夢見町の史
Let’s どんまい!
2010
August 03
August 03
【第1話・出逢い編】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/380/
【第2話・部活編】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/381/
【第3話・肝試し編】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/382/
【第4話・海編】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/383/
【第5話・無人島編】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/384/
------------------------------
どうにもラストシーンが気に入らない。
俺自身よく解らないが、なんだかむしゃくしゃする。
伊集院が主役に選ばれたのはクラスのみんなでやった投票の結果だし仕方がない。
「伊集院君、凄いなあ。あんな長いセリフ覚えられちゃうなんて」
佐伯の賞賛する声にもなんだか腹が立った。
文化祭の出し物で、うちのクラスは劇をやることになる。
俺は読んだことがないけど、脚本は「千年交差」っていう小説が元になっているらしい。
悲恋を続けては死んで、また生まれてを繰り返す、ある男女の生まれ変わりを描いた物語なんだそうだ。
1000年間も転生を続け、最後の最後にようやく結ばれるといった内容のようだ。
これのハッピーエンドの部分だけをクローズアップして劇にする。
最後はキスシーンで終わるんだが、それはさすがに高校生がやるには問題があるということで抱き合うって形で表現することになるんだが、いかん、思い出したらイライラしてきた。
伊集院と佐伯が熱い抱擁を交わしている場面が勝手に脳裏をよぎり、俺はそれをぶんぶんと首を振ってかき消す。
麗子さんのほうがヒロインにふさわしいと、きっと何人もの男子が思っていただろうに、肝心の麗子さん本人が「目立つのは苦手なんです」と早々に辞退したこともあって、何故か佐伯がヒロインをやることになったのだ。
背景に使うベニヤ板にペンキを塗っていると、嫌でも2人の練習する声が耳に入ってくる。
どうやら今はクライマックスシーンをやっているらしい。
伊集院が佐伯の前に立った。
「長いこと探していたものがあるんだ。でもそれは自分で探していたことにさえ気づけないもので、俺はそれを見つけ出していても、見つかったことをずっと知らないままでいた。気づくまで長かったよ。でも、お前はそれでも待ってくれていた。俺が、俺の運命と感情に気がつく今日までの間、待たせたな。ずっと前から言わなきゃいけなかった言葉を俺はようやく今、口にできるよ。ずっと前から、お前のことが好きだった」
すると佐伯は「待たせすぎよ、バカ」と泣き顔になる。
で、2人で抱き合って終わり、と。
なんなんだ、このムカつく感じは。
よく解らん感情だ。
俺は力いっぱいペンキを塗りたくる。
------------------------------
演技とはいえ、人前で男の人と抱き合うなんて嫌だなあ。
練習中、実際に抱き合うようになるのは本番近くになってからだ。
だから今はまだ平気なんだけど、やっぱりどうも乗り気がしない。
でも、今さら誰かにヒロインを代わってもらうのもクラスのみんなに迷惑かけちゃうだけだし、困ったものだ。
頬杖をつきながら、軽い溜め息をつく。
チャイムの音がして、教室に安田先生が入ってきた。
起立、礼、着席といつもの流れをやったあと、先生は困ったようにポリポリと頭を掻く。
「ちょっとお前らに大事な知らせがある」
先生は言いにくそうに「実は」と間を空けた。
