夢見町の史
Let’s どんまい!
March 15
またかしこまった店を選んだものだなと、私はキャンドルの向こうに座っている彼を眺める。
正装している彼は、なかなか様になっていた。
「たまには背伸びして、夜景の綺麗なレストランでデートってのも、良くないか?」
そう誘われた時は「最近はずっとお金がないって言ってたクセに」と意外に思ったものだが、普段は2人で部屋でだらだらしながら借りてきたDVDを見るだけだったし、たまに外出しても居酒屋で飲むぐらいで、デートらしいデートをしなくなってもう長いから、たまにはこういうのも新鮮で良い。
「たまにするから、贅沢は贅沢に感じるんだ」
恩着せがましく言って、彼はメニューをこちらに差し出す。
食前酒で乾杯をし、私はふと、今朝のニュースを思い出した。
「ねえ。あのニュース、もう見た? 今度ので3組目だって」
「ああ、あの抱き合った遺骨ね。君は1組目が発見された時から興味深々だったな」
最初の発見はイタリアでされた。
まるで愛し合っている最中に亡くなったかのような体勢。
互いを求めるように、愛でるように、抱き合った男女の遺骨。
2人が果てた後、何者かにそのような体勢に寝かせられたのか、先立たれた方が後になって相方の遺体に寄り添ったのか、死を覚悟した2人が永遠の愛を誓い合って同時に人生を終えたのかは、今となってはもう知るよしもないが、とにかく白骨化した男女の遺体は発見された。
「すっごい素敵だよね」
私としては、どうしてもロマンに溢れたドラマを空想してしまう。
こういった抱き合った男女の遺骨は、日本ではいつしか「ロックペア」と呼ばれるようになっていた。
「岩のように白骨化したからロックなのか、互いが互いに鍵をかけるように守り合っているからロックなのか、いまいち語源が解らないな」
「骨のロックじゃない? 単純に考えると」
「そういう歌詞のロックミュージックが、どっかにあるからかも知れないだろう」
「想像力豊かなことで」
談笑していると、前菜が届いた。
私達は行儀よく手を合わせ、頂きますと軽く頭を下げる。
ロックペアには、共通点があった。
抱き合っている男女は3組とも、そこそこに若いらしい。
どれも5000年から6000年前の住人だと推定されている。
不可思議なのが、発見場所が様々で、散らばっていることだ。
イタリア、アメリカ東部、エジプト。
特定された地域での風習で遺体同士を抱き合わせたのではなく、たまたま偶然それぞれの理由によって、抱き合う形で白骨化したと解釈するべきだろうか。
今世紀になって、初めて続々と発見されることも謎だ。
「それにしてもさあ、5000年も昔、どんなドラマがあったんだろうねえ」
食事の合間にも、私はロックペアの話題に夢中だった。
「ホント素敵。永遠の愛って感じでさ」
「そうでもないかも知れないぞ」
彼はゆっくりとフォークを置いた。
「彼らは、愛し合ったわけではないかも知れない」
「そりゃ、そうだけど」
「今から話すのは、とある1組の怖い話だ」
「急に何?」
彼は前菜の続きを楽しむことなく、テーブルの上で両手の指を組み合わせ、肘をついて私を見つめる。
「こんな遅くまで、ありがとうございました。馬車、手配しましょうか?」
「いえ結構。ここから遠くないので、歩いて帰りますよ」
診察にずいぶんと時間がかかってしまった。
患者の自宅を訪問した時にはもう既に日が暮れていたから、きっと今頃は酒場も閉まっているに違いない。
玄関まで見送ってきた主人に、「奥さんをお大事に」と告げる。
自分で放った言葉が、私の胸を絞めつけた。
ランプに火を灯し、コートの襟を立て、闇に向かって歩き出す。
街は眠り、空気は冷たく、霧は深い。
街灯の松明やランプは、ほとんどが消えてしまっている。
いくら進んでも細い路地から抜け出すことができず、やはり馬車を頼めばよかったと、私は若干の後悔をした。
闇のせいだ。
完全に自分の位置を見失ってしまった。
手に持ったランプを胸の辺りまで掲げ、周囲を巡らせる。
せめて現在地だけでも把握したい。
明かりが、私の近くにある様々な物を照らす。
