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夢見町の史

Let’s どんまい!

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2017
December 17
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2011
December 28
 第1話・再会
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/457/

 第2話・募る想い
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/458/

------------------------------

「もしもし? あの、あたし近藤くんと同じクラスの畑中っていいます」
「あ、さっちゃん? 僕だよ」

 この僕の返しに、妹がやたらと表情を輝かせた。
 一体誰に似たのか、妹は好奇心いっぱいに僕の持つ受話器に耳をくっつけようと頬を寄せてくる。

 聞き耳を立てられているとも知らず、さっちゃんが言った。

「あ、近藤くん? 今、電話、平気だった?」
「もちろん! あ、ちょっと待ってて」

 しっしと妹を追っ払おうとしたけれど、こいつはどうにもしつこく、そばを離れようとしない。
 さっちゃんとの会話を聞かれたくないから僕が部屋の隅まで避難したいところだけど、電話のコードが長くないからそれもできない。

 仕方ない。
 落ち着かないけど、妹を振り切ることは諦めよう。

「あ、ごめんね、さっちゃん。もう大丈夫」
「あ、うん。突然なんだけどね? 近藤くん、今日って何か予定ある?」
「え? 今日? 今からってこと?」
「うん。優子ちゃんや春樹くんと一緒に、うちで勉強会しようってことになって…」
「さっちゃん家で!?」
「うん。狭いアパートだけど、もしよかったら」

 さっちゃんの家に遊びに、いや。
 勉強しに行けるだって!?

 高まる鼓動を抑え、僕は極めて自然体を装う。

「いやあ! 奇遇だなあ! 僕も今から猛勉強しようと思ってたんだよ! でも僕、集中力が続かないからなあ! 丁度誰かと一緒に勉強できたらなあーって思っていたんだよ! いや実にタイミングがいい!」
「本当?」

 受話器の向こうで、さっちゃんが嬉しそうな声を出した。

「じゃあ、これから4人でお勉強、しよ」
「しますとも!」

 満面の笑みを浮かべながら、「じゃあ後ほど!」と約束をし、受話器を置く。

「はあ~」

 突然舞い降りた幸運に、ついだらしなく口元が緩む。
 力強くほっぺたをつねってみた。

「痛い…。夢じゃない…」
「ねえねえ! お兄ちゃん!」

 妹が僕を揺さぶる。

「今の人って誰!? お兄ちゃんの彼女!?」
「ち、違うよ!」
「海に一緒に行った人でしょ!?」
「いや、そ、そうだけどさ」
「今からデート!?」
「バ…! なに言ってんだ! さっちゃんとはそんな仲じゃ…!」
「ふうん。さっちゃんていうんだ?」
「う、うるさいな!」

 妹を振り切り、自分の部屋に足を向ける。

「に、兄ちゃんこれから勉強会なんだ! そんな浮かれていられないよ!」

 教科書や参考書、ノートに筆記用具を鞄に詰め込む。
 せかせかと足早に玄関を開け、僕は制服姿のまま飛び出した。

「きゃ」
「あ、ごめんなさい!」

 うちは玄関前がそれほど広くないアパートだ。
 家を出た瞬間、隣に住むお姉さんとぶつかってしまった。

「ンもう」

 どこか色っぽく、お姉さんが茶色い髪を耳にかける。

「気をつけなさい? ボウヤ」
「は、はい! す、すみません!」

 このお姉さん、いっつも薄着だし、胸元とか太ももとか、肌を露出させる服ばかりを着ている。
 目のやり場に、実に困る。

「ンフフ。これからデート?」
「い、いえ、そういうわけじゃ…!」
「照れちゃって、可愛い」
「そ、そんな! か、からかわないでください!」

 僕は鞄を背負い直し、「失礼します!」と慌ててアパートを飛び出した。

------------------------------

「そ、そうだ! 近藤くんが来る前に、ベスを隠さなきゃ!」

 3歳の頃、なおくんから貰ったクマのぬいぐるみ。
 すっかりくたびれてしまった宝物を、あたしは顔の高さまで掲げる。

「ごめんね、ベス。ちょっと押入れに隠れてて」

 もし近藤くんにベスを見られたら、あたしが幼馴染だったと気づかれてしまうだろう。
 あたしが昔の婚約者だったってことを解ってもらいたい気持ちと、今はまだ隠しておきたいという照れ。
 しばらくは恥じらいの感情のほうが先立ちそうだ。

 フスマを開け、畳まれた布団の上にそっとベスを寝かせた。

 友人たちを招き入れる。
 あたしの部屋は一気に賑やかになって、とても勉強をしているような雰囲気ではない。

「ちょっと春樹、あたしの消しゴム勝手に持っていかないでよ」
「いいだろ? 少しぐらい貸せよ」
「少しぐらいって、あんたすぐ無くすじゃない。ホントだらしないんだから」
「なんだと!?」
「なによ!?」

 優子ちゃんと春樹くんの微笑ましいやり取りを見て、あたしと近藤くんは目を合わせると、お互い少し肩をすぼめた。

 いつものことながら、2人のケンカはさらにエスカレートしてゆく。

「だいたい佐伯! お前だって人のこと言えねえじゃねえか!」
「なんでよ!?」
「俺の部屋でテレビのチャンネル変えようとして、一生懸命電話の子機をテレビに向けてたクセによ!」
「ちょ…! そ、それは関係ないでしょ今!?」
「あれえ? テレビが反応しなーい! このリモコン電池切れてるよ春樹ー?」
「う、うるさいわね!」
「新しい電池どこー?」
「もー! やめてよ!」
「きゃ! いきなり着信音があ! これ、電話の子機じゃなーい!」
「い、いい加減にしなさいッ!」

 優子ちゃんの鉄拳が炸裂する。
 春樹くんは「ぐあッ」と悲痛な叫びを上げ、吹っ飛ばされた。
 押入れに激突し、フスマが外れる。

「あ!」

 と、思わず叫ぶ。

 衝撃でベスが落ち、春樹くんの頭の上にストンと乗った。

「なんだこりゃ」
「あ、あの…!」

 あたしはあたふたとベスを取り上げ、それを抱きしめたままみんなに背を向ける。
 そのまま部屋を飛び出して、ベスを台所に隠した。

 戻ると、3人とも頭上にクエスチョンマークを浮かべている。

 あたしは「あはは」と指をもじもじさせ、「じゃ、勉強の続きしよっか?」と強引に誤魔化す。

 …という一連の出来事をハガキに書いて、あたしはベットにごろりと横たわった。
 このハガキはあとでポストに投函しておこう。
「あなたに降りかかった面白ハプニング」のコーナーに採用されるかなあ。

 あたしは仰向けのまま、ベスを両手で持ち上げる。
 すっかりくたびれた子グマのつぶらな瞳が、あたしを見つめた。

「ねえベス? 近藤くんに、ベスのこと見られちゃったかなあ? どうしよう。あたしが幼馴染のさっちゃんだって、気づかれちゃったかなあ? べスー、どうしよ~。近藤くん、今頃どんなこと考えてのかなあ?」

------------------------------

「はっくしょん!」

 誰か僕の噂でもしているのか、帰り道で大きなクシャミが出た。

 鼻をすすって、僕は遠い遠い昔を回想をする。

「さっちゃん、これ! プレゼント! 大事にしてね」
「なおくん…」
「また逢えるよね? それまで寂しいと思って、ぬいぐるみ」
「なおくん! 大好きだよ! また逢おうね! 絶対絶対逢おうね!」
「うん! 待ってるよ! 元気でね! …元気でね、さっちゃん!」

 さっちゃんの部屋で見たあのクマのぬいぐるみは、僕が幼馴染に贈った物にとてもよく似ていた。
 いや、似ていたどころか、同じ物だったように思う。
 十数年経ったかのような、あの古びた感じ。

 幼馴染のさっちゃんは引越しをして行ったけど、もしかして戻ってきていたのではないだろうか。
 こっちのさっちゃん、畑中早苗さんは去年転校してきたって言っていたし、もしかして同一人物なんじゃ…?