「昨日、伊集院の家から連絡があってな。伊集院の奴、盲腸で入院してしまったらしいんだ」
どよどよと教室内がざわめき、先生は「静かに!」と声を通す。
「文化祭まであと少ししかないけどな、主役は別の誰かに頑張ってもらうしかないと思うんだ」
当たり前だけど、主役は出番が1番多い。
今から文化祭までの短い期間で、全ての演技とセリフを覚えようとする男子が果たしているだろうか。
誰もがそう感じているらしく、男子生徒の「そんなの無理だよなあ」という声がいくつか耳に入ってくる。
「大変だとは思うんだがなあ」
先生は申し訳なさそうな顔であたしたちを見渡した。
「誰か、主役に立候補してくれる奴はいないか?」
誰も手を挙げないだろうな。
あたしはそう思っていた。
しかし、
「俺やります!」
この発言にはクラス全体がびっくりしたに違いない。
高々と手を挙げたのは、春樹だった。
「あんた、主役なんて引き受けて大丈夫なの?」
すっかり成長した猫の大吾郎が、あたしの膝でごろごろとくつろいでいる。
夜になって、あたしはいつものように窓から春樹の部屋に侵入していた。
「うるせえなあ。集中できねえだろ? 大丈夫だって。俺はやるときにはやる男だ」
春樹はこちらに目もくれず、机に向かって熱心に台本を読んでいる。
鉢巻までしていて、なんだか受験生みたいだ。
こいつ、こんなに真面目な顔もできるんだ。
ちょっとぐらい協力してあげようかな。
あたしはその横顔を見つめた。
「ねえ春樹。読んでるだけじゃなくて、実際に口に出したほうが覚えやすいよ?」
「え? そうなのか?」
春樹が顔を上げる。
「うん。あたしがそうだったし、伊集院君もそうやって覚えたみたい」
「なるほど、そうなのか。あ!」
ポンと手を叩いて、春樹が嬉しそうに叫ぶ。
「お前、付き合ってくれよ!」
「な、え? え?」
いきなり付き合ってくれって、どういうこと!?
あたし今、もしかして告白されてるの!?
なんでこの流れで交際申し込んでくるのよ、この男!
そんなあたしの困惑をよそに、春樹は必死に両手を合わす。
「頼む! お前でなきゃ駄目なんだ!」
「そ、そんな、いきなり、なによ」
「いいだろ!? 頼むから! ちょっとでいいから付き合ってくれよ!」
「へ? ちょっと? なによ、ちょっとって」
「いやだから、ちょっとでもいいって意味だ」
「どういうことよそれ! そんないい加減な気持ちだったわけ!?」
「ンなわけねえだろ!? 俺は大真面目だ!」
「大真面目なら、ちょっとでもいいなんて言わないでよ!」
「なんだ。ってことは、とことん俺の練習に付き合ってくれんのか?」
「へ? 練習?」
「ん? お前なんの話だと思ってたんだ?」
「し、知らないわよ! っこのバカッ!」
顔を真っ赤にして、あたしは春樹を殴りつける。
あたしが何を勘違いしたのか、これは一生誰にも言わないでおこう。
------------------------------
それ以上騒ぐと親に迷惑だから、俺はとっておきの場所まで佐伯を連れ出す。
「今日のお礼によ、クリスマスになったらまたこの場所に連れてきてやるよ」
そこはちょっとした小高い丘で、手すりの向こうにはささやかな夜景が広がっている。
公園になっているわけではないし、ベンチすらないけど、ここは俺が見つけた絶好のポイントだ。
何もなさすぎて人だって来ない。
「クリスマス?」
佐伯が俺から顔を逸らす。
「な、なんであんたと一緒にクリスマス過ごさなきゃならないのよ」
「ここから見る商店街のイルミネーションが最高なんだ。マジすげーぞ」
「イルミネーション?」
「桜ヶ丘では、クリスマスに毎年やるんだ」
「そ、そのことならどっかで聞いたことあるけど」
「そのイルミネーション、普通に見ても綺麗なんだけど、ここから眺めるともっと凄いんだぜ」
しかし、佐伯は何故か俺の目を見ない。
「ま、まあ、そういうことなら、クリスマス、空けといてあげてもいいけど」