酒樽や木箱、レンガの壁。
住宅とアパートの隙間に白い影が浮かび上がり、私は手を止める。
濃霧の夜中とはいえ、白いワンピースは目を引いた。
女の後ろ姿だ。
長い黒髪が揺れることなく垂れ、背中を隠している。
建物の陰に、女が黙って立っていた。
足を組むでもなく、歩き始めるわけでもなく、ただ直立して、体の正面を奥に向けている。
私が持つランプの明かりのせいで影ができているはずなのに、女は微動だにせず、無言のまま通りに背を向けていた。
上着も着ずに。
背筋に鳥肌が立つ。
先月見た時と、全く同じ姿だ。
そしてこの女は、やはり妻に似ている。
妻が失踪したのは1ヶ月前だ。
本屋で万引きと間違えられた時は、自分の潔白を証明した上で店員を責め返すような、気の強い女だった。
「確かな証拠もないのに先走って、人を決めつけることが不条理だと思うの。あたしにとって、これ以上ない侮辱よ」
「そう怒るなよ。その店員も、ちゃんと謝ったんだろう?」
「許すとか、許さないじゃないの」
できることなら、あの明るい食卓をいつまでも体験し続けたい。
あの頃に、戻りたい。
私は、妻を心から愛していた。
妻が行方不明になって3日目になると、私は深夜を待ち、人目を避けるようにして家を出た。
従者と馬車を街の郊外に待機させ、大通りではなく、ひっそりとした裏路地を進む。
迂回になっても構わない。
誰かに見られるわけにはいかなかったのだ。
したがってこの時は、暗がりにもかかわらずランプを点けていなかった。
闇の中でも、白いワンピースは目を引く。
積み上げられた木箱と物置の間に、女は立っていた。
壁に前面を向け、ただ真っ直ぐに立っていた。
私の足音に反応もせず、ただ立ち止まっていた。
不気味に思いつつ、その場を足早に離れる。
帰路につく頃はもう明け方で、私はやはり誰にも見られないよう、狭い道を急ぎ足で進んでいた。
立ち尽くす女のことを思い出し、物置の陰に視線を投げる。
女は、まだそこに立っていた。
何も言わず、上着も着ずに、壁に向かっていた。
妻に似ていると、そこで初めて思った。
しかし私は声をかけず、長い黒髪の前をそそくさと通り過ぎる。
あれから1ヶ月。
今、目の前に、あの時と同じ後ろ姿がある。
彼女は何故、振り向かないのだろう。
寒空の夜分に薄着のまま、何もない方向に体を向け、何をしているのだろう。
普通なら誰も通らないこんな路地に、どうしているのだろう。
疑問が渦を巻き始める。
この女は今、どんな顔をしているのだろう。
女の背中にそっと近づき、明かりを向ける。
後ろ姿はやはり妻とそっくりで、ワンピースの柄にも見覚えがあった。
しかし、こいつが妻のはずがない。
あの頃には、もう戻れないのだ。
出所不明の恐怖心をこらえ、私は息を飲んでから、ついに女に声をかける。
「君、どうかしましたか?」
彼女は、それでも振り向かなかった。
私に背を向けたままで、返事だけをする。
「戻れないの」
頭の片隅にあった不安通り、妻の声と同じに聞こえた。
意図せずに、私の喉の奥から小さく悲鳴が上がる。
こいつが妻のはずがない。
いくら背格好や服装、声までもが同じであっても、この女が妻であるはずがないのだ。
「貴様、一体誰だ!」
怒鳴りながら、先月の出来事を思い出す。
人目を避け、街から出た夜更け。
この女の後ろ姿を初めて目にしたあの日、私は街の郊外で馬車に乗ると、従者に告げた。
「夜分にすまんね。実は、妻は誘拐されたらしいんだ。今日になって、脅迫状が届いていた。指定する時刻に、ある場所まで来い、と」
「本当ですか」
従者は目を大きくし、馬にムチを入れた。
「一体どうして誘拐なんか。あんなにいい奥様を」
「それは解らない。とにかく街を出て、私が言う場所で降ろしてくれないか」
「かしこまりました。ところで旦那様、どうして雨具を?」
雨も降っていないのに、私はこの夜、レインコートを纏っていた。
「森の中が目的地らしくてね、コートが汚れないよう、着込んできたんだ」
数十分も走れば、道は木々に囲まれる。
森を分断するように作られた道。
