もうすぐ卒業式だ。

 あたしはずっと沈んだ気分のままで、学校で無理して明るく振舞うのが辛かった。

 頭の中には近藤くんの、あの言葉が今でもリピートしている。

「僕ら、ほら。友達、なんだからさ」

 友達、かあ。
 そうだよね。
 通じ合っていたのは子供の頃だけ。
 今はあたしの片想いなんだ。

「はあ」

 あれから何ヶ月か経っているというのに、あたしの溜め息はとても深い。

 ふと、電話の音に気づき、あたしは重い腰を上げる。
 受話器を取った。

「はい、畑中です」
「あの、あの…! 畑中早苗さん、いますか!?」

 女の子の声だ。
 誰だろう?

「はい、早苗はあたしですけど」
「あの、あの…! 初めまして! あたし、近藤直人の妹なんですけど」
「…え!?」
「突然すみません! お兄ちゃんのことでお話したくって、あの、今からどっかで逢えませんか!?」

 あたしはその勢いに押され、「はあ」と曖昧な返事をする。

 公園で待っていた中学生の女の子は、あたしに勢いよくペコリと頭を下げた。
 妹というだけあって、どこか近藤くんと似た面影がある。

「突然呼び出しちゃって、すみません!」
「あ、いえ」

 ブランコの正面にあるベンチに、あたしたちは腰を下ろした。

「お兄ちゃん、ここ最近ずっと元気がないんです」

 妹さんは、そう切り出した。
 真ん丸な目をあたしに向けている。

「さっちゃんさん、なにか知りませんか?」
「あたしは別に…」

 ふと、近藤くんが綺麗な女の人にキスされている場面が脳裏に蘇り、あたしはそれで口を閉ざした。

 わずかに風が吹いて、彼女のツインテールが小さく揺れる。

「やっぱり、何かあったんですね」
「…え?」
「ケンカ、しちゃんたんですか? お兄ちゃんと」
「…近藤くんは、なんて?」
「お兄ちゃんからは何も聞いてないです。でも、さっちゃんさんの話をしなくなっちゃって、毎日暗い顔ばっかしてて…」

 妹さんは立ち上がり、真剣な眼差しをあたしに向けた。

「お兄ちゃんと、仲直りしてくれませんか!?」

 そのままガバっと腰を90度に折り曲げる。

「お願いします!」
「ちょ、そんな、やめてよ!」

 彼女に手を添え、身を起こさせる。

「近藤くんはあたしのことなんとも思ってないんだし、仲直りなんてしたって…!」
「え!? もしかして、さっちゃんさん、気づいてないんですか?」
「え…? 気づいてないって…、なにを…?」
「お兄ちゃん、さっちゃんさんに恋してます」
「そ、そんな…! そんなことないよ! だって近藤くんには恋人が…!」
「恋人…? それ、なんの話ですか?」

 あたしはそれで、あの日に見てしまったことを話す。
 ノートを届けに家まで行ったら、近藤くんとお姉さんがキスしていた、思い出したくない目撃談。
 その後、近藤くんから「好きな人がいる」と告げられてしまったことも、気づいたら口にしていた。

「あ~」

 妹さんは何かを察したかのように、自分の顎先に指を当てる。

「さっちゃんさん、それ、誤解ですよ」
「誤解?」
「ええ。お兄ちゃんに彼女なんていません」
「でも、家の前で…」
「それ、本当にキスだったんですか?」
「いや、そこまでは…」
「そのこと、お兄ちゃんにちゃんと訊いたほうがいいです。お兄ちゃんの好きな人が誰なのかも、ちゃんと聞いてあげてください」

 彼女は最後に、「だらしなくて頼りないお兄ちゃんだけど、これからもよろしくお願いします!」と頭を下げた。

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 放課後、僕は帰る支度もせず机に突っ伏し、窓の外を眺めるともなく見つめる。
 曇っていた空がじきに雨を降らせ、僕にあの日のことを思い出させた。

