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夢見町の史

Let’s どんまい!

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April 25
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2010
July 31
【第1話・出逢い編】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/380/

------------------------------

「部活、ですか?」

新しい教科書を受け取るために職員室を訪れると、担任の安田先生があたしに提案をしてくれた。

「先生実はサッカー部の顧問をやっているんだけどな、マネージャーが足りなくて困ってるんだ。佐伯はもう3年生だけど、うちの部の3年生は秋まで引退しないから、是非と思ってな」
「でもあたし、マネージャーなんてやったこと…」
「なあに、誰だってみんなそうだ。どうだ? 思い出作りに」
「そういうことなら、まあ」

------------------------------

シュート練習を終えて休憩していると、同期の近藤が俺の隣に腰を降ろした。

「ねえ春樹、転校生の佐伯さんっているじゃん」
「え? あ、ああ」
「お前、彼女とどんな関係なんだ?」

こいつはクラスが同じだし親友でもあるんだが、変な方向に好奇心を持つのが難点だ。
にやけ顔の近藤に、俺は拳をぶつける振りをする。

「あ、あんな奴、俺とはなんの関係もねーよ! ただ家が隣ってだけで…! だいたいなんでそんなこと訊くんだよ!?」
「なんだか仲いいなーって思ってね」
「ち、そんなんじゃねえよ! 俺は麗子さん一筋なんだから!」
「クラスのマドンナ、白鳥麗子さん、か。春樹には高嶺の花だな」
「うるせえな!」

しかし近藤の言う通りで、麗子さんは綺麗すぎてまともに声すらかけたことがないのが現状だったりする。
いや、綺麗なだけじゃない。
品性があって、おしとやかで、佐伯なんかとは雲泥の差ってやつだ。

「はあ。いいよなあ、麗子さん」

気づけば俺は声に出していた。

「あんな人がマネージャーだったら、俺めちゃめちゃシュート決めまくれるのに。品性があって、おしとやかで、佐伯なんかとは雲泥の差ってやつだ」
「品性なくって悪かったわね」

ぎょっとして振り返ると、なんと俺の真後ろには佐伯が怒りの表情で仁王立ちになっているじゃないか。

「お前、いつから!?」
「俺は麗子さん一筋なんだから! のところから」

どうやら俺は最高に恥ずかしい話を聞かれてしまったらしい。

軽く凹んでいると、パンパンと手を叩く音がする。

「お前たち、喜べー。我が桜ヶ丘学園サッカー部に新しいマネージャーが入ったぞ」

安田先生がにこやかに部員たちを集合させた。

「3年生の佐伯優子君だ。最初は解らないことも多いだろうから、みんなでフォローするようにな」
「あたしやっぱり辞めようかしら」

ドスの効いた佐伯の声がしたと同時に、俺は尻をつねられる。

------------------------------

マネージャーとしての仕事はすぐに覚えられた。
選手の男子たちも、春樹以外はよくしてくれる。
なんだけど、1人だけあたしに対し、妙に感じの悪い子がいる。
あたしの気のせいだったらいいんだけど、2年生の美香ちゃんには嫌われているような気がして、なんだか苦手だ。
いつも春樹と口喧嘩をしていると睨んでくるし、仕事をサボっているように見えるのかな。
この部であたし以外の女の子は美香ちゃんだけだから、できれば仲良くしたいんだけど。

2チームに分かれて練習試合をしている部員たちを眺めながら、あたしはふうと息を吐く。

「あ!」

隣の美香ちゃんがベンチから立ち上がった。
その目を追うと、どうやら選手が転んで怪我をしたらしい。
あたしは救急箱を掴むと、コートの中央目がけて走り出す。

「なあんだ、あんたか」

輪になっている選手たちをかき分けて怪我人の元に行くと、「いてて」と足を押さえているのは春樹だった。

「転んだの? ったく、ドジねー」
「なんだよ、うるせえなー。名誉の負傷ってやつだろ?」
「はいはい。ちょっと待ってて。今手当て…」

あたしが言えたのはそこまでだった。
後ろからドンと誰かに押され、あたしは小さく横にはじかれる。
美香ちゃんがあたしを押しどけたのだ。

「春樹先輩、大丈夫ですか!?」
「え、あ、ああ」

美香ちゃんは春樹の上半身を抱きかかえるようにして足の怪我を案じている。

「今、手当てしますから!」

そう宣言すると、美香ちゃんはあたしから救急箱を奪い取る。
同時に、彼女は怒ったような目であたしを見た。

「佐伯先輩。春樹先輩頑張ってるのに、その言い方はないんじゃないですか?」

明らかな敵意を感じ、あたしは思わず言葉に詰まる。

春樹の怪我は軽い捻挫だったけど、あたしの心は重くなった。

練習が終わったあと、女子更衣室で着替えている瞬間は特に重たい雰囲気だ。
美香ちゃんと2人きりだから、あたしはどうにか空気を変えようと口を開く。

「美香ちゃん、あのさ、さっきはごめんね?」
「いえ、こちらこそ、すみません」

その言葉とは裏腹に、美香ちゃんの態度はツンとしている。
あたしは、あえて笑顔を作った。

「春樹の怪我、たいしたことなくってよかったね」
「佐伯先輩」
「はい?」

美香ちゃんの目が、まっすぐにあたしへと向けられる。

「佐伯先輩は、春樹先輩のこと、どう思ってるんですか?」
「ちょ、やだなー。あんな奴、別にどうとも思ってなんか…」
「あたし、春樹先輩のこと、本気ですから」
「え!? いや、そんな、美香ちゃん、なんか勘違い…」
「失礼します」

着替え終えた美香ちゃんはそそくさと部屋を後にする。

------------------------------

夕食後の格闘ゲームを楽しんでいたら、いきなり窓ががらがらと開いて俺を驚かせた。
佐伯がまた勝手に俺の部屋に入ってくる。
大吾郎がにゃーと嬉しそうに佐伯に飛びついた。

「な、なんだよ! またお前かよ!? 勝手に入ってくんなよな!」
「だって鍵かかってないんだもん。あ、大吾郎ー。ちょっと大きくなったねー。ご主人様のネーミングセンスが悪くなければもっとよかったのにねー」
「うるせえな! 何しに来たんだよ!」

佐伯は断りなく人のベットに腰を下ろすと、大吾郎を抱きながらまじまじと俺の顔を見つめる。
これじゃあゲームに集中できない。

「な、なんだよ」
「こんな奴のどこがいいんだろ?」
「え…?」
「ううん、なんでもないっ!」
「変な奴だな」

すると佐伯が「あのさ」とかしこまる。

「あんたさ、好きな子とかっているの?」

その質問に、不覚にもドキッとしてしまった。

「な、急になんだよ」
「やっぱり麗子さん?」
「べ、別にいいだろ?」
「麗子さんとあんたじゃ釣り合わないよ」
「余計なお世話だ! だいたいお前はどうなんだよ!?」
「知ーらないっ! じゃあね」

言うと同時に佐伯は腰を挙げ、大吾郎を降ろす。
窓から自分の部屋へと帰っていった。

さっぱり意味が解らない。
あいつ、一体なんの用事があったんだ?

「ったく、おとなしく宿題でもしてりゃいいのに」

改めてゲームのコントローラーを握り直すと、俺はハッとなってすぐにそれを放り投げる。

「そうだ! 宿題!」

俺は大慌てで窓を開け、佐伯の部屋に踏み込んだ。

「佐伯! ノート貸してくれ! 宿題やるの忘れ…」
「きゃあ!」

脱いだシャツで胸を隠し、佐伯がその場でうずくまる。
俺の顔は一瞬にして赤くなった。
どう見ても着替え中だ。

「っこの、バカーッ!」

全力で殴られる。
足の怪我より酷い重症を負わされたんじゃないか?
俺はやっぱり麗子さんみたいな清楚な人がいい。

続く。
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/382/

拍手[24回]

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2010
July 31

そこにあったのは、春だった。

「遅刻遅刻!」

食パンを咥えたまま、慌てて玄関を飛び出す。
転校初日から寝過ごすなんて、あたしはなんておっちょこちょいなんだろう。
とにかく急がなくっちゃ。

せかせかと靴を履いて、食パンを持ち直す。
門を開けて、あたしは歩道に踊り出た。

「きゃっ!」
「いてっ!」

途端、急に出てきた何かと激しくぶつかって、あたしは道路に尻餅をつく。

信じられない。
あたしのささやかな朝食がアスファルトに落っこちてしまった。

ぶつかった相手を見ると、どうやらあたしと同い年ぐらいの男の子だ。
あたしと同じように、彼も地面に座り込むような体勢でお尻をさすっている。
朝ごはんの仇が憎憎しげにあたしを睨んだ。

「なんだよオメー、急に飛び出してくんじゃねえよ!」
「あんたこそ!」

食べ物の恨みは深いんだから。
あたしは彼を睨み返す。

「どこ見て走ってんのよ!」
「なんだと!?」
「なによ!」

ふん!
と、お互い同時に鼻を鳴らして、お互い同時に立ち上がる。

「最っ低!」
「お前こそ!」

奴は言い捨てると、そのまま走り去ってしまった。

なにあの態度!
あたしの食パン返せ!