このどこかに、目指す場所がある。
目印は木に立てかけられた鉄の棒で、赤い布が巻きつけられているはずだ。
従者にそのことを教えると、彼はほどなくして、目的の場所を見つけてくれた。
馬車が減速し、やがて止まる。
「旦那様、ありました。赤い布付きの、鉄の棒です」
「ありがとう。君はここで待っていてくれたまえ」
「くれぐれもお気をつけて」
馬車に背を向けたまま、従者には片手を上げて応え、森へと入る。
私はしばらく、木の陰でじっと身を潜めた。
静かに顔を出すと、木と木の間から、馬車の松明に照らされた従者の横顔が見える。
見れば見るほど、彼は若く、整った顔立ちをしていて、そのことがさらに私の怒りを増幅させた。
「君!」
私は息を切らせ、馬車の前に踊り出る。
「妻が…! 妻が…!」
「どうしました!?」
「妻が、殺されている」
「なんですって!?」
「一緒に来てくれ!」
森の奥地に向かい、先導する。
しばらく行くと、妻の亡骸が横たわっていた。
私が殺したのだ。
裏切り者の妻を、3日前に、この手で殺した。
「なんてこった…! 奥様が…」
従者が遺体に駆け寄る。
妻は、白いワンピースの上に何も羽織っておらず、確認するまでもなく死亡していることが判る程度に、顔を負傷していた。
「奥様が…」
もう1度言って、従者はその場にしゃがみ込んだ。
彼の低くなった頭を、私は見下す。
「おいお前」
語気が荒いので、自分に向けられた言葉だとは思わなかったのだろう。
従者が顔を上げるまで、しばらくの間があった。
彼の目が、ようやく私を見る。
そこには悪魔のように憤慨する、怒りに燃えた私の表情が映ったはずだ。
「お前、妻と寝ただろ」
不思議そうな顔をした従者の顔を目掛け、私は一気に鉄の棒を振り下ろす。
赤い布が素早く、宙に弧を描いた。
「私の女とそんなに寝たかったら、永遠に寝てろよ」
気が済むまで殴って、彼の死体を妻と抱き合わせる。
もしいつか、誰かに発見されるようなことがあっても、これなら心中だと思われるだろう。
馬車を走らせ、湖に凶器と、返り血に染まった雨具を捨て、街に戻る。
体は疲れていたが、興奮からなのか、なかなか寝つくことはできなかった。
2人を殺しても、腹の虫が治まることはない。
あいつらは、私を裏切っていた。
浮気をしていたのだ。
昔の患者が切り出した世間話が、発覚のきっかけになった。
「先生の奥様は、従者にも優しい、いい奥様ですね」
「と、いいますと?」
「いやね、こないだも、2人で買い物してまして、声をかけたんですよ」
「ほほう、そしたら?」
「いや、挨拶だけです」
疑わしく思い、急患だと偽って外出し、私は密かに妻を見張った。
私が見たのは、市内で評判の良い高級宿に入っていく、妻と従者の楽しげな笑顔だ。
結婚して5年。
あれだけ愛していたのに。
あれだけ愛してくれていたのに。
強く噛み締めたせいで、奥歯がかけた。
帰ってきた妻に「おかえり」とも言わず、今日は何をしていたのかを問う。
「特に何もしてないわ。夕食の買い出しに行っただけよ」
妻の無邪気な口調が、余計に勘に触った。
楽しそうに笑いやがって。
私以外の男にも、その顔を見せたのか。
「嘘をつけ嘘を!」
一声で喉が枯れそうになるほど、私は取り乱し、拳を握った。
そこからは、あまり覚えていない。
気がつけば血にまみれた妻が横たわっていた。
森まで死体を運び、私はあの忌々しい従者への報復を巡らせる。
心中と見せかけて、死体を野ざらしにしてやろう。
思いつき、実行してはみたものの、気分は最悪だった。
周囲には「妻に蒸発されてしまった男」としての毎日を送る。
後日になって、妻の妹が訪ねて来た。
「姉は、あなたを見捨てたわけではないと思うんです」
彼女は、最初にそう切り出した。
「姉とは、いつも手紙のやり取りをしていたんです」
「手紙…?」
「ええ。『もうすぐ結婚5周年だから、主人に内緒でプレゼントを買った』と」
結婚記念日を、そういえば私は忘れていた。
唖然とする私の姿は、彼女には妻の身を案じているように映っているのだろう。
義理の妹は続けた。