 アパートの階段を登る。
 もうすぐ家だ。

「早苗の『さ』は、さっちゃんの『さ』、か…」

 ぶつぶつとつぶやいていると、突然目の前が真っ暗になって、柔らかい感触が顔を覆った。

「あら」

 女の人の声だ。

 びっくりして身を引くと、またしてもお隣さんだった。
 お姉さんの胸に、僕は顔からぶつかってしまったらしい。

「す、すみません!」
「フフ」

 お姉さんが口元のホクロをわずかに吊り上げる。

「また何か考え事してたの? ダメよ? ちゃんと前を見ないと」
「あ、はい、すみませんでした!」
「あらあら。堅くなっちゃって、緊張してるのかしら?」
「いえ! そんなことは…!」
「フフ。ブレザーのネクタイ、ズレてるわよ?」
「え、あ…」
「お姉さんが直して、あ、げ、る」

 お姉さんが僕の首元に両手を添え、少しかがむ。
 僕はドギマギと気を付けの姿勢になり、固まった。

------------------------------

 あたしは1冊のノートを手に、公園で花を摘んだ。
 いつか生徒手帳を届けに行ったことがあるから、近藤くんの家がどこにあるのかは解る。
 ただ、つい今しがたベスを見られてしまったせいで、逢いに行きたくても抵抗があった。

 さっきの勉強会で、近藤くんが忘れていったノート。
 学校で渡してもいいんだけど、せっかくの逢うチャンスだ。
 この機会を無駄にしたくない気持ちもあった。

 あたしは花びらを1枚1枚引き抜いてゆく。

「ノートを届けに行く、行かない、行く、行かない…」

 こうしてあたしは今、近藤くんのアパートの前に立っている。

 心の中で呪文のように唱えた。

「さっきのベスを見て、近藤くんが何か思い出してしまったかどうかだって、逢って反応を見たら解るでしょ? 勇気出せ、早苗!」

 階段を登る。

 そこで、あたしはこの世で最も見てはいけないものを見たような心地がした。

 直立不動でこちらに背中を向けている近藤くん。
 その正面に年上らしい女の人がかがんでいて、近藤くんに顔を寄せている。

 顔を話すと彼女は「ちゃんとしなきゃダメよ」などと言った。

 まさか、キス、してたの…?

 あたしはすっかり動揺してしまって、ノートを落とし、その場を走り去る。

「あ、さっちゃん!」

 背後から、近藤くんの声が聞こえた。

 りんりんりん。

 夜になって、あたしの家の電話は何度も鳴る。

「もしもし、さっちゃん!? 僕だよ! 話を聞いて!」
「知らない!」

 あたしはその都度電話を切って、そして泣いた。

 近藤くんに恋人がいたなんて…。

 脳裏には、口づけを交わすさっきの光景が繰り返し映し出されている。
 思い出したくないのに…。

 りんりんりん。

 再び着信を知らせるベル。
 あたしは苛立って、乱暴に受話器を取った。

「しつこいわね! 知らないって言ってるでしょ!?」
「ん? 何を知らないんだ?」

 近藤くんじゃない声に一瞬にして顔が青くなった。

「や、安田先生!?」
「おう。畑中か?」
「は、はい! すみませんすみません!」

 うちの担任の先生だった。

「悪いな突然。今、電話平気か?」
「は、はい! 大丈夫です!」
「そうか。いきなりで悪いんだがな、畑中、次の日曜、なんか予定あるか?」
「え? 日曜、ですか?」
「ああ。先生サッカー部の顧問やってるだろ?」
「はい」
「今度の日曜、3年生の引退試合なんだ。なんだが、マネージャーが1人来られなくなってな。お前、うちの部の近藤や春樹なんかとも仲いいだろう? もし空いてたら是非手伝ってほしいと思ってな。どうだ?」
「3年生の、引退試合、ですか…」

 近藤くんの顔が。
 さっきのキスシーンが再び浮かんで、胸がズキンと痛む。

「どうした? どこか具合が悪いのか?」
「いえ、そういうわけじゃ…」
「先生、最近何かと悩みを打ち明けられる機会が多くってなあ~」

 受話器の向こうで、先生が微笑んだような気がした。

「畑中。あまり自分の中だけに溜め込むなよ? 誰かに打ち明けるだけでも、ずいぶん気が楽になるもんだ。先生でもよかったら、いつでも待ってるからな」

 とても優しいその声に、あたしはついに泣き出して、受話器をぎゅっと強く握り込む。

------------------------------

 日曜日。
 そわそわと、僕はさっちゃんの家の前で待つ。
 どうにかして誤解を解かないと。

 先日かかってきた先生からの電話のおかげで僕はチャンスを得ていて、それで今ここにいる。

「引退試合の日、急遽畑中にマネージャーを頼んだんだ。近藤お前、悪いんだが、日曜、畑中を迎えに行ってくれないか?」

 ようし、今日こそ話を聞いてもらうぞ!
 そして、好きだって気持ちを伝えよう。
 こないだ気づいたんだ。
 やっぱりさっちゃんは、3歳の頃に婚約をした運命の人だった。
 そのことが解ったおかげで、僕は自分の気持ちを知ることもできたんだ。

 僕はゴクリと喉を鳴らした。

 まず、なんて切り出そう?

「やあさっちゃん! おはよう! さ、行こっか!」

 そんなのダメだ、軽すぎる。

「本日はマネージャーを引き受けてくださり、誠にありがとうございます。さ、参りましょう」

 ダメダメ!
 時代劇じゃないんだから!

「ごめんね、今日はよろしくお願いね? 悪いね、日曜に。ホントすみません」

 卑屈すぎる。

「難しいなあ」
「…なにが難しいの?」
「うわおう! さっちゃん!?」

 いつの間にか後ろにさっちゃんが立っていて、僕は小さく飛び上がった。

「お、おはよう!」

 声をかけるがしかし、さっちゃんは何も返してはくれず、下を向いて黙ったままだ。

「い、行こうか」

 試合会場までそのまま、僕らは言葉を交わすことはなかった。

 このままじゃダメだ。

 ユニホームに着替え、もうすぐキックオフ。
 僕はさっちゃんをグラウンドの隅へと連れ出す。

「お願い! こっち来て!」
「…なあに?」
「お願いがあるんだ」
「…どんな?」
「僕の話を、ちゃんと聞いてほしい」

 しかしさっちゃんは返事をしない。
 構わず、僕は続けた。

「約束して? この試合に勝ったら、僕の話を聞いてくれる、って。その、大事な話だから」

 さっちゃんからの返事を待たず、僕は踵を返し、グラウンドへと向かった。

------------------------------

 試合開始を告げるホイッスルが鳴り響く。

 相手チームは強かった。
 春樹くんの調子も良くないみたいだし、全体的にペースが掴めていないように、あたしには見えた。

 近藤くんは、大事な話があるって言っていた。
 良い知らせなのか悪い知らせなのか全く解らなくて、あたしはもやもやと落ち着かない気分のままだ。

 後半戦になると、相手チームの猛攻が始まる。
 それまで0対0だったのが、先取点を取られてしまった。

 このまま時間が来て試合が終わってしまったら、近藤くんはあたしに「大事な話」をしてくれないのだろうか。
 ぎゅっと強く、あたしは手を合せ、組んだ。

 お願い!
 勝って!
 近藤くん!

------------------------------

 ピーとホイッスルの音がして、試合が終わる。

 僕は「ふう」と大きく息を吐いた。

 結果は、0対1。
 完敗だ。

 整列し、お互いに一礼を交わして、控え室で安田先生からの叱咤激励を受けて、僕ら3年生は無事、引退を果たした。

「はあ…」

 我ながら溜め息が深い。

 さっちゃんへの想いを伝えることは、どうやらもうできないようだ。
 ここ最近ずっとそっけないままだった彼女はきっと、もう以前のような笑顔を僕に向けてはくれないだろう。

 せめて試合にさえ勝っていれば…。
 いや、過ぎたことだ。
 いっそすっぱり諦めよう。

 控え室で着替え終え、僕はさり気なく部員たちと離れて、とぼとぼと家路を歩き出す。

 空は曇っていて、今にも泣き出しそうだ。

「はあ…」

 何度目かになる溜め息を、僕はまたついた。

 つん。
 と、肘あたりの袖を後ろから引っ張られる。

「え?」

 振り返ると、僕は目を大きく見開いた。

「さっちゃん…!?」
「その…、試合には負けちゃったけど、大事な話って、なんなのか気になっちゃって…」

 さっちゃんはうつむいたまま、小声でそう言った。

 突然の展開に、僕はゴクリと息を飲み込む。

 これは、神様がくれた最後のチャンスだ!
 落ち着け!
 落ち着くんだ近藤直人!
 しっかりと、さっちゃんに気持ちを伝えるんだ!
 好きだって言うんだ!

