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夢見町の史

Let’s どんまい!

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2024
April 25
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2010
August 24
 あらすじ。

  何の変哲もないアメリカン・バーでの、奇妙な1日。
  様々な勘違いや奇跡的なすれ違いの数々が、店主や常連客たちを数奇な運命に導いてゆく。
  ただの抱き枕が何故、大量の麻薬にすり替わってしまったのか?
  あの電車が急停止した理由は?
  盲目の手品師はどのようなマジックを披露するのか?
  チンピラが無くしてしまった2つの大事な物とは?
  町1番の不良娘は歌を唄うことができるのか?
  マスターは自分の城をどうやって守る?
  1人1人のドラマが交差するコメディ感溢れる波乱万丈な1日。



  人物。

  マスター(40歳前後)
  本名不詳。
  バー「ルーズボーイ」の謎の店主。

  浅野大地(22歳)
  フリーターの青年。

  西塚由衣(22歳)
  浅野大地の元同級生。
  剣道で全国大会に出たことがある女子大生。

  西塚司(75)
  西塚由衣の祖父。
  生まれつき全盲だが趣味で手品を得意とする。

  相沢ひとみ(20)
  地元では有名なスリ師。
  心を入れ替えて歌手を志望している。

  寺元康司(26)
  ヤスの愛称で呼ばれるチンピラ。
  悪に徹しきれずどこか間が抜けている。

  神埼竜平(33)
  寺元康司の上司に当たるヤクザ。
  手下も多く、冷酷非道。

------------------------------

  電車内。
  紙袋を持ち、吊り革に捕まる浅野大地と寺元康司。

  突然の急ブレーキ音。
  吹っ飛び、ぶつかり合う2人。

寺元「ってえなコラァ!」
大地「あ、すみません」
アナウンス「事故回避のため、緊急停止をしようと急ブレーキをかけました。誠に申し訳ございません」
寺元「ったく、なんつう運転だ!」

  2人が持っていた紙袋が入れ替わる。

------------------------------

  古びた木造の店内。
  マスターが吹き掃除などをしている。

  浅野大地、入店。

大地「こんちはー!」

マスター「おお、大地君。いらっしゃい。ランチタイムのときに来るなんて珍しいじゃない」

大地「えへへ。いや実はね、今日ちょっと友達とホラー映画見に行ってて」

マスター「ホラー? 大地君、そういうの怖くて見られないんじゃなかったっけ?」

大地「いやね? 友達が強引で断れなくってさあ。どうしても見に行かなきゃいけないって話になっちゃったから、泣く泣く」

マスター「で、どうだった? 怖かった?」

大地「それが、映画館まで行ったんだけど、見る予定だった映画がね、やってなかったんですよ」

マスター「へえ、そりゃ残念だ」

大地「残念どころか、大助かりですよ。結局怖い思いしないで、帰ってこれた」

  浅野大地が紙袋を掲げる。

大地「マスター、見てよ。俺、怖さを誤魔化すためのアイテムまで用意してたのに、映画やってないんだもんなあ」

マスター「その怖さを誤魔化すアイテムってのが、これ?」

大地「うん、そう。こんなの用意しちゃった。俺、恥ずかしくない? まあ見てくださいよ」

  マスター、紙袋からビニールに入れられた白い粉を取り出す。

マスター「これは…」

大地「(白い粉に気づいていない)ね? 恥ずかしいでしょ?」

マスター「(白い粉を紙袋に仕舞う)人として恥ずかしいことだぞ」

大地「もう俺、これがないと安心できなくってさあ」

マスター「大地君、いつ頃から、これを……?」

大地「そうだなあ。物心ついたときからかなあ」

マスター「そんな昔から!?」

大地「映画館でもね、これで恐さを紛らわせようと思ったわけ」

マスター「人に見られたらどうすんだ!」

大地「大丈夫大丈夫。映画が始まって、暗くなってからやるつもりだったから」

マスター「なあ、大地君。私の目を見てくれ」

大地「なにマスター、急に改まって」

マスター「いいから、お願いだから私の言うことを聞いてくれ!」

大地「え、あ、うん。なに?」

マスター「もう、こんな物に頼るのはやめるんだ」

大地「え…?」

マスター「このままじゃお前、人間として駄目になるぞ!」

大地「そこまで大袈裟なこと?」

マスター「だいたいこれ、どこで買ってきたんだい!?」

大地「駅前のデパート」

マスター「売ってんの!? デパートでこれ、売ってんの!?」

大地「なに慌ててるのマスター。こんなの普通に売ってるって」

マスター「普通に!? レジとかちゃんと通すの!?」

大地「当たり前じゃん。ちなみにそれはセール品」

マスター「世の中は、私が知らない間にどこまで狂っちまったんだ……」

大地「ねえマスター、ご飯の注文、してもいい?」

マスター「ちょっと待ってもらっていいか? 私は今、ショックで何も出来そうにない…」

大地「ホントどうしたのマスター! 俺、そんなに悪いことしてないよ?」

マスター「麻薬のどこがそんなに悪くないことなんだよ!」

大地「麻薬!? なに言ってんの!」

マスター「え? あ、ああ! ああ、そういうこと? これ、もしかして麻薬じゃないの?」

大地「あっはっは! なんだもー! なんでそれが麻薬に見えるのマスター!」

マスター「え、ああ! ああ! そうだよな! 普通に考えたら、そういうアレなわけないもんな!」

大地「もーマスター! しっかりしてよー!」

マスター「いやよかった、安心した。でもこれじゃあ普通、誤解もするだろ~!(紙袋から白い粉を取り出す)」

大地「それ、俺のじゃないよ! 俺が持ってきてたの、普通の抱き枕だよ!」

------------------------------

  暴力団の事務所。
  神埼竜平がソファにふんぞり返り、寺元康司は緊張を悟られないために頭をポリポリと掻く。

寺元「えっへっへ。いやあ、デカい仕入れだったんで、気合い入れましたよ」

神崎(無言で紙袋の中を覗いている)

寺元「いやあ、これで安心して眠れますよ」

神崎「確かによく眠れそうだな。(紙袋の中から枕を取り上げる)」

寺元「えっへっへ、そうでしょう? って、なんじゃそりゃあ!」

神崎「ヤスてめえ、ブツはどうした?」

寺元「え? いや、なんで? あれえ?」

  寺元康司、ガバッと土下座をする。

寺元「すんません神崎さん! どういった手違いか、運んでる途中でブツが入れ替わっちまったみたいで!」

神崎「馬鹿野郎が! すぐに見つけ出してこい!」

寺元「あ、はい!」

神崎「いや、待て!」

寺元「はい?」

神崎「持ってけ」

  神埼竜平が銃を放って渡す。

------------------------------

  一方、バー「ルーズボーイ」

大地「問題は、今夜の俺は一体何を枕にしたらぐっすり眠れるかってことですよ」

マスター「もっと重要な大問題があるだろ…。こんな物、本物の麻薬かどうかは置いといて、他の客に見られるわけにはいかないな」

大地「うん。どの道、処分しないといけないですよね。マスター、この店、ゴミ箱ありますか?」

マスター「うちで捨てようとするなよ!」

大地「マスター、つまらない物ですが」

マスター「そんなつまらない物なんか要らない」

大地「いえいえいえいえ、ハッピーバースデイ、マスター」

マスター「私の誕生日は来月だ」

大地「これ小麦粉か何かです」

マスター「調理に使ってお客がラリったらどうする!」

大地「中毒性があって癖になるかも」

マスター「冗談じゃない!」

  西塚司、入店。

司「ごめんください」

マスター&大地「ぎゃあ!」

マスター「あ、どうも、司さん! いらっしゃいませ」

司「何やら取り込み中だったようですが?」

マスター「いえいえいえいえ! なんでもありません! ちょっと大地君と世間話をしていただけです。さ、どうぞ」

司「いえ、それには及びません。実はまたお願いしたいことがありまして、お訪ねした次第です」

マスター「ほう! またやってくださいますか! うちは大歓迎ですよ」

大地「マジックショーですか?」

(これ以降、司が退場するまでの間、大地とマスターは喋りつつも紙袋を押しつけ合う)

司「ええ、恥ずかしながら。つたない手品ですけれど、以前ここでマジックを披露させていただいたとき、皆さん受け入れてくださったものですから、またご好意に甘えさせていただきたいのです」

マスター「つたないだなんて、とんでもない! 司さんの手品、みんな感動していましたよ。あれは目が見えていたとしても凄いってね」

大地「俺も拝見しました! あの手錠の手品とか、また見たいなあ。司さんがお客さんの手の上にハンカチを一瞬だけ被せるやつ。パッて取ると、もう両手が手錠で繋がれてて、ありゃホント驚いたなあ」

司「大地君、ありがとう。じゃあ手錠のやつはリクエストということで、今回もやらせていただきますよ。よろしいでしょうか、マスター」

マスター「もちろん! いい客引きになりますし、こちらからお願いしたいぐらいですよ」

司「それでは、後ほど道具を持って、リハーサルをさせていただいてもよろしいですか?」

マスター「どうぞどうぞ。お待ちしていますよ」

司「お世話になります。では、しばらくしたらまたお邪魔させていただきますので」

マスター「はい、また後ほどー!」

司「はい。では、また」

  西塚司、退場。

マスター「さて、大地君」

大地「うん、紙袋ですよね? 確かに2人で押しつけ合っても埒が明かない」

マスター「それが解ったら、早いとこどっかで処分してきてくれ!」

大地「処分かあ。売りさばいたらいくらぐらいになるんだろうか」

マスター「いいから早く行ってくれってば!」

大地「わっかりましたよ、もー。行けばいいんでしょ? 行けば! じゃあ、行ってきます」

  浅野大地、退場。

  西塚由衣、入店。

マスター「やあ、由衣ちゃん。いらっしゃい」

由衣(無言でカウンターに座る)