「ちょっと奮発して、評判のいい宿も下調べするつもりだと、それは楽しそうに書いていました」
「それは、いつの手紙です?」
「姉がいなくなる直前の物です」
彼女は言って、私に封筒を差し出してきた。
妻の部屋を調べると、引き出しからは小さな包みが見つかる。
開封するとネクタイピンで、「親愛なる貴方へ」とカードが添えられていた。
今まで、私はここまでの後悔をしたことがあっただろうか。
妻は浮気などしてはいなかった。
それなのに、私は妻を、最愛の女性を手にかけてしまった。
「姉は、あなたを見捨てたわけではないと思うんです」
妻の妹は、もう1度同じことを言った。
私は、とんでもないことを仕出かしていたのだ。
悔やんでも悔やみきれず、仕事に明け暮れることでしか、理性を保てなかった。
仕事に熱中することで、現実を忘れたかった。
昼夜を問わず、どこにでも駆けつけ、今夜のように、深夜に帰ることも珍しくなくなった。
あの頃に、妻と平穏に暮していた、あの頃に戻りたい。
「戻れないのに」
あれから1ヶ月。
私は今、聞けるはずのない声を、こうして耳にしている。
間違いなく、1ヶ月前に殺した妻と同じ声だ。
今目の前にあるこの背中の持ち主は、やはり妻なのだろうか。
いや、そんなはずはない。
死者は絶対に帰らない。
それは、医者でなくとも知っている前提だ。
もう1度、私は震えた大声を出す。
「お前は誰なんだ!」
肩を掴み、乱暴に引き寄せる。
冷たく堅い感触がして、慌てて手を離した。
途端、意識が遠のく。
女の顔がこちらを向いた。
血だらけの顔面は腫れ上がり、怒りの形相凄まじく、焦点の合わない瞳で私を睨みつける、それは間違いなく妻の顔だ。
妻の、死に顔だった。
錯覚などではない。
薄れつつある意識でも判別ができる。
やはり妻だった。
大きく見開いた妻の目から視線を外せない。
私は声を振り絞った。
「許してくれ」
妻の腫れた口元が、ゆっくりと動く。
「許すとか、許さないじゃないの」
そうだよな。
そう返したかったが、私にはもはや喋ることさえできなかった。
視界が白く染まり、足の力が抜ける。
妻が、私を許すはずがないのだ。
それを私は、最初から知っていた。
「確かな証拠もないのに先走って、人を決めつけることが不条理だと思うの。あたしにとって、これ以上ない侮辱よ」
回想の中から届いた声なのか、今目の前にいる亡霊の言葉なのか、朦朧としている私には区別ができない。
私は膝をつき、倒れ込む。
石の地面に頬が触れたが、冷気をも感じ取れない。
地面に打ちつけた際には痛みもなかった。
まだ目蓋を閉じていないが、真っ白で何も見えない。
このまま死ぬのなら、せめて私が妻と抱き合って果てたい。
最後の願いが叶わないことも、私には判っていた。
妻の遺体は今も、従順で罪のない従者と共に、森の中にいる。
「あたしが怖い話嫌いなの、知ってるでしょ!?」
責めると彼は、「ごめんごめん」と笑って、私のグラスにシェリーを注いでくれた。
前菜は平らげてあるから、今、私達の仕事は、次の料理を待つことだ。
「でもさ」
ふと、彼の顔を覗き込む。
「今の話って、いつ作ったの?」
彼はというと、まだ愉快そうに薄笑いを浮かべている。
「なかなか良くできた話だったろ?」
「そうかなあ」
私は首を傾げた。
「最後になんで主人公が死んじゃったのかなあとか、あと、あれもわかんない。ほら、えっと、振り向かない人」
「振り向かざる者、ね。それが?」
「奥さん、なんで背中を向けてたの? 最初から主人公に襲いかかればいいと思うんだけど」
「ああ、それか」
彼は再び、可笑しそうに笑う。
「次の話で解るよ。2組目のロックペアの話だ」
「もう怖い話は嫌」
「大丈夫だよ。もう怖い話はない」
言って彼は、自分のグラスにもお代わりを注いだ。
永遠の抱擁が始まる2に続く。
タクマと申します。
最近めささんのサイトを友人から紹介され、あまりの面白さに一瞬でファンになり読み物を読破させて頂きました。
特にトメさんのイカれっぷりには毎回度肝を抜かされました(笑)