 僕は意を決し、さっちゃんの顔を真正面から見据える。

「さっちゃん、大事な話っていうのはね? 僕…」

 やはりなかなか切り出せない。
 僕はぎゅっと強く目をつぶった。

「僕…! す、好きな人がいるんだ!」
「あはは」

 この場にふさわしくない笑い声。
 目を開けると、さっちゃんは目に涙をいっぱいに溜めて微笑んでいる。

「そんなことだろうと思った」
「え?」
「綺麗な人だもんね」
「え? なにが?」
「ああいう大人な女の人、いいなあ。近藤くんったら、隅に置けないんだから」
「え? いや…」
「末永くお幸せにね」

 その言葉に、僕の胸がズキンと傷んだ。

 そうか…。
 さっちゃんは、やっぱり僕のことを避けているんだ。
 考えてみたら、さっちゃんがクマのぬいぐるみをわざわざ隠していたのだって、僕に正体を隠したいからじゃないか。

 そうだよ。
 まだ小さかったあの頃と今は違うんだ。
 今のさっちゃんは僕に恋なんてしてないし、むしろ僕が想いを寄せたって迷惑なだけなんだ…。

 僕は精一杯の笑顔を作る。

「いやあ、参ったなあ。もう逢えなくなるみたいな言い方しないでよ。これからもさ、なんかあったらまたみんなで遊ぼう? 僕ら、ほら。友達、なんだからさ」
「そ、そうだよね!」

 さっちゃんの瞳からポロポロと涙がこぼれた。
 にもかかわらず、彼女は満面の笑みを浮かべている。

「あたしたち、友達、だもんね! これからもまた、あ、遊ぼうね!」

 さっちゃんがぐいっと涙を拭う。

「さよなら」

 そのまま振り返ると、さっちゃんは駆け出し、行ってしまった。

 ポツポツと雨が降り出して、やがて大降りになる。
 僕はそれでも、その場からしばらく動けない。



 最終話「昨日からの卒業」に続く。
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/462/

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 参照リンク。
【ベタを楽しむ物語】春に包まれて
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/380/

拍手[3回]

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2011
December 23
 第1話・再会
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/457/

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「早苗だから、さっちゃんって呼ばれてるの」

 そのさっちゃんとはクラスが別々なので、一緒の班になれるなんてことはなかった。

 僕は古いお寺や仏像なんかを見て回るのは嫌いじゃないんだけど、周りの友達はこういうのが退屈みたいだ。

「早く自由時間になんねーかなあ」
「まあまあ」

 僕は親友の肩を叩き、なだめる。

「せっかくの修学旅行なんだからさ、そういうこと言わない言わない」

 紅葉が綺麗な古都は今、日本ではどこでも見られる街並みに変わってしまっているけれど、僕は秋の涼しげな空気を目一杯に吸い込んだ。

 宿泊先の旅館は雰囲気のある木造の建物で風情があるし、料理も凄く美味しくて、僕はとっても満足だ。
 入浴時間が限られているけれど、温泉があるというのもポイントが高い。

「近藤! お前、ジャンケンに負けたんだから、みんなの布団引いてから来いよ」
「とほほ…」
「じゃ、俺ら先に行ってるからなー!」

 慣れない作業だけど、どうにか人数分の寝床を用意して、僕はあたふたしながらようやく浴場へと向かった。

「いい湯だなあ~」

 僕があまりにももたもたしてしまったからなのか、みんなはもう上がってしまった後のようだ。
 大急ぎで来たんだけどなあ。
 大浴場には僕以外誰も人がいなくて、なんだか貸し切りをしているようで贅沢でもあり、同時にこんなに広いにもかかわらず1人きりで入っていることを寂しくも思った。

「あれ?」

 どうやら誰か来たらしい。
 脱衣所からガヤガヤと声が聞こえる。
 だけど、なんだか様子がおかしいぞ?
 喧騒に違和感を覚えた。

「うわあ! 広~い!」
「あたしたちが1番乗りみたいねー」

 女子たち!?
 なってこったァ!
 焦って来たせいで男湯と女湯を間違えた!?
 どうしよう!?
 みんな僕に気づかず、こっちに来る!

 僕は忍び込んだ暗殺者のように気配を絶つと、そそくさと岩で出来たライオンの陰に隠れ、女子たちに背を向けると、口元から下を湯船に沈める。

「さっちゃん、胸大きい~」
「ちょ。ちょっと! やめてよう!」

 嘘だろォ!?
 さっちゃんまで居るのかよぉー!

 またさらに見つかっちゃいけない要素が増えた。
 僕はさらに水面に身を隠し、ぶくぶくと顔を沈める。

------------------------------

 みんなでわいわいお風呂に入るのも楽しいんだけど、1人でゆったりする時間も好きだ。
 きゃっきゃと騒ぐクラスメイトたちを眺めながら、あたしはどこかの岩陰でのんびりしようと浴場を見渡す。
 あの口からお湯を出してるライオンの辺りでいいかな。

 湯に浸かって、ゆっくりと奥へ。

 しかし、そこには既に先客があった。
 あたしと同じ発想をする人も、そりゃいるよね。

 メガネを外しているのでぼんやりとしか見えない。
 短めのショートカットにしているその人はよっぽど温泉が好きなのか、頭の上半分しか湯面に出しておらず、こちらに背を向けているようだ。
 あたしはその隣で足を伸ばすことにした。
 とてもリラックスできていることが、自分でも解る。

「気持ちいいね~」

 と、隣に声をかけた。

「さっちゃん…!? いえ、ううん? そ、そうね。き、気持ちいいわ?」

 自然に声をかけたら、不自然な声が返ってきた。
 それはそれは見事な裏声で、あたしは一瞬押し黙る。

「ねえ、大丈夫? のぼせてるの?」
「いいええ。だ、大丈夫だわ?」
「だわ…? ねえ、平気? なんか耳まで赤くなってるみたいだけど」
「本当に平気ですわよ? お構いなく」

 とても平気とは思えない声色だ。
 どこかふらふらしているし、これは湯あたりを起こしているんじゃないかしら。

「ねえ、無理しないで、具合が悪かったら先に上がるんだよ?」
「上がれるもんならさっさと上がりた…! ううん、なんでもないわよ?」

 様子どころか言葉遣いまでおかしい。

 あれ?
 そういえば…。

 あたしの脳裏にちょっとした疑問が浮かぶ。

 うちのクラス、ここまで髪の短い子、いたっけ…?

------------------------------

 背後に来たさっちゃんがほんの少し黙ったから嫌な予感はしたんだ…。

「あなた、誰…?」

 その言い方からして、今の僕、もの凄く警戒されてる。

 誰かと訊かれても返す言葉がなくて、僕は黙り込むしかなかった。

 さっちゃんが皆に顔を向けるような気配を、背後で感じる。

「ちょっとみんな! こっち来…!」
「わああ!」

 慌てて僕は振り返り、さっちゃんの口を手で覆って塞いだ。

「んんー! ん? んン?」
「そう! 近藤だよ! お願いだから静かに!」

 と、僕は声を抑えた。

「間違えて女湯に入っちゃって、出られないんだ!」
「ンー、うん」
「あ、ごめん」

 さっちゃんの口から手をどけると、彼女は湯船の中の体を手で隠しつつ、僕に背を向けた。
 僕も慌ててそっぽを向く。

 さっちゃんが小声になった。

「本当に、近藤くん…? あたし今、メガネなくて…」
「残念だけど、本当に僕だよ。でも信じて。僕、本当にここが男湯だと思って…」
「男湯だったよ?」
「え?」
「ここ、時間帯で男女の入浴時間、変わるから」
「ああ!? そうだ! 忘れてた! 僕ジャンケンに負けたからそれで…!」
「しっ! 静かに!」
「あ、ごめん」

 どうやらさっちゃんに嫌われずに済んだようでそこは一安心だけれども、でもまだまだピンチだ。

「さっちゃん、僕どうにか出たいんだけど、どうしよう…」
「ええっと、ちょっと待ってて!」

 背中越しに水音が聞こえた。
 さっちゃんが立ち上がった気配があって、僕はついドキッとしてしまった。
 僕の真後ろには今、産まれたまんまの姿のさっちゃんが…!

