夢見町の史
Let’s どんまい!
August 05
【第1話・出逢い編】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/380/
【第2話・部活編】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/381/
【第3話・肝試し編】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/382/
【第4話・海編】
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【第5話・無人島編】
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【第6話・文化祭編】
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【第7話・恋のライバル編】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/386/
【第8話・クリスマス編】
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【第8.5話・恋のライバル編Ⅱ】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/506/
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顔も手もエプロンも、真っ黒でベタベタだ。
それでもあたしは一生懸命、鍋の中をかき回し続ける。
初めての挑戦とはいえ、あたしは明らかに苦戦をしていた。
あたしの背後には数々の失敗作が山盛りになっている。
「うーん…」
今まで作ったやつの中で最もマシと思われるそれを眺め、あたしは悩む。
一応ハートっぽい形にはなっているけど、それでもどこか美しくない。
これだと確実に手作りだってことがバレてしまうだろう。
「でもまあ、いっか!」
あたしは不恰好なチョコレートを小箱に入れて、不器用ながらも梱包してゆく。
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1年の中で男子生徒が最もそわそわする日が今日だろう。
少なくとも俺にとってはそうだ。
佐伯の奴は果たしてチョコなんて用意するのだろうか。
あの性格だ。
ないかも知れない。
直接「俺にチョコあるのか?」なんて恥ずかしくて訊けないし、訊いたところで答えはないだろう。
一緒に初詣に行ったときも、そうだった。
「なあ、やたら長いこと手ェ合わせてたけど、なにをお参りしたんだ?」
「んふふ。内緒っ!」
なんでいつも教えてくれないんだ、あいつは!
登校中での会話は普通だったし、下駄箱の中には当然のように上履きしか入っていない。
いや別に、俺は最初から期待なんてしてねえし、今後もしねえけどな!
内心強がってみたものの、どうにも気分が落ち着かないから不思議だ。
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問題は渡し方だ。
考えてみたらあたしは今日、全くのノープランなのだ。
緊張せずに済み、かつ想いが届くような、それでいてさり気ない渡し方ってないものだろうか。
そもそもなんて言って渡せばいいんだろう。
これが義理チョコだったら簡単だったのに。
あいつと話していると、ついいつもみたいに言い合っちゃうこともハードルの1つだ。
難しいなあ。
なんて悩んでいたら、あっという間に昼休みになってしまった。
いつチャンスがあるか解らない。
あたしは誰にも見られないように、小箱をブレザーのポケットに忍ばせた。
「春樹ー!」
「おう」
向こうから「チョコくれよ」とねだられるのが1番楽だ。
あたしはわざと今日のことを口にする。
「そ、そういえば今日、バレンタインだね」
「え!?」
春樹が小さく飛び上がる。
「そ、そうだったっけ!? いやあ、気づかなかったなあ!」
わざとらしく見えるのはあたしの気のせいだろうか。
ヒューヒューと、誰かが口笛を鳴らした。
突然の音に、あたしたちはぎょっとなる。
春樹は口笛の主に「そんなんじゃねえよ!」と、どんなんだか解らない言い訳をした。
駄目だ。
教室だと人目がありすぎる。
「春樹、屋上行こ」
「え、お、おう。別に、俺は別に構わねえぜ?」
あたしたちの背に再び口笛が浴びせられる。
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屋上に出ると、佐伯はもじもじと俺に小箱を差し出した。
「春樹、これ…」
「これは、なんだい?」
「い、言わせないでよ。その、バレンタインの、チョコレート。あんたのために、あたし、頑張って作ったんだ」
「これを? 俺にかい?」
「うん。あたし、ずっと前から春樹のことが好きだったの」
「えええーッ!? なんだってェ!?」
「春樹! 大好き! だから、あたしと付き合ってください!」
「フッ! まあ、お前がそこまで言うんなら、俺は構わないぜ?」
なんていう妄想が止まらない。
佐伯の奴、やっぱり俺にチョコくれるのか…?
これはそう考えていいんじゃねえか?
だって屋上だぜ?
誰もいない屋上に誘うってことは、これはもうチョコしかないんじゃねえか?