俺は上機嫌で「よし!」と台本を手に取った。
「じゃあ練習しようぜ!」
ところが、演劇ってのがこんなに難しいものだとは思わなかった。
普通に言ってるつもりでもセリフが棒読みだと指摘されるし、動作を覚えるとセリフを忘れる。
セリフを覚えたら今度は動作が着いてこない。
何より、クライマックスのセリフがやたらと長くて、こいつが俺にとって最大の難所になりそうだ。
「長いこと探していたものがあるんだ。でもそれは自分で…、なんだっけ?」
「でもそれは自分で探していたことにさえ気づけないもので、俺はそれを見つけ出していても、見つかったことをずっと知らないままでいた。でしょ?」
「くっそ。もう1回!」
練習は学校でもやっていたが、夜のここにも毎日のように俺たちは通い続ける。
最も肝心な最後のセリフはそれでもなかなか身につかない。
佐伯が呆れたように両手を腰に当てた。
「あんたねー、なにが『俺はやるときはやる男だ』よ。明日はもう文化祭、本番なんだからね」
「解ってるよ! いいからもう1回! 今度こそキメるから!」
「はいはい」
佐伯が俺の前に立った。
演技で、泣きそうな顔を作っている。
「じゃ、いくからな」
宣言をして、俺は意識を高め、佐伯の目をじっと見つめた。
「長いこと探していたものがあるんだ。でもそれは自分で探していたことにさえ気づけないもので、俺はそれを見つけ出していても、見つかったことをずっと知らないままでいた。気づくまで長かったよ。でも、お前はそれでも待ってくれていた。俺が、俺の運命と感情に気がつく今日までの間、待たせたな。ずっと前から言わなきゃいけなかった言葉を俺はようやく今、口にできるよ。ずっと前から、お前のことが好きだった」
言えた!
初めて最後までつまずかずに言い切れた!
やったぞ!
と喜びそうになった瞬間、佐伯が俺の胸に顔を埋めてくる。
細い腕がぎゅっと強く、俺を抱きしめた。
「待たせすぎよ、バカ」
と、佐伯の震える声。
そ、そうだ。
まだ演技の途中だった。
俺はせかせかと佐伯の背中に手を回し、力を込める。
心臓の音がやたら激しくなっていて、そのことを佐伯に悟られないか心配だ。
どれぐらい抱き合っていただろう。
俺たちはほぼ同時に力を緩めてゆく。
それでも手はそれぞれ相手に添えられたままで、体だけを少しだけ離した。
俺の両手は佐伯の肩に。
佐伯の両手は俺の腰に。
目と目が合った。
互いにそのまま見つめ続ける。
やがて俺たちは自然と目を閉じた。
佐伯が顔を上げたまま背伸びをし、俺は顎を下げて顔を少し傾ける。
佐伯の吐息が俺の顔まで届いた。
どん!
突然佐伯に突き飛ばされて、俺は一瞬なにが起こったのか解らなかった。
佐伯がコホンと咳払いをしている。
「ま、まあ、こんな感じでい、いいんじゃない?」
「え、ああ。そう、だな」
夜風がそよそよと吹いた。
なんだか微妙な沈黙が訪れる。
それを破ったのは佐伯だった。
「じゃ、明日の本番、頑張ってね。あたしも頑張るから」
「え、あ、おう」
「じゃあね!」
佐伯は走って帰ってしまった。
なんだよあいつ、どうせ家が隣なんだから一緒に帰ればいいのに。
変な奴だな。
それにしても、さっきの妙に自然な流れは一体なんだったんだろう。
いやいや、いかんいかん!
明日が本番だからな、もうちょっと1人で練習していよう!
俺はなるべく、さっき抱き合った後に起こりそうになったことについては考えないよう努めた。
演技が上手いかと訊かれれば俺はそうでもないと思うんだが、本番はそこそこ無難に進行してゆく。
緊張しまくりだけど、見ている観客たちから野次を飛ばされるなんてことは今のところはない。
問題はやはりクライマックスのあのセリフだ。
体育館のステージ中央に、俺は立つ。
目の前には衣装を身に纏った佐伯が涙ぐんでいた。
いよいよか。
あのセリフが成功したのは結局夕べの1回だけだった。
だからって、ここまで来たらもう引き返せない!