余談はさておき…えっと…今回のメールの主旨なんですけど、もしかしたらこちら側の携帯電話の不具合の可能性もあるんですが、永遠の抱擁2の終盤のエリーが警棒で殴られかけて主人公が助けるシーンより下の部分が表示されていません。最後の行が文字を半分に切った様に下に進めなくなっていました。
こちら側の不具合だったら申し訳ありません。続きが気になったのでメールさせて頂きました。
永遠の抱擁2の続きが表示されなかったとのことなので、こちらにコピペさせて頂きますね。
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男の奇声が、甲高く響いた。
警備員の1人が、逆ギレしたらしい。
エリーに向かって、警棒を振り上げている。
「エリー!」
叫んで、僕はエリーの腰元に飛びついた。
そのままの勢いで、僕らは床に擦られるような形で叩きつけられる。
警棒による攻撃は幸いなことに、エリーにも僕にも、直撃することはなかった。
「危なかった…」
今の見た目はハゲそうになるぐらい怖いエリーだが、正体は骨だからだろう。
感触は堅くて細く、体温がない。
離そうとしたら、手の形をした骨の感触が、僕の手を掴んだ。
「離れるな。喰われるぞ」
エリーはそして、襲いかかってきた警備員の前に立つ。
「子供達に、この姿を見せてやろう」
警備員に対して、エリーは意味の解らないセリフを吐き捨てた。
しかし、僕に鳥肌を立たせるには充分な言葉だ。
ところが、どんな効果があったのだろう。
警備員は白目をむいて、気を失ってしまった。
「ひいいいい!」
また別の悲鳴。
バスローブを纏った固太りのおっさんが、目を大きく見開いて泡を吹き出し、後ずさっている。
知っている顔だった。
騒ぎを聞きつけ、様子を見に来たのだろう。
「スタッガーリー」
「こいつが金貸しか」
エリーのコメントはそれだけだった。
特に興味を引かなかったらしい。
怯える中年の前を通り過ぎ、僕の手を引きながら、エリーは屋敷の出口に向かう。
土地の権利書なり現金なり、盗むなら今だとちょっとぐらいは思ったけれど、もう僕にそんな気力はなかった。
「うむ。今回はちゃんと戻れた」
夜風に吹かれる頃には、エリーは娘の姿に戻っていて、僕はようやく安堵する。
でも、胸の奥は重くて、鬱積したままで、暗い気分だ。
「エリー、さっきのは一体…」
「やはりお前も見ていたか。反応で解った。さっきのは、やはり擬態の一種だ」
「どうして、それで警備員達があんなに…?」
「相手にとって、最も恐ろしいものが見えるようにと暗示をかけた。見えた物はだから、各自で違っていたはずだ」
そうか、だからか、と納得をする。
「お前には、何が見えた?」
エリーに訊かれ、どうせ嘘を言えないのだからと、僕は告白した。
「…自分の姿が見えたよ。大金を持って、高笑いする自分の姿だった」
「そうか。攻撃を仕掛けてきた男に、私が声をかけたのを覚えているか?」
「うん。覚えてる」
「あれもな、相手にとって、最も恐怖心を覚える言葉に聞こえるよう、暗示をかけた」
「だからか。僕には、『子供達に、この姿を見せてやろう』って、聞こえたよ…」
「だから見ないほうがいいと言ったのだ。以前、初めてこの暗示を使った時は、元の姿に戻ることができなくてな。苦労したものだ。見られて騒ぎになるのも面倒だったから、人気のない場所を探し、壁に向かって立つ毎日だった」
エリーは珍しく饒舌で、「黙って立っていただけなのに無理矢理に振り向かされ、勝手に魂を提供してくれた男がいた」などと喋り続けていて、それには僕は相槌も打たず、ただ呆然とする。
「どうした。覇気が消えているぞ。まだ恐れているのか?」
「いや、うん。いくら学校のためとはいえ、僕は誘拐だの泥棒だのしようとしててさ、それがさっきの高笑いする自分なんだって思うと、僕はなんて駄目な教師なんだろう、って。先生は、人間の見本でいなくちゃならないのに」
エリーは黙ったまま、僕の顔を見つめている。
「おまけに、素手で触っちゃいけない死神に抱きついちゃって。エリーがこの手を離したら、僕は死ぬんだなあって。覚悟はしてたはずなのに、さすがに怖いよ。それに、これじゃあただの犬死だ」