右足と右手が同時に出て、歩きにくい。
屋上へと続く扉を押し開けると、俺と佐伯は同時に「あ」と気マズくなった。
そこには点々と生徒がいて、女子が恥ずかしそうにチョコを差し出し、照れながら男子がそれを受け取っている。
「も、戻ろっか」
と佐伯が言い、
「そ、そうだな」
と俺が答える。
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教室に戻ろうと、あたしたちは並んで廊下を行く。
緊張しすぎて、なんだか疲れた。
とりあえず、今渡すって計画は置いておこうかな。
考えてみれば、夜に春樹の部屋を襲撃したっていいわけだし。
あたしは肩から力を抜いた。
「春樹」
「ん?」
「あんたまだ誰からもチョコ貰ってないでしょ」
「バ、バカ言えよ! も、もう結構貰ったぜ!?」
「ふうん、いくつ?」
「ひゃ、ひゃ、ひゃ、100個ぐらい?」
「あはは!」
明らかな嘘に、あたしはつい噴き出す。
「あんたさっき、今日がバレンタインデーだってこと、気づかなかったなんて言ってたクセに!」
「う、うるせえな!」
「やっぱり貰ってないんだ?」
「やっぱりってなんだよ!? ったく、女どもは見る目がねえからな」
「モテない男ってみんなそう言いそう」
「うるせえな! 別にチョコなんて貰ったって嬉しくなんかねえよ!」
「強がり言っちゃって」
と、ここでふと思う。
あれ?
もしかして、今ってチャンス?
あたしの中に次のセリフが浮かんだ。
「どうせ誰からも貰えないんでしょ? 可哀想だからあげる」
それよ!
これならさらりと渡せる!
あたしは意を決してポケットの中の、小さな箱に手を添える。
「ど、どうせ誰からも貰えないんでしょ? か、可哀想だから、あ、あげ」
「春樹せんぱーい!」
いきなり後ろから女の子の声が。
2年生の美香ちゃんだ。
「春樹先輩、探しましたよ!」
「へ? 俺を?」
美香ちゃんは春樹に飛びつきそうな勢いだ。
「先輩! ちょっとこっち来てください!」
「え? え? え?」
ずるずると美香ちゃんに引きづられるようにし、春樹がどこかに連れ去られてしまった。
あたしはその場に立ち尽くし、ただぽかんと「可哀想だから、あげる…」と口をぱくぱくさせている。
可哀想なのは自分のような気がしてならない。
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空気の読めない奴ってのはどこにでもいる。
うちのクラスだと、山田がそれだ。
帰りのホームルームが終わって、帰り支度をしていたときのことだった。
山田の鞄が当たって、俺の鞄を床に落とす。
「あ、ごめん春樹」
しかし時既に遅く、俺の鞄は中身をぶちまけてしまっていた。
教科書やノートとは別に、さっき美香から貰ったチョコレートと手紙までもが床に広がっている。
その2つは大急ぎで鞄の中に戻したが、やはり何人かに見られてしまったみたいだ。
男子生徒たちが大騒ぎを始める。
「今慌てて隠したのって、チョコかよ春樹!?」
「手紙もあったよな!? 今!」
「おーい、全員注目ー! 春樹がチョコ貰ってたぞー!」
「佐伯からかー!?」
「ひゅーひゅー!」
「う、うるせえな! そんな騒ぐんじゃねえよ!」
必死になって皆を静めていると、山田が不思議そうに首を傾げた。
「でも春樹、お前昔っから甘いの苦手じゃん」
馬鹿野郎!
それだけは今日1番言ったら駄目な情報だろ!
美香には悪いけど、チョコは内緒で近藤に喰ってもらおうと思ってたんだ!
「ああ」
と、俺は頭を抱えて机に突っ伏す。
背後から、佐伯の鋭い視線を感じる。
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あたしはもう焦るのをやめた。
チョコを渡すのを諦めたら、気が楽になった。
昨日あれだけ頑張ったあたしがバカみたいじゃない。
甘い物が食べられないなら食べられないで、ちゃんと前もって言っておきなさいよ、バカ。
帰り道。
スタスタと歩いていると、春樹があたしの後から着いてくる。
「佐伯、なんか怒ってるか?」
「怒ってなんかないわよ」
美香ちゃんからの手紙にはなんて書いてあったの?
なんて、怖くて訊けない。
あたしは少し、歩くペースを上げた。
「おい、佐伯」
「うるさいわね」
「やっぱり怒ってるだろ、お前」
「怒ってないったら!」
「なんだよ? お前、もしかして妬いてるのか?」
「ち、ちが…!」
そういうこと普通、ストレートに訊く?