俺は視線を佐伯の目に合わせ、ごくりと唾を飲む。
「長いこと探していたものがあるんだ。でもそれは自分で探していたことにさえ気づけないもので、俺はそれを見つけ出していても、見つかったことをずっと知らないままでいた」
半分ぐらいを口にしたところで、俺は思わずパニックを起こしそうになる。
なんてこった!
ここから先のセリフが全く出てこない!
頭ン中が真っ白だ!
固まっていると、観客たちがどよめき出す。
俺がわざと間を作っているのか、セリフが飛んでしまったのかを測りかねているみたいだ。
どうしようどうしようどうしよう。
なんだっけなんだっけ。
このままセリフが出てこなかったら、高校最後の文化祭が台無しになっちまう!
困っていたそのとき、佐伯が意外な行動に出た。
まだセリフの途中なのに、俺に抱きついてきたのだ。
バカお前、まだ早い!
と思ってあたふたしたら、佐伯は小さく短く、俺の耳元でささやく。
「そのままあたしを抱きしめて」
わけのわからないまま、それでも俺は言われた通りに手を伸ばし、佐伯の体に手を回す。
佐伯が再び俺の耳元でささやいた。
「気づくまで長かったよ。でも、お前はそれでも待ってくれていた」
その言葉が何なのか すぐにピンとくる。
セリフの続きだ!
俺は佐伯の言葉をそのまま復唱する。
「気づくまで長かったよ。でも、お前はそれでも待ってくれていた」
佐伯が続きを言い、俺がそれを次々となぞってゆく。
「俺が、俺の運命と感情に気がつく今日までの間、待たせたな」
「俺が、俺の運命と感情に気がつく今日までの間、待たせたな」
「ずっと前から言わなきゃいけなかった言葉を俺はようやく今、口にできるよ」
「ずっと前から言わなきゃいけなかった言葉を俺はようやく今、口にできるよ」
さっきの混乱のせいで俺の声は自然と震えている。
聞いてるお客にそれは、俺が泣くのを我慢しているように耳に入っていることだろう。
「ずっと前から、お前のことが好きだった」
「ずっと前から、お前のことが好きだった!」
すると佐伯は俺の腕からするりと抜けて、笑い泣きのような表情で大声を出した。
「待たせすぎよ! バカァ!」
続けて佐伯が覆いかぶさるかのように飛びついてきて、俺はそれを受け止める。
ステージには幕がゆるゆると下りてきて、観客たちは盛大な拍手を俺たちに贈ってくれた。
「お前にはホント助けられたよ」
クラスのみんなで成功を祝い、その帰り道。
俺は佐伯にジンジャーエールを奢った。
「それにしても」
気が抜けてしまって、俺はついだらしない声を出す。
「無事終わってよかった。一時はどうなることかと」
「ねえ、春樹」
「ん?」
「なんであんた、主役に立候補したの?」
どういった感情からなのか、佐伯はにやにやと薄ら笑いを浮かべている。
そんな質問、答えられるわけねえじゃねえか!
佐伯が他の男子と抱き合うのを見たくなかっただなんて、死んでも言えるか!
俺はそっぽを向いて、ぶっきらぼうに「忘れた」と吐き捨てる。
「それにしても、お前、ホントすげーな」
話を逸らすことが目的だけど、俺はついつい本音を口にする。
「お前、自分のセリフどころか、俺のセリフまで覚えてたし」
「そりゃあんだけ練習に付き合わされればね」
「アドリブも不自然じゃなかったしよー」
「あんときはあたしも焦ってたよ」
「だいたいお前、演技うめーよ」
すると、佐伯がぴょんと小さく飛んで、俺の前で悪戯っぽく舌を出す。
「だって、演技じゃないもん」
「え?」
「じゃ、またねー!」
たたたっと駆けて、佐伯は自分の家へと入っていった。
俺はその場に立ち止まり、ただただ首を捻るばかりだ。
演技じゃなかった?