あたしは憤然とスカートの埃を払い、駆け足で学校に向かう。

あいつ、制服着てたけど、まさかあたしと同じ学校じゃないよね?
もしそうだったら、あんなモテなさそうな奴と一緒なんて絶対に嫌!

息を切らせながら、桜ヶ丘学園の校門をくぐる。
舞い散る桜の花びらとチャイムの音が、あたしを迎え入れてくれた。

------------------------------

「え~、転校生を紹介する」

先生が連れてきた女生徒の顔に見覚えがあって、俺は「あ!」と思わず息を飲む。

今朝ぶつかってきて謝りもしなかった、あの生意気な女じゃないか!

「こちら、佐伯優子君だ」

担任の指示で、転校生が自己紹介を始める。

「佐伯優子です。前の学校では優子って呼ばれていました。よろしくお願いしま、ああー!」

佐伯は失礼なことに、俺の顔を指差して叫んでいた。

「あのときの!」
「なんだ、お前たち知り合いか」

先生が目を丸くする。

「丁度いい。君は彼の隣の席に座りなさい。春樹、ちゃんと面倒見てやるんだぞ」

冗談じゃない!

俺と転校生はしばらく固まり、動けなくなる。

「ちょっと。ねえ、ちょっと」

1時間目の授業中、佐伯が声を潜めて俺を肘で突いてきた。

「なんだよ」
「教科書見せなさいよ。あたし転校してきたばっかだから、まだ教科書ないの」
「誰がお前なんかに」
「なによケチ。あんたまだ今朝のこと根に持ってんの? 小さい男ね」
「なんだと!?」
「なによ!」

と、そのとき、飛んできたチョークが俺の額を直撃する。
現国の教師だ。

「お前らうるさいぞー。2人とも廊下に立ってなさい」

水の入ったバケツを2つ持ちながら、俺と佐伯が廊下でも罵り合ったことは言うまでもない。

------------------------------

昼休みに校舎を案内してくれたのは、同じクラスのさっちゃんだ。
あの春樹とかいう奴と違って、彼女はとても親切にしてくれる。

「ここがピロティ。あっちに旧校舎があってね、夏になったら肝試しするの。行ってみる?」
「うん、見たい」

校庭を横断して、木造の古い校舎の前に立つ。
うららかな陽気と優しく吹く風が心地良かった。

さっちゃんがストレートの黒い髪をかき上げる。

「この校舎の向こうに小さな丘あるでしょ?」

指差す方向に目をやると、さっちゃんの言う通り小さな丘があって、てっぺんに大きな桜の木がそよそよと花びらを散らせていた。

「あの桜の木ね、ちょっとしたジンクスがあるんだ」
「ジンクス?」
「うん。なんか恥ずかしいんだけどね」

さっちゃんは照れたように笑う。

「あの木の前でキスした2人は、永遠に結ばれるんだって」
「へえ」
「うちの卒業生でね、あそこでキスして結婚した人、結構いるらしいよ」
「ホントに?」

確かになんだか恥ずかしい伝説だけど、でもちょっと素敵だなと、あたしは思う。
今日みたいな暖かくて天気のいい日に、運命の人とそうなれたらいいな。

「あれ?」

さっちゃんが不思議そうな顔をして、旧校舎の脇に向かって歩き出す。

「さっちゃん、どうしたの?」
「聞こえない?」
「なにが? …あ!」

小さな木の根元にダンボールが置いてあって、そこからかすかな鳴き声が聞こえる。
あたしとさっちゃんは自然と足早になって歩み寄る。
箱の中には可愛らしい子猫が入っていて、にゃーにゃーと鳴きながらあたしたちを見上げていた。

「捨て猫?」

不安そうにさっちゃんを見ると、彼女も悲しそうな顔をして「そうみたい」とつぶやく。

猫はまだ小さくて、きっとまだ授乳期なんだと思う。

「こんな可愛いのに、捨てちゃうなんて」

あたしはしゃがみ込んで、子猫を抱き上げる。
さっちゃんが横から申し訳なさそうに猫を撫でた。

「どうしよう。うちのアパート、ペット禁止なんだよね」

飼ってあげられないやるせなさはよく解る。
うちもお母さんの猫アレルギーが酷くて、この子を引き取ってあげることができない。

「お腹空いてるのかな?」
「あたし、購買部で何か売ってないか見てくる!」

あたしは財布を取り出して走り出す。

子猫は引き取り手を探すまでの間、あたしとさっちゃんとで面倒を見ようって話になった。

------------------------------

今日は部活が休みだから早く帰れる。
だけど、こんなことなら学校でのんびりしていればよかったぜ。

細い道路で俺は立ち止まり、振り返って佐伯を睨む。

「なんで着いて来るんだよ!?」
「しょうがないでしょ!? あたしん家こっちなんだから!」

佐伯は相変わらず可愛くない態度だ。

「ハッ!」

俺は憤然と早歩きをした。

待てよ?
あたしん家こっちって、今言ったよな?
確か今朝あいつとぶつかった場所って、ああ!

気づくのが遅かったと、俺は意味のない反省をする。

あそこがあいつの家か!

勢い良く体を反転させる。
佐伯が門を開け、家に入ろうとしてるのが見えた。

俺の視線に気づいた佐伯が警戒心ありありの表情を浮かべる。

「なによ?」
「マジかよ」
「なにがよ?」
「そこ、お前ん家?」
「あたしが他人の家に帰るわけないでしょ?」
「なんてこった」
「はあ?」
「はあ…」

深い溜め息を吐いて、俺は自宅への門を開ける。
背後から驚きに満ちた佐伯の視線を感じた。

あいつが引っ越してきた場所は、俺ん家の隣だった。

------------------------------

「優子ちゃんってさ、春樹君と付き合ってるの?」
「んな…!」

クラスメートからの唐突な質問に、あたしは思わず口に含んだミネラルウォーターを噴き出しそうになる。

「バ、バカ言わないでよ! 誰があんな奴なんかと!」
「だって、転校初日から仲いいじゃん」
「あれはね、仲がいいんじゃなくって! うんと、詳しく説明するとね、あいつは朝ごはんの仇なの!」
「え!? 一緒に朝ごはん食べる仲なの!?」
「そうじゃなくて!」

幸いなことに、この学園の生徒たちは春樹以外はみんないい人らしくて、昼休みにお弁当を一緒に食べてくれる友達はすぐにできた。

窓の外を見ると昨日と違い、厚い雲が空を覆っていてゴロゴロと機嫌が悪そうな音を出す。

「朝は晴れてたのにねえ」

友達の1人が不服そうに箸を咥える。

「あたし、傘持ってくるの忘れちゃった」
「私もー」

あたしは天気予報を見ていたから鞄に折りたたみ傘を入れてきたけれど、そうじゃない人も多いみたいだ。
何人かが帰りの心配をしていた。

昼休みの後半になるとついに雨は降り出し、その勢いは時間と共に増してゆく。
放課後になる頃には土砂降りの大雨だ。

ホームルームが終わって、あたしはのんびりとその激しい雨音を聴きながら帰り支度をしていた。
と、そこであたしはとても大切なことを思い出す。

「あ! 猫ちゃん!」

この雨だと、昨日の子猫が風邪を引きかねない。
あたしはひったくるようにして自分の鞄を掴むと、猛ダッシュで教室を飛び出した。

バケツの水をひっくり返したような大量の雨を傘で防ぎながら、校庭を駆け抜けて旧校舎へ。
ダンボール箱は木の根元にあったけど、この雨だ。
このまま無事に済むとは思えない。

「あ」

子猫の場所までたどり着くと、そこには先客の姿があった。

男子生徒?
あの憎たらしい後姿は、春樹だ!