マスター「さっきまでね、大地君が来てたよ。あと、由衣ちゃんのおじいちゃんもいた」

由衣「はあ」

マスター「おじいちゃん、あとでマジックショーのリハーサルしにまた来てくれるって。…由衣ちゃん、どうかしたのかい?」

由衣「マスター」

マスター「はいはい?」

由衣「励まして」

マスター「え?」

由衣「あたしを励まして」

マスター「励ませ…? そんな注文は初めてだ。うんと、じゃあ、えっと、由衣ちゃん。なんで元気がないのか解らないけど、君は長所ばっかりの素敵な女の子だよ」

由衣「ですかねえ?」

マスター「そうだとも! いつもみたいに元気いっぱいの由衣ちゃんも魅力的だし、容姿や性格だっていいしね!」

由衣「そうかなあ」

マスター「もちろん! それに、剣道で全国大会まで行ってるとなると、こりゃもう天は二物を与えすぎだよ! 美少女剣士とは君のことだ」

由衣「美少女剣士だなんて、そんなあ~」

マスター「いやいや、これは決して過言じゃない。実際の話さあ、どうなの? 例えば街の喧嘩とかに遭遇したらさ、棒か何かがあったら無敵だったりする?」

由衣「正直、負ける気がしなーい!」

マスター「そりゃ大したモンだよ! 大の男が揃っても由衣ちゃんには勝てないってわけでしょう?」

由衣「うん、まあ、ねえ~」

マスター「そうかそうか。それは本当に素晴らしい。で、どう? 由衣ちゃん、元気出た?」

由衣「思い出させないでよ」

マスター「なんて難しい子なんだ…」

  店の電話が鳴る。

マスター「はい、もしもし。バー、ルーズ・ボーイです。はい、はい。え? いや、あの、いやいや、うちではそういうの、やってないんですよ。はい? ええ、元々ね、そういうのは…。いやどうしてもって言われてもねえ? 他を当たったほうがいいですよ? あ、いやそうだ! いやね、実はもうウエイトレスを雇ったばかりなんで、来てもらってもいいけど要望は聞けませんよ? え、どうしても? まあ、話をしても無駄だと思うんだけどなあ。ええ、はあ。じゃあ、まあ、あとで。はい」

由衣「どうしたのマスター?」

マスター「困った日だな今日は…。いやね、アルバイト希望の女の子からだよ。うち、人を雇うほど儲かってないんだけどなあ。そうでなくとも問題児ってゆうか、名前を聞いたら評判の悪い子でね」

由衣「へえ。誰?」

マスター「由衣ちゃん知ってるかなあ? 相沢ひとみさん」

由衣「知ってる! スリ師だよね、その子!」

マスター「ああ。今の電話の話だと、しばらく捕まっていたんだそうだ。で、釈放されたから雇ってください、と」

由衣「あたしが聞いたことある噂だと、その相沢さん、スリ以外にも色んな窃盗に関わってるって」

マスター「レジのお金が心配だしな…。とにかく雇うわけにはいかないから、咄嗟に嘘をついてしまったよ」

由衣「もうウエイトレスを雇ってあるって?」

マスター「そう。でも彼女、強引でね。困ったよ」

由衣「なんて言ってきたの?」

マスター「とにかく面接を受けたいから、今から店に来るってさ」

由衣「ふうん。…あー! …ねえねえマスター? あたし、ウエイトレスのフリしてあげよっか?」

------------------------------

  相沢ひとみ、入店。

ひとみ「頼もう! さっき電話した相沢です! 雇ってください!」

マスター「こんな高圧的なお願いのされ方、初めてだ…。あのね、相沢さん、さっき電話でも言ったけど、うちはバイト募集してないんだよ」

ひとみ「じゃあ逆に訊きますけど、なんで募集しないんですか!?」

マスター「だからほら、さっき電話でも言ったでしょ。もうバイト雇っちゃったんだよ。ほら、こちら、ウエイトレスの由衣ちゃん」

由衣「どうも! ウエイトレスの西塚由衣でーす! よろしくね!」

ひとみ「初めまして。相沢ひとみです。あのさ、由衣ちゃん。あっちにもっといいお店あったよ? そっちに移りなよ」

マスター「あっちにもっといい店があるって、なんだか私が傷つくんだが…。とにかくね、相沢さん。このお店はもう誰も雇えないんだよ。どうしても働きたいなら、他を当たったほうがいいと思うんだけどなあ」

ひとみ「他はもうみんな当たりました! でも駄目でした! あたし、めちゃくちゃ評判悪いんです。盗み癖あったから」

マスター「…聞いてて気持ちがいいぐらい正直な告白だ。そんな真っ直ぐな性格で、なんで盗み癖が?」

ひとみ「(芝居がかった口調で)あるところに、歌が大好きな女の子がいました。その子は、小さいときから歌を唄うことが大好きで、でも段々大人になっていくと、いつの間にか唄うこと忘れちゃっていました」

マスター「それって、君のことだよな? なんで小芝居調なんだ…?」

ひとみ「その子は、気づいたら毎日をつまらなく感じてしまっていました。むしゃくしゃしてスリを始めたり、色んな物を盗んで生計を立てるようになってしまいました」

マスター「まさか生い立ちから話を聞けるとは思わなかったよ」

ひとみ「だから、もういっそあたし、ウエイトレスじゃなくてもいいです!」

マスター「何を言い出すんだ、君は」

ひとみ「ここで歌を唄わせてください! ギャラも要りません! バンド仲間も連れてきます! あたし、もう決めました!」

マスター「それを決めていいのは君じゃなく、私なんだが」

ひとみ「バンド仲間、みんないい子ばっかりなんです! 留置所で意気投合したんです!」

マスター「つまり、何かしらの犯罪を犯した方々がここに集まってこようとしているのか…」

由衣「(くすくす笑いながら)ねえ、マスター。せっかくだから、相沢さんに飲み物でもサービスしたら?」

マスター「え、あ。まあ、そうだな。相沢さん、何か飲むかい?」

ひとみ「じゃあトマトジュース! 体にいいから!」

マスター「君はピンポイントで切らしている物を頼むね。由衣ちゃん、悪いけど買い物頼んでいいかな?」

由衣「トマトジュースね! 了解!」

------------------------------

  池のほとり。
  浅野大地がベンチに座って頭を抱えている。
  ちょうどそこを寺元康司が通りかかる。
  お互いが持っている紙袋に目がいき、2人は事態を察する。

大地「ああっ!」

寺元「あ! お前が…!」

大地「やっべ!」

  浅野大地、走って逃げ出す。

寺元「待てコラァ!」

  拳銃を落とし、そこを買い物帰りの西塚由衣が通りかかる。

由衣「ん? お、いいもん見っけ」

------------------------------

  ルーズボーイ店内。

ひとみ「あたし、もうかっぱらいはやめます!」

マスター「かっぱらいって言葉、久々に聞いたよ」

ひとみ「スリも2度としません! 歌手になるから!」

マスター「私に宣言することに、なんの意味があるんだ…」

  突然、発砲音。

  西塚由衣、拳銃片手に入店。

マスター「由衣、ちゃん…?」

由衣「あのねあのね!? モデルガンが落ちてると思って撃ってみたら、本物だったの!」

マスター「なんでだよォ!」

  浅野大地、大慌てで入店。

大地「マスター! 匿って!」

由衣「うわあ…ッ!(慌てて銃を隠す)」

マスター「ああもう! まだ紙袋捨ててないし! なんでみんなうちに犯罪の匂いがする物ばっかり持ち込むんだ!」

大地「ごめんマスター! 池に捨てようとしたんだけど、生態系を乱しそうだから思い留まって、そしたら、そこに持ち主の人が!」

マスター「意味がさっぱり解らない!」

大地「とにかく匿って!」

  浅野大地がカウンターの中に潜り込む。

マスター「おい、大地君!」

大地「いいから! なんかチンピラっぽい人が来たら、俺はいないって言って! すぐに追い返して!」

マスター「これは一体どういったストーリー展開なんだ…」

  寺元康司、死にそうな顔色で入店し、テーブル席に勝手に着く。

寺元「…嗚呼…」

由衣「(ひそひそ声で)マスター、大地が言ってたチンピラ風の人って、あの人なんじゃ…」

マスター「そうなんだろうけど、でもああ普通に座られたら、さすがにすぐに追い返せないよ」

由衣「ですよねえ? どうする?」

マスター「仕方ない。適当に何か飲んだら、すぐに帰るだろう。由衣ちゃん、悪いけど注文聞いてきてもらっていい? 相沢さんの手前、君にウエイトレスの仕事をさせないと彼女に嘘がバレるからね」

由衣「おっけい! あ、これトマトジュース」

マスター「ああ、ありがとう。相沢さんに出しておく」

由衣「じゃ、行ってきます」

  西塚由衣、伝票を持って寺元康司の元へ。

由衣「あの、ご注文よろしいですか?」

寺元「ああ。もう駄目だ…」

由衣「駄目なんですか」

寺元「俺ァ、これからどうすりゃいいんだ」

由衣「注文すればいいんじゃないかと」

寺元「1日に2つも大事な物を失くしちまった。俺ァどうすりゃいいんだよぉ」

由衣「お客さん、元気出してください。探し物なんて、案外近くにあったりもしますし。とにかく、元気出してくださいってば」

寺元「ああ。もう駄目だ…」

由衣「もう。お客さん? 嫌なことなんて生きていれば普通にありますよ。あたしもさっき嫌なことがあって、こう見えてもかなり凹んでるんですよ」

寺元「ああ、もう駄目だ…」

由衣「あたし今、自動車免許取ろうって頑張ってて、やっと仮免までいったんです」

寺元「ああ、もう駄目だ…」

由衣「でもね? その仮免で運転してたら事故起こしちゃって。たぶん誰も怪我してないと思うんだけど、1歩間違えたらたくさんの人を死なせちゃうって思ったら、凄く怖くなっちゃいました」

マスター「だから最初、元気なかったのか…」

由衣「あたし今、お客さんに勝手に話を聞いてもらえたから、ちょっと元気になりました。誰かに打ち明けたら、お客さんも少しは楽になるんじゃないですか?」

寺元「ああ、もう駄目だ…」

由衣「取り合えず何か飲みましょっか!」

寺元「ああ、もう駄目だ…」

  西塚司、入店。

由衣「いらっしゃ、げえ! じいちゃん!」

マスター「しっ! 由衣ちゃん…! 相沢さんにバレる…! 正体を隠してくれ…!」

由衣「おっけ! 解ってる!(裏声になって)いらっしゃいませー!」

司「お邪魔させていただきますよ。はて、ウエイトレスの方でしょうか?」

由衣「(裏声のまま)はいっ! 最近使っていただくようになりました! 名乗るほどの者ではありませんけど、よろしくお願いします!」

ひとみ「その声どうしたの? 由衣ちゃ」

マスター「わー! つ、司さん! お待ちしていましたよ! 相沢さんも見ていくといい。こちらの紳士が今からマジックショーのリハーサルしてくれるから!」

司「(由衣に向かって)名乗るほどの者ではないなんて、謙虚な娘さんですね」

由衣「いえ! とんでもありません!」

司「うちの孫も、あなたぐらいおしとやかだといいんですがねえ」

由衣「ぐっ! お、お孫さんがいらっしゃるんですねっ! き、きっと、もの凄く素晴らしいお孫さんなんでしょうね! もう、そうに決まってる!」

司「いえいえ、それがとんでもないじゃじゃ馬娘でしてね、お恥ずかしい限りですよ。どこかに忍び込んで打ち上げ花火をして怒られたり、旅行に行ったかと思えば指名手配犯を捕まえてきたりと」