「実に愚かだな」
「うん。でも、もういいんだ。悪いことに手を染める前に死ねたほうが、マシかも知れない。だからエリー、もういいよ」
「何がもういいんだ?」
「僕の魂、食べてくれ」
夜風がまた吹いて、僕らの髪を撫でる。
風が収まると、エリーは口を開いた。
「実に愚かだ」
「え?」
「お前は今、様々な勘違いをしている」
「え? 勘違い? どんな?」
「まず、私が切り札として使ったさっきの暗示はな、相手にとって最も恐ろしいものが見えるように化けたんだ。そこまではいいか?」
「え、ああ」
「そこでお前は、自分自身の姿を見た」
「そうだけど」
「それで、何故お前はそれを、自分の正体だと解釈したんだ? 重ねて言うが、私が成ったのは、そいつが恐ろしいと感じる物だ。つまり今回のケースは、お前が最も恐れていた物が、犯行後の自分自身であると判明しただけに過ぎない。お前の実像とは無関係だ」
「あ、え、ああ。そ、そうかも」
「まだあるぞ」
「え」
「お前は先ほど、『素手で触っちゃいけない死神に抱きついちゃって』と言ったな?」
「え。い、言いました」
「死神じゃない」
「は?」
「エリーだ」
お前がつけた名だ、忘れるな。
そう言って、エリーは僕の手を引く。
どこに向かう気でいるのだろう。
「お前はさらに、『これじゃあただの犬死だ』とも言った」
「だって、学校を救えなかったじゃないか」
「決めつけるな。さっきの金貸しにな、お前にやったのと同じ術をかけておいた」
「と、いうと」
「奴もお前と同じく、もう嘘が言えない。言っても、直後にそれが嘘なのだと自供する」
「スタッガーリーが!?」
「これで口八丁は使えない。サイバンとやらにも、勝てるんじゃないのか?」
ああ。
どんどん、心に光が差してくる。
そんな心地がした。
今なら、もう思い残すことはない。
「ありがとうエリー。なんとお礼を言ったらいいのか」
「礼、か。群れを作らなければ生きていけない種族特有の発想だな、それも」
「そうだ。助け合わなきゃ生きていけないんだ、人間は」
星空には雲がなく、月は明るい。
晴天を清々しく想えるって、素晴らしいな。
こんな最後で良かった。
僕は空を見上げて、そのまま目をつぶる。
エリーは当初、「肌と肌が触れ、離れた瞬間に食事を自動的に開始する」と言っていた。
触った瞬間ではなくて、離れる瞬間。
今繋いでいるこの手が離れると同時に、僕の魂はエリーに食べられるというわけだ。
ぎゅっと強く握っていた最後のぬくもりから、僕は握力を緩める。
「ありがとうエリー。思い残すことはないよ。エリーに食べられるなら、僕は後悔しない」
「確かに。喰われたら後悔することさえできない」
「いいから早く喰ってくれよ! 僕の気持ちが変わる前に!」
「そのことなんだがな、私は決めたんだ」
え。
と、目を開けて、エリーの顔を見る。
いつの間にか、僕の手に伝わる感触が、堅い骨ではなくなっていた。
女の子の、手だ。
体温も感じる。
エリーが、僕の触感にまで暗示をかけていた。
「私は滅びることにした」
「なんだって?」
「死神はおそらく、他にもいるだろう。だが、私は滅びる」
「なんでまた」
「触ったら死ぬと知りながら、私を助けたな、お前は。その前は、私に名前をくれた」
「え、だって呼び名に困ると思って」
「私に喰われた魂は、転生できない。それがな、なんだか勿体無く思えた。お前はまだまだ、私に何かくれそうだ」
僕はなんだか必死になってしまい、「何も持ってないよ」と訴える。
でも、エリーにはシカトされてしまった。
「お前はきっと、私が食事をするのを嫌がるだろう。だからもう、食事もしないことにしたぞ、私は」
なんか勝手に仕切ってる。
「そんなことしたら、エリーが死んじゃうじゃないか」
「当たり前だ。しかし試したことがないからな、食事をやめてどれぐらい生きられるのかは解らない。お前の一生分ぐらいは余裕で持つとしても、もしかしたら5000年ぐらい耐えられるかも知れない」
長生きなことだ。