演技じゃなかったら、なんだったんだ?
俺にはなんだかよく解らん。
ったく、相変わらず変な女だぜ。
続く。
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/386/
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/380/
【第2話・部活編】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/381/
【第3話・肝試し編】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/382/
【第4話・海編】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/383/
【第5話・無人島編】
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/384/
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どうにもラストシーンが気に入らない。
俺自身よく解らないが、なんだかむしゃくしゃする。
伊集院が主役に選ばれたのはクラスのみんなでやった投票の結果だし仕方がない。
「伊集院君、凄いなあ。あんな長いセリフ覚えられちゃうなんて」
佐伯の賞賛する声にもなんだか腹が立った。
文化祭の出し物で、うちのクラスは劇をやることになる。
俺は読んだことがないけど、脚本は「千年交差」っていう小説が元になっているらしい。
悲恋を続けては死んで、また生まれてを繰り返す、ある男女の生まれ変わりを描いた物語なんだそうだ。
1000年間も転生を続け、最後の最後にようやく結ばれるといった内容のようだ。
これのハッピーエンドの部分だけをクローズアップして劇にする。
最後はキスシーンで終わるんだが、それはさすがに高校生がやるには問題があるということで抱き合うって形で表現することになるんだが、いかん、思い出したらイライラしてきた。
伊集院と佐伯が熱い抱擁を交わしている場面が勝手に脳裏をよぎり、俺はそれをぶんぶんと首を振ってかき消す。
麗子さんのほうがヒロインにふさわしいと、きっと何人もの男子が思っていただろうに、肝心の麗子さん本人が「目立つのは苦手なんです」と早々に辞退したこともあって、何故か佐伯がヒロインをやることになったのだ。
背景に使うベニヤ板にペンキを塗っていると、嫌でも2人の練習する声が耳に入ってくる。
どうやら今はクライマックスシーンをやっているらしい。
伊集院が佐伯の前に立った。
「長いこと探していたものがあるんだ。でもそれは自分で探していたことにさえ気づけないもので、俺はそれを見つけ出していても、見つかったことをずっと知らないままでいた。気づくまで長かったよ。でも、お前はそれでも待ってくれていた。俺が、俺の運命と感情に気がつく今日までの間、待たせたな。ずっと前から言わなきゃいけなかった言葉を俺はようやく今、口にできるよ。ずっと前から、お前のことが好きだった」
すると佐伯は「待たせすぎよ、バカ」と泣き顔になる。
で、2人で抱き合って終わり、と。
なんなんだ、このムカつく感じは。
よく解らん感情だ。
俺は力いっぱいペンキを塗りたくる。
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演技とはいえ、人前で男の人と抱き合うなんて嫌だなあ。
練習中、実際に抱き合うようになるのは本番近くになってからだ。
だから今はまだ平気なんだけど、やっぱりどうも乗り気がしない。
でも、今さら誰かにヒロインを代わってもらうのもクラスのみんなに迷惑かけちゃうだけだし、困ったものだ。
頬杖をつきながら、軽い溜め息をつく。
チャイムの音がして、教室に安田先生が入ってきた。
起立、礼、着席といつもの流れをやったあと、先生は困ったようにポリポリと頭を掻く。