「いやあ、参ったなあ。もう逢えなくなるみたいな言い方しないでよ。これからもさ、なんかあったらまたみんなで遊ぼう? 僕ら、ほら。友達、なんだからさ」
「そ、そうだよね! あたしたち、友達、だもんね! これからもまた、あ、遊ぼうね! …さよなら」

 もはや溜め息をつくエネルギーさえもない。

 雨音は強まり、やがて土砂降りになった。
 まるで僕の心の中みたいだ。

「近藤」

 声のほうに振り返る。
 そこには神妙な面持ちをした春樹が立っていた。

「どうしたんだよお前。ここ最近ずっと変だぞ」
「そ、そんなこと、ないよ」
「1人で抱え込んでんじゃねえよ」
「べ、別に悩んでなんかいないさ」
「どうせ、さっちゃんとなんかあったんだろ? 仲直りできねえのかよ?」
「う、うるさいな。放っといてくれよ」

 僕は鞄を掴むと教室を出る。

「おい近藤! 待てよ!」

 春樹は靴を履き替えて昇降口を出たあとも追ってきた。
 土砂降りの雨の中、2つの傘が足早に進む。

 春樹が僕の肩を掴んだ。

「1人で悩んでねえで、たまには相談しろって!」
「うるさいな! 放っといてくれって言ってるだろ!」
「やっぱりさっちゃんのことか? ケンカでもしたのかよ?」
「頼むから、そっとしておいてくれ!」

 怒鳴ると、春樹は「ふざけんな!」と声を荒らげる。

「こっちはな! いい加減、お前の暗い顔見るのはうんざりなんだよ!」
「だったら見なきゃいいだろう!?」
「なんだと!?」
「なんだよ!」

 傘を放り投げ、僕らは大雨の中で胸ぐらを掴み合う。

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「せっかく来てくれたのに、ごめんなさい、さっちゃんさん」

 意を決して近藤くんの家を訪ねると、出迎えてくれたのは妹さんだった。

「お兄ちゃん、今は誰とも逢いたくないって言ってて…」
「そう…」
「あ、気を悪くしないでください。さっちゃんさんだから逢いたくないんじゃなくて、お兄ちゃん、お友達とケンカしちゃったみたいで、それで凹んでるだけなんです」

 妹さんは必死になって弁明してくれていたけれど、その言葉は耳には入ってこなくて、あたしはただ「ごめんなさい」と残す。
 雨の中、とぼとぼと家路についた。

 夜中、あたしは自室で机の上にある電気スタンドに明かりを灯す。

 臆病なあたしの、ささやかな自己表現。

 いつも以上に細かな字をハガキにしたためていった。
 こうでもしないと、悲しみに押しつぶされてしまいそうだからだ。

 幼い日に、大好きな人と将来を誓い合ったこと。
 そんな運命の人と、気づかぬうちに再会していたこと。
 再び恋に落ちて、でも上手くいかなくて。

 書いていくうちに涙がぽたぽたと落ちて、水性ペンの文字をにじませた。

 今まで何度かラジオに投稿していたけれど、これでもうおしまいにしよう。
 このハガキが、最後の公開日記だ。

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 青春いっぱいのはずの高校生活がいよいよ明日で終わろうとしている。

 片想いは幕を閉ざしたし、親友にも嫌われた。
 まさかこんな沈んだ気分で、卒業式を迎えることになろうとは。

 ぼうっとしていると、いつからか電話が鳴っていることに気づき、僕は死んだ目のまま受話器を持ち上げる。

「…はい、近藤です」
「近藤か!? 俺だ!」
「…春、樹…?」

 意外な相手だった。
 つい先日ケンカしたばかりの僕に、一体なんの用があるっていうんだ?