由衣「うう…。で、でも凄いじゃないですかっ! お孫さん勇ましいんですね! あたしにはとても真似できない」

司「真似なんてする必要ありません。剣道を習ったり、1人旅に出たりだの。少しは落ち着いてほしいものですよ。今は車の免許を取ろうと頑張っているみたいですが、早々に事故の1つも起こしそうでね」

由衣「(素の声に戻って)うちのじいちゃんエスパーか…?」

司「はい?」

由衣「いえ! 手品のリハ、楽しみにしてますっ!」

西塚由衣、カウンターの中へ。

マスター「(ひそひそ声で)由衣ちゃん。事故って、大丈夫だったの?」

由衣「うん…。実はさ、アクセルとブレーキ間違えちゃって、踏み切りに突っ込んじゃったの」

マスター「ええ!? そりゃ大変だ!」

由衣「幸い無事だったんだけどさあ。電車がもの凄い音を立てて急ブレーキしてたよ」

  浅野大地、奥から顔を出す。

大地「あの電車、お前のせいか! お前のおかげで酷い目に遭った!」

寺元「ああ! 見つけたぞ小僧!」

大地「やっべ!」

寺元「あ! こっちにも!」

  西塚司の手品道具の中から拳銃を見つける。

寺元「あった! あった! やった!」

司「あのう…」

寺元「うるせえ!(携帯電話を取り出して)もしもし! 神崎さん、見つけましたよ!」

------------------------------

  暴力団事務所。

神崎「見つけた? ほう。…で、ブツは? テメーだけじゃ心配だな。場所どこだ? ルーズ・ボーイ? 今からその店に何人か連れて行く。俺が行くまでそのガキ逃がすんじゃねえぞ」

  神埼竜平、電話を切り、事務所を見渡す。

神崎「行くぞ」

  目つきの悪い男が3人、無言で立ち上がり、神崎竜平の後に続く。

------------------------------

  ルーズボーイ店内。
  寺元康司が浅野大地に銃口を向ける。

寺元「おい小僧、俺の紙袋、返せコラ! さっさと返せ!」

司「あの、何かと勘違いをしていませんか?」

寺元「うるせえ! いいから小僧! 俺のアレ返せ! でねえと…」

  寺元康司が天井に向けて銃の引き金を引く。
  銃口からポンと花が咲き、店内が静まり返る。

司「…それ、私の手品の道具です」

大地「とっても言いにくいんですけど…。紙袋の中身、厨房に隠れてたとき、流しに流しちゃったんですよね…」

寺元「なんだと!? 神崎さんが部下連れてここに来るんだぞ!」

------------------------------

寺元「そりゃ俺ァ昔っから悪さばっかりしてたよ…。気づきゃ堅気じゃねえ仕事に就いちまってよ、おふくろに逢わせる顔もねえ」

マスター「なんで懺悔始めたんだ、この人」

寺元「神崎さんは俺のこと許さねえだろう。きっと、罰が当たったんだろうな。悪さばっかしてたからよお。こんなことなら、真面目に人生やってりゃよかった。死にたくねえよ。生まれ変わりてえよ」

ひとみ「あたしも、同じでした。でもあたし、この店で人生をやり直すことにしたんです。お兄さんも頑張ろうよ」

マスター「ちょっと待て。うちの店で私の許可なく人生やり直さないでくれるか」

ひとみ「そうだ! お兄さんも、音楽やろうよ! 今うちのバンド、ドラムがいないんだ」

マスター「うちにドラムは置けないよ!」

ひとみ「じゃあトライアングル!」

寺元「あのチーンってやつだろ? 恥ずかしくてできるかよ。それよりなんとかしねえと、神崎さんたち来ちまう! 逃げてもいつか捕まる。俺ァもう駄目だ」

大地「その神崎って人がボスですか? その人だけが逮捕されちゃえば問題ないわけですよね?」

由衣「大地! あたしも作戦考える! そういうの大好き!」

司「その声…。まさか、由衣ちゃん?」

由衣「げえ! バレたあ!」

司「由衣ちゃん、いつからいたんだい」

由衣「あの、その…。だいぶ前から、ウエイトレスをしてました」

司「ん? どういうことだい。さっきのウエイトレスの子が由衣ちゃん? 確かに不自然な声色だったけれど」

マスター「ふう。もう誤魔化せないな…。司さん、あなたまで騙すようなことになってしまい、すみません。実は今日だけ、由衣ちゃんにウエイトレスを演じてもらっていたんですよ」

ひとみ「演じる? どういうこと?」

マスター「小細工までして悪かったね、相沢さん。うちは、どうしても君を雇うわけにはいかないんだよ。だから嘘をついた」

ひとみ「なんで? 雇ってよ」

マスター「それが、そうはいかないんだ。実はこの店、今月いっぱいで閉めるつもりでね」

由衣「なんで!?」

大地「マジ!?」

ひとみ「嘘でしょ!?」

マスター「そればっかりは嘘じゃない。情けない話だが経営困難でね。ここしばらく、ずっと赤字続きなんだ。…今日だって賑わっちゃいるが、誰も何も注文していない」

マスター以外の全員「ああ~」

寺元「…いい店じゃねえかよ。俺ァこの店、初めて来たがいい店じゃねえかよ。俺みてえなチンピラの相談に乗ってくれる連中がこんなに集まるんだぜ? こんないい店ねえよ…。この店、潰さなねえでくれよマスター! 俺も客になるよ! あ、いや、俺が無事だったらの話だけどな…」

大地「このメンバーがいるから、無事で済むかも知れないですよ」

------------------------------

  神埼と目つきの悪い男が3名、入店する。

  店の奥には血まみれの寺元康司。
  カウンター内にはマスターと西塚由衣。
  カウンター席に相沢ひとみ。
  入り口から少し離れたテーブル席には西塚司。
  入ってすぐのテーブル席には、紙袋を足元に置いた浅野大地が座っている。

神崎「おいガキ。お前のその、足元の紙袋はなんだ?」

大地「オメーあのチンピラの仲間かよ!? オメーもやんのかよ!? ああ~!?」

神崎「ハッ! お前みたいなガキがヤスをやったってのか?」

大地「ああ、そうだよ! 秒殺してやったよ! オメーらもやんのか!? ああん!? やってやんよ! 俺マジつえーよ!? シャレなんねーよ!? テメーも俺の荷物目当てかよ!?」

神崎「まあそうだ。お前、ちょっとうちに来いよ」

ひとみ「もう嫌! こんな店! 喧嘩ばっかり! あたしもう帰る!」

相沢ひとみが神埼竜平にぶつかり、足早に退場。

神崎「(部下たちに向かって)放っとけ。(大地に向き直る)さてと、お前。外に車が止めてある。ここは俺が奢ってやるから、乗れ」

大地「やだよバカ! 俺、そんなの乗んねーし!」

部下A「なんだと!? このガキが!」

大地「レディース、アンド、ジェントルマン!」

  暗転。

神崎「なに!?」

部下A「あれ?」

部下B「んな!」

部下C「な、ちょ! え?」

司「リクエストにお応えしましたよ」

  照明、復帰。
  神埼の部下たちが、手錠で繋がれ輪のようになっている。

神崎「(部下たちに向かって)何遊んでんだテメーらァ!」

司「種も仕掛けも、まあございます」

神崎「じじい、テメーもグルか。目が見えねえ奴にゃ、停電しても問題ねえってわけだ。…手錠の鍵はじいさん、あんたを痛めつけたらお貸し願えますかね?」

由衣「じいちゃん!(神崎に向かって)あんた、こんな年寄りに暴力振るう気!?」

神埼「お嬢ちゃん、俺ァこれでも平等をモットーにしているんだ。ガキだろうがじじいだろうが、お痛が過ぎた奴にゃあ手加減しねえ。もちろん、お前みたいな小娘にもな…!」

由衣「うう…」

神崎「さてと、じいさん。目だけでなく、耳も聴こえなくしてやろうか?」

由衣「ま、待て! …あんたなんて、棒さえあれば!」

マスター「由衣ちゃん!」

大地「変なアドリブ効かせんな由衣!」

由衣「うっさい! あ、これ! じいちゃん、杖借りるね!」

司「由衣ちゃん、その杖は…」

由衣「黙っててじいちゃん!」

  白杖を構える。
  途端、杖は花束に変化する。

由衣「なんだこりゃ」

司「由衣ちゃん、その杖はだね。なんというか、手品の…」

由衣「うん。ごめんね、じいちゃん。(神崎に花束を差し出す)その、よかったら、記念にどうぞ」

神崎「なんなんだ、テメーらは。…気が変わった」

  神埼竜平が懐から銃を抜く。

神崎「部下とブツだけ回収するつもりだったが、オメーら全員事務所までご足労願おうか」

  西塚由衣が隠し持っていた銃を構える。

由衣「その銃を捨てなさい!」

神崎「ヤスの野郎、銃まで取られやがって…。おい、小娘。俺は撃てるが、お前にも人が撃てるのか?」

由衣「…あんま撃てない。…でも、あんただって撃てないクセに!」

神崎「はは。ここで人をバラしちゃ足がつくからな、確かに今は殺せない。でもなあ、お嬢ちゃん。銃は何も殺しだけに使うもんじゃねえ。指の何本かを吹き飛ばすことだってできるんだ。…こんな風にな」