「ちょっとお前らに大事な知らせがある」
先生は言いにくそうに「実は」と間を空けた。
「昨日、伊集院の家から連絡があってな。伊集院の奴、盲腸で入院してしまったらしいんだ」
どよどよと教室内がざわめき、先生は「静かに!」と声を通す。
「文化祭まであと少ししかないけどな、主役は別の誰かに頑張ってもらうしかないと思うんだ」
当たり前だけど、主役は出番が1番多い。
今から文化祭までの短い期間で、全ての演技とセリフを覚えようとする男子が果たしているだろうか。
誰もがそう感じているらしく、男子生徒の「そんなの無理だよなあ」という声がいくつか耳に入ってくる。
「大変だとは思うんだがなあ」
先生は申し訳なさそうな顔であたしたちを見渡した。
「誰か、主役に立候補してくれる奴はいないか?」
誰も手を挙げないだろうな。
あたしはそう思っていた。
しかし、
「俺やります!」
この発言にはクラス全体がびっくりしたに違いない。
高々と手を挙げたのは、春樹だった。
「あんた、主役なんて引き受けて大丈夫なの?」
すっかり成長した猫の大吾郎が、あたしの膝でごろごろとくつろいでいる。
夜になって、あたしはいつものように窓から春樹の部屋に侵入していた。
「うるせえなあ。集中できねえだろ? 大丈夫だって。俺はやるときにはやる男だ」
春樹はこちらに目もくれず、机に向かって熱心に台本を読んでいる。
鉢巻までしていて、なんだか受験生みたいだ。
こいつ、こんなに真面目な顔もできるんだ。
ちょっとぐらい協力してあげようかな。
あたしはその横顔を見つめた。
「ねえ春樹。読んでるだけじゃなくて、実際に口に出したほうが覚えやすいよ?」
「え? そうなのか?」
春樹が顔を上げる。
「うん。あたしがそうだったし、伊集院君もそうやって覚えたみたい」
「なるほど、そうなのか。あ!」
ポンと手を叩いて、春樹が嬉しそうに叫ぶ。
「お前、付き合ってくれよ!」
「な、え? え?」
いきなり付き合ってくれって、どういうこと!?
あたし今、もしかして告白されてるの!?
なんでこの流れで交際申し込んでくるのよ、この男!
そんなあたしの困惑をよそに、春樹は必死に両手を合わす。
「頼む! お前でなきゃ駄目なんだ!」
「そ、そんな、いきなり、なによ」
「いいだろ!? 頼むから! ちょっとでいいから付き合ってくれよ!」
「へ? ちょっと? なによ、ちょっとって」
「いやだから、ちょっとでもいいって意味だ」
「どういうことよそれ! そんないい加減な気持ちだったわけ!?」
「ンなわけねえだろ!? 俺は大真面目だ!」
「大真面目なら、ちょっとでもいいなんて言わないでよ!」
「なんだ。ってことは、とことん俺の練習に付き合ってくれんのか?」
「へ? 練習?」
「ん? お前なんの話だと思ってたんだ?」
「し、知らないわよ! っこのバカッ!」
顔を真っ赤にして、あたしは春樹を殴りつける。
あたしが何を勘違いしたのか、これは一生誰にも言わないでおこう。
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それ以上騒ぐと親に迷惑だから、俺はとっておきの場所まで佐伯を連れ出す。
「今日のお礼によ、クリスマスになったらまたこの場所に連れてきてやるよ」
そこはちょっとした小高い丘で、手すりの向こうにはささやかな夜景が広がっている。
公園になっているわけではないし、ベンチすらないけど、ここは俺が見つけた絶好のポイントだ。
何もなさすぎて人だって来ない。
「クリスマス?」
佐伯が俺から顔を逸らす。
「な、なんであんたと一緒にクリスマス過ごさなきゃならないのよ」
「ここから見る商店街のイルミネーションが最高なんだ。マジすげーぞ」
「イルミネーション?」
「桜ヶ丘では、クリスマスに毎年やるんだ」
「そ、そのことならどっかで聞いたことあるけど」
「そのイルミネーション、普通に見ても綺麗なんだけど、ここから眺めるともっと凄いんだぜ」
しかし、佐伯は何故か俺の目を見ない。