「近藤! お前今日、誕生日だよな!?」
「え? ああ、そうだけど」
「ラジオ聴け!」
「え?」 

 言ってることの意味が解らない。
 しかし春樹は「FM桜ヶ丘だ!」とまくし立てる。

「いいから言う通りにしてくれ! 頼むから今すぐラジオ点けろ! 今すぐだ! 電話切るから絶対聴けよ! じゃあな!」

 一方的に電話を切られる。

「なんだっていうんだ…」

 ぶつぶつ言いながら、僕は机の上にあるラジオのスイッチをいれた。

 軽快なBGMと男性DJの弾んだ声が流れる。

「…こうしてあたしは幼い頃に大好きだった彼と再会しました。
 いいねー! 不良に絡まれているところに助けに入ってくれた人が運命の人だったなんて、なんてロマンチックなんだい」

 思い当たるエピソードだった。
 僕は大急ぎでラジオのボリュームを上げる。

「…でも、あたしの勝手な勘違いのせいで、彼の話を聞いてあげられなくて、あの人を傷つけてしまいました。今じゃもう、逢いに行っても逢ってもらえません。どうしても謝りたいのに。
 もうすぐ、彼は18歳になります。昔あたしたちが結婚するって約束をした日が、もうすぐそこまで迫っています。あたしはその日、指輪を埋めた場所でずっと彼のことを待とうと思っています。
 あたしが幼馴染だってこと、彼は気づいてないのかも知れない。気づいていても、約束のことを覚えていないかも知れない。だから、あの桜の丘にはきっと、誰も来ないんだと思います。それでもあたしには何よりも大切な誓いです。
 Nくん、大好きだよ。こんなあたしで、ごめんね。
 …ラジオネーム、恋するSちゃん! いやあ、切ないねえ! そんな恋するSちゃんに捧げるナンバーはこちら! 春の日フォーリンラブ!」

 なんてこった!
 僕の誕生日っていったら今日じゃないか!
 時計を見るまでもなくなく、とっくに日が暮れている。
 こうしちゃいられない!

 僕は着の身着のまま自宅を飛び出す。
 そこには意外な人影があった。

「俺からのバースデイプレゼントはここからだぜ近藤!」
「春樹…!」

 アパートの前で、春樹が自転車に股がっている。

「乗れ!」

 何が起こったのか解らなくて混乱してしまったけれど、僕はもつれた足でせかせかと自転車に乗り込む。
 春樹が叫んだ。

「飛ばすぜ! しっかり捕まってろよ!」

 2人乗りとはとても思えない勢いで自転車が加速してゆく。

 春樹に謝ったらいいのかお礼を言ったらいいのか判断できなくて、結局何も言えない。

 自転車が細い道に入る。

 どこかで聞いたことがあるような男の声がした。

「あれ? おいテツ。あいつ、いつかの…」
「おう、待て兄ちゃん、コラぁ~!」

 春樹が「ちっ! 西高の奴らか」と毒づいた。

 以前さっちゃんに絡んでいた2人が、行く手を塞いでいる。

「おうヒーローさんよお、会いたかったぜコラぁ~」
「オメーのおかげでこちとらポリ公に散々絞られたんだ。たっぷりお礼させてもらうぜコラぁ~」

 よりによって、こんなときに。
 最悪だ。

 僕の顔色は相当悪くなったに違いない。
 解決策がまるで見えなかったからだ。

 しかし、春樹が自転車を降り、ハンドルを僕に持たせる。

「近藤! 俺のチャリ使え!」
「え?」
「あの丘には別の道からも行けるだろ?」
「え、でも春樹、お前が…」
「行け近藤! これ以上、さっちゃん待たせるんじゃねえよ」

 不良たちが迫ってくる。

「なにごちゃごちゃ言ってんだコラぁ~」
「西高の風神テツと雷神カズ舐めんじゃねえぞコラぁ~」

 そんな彼らの声をかき消すかのように春樹が吠える。

「行け近藤!」

 すまない!
 と告げて、僕は自転車に股がった。

「あ、待ちやがれコラぁ~!」
「逃がさねえぞコラぁ~!」
「おっと!」

 春樹が2人組の前に立ちはだかるのが、背中越しに解った。

「ここから先は通行止めだぜ?」

 すまない、春樹。
 ありがとう。

 心の中で告げながら、ペダルを漕ぐ足に力を込める。

------------------------------

 小さなシャベルでそこを掘ると、出てきたのは小さな箱だ。
 開けると、出来がいいだなんてお世辞でも言えないようなリングが2つ。
 知らない人が見たらゴミにしか見えないだろうなあ。
 色付きの針金で作られた婚約指輪だ。

