夢見町の史
Let’s どんまい!
March 28
ついたあだ名は、「死ねおばさん」
彼女のことを知ったのは、俺が中学に入るより少し前のことだ。
近所では既に有名になっているらしい。
彼女は道行く通りすがりに対して、「お前を殺す」だとか「お前は死ぬ」などといった死の宣告を一方的にして、どっかに行ってしまうのだという。
恐ろしいことこの上ない通行人である。
一体彼女にどんな過去があったんだか。
身内では、最初に弟が、この「死ねおばさん」の犠牲になった。
まだ小学生だった弟が、急ぎ足で台所に駆け込み、何がしたいのだろう。
必死の形相で、自分の頭に塩を振っている。
食材ごっこでも開発したのだろうか。
「何してんの? お前」
訊ねると、弟は不思議なことを言い出した。
「呪われたから、塩で清めてんだよ、あーにき~」
どうしてジャイアン口調なのだ。
あえてそこには突っ込まず、問う。
「呪われた? どういうこと?」
「すっげえ怖えーよー! 知らないおばさんにさあ、『お前はいつか死ぬ』って言われたんだよ、あ~にき~」
お前はいつか死ぬ?
当たり前である。
人間なんだから。
「あっはっは! お前バーカじゃーん。呪われたって何だよ。あっはっは!」
「笑い事じゃないよう、あーにき~」
「あーははは! まだ塩振ってる~! 儀式みたい! ひー!」
自らの頭部に、一生懸命になって塩を振っている弟の様子が可笑しくて、俺の高笑いは止まらなかった。
塩分の意味が解らん。
月日は流れ、俺は中学2年生になった。
親に無理矢理通わされていた塾をサボり、公園で時間を潰し、頃合いを見計らって、家路を行く。
夜の裏道は怖い。
俺は自転車を必要以上に飛ばし、スピードを上げた。
前を歩いていたパーマのおばさんを追い越す。
その瞬間、中年女性の声が耳に入った。
「おま…、…ぬぞ」
「ふえ?」
立ち漕ぎ姿勢のままで振り向く。
どこにでもいる普通のおばちゃんが、確かに言った。
「お前は死ぬぞ」
超怖かった。
見た目は普通のおばちゃんなのに声が低くて、ドスが利いていらっしゃった。
それで自然な口調でデスですか。
トラウマ決定だ。
当時の俺は素晴らしく強気で、「俺がかよ!」とツッコミにも似た荒い怒声を声高に発し、もの凄い頑張ってチャリを加速すると、泣きそうになりながらしゃかしゃかと逃げた。
マジで怖かったのだ。
呪い殺されるかと思った。
大急ぎで帰宅すると、俺は自宅の台所に明かりを点け、弟に内緒で頭に塩をかけた。
死ねおばさんと最後に遭遇したのは、末っ子の妹だ。
当時の妹は、まだ幼稚園を上がって間もなかった。
妹は、昼に死の宣告を受けたのだそうだ。
「お前、死ぬぞ」
これに対し妹は、兄貴達を軽く乗り越えるリアクションを見せる。
「お前が死ね、バーカ!」
もう、凄いとしか言いようがない。
2人の駄目兄貴は飛ぶようにして逃げ帰ったのに、まさかそこで綺麗に言い返してしまうとは恐れ入る。
長男の威厳も忘れ、俺は妹に尊敬の眼差しを向けた。
「凄いな、お前! そしたら死ねおばさん、どうした!?」
「うんとね、すっごい怒った! ヘチマを振り回しながら走って追ってきたもん! 何度かヘチマでぶたれた!」
なんでそんな微妙な物を武器に?
普段から人に言っていることをそのまま返されただけなのに、死ねおばさんはめっちゃキレたらしい。
妙に柔らかい武器をぶんぶんと振り回し、妹を追いかけた。
「キシャアアアア!」
さすがの妹も泣き叫び、小学生の限界を超越した走りを見せる。
「うわあああああん!」
どっちも日本語を喋れていない。
「それでそれで? どうやって逃げきったの?」
「コンビニに入って、かくまってもらった」
「マジかー。大変だったなー」
「うん。もうマジで怖かった! ありゃ塩を被りたくもなるよ」
だったら「死ね」とか「バカ」とか言い返さなきゃいいじゃない。
それにしても良かった。
死ねおばさんは出現率こそ高いものの、死亡率は低いようだ。
みんな生きてる。
どうやら塩が利いたらしい。