なんてデリカシーのない男なんだろう。
無神経さに呆れて溜め息が出る。
あたしはふうと息を吐いた。
「あーあ~。なんであたし、こんな奴のこと、好きになっちゃったんだろ…」
「ん? なんか言ったか?」
「なんでもない!」
あたしはさらに歩調を強めた。
すると、春樹もそれに合わせてくる。
もう!
なんで着いて来るのよ!
段々と腹が立って、あたしはついに駆け出した。
「おい、佐伯! さっきからなに怒ってんだよ!」
春樹の足音と声が背後から聞こえる。
「おい、佐伯ったら!」
「知らない!」
「おい、待てよ!」
「やだ!」
「ちょっと待てったら!」
「嫌ったら嫌!」
「あれ? おい! お前、なんか落としたぞ?」
「へ?」
振り返ると、あたしは「げ!」と青ざめる。
春樹が赤い小箱を手にし、首を傾げている。
「なんだこりゃ」
「か、返して!」
顔を真っ赤にして、あたしは春樹に詰め寄る。
チョコを奪い返すと、恥ずかしさに耐えられなくって、あたしは顔を伏せた。
そんなあたしの顔を、春樹は覗き込む。
「もしかして、それ…」
「なんでもないったら!」
逃げ出したくなって、あたしは再び走り出そうと足を前に出す。
気が急いていたらしく、その足がもつれた。
「危ねえ!」
そこからはまるでスローモーションのように、あたしにはゆっくりと見えた。
転倒しそうになったあたしの両腕を、春樹の両手が力強く掴む。
手首のあたりを持たれて、あたしは万歳をするような恰好になった。
頭の中が空っぽになって、あたしの口は半開きになり、すぐそこにある春樹の顔から視線を外すことができない。
春樹は、真剣な顔をしていた。
あたしの手から、小箱がするりと抜け、落ちる。
箱はガードレールにこんと当たって、道路側へと弾む。
それがぽとりとアスファルトに落ちたところで、時間の流れは元に戻った。
次の瞬間。
1台のトラックがあたしたちの横を、チョコの上を通り過ぎる。
「あ!」
思わず叫ぶ。
箱は無残にもぺちゃんこに潰れ、平たくなってしまった。
「ああ…」
あたしはこれ以上崩れないように、両手でゆっくりとチョコだった物体を拾い上げる。
歩道に戻ると、春樹は神妙な面持ちだ。
「それ、チョコか?」
あたしは泣くのを我慢して「うん」と答えた。
「ちょっと貸してみ?」
「え? うん…」
あたしから赤い残骸を受け取ると、春樹はそれをまじまじと見つめた。
「お前が作ったのか? これ」
「そ、そうだけど…」
「そうか。その、誰に…?」
その問いに、あたしの顔は急激に熱くなる。
もじもじと指を組んで、「一応、あんたに」と言葉を絞り出す。
「あんたが甘いの苦手だって、あたし知らなかったから…」
春樹はというと、包装紙を丁寧に、細かく破いている。
「ただでさえ不恰好だったのに、さらに酷くなっちまったな」
「う、うるさいわね! どうせたいした出来じゃなかったわよ! とにかくそれ、返して。あたし捨てとくから…」
「やだね」
「なんでよ?」
「捨てるぐらいなら、くれよ」
「…え?」
唖然としていると、春樹はいつの間にか箱まで破いていて、粉々になっている黒い物体を次から次へと口に運ぶ。
「ちょ、ちょっと春樹! お腹壊すよ!?」
「うるせえ! お前のチョコなんて受け取れる奴、俺ぐらいしかいねえだろ?」
ガツガツと、春樹はチョコを頬張る。
あっという間に全てを平らげてしまった。
箱の裏に着いたチョコの粉末までさらさらと口に入れ、春樹はにかっと笑う。
「お前のチョコ、すげー美味いな!」
「バカ…。甘いの駄目なのに、無理しないでよ」
「こんなの無理でもなんでもねえよ」
言うと、春樹は鞄を背負い直して歩き出す。
「待ってよ」
あたしは春樹の後を追った。
気温が低い割に、あたしの胸はなんだかポカポカしている。
春は、もうすぐそこなんだろうなあと、あたしは感じた。
最終話に続く。
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