「ま、まあ、そういうことなら、クリスマス、空けといてあげてもいいけど」
俺は上機嫌で「よし!」と台本を手に取った。
「じゃあ練習しようぜ!」
ところが、演劇ってのがこんなに難しいものだとは思わなかった。
普通に言ってるつもりでもセリフが棒読みだと指摘されるし、動作を覚えるとセリフを忘れる。
セリフを覚えたら今度は動作が着いてこない。
何より、クライマックスのセリフがやたらと長くて、こいつが俺にとって最大の難所になりそうだ。
「長いこと探していたものがあるんだ。でもそれは自分で…、なんだっけ?」
「でもそれは自分で探していたことにさえ気づけないもので、俺はそれを見つけ出していても、見つかったことをずっと知らないままでいた。でしょ?」
「くっそ。もう1回!」
練習は学校でもやっていたが、夜のここにも毎日のように俺たちは通い続ける。
最も肝心な最後のセリフはそれでもなかなか身につかない。
佐伯が呆れたように両手を腰に当てた。
「あんたねー、なにが『俺はやるときはやる男だ』よ。明日はもう文化祭、本番なんだからね」
「解ってるよ! いいからもう1回! 今度こそキメるから!」
「はいはい」
佐伯が俺の前に立った。
演技で、泣きそうな顔を作っている。
「じゃ、いくからな」
宣言をして、俺は意識を高め、佐伯の目をじっと見つめた。
「長いこと探していたものがあるんだ。でもそれは自分で探していたことにさえ気づけないもので、俺はそれを見つけ出していても、見つかったことをずっと知らないままでいた。気づくまで長かったよ。でも、お前はそれでも待ってくれていた。俺が、俺の運命と感情に気がつく今日までの間、待たせたな。ずっと前から言わなきゃいけなかった言葉を俺はようやく今、口にできるよ。ずっと前から、お前のことが好きだった」
言えた!
初めて最後までつまずかずに言い切れた!
やったぞ!
と喜びそうになった瞬間、佐伯が俺の胸に顔を埋めてくる。
細い腕がぎゅっと強く、俺を抱きしめた。
「待たせすぎよ、バカ」
と、佐伯の震える声。
そ、そうだ。
まだ演技の途中だった。
俺はせかせかと佐伯の背中に手を回し、力を込める。
心臓の音がやたら激しくなっていて、そのことを佐伯に悟られないか心配だ。
どれぐらい抱き合っていただろう。
俺たちはほぼ同時に力を緩めてゆく。
それでも手はそれぞれ相手に添えられたままで、体だけを少しだけ離した。
俺の両手は佐伯の肩に。
佐伯の両手は俺の腰に。
目と目が合った。
互いにそのまま見つめ続ける。
やがて俺たちは自然と目を閉じた。
佐伯が顔を上げたまま背伸びをし、俺は顎を下げて顔を少し傾ける。
佐伯の吐息が俺の顔まで届いた。
どん!
突然佐伯に突き飛ばされて、俺は一瞬なにが起こったのか解らなかった。
佐伯がコホンと咳払いをしている。
「ま、まあ、こんな感じでい、いいんじゃない?」
「え、ああ。そう、だな」
夜風がそよそよと吹いた。
なんだか微妙な沈黙が訪れる。
それを破ったのは佐伯だった。
「じゃ、明日の本番、頑張ってね。あたしも頑張るから」
「え、あ、おう」
「じゃあね!」
佐伯は走って帰ってしまった。
なんだよあいつ、どうせ家が隣なんだから一緒に帰ればいいのに。
変な奴だな。
それにしても、さっきの妙に自然な流れは一体なんだったんだろう。
いやいや、いかんいかん!
明日が本番だからな、もうちょっと1人で練習していよう!
俺はなるべく、さっき抱き合った後に起こりそうになったことについては考えないよう努めた。
演技が上手いかと訊かれれば俺はそうでもないと思うんだが、本番はそこそこ無難に進行してゆく。
緊張しまくりだけど、見ている観客たちから野次を飛ばされるなんてことは今のところはない。
問題はやはりクライマックスのあのセリフだ。
体育館のステージ中央に、俺は立つ。
目の前には衣装を身に纏った佐伯が涙ぐんでいた。
いよいよか。
あのセリフが成功したのは結局夕べの1回だけだった。
だからって、ここまで来たらもう引き返せない!