 ちゃぷちゃぷと彼女はどこかに行って、やがて遠くから大声がした。

「きゃあ! 滑ったあ! あ、あたしのメガネがー!」

 どうやら彼女は転んだ振りをしてくれたらしい。
 不器用ながらに演技をしてくれた。

「あはは! あんたってどうしていつも何もないところで転ぶのよー!」
「だってー!」
「メガネがなんて? 落としちゃったの?」
「うん、あっちに滑って行っちゃった、と思うんだけど」
「どっちどっちー?」
「あっちー!」

 女子たちの目が浴場の片隅に行っているうちに、僕はそそくさと脱衣所へと早歩きをした。
 助かった…。

------------------------------

「さっきのお礼がしたいんだけど」

 夜、近藤くんがそう進言してくれた。
 鼻にティッシュを突っ込んでいるけど、これはのぼせたせいで鼻血でも出したのだろう。

「どんなお礼がいいかなあ?」
「そんなのいいのに」
「いいからいいから! このままじゃ僕の気が済まないから! なんでもいいから、なんか言ってみてよ」
「そうだなあ」

 考え込む。
 あまり図々しいお願いじゃなくて、近藤くんも一緒に楽しめるようなことがいいよね。

「あ!」

 思いついた。
 うちの班の子たちがさっき「男子の部屋がどんな感じなのか見てみたいよね」などと盛り上がっていたのだ。

「あのね? 近藤くん、嫌だったら断ってね?」
「うん、なんでもいいよ。なに?」
「うちの班のみんなで、近藤くんたちの部屋に遊びに行っても、いい…?」

------------------------------

「そんなのいいに決まってるよ!」

 間髪入れず、僕は力強く言い切っていた。

 こうして消灯後の今、この部屋は夢のようなことになっている。
 中には「女なんかに興味ねえよ」と強がっている男子もいたけれど、「興味なければ喋らなきゃいいさ」と軽く流した。

 最初は誰もが何を訊ねて何を話したらいいのか判断できないみたいで、ぎこちなかった。
 でも、自己紹介とかなんだかんだやっているうちに盛り上がって、時間はあっという間に過ぎてゆく。

 本来だったら「俺今日は寝ねえから!」なんて断言した奴がぐーぐーといびきをかいたり、「うちのクラスで1番可愛いと思う女子って誰?」なんて普段なかなかできない話をしたりする時間帯だ。

 ドアに1番近かったのは親友の春樹だ。
 その春樹が何かに気づき、小さく叫ぶ。

「やっべ! 見回り来る! 安田先生だ!」
「マジ!?」

 ただ起きているってだけでも怒られてしまうだろうに、今はよそのクラスの女子を連れ込んでしまっている。
 これが先生に見つかったら反省文どころじゃ済まされない!

 僕は咄嗟にさっちゃんの手を掴んだ。

 誰かが慌てて電気を消し、部屋は真っ暗闇に。

 物音からして、みんな布団に潜り込んだようだ。

 僕はさっちゃん布団に引き入れる。
 2人で頭から布団を被って息を殺した。

 心臓の音が高まる。
 なんでここまでドキドキするのだろう。

 先生がガチャリとドアを開けて、この部屋を覗き込んでいるからか?
 解らない。

 シャンプーのいい香りが、すぐそこでするからか?
 解らない。

 布団の中で、さっちゃんが僕に抱きついてきているからだろうか?
 解らなかった。

 先生が去ったあとも、僕らは「気配を消すため」という名目で、しばらくそのままの体勢でいた。

------------------------------

 あれから、前以上に近藤くんを意識するようになってしまい、彼を見かけても何も話しかけられなくて、あたしはずっとうつむいてばかりいた。

 時間ばかりが過ぎてゆく。
 あたしがメガネをやめてコンタクトをするようになった冬。
 クリスマスもバレンタインも、あたしの期待するような出来事は起きなくて。

 さらに時間が流れ、春。
 近藤君が17歳の誕生日を迎えたときも、何もしてあげられなかった。

 それでも同じクラスになれたらいいなあ、と密かに思っていたら、その願いが通じたらしい。
 あたしたちは3年生で一緒になった。

 そして、夏。

「僕の伯父さんが民宿やってて、何人かで行こうと思うんだ。さっちゃん、夏休みにどう?」

 あたしはそれでようやく「行きたい」と、素直な笑顔を近藤くんに向けることができた。

------------------------------

 ずっと変な意識をしていたせいでさっちゃんとなかなか話せなかったから、「安くしとくから友達でも連れておいで」と言ってくれた伯父さんに感謝感謝だ。
 おかげで、彼女を誘ういいきっかけになった。

 去年の修学旅行から全く接することができなかったツケを取り戻すかのように、僕らは海で大はしゃぎをした。

「あはは。待てー!」
「やだー!」

 浜辺で鬼ごっこをしてさっちゃんを追いかけたり、

「何を書いてたの?」
「ううん! なんでもないっ!」
「いいじゃん、教えてよ」

 さっちゃんが砂浜に何かしらの落書きをしていたことを執拗にからかったり。

「今日はこれに乗ろうよ」

 僕が叔父さんからゴムボートを借りてきたのは、2日目のお昼だ。
 台風が近いせいか波が荒ぶっているけれど、僕はこれにさっちゃんを誘って一緒に乗った。
 少し沖に出る。

「きゃあ!」

 突然の大波にボートが激しく揺れて、さっちゃんを海面へと放り投げる。

「あはは。大丈夫? さっちゃん」

 手を差し延べるが、しかし。
 さっちゃんはバシャバシャと水面をかき、暴れている。

 まさかさっちゃん、泳げない!?

 僕はさっちゃんを抱えようと、大慌てて飛び込む。
 しかし、その判断は間違っていた。
 溺れる人というのは必死だから、目の前に何かあったら無条件でしがみついてしまう。
 正面から近づいてしまった僕はしたがって、さっちゃんに羽交い締めにされてしまい、そのまま一緒に溺れることとなってしまった。

「さっちゃ、ちょ…! 離し…!」

 このままじゃ2人とも助からない!
 息ができなくて、海水が鼻から口から入ってきて苦しい。
 死ぬってこんなに辛いことなのか…!?

 と思っていたら、僕を掴んでいた腕がふわりと離れる。
 どうにかボートまで泳ぎ、掴まって一息つくと、僕は再び青ざめた。

「さっちゃん!」

 彼女は、僕よりも先に気を失ってしまっていた。

 ボートを浮きにし、ようやくさっちゃんを浜辺まで運んできた。
 彼女は気を失っていて、このまま大事に至ってしまうのではないかと、僕らはてんやわんやだ。

 成績優秀な伊集院くんや白鳥麗子さんといった頼り甲斐のあるクラスメイトがたまたま岩場を見に行って不在だったことも、タイミングが悪かった。

「どうしよう!?」

 春樹に頼ると、あいつは断言をする。

「人工呼吸だ近藤!」
「そんなの、やったことないよ! 佐伯さんは!?」

 女子は女子で「あたしだってないわよ! いいから早くやって近藤くん!」と、何故か僕に振る。

「そんな! 命が関わってるのに、僕なんかじゃ…! 春樹やってくれよ!」
「俺のほうがもっとわかんねえよ! 佐伯やれよ!」
「あたしはこの場で最もそういうのに詳しくないわよ! いいから近藤くん!」
「だ、だって! 無理だよ人工呼吸なんて! 春樹! 頼む!」
「そ、そうか。これも人命救助だ、し、仕方ねえ…。…あのさ、人工呼吸って、舌入れてもいいんだっけ?」
「やっぱり僕がやるよ春樹」

 改めて、まじまじとさっちゃんを顔を見つめる。
 彼女は目を閉じたままだ。

 こんなときにそんなことを感じちゃいけないのは解ってる。
 解ってはいるんだけど、人工呼吸、かあ。
 言うまでもなく、それはマウス・トゥ・マウスだ。
 唇に、唇をあてなくてはならない。

 さっちゃんの唇に、僕の唇を…。

 いやいやいかん!
 そんな邪な発想を持つなんて不純だ!
 これはキスじゃなくて、人命救助なんだから!