  引き金を引と、ポンと銃口から花が咲く。

神崎「なんだと!?」

------------------------------

  相沢ひとみがメモを片手に、事務所の前を訪れる。

ひとみ「ここだよね?」

  玄関の前に麻薬の付着したビニール入りの紙袋を置く。

ひとみ「あーあ~。あたしもうスリなんてしない! なんて言ったばっかなのに、また嘘ついちゃった。でもまあ、いいよね」

  紙袋の中に、拳銃を入れて去る。

ひとみ「任務達成~♪ らんららんら~♪ これで大地さんがマスター説得してくれる~♪ 歌が唄える、らんららんらら~♪」

------------------------------

  銃口から咲いた花に気を取られている一瞬、浅野大地が神埼竜平を攻撃する。

神崎「ぐあッ!」

  神埼竜平、倒れる。

大地「だから言ったろ? 俺マジつえーって」

  寺元康司が起き上がる。

寺元「いやあ、ベタベタして気持ち悪いぜ…。うわ、俺、トマトジュース臭え…」

------------------------------

  数日後。

由衣「早く行かなきゃ、席がないかも」

大地「ああ。あのことが報道されて以来、座れないこと多いもんな」

由衣「あたしもおじいちゃんも、初めてインタビューされたよ」

大地「ああ、見た見た。司さん、何気に店のこと、宣伝してたよな」

由衣「してたしてた!」

司「皆さんで協力して、麻薬の売人たちを捕まえたんですよ。人を幸せにするこの店の常連で、私はよかった」

由衣「でも、宣伝ならあたしもしたよ?」

大地「ありゃ、ちょっとわざとらしくなかったか?」

由衣「そうかなあ?」

由衣「暴力団の人たちが逮捕されるのも当たり前って感じですかねー。ここ、常連客が持ち込むトラブルが全部解決されちゃうお店だから」

由衣「でも、それ言ったらマスターのほうが…」

大地「ああ、そうそう! マスターが1番芝居がかってて、ウケたよなあ」

マスター「うちの店の名はルーズ・ボーイ。文字通り不良って意味です。ちょっとやそっとのフダツキなら歓迎ですがね、人様に迷惑をかけるような輩なら私は許しません」

  浅野大地、西塚由衣、ルーズボーイに入店。

ひとみ「あ! いらっしゃーい! 由衣ちゃん、大地さん、こっち空いてるよー!」

大地「おー! ありがとー!」

客「ねえねえ、ひとみちゃん、今日は唄わないの?」

ひとみ「唄うよー! 司さんのマジックショーのあとに!」

客「司さんの手品、やっぱ生バンドの演奏があるだけで格段にカッコよくなったよね」

ひとみ「でしょー。あたしが連れてきた仲間だもん!」

大地「あ、マスター! あとででいいから、俺にいつものやつくださーい!」

マスター「はいよー!」

由衣「あたしもいつもの! 忙しそうなのに、ごめんねマスター」

マスター「(嬉しそうに)全くだ。あの事件以来、毎日クタクタだよ。由衣ちゃん、本気でウエイトレスやってくれないか?」

由衣「あはは。考えとく」

マスター「ひとみちゃんが唄ってる間は、私以外誰もいなくなるからね。人手が足りなくってしょうがない。ああ忙しい」

大地「お! そろそろだ!」

  照明が暗くなって、店の奥をスポットライトが照らす。
  バンド演奏スタート。
  リズム隊は、寺元康司のトライアングル。

  スーツ姿の西塚司、登場。

司「レディース、アンド、ジェントルマン! 今日もつたないながら、手品を披露させていただきますので、お見苦しいかも知れませんけれどお付き合い願います。その我慢を皆さんがなさったあとは、お待ちかね。ウエイトレスのひとみちゃんが歌を聴かせてくださいます。美しい歌い手さんは、私などの手品よりも絵になるに違いありません。おっと、美しいかどうか、私は目が見えないんでした」

  笑い声。

マスター「大地君、由衣ちゃん、お待たせ」

大地「ありがと、マスター」

由衣「いただきます、マスター」

マスター「なあ、君たち。ライブのあと用事ないだろ? 残ってくれないか。あのときのメンバー全員、今日は私の奢りだ」

由衣「いいの?」

マスター「まあ、あのときと、あと今日のお礼だよ」

司「続きましてのマジックは、親愛なるルーズ・ボーイのマスターにご協力いただきましょうか」

マスター「え、私!?」

司「さ、マスター、どうぞこちらに」

客一同「ヒューヒュー!」

  西塚司がマスターの両手にハンカチを被せ、一瞬にしてそれをどかせる。
  マスターの手には大きな花束が持たされている。

司「手錠のマジックは、さすがに皆さん見飽きたことでしょう。そこで今日は特別な日ですから、少し趣向を変えさせていただきました。ハッピーバースデイ、マスター!」

  演奏曲が誕生日を祝う曲に変更される。

客たち(大声援)

ひとみ(途中から客たちも加わる)「ハッピバースデイ、トゥーユー♪ ハッピバースデイ、トゥーユー♪ ハッピバースデイ、デェア、マスター♪ ハッピバースデイ、トゥーユー♪」

客たち(大声援)

――END――

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2010
August 09

【第1話・出逢い編】
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【第2話・部活編】
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【第3話・肝試し編】
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【第4話・海編】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/383/

【第5話・無人島編】
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【第6話・文化祭編】
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【第7話・恋のライバル編】
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【第8話・クリスマス編】
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【第8.5話・恋のライバル編Ⅱ】
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【第9話・バレンタイン編】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/388/

【第10話・卒業編】
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------------------------------

 僕が伸ばした手の先には、息吹があった。

「あたし、息吹。羽山息吹」

 彼女はそうやって僕に名乗ってくれたけれど、名前ぐらいならずいぶん前から知っていた。
 同じクラスだし、ずっと前から憧れにも似た感情を密かに抱いていたからだ。
 なんだけど、今まで機会もなくて、それに僕は緊張しやすいから、今までずっと自分から積極的に話しかけられないでいたのだ。

「僕は山本裕也」

 自己紹介をすると、彼女は「知ってるよ」とにこやかに笑った。

 その日、僕はある文庫本を求め、書店内をうろうろとしていた。

「お、見つけた」

 内心喜んで本棚に手を伸ばす。
 ところが僕は小説ではなく、横から忍んできた細い手に触れていた。

「あ」

 手の主と僕は同時に目を合わせる。
 知っている顔がそこにあって驚いた。

 ずっと憧れだった、息吹さんじゃないか!

 僕は動揺してしまって、思わず目を逸らす。

「あ、どうぞ」
「いえ、どうぞ」

 どちらともなく譲り合ったけど、結局は僕がその場を逃げるようにして去り、仕方なく別の小説を買って店を出た。
 突然の出来事に心臓の鼓動が元の早さに治まらない。

 せっかく話しかけるチャンスだったのに、突飛すぎてなにも対応できなかった自分のふがいなさを呪いながら、僕は喫茶店のドアをくぐる。
 からんころんとベルの音が響いた。

 お気に入りの紅茶を飲みながら、ここで読書をするのが僕の月1の楽しみだ。
 本に集中していたから、いつの間にか店内ががやがやとしていることに僕は気がつかないでいた。

「あの、お客様」

 ウエイトレスの声に、ふと顔を上げる。

「はい?」
「大変申し訳ございません。店内込み合ってまいりましたので、相席でもよろしいでしょうか?」

 落ち着いて本が読めなくなるから正直ちょっと嫌だったけど、仕方ない。
 僕は了承の旨をウエイトレスに伝える。
 テーブルの真向かいに、コースターが置かれた。
 僕は再び文庫本に目を落とす。

「あ」

 女の子の声に再び顔を上げる。

「あ!」

 書店の紙袋を持った息吹さんが、そこにいた。

「あの作家さん、好きなの?」
「うん、そうなんだ」

 内心ドキドキしながらも、僕は普段ならしない紅茶のお代わりを頼む。
 これで今月のお小遣いはなくなってしまったけど、やむを得ない。
 互いにちょっとした自己紹介を終えると、僕らは今まで知らなかった共通の話題に夢中になる。

「息吹さんは、千年交差はもう読んだ?」
「読んでない! 裕也君は?」
「読んだよ」
「いいなあ。あたしずっと前から読みたかったんだ。どうだった?」
「よかった。凄く面白かったよ」
「あたし、文庫になってから買おうと思ってるんだけど、そんなすぐには出ないよね」
「あ、よかったら貸そうか?」
「本当に!?」

 祈るようにして、彼女は胸の前で手を合わせる。

「じゃあ代わりに、さっき裕也君が譲ってくれた本、あたし読み終わったら貸すよ」
「本当!?」

 それが僕らの出逢いだった。

 それからというもの、僕はなかなか苦労して告白のチャンスを伺ったものだ。
 友達のままでも充分幸せだ、なんて最初のほうは思っていたけれど、親密になるにつれ、気持ちが抑えきれなくなってゆく。

 ある雨の日。
 僕は傘を忘れてしまい、学園の昇降口で立ち往生していたら、息吹さんが傘を差し出してくれた。
 1つの傘に2人が入り、並んで一緒に帰ったことは忘れられない思い出だ。
 あとで聞いた話によると、この日、お父さんの折り畳み傘を鞄にもう1本入れていたことを、息吹さんは隠していたのだそうだ。
 その頃ぐらいだろうか、僕が告白を意識し始めたのは。

 なんだけど僕は臆病で、なかなか言い出せない。
 どう言ったらいいのか全く解らないし、きっかけもなかった。

 やっと想いを口にできたのは、冬になってからだ。
 クラスのみんなでスキーをしにいった先でトラブルがあり、僕と息吹さんは2人で宿泊先の部屋に閉じ込められた。
 凍死する心配はなかったけど、大雪のせいで電気は止まっていて、心細かった。

「裕也君、あの…」

 息吹さんの不安げな顔が暖炉の炎に照らされている。

「暗くて怖いから、そばにいてもいい?」
「え!? あ、うん!」

 肩を寄せ合う。
 息吹さんのか細い手が、僕の腕に絡みつく。

「嫌じゃ、ない?」
「ももも、もちろん!」

 パチパチと木の燃える音。

 告白なんてしてる場合じゃないのかも知れない。
 でも今しかないと、僕は意を決した。

「息吹さん、あの、実はね、僕はその、あの…」

 ごくりと喉が鳴った。
 僕はぎゅっと強く目をつぶる。

「実は、ずっと前から、息吹さんのこと、好きだったんだ!」

 しかし、息吹さんは何一つとして言葉を発しない。

 恐る恐るゆっくりと、僕は目を開ける。
 それまで伏せていた顔をゆっくりと上げ、息吹さんを伺った。

「そりゃないよ」

 すやすやと寝息を立てている息吹さんを見て、僕は愕然としたものだ。
 体中から一気に力が抜けていた。

 なんだかんだと、実に様々なことがあったものだ。

 卒業式の日。
 あの桜の木の下で、僕らはようやく秘めていた想いを打ち明け合う。

 息吹さんがまっすぐに僕を見つめた。

「この木の下でキスした2人は、幸せに、永遠に結ばれるんだって」

 女の子の唇の感触というものを、僕は初めて知った。

 やはりあの大桜は凄い。
 言い伝えは本当だった。

 僕らが結婚して、もう1年になるだろうか。

 僕は今、病院の待合室でただただそわそわと落ち着きなく、貧乏ゆすりをしている。
 一生忘れられない記念日が、また1つできようとしていた。

「山本さん! 産まれましたよ!」

 駆けつけてきたナースに「本当ですか!?」と返すも、足元がおぼつかない。
 あたふたしながら、僕は分娩室に突入する。

「元気な男の子ですよ」
「ありがとうございます!」

 担当医に深く一礼をし、僕は一目散に妻の元へ。

「息吹! 頑張ったね!」

 息吹は穏やかな笑顔で、産まれ立ての命に手を添え、愛でている。
 僕らの結晶はそこに、おぎゃあおぎゃあと確かに存在していた。

「女の子だったら桜って名前にしよう」

 そう言い出したのは僕だ。

「あの桜の木にちなんで?」
「うん、そう。あの春の日は僕らにとって特別だったから」
「じゃあ、男の子だったら春樹ってゆうのはどう?」

 いいねと、僕は大きくなった息吹のお腹を撫でた。

 ナースが僕に振り返る。

「抱いてみますか?」
「あ、はい!」

 恐々と両手を差し出す。
 大泣きしているせいで、春樹の息がくすぐったい。

 僕が伸ばした手の先には、息吹があった。

 第1話に続く。
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2010
August 06

【第1話・出逢い編】
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【第2話・部活編】
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【第3話・肝試し編】
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【第4話・海編】
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【第5話・無人島編】
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【第9話・バレンタイン編】
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 佐伯が転校してきてからの1年は、なんだかあっという間に過ぎ去ったような気がする。
 毎日が目まぐるしく、本当に色々なことがあった。