「お前が死んでも、一応手は離さないでおいてやる。そうだな。お前が骨になる頃に、私が正体を現せば、遺骨だと思われるに違いない」
正体なのに、死体の擬態になるのか。
便利なんだか、なんなんだか。
「というわけで、お前の家に行くぞ。確か、黒いフード付きのマントがあったな。あれを私にくれ。こう見えて、私は全裸なんだ。誰かと接触したら、魂を喰ってしまう」
「いや、ちょ、待ってよエリー」
「何を待たせる。ロープも用意してもらおうか。私達の手を縛って、離れないようにしておくとしよう」
「おいエリーったら!」
「心配するな。マントもロープも、擬態で隠してやる」
「いやそうじゃなくて!」
「うるさいな。さっきから、何を言いいたいのだ、お前は」
「僕の家ならそっちじゃない! こっちだ!」
エリーの手を引っ張り返す。
全く、なんて人生なんだろう。
いつでも女の人と手を繋いでいるなんて状況、どうやって子供達に説明したらいいんだ。
ホント冗談じゃない。
授業とか、風呂とかトイレとか、問題は山積みだ。
だいたいこのままだと、結婚もできないじゃないか。
そんな文句をつらつらと重ねる。
エリーの返事は、極めてシンプルだった。
「細かいことは知らん。お前の采配でやれ」
どうやら、マジで一生このままらしい。
僕は、死ぬまでずっと、エリーと手を繋いで暮すのか。
そんなの、死んだってごめんだ!
心の底からうんざりし、僕は嫌で嫌でたまらない気持ちになった。
嘘だけど。
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スープを飲み干して、口元をそっと拭う。
彼のグラスが空きかけていたので、私はワインを注いだ。
「お。ありがとう」
短く言って、彼は私からビンを奪うと、私のグラスにも同じようにワインを追加してくれる。
「ありがと。ねえ」
「うん?」
彼の表情はまるで、悪戯っ子だ。
「いつ考えたの、今の話」
「退屈だった?」
「ううん。でもさ、5000年以上も前の話なんだよね?」
「そうなる」
「なんか馬車とかランプとか、文明が進み過ぎてない?」
「そうだなあ」
彼はグラスを持ち上げ、口をつける。
再びテーブルにグラスを置くと、彼は続けた。
「エジプト文明、黄河文明、インダス文明、あと、何だったっけ?」
「急に何よ」
「世界の四大文明だよ。あと何だったっけなあ?」
「えっと、うーん。マヤ文明?」
「それじゃない。もっと大きな文明」
「えっと、じゃあ、メソポタミア文明?」
「それだ!」
「それが、どうしたの?」
彼は得意げな笑顔を浮かべている。
「その4つの文明、だいたい4000年前から、ほぼ同時に発生してるんだ」
「ふうん」
「なんでだと思う?」
「わかんないよ、そんなの。たまたま?」
そこでウエイターが次の料理を運んできてくれた。
「いよいよメインディッシュだね」
彼が嬉しそうに、3つ目の話を始める。
永遠の抱擁が始まる3に続きます。
もちろん、今回のネタバレもです!
続き教えて下さい~(;_;)
読めました!!
感激しました!!!(≧◇≦)
ちょっといい感じの恋人同士に絡めて、ショートストーリーを送るなんて、かっこ良過ぎですo(^-^)o
3のシスターの嘘辺りからじわじわ来て、最後はもう...
こんなプロポーズいいな~なんて、夢みちゃうじゃないですか!
どうしてくれるんですか、責任取って下さい!!
そんなに高くなくていいからお洒落なレストランで、ロマンチックなエピソードと一緒に指輪を下さいね(*^_^*)
...すみません、ちょっと調子に乗り過ぎましたm(__)m
でも、女の子目線から書いてたりして、すっごい浸りやすかったです。実は、女の子なんじゃないですか?って位。メイク似合うし。浴衣可愛いし。想像だけど(* ̄ー ̄)
あ゛~、長くなっちゃってすみませんf^_^;
ホント、わざわざありがとうございました!!
おかげで素敵な小説を楽しむことが出来ましたo(^-^)o
他の作品も面白かったですよ~。
引き続き、楽しませて頂きます*^‐^*
では、また。