 僕はさっちゃんの鼻を摘んで、口を近づける。
 そんな僕の様子をまじまじと見つめる春樹と佐伯さんの視線を感じた。

 あと1秒で、僕の唇はさっちゃんの唇と接触する。
 というそのとき、

「あたし溺れてた!?」

 ガバっとさっちゃんが起き上がり、彼女の額が僕の顔面を強打した。

「ぐあッ!」

 遠のく意識の中、思う。
 次に気を失うのは、どうやら僕のようだ。

------------------------------

 優子ちゃんや春樹くんの話によると、近藤くんは溺れて気を失っていたあたしを助けようとしてくれたらしい。
 それなのに、あたしが急に起き上がってしまったせいで…。

 浜辺に立てたパラソルの下で、あたしは両膝を揃え、崩した正座のような姿勢で涼んでいる。
 近藤くんの頭は、そんなあたしの太ももの上にあった。

「そのうち勝手に目を覚ますよ」

 春樹くんはそう言って笑っていたけど、あたしは責任を感じてしまい、とても近藤くんを放って遊ぶ気になんてなれない。

 近藤くんの寝顔は、なんだか無邪気な子供みたいで、男の子にこんなこと言っちゃいけないのかも知れないけど、可愛い。
 茶色がかった短い髪を、少しだけ撫でてみた。

「あれ?」

 近藤くんの左の肩に、傷のような跡があることに気づく。
 正面や背中から見たら解らない角度だ。
 これは確かに傷跡だった。

 再び、幼かったあのときを思い出す。

 風で飛ばされた帽子を取るために崖に上り、そこから落ちて左肩を怪我をしてしまった男の子…。
 あたしの運命の人だった、なおくん。

 近藤くんの下の名前は、直人…。
 なおくん…。

「そんなまさか」

 以前もなおくんイコール近藤くん説を勘ぐったことがあった。
 あの時は冗談を思いついたような感覚だったけど、でも今は違う。

「んん~。…あれ? さっちゃん?」

 近藤くんが目を覚ます。

「ご、ごめん! ずっと、その、膝枕、しててくれた…?」
「あ、ううん! こちらこそごめんね! あたしが勝手に溺れちゃっただけなのに」
「とんでもないよ!」

 近藤くんが起き上がる。

「さっちゃんが無事でよかった~」

 その笑顔は、間違いなく一緒だった。
 幼少時代、あたしの帽子を取ってくれたときのなおくんの笑顔と、一緒だった。

「あの、近藤くん」
「ん? なに?」
「その肩って、怪我でもしたの?」
「あはは」

 近藤くんは照れたように頭を掻いた。

「そうなんだ。子供の頃、崖から落ちてね」
「それって、何かを取りに登ったとかで?」

 すると彼は目を丸くする。

「よく解ったね! なんで解ったの?」

 間違いない。
 この人だ。
 この人、なおくん本人だったんだ。
 あたしと将来を誓い合った、運命の人…。

 …この一連のエピソードはハガキに書いて、いつものラジオ局に投稿しておこう。

 誰にも話せない、あたしの秘密。
 あの人に気づかれたら恥ずかしい。
 でも、気づいてほしいから。



 第3話「すれ違う想い」に続く。
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/459/

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 参照リンク。
【ベタを楽しむ物語】春に包まれて
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/380/

拍手[5回]

2011
December 17
 どうやら2回で、僕のプロポーズは成功したみたいだ。

「僕が、君のお婿さんになってあげる」
「なんか男らしくないー」

 それならと、僕は僕なりに頭を捻る。
 じゃあ、これならどうだろう?

「…一生、君を守るよ」
「それだったら、まあ、いいかな」

 あの頃は毎日のように遊んでいたっけ。
 僕の初恋はとても早くて、当時はまだ3歳だった。
 お相手は近所に住む同い年の子で、名前はさっちゃん。
 黒いふわふわの髪が印象的な、明るい女の子だ。

 マセているというか、あの時は子供ながらに相思相愛で、結婚の約束までしてたっけ。

「あたしが16歳になったら結婚しよー!」
「ダメだよ、さっちゃん。男は確か、18歳にならないと、結婚できないんだよ」
「じゃあ、なおくんが18歳になったらね!」
「うん!」
「いつなるの?」
「えっとね、えっとね、今3歳だから、ずっと先の3月!」
「どんぐらい先?」
「わかんない。18歳になったら!」

 それで、近所の大桜の根元に2人で作った婚約指輪を埋めたんだった。
 懐かしいなあ。
 今もまだ埋まっているんだろうか。

 さっちゃんは、元気にしてるかなあ。

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 なおくん、今頃どうしてるのかなあ。
 凄くカッコよくなってたりして。

 あの頃、あたしのせいで肩を大怪我しちゃってたけど、傷になってないかな。

 女の子ってゆうのはどんなに幼くても女の子だ。
 まだ3歳だったけど、あたしはそのときからお洒落するのが大好きで、いつもお気に入りの帽子を被っていた。
 なおくんという同い年の男の子のことが大好きで、その帽子も彼のために身に付けていたものだ。

 当時、あたしたちは両想いで、今となっては恥ずかしいんだけど、いつでも一緒にくっついて遊んでた。
 公園なんかにも行ったし、近所の高校の裏に丘があって、そこでもちょくちょく探検ごっこしてたっけ。
 桜の花びらがまるで大雪みたいに降ってて、凄く綺麗だった。

「あっ!」

 突然吹いた風に、お気に入りの帽子が飛ばされる。
 帽子はふわふわと空に上って、やがてゆっくりゆっくり、木の葉みたいに右に左にと揺られながら落ちてきた。
 崖から突き出た岩に、ふわっと帽子が着地して、あたしは泣き出しそうになる。
 大人でも手が届かないぐらいの高さに、帽子が引っかかってしまったからだ。

「ちょっと待ってて、さっちゃん」

 なおくんが迷うことなく崖にしがみついた。

「いいよう! なおくん、誰か呼ぼうよう!」
「大丈夫! すぐ取るから待ってて!」

 落ちたら死んじゃう!
 なんて、今となっては有り得ない危機感を、その時は持ったものだ。
 それでも当時は幼いながらも真剣に心配してて、あたしはずっと声を張り上げ続けた。

「もういいよう! なおくん! 降りてきてよう!」
「平気平気! 落ちるわけな…!」

 そして彼は落ちた。
 なおくんは帽子を取るときに手を伸ばしすぎたせいで、バランスを崩してしまったのだ。
 なおくんの左肩から血が滲んでいるのを見て、あたしは帽子のことなんかどうでもよくなって、大泣きしながら大人の人を呼びに走り回った。

 何針縫ったとかなんとか。
 後日になって、親がお詫びのために、あたしと一緒になおくんの家まで行ったんだったなあ。

 なおくんは怪我をしたにもかかわらず、いつも通りの笑顔で、「はいこれ!」って帽子を返してくれた。

 あたしたちは絶対に結婚するんだって、お互い決めてて、それは運命なんだって当たり前のように思ってて…。
 でも、そうじゃなかった。

 あたしのパパが転勤することになって、この町を引っ越さなきゃいけなくなった。

「なおくん、ごめんね。ごめんね」
「やだ! さっちゃんが遠くに行っちゃうの、やだよ! いつか帰ってくる?」
「わかんない…」
「じゃあ僕が18歳になっても結婚できないじゃん! さっちゃんなんて、嫌いだ!」
「なおくん…」

 あれが最後の大喧嘩だったなあ。

 向かい合わせになった電車の席に座り、あたしはママの横でしょんぼりと下を向いていた。
 この町を出ることなんかよりも、大好きななおくんにもう逢えないことと、そのなおくんに嫌われてしまったことが悲しくて悲しくて、とてもじゃないけど顔を上げることができなかった。
 目を閉じると、今にもなおくんの声が聞こえてきそうな気がする。

「さっちゃーん!」

 そう。
 なおくんはいつもあたしの名を呼んでくれてた。

「さっちゃーん!」

 よほどなおくんに逢いたいのか、錯覚の声が大きくなってきているような気がする。

「さっちゃーん!」

 え?
 本当に聞こえてる…?