俺は視線を佐伯の目に合わせ、ごくりと唾を飲む。
「長いこと探していたものがあるんだ。でもそれは自分で探していたことにさえ気づけないもので、俺はそれを見つけ出していても、見つかったことをずっと知らないままでいた」
半分ぐらいを口にしたところで、俺は思わずパニックを起こしそうになる。
なんてこった!
ここから先のセリフが全く出てこない!
頭ン中が真っ白だ!
固まっていると、観客たちがどよめき出す。
俺がわざと間を作っているのか、セリフが飛んでしまったのかを測りかねているみたいだ。
どうしようどうしようどうしよう。
なんだっけなんだっけ。
このままセリフが出てこなかったら、高校最後の文化祭が台無しになっちまう!
困っていたそのとき、佐伯が意外な行動に出た。
まだセリフの途中なのに、俺に抱きついてきたのだ。
バカお前、まだ早い!
と思ってあたふたしたら、佐伯は小さく短く、俺の耳元でささやく。
「そのままあたしを抱きしめて」
わけのわからないまま、それでも俺は言われた通りに手を伸ばし、佐伯の体に手を回す。
佐伯が再び俺の耳元でささやいた。
「気づくまで長かったよ。でも、お前はそれでも待ってくれていた」
その言葉が何なのか すぐにピンとくる。
セリフの続きだ!
俺は佐伯の言葉をそのまま復唱する。
「気づくまで長かったよ。でも、お前はそれでも待ってくれていた」
佐伯が続きを言い、俺がそれを次々となぞってゆく。
「俺が、俺の運命と感情に気がつく今日までの間、待たせたな」
「俺が、俺の運命と感情に気がつく今日までの間、待たせたな」
「ずっと前から言わなきゃいけなかった言葉を俺はようやく今、口にできるよ」
「ずっと前から言わなきゃいけなかった言葉を俺はようやく今、口にできるよ」
さっきの混乱のせいで俺の声は自然と震えている。
聞いてるお客にそれは、俺が泣くのを我慢しているように耳に入っていることだろう。
「ずっと前から、お前のことが好きだった」
「ずっと前から、お前のことが好きだった!」
すると佐伯は俺の腕からするりと抜けて、笑い泣きのような表情で大声を出した。
「待たせすぎよ! バカァ!」
続けて佐伯が覆いかぶさるかのように飛びついてきて、俺はそれを受け止める。
ステージには幕がゆるゆると下りてきて、観客たちは盛大な拍手を俺たちに贈ってくれた。
「お前にはホント助けられたよ」
クラスのみんなで成功を祝い、その帰り道。
俺は佐伯にジンジャーエールを奢った。
「それにしても」
気が抜けてしまって、俺はついだらしない声を出す。
「無事終わってよかった。一時はどうなることかと」
「ねえ、春樹」
「ん?」
「なんであんた、主役に立候補したの?」
どういった感情からなのか、佐伯はにやにやと薄ら笑いを浮かべている。
そんな質問、答えられるわけねえじゃねえか!
佐伯が他の男子と抱き合うのを見たくなかっただなんて、死んでも言えるか!
俺はそっぽを向いて、ぶっきらぼうに「忘れた」と吐き捨てる。
「それにしても、お前、ホントすげーな」
話を逸らすことが目的だけど、俺はついつい本音を口にする。
「お前、自分のセリフどころか、俺のセリフまで覚えてたし」
「そりゃあんだけ練習に付き合わされればね」
「アドリブも不自然じゃなかったしよー」
「あんときはあたしも焦ってたよ」
「だいたいお前、演技うめーよ」
すると、佐伯がぴょんと小さく飛んで、俺の前で悪