春樹が木の根元でしゃがみ込んでいる。
こんな天気なのに傘も持たないで、一体何をしているのだろう。

声をかけようか悩んでいるうちに、春樹は上着を脱いで子猫をそっと包んだ。
それをラグビー選手のように抱え込むと、あいつは猫を守るようにして背中を丸めて走り出す。
その姿は、あっという間に道路へと消えた。

「ふうん」

あたしは鞄を肩にかけ直す。

「あいつ、いいところもあるじゃん」

帰宅すると、親の姿はない。
お父さんは仕事だし、お母さんは親戚の家に遊びに行っている。
2階の部屋で着替え、あたしは居間でテレビのスイッチを入れようとリモコンを持ち上げた。

すると、ピンポーンとチャイムの音だ。

あたしはインターフォンを取った。

「はい?」
「あの、優子さん、いますか?」
「え?」

なんだか弱々しい感じの、男の子の声だ。
誰だろうと思いながら玄関を開けると、そこには緊張したような顔をした春樹が立っていた。

「よ、よう」
「なによ」
「あのさ、お前、猫に、詳しい?」
「え? どういうこと?」
「子猫、拾ったんだけど、何も、喰わないんだ。うち、まだ、親が帰ってこないし、友達に、電話しても、捕まらなかったから、どうすりゃいいのか、わかんなくて」

春樹の声は何故か途切れ途切れで、か細い。

「何も食べないって、何あげたのよ」
「バナナとか、色々」
「バナナ!? あんた、なに考えてんのよ!」
「しょうが、ねえだろ。俺、よく、わかんねえんだから。猫、スゲー元気なくなってるし、お前、なんか、解る、か?」
「あんたん家、子猫用のミルクなんてないよね!?」
「え? ああ、ない…」
「ちょっと待ってて!」

あたしは急いで台所から牛乳を持ち出し、玄関に引き返す。

「猫ちゃんにこれあげ、ちょっと春樹!?」

玄関先で、春樹は両手両膝を着き、呼吸を激しくしている。
まるで渾身の力を込めるかのように、春樹がゆっくりと顔を上げた。

「悪い、その牛乳、貰って行っても、いいか?」
「ちょっと!」

問答無用に、あたしは春樹のおでこに手を当てた。

「凄い熱じゃない!」
「それより、猫が」
「バカ! こんな雨なのに無茶するからよ!」
「お前、なんで、そんなこと、知ってるんだ?」
「いいから! ちょっとこれ持って!」

あたしは強引に傘と牛乳を春樹に持たせる。

「よい、しょっ」
「おい、なにすんだ」
「うるさい!」

春樹の腕を自分の肩に回させて、あたしは病人を連れて隣の家を目指した。

「おい、いいって。自分で、歩け、る」
「そんなへろへろなクセになに言ってんのよ!」
「お前、意外と、いい奴、なんだな」
「か、勘違いしないでよね! べ、別にあんたのためじゃなくって、あたしは猫ちゃんが心配なだけなんだから!」

春樹の家に上がり込み、あたしは靴を脱ぐ。

「猫ちゃんは!?」
「2階の、俺の、部屋」

そこからはなかなかの手間をかけさせられた。
台所で小皿を借りて、元気のない猫ちゃんにミルクをあげて、春樹の靴を脱がせて2階まで肩を貸し、ベットに寝かせる。
濡れたタオルをしぼって春樹のおでこに乗せ、お風呂場から桶を持ってきて氷水を入れた。

お腹いっぱいになった猫ちゃんを見て安心したのか、タオルを取り替える頃になると春樹はすやすやと寝息を立てていた。

「ふう」

2人の病人の面倒を同時に見たような感があって、あたしは春樹の椅子を勝手に借りる。

 男の子の部屋に入るのなんて、初めてだなあ。
それがまさかこいつの部屋だなんて。

「あれ?」

さっきまで夢中で気づかなかったけど、あたしは重要なことを知った。

春樹の部屋の窓を開ける。
そこには隣の家、つまりあたしの家がある。

「嘘でしょ!?」

春樹の部屋は2階。
あたしの部屋も2階。

「あたしの部屋じゃない!」

あたしの部屋の窓と、春樹の部屋の窓は、なんとお互い向かい合っていたのだ。

「はあ」

なんだか力が抜けてしまって、あたしは床にペタリと座り込む。
そんなあたしに、子猫がよたよたと寄ってきた。
にゃーと鳴く猫ちゃんを、あたしは抱っこして顔の高さまで上げる。

「お前のご主人様とは、腐れ縁なのかもねー」

そのご主人様はというと、気楽そうに眠ったままだ。
いつもの憎たらしさがない表情がどこか意外に思えて、ついまじまじと見入る。

「寝顔だけ見ると可愛いんだけどねえ」

次の瞬間、春樹がぱっちりと目を開けた。

まさか、今の聞かれた!?

一瞬にして背筋が凍る。

春樹はむくりと上体を起こすと、あたしの目をまっすぐに見つめた。

「お前」
「え? え?」

春樹はそのまま、顔をあたしに近づけてくる。

「ちょ! ちょ! なに!? え!?」

あたしの両肩に、春樹の手が添えられた。

「ちょっと! なに!? 嘘でしょ!?」

春樹の顔が、すぐ目の前にある!

あたしはぎゅっと強く目をつぶった。

「お前さあ、ツチノコ色のトイレットペーパー伝説にカモメが入ってるな」
「へ?」

間の抜けた声と同時に目を開ける。
春樹はにやあっと満面の笑みを浮かべると、そのままバタンと再びベットに横たわった。

ただ寝ぼけてただけ!?

「っこの、バカーッ!」

男の子の部屋に入ったのは初めてだけど、男の子を本気で殴ったのも初めてだった。

あれだけ大降りだった雨は、いつの間にか上がっている。

続く。

http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/381/

拍手[60回]

2010
July 19
 るーずぼーいず(前編)
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/374/

 るーずぼーいず(中編)
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/375/

 るーずぼーいず(後編)
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/376/

------------------------------

 店の目の前に止められた黒い車にはスモークが張られ、内部が見られないようになっている。
 ドアががちゃりと開いて、愛想の全くない男たちがぞろぞろと降り立った。
 後部座席から現れたスーツ姿の男が、眼鏡をクイっと指で押し上げる。
 神崎竜平を筆頭に、屈強そうな男3人がルーズ・ボーイの玄関を前にした。

 店の外観を見ると窓にはシャッターが下ろされていて、営業しているようには見えない。
 寺元康司が気を効かせて店主を脅し、邪魔者が入れないようにしておいたのだろうか。

 ヤスにしては悪くねえ配慮だ。

 そんなことを思いながら、神崎竜平はドアの取っ手を掴んで押す。

 カランコロン。
 音を耳にし、店内へ。
 素早く見渡すと、客は数人いるようだが営業はやはりしていないらしい雰囲気だ。
 既にいた客が余計な通報をしないように寺元康司が全員を閉じ込めていたのだとすれば、間抜けな部下への罰を少しぐらい軽くしてやってもいい。

 神埼竜平は部下の姿を探した。

 店は奥に向かって縦長の作りをしていて、出入口の付近にテーブル席が3つ、奥にカウンターが続いている。
 玄関から最も近いテーブルにはサングラスをかけた老人が1人、おとなしくコーヒーを飲んでいる。
 老人の椅子には白い杖が立てかけてあったので、彼の目は機能していないのだろう。

 別のテーブル席には20歳そこそこぐらいの男が1人、ただ座ってこちらを見た。
 黒のTシャツに細身の体。
 顔つきから見ても、彼が素人だと解る。
 青年の足元に見覚えのある紙袋が置かれていることが気にかかるところだ。

 カウンターの中には店主と思わしき中年の男と、エプロン姿の娘の姿。
 自分たちが入店しても挨拶を一切しないことと、その怯えた表情と見る限り、神崎竜平が何者なのかを既に理解している様子である。

 カウンター席には未成年者と思われる女が1人でトマトジュースを前にうつむいて座っている。
 どう見ても今回の件とは無関係だろう。

 そして、店の1番奥の壁に、見覚えのあるパンチパーマがだらしなく倒れているのが見えた。
 床に座り込むようにし、壁に背を預けている。
 頭から大量の血を流し、どうやら気を失っているのだろう。
 微動だにしなかった。

「おいガキ」

 近くに座っている黒Tシャツに、神崎竜平は鋭い視線を向ける。

「お前のその、足元の紙袋はなんだ?」

 訊くと青年は椅子をガタンと鳴らせて立ち上がる。

「オメーあのチンピラの仲間かよ!? オメーもやんのかよ!? ああ~!?」

 やはり素人だ。
 神埼竜平は噴き出しそうになる。
 明らかに暴力の世界で生きていない者の気配だ。
 こんな小僧に、寺元康司は打ち倒されたのだろうか。

 細身の男はやかましく続けている。

「オメーらもやんのかよ!? やってやんよ! 俺マジつえーよ!? シャレなんねーよ!?」

 これではどこかの中学生だ。

 神埼竜平は溜め息混じりに口を開く。

「奥のチンピラやったの、お前か?」
「ああ俺だよ! 秒殺してやったよ! テメーも俺の荷物目当てかよ!?」
「まあそうだ。お前、ちょっとうちに来いよ」

 この小僧は事務所で拷問だな。
 そう考えて、神崎竜平は笑んだ。

「もう嫌! こんな店!」

 不意に甲高い叫び声が上がった。
 声の方向に目をやると、小柄な少女が泣きそうな顔をして立っている。

「喧嘩ばっかり! あたしもう帰る!」

 少女がスタスタと早足で、玄関から出ていきたいのだろう。
 神埼竜平に向かって歩いてきた。
 いわゆる逆ギレというやつだ。
 怒気を孕ませた少女は勢いよく進み、神崎竜平にドンとぶつかってそのまま店外へと飛び出していった。

「放っとけ」

 部下たちが反応するよりも早く、神崎竜平は背後に控える3人に命じた。
 警察を呼ぼうだなんて発想を、あの少女はしていない風だったからだ。

「さてと、お前」

 若い男に、神崎竜平は再び向き直る。

「外に車が止めてある。ここは俺が奢ってやるから、乗れ」
「やだよバカ! 俺、そんなの乗んねーし!」

 その言葉に、神埼竜平の部下たちが顔をこわばらせ、1人が青年の襟首を掴もうと手を伸ばした。
 若い男はすると、声を張り上げる。

「レディース、アンド、ジェントルマン!」

 次の瞬間、辺りが一瞬にして暗闇になる。

 停電か?
 いや、小僧の合図で店の人間がブレーカーを落とした!

