夢見町の史
Let’s どんまい!
March 30
空手道初段。
なかなかカッコイイ響きだ。
しかし、それがきっかけになって、恐ろしく恥ずかしいあだ名が俺についた。
「めさー! みんながさあ、めさが空手の段を取ったお祝いに、飲み会やろうって言ってんだけど」
友人の進言は、俺をとても嬉しい気分にさせた。
もう時効なので書くが、当時の俺は高校生だったにも関わらず、お酒が大好きだったからだ。
飲み会当日になると、友人が住む団地の屋上には、既に空手道部員や他の運動部員の皆が集まってくれている。
「ごめん、お待たせー! さあ飲むぞー!」
「ああ、めさ! 待ってたよ! お! ダンディなシャツ着てんじゃん!」
俺はこの時、古い地図の絵がプリントされている大人びたシャツを着用していた。
「あ、ホントだー。ダンディー!(シャツが)」
「ダンディですう!(シャツが)」
後輩の女の子達も、少しホロ酔い口調で俺(のシャツ)を絶賛してくれる。
ぶっちゃけ、いい気分だ。
シャツのこととはいえ、ダンディだなんて言われたのは生まれて初めてで、ちょっぴり浮かれる。
皆のお祝いをありがたく頂戴し、この日は楽しく、大いに飲んだ。
数日後。
後輩の女子達がいつものように、学校で挨拶をしてくれる。
「ダンディせんぱーい! おはようございまーす!」
「おはようございます、ダンディ先輩!」
俺の笑顔が一瞬にして凍りつく。
ダンディ先輩と聞こえた。
誰だそれは。
そんな変な先輩、ドコにもいねえ。
ところが後輩達は、しっかりと俺の目を見ていらっしゃる。
どうやら今が、ダンディ先輩誕生の瞬間らしい。
俺の風貌、どこもダンディじゃないのに。
どんな角度から眺めても、絶対にダンディには見えないはずなのに。
色んな意味で新しいこのニックネームはつまり、俺を非常に困らせた。
(ダンディって、シャツのことじゃなかったのー!? 俺なのー!?)
このあだ名、恥ずかしいなんてレベルじゃない。
だって、ただの俺なのにダンディだもの。
例えるなら、日本猿を陛下と呼ぶようなものだ。
とにかく、すっごく寒くて痛い。
だいたい、知らない人がこのあだ名を聞いたら、俺は反感を買うんじゃないだろうか。
自称してるわけじゃないのに「どこがダンディだこの野郎」と、何故かムカつかれるに違いない。
もしくは痛い子だと思われる。
そんな困惑をよそに、女子達の目はマジだ。
「ダンディ先輩ってのもナンだからさー、『ダンディめさ』って呼ぼうよ!」
「あ! それいい!」
どうして反対意見が出ないのか。
だいたい「ダンディめさ」なんて誰かに聞かれたら、インチキな日系人を連想されるに違いない。
もしくは、勝てなさそうなボクサーのリングネーム第1位。
この夢見る少女達に言わなくちゃ。
痛々しいニックネームだから封印してって頼まなくっちゃ。
「あ、あのさあ…」
「ね!? いいですよね、『ダンディめさ』って呼んでも!」
「え!? ああ、いい、ンじゃないかな…」
自分の意思の弱さを呪った。
後輩達の嬉しそうな目の輝きを、俺はどうしても奪う事が出来なかったのさ。
と、自分に言い聞かせておく。
こうして俺は、嫌なんだけど、一部の女の子から「ダンディめさ」と呼ばれるようになってしまった。
月日が流れると、いつの間にか「ダンディめさ」は省略されて「ダンディ」となり、完全なあだ名として定着することになる。
どうして俺は自殺を考えなかったのだろう。
しかし、慣れとは怖いものだ。
こんな赤面もののあだ名でも呼ばれていくうちに、俺の中でも習慣になってしまい、半年も経てば何とも思わなくなる。
いつしか後輩達もだんだんと敬語を使わなくなり、友達と交わすような親しさで、朝の挨拶をしてくれるようになっていた。
「ダンディ、おはよー!」
「おー、おはよう」
ホント慣れって怖い。
当初は俺がダンディと呼ばれている瞬間を、クラスメートや男子生徒に見られないように気を張ってもいたのだけれど、だんだんとそんな気遣いもなくなっていった。
そんなある日の昇降口。
悪友と共に、靴を履き替える。
そこに後輩が通りかかり、いつものように声をかけてくれた。
「ダンディー! おはよー!」
「おー! おはよー!」
タタタッと駆け足で後輩がどっかに行くまで、友人は何故か無言のままだ。
「さて、行こうか」
促すと、彼は真顔になっていて、俺の顔をめっちゃ見ている。
「お前さ、ダンディって呼ばれてんの?」
「あ」
しまった、聞かれた!
一瞬にして顔が青ざめる。
悪友に不自然極まりないあだ名を、とっても自然に聞かれちゃった…!
焦った俺は、大慌てでフォローを入れにかかる。
「いやコレは…! 違うんだよ、あの子達が勝手にさ…! な!? 俺は嫌だったんだけどさ! 仕方なかったんだ!」
浮気がバレた亭主か俺は。
「シャツがダンディなのに半年すると慣れてしまうから!」
明かに回想シーン編集を失敗している。
「だからダンディじゃないのにダンディでさ! 解るだろ!?」
「何もかも解らねえ。要するにお前、ダンディって呼ばれてんだよな?」
「いやあ、地図の柄の段取った時に、空手のシャツが…」
「みんなに言ってこよっ!」
急に走り出そうとしやがった悪友の腕を咄嗟に掴み、俺は「待てよ!」と声を荒げる。
彼は振り向き様に、大きな声を通した。
「離せよダンディ!」
ちなみにアクセントは、しっかりと「ダンディ」の部分に置かれていた。
反射的に手を離す俺。
走り出す悪友。
追っかける俺。
あの野郎!
一体誰に話しやがるつもりだ!
気が気じゃなかった。
昼休みになると、空手のライバルが俺の教室まで遊びにくる。
「おう、ダンディ!」
やたら発音の良い、でっかい声だった。
奴の後ろには、先ほど昇降口で一緒だった悪友の姿も見える。
どこからどう情報が流れたのか、一目瞭然だ。
「お前まで! いいから黙ってろよ!」
必死の訴えはしかし、2人によって簡単にシカトされる。
「なあ、6組に行こうぜ。あそこにも空手部の連中いるし」
「あ~、そうだなあ。じゃ、行くかあ」
「行くなあ!」
2人の腕を強く掴む。
すると、
「離せよダンディ!」
「うるせえよダンディ!」
「痛えよダンディ!」
「ムキになるなよダンディ!」
のぉーい!
素晴らしく息の合ったコンビネーションで交互にダンディって言うなあ!
クラスのみんなが不審な目でこっちを見ている。
ダンディな要素なんて少しもないダンディが見られてる。
「大声出すなよダンディ!」
「うるせえよダンディ!」
「ダンディダンディうるせえのはテメーらだ! 言わないでお願い!」
「知るかよダンディ!」
教室で大騒ぎする3名は、全員がダンディダンディとカバティのように叫び続けた。
これに慣れるのに、もう半年ほどかかりそうだ。