「もう卒業かあ」

 俺の横で、佐伯が缶コーヒーから口を離す。

「1年しかいられなかったけど、あたしこの学園に転校してきてよかった」

 やはり恥じらいが邪魔をして、「俺も、お前が転校してきてくれてよかったよ」だなんて本音が言い出せない。

 ピロティのベンチには暖かな朝日が降り注いでいて、まるで俺たちの卒業を祝福してくれているかのようだ。
 風が優しく吹いて、佐伯の髪を撫でている。

「あ、いたいた!」

 反射的に声の方向に視線をやると、近藤がこちらへ小走りで近づいてくる。
 その隣にいるのは、さっちゃんだ。

「おう」

 片手を挙げて挨拶をする。
 近藤はどこかもじもじとしながら、「2人に報告したいことがあるんだ」と照れたように笑った。

「報告?」
「うん」

 頷くと近藤は、たどたどしくさっちゃんの手をそっと握る。
 さっちゃんが赤らめた顔を伏せた。

「え? もしかして…」

 と、佐伯。
 近藤が照れ隠しのように「あはは」と、自由なほうの手を後頭部に添える。

「そうなんだ。実は僕たち、付き合うことになったんだ」
「マジでかよ!?」
「本当!?」

 俺も佐伯も、勢いよくガバッとベンチから立ち上がる。

「よかったな! 近藤!」
「おめでとう! さっちゃん!」

 佐伯がさっちゃんの手を、俺は近藤の手を強く握った。

 さっちゃんがゆっくりと顔を上げる。

「優子ちゃんと春樹君にだけは、どうしても報告したくて」

 その笑顔が幸せそうで、俺はなんだか嬉しくなった。
 近藤はいい奴だから、きっと上手くいくだろう。

「あ、そろそろ卒業式だ。僕ら、先に体育館行ってるよ」
「おう! 俺らもコーヒー飲んだら行くわ!」

 歩いてゆく2人の背中を見送る。

「あいつらお似合いだなあ」

 なんてことを佐伯に言っていたら、近藤とさっちゃんが同時に振り返って俺たちに大きく手を振った。

「春樹ー!」
「おーう、なんだー!?」
「次は、お前らの番だからなー!」
「いや、え!?」

 絶句している俺たちに構わず、近藤たちは逃げるようにして体育館へと向かった。

「そ、そろそろ行くか…?」
「そ、そうね」

 俺と佐伯は「えい」と空き缶を放る。
 2つの缶が、同時にゴミ箱に納まる。

------------------------------

 体育館では生徒代表の伊集院君が卒業証書を受け取って、教室では安田先生がそれを1人1人に手渡してくれた。
 あたしは恩師に深々と頭を下げて、その特別な厚紙を譲り受ける。

「じゃ、あとでグランドでな」

 先生が短くウインクをしてくれた。

 サッカー部の後輩たちが校庭で送別会をしてくれて、あたしたち卒業生は1人1人と握手をしてゆく。
 部員たちは男泣きしている人ばっかりで、あたしも釣られて涙が滲んだ。
 マネージャーの美香ちゃんも、あたしと似たような表情だ。

「佐伯先輩、あとでお話しさせてください」

 握手をしているとき、彼女は声を潜めた。

「体育館の裏で、待ってますから」
「え? あ、うん」

 美香ちゃんから優しげな笑顔を見せてもらったのは初めてで、あたしは少し戸惑った。

「話って、なあに?」

 体育館の裏まで行くと、美香ちゃんは後ろで手を組んでいて、こちらを背にしている。
 くるっと振り返ったかと思うと、美香ちゃんがペコリと頭を下げる。

「今まで意地悪して、すみませんでした!」
「あ、ううん」

 顔を上げた美香ちゃんは、どういった理由からか涙を浮かべている。
 精一杯の作り笑いが、なんだか痛々しく見えた。

 美香ちゃんが再び後ろに手をやると、あまり顔を見られたくないからだろう。
 再び、あたしに背中を見せた。
 彼女はそのまま、大空を仰ぐ。

「あたし、春樹先輩に告白したんです」
「…え?」
「バレンタインのとき、チョコと一緒に手紙渡して、気持ちを伝えました」
「あ、うん。そう、だったんだ…」
「でも、春樹先輩、好きな人がいるんですって!」

 美香ちゃんがくるっと回って、あたしに笑顔を向ける。

「春樹先輩を不幸にしたら、あたし許しませんからね!」
「美香ちゃん…」
「油断しないでくださいよ? あたし、しつこいですから。佐伯先輩が少しでも春樹先輩を傷つけたら、またすぐにアタックしてやるんだから」

 顔は笑っているのに、美香ちゃんの目からはぽろぽろと涙がこぼれ落ちている。

「あたしからはそれだけ。卒業、おめでとうございます!」

 ガバッとおじぎをすると、美香ちゃんは走り去る。
 見えなくなるまで、あたしはその後姿を見送った。

 きっと、あたしは気持ちを託されたのだろう。

 あたしは髪を束ねているゴムを、そっと外す。
 髪が風に揺られ、さらりと広がった。

「卒業、おめでとうございます、か…」

 卒業、しなくっちゃな。

 あたしは下唇を軽く噛む。

 意地を張ることからは、もう卒業しよう。

------------------------------

「春樹、ちょっといいかい?」

 佐伯はどこかと探していたら、近藤から声をかけられた。

「ああ、なんだ?」
「春樹にプレゼントしたいものがあってね」
「俺に? なんでまた」

 すると近藤は「親友だからさ」と俺の肩を叩く。

「ただ、そのプレゼント今はないんだ。3時になったら、あそこまで取りに来てくれないか?」

 近藤は旧校舎の向こうを指差している。
 そこには丘があって、丘のてっぺんには噂名高い大桜がピンク色に染まっている。

 その木の前で口付けを交わした2人は永遠に結ばれるなんて言い伝えがあるけど、実は俺もその伝説を信じている1人だったりする。
 何を隠そう、うちの両親も桜ヶ丘学園のOBで、あそこでキスしてやがて結婚をし、今も幸せそうにしているからだ。

 それにしても近藤の奴、なんだってあんな場所を指定してきたんだろう。

 3時になって、俺は緑の坂を登る。

「あれ?」

 思わず声が出た。
 頂上に待っているのは、佐伯じゃないか。

 佐伯は髪を解いていて、それを手櫛で耳にかけている。

「春樹」
「お前、なんでこんなとこに?」

 桜の根元にいる佐伯に、俺は近寄った。

「さっき近藤君から頼まれて」
「近藤に?」
「あとで春樹が来るからこの手紙を渡してくれ、だって。はい」

 佐伯から手紙を渡される。

 なんだろう?

 封を切って中を取り出し、広げる。
 すると、そこにはこう書いてあった。

「言っただろ? 次はお前らの番だからなって。親愛なる友より」

 手紙の隅には女の子らしい文字で「がんばって!」ともあった。

「なんて書いてあるの?」
「え、いや」

 思い詰めたような佐伯の表情に、胸が大きく脈を打つ。

 プレゼントって、こういうことか!

「いや、なんでもねえ、ってゆうか…」

 ついもじもじと顔を伏せる。

 いや、いかんぞ俺!
 それだからいつも同じ展開になるんだ!
 そんなんじゃ親友から笑われちまうぞ!

 俺はごくりと唾を飲み、胸をさする。

 よし、言おう!
 言うぞ!

 俺はゆっくりと顔を上げた。

「あのさ、佐伯、あの…、俺…」
「春樹、あたしね? ずっと前から好きな人がいるの」

 断固とした口調で遮られる。
 真剣な表情のまま、佐伯は俺の目をじっと見ている。

「その人はね? ぶっきらぼうで、デリカシーがなくて、無神経で。でも、いつもあたしの横にいて、どんな時でも何かあると走って助けに来てくれるの」

 佐伯はゆっくりと反転し、俺に背を向けた。

「悔しいけど、あたし、その人のことが大好き」
「佐伯、俺、セリフを思い出したよ」

 ん?
 と佐伯が振り返った。

「そっから先は、俺が言う」

------------------------------

 春樹の顔にはもう、緊張感が漂ってはいなかった。
 いつになく真面目な表情で、でも目の奥が優しい。

 1歩足を踏み出して、春樹があたしの前に。
 あたしたちは正面からしっかりと向かい合った。

 春樹が、ゆっくりと口を開く。

「長いこと、探していたものがあるんだ」

 その出だしには聞き覚えがある。
 文化祭のときにやった、劇でのラストシーンだ。

「でもそれは自分で探していたことにさえ気づけないもので、俺はそれを見つけ出していても、見つかったことをずっと知らないままでいた」

 懐かしくて、記憶が次々と蘇ってくる。

 転校初日から春樹とぶつかって、喧嘩したのが出逢いだった。
 さっちゃんと仲良くなって、校舎を案内してもらった。
 この桜の話も、そのとき聞いたんだっけ。
 あのときの大吾郎はまだ子猫で、小さかったなあ。
 サッカー部のマネージャーになって、夏には肝試しをして足をくじいた。
 夜の海辺で春樹と大はしゃぎなんかもしたっけ。
 無人島で1泊なんてハプニングもあった。
 伊集院君に謝りに行ったときは、まさか春樹がピロティまで駆けつけてくれるだなんて思ってもみなかった。
 クリスマスには雪が降って、あのときの思い出は一生の宝物だ。
 バレンタインのときは無駄に緊張して苦労したなあ。 