「あはは。ちっちゃい」

 3歳児の薬指に合わせたサイズのそれは、付けてみると指の途中で止まった。

 あの頃は、一生懸命これを作って、この桜の木の下で結婚するなんて夢を2人で思い描いていたっけ。
 この指輪が入らなくなるぐらい大きくなった今は、そんな夢ももう見ちゃいけないのかも知れない。

 ぽたりと、指輪に雫が落ちた。

「なおくん、素直になれなくって、ごめんね」

 あたしは無理に笑って桜の木を見上げる。

「えへへ。一生、一緒に居たいのは、昔も今も変わらないんだけどなあ。あたし、やっぱりダメだなあ」
「ダメなんかじゃないよ!」
「…え?」

 驚いて振り返る。
 あたしはそれで、さらに驚くことになった。

 近藤くんが息を切らせ、肩を大きく上下させている。

「近藤くん!? どうして!?」
「さっちゃんに、言いたいことがあって」

 春を思わせる暖かい風が吹いて、さあっと夜桜が揺れた。

「あたしに、言いたいこと?」
「うん」

 近藤くん、いや。
 なおくんが息を整えて、あたしの正面に立つ。

「僕が、君のお婿さんになってあげる」

 涙が一気にこぼれだすのを、あたしは必死に笑って誤魔化した。

「なんか、男らしくないー」

 桜の花びらが踊る。
 なおくんが優しげな目で、あたしの髪を撫でた。

「…一生、君を守るよ」
「それだったら、まあ、いいかな」

 えへへ、とあたしは涙を拭う。
 なおくんの胸に顔を埋めて、あたしは彼の背中に手を回した。

------------------------------

「約束、覚えててくれたんだ」

 抱きしめると、さっちゃんはポツリとそう言った。

「もちろん」

 包み込むようにして彼女の髪に手を添える。
 夜風がまた吹いて、桜の花びらをさらに降らせた。

 ふと丘の麓で何かが動いたような気がして目をやると、親友が気取った素振りで肩をすぼめている。
 春樹はそのまま踵を返すと、背中越しに手を降って自転車に乗り、帰ってゆく。

「どうしたの? なおくん」
「ううん、なんでもないよ。それより、待たせてごめん」
「えへへ。15年も、だもんね」

 僕も少し笑って、さっちゃんから指輪の片方を受け取った。
 それはとても小さくて、薬指の先で止まってしまう。

「ちゃんとした指輪、買わなきゃいけないなあ」
「ううん。これで充分だよ」

 さっちゃんが僕の首に腕を回した。

「その代わり、守ってね。一生」

 彼女が目を閉じて、つま先立ちをする。

 桃色の花びらが僕らを包み込んだ。

 唇を離すと、僕はようやく胸を無で下ろす。
 長かった。
 本当に、本当に長かった。

 3歳のときに1度。 
 18歳になって、もう1度。

 どうやら2回で、僕のプロポーズは成功したみたいだ。



 ――了――

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 参照リンク。
【ベタを楽しむ物語】春に包まれて
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/380/

拍手[25回]

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プロフィール
HN:
めさ
年齢:
41
性別:
男性
誕生日:
1976/01/11
職業:
悪魔
趣味:
アウトドア、料理、格闘技、文章作成、旅行。
自己紹介:
 画像は、自室の天井に設置されたコタツだ。
 友人よ。
 なんで人の留守中に忍び込んで、コタツの熱くなる部分だけを天井に設置して帰るの?

 俺様は悪魔だ。
 ニコニコ動画などに色んな動画を上げてるぜ。

 基本的に、日記のコメントやメールのお返事はできぬ。
 ざまを見よ!
 本当にごめんなさい。
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