 車窓を押し上げ、身を乗り出す。
 そこには、息を切らせたなおくんの姿が。

「なおくん!? なんで!?」
「さっちゃん、これ!」

 なおくんが手渡してくれたのは、茶色いクマのぬいぐるみだ。

「プレゼント! 大事にしてね」
「なおくん…」
「また逢えるよね? それまで寂しいと思って、ぬいぐるみ」
「なおくん! 大好きだよ! また逢おうね! 絶対絶対逢おうね!」
「うん! 待ってるよ! 元気でね! …元気でね、さっちゃん!」

 発車を知らせるベルがなって、やがて電車が進み始める。
 なおくんは、電車の速度に合わせて駆け足になった。
 あたしも座席から降りて、車内を進行方向とは逆に走り出す。
 手を、大きく大きく振りながら。

 あれから14年、かあ。
 懐かしいなあ。

 今になって彼のことを思い出す理由が、あたしにはあった。

「間もなく~、桜ヶ丘~、桜ヶ丘~」

 またまたパパの都合で、あたしたち一家は元の町、この桜ヶ丘に戻ってくることになったのだ。

 さすがに街並みは昔のままじゃない。
 なおくんの家も、どの辺りなのか思い出せないし、すぐに見つかるとも思えない。
 けど、逢えたらいいな。

 なんてことを葉書に書き連ね、ポストに投函する。
 これがラジオに採用されて、運命の人に聴いてもらえますようにと祈りを込めて。

 あたし、帰ってきたよ、なおくん。

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「ちょ、やめてくださいっ!」
「ああ~ん? いいじゃねえかよ~? ちょっと付き合えよ、ね~ちゃ~ん、コラァ~」

 なんだか穏やかじゃない声を聞いたような気がして、反射的に僕はビルとビルの間を覗き込んだ。
 思わず息を呑む。

 女の子が、2人組の不良に絡まれているじゃないか!

「お茶しに行こうぜ~? カワイコちゃ~ん。あっあ~ん?」
「やめてください! は、離して…!」

 女の子は壁に背を付けていて、2人がそれに覆いかぶさるような体勢になっている。
 不良の片方が彼女のメガネを取って地面に放る。

「ちょ…! なにするんですか!?」
「言うこと聞かねえと、もっと酷いぜ~? コラァ~」

 は、早く止めに入らないと!

 僕は震える足をガクガクさせながら前に出した。

「や、やめなよ! 嫌がってるじゃないか!」
「ああ~ん?」

 不良たちが僕に注目する。
 このままどうにか2人をおびき寄せて、女の子が逃げられるようにしないと…!
 僕はごくりとツバを飲んだ。

「嫌がってるのを無理矢理連れて行くのは、よくないよ」
「なんだあ? テメー、生意気じゃねえかコラァ!」
「ぶっ飛ばすぞコラァ!」

 胸ぐらを掴まれ、壁に押し付けられる。
 横目をやると、女の子は胸の前で手を組みながら、その場でおろおろと佇んでいる。
 なにやってんだ!
 そのままどっかに逃げてくれ!

「テメー! よそ見してんじゃねえぞコラァ!」

 僕を壁に押し付けている男が拳を振り上げた。
 ばきっ!
 という音が頭の中に響いて、僕は地面に尻餅を付く。

「いてて…」
「カッコ付けてっからそういう目に合うんだコラァ!」
「西高の風神テツと雷神カズをナメんじゃねえぞコラァ!」

 そのとき、「ピー!」と甲高い高音が鳴り響く。

「こらー! お前ら、そこで何やってる!?」

 お巡りさんだ!
 助かった!
 不良たちがうろたえる。

「やっべえ! ポリ公だ!」
「お、覚えてやがれ!」

 警察官に追われ、不良たちはどこかに走り去っていった。

「あの…」

 胸の前で手を組んだまま、女の子がこちらに歩み寄ってくる。
 彼女はハンカチを取り出すと、それをおずおずと僕に差し出してくれた。

「痛い、ですよね? すみませんすみません」
「いやいや、僕は大丈夫。それより、君は? 乱暴なこと、されなかった?」
「あ、あたしは大丈夫です」
「そっか、ならよかった…」

 女の子を見ると、彼女はさっき外されたメガネを拾ったらしい。
 いつの間にか分厚くてまん丸なメガネをかけている。
 かなり目が悪いようだ。

「痛く、ないですか?」
「大丈夫大丈夫!」

 差し出されたハンカチで僕は口元を拭い、よろよろと立ち上がる。

「あの、ありがとう、ございました」

 うつむいたまま、彼女は小声でそう言った。
 自分のせいで僕が殴られてしまったのだと、責任を感じているんだろう。
 暗い声色だった。

「大丈夫だよ、僕は。あ、ごめん。ハンカチ、汚しちゃったね。洗って返すよ」
「いえ! 大丈夫です!」

 あまりに強く言い切られてしまい、ついハンカチをそのまま返す。

 じわじわと、危機が去ったことを実感した。
 なんだか安心してしまい、僕は思わず本音を口にする。

「無事に済んでよかった。…けど、怖かった~」

 その一言に彼女はクスリと笑い、やがて僕らは2人で大笑いした。

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「あの、お名前、教えてください」

 訪ねると彼は、

「いやいや、そんな! 名乗るほどの者じゃないよ! たいしたことできなかったしね」

 そう遠慮して、そそくさとどこかに行ってしまった。

「あ、待ってくだ…!」

 しかし言うのが遅くて、彼の後ろ姿はあっという間に雑踏へと消えた。

「なんでもっとちゃんとお礼言えなかったのよ~! あたしのばか~! …あれ?」

 さっき彼が転んでいたところに、何か落ちてる。
 なんだろう?

 拾い上げてみる。
 それは生徒手帳だった。
 手帳には見覚えがある。
 あたしと同じ、桜ヶ丘学園の生徒手帳だからだ。
 彼のかも知れないと思って中を開くと、案の定。
 優しげな目をしたあの人が写っている。

「近藤、直人…?」

 まさかね。
 あの人が実はなおくんだった、なんて話が出来すぎてる。

 あたしはクスリと笑って、歩き出す。
 手帳にある住所に向かって、さっきのヒーローに落し物を届けるために。

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 生徒手帳を届けてくれた彼女は畑中早苗と名乗った。

「わざわざ、ありがとう」
「いえ、とんでもないです!」

 彼女はあたふたと両手をバタバタ降って、その振動でズレたメガネを慌ててかけ直す。

「助けてもらったのに、ちゃんとお礼できなくてすみません!」
「そんな! 気にしないでよ。なんだか僕のほうが恐縮しちゃうからね」
「あ、はい! そうですよね!? すみません!」
「いやいやいやいや」
「じゃああたし、これで失礼しますっ! さっきは本当にありがとうございました!」

 ガバッと勢い良くおじぎをして振り返ると、そのまま走って、彼女は行ってしまった。
 とっても慌ただしい子だなあ、とその時は思ったものだ。

 本来ならこの縁はここで終わるんだろうけど、でもそうじゃなかった。

 2年生の秋。
 印象的なメガネを廊下で見かけ、ふと立ち止まる。

「あ、あの時の…」

 廊下で同時に口をポカンと開け、しばらく2人とも固まってたっけ。

「桜ヶ丘の生徒だったんだ」

 と、僕。
 すぐ隣の教室に畑中さんがいたことを、当時の僕は知らなかったのだ。

「あたし、転校してきたばかりなんです」
「あ、そうだったんだね」

 廊下の真ん中で彼女は指をもじもじと絡ませ、うつむいていた。

 そんな時、次の授業を知らせるチャイムの音が。

「あ、教室に戻ら…、きゃあ!」

 焦って急ぎ足になったからなのか、彼女は何もない床につまずいて転んだ。
 その反動で、畑中さんのメガネが落ちる。

「大丈夫!?」

 手を貸すために、僕はしゃがみ込んだ。

「ありがとう」

 その目を見て、胸が激しく高鳴る。

 こんなに可愛らしい目をしていたなんて、メガネが厚いせいでちっとも知らなかった。
 彼女の綺麗な瞳が真っ直ぐ僕に向けられている。

「あの、あたしの、メガネ…」
「え!? あ、ああ! あそこだ! はい、これ」
「あ、ありがとうございます」

 人前で転んでしまったことが恥ずかしかったのか、彼女はそのまま教室へと駆け込んで行く。
 僕はポカンとその場に取り残された。

 畑中早苗さん、か…。

 ふと、初恋の人が頭をよぎる。
 さっちゃんの「さ」は、早苗の「さ」…?
 なんて、まさかね。
 そんな上手い話、あるわけがない。

 僕は苦笑いをしながら自分の教室へと戻る。



 第2話「募る想い」に続く。
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/458/

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 参照リンク。
【ベタを楽しむ物語】春に包まれて
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/380/

拍手[12回]