「気づくまで長かったよ」

 あたしもよ。
 あたしも、なかなか自分の気持ちに気づけなかった。
 素直になれなかったんだ。

「でも、お前はそれでも待ってくれていた」

 そう、待ってた。
 春樹なかなか言い出してくれないから、待ちくたびれたよ。

「俺が、俺の運命と感情に気がつく今日までの間、待たせたな」

 おかげで、待つことに慣れちゃった。

「ずっと前から言わなきゃいけなかった言葉を俺はようやく今、口にできるよ」

 はい、聞きます。

「ずっと前から、お前のことが好きだった」

 あたしもよ。

 そして、しばらくの静寂。
 さあっと、桜吹雪が舞った。

 あたしは劇の台本通りに、春樹の胸に顔を埋め、そっと抱きつく。
 春樹の両腕があたしの背中に回った。
 あたしは春樹の胸に頬を寄せたまま、ゆっくりと目を閉じる。

「待たせすぎよ、バカ」

 暖かい風が吹いて、あたしたちを包み込んだ。

 あたしは春樹に身を任せたまま、言う。

「…本番のときよりも全然自然だったね」
「だろ? 演技じゃねえからな」
「でも、ずるいなあ。劇のセリフ、そのまま使っちゃうなんて」
「あの劇、まだ続きがあるんだ」
「ふうん。どんな?」
「高校生だからって理由で本当のラストシーンは端折られたけど、俺たち卒業したから、もう高校生じゃないだろ?」
「あたしは、どうしたらいい?」
「そのまま目をつぶって、主人公に顔を向ける」
「ふふ。ホントずるいんだから」

 笑うと、あたしは目を閉じたまま顎を上げ、つま先立ちをする。

 そこにあったのは、春だった。

 ――fin――

 番外編へ。
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2010
August 05

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 顔も手もエプロンも、真っ黒でベタベタだ。
 それでもあたしは一生懸命、鍋の中をかき回し続ける。

 初めての挑戦とはいえ、あたしは明らかに苦戦をしていた。
 あたしの背後には数々の失敗作が山盛りになっている。

「うーん…」

 今まで作ったやつの中で最もマシと思われるそれを眺め、あたしは悩む。
 一応ハートっぽい形にはなっているけど、それでもどこか美しくない。
 これだと確実に手作りだってことがバレてしまうだろう。

「でもまあ、いっか!」

 あたしは不恰好なチョコレートを小箱に入れて、不器用ながらも梱包してゆく。

------------------------------

 1年の中で男子生徒が最もそわそわする日が今日だろう。
 少なくとも俺にとってはそうだ。

 佐伯の奴は果たしてチョコなんて用意するのだろうか。
 あの性格だ。
 ないかも知れない。
 直接「俺にチョコあるのか?」なんて恥ずかしくて訊けないし、訊いたところで答えはないだろう。
 一緒に初詣に行ったときも、そうだった。

「なあ、やたら長いこと手ェ合わせてたけど、なにをお参りしたんだ?」
「んふふ。内緒っ!」

 なんでいつも教えてくれないんだ、あいつは!

 登校中での会話は普通だったし、下駄箱の中には当然のように上履きしか入っていない。

 いや別に、俺は最初から期待なんてしてねえし、今後もしねえけどな!

 内心強がってみたものの、どうにも気分が落ち着かないから不思議だ。

------------------------------

 問題は渡し方だ。
 考えてみたらあたしは今日、全くのノープランなのだ。
 緊張せずに済み、かつ想いが届くような、それでいてさり気ない渡し方ってないものだろうか。
 そもそもなんて言って渡せばいいんだろう。
 これが義理チョコだったら簡単だったのに。
 あいつと話していると、ついいつもみたいに言い合っちゃうこともハードルの1つだ。
 難しいなあ。

 なんて悩んでいたら、あっという間に昼休みになってしまった。
 いつチャンスがあるか解らない。
 あたしは誰にも見られないように、小箱をブレザーのポケットに忍ばせた。

「春樹ー!」
「おう」

 向こうから「チョコくれよ」とねだられるのが1番楽だ。
 あたしはわざと今日のことを口にする。

「そ、そういえば今日、バレンタインだね」
「え!?」

 春樹が小さく飛び上がる。

「そ、そうだったっけ!? いやあ、気づかなかったなあ!」

 わざとらしく見えるのはあたしの気のせいだろうか。

 ヒューヒューと、誰かが口笛を鳴らした。
 突然の音に、あたしたちはぎょっとなる。

 春樹は口笛の主に「そんなんじゃねえよ!」と、どんなんだか解らない言い訳をした。

 駄目だ。
 教室だと人目がありすぎる。

「春樹、屋上行こ」
「え、お、おう。別に、俺は別に構わねえぜ?」

 あたしたちの背に再び口笛が浴びせられる。

------------------------------

 屋上に出ると、佐伯はもじもじと俺に小箱を差し出した。

「春樹、これ…」
「これは、なんだい?」
「い、言わせないでよ。その、バレンタインの、チョコレート。あんたのために、あたし、頑張って作ったんだ」
「これを? 俺にかい?」
「うん。あたし、ずっと前から春樹のことが好きだったの」
「えええーッ!? なんだってェ!?」
「春樹! 大好き! だから、あたしと付き合ってください!」
「フッ! まあ、お前がそこまで言うんなら、俺は構わないぜ?」

 なんていう妄想が止まらない。

 佐伯の奴、やっぱり俺にチョコくれるのか…?
 これはそう考えていいんじゃねえか?
 だって屋上だぜ?
 誰もいない屋上に誘うってことは、これはもうチョコしかないんじゃねえか?

 右足と右手が同時に出て、歩きにくい。

 屋上へと続く扉を押し開けると、俺と佐伯は同時に「あ」と気マズくなった。

 そこには点々と生徒がいて、女子が恥ずかしそうにチョコを差し出し、照れながら男子がそれを受け取っている。

「も、戻ろっか」

 と佐伯が言い、

「そ、そうだな」

 と俺が答える。

------------------------------

 教室に戻ろうと、あたしたちは並んで廊下を行く。

 緊張しすぎて、なんだか疲れた。
 とりあえず、今渡すって計画は置いておこうかな。
 考えてみれば、夜に春樹の部屋を襲撃したっていいわけだし。

 あたしは肩から力を抜いた。

「春樹」
「ん?」
「あんたまだ誰からもチョコ貰ってないでしょ」
「バ、バカ言えよ! も、もう結構貰ったぜ!?」
「ふうん、いくつ?」
「ひゃ、ひゃ、ひゃ、100個ぐらい?」
「あはは!」

 明らかな嘘に、あたしはつい噴き出す。

「あんたさっき、今日がバレンタインデーだってこと、気づかなかったなんて言ってたクセに!」
「う、うるせえな!」
「やっぱり貰ってないんだ?」
「やっぱりってなんだよ!? ったく、女どもは見る目がねえからな」
「モテない男ってみんなそう言いそう」
「うるせえな! 別にチョコなんて貰ったって嬉しくなんかねえよ!」
「強がり言っちゃって」

 と、ここでふと思う。

 あれ?
 もしかして、今ってチャンス?
 あたしの中に次のセリフが浮かんだ。

「どうせ誰からも貰えないんでしょ? 可哀想だからあげる」

 それよ!
 これならさらりと渡せる!

 あたしは意を決してポケットの中の、小さな箱に手を添える。

「ど、どうせ誰からも貰えないんでしょ? か、可哀想だから、あ、あげ」
「春樹せんぱーい!」

 いきなり後ろから女の子の声が。
 2年生の美香ちゃんだ。

「春樹先輩、探しましたよ!」
「へ? 俺を?」

 美香ちゃんは春樹に飛びつきそうな勢いだ。

「先輩! ちょっとこっち来てください!」
「え? え? え?」

 ずるずると美香ちゃんに引きづられるようにし、春樹がどこかに連れ去られてしまった。
 あたしはその場に立ち尽くし、ただぽかんと「可哀想だから、あげる…」と口をぱくぱくさせている。

 可哀想なのは自分のような気がしてならない。

------------------------------

 空気の読めない奴ってのはどこにでもいる。
 うちのクラスだと、山田がそれだ。

 帰りのホームルームが終わって、帰り支度をしていたときのことだった。
 山田の鞄が当たって、俺の鞄を床に落とす。

「あ、ごめん春樹」

 しかし時既に遅く、俺の鞄は中身をぶちまけてしまっていた。
 教科書やノートとは別に、さっき美香から貰ったチョコレートと手紙までもが床に広がっている。
 その2つは大急ぎで鞄の中に戻したが、やはり何人かに見られてしまったみたいだ。
 男子生徒たちが大騒ぎを始める。

「今慌てて隠したのって、チョコかよ春樹!?」
「手紙もあったよな!? 今!」
「おーい、全員注目ー! 春樹がチョコ貰ってたぞー!」
「佐伯からかー!?」
「ひゅーひゅー!」
「う、うるせえな! そんな騒ぐんじゃねえよ!」

 必死になって皆を静めていると、山田が不思議そうに首を傾げた。

「でも春樹、お前昔っから甘いの苦手じゃん」

 馬鹿野郎!
 それだけは今日1番言ったら駄目な情報だろ!
 美香には悪いけど、チョコは内緒で近藤に喰ってもらおうと思ってたんだ!

「ああ」

 と、俺は頭を抱えて机に突っ伏す。

 背後から、佐伯の鋭い視線を感じる。

------------------------------

 あたしはもう焦るのをやめた。
 チョコを渡すのを諦めたら、気が楽になった。

 昨日あれだけ頑張ったあたしがバカみたいじゃない。
 甘い物が食べられないなら食べられないで、ちゃんと前もって言っておきなさいよ、バカ。

 帰り道。
 スタスタと歩いていると、春樹があたしの後から着いてくる。

「佐伯、なんか怒ってるか?」
「怒ってなんかないわよ」

 美香ちゃんからの手紙にはなんて書いてあったの?
 なんて、怖くて訊けない。

 あたしは少し、歩くペースを上げた。

「おい、佐伯」
「うるさいわね」
「やっぱり怒ってるだろ、お前」
「怒ってないったら!」
「なんだよ? お前、もしかして妬いてるのか?」
「ち、ちが…!」

 そういうこと普通、ストレートに訊く?
 なんてデリカシーのない男なんだろう。
 無神経さに呆れて溜め息が出る。

 あたしはふうと息を吐いた。

「あーあ~。なんであたし、こんな奴のこと、好きになっちゃったんだろ…」
「ん? なんか言ったか?」
「なんでもない!」

 あたしはさらに歩調を強めた。
 すると、春樹もそれに合わせてくる。

 もう!
 なんで着いて来るのよ!