 神埼竜平は頭を巡らせる。

 窓のシャッターを閉めていたのは寺元康司の指示ではない。
 外から見られないようにするためではなく、表の光が入ってこないようにするためにシャッターは下ろされていたと考えるのが妥当だろう。
 どうやらあの店主も事務所行きだな。
 車をもう1台手配するか。

 背後からは慌てたような部下たちの声がする。

「あれ?」
「んな!」
「な、ちょ! え?」

 誰かが暴れるような音はしないが、背後で何事かが起こっているようだ。

 闇が深すぎて状況が全く見えない。
 神埼竜平はポケットからオイルライターを取り出し、火をつけようとする。

 小さな炎はしかし、点けた瞬間に鋭い何かがぶつかってはじき飛ばされてしまった。

「誰だ!」

 神埼竜平は思わず声を荒げる。
 何者から攻撃されたのか、解らなかったからだ。

 ライターが床に落ちた音がした。
 オイルライターの火はさっきの鋭い攻撃によってできた風圧のせいで完全に消え去ってしまっている。
 携帯電話で明かりをつけても、おそらく先ほどと同じようにはじき飛ばされてしまうに違いなかった。
 これでは何も見えない。

「リクエストにお応えしましたよ」

 出入り口のほうから老いた声がした。
 それが合図だったのか、店の照明が復活する。

 振り返ってみると、神崎竜平の部下は3人で手を繋ぐようにして輪になっており、背中を外側にしていた。

「何遊んでんだテメーらァ!」

 声を荒げるもしかし、よく見ると部下たちはそれぞれ手を繋いでいるのではなく、手錠で繋がれているではないか。

「種も仕掛けも、まあございます」

 テーブル席に座っていたはずの老人はいつの間にか立ち上がっていて、穏やかに笑顔を見せていた。

 そうか!
 と、神崎竜平は納得をする。

 最初から目が見えないこのじじいにとって、闇はハンデにならない!

「じじい、テメーもグルか」

 神埼竜平は静かに老人に詰め寄る。

「手錠の鍵はじいさん、あんたを痛めつけたらお貸し願えますかね?」
「じいちゃん!」

 カウンターの中からウエイトレスの女が叫び、こちらに駆け寄った。

「あんた、こんな年寄りに暴力振るう気!?」

 神埼竜平は笑う。

「お嬢ちゃん、俺ァこれでも平等をモットーにしているんだ。ガキだろうがじじいだろうが、お痛が過ぎた奴にゃあ手加減しねえ。もちろん、お前みたいな女にもな…!」

 こみ上げるかのような神崎竜平の怒りの気配に、店内はゾッと静まり返る。

「さてと、じいさん、目だけでなく、耳も聴こえなくしてやろうか?」
「待て!」

 ウエイトレスは勇ましく、神崎竜平と老人の間に割って入る。

「あんたなんて、棒さえあれば!」

 娘が取ったその行動に、店主らしき男と黒Tシャツが初めて慌てたような態度を取った。

「由衣ちゃん!」
「変なアドリブ効かせんな由衣!」
「うっさい!」

 ウエイトレスは続けて、老人が手にしていた白杖を奪い取る。

「じいちゃん、杖借りるね!」

 女はそれを持って構え、杖の先端を神崎竜平の喉元に向けた。
 なかなか堂に入った構えだ。

 この女、できるな。
 神埼竜平はそう感じた。
 しかし獲物が刀だったらまだしも、たかが杖では自分を倒すことはできないことを知っている。

「由衣ちゃん、その杖は…」
「黙っててじいちゃん!」

 由衣と呼ばれた女は杖を構え、じりじりと間合いを詰め寄った。

 杖を掴んで奪うと同時に、この女は殴って前歯を数本折ってやろう。
 神埼竜平が拳を軽く握る。

 女が手にしていた杖がバサっと音を立てるのと、神崎竜平がそれを掴んだのは同時だ。
 確かに白い杖だったはずの物体が、一瞬にして花束に変化している。

「なんだこりゃ」

 思わぬ展開に、神崎竜平は丸くした目を手元にやった。
 奪ったはずの杖が、花束になっている。

「由衣ちゃん、その杖はだね」
「うん。ごめんね、じいちゃん」

 神埼竜平が見ると、ウエイトレスが申し訳なさそうな目をこちらに向けている。
 女は奪い取られた花束を手で示した。

「その、よかったら、記念にどうぞ」

 神埼竜平は花を後ろに放り投げ、スーツの内ポケットに手を忍ばせる。
 拳銃を取り出すと、それをゆっくりと店内に向けた。

「なんなんだ、テメーらは」

 銃口を見せつけられて、店内が沈黙をする。

「気が変わった」

 神埼竜平は、もはや笑っていない。

「部下とブツだけ回収するつもりだったが、オメーら全員事務所までご足労願おうか」

 銃で脅し、神崎竜平は老人もウエイトレスも黒Tシャツも、店の奥へと追いやった。

「その銃を捨てなさい!」

 怖いもの知らずなのか、ウエイトレスが再び勇む。
 見れば彼女も銃を持ち、こちらに向けているではないか。

 ヤスの野郎に貸した銃じゃねえか。
 あの野郎、銃まで奪われやがって。
 と、神崎竜平は奥で気絶している部下を睨む。

「お前」

 神埼竜平はウエイトレスの顔に銃口を突き出す。

「人が撃てるのか?」

 その冷たい口調はまるで「俺は撃てるぜ」と言わんばかりだ。

「あんま撃てない」

 ウエイトレスは正直だった。

「でも、あんただって撃てないクセに!」
「はは」

 神埼竜平は呆れたように笑う。

「ここで人をバラしちゃ足がつくからな、確かに今は殺せない。でもなあ、お嬢ちゃん。銃は何も殺しだけに使うもんじゃねえ。指の何本かを吹き飛ばすことだってできるんだ」

 神埼竜平は銃口を女の手元に定め、「こんな風にな」と引き金を引いた。

 ポン。
 銃声では有り得ない、間の抜けた音が鳴る。
 銃口からは、小さな花が咲いていた。

「なんだと!?」

 神埼竜平が驚きの声を上げた。

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「ここだよね?」

 メモを片手に、相沢ひとみが訪れたのは小さめのビルだ。
 事務所に掲げられた看板を確認して、少女は玄関の前にしゃがみ込む。

 鞄から、小さく折りたたまれた紙袋を取り出した。
 中には空になったビニール袋が入っていて、鑑識がこれを調べれば1発で麻薬が付着していることを見抜くだろう。

 ここに紙袋を放置すれば、浅野大地からの頼まれ事は完了だ。
 これでルーズ・ボーイで歌を唄わせてもらえるよう、マスターを説得してもらえる!

「でも、またあたし嘘ついちゃった」

 相沢ひとみはペロっと舌を出す。

「もう絶対にスリはしませんって言ったけど、でもしょうがないよね」

 相沢ひとみは紙袋を広げて、先ほど神崎竜平の上着から抜き取った拳銃を、ついでだからと中に入れた。

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 神崎竜平の股間に衝撃があった。
 自分の銃が花を咲かせた瞬間にできた隙を突かれたのだ。
 
 目にも留まらぬ素早い蹴りが小さく浅く、一瞬で神崎竜平の急所を打った。
 痛みを感じるまでの刹那、今度はパンと顔面に鞭のような打撃が続く。
 目と鼻、そして股間の痛みが襲ってきて、神崎竜平はわずかに腰を折って前かがみになった。

 今度はドスンと首の後ろに重たい何かが振り下ろされる。
 どうやら手刀を叩き込まれたらしい。

 遠のく意識の中で、神崎竜平は最後に見た一瞬の影を思い返す。

 あの黒Tシャツの男は、素人じゃなかった。
 ライターを叩き落としたのもこいつだったのだ。

「だから言ったろ? 俺マジつえーって」

 遥か彼方から、憎たらしい声が聞こえる。

------------------------------

 やって来たパトカーに、4人の暴力団が連れ去られてゆく。
 マスターが警察官に事情を説明している頃、ドサクサに紛れて店を出た寺元康司は公衆トイレで体を拭いていた。
 トマトジュースの匂いが取れないが、このアロハシャツは洗って今日の記念にしておこう。
 その発想は寺元康司を嬉しい気持ちにさせた。