2011
April 30
 目次&あらすじ
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/435/



      3

「で、涼、どうだったよ~?」

  和也が友人らの顔を見渡す。

  アメリカンを意識した木造の内装と、マスターが煎れた特製コーヒーの良い香りが、今日も部活動の疲れを緩和させていた。
  夕日が差し、照明を助けている。

  大地は今朝の模様を思い返す。

「遺伝子について悩んでるみたいだった」
「違うよ」

  由衣がちょいちょいと手を振った。

「一目惚れについて考えてたんだよ、涼は」
「全体的に様子がおかしかったんだけど」

  小夜子が首を傾げる。

「古代のギリシャがどうとか言ってたから、歴史について悩んでたんじゃないの~?」

  和也は相変わらずのんびりとした調子だ。

「あいつ、俺には本を読まねえと駄目だとか言ってたぜ~?」
「結局あいつ、何について悩んでんだ?」

  大地のつぶやきに、誰もが「さあ」と不思議そうに首を捻る。

  今日の客は大地たちだけだ。
  一番奥のボックス席がいつもの場所で、そこに由衣と小夜子が先にいたのは確率の高い偶然だった。
  ほんの十分ほど前、大地は和也と一緒にルーズボーイにやってきていた。

「やあ」

  マスターはいつもと同じように手短な挨拶をし、「2人、もう来てるぞ」と咥え煙草を奥に向けた。

  このバーには大地たち専用の特別裏メニューが存在していて、大地が「俺スペシャル」と頼めば餅がメインのチーズグラタンが出てくるし、和也が「俺スペシャル」と注文すればハチミツ入りのパフェが登場する。
  ダブルとかトリプルなどと付け加えれば、これらは信じられないぐらい大盛りにされる。
  大地と和也のオーダーは今日も、そんな俺スペシャルのトリプルだ。

「君たち、たまには裏メニュー以外の物も食べたらどうだ?」

  煙が入ったのか、マスターは目を細める。

「あと、飲み物も頼んでくれ」
「んじゃあ、グレープフルーツジュースで」

  と和也。

「俺、アイスミルクティお願いします。ってゆうか客に注文を促すマスターって、珍しいっすよね」

  大地はつい顔を緩める。

「しかも、いつも咥え煙草で」
「君らに気ィ遣ってたら、疲れるからだ。普段はちゃんとしている」

  マスターは小さく鼻を鳴らし、伝票を書いた。
  そんな無礼さがフレンドリーに思えて、どこか嬉しく大地は感じる。

「ねえねえ、あのさ」

  由衣が口を開いた。

「もしかして涼、好きな人できたんじゃない?」

  一同の動きが、それでピタリと停止した。

「まさか」

  最初に動いたのは大地だ。

「もしそうだとしたら、判りやす過ぎだろ」
「涼って、好きな人できたら、ああなるの~?」

  これは小夜子が訊いた。

「さあ」
「わっかんねえ」

  和也が言うと同時に、大地も首を傾ける。

「もし恋だったら面白いよね」

  由衣が、取りようによっては失礼なことを言い出した。

「だって涼ってさ、いつもツッコミ役で、クールぶってるじゃん?」

  今まで発生したことがない恋愛の話題が新鮮なのだろう。
  由衣こそが胸をときめかせているように見えた。

  マスターがグラスを2つ持ってやって来る。

「そのクールぶったツッコミ役なら、今来たぞ」

  4人が反射的に目を走らせる。
  カウンターには幸の薄そうな雰囲気を纏った涼がいつの間にか座っていて、ちょうど溜め息をついているところだった。
頬杖をついた体勢が、なんだか思春期の乙女のようだ。

  テーブルの上に飲み物を置いて、マスターがカウンターの内側まで戻り、涼の正面に立つ。

  誰かがごくりと唾を呑んだ。
  成り行きを見守らなければならないような、妙な緊張感が漂う。

「マスター」

  涼が静かに顎を上げた。
  続く言葉は、なかなか衝撃的だった。

「マスター、何か、何か……、胸の痛みを和らげる飲み物を下さい。……下さい」

  どうして2回言ったのだろうか。

  大地が紅茶を盛大に吹き出す。
  和也のグラスを持った手はピタリと止まり、小夜子は口を半開きにさせて固まった。
  由衣の瞳孔が開く。
  全員が涼に見入った。

  マスターがズボンのポケットから煙草を取り出し、火を点ける。
  ゆっくりと煙を吐いた。

「薬局に行け」
「この痛みは、薬じゃ癒せないんです。……癒せないんです」

  無言のままでマスターはゆっくりと深く頷いた。
  ウォッカのボトルを手に取り、ショットグラスに注いで涼の前に置く。

「未成年者に飲ませられない物だが、内緒にするなら私が奢ろう」
「いただきます」

  高校生は制服姿のまま、グラスを一気に煽った。

  涼たち5人が高校3年生になったばかりの4月。
  この町にはまだ散り終えていない桜が目立っている。

  赤ん坊が消えたのは、この翌日のことだ。
  涼がうっとりとした目で、再び溜め息をついた。



  続く。

拍手[22回]

2011
April 30
 目次&あらすじ
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/435/



      2

  普段は冷静で思慮深いはずの涼が、明らかにおかしくなってしまったことがきっかけだった。
  昨日、そのことに最初に気づいたのは和也だ。

  春特有の暖かいそよ風が心地良い朝だった。
  薄っすらと青い空には、綿毛のような雲がいくつか浮かんでいる。

  登校すべく、バスに乗り込む。
  空手道部の早朝練習にはもはや参加できない時刻だったが、それでも授業には間に合うだろう。
  和也にとってはだから、これは早起きの範疇だ。

「お」

  と、心の中で言う。
  昔馴染みの同級生がこのバスに乗車していた。
  今日も茶色の髪を無造作に立たせている。
  涼だ。

  涼は下を向き、何やら力んでいる。
  まるで自分の体が存在していることを確認しているかのようだ。

  バスが発車したせいで、和也は大きめの体を少し揺らす。

「よ~」

  声をかけると、涼は驚いたような顔をし、細い目で和也を睨みつけてきた。

「願ってるそばから、どうして気づくんだよ!?」
「おあ?」
「頼むから今、俺に話しかけるな!」

  小声で怒鳴られる。
  トイレに急ぐときのような、切羽詰った態度だ。

「あン? どうしたんだよ、オメーよお~」

  和也が歩み寄ろうとすると、涼は目立たない仕草でそれを遮った。

「いいから! 頼む、静かにしててくれ!」

  やはり声を潜めたままだ。

  こりゃ俺には解らねえ何かしらの事情があって、たった今の涼は面白い状況に陥っているンじゃねえだろうか。
  和也の中で、そのような確信めいた予感があった。

  和也は涼の肩に手を置くのをやめて、その細目を覗き込む。

  喧嘩っ早く、考えることが苦手な和也とは逆の性質を、涼は持っている。
  いつでも賢く、物静か。
  小学生の頃からそうだった。

「もうちょっと普通にしろよ」
「なんでお前はいつもそうなんだ」
「引率の先生みたいな気分にさせやがって」

  そのように、何度怒られたことか。
  でもたった今は、お前が変な挙動じゃねえか。
  和也は笑いをこらえる。

  西夢見からは電車に乗り込むことになる。
  2人でバスを降りて、和也はそれまで守ってきた沈黙をようやく破った。

「さっきのオメー、なんだったの?」

  バスを降りてからの涼には、体から力みが消えていた。

「カズ、お前さ、本は読むか?」

  言わんとしていることは相変わらず、さっぱり解らない。

「あ? いや~、絵が描いてあるやつなら読むけどよ~」

  活字を読むのは苦手なのだ。

「だからお前は野蛮なんだ」

  眩しそうな顔をして、涼は空を見上げた。

「やっぱ詩を読まないと、人間は高貴にはなれねぇンだなあ」
「おう、全く同感だぜ」

  頷きながら和也は、この後乗る電車の中でも涼に話しかけるのはやめようと決意する。



  ホームルーム直前。
  学生たちの喧騒の中に、大地の無邪気で明るい声が混じる。

「おうカズー! お前また朝練サボったから、オニケンめっちゃ怒ってたぞ」

  空手のライバルにそれを告げるだけのために、この教室までわざわざ足を運んだ。

「先生かなりご立腹だ」
「そんなことよりオメーよ~」
「そんなあっさりと流すの!?」

  まるで動じていない和也のふてぶてしい態度に、大地は目を丸くする。

  筋肉質な和也とは対称的に、大地はやや小振りな体格だし子供っぽい顔つきをしているものだから、人からは肉弾戦の能力があるようには到底思われない。
  和也の腕っ節の強さが地元でも有名なだけに、大地としては自分が持つ意外性が誇らしかった。
  和也と互角に戦える高校生は、大地だけだ。