 段々と腹が立って、あたしはついに駆け出した。

「おい、佐伯! さっきからなに怒ってんだよ!」

 春樹の足音と声が背後から聞こえる。

「おい、佐伯ったら!」
「知らない!」
「おい、待てよ!」
「やだ!」
「ちょっと待てったら!」
「嫌ったら嫌!」
「あれ? おい! お前、なんか落としたぞ?」
「へ?」

 振り返ると、あたしは「げ!」と青ざめる。
 春樹が赤い小箱を手にし、首を傾げている。

「なんだこりゃ」
「か、返して!」

 顔を真っ赤にして、あたしは春樹に詰め寄る。
 チョコを奪い返すと、恥ずかしさに耐えられなくって、あたしは顔を伏せた。
 そんなあたしの顔を、春樹は覗き込む。

「もしかして、それ…」
「なんでもないったら!」

 逃げ出したくなって、あたしは再び走り出そうと足を前に出す。
 気が急いていたらしく、その足がもつれた。

「危ねえ!」

 そこからはまるでスローモーションのように、あたしにはゆっくりと見えた。

 転倒しそうになったあたしの両腕を、春樹の両手が力強く掴む。
 手首のあたりを持たれて、あたしは万歳をするような恰好になった。
 頭の中が空っぽになって、あたしの口は半開きになり、すぐそこにある春樹の顔から視線を外すことができない。

 春樹は、真剣な顔をしていた。

 あたしの手から、小箱がするりと抜け、落ちる。
 箱はガードレールにこんと当たって、道路側へと弾む。
 それがぽとりとアスファルトに落ちたところで、時間の流れは元に戻った。

 次の瞬間。
 1台のトラックがあたしたちの横を、チョコの上を通り過ぎる。

「あ!」

 思わず叫ぶ。

 箱は無残にもぺちゃんこに潰れ、平たくなってしまった。

「ああ…」

 あたしはこれ以上崩れないように、両手でゆっくりとチョコだった物体を拾い上げる。
 歩道に戻ると、春樹は神妙な面持ちだ。

「それ、チョコか?」

 あたしは泣くのを我慢して「うん」と答えた。

「ちょっと貸してみ?」
「え? うん…」

 あたしから赤い残骸を受け取ると、春樹はそれをまじまじと見つめた。

「お前が作ったのか? これ」
「そ、そうだけど…」
「そうか。その、誰に…?」

 その問いに、あたしの顔は急激に熱くなる。
 もじもじと指を組んで、「一応、あんたに」と言葉を絞り出す。

「あんたが甘いの苦手だって、あたし知らなかったから…」

 春樹はというと、包装紙を丁寧に、細かく破いている。

「ただでさえ不恰好だったのに、さらに酷くなっちまったな」
「う、うるさいわね! どうせたいした出来じゃなかったわよ! とにかくそれ、返して。あたし捨てとくから…」
「やだね」
「なんでよ?」
「捨てるぐらいなら、くれよ」
「…え?」

 唖然としていると、春樹はいつの間にか箱まで破いていて、粉々になっている黒い物体を次から次へと口に運ぶ。

「ちょ、ちょっと春樹! お腹壊すよ!?」
「うるせえ! お前のチョコなんて受け取れる奴、俺ぐらいしかいねえだろ?」

 ガツガツと、春樹はチョコを頬張る。
 あっという間に全てを平らげてしまった。
 箱の裏に着いたチョコの粉末までさらさらと口に入れ、春樹はにかっと笑う。

「お前のチョコ、すげー美味いな!」
「バカ…。甘いの駄目なのに、無理しないでよ」
「こんなの無理でもなんでもねえよ」

 言うと、春樹は鞄を背負い直して歩き出す。

「待ってよ」

 あたしは春樹の後を追った。

 気温が低い割に、あたしの胸はなんだかポカポカしている。
 春は、もうすぐそこなんだろうなあと、あたしは感じた。

 最終話に続く。
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/389/

拍手[16回]

2010
August 04

【第1話・出逢い編】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/380/

【第2話・部活編】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/381/

【第3話・肝試し編】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/382/

【第4話・海編】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/383/

【第5話・無人島編】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/384/

【第6話・文化祭編】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/385/

【第7話・恋のライバル編】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/386/

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 あのとき、佐伯がピロティにいたってことは、伊集院とくっついちまったってことだよな。

「ふう」

 少し長い溜め息と同時に、俺はベットに倒れ込む。
 大吾郎が俺の腰に「にゃー」と鳴きながら乗ってきた。

 あれからというもの、佐伯には何も訊くことができず、俺はこの2ヶ月をもやもやとした気持ちで過ごしている。
 佐伯の態度はというと、伊集院と上手くいっているからなのか、俺に対して上機嫌だ。
 こうしている今だって窓を開けて入ってきかねない。

「俺ン部屋に入ってきたりして、伊集院の奴に怒られたりしねえのか?」

 そう、さり気なく探りを入れてみたこともあった。
 しかし佐伯はにやにやと笑うばかりだ。

 くっそ!
 なんで俺が佐伯なんかのために沈んだ気分にならなきゃいけないんだ!
 だいたい、俺は元々麗子さん一筋なんだ!
 佐伯が誰と付き合おうと知ったことか!

 俺はつかつかと居間に下り、連絡票片手に受話器を持ち上げる。

 フラれついでだ!
 このまま麗子さんをクリスマスに誘って、玉砕してやる!
 いや、フラれついでって、別に俺は佐伯なんかにフラれた覚えはないけどな!

 俺は憤然と電話機のボタンをプッシュした。
 今のこの勢いなら、あの麗子さんとだって平常心で話せるに決まってる!

「はい、もしもし?」
「あ、あ、あ、あの、わわ、わたくし、桜ヶ丘学園の生徒の、あの、はは、春樹と申す者でございますけども、れれ、れ、麗子さん、いら、いら、いらっしゃいますでしょうか?」
「あ、春樹君?」

 げえ!
 麗子さんが出た!
 どうしよう!?

 そこからは頭の中が真っ白になってしまい、俺から何を喋ったのかはあまり覚えていない。
 なんだけど、電話を切る間際の麗子さんの言葉だけは衝撃的すぎて忘れることができなさそうだ。

「クリスマス? いいよ。空けておくね」

 ぺこぺこと何度も頭を下げながら、俺は受話器を置いた。
 しばらくその場で立ちすくむ。

「マジで…?」

------------------------------

「おい、聞いてくれよ!」

 春樹が満面の笑みを浮かべている。
 ここ2ヶ月ぐらい見なかった明るい表情だ。

 放課後の帰り道、あたしは後ろからドンと押され、振り返るとこいつがいた。

「な、なによ急に」
「俺、とうとうさ、麗子さんとデートすることになったんだよ!」

 え?
 今こいつ、なんて?

 まるでハンマーで殴られたような衝撃が頭の中を駆け巡る。
 そんなあたしの様子に気づかず、春樹の機嫌は絶好調だ。

「まさかあの麗子さんにオーケーしてもらえるとはなあ」
「そ、そう。よ、よかった、じゃん…」
「やっぱなんかこう、プレゼントとか必要だよな!」
「え、あ、うん…。いいんじゃ、ない…?」
「そうだ! お前今度の日曜、買い物付き合ってくれよ! 俺、女の子にプレゼントなんてしたことないからさあ、どんな物買ったらいいのか解らなくってよお」
「な、なんであたしが…」
「いいじゃねえかよ! とにかく空けとけよな! じゃあ俺、今日は先帰るわ! デートに着てく服を選ばないと!」
「ちょ、あたしまだ行くだなんて…」
「じゃ、日曜なー!」

 春樹は浮かれた調子で走り去ってゆく。

「はあ…」

 あたしは深い深い溜め息をつく。

 あいつ、やっぱり今でも白鳥さんのことが好きだったんだ…。

 だいたい、なんであたしが春樹と白鳥さんのために買い物に付き合わされなきゃならないんだろう。
 きちんと断り切れなかったことも、あたしの気分を鬱蒼とさせる。

「あーあ~。あたし、なにやってんだろ…」

 そこにあった空き缶を、あたしは思わず蹴飛ばす。
 カコーン。

------------------------------

 ここ最近、佐伯が浮かれていた気持ちがよく解る。
 今の俺がそうだからだ。

 俺は意味もなく家を飛び出すと、そのまま近所を徘徊しまくった。
 公園を散歩し、商店街をぶらぶらと歩く。
 夕日が眩しかったけど、俺的にはこんなの麗子さんの輝きには及ばない。
 そんな憧れの麗子さんとクリスマスにデートできるだなんて。
 通行人が誰もいなけりゃスキップしているところだ。

「あら、お兄さん」

 声に振り向くと、そこにはおばさんの易者がいた。

「嬉しそうねえ。なんかいいことあったの?」
「あ、はい」
「あらそう、よかったわねえ。よかったらその幸せがもっと続くように占ってあげましょうか? 安くしとくわよ」

 俺は少し「う~ん」と悩んだが、まあたまにはいいだろう。
 占い師の前にあった椅子に腰かけ、俺はおばさんに両手を差し出す。
 しばらく俺の手相を見ていた易者が目を大きく見開いた。

「これは凄いわよ!」
「え、そうなんですか?」
「ええ。稀に見る幸運な相ね」
「へえ! マジですか!」
「ここまで運気のいい相はそうそうないわねえ」
「そんなにいいんですか?」
「最高よ? クリスマスの日なんて特に凄いわね。輝くツリーの前で運命の人と一緒に過ごせるってところかしら。それぐらい今のあなたは運気がいいの」
「うおお! マジですか!」

 ってことはもしや、麗子さんが俺の運命の人!?
 だから急な誘いにも応じてくれたのか!