「あとね、お巡りさん」

 ルーズ・ボーイでは浅野大地がマスターの説明に補足をする。

「僕のこの枕を奪おうとしてたあの人たち、麻薬がどうのこうの言ってたんですよね。だから彼らの事務所とか調べたら、なんか出てくるかも知れません」

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「早く行かなきゃ、席がないかも」
「そうだな」

 浅野大地と西塚由衣は今日もルーズ・ボーイにつま先を向ける。

 ニュース番組でインタビューに応えた西塚司の言葉はこうだ。

「皆さんで協力して、麻薬の売人たちを捕まえたんですよ。人を幸せにするこの店の常連で、私はよかった」

 目立ちたがりの西塚由衣も、祖父に続く。

「暴力団の人たちが逮捕されるのも当たり前って感じですかねー。ここ、常連客が持ち込むトラブルが全部解決されちゃうお店だから」

 そのトラブルとやらをあれほどまでに嫌っていたマスターまでもがカメラを意識して、

「うちの店の名はルーズ・ボーイ。文字通り不良って意味です。ちょっとやそっとのフダツキなら歓迎ですがね、人様に迷惑をかけるような輩なら私は許しません」

 さり気なく宣伝までしていた。

 あの事件から2ヶ月。
 浅野大地が店のドアを押し開け、西塚由衣が続く。

「いらっしゃーい!」

 相沢ひとみが歓迎をしてくれた。

「由衣ちゃん、大地さん、こっち空いてるよー!」
「おー! ありがとー!」

 2人がカウンター席に腰を降ろすと、他の客が相沢ひとみに声をかけている。

「ひとみちゃん、今日は唄わないの?」
「唄うよー! 司さんのマジックショーのあとに!」
「司さんの手品、やっぱ生バンドの演奏があるだけで格段にカッコよくなったよね」
「でしょー。あたしが連れてきた仲間だもん!」

 マスターはというと、今日も忙しそうだ。
 シェイカーを振っているマスターに、浅野大地が声を通す。

「マスター、あとででいいから、俺にいつものやつくださーい!」
「はいよー!」
「あたしもいつもの! 忙しそうなのに、ごめんねマスター」
「全くだ」

 マスターが白い歯を見せる。

「あの事件以来、毎日クタクタだよ。由衣ちゃん、本気でウエイトレスやってくれないか?」
「あはは。考えとく」
「ひとみちゃんが唄ってる間は、私以外誰もいなくなるからね。人手が足りなくってしょうがない」

 マスターは続けて「ああ忙しい」と楽しそうに嫌がった。

「お! そろそろだ!」

 照明が暗くなって、店の奥をスポットライトが照らす。

 ギターとベースの音がして、マジックショーのオープニングを告げた。
 リズムを取っているのはトライアングルで、これが見物の1つとなっている。
 三角形の鉄の棒は時に激しく、時に優しく連打され、小刻みでリズミカルな音を出す。
 それまでのポリシーだったパンチパーマはすっかり取られ、寺元康司は勝負服である小汚いアロハシャツを今日も着て演奏に励んでいる。

 スーツを着こんで登場したのは、西塚司だ。
 老人はサングラス越しに客席に笑顔を向け、発音よく「レディース、アンド、ジェントルマン」と声を出した。

 盛大な拍手が店内に響き渡って、老人が一礼する。

「今日もつたないながら、手品を披露させていただきますので、お見苦しいかも知れませんけれどお付き合い願います。その我慢を皆さんがなさったあとは、お待ちかね。ウエイトレスのひとみちゃんが歌を聴かせてくださいます。美しい歌い手さんは、私などの手品よりも絵になるに違いありません。おっと、美しいかどうか、私は目が見えないんでした」

 どっと笑い声が起こる。

「はい、お待たせ」

 マスターが浅野大地と西塚由衣の前にそれぞれ飲み物を置いて、声を小さくした。

「君たち、ライブのあと用事ないだろ? 残ってくれないか。あのときのメンバー全員、今日は私の奢りだ」
「いいの?」

 と、西塚由衣。

「まあ、あのときと、あと今日のお礼だよ」

 マスターが微笑んだ。

「続きましてのマジックは」

 西塚司がハンカチを手に取る。

「親愛なるルーズ・ボーイのマスターにご協力いただきましょうか」
「え、私!?」
「さ、マスター、どうぞこちらに」

 ヒューヒューと、客たちが沸き上がる。

 西塚司はマスターの両手にハンカチを被せ、一瞬にしてそれをどかせる。
 するとマスターの手には一体どこから出現したのか、大きな花束が持たされていた。

 驚くマスターを尻目に、老人が嬉しそうな顔をする。

「手錠のマジックは、さすがに皆さん見飽きたことでしょう。そこで今日は特別な日ですから、少し趣向を変えさせていただきました」

 称えるように、西塚司はマスターに両手の平を差し出した。

「ハッピーバースデイ、マスター!」

 手品師の声と同時に演奏曲が変わり、誕生日を祝う曲になる。

 いつの間にか相沢ひとみがエプロンを外し、簡易的に作られたステージに立っていた。
 美しい歌声がして、客たちがそれに続く。

 暖かい歌声の中には、浅野大地と西塚由衣のものも含まれていた。

――了――

拍手[33回]

2010
July 16
るーずぼーいず(前編)
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/374/

 るーずぼーいず(中編)
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/375/

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 手錠を忘れてはならない。
 大切な客からのリクエストだからだ。

 1つ1つ丁寧に、手品の道具を鞄に詰め込む。
 目を閉じていたが、老人は少年のような微笑を浮かべていた。

 手品とは、手軽に起こせる奇跡のようなものだと西塚司は考える。
 その小さな奇跡がいつか本当の奇跡に繋がって、誰かを助けることができたらどんなに幸せだろう。
 最近できたその新しい夢は老いて尚青春を感じさせ、西塚司を嬉しい気持ちにさせていた。

 今日は気分が良い。

 にこにこと楽しそうに、西塚司は鞄を抱え、自宅を後にする。

 少し遠回りをして、今日は公園の池を散歩してからルーズ・ボーイに向かうとしよう。
 そんなことを考えていた。

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 その池のほとりでは、浅野大地がベンチに座って頭を抱えている。
 大量の白い粉が入っている紙袋はというと、足元だ。
 謎の粉を全て池に溶かし込んで処分することを思いついたはいいものの、その軽はずみな行為が池の生態系を乱しそうで悩んでいる。

 そこに現れたのは体格の良いアロハシャツだ。
 見るからに落胆しており、寺元康司の心を声にするならば「一体どこを探せばいいんだ」といったところだろう。

 運んでいた麻薬が、いつの間にかこんな変な枕に変わっちまいやがって。

 寺元康司が憎憎しげに手にしている紙袋を睨む。
 しかしすぐにその視線は力を失くし、死人のような目を地面に向けた。

 駄目だ。
 適当に歩いてたどり着いたこんな池で、探し物が見つかるわけがない。

 死人のような目をしているのは浅野大地も一緒だった。

 ふとした瞬間、寺元康司と浅野大地が焦点の合わない視線を同時に上げる。
 呆然とした目と目が合い、互いの存在を認めた。
 どちらの表情もぼんやりとしていたが、やがてどちらも同じ勢いで目を丸くする。

 互いが持つ全く同じデザインの紙袋。
 そしてあいつは急ブレーキをかけた電車の中でぶつかった相手だ!

 寺元康司と浅野大地が同じ考えに至ったのはほぼ同時だった。

 反射的に足元の紙袋を掴み、浅野大地が駆け出す。

「待てコラァ!」

 逃がしてなるものかと、寺元康司がその後を追った。
 拳銃はジーンズの腰元に差してある。
 神崎竜平から預かったそれを、いざとなったら使うつもりだ。

 しかしその切り札が走っているときの振動で抜け落ちてしまうことを、寺元康司は予測していない。

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「あたし、もうかっぱらいはやめます!」
「かっぱらいって言葉、久々に聞いたよ」

 ルーズ・ボーイでは尚も相沢ひとみが熱く夢を語っている。

「スリも2度としません! 歌手になるから!」

 マスターはすっかり困ってしまい、ノーギャラでいいのなら1度くらい店を貸してみようかと検討するも、いやいやレジの金が心配だと首を縦に振ろうとしない。

 そんな折り、店の外から短い炸裂音が轟く。
 何かが軽く爆発したかのような、大きな音だ。

 何事かと、マスターと相沢ひとみが店の出入り口に視線を走らせる。
 そこに立っていたのは、買い出しから戻った西塚由衣だ。
 彼女はビニールに入れられたトマトジュースと、どういったわけか拳銃を手にしている。
 銃口からわずかに煙が上がっているように見えて、マスターが驚きの表情を浮かべた。

「由衣、ちゃん…?」
「あのね!?」

 西塚由衣はぜいぜいと肩で息をしている。

「モデルガンが落ちてると思って撃ってみたら、本物だったの!」
「なんでだよォ!」

 マスターが悲痛の叫び声を上げた。

 続いて浅野大地が大慌てで店内に入ってくる。

「マスター! 匿って!」

 青年の手には、まだしっかりと紙袋が握られていた。
 それを見たマスターが再び大声を出す。

「なんでみんなうちに犯罪の匂いがする物ばっかり持ち込むんだ!」

 怒鳴られた浅野大地はしかし、「ごめんマスター! 池の生き物たちが心配だったから!」と意味の解らないことを口走る。

「とにかく匿って!」

 浅野大地が勝手にカウンターの中に潜り込んだ。

「おい、大地君!」
「いいから! なんかチンピラっぽい人が来たら、俺はいないって言って! すぐに追い返して!」

 マスターは泣きそうになりながら、「これは一体どういったストーリー展開なんだ」と力なくつぶやいた。

 そのとき、またしても店のドアが音を立てる。
 西塚由衣は慌てて銃を隠し、マスターが「今度は誰だ」と言わんばかりに玄関に目をやった。

 薄い赤のアロハシャツにパンチパーマの男が、顔面を蒼白にしてテーブル席に腰を下ろす。

 チンピラ風の男が来たら追い返せみたいなことを浅野大地が言っていたが、こうどっかりと座られては出て行けとなどと言いにくい。
 軽食でも取ってもらえば長居されることはないだろうと、マスターは西塚由衣に指示を出した。

「由衣ちゃん、注文聞いてきてもらっていい?」
「はーい!」

 相沢ひとみがいる手前、西塚由衣にはウエイトレスを演じさせる必要があるのだ。

 西塚由衣はカウンターにトマトジュースを置くと、伝票を持ってテーブル席へと向かう。

 寺元康司は両手で顔を覆い隠すようにして微動だにしない。
 そんな男の顔を覗き込むように、西塚由衣は少ししゃがんだ。

「あの、ご注文よろしいですか?」
「ああ。もう駄目だ」
「駄目なんですか」
「俺ァ、これからどうすりゃいいんだ」
「注文すればいいんじゃないかと」
「1日に2つも大事な物を失くしちまった。俺ァどうすりゃいいんだよぉ」

 何があったのかは解らないが、男の様子はあまりに気の毒に見えた。
 西塚由衣が優しげな顔を見せる。

「お客さん、元気出してください。探し物なんて、案外近くにあったりもしますし」

 現に麻薬も銃もこの店にあるのだが、寺元康司はそのことを知らない。
 男はただただうなだれ、もはや「もう駄目だ」としか言わなくなっていた。

「元気出してくださいってば」

 西塚由衣が男の肩をポンと叩く。

「嫌なことなんて生きていれば普通にありますよ。あたしもさっき嫌なことがあって、こう見えてもかなり凹んでるんですよ」
「ああ、もう駄目だ」
「あたし今、自動車免許取ろうって頑張ってて、やっと仮免までいったんです。でもね? その仮免で運転してたら事故起こしちゃって。たぶん誰も怪我してないと思うんだけど、1歩間違えたらたくさんの人を死なせちゃうって思ったら、凄く怖くなっちゃいました」

 マスターが「だから最初、元気なかったのか」と独り言を言った。

 西塚由衣は続ける。

「あたし今、お客さんに勝手に話を聞いてもらえたから、ちょっと元気になりました。誰かに打ち明けたら、お客さんも少しは楽になるんじゃないですか?」
「ああ、もう駄目だ」
「取り合えず何か飲みましょっか!」
「ああ、もう駄目だ」

 と、そのとき。
 店のドアがカランコロンと音を立てる。

 いらっしゃいませと口を開きかけた西塚由衣の表情が一瞬で強張った。

「いらっしゃ、げえ! じいちゃん!」

 大きな鞄と白杖を持った西塚司が嬉しそうに立っていた。

 孫がウエイトレスの真似事をやっている事情など、西塚司は知らないでいる。
 相沢ひとみを騙し続けるためには、祖父に「自分が西塚由衣である」と気づかれては上手くない。

 じいちゃんの口から「由衣ちゃんはバイトなんてしてないよ」なんて言われたら全部台無しになっちゃう!

 西塚由衣はそのように判断し、裏声を上げた。

「いらっしゃいませー!」
「お邪魔させていただきますよ。はて、ウエイトレスの方でしょうか?」
「はいっ! 最近使っていただくようになりました! 名乗るほどの者ではありませんけど、よろしくお願いします!」

 明らかに甲高い西塚由衣の声色に、相沢ひとみがふとトマトジュースから口を離す。

「その声どうしたの? 由衣ちゃ」
「わー!」

 マスターが慌てて助け舟を出した。

「司さん、お待ちしていましたよ! 相沢さんも見ていくといい。こちらの紳士が今からマジックショーのリハーサルしてくれるから!」

 西塚司はというと、空いているテーブルの上に鞄を置きながら、ウエイトレスを気遣っている。

「名乗るほどの者ではないなんて、謙虚な娘さんですね」
「いえ! とんでもありません!」
「うちの孫も、あなたぐらいおしとやかだといいんですがねえ」
「ぐっ! お、お孫さんがいらっしゃるんですねっ!」

 西塚由衣の声は裏返ったままである。

「きっと、もの凄く素晴らしいお孫さんなんでしょうね! もう、そうに決まってる!」
「いえいえ、それがとんでもないじゃじゃ馬娘でしてね、お恥ずかしい限りですよ。どこかに忍び込んで打ち上げ花火をして怒られたり、旅行に行ったかと思えば指名手配犯を捕まえてきたりと」
「うう…。で、でも凄いじゃないですかっ! お孫さん勇ましいんですね! あたしにはとても真似できない」
「真似なんてする必要ありません。剣道を習ったり1人旅に出たりだの。少しは落ち着いてほしいものですよ。今は車の免許を取ろうと頑張っているみたいですが、早々に事故の1つも起こしそうでね」
「うちのじいちゃんエスパーか…?」
「はい?」
「いえ! 手品のリハ、楽しみにしてますっ!」

 西塚由衣は逃げるようにしてカウンターの中へと戻った。

「由衣ちゃん」

 マスターが心配そうに小声を出す。

「事故って、大丈夫だったの?」
「うん」

 西塚由衣はわずかに顔を曇らせた。

「アクセルとブレーキ間違えちゃって、踏み切りに突っ込んじゃったの」
「ええ!?」

 マスターが大きくのぞける。

「そりゃ大変だ!」
「幸い無事だったんだけどさあ。電車がもの凄い音を立てて急ブレーキしてたよ」
「あの電車、お前のせいか!」

 今まで厨房に隠れていた浅野大地が顔を出した。

「お前のおかげで酷い目に遭った!」
「ああ!」

 テーブル席で顔を伏せていた寺元康司が勢いよく立ち上がる。

「見つけたぞ小僧!」
「やっべ!」
「あ! こっちにも!」

 次に寺元康司は隣のテーブルに広げられている手品の道具に注目をした。

「あった! あった! やった!」

 西塚司を押しのけ、寺元康司は拳銃を手に取る。

「あのう」

 申し訳なさそうに西塚司が声を出したが、寺元康司は老人に気づかない。
 ジーンズのポケットから携帯電話を取り出して耳に当てた。

「神崎さん、見つけましたよ!」

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「見つけた?」

 神埼竜平が大理石の灰皿に煙草を押しつける。

 電話の向こうから、興奮気味になった部下の声が続いた。

「はい! ブツを持ち逃げしやがった小僧、やっと見つけました! 今目の前にいます!」
「で、ブツは?」
「今から締め上げて吐かせます!」
「テメーだけじゃ心配だな。場所はどこだ?」
「はい! ルーズ・ボーイ? そんな名前のバーです! 場所は――」

 神埼竜平が店の場所をメモに取った。

「今からその店に何人か連れて行く。俺が行くまでそのガキ逃がすんじゃねえぞ」

 電話を切り、神崎竜平は事務所の中をギラリと見渡した。

「行くぞ」

 目つきの悪い男が3人、無言で立ち上がり、神崎竜平の後に続く。

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「おい小僧、俺の紙袋、返せコラ」

 寺元康司が浅野大地に銃を向ける。

「さっさと返せ!」

 そこを西塚司が申し訳なさそうに口を挟んだ。

「あの、何かと勘違いしていませんか?」
「うるせえ! いいから小僧! 俺のアレ返せ! でねえと」

 寺元康司は天井に向けて銃の引き金を引く。
 すると銃口からポンと花が咲き、店内が静まり返った。

 西塚司が言う。

「それ、私の手品の道具です」

 浅野大地も罰が悪そうに顔をしかめていた。

「紙袋の中身、厨房に隠れてたとき、流しに流しちゃったんですよね」

 それを聞いた寺元康司は「神崎さんが部下連れてここに来るんだぞ!」と悲鳴のような声を上げた。

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「そりゃ俺ァ昔っから悪さばっかりしてたよ」

 寺元康司は来店時と同様、この世の終わりのような調子になっている。
 誰に聞かせるわけでもなく、寺元康司は饒舌になっていた。

「気づきゃ堅気じゃねえ仕事に就いちまってよ、おふくろに逢わせる顔もねえ。神崎さんは俺のこと許さねえだろう。きっと、罰が当たったんだろうな。悪さばっかしてたからよお。こんなことなら、真面目に人生やってりゃよかった。死にたくねえよ。生まれ変わりてえよ」
「あたしも、同じでした」

 相沢ひとみだった。
 少女は力強い目で、寺元康司を見つめる。

「でもあたし、この店で人生をやり直すことにしたんです。お兄さんも頑張ろうよ」
「ちょっと待て。うちの店で私の許可なく人生やり直さないでくれるか」

 マスターの横槍を、相沢ひとみは気にかけない。

「お兄さん、音楽やろうよ! 今うちのバンド、ドラムがいないんだ」

 マスターが「うちにドラムは置けないよ!」と激しい口調で遮った。

「じゃあトライアングル!」

 と相沢ひとみは瞳を輝かせる。

 寺元康司が大きく首を横に振った。

「あのチーンってやつだろ? 恥ずかしくてできるかよ。それよりなんとかしねえと、神崎さんたち来ちまう! 逃げてもいつか捕まる。俺ァもう駄目だ」
「その神崎って人がボスですか?」

 浅野大地が口を挟んだ。

「その人だけが逮捕されちゃえば問題ないわけですよね?」

 すると西塚由衣が大きく手を挙げた。

「大地! あたしも作戦考える! そういうの大好き!」

 その声に反応し、西塚司が見えない目を孫のほうに向ける。

「まさか、由衣ちゃん?」
「げえ! バレたあ!」
「由衣ちゃん、いつからいたんだい」
「だいぶ前から、ウエイトレスをしてました」
「ん? どういうことだい。さっきのウエイトレスの子が由衣ちゃん? 確かに不自然な声色だったけれど」
「もう誤魔化せないな」

 マスターがふうと息を吐いた。

「司さん、あなたまで騙すようなことになってしまい、すみません。実は今日だけ、由衣ちゃんにウエイトレスを演じてもらっていたんですよ」
「演じる? どういうこと?」

 相沢ひとみが不思議そうな顔をした。

「小細工までして悪かったね、相沢さん」

 マスターは陰のある表情だ。

「うちは、どうしても君を雇うわけにはいかないんだよ。だから嘘をついた」
「なんで? 雇ってよ」
「それが、そうはいかないんだ。実はこの店、今月いっぱいで閉めるつもりでね」

 これには全員が驚きの声を上げる。

「なんで!?」
「マジ!?」
「嘘でしょ!?」

 しかしマスターの態度は真剣そのものだ。

「情けない話だが経営困難でね。ここしばらく、ずっと赤字続きなんだ」

 マスターは寂しそうに店内を眺める。

「今日だって賑わっちゃいるが、誰も何も注文していない」

 全員がそれで「ああ~」と深く何度も頷いた。

「いい店じゃねえかよ」

 寺元康司が握った両方の拳に向かってつぶやく。

「俺ァこの店、初めて来たがいい店じゃねえかよ。俺みてえなチンピラの相談に乗ってくれる連中がこんなに集まるんだぜ? こんないい店ねえよ」

 ゆっくりと、寺元康司が顔を上げる。

「この店、潰さなねえでくれよマスター! 俺も客になるよ!」

 しかし、ふっとチンピラは自嘲気味に笑った。

「俺が無事だったらの話だけどな」
「このメンバーがいるなら、無事で済むかも知れないですよ」

 浅野大地が自信あり気に微笑んでいる。

 完結編に続く。
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/377/

拍手[14回]

2010
July 14

 るーずぼーいず(前編)
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/374/

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「問題は、今夜の俺は一体何を枕にしたらぐっすり眠れるかってことですよ」
「もっと重要な大問題があるだろ」

 カウンターの上に両肘をつき、浅野大地は組んだ指に額を乗せている。
 マスターはというと腕を組み、わずかにうつむいて顎鬚をさすっていた。

「こんな物」

 マスターが視線を上げ、忌々しげにカウンターに置かれた紙袋を眺める。

「本物の麻薬かどうかは置いといて、他の客に見られるわけにはいかないな」

 浅野大地がうんと頷いて見せた。

「どの道、処分しないといけないですよね。マスター、この店、ゴミ箱ありますか?」
「うちで捨てようとするなよ!」

 紙袋に入れておいたはずの枕がいつの間にか謎の白い粉末と入れ替わっていた理由など、考えるのは後でよかった。
 問題は、今2人の目の前にある大量の粉をどう処分するかだ。
 万が一これが本物の麻薬であるのなら、所持しているだけで大問題になる。

 浅野大地は自分側に置いてあった紙袋を押しのけるようにしてどかし、何気ない調子でマスターに粉を譲った。

「マスター、つまらない物ですが」
「つまらない物なんか要らない」

 マスターによって押し戻され、紙袋が浅野大地の目の前にやってくる。

「いえいえいえいえ、ハッピーバースデイ、マスター」

 浅野大地はしつこく、紙袋をマスターがいる方向に押して動かした。

「私の誕生日は再来月だ」

 紙袋がマスターによって再び押し動かされる。
 何度も戻ってくる紙袋はまるで、捨てても捨てても戻ってきてしまう呪われた日本人形のようだ。

「小麦粉か何かです」

 浅野大地は必死で粉をマスターに押しつけた。

「調理に使ってお客がラリったらどうする!」
「中毒性があって癖になるかも」
「冗談じゃない!」

 マスターが紙袋を持ち上げたちょうどそのとき、店の出入り口から男性の低い声が耳に入ってくる。

「ごめんください」
「ぎゃあ!」

 唐突な声に、浅野大地もマスターも思わず悲鳴を上げた。
 マスターが慌てて紙袋をカウンターの中に隠し、作り笑いを浮かべる。

「あ、どうも、司さん! いらっしゃいませ」

 やってきた客は、浅野大地もよく知る老人だった。
 西塚司は友人の祖父でもあり、年上の飲み仲間でもある。

 白杖で小刻みに床に触れながら、西塚司は確かな足取りでカウンター席の手前までやってきた。

 生まれたときから全盲の彼はハンディを持ちながらも手品が得意であったり、花火大会に出かけることが好きであったりと趣味や品がよく、マスターも浅野大地もこの老人のことを好いていた。

 サングラス越しに、西塚司は笑顔を向ける。

「何やら取り組み中だったようですが?」
「いえいえいえいえ!」

 マスターが「なんでもありません」と、老人には見られていないのに手と首を左右に振る。

「ちょっと大地君と世間話をしていただけです。さ、どうぞ」

 着席を促された西塚司は「いえ、それには及びません」とにこやかに片手を挙げて制した。

「実はまたお願いしたいことがありまして、お訪ねした次第です」
「ほう! またやってくださいますか! うちは大歓迎ですよ」

 表情を輝かせ、マスターはさり気なくカウンターの中から紙袋を取り出して浅野大地の前に置く。
 浅野大地は「マジックショーですか?」と老人を見つめながら、紙袋を押しどけてマスターの前に戻した。

「ええ、恥ずかしながら」

 西塚司は照れたように笑う。

「つたない手品ですけれど、以前ここでマジックを披露させていただいたとき、皆さん受け入れてくださったものですから、またご好意に甘えさせていただきたいのです」
「つたないだなんて、とんでもない!」

 マスターが紙袋を押しどけたことで、粉が青年の前に移動する。

「司さんの手品、みんな感動していましたよ。あれは目が見えていたとしても凄いってね」
「俺も拝見しました! あの手錠の手品とか、また見たいなあ」

 老人に視線を向けたままで、浅野大地は紙袋を遠ざける。

「司さんがお客さんの手の上にハンカチを一瞬だけ被せるやつ。パッて取ると、もう両手が手錠で繋がれてて、あれは驚いたなあ」
「大地君、ありがとう。じゃあ手錠のやつはリクエストということで、今回もやらせていただきますよ。よろしいでしょうか、マスター」
「もちろん!」

 マスターが紙袋を再び青年に押しつける。

「いい客引きになりますし、こちらからお願いしたいぐらいですよ」

 実際、西塚司の手品は見事なもので、趣味の範疇から大いに外れた高い完成度を誇っている。
 しかし本人は「個人的な趣味を一方的に見せつけてしまうことは申し訳ない」と謙虚な態度を崩そうとしない。