  和也が口の端を吊り上げる。

「いいからちっとオメー、涼に話しかけてみろよ~。面白いからよ~」

  聞き捨てならない台詞だった。

「なに? 涼が面白いの?」

  持ちつ持たれつといった馴れ合いよりも、刺しつ刺されつ。
  そんな刺激を大地は心地良く思う。
  今日はどうやら、自分が刺す側に回れるらしい。
  涼が面白いとはすなわち、涼の様子がおかしい、つまり何かしらの弱みがあるということだ。

  窓際の後方に目をやると涼は席に着いていて、銅像のように静止していた。
  いそいそと彼の正面に立つ。

「涼、おはよう」

  いつもの涼だったら、大地がいつも腰からぶら下げている鎖の音だけで、悪友の接近に気がつくはずだった。
  ところが今日は微動だにせず、ただ黙って指を組み、それを口に当てたままでいる。

  いつのまにか自分はもう死んでいて幽霊になっているから、それで涼に声が届かないのではないか。
  そんな錯覚を大地は覚えた。

「なあ、涼!」

  手が届くほどの近距離なのに、大地は気づかれもしない。

「おい涼! おいったら!」

  目の前で手を振っても、涼は微動だにしないままでいる。
  いよいよ亡霊になった気分だ。

「くっそ!」

  ついに大声を出す。

「おい、っこの、栄養失調!」

  他の生徒が一斉に大地を見た。
  なんだか気まずい雰囲気で恥ずかしくなる。
  どうして反応しないのだ、この男は。

「あ、大地」

  やっと顔を上げると涼は、気の毒なほどにか細い声を出した。

  これではもはや、こいつのほうが亡霊だ。
  死んでいたのは涼のほうだった。

  亡者が口を開く。

「お前さ、人類が種を維持するために神が与えたプログラム、何て呼ぶか知ってるか?」
「邪魔したな」

  暗く澱んだ目をした友人を残し、大地はさっさと自分の教室へと引き返す。



「涼ー! なんかあんた、面白いんだって? 大地とカズが言ってたよ」

  弁当をさっさと平らげると、由衣は3年2組の教室を訪れていた。
  柔らかいショートカットの髪が、さらりと揺れる。

「なんかあったの? 元気ないじゃん」

  自分の大きな瞳がらんらんと輝いていることを、由衣は自覚していた。

「ああ、由衣か」

  伏せられていた涼の顔が、方向を調節するミサイル発射台のようにゆっくりと由衣に向けられる。
  遠くを見ているのか近くを見ているのか、判断できないような目線だった。

「由衣、お前さ、一目惚れって、信じる?」

  ゆっくりと、由衣は頷く。
  なんか知らんけど、この男はもう駄目だ。

  由衣は黙って微笑みを浮かべた。
  涼の額にそっと手をやる。
  もう片方の手は自分のおでこに添えて、互いの体温の差を測る。

「熱がないから、なおさら怖え」
「なあ由衣、目が合っただけで、人が人を――」
「いやああああッ!」

  由衣は駆け出し、その場を去った。



  帰宅の準備もしていないし、立ち上がる気配さえもないまるでない。
  今が放課後だと認識していないのだろうか。
  さっきから同じポーズのまま固まっていてオブジェみたいだし、これでは心配にもなる。
  小夜子はそれで、涼を誘うことにした。

「ね~、どうしたの~? 今日、涼、変だよ~?」

  この語尾を延ばす癖がいけないのか、小夜子は俗にいう「天然」のレッテルを貼られている。
  確かに最近までムー大陸を五大大陸の1つに数えていたし、聖徳太子と千手観音の区別もつかなかった。
  再生専用ビデオには再生のボタンしかなくて、テープを巻戻せないと思い込んでいた。
  それでも口癖は、「天然じゃないもん!」

「だってさ? 天然の人は、早い曲吹けないでしょ~?」
「その持論には根拠がねえよ」

  昔そう、涼に指摘されたことがある。

「サヨ? 天然も才能だよ? だからさ、そこは治さないで、むしろ伸ばそうよ」

  由衣には何故かアドバイスをされた。
  どいつもこいつも腹立たしい。

「だーかーらー! 天然じゃないんだったら!」

  毎度のことながら、涙目になって前提から否定をする。
  自覚が少しもないのだから仕方ない。

「ねえ涼、なんかあったの~?」

  再び尋ねたのは、涼が無反応だったからだ。
  彼は先と全く同じ体勢を維持している。

  小夜子は「ねえ」を、もう三回繰り返した。
  ねえ涼。
  ねえってば。
  ねえ。

  指で隠れている涼の口元が、やっと動く。

「本、貸してくれてありがとう。凄く素敵だったよ」

  謎の賛辞だった。
  涼に本を貸した覚えなどない。
  目線は相変わらずこちらを向かないままだし、夢でも見ているのだろうか。

「ね~、涼~」

  本日何回「ねえ」を言えば、話が前に進むのだろう。

「ああアレね!」

  涼が急に張り切った声を出した。

「古代ギリシャの星空が浮かんだよ」

  浮いているのはお前です。
  なんだか腹が立ってきた。

「意味わかんない! どうしたんだっつーの!」

  いい加減、質問に答えてほしい。

  しかし涼は「いや、そんな! とびきりの場所を探しておくよ」と、自分さえ探せていないくせに言い切って、そして頭を抱えた。

「ねえ涼! 探すって何をだっつーの!」
「え、あ、サヨか」

  涼は今まで誰と喋っていたのだろうか。
  愕然と力が抜ける。
  今までの自分の頑張りはなんだったのだろう。

「サヨかじゃないよう!」

  もはや怒りを通り越して涙が出てくる。

「涼もう、ホントどうしちゃったの~?」
「え、いやあ別に。どうした?」
「お前がどうしたんだっつーの!」

  鼻をすする。

「あたし、今日部活休みだから、由衣ちゃんとルーズ行くから、涼も誘おうと思ったの~!」

  いつもの溜まり場でなら、悩み事を打ち明けやすいのではないか。
  小夜子なりに、そのような気を利かせたつもりだった。

「だから、行く~?」

  涼がうっとりと笑んむ。

「サヨ、なんで人間は、夢を見るのかな?」

  会話になっていない。

「寝るから~?」

  よく解らなかったので、無難な解答を出しておいた。

  ダン、と大きな音が鳴る。
  涼が両手で机を叩き、手の平をそのまま机に押しつけ、わずかに立ち上がった。

「なぞなぞじゃない!」

  じゃあ、なに。

  涼は自分の頭に両手をやって、ぐしゃぐしゃと髪を掻き乱した。
  乱暴にシャンプーをするかのような激しい動作だ。

「古代ギリシャじゃ、人は街灯もない中夜空を見上げて、星で絵を描いて過ごした!」

  目撃でもしたのだろうか。

  でもまあ、なんだか必死のようだし、星座の話題に乗ってやろうと小夜子は思い、深刻な顔をした。

「大地がこないだ、オリオン座は砂時計座だって言ってた~」
「ああ」

  涼がうなだれる。

「詩人でない奴とは、俺は生きられないのか」

  重い息。
  下手な俳優が死の宣告を受けた患者を演じたら、きっとこんな感じだ。

「涼から詩の話なんて、聞いたことないよ~?」
「誰もが歩んできた道を、俺もまた進むのか」

  またしても会話が噛み合わない。
  何よりも、今日の涼は気味が悪い。

「ねえ涼、ホントどうしたの~? 春だから~? 私、キモいから帰る~」

  涼に背を向け、歩調を速める。
  振り返るのが怖かった。



  続く。
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プロフィール
HN:
めさ
年齢:
41
性別:
男性
誕生日:
1976/01/11
職業:
悪魔
趣味:
アウトドア、料理、格闘技、文章作成、旅行。
自己紹介:
 画像は、自室の天井に設置されたコタツだ。
 友人よ。
 なんで人の留守中に忍び込んで、コタツの熱くなる部分だけを天井に設置して帰るの?

 俺様は悪魔だ。
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