「ラッキーアイテムはね、プラチナの指輪」

 おばさんはそんなことを言っていたけど、さすがにそれは高くて買えないし周りに持っている奴だっていない。
 話だけ聞いておいた。

------------------------------

 日曜日。
 春樹はにこにことあたしが家から出てくるのを待っていた。

「じゃ、行こうぜ! 駅前のデパートがいいよな!」

 あたしは「はあ」と浮かない返事をする。
 デパートに向かって、あたしたちは歩き出した。

「俺さあ、デートってしたことねえんだよ。どうするもんなんだ?」
「したことないって、あんた夏祭りのとき、美香ちゃんと一緒にいたじゃない」
「え? あれもデートっていうのか?」
「呆れた。年頃の男女が2人きりで遊びに行ったら、立派なデートでしょ」

 すると春樹はまじまじとあたしの顔を覗き込む。

「だったら、俺と1番デートしてるのお前じゃねえか」

 その言葉に心臓が反応してしまった自分が許せない。

「じゃ、じゃあ今日は白鳥さんとのデートの練習ってことにしといてあげる! ちゃ、ちゃんとエスコートしなさいよ!」

 考えなしに出たその言葉のせいで、あたしたちは公園に行ったりゲームセンターに寄ったりと、夕方までデパートを目指すことをしなかった。

「やっべ! もう暗くなる!」

 春樹が街の時計に目をやった。

「買い物する時間がなくなっちまう!」
「あんたがゲーセンで大はしゃぎしてたからでしょ?」
「いやあ、つい夢中になっちまったよ。デートって楽しいんだな」
「…え?」
「ほら、急ぐぞ!」

 春樹があたしの手を取った。
 あたしは、春樹に連れられるようにして駆け足になる。

 急いでいたクセに、春樹は陳列されていたサングラスをかけたり、あたしに帽子を被せたりと楽しそうだ。
 店内にはそこそこの客足があって、がやがやとしている。

「全くもう、白鳥さんへのプレゼント買うんでしょ?」
「ああ、いっけね! そうだった! 何にしたらいいと思う?」
「そうねえ」

 あたしはショーウインドウに顔を寄せた。

「そのネックレスなんていいんじゃない? 値段も春樹の予算内だし、デザイン可愛いし」
「よし! じゃあそれにしよう!」

 春樹は店員を呼ぶと、それ包んでくださいと注文をする。

「包装はクリスマス用になさいますか?」
「はい、お願いします」

 あたしはこのとき、聞き捨てならない言葉を聞いた気がした。

「ちょっと春樹」

 緑と赤の包装紙に包まれたネックレスを受け取った春樹が「ん?」というような顔をする。

「あのさ、白鳥さんとのデートっていつなの?」
「あ、話さなかったっけ? 聞いて驚けよ? なんと、クリスマスだ」

 一瞬にして店内の喧騒が消え、来客たちが立ち止まってこちらを見た。
 あたしが平手で、春樹の頬を思いっきり強く打ったからだ。

「最低」

 目から涙が止まらなくて、あたしは走って春樹を置き去りにする。

------------------------------

 いつもの強烈な鉄拳パンチより、遥かに心に響く一撃だったように思う。
 考えてみれば佐伯からビンタされたことなんて、今まで1度もなかった。

 あれ以来、あいつは口を利いてくれなくなった。
 なにをそんなに怒っているのか解らないから、謝ろうにも謝れない。
 俺、あいつに何か酷いことでもしたのだろうか。
 駄目だ、解らない。

「春樹君、どうしたの?」

 麗子さんが心配そうに俺を見た。

「え、いや! なんでもない、よ」

 日はすっかり落ちている。
 俺と麗子さんは今、ベンチに腰を下ろし、カラフルで品のよい光の点灯を眺めている。

 予行演習の通りに公園を散歩して、ゲーセンで賞品を取って、それでこの商店街まで戻ってきたのだ。

 イルミネーションは色鮮やかで、その形をトナカイに変えたりサンタクロースに変えたりと輝いている。

「春樹君、聞いてもいい?」
「え?」
「さっきのプレゼントなんだけどさあ」
「うん」
「ホントはあたしにじゃなくて、佐伯さんに用意してた物なんじゃないの?」
「いや、そんなことないよ! なんで麗子さんまでそんなこと!」

 すると麗子さんは照れたようにコロコロと笑う。

「あたしね、こないだフラれちゃったんだ」
「え? 麗子さんが!?」
「うん。あたしずっと、伊集院君のことが好きだったの。頑張って告白したんだけどなあ」
「あ、うん。そうだったんだ」
「でもね、伊集院君、好きな人がいるからあたしとは付き合えないって」

 伊集院の好きな人というキーワードがグサっと胸に突き刺さる。
 佐伯と伊集院も今、2人で過ごしているのだろうか。

 麗子さんは続ける。

「でも、その伊集院君もフラれたって、こないだ笑って話してた」
「え!?」

 思わず身を乗り出す。

「麗子さん、それどういうこと? 佐伯の奴、伊集院と付き合うならピロティに来るように言われてて、それで…」
「佐伯さんは、付き合うために行ったんじゃなくて、謝るために行ったって聞いたよ? 行かないって形で断ったら、なんだか無視したみたいで、相手に悪いと思ったんじゃないかな」

 なんてこった。
 そうだったのか。
 あ!

 今にしてようやく、佐伯が怒ったわけに思いが至った。

 そんな俺の顔色を、麗子さんは伺っていたらしい。

「ペンダント、やっぱり返そうか?」
「いや、それはホントにプレゼントなんだ! でも」
「でも?」
「ごめん、俺ちょっと用事思い出しちゃって!」
「うん、解った」

 麗子さんがついっと立ち上がる。

「あたしは今でもまだ伊集院君のことが好き。その素直な気持ちを、誰かに聞いてほしかったんだ。だから…」
「だから?」
「春樹君も素直になってあげてね」
「え、いや、うん、えっと」
「今日はありがと」
「うん! 今日はホントごめん! また学校で!」

 走りながら、俺は文化祭の練習に付き合ってくれたときの佐伯を思い出す。

 佐伯と伊集院がくっついたなんて誤解をしていたからこそ、俺はクリスマスに麗子さんを誘った。 
 とはいえ、我ながら酷いことをしていた!
 あの場所に初めて佐伯を連れていったとき、俺のほうから先に言い出したんじゃねえか!

「今日のお礼によ、クリスマスになったらまたこの場所に連れてきてやるよ」

 俺の馬鹿野郎!
 待ってろよ、佐伯!

------------------------------

 あたし、バカみたい。
 ここに誰も来ないことなんて、始めから解っていたことなのに。
 それなのに、普段ならしないメイクを薄っすらとして、お母さんからアクセサリーまで借りて。

 あたしは両手を口に近づけ、はあと白い息を吹きかける。

 鉄柵の前にしゃがみ込んで膝を抱え、どれぐらいの時間が経っただろう。
 春樹の言う通り、ここから望める光のショーはとても綺麗で。
 でも、その美しさがあたしをさらに悲しくさせている。

「あ」

 ふっと、イルミネーションが消えた。
 タイムオーバーだ。

 お化粧、涙で滅茶苦茶になってるだろうな。

 あたしはふらっと立ち上がると、そのままよろよろと手すりに背を向ける。
 とても前を見て歩けそうもない。
 1歩、また1歩とあたしはお年寄りのようにゆっくりと進む。

 前方から、ぜいぜいと荒い息遣いが聞こえた。

「え、なんで…」

 春樹が両膝に手をついて、息を整えている。
 なんで春樹が!?

 あたしは慌てて涙を拭う。

「あ、あんたなんで!? 白鳥さんは…?」

 しかし、春樹は質問に答えない。
 春樹はすっと大きく息を吸い込むと、それを一気に吐き出した。

「佐伯! 遅れてごめん!」
「バカ!」

 せっかく拭ったのに、また涙が出てきちゃうじゃない。

------------------------------

 デートに浮かれたせいで小遣いのほとんどを使い果たしていたから、俺は「たいした物は買えないけど」と断りを入れて、佐伯を連れて商店街まで引き返す。
 遠慮する佐伯に、俺は温かな缶を渡した。

「悪い、こんなことしかできなくて」
「ううん、ありがと」

 ぷしゅっという音がして、佐伯はコーンポタージュに口をつけようとした。
 しかし佐伯は動きをピタリと止め、驚愕の眼差しで手元を凝視する。

「ない!」

 佐伯の顔色が一瞬にして悪くなった。

「ない! さっきまであったのに!」
「どうした、なにがないんだ?」
「お母さんから借りてた指輪! 大事な指輪なのに」

 その焦った様子からも相当大切な物らしい。
 俺は「さっきまであったなら、まだそこら辺に落ちてるはずだ! 探そう!」と地面に這いつくばる。

 どれだけ探していただろう。
 同じ道を何度も何度も行ったり来たりしていたが、闇夜のせいで指輪はなかなか発見できずにいる。

 不意に、懐中電灯の光が俺を照らした。

「こらこら、君たち、高校生でしょ~。こんな時間に何やってんの」

 少し訛りのある警備員のおじさんに、俺は事情を説明する。

「そっちの女の子が、お母さんから借りた大事な指輪をここら辺で落としちゃったんです」
「なに!? そりゃ大変だ。ちょっと待ってろよ。今明かり点けてやっから」

 小走りで警備員が去る。

 顔面蒼白になって地面をまさぐる佐伯の肩を、俺はポンポンと優しく叩いた。

「佐伯、大丈夫だぞ。今明るくしてくれるって」
「うん、ごめんね。ごめんね」
「いいって」

 さっきからずっと、佐伯は泣き出しそうな顔だ。
 一刻も早く、指輪を見つけてやらないと。
 そう思った瞬間、自販機の下で何か小さい物が光を反射させたような気がした。

 足早に近づいて、それを拾い上げる。

「佐伯ー!」

 佐伯の元に駆けつける。

「もしかして、これじゃないか?」

 シンプルなデザインの銀色の指輪を渡すと、佐伯はパアッと表情を輝かせた。

「これ! この指輪! ありがとう春樹!」
「そうか、よかった」
「ホントにありがとう! これ、お母さん凄い大事にしてたんだ! お父さんから貰ったプラチナの指輪なんだって」

 プラチナの指輪?
 ふと、先日の占い師の言葉を思い出す。

「ラッキーアイテムはね、プラチナの指輪」

 それに、あの占い師はこうも言っていた。

「最高よ? クリスマスの日なんて特に凄いわね。輝くツリーの前で運命の人と一緒に過ごせるってところかしら」

 まさか。
 だいたい、この町にクリスマスツリーなんてないじゃないか。

 そう思っていたら、突然辺りが眩しくなる。

「わあ」

 佐伯が感嘆の声を上げた。

 あの警備員の人、イルミネーションを点灯させてくれたのか!

 見上げると、そこには光が折り重なって見事なクリスマスツリーが描き出されている。

「輝くツリーの前で運命の人と一緒に過ごせるってところかしら」

 占い師の言葉が再び蘇った。

 佐伯と2人、しばらく呆然とネオンを見上げる。

「あ、雪」

 佐伯が大きく天を見渡した。
 釣られて顔を上げると、ひらひらと大粒の雪が踊るように落ちてきている。

「ねえ、春樹」

 すっと、佐伯が俺の目の前まで移動してきた。
 にこりと笑んだその表情に、思わずドキッとなる。

「メリー、クリスマス」

 なんだか照れ臭いけど、俺も「メリークリスマス」と返しておいた。

 ふわふわと、雪が俺たちの周りを舞っている。

 続く。
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/506/

拍手[24回]

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プロフィール
HN:
めさ
年齢:
48
性別:
男性
誕生日:
1976/01/11
職業:
悪魔
趣味:
アウトドア、料理、格闘技、文章作成、旅行。
自己紹介:
 画像は、自室の天井に設置されたコタツだ。
 友人よ。
 なんで人の留守中に忍び込んで、コタツの熱くなる部分だけを天井に設置して帰るの?

 俺様は悪魔だ。
 ニコニコ動画などに色んな動画を上げてるぜ。

 基本的に、日記のコメントやメールのお返事はできぬ。
 ざまを見よ!
 本当にごめんなさい。
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