「それでは、後ほど道具を持って、リハーサルをさせていただいてもよろしいですか?」
「どうぞどうぞ。お待ちしていますよ」
「お世話になります。では、しばらくしたらまたお邪魔させていただきますので」

 西塚司が店を後にした。

「さて、大地君」
「うん、紙袋ですよね? 確かに2人で押しつけ合っても埒が明かない」
「それが解ったら、早いとこどっかで処分してきてくれ!」
「処分かあ。売りさばいたらいくらぐらいになるんだろうか」
「いいから早く行ってくれってば!」

 困った青年を追い出すと、マスターは壁にもたれかかり、ふうと深い溜め息をついた。
 浅野大地が残していった水やおしぼりを片付ける。

 カウンターの拭き掃除が終わった頃になると、店の出入り口がカランコロンと音を立てた。
 ショートヘアーの若い女性が沈んだ表情を浮かべている。

「やあ、由衣ちゃん。いらっしゃい」

 声をかけたがしかし、西塚由衣は無言のままカウンターに腰を下ろした。

「さっきまでね、大地君が来てたよ。あと、由衣ちゃんのおじいちゃんもいた」
「はあ」

 マスターの挨拶に、西塚由衣は憂鬱そうな溜め息で応じていた。

「おじいちゃん、あとでマジックショーのリハーサルしにまた来てくれるって」

 青年にやったように、マスターはお冷とおしぼりを女性客の前に差し出す。

「由衣ちゃん、どうかしたのかい?」

 西塚由衣は呆然と視線を伏せたまま口を開く。

「マスター」
「はいはい?」
「励まして」
「え?」
「あたしを励まして」

 珍しい注文だった。
 察するに、彼女は元気を失くすような何事かの体験をしたのだろう。
 マスターは困惑しつつも、必死に言葉を振り絞る。

「由衣ちゃん、なんで元気がないのか解らないけど、君は長所ばっかりの素敵な女の子だよ」
「ですかねえ?」
「そうだとも! いつもみたいに元気いっぱいの由衣ちゃんも魅力的だし、容姿や性格だっていいしね!」
「そうかなあ」
「もちろん! それに、剣道で全国大会まで行ってるとなると、こりゃもう天は二物を与えすぎだよ! 美少女剣士とは君のことだ」
「美少女剣士だなんて、そんなあ~」
「いやいや、これは決して過言じゃない。実際の話さあ、どうなの? 例えば街の喧嘩とかに遭遇したらさ、棒か何かがあったら無敵だったりする?」
「正直、負ける気がしなーい!」
「そりゃ大したモンだよ! 大の男が揃っても由衣ちゃんには勝てないってわけでしょう?」
「うん、まあ、ねえ~」
「そうかそうか。それは本当に素晴らしい。で、どう? 由衣ちゃん、元気出た?」
「思い出させないでよ」

 西塚由衣は再びうつむき、長い溜め息を吐いた。
 思わずマスターも似たような表情を浮かべる。

「なんて難しい子なんだ」

 そのとき、店の電話が鳴った。

「はい、もしもし。バー、ルーズ・ボーイです」

 マスターが出ると受話器から若い娘の声がする。

 しばらく通話を続けるマスターは徐々に歯切れが悪くなり、見るからに困惑していることが解った。

「いや、うちではそういうの、やってないんですよ」

 だとか、

「他を当たったほうがいいですよ」

 などと言い、何事かを断っているようだ。

 やがてマスターは「実はもうウエイトレスを雇ったばかりなんで、来てもらってもいいけど要望は聞けませんよ」と受話器を置いた。

「どうしたのマスター?」

 西塚由衣が尋ねると、マスターは「困った日だな今日は」と独り言のようにつぶやいた。

「アルバイト希望の女の子からだよ。うち、人を雇うほど儲かってないんだけどなあ。そうでなくとも問題児ってゆうか、名前を聞いたら評判の悪い子でね」
「へえ。誰?」
「由衣ちゃん知ってるかなあ? 相沢ひとみさん」

 すると西塚由衣は大きく目を見開いた。

「知ってる! スリ師だよね、その子!」
「ああ。今の電話の話だと、しばらく捕まっていたんだそうだ。で、釈放されたから雇ってください、と」
「あたしが聞いたことある噂だと、その相沢さん、スリ以外にも色んな窃盗に関わってるって」
「とにかく雇うわけにはいかないから、咄嗟に嘘をついてしまったよ」
「もうウエイトレスを雇ってあるって?」
「そう。でも彼女、強引でね。困ったよ」
「なんて言ってたの?」
「とにかく面接を受けたいから、今から店に来るってさ」
「ふうん」

 西塚由衣の表情からはいつしか鬱蒼とした気配が消え、普段通りの満面の笑みを浮かべている。

「ねえマスター、あたし、ウエイトレスのフリしてあげよっか?」

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「頼もう!」

 まるで道場破りのような勇ましい声が店内に響く。
 ルーズ・ボーイの玄関には小柄な少女が胸を張って仁王立ちをしている。

「さっき電話した相沢です! 雇ってください!」

 エプロンをつけた西塚由衣もマスターも、当然の大声に驚きを隠せない。
 マスターがぽつりと、「こんな高圧的なお願いのされ方、初めてだ」とこぼした。

「相沢さん、さっき電話でも言ったけど、うちはバイト募集してないんだ」

 言いつつマスターがカウンター席を示す。
 相沢ひとみはその椅子に飛び乗るかのように、ちょこんと座った。
 少女が真っ直ぐとマスターの目を見つめる。

「じゃあ逆に訊きますけど、なんで募集しないんですか!?」
「だからほら、さっき電話でも言ったでしょ。もうバイト雇っちゃったんだよ。ほら、こちら、ウエイトレスの由衣ちゃん」

 マスターに示されて、西塚由衣がニコっと会釈で挨拶をした。

 しかし相沢ひとみはひるまない。
 今度は西塚由衣の目を直視する。

「初めまして。相沢ひとみです。あのさ、由衣ちゃん。あっちにもっといいお店あったよ? そっちに移りなよ」
「あっちにもっといい店があるって、なんだか私が傷つくんだが」

 マスターがうなだれる。

「とにかくね、相沢さん。このお店はもう誰も雇えないんだよ。どうしても働きたいなら、他を当たったほうがいいと思うんだけどなあ」

 すると相沢ひとみは小さな胸を堂々と張った。

「他はもうみんな当たりました! でも駄目でした! あたし、めちゃくちゃ評判悪いんです。盗み癖あったから」
「聞いてて気持ちがいいぐらい正直な告白だ。そんな真っ直ぐな性格で、なんで盗み癖が?」
「あたし、歌が好きなんですよ」

 相沢ひとみが遠くを見るような目をする。

「子供の頃から歌を唄うことが大好きで、でも段々大人になっていくと、いつの間にか唄うこと忘れちゃってて。気づいたら毎日がつまんなくなっちゃった。むしゃくしゃしてスリを始めたりして、色んな物を盗んで生計を立ててました」
「まさか生い立ちから話を聞けるとは思わなかったよ」
「もういっそあたし、ウエイトレスじゃなくてもいいです!」
「何を言い出すんだ、君は」
「ここで歌を唄わせてください! ギャラも要りません! バンド仲間も連れてきます! あたし、もう決めました!」
「それを決めていいのは君じゃなく、私なんだが」
「バンド仲間、みんないい子ばっかりなんです! 留置所で意気投合したんです!」
「つまり、何かしらの犯罪を犯した方々がここに集まってこようとしているのか」

 マスターと相沢ひとみのやり取りを、西塚由衣は可笑しそうに眺めている。

「ねえ、マスター。せっかくだから、相沢さんに飲み物でもサービスしたら?」
「え、あ。まあ、そうだな。相沢さん、何か飲むかい?」
「じゃあトマトジュース! 体にいいから!」
「君はピンポイントで切らしている物を頼むね。由衣ちゃん、悪いけど買い物頼んでいいかな?」
「トマトジュースね! 了解!」

 元気いっぱいに、西塚由衣が駆け足で店を出る。

 マスターはふと浮かび上がった悪い予感を理性で一生懸命にかき消そうとしていた。

 大丈夫だ。
 今日はちょっと変な日だが、もうこれ以上トラブルはない。
 あるはずがない。
 大地君は変な粉を捨てることにちゃんと成功するし、この子も諦めて帰ってくれるし、もちろん思わぬイレギュラーなんて絶対に現れない。
 現れるはずがない。
 ルーズ・ボーイは今日も荒れない。
 荒れるはずがない。

 続く。
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/376/

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プロフィール
HN:
めさ
年齢:
48
性別:
男性
誕生日:
1976/01/11
職業:
悪魔
趣味:
アウトドア、料理、格闘技、文章作成、旅行。
自己紹介:
 画像は、自室の天井に設置されたコタツだ。
 友人よ。
 なんで人の留守中に忍び込んで、コタツの熱くなる部分だけを天井に設置して帰るの?

 俺様は悪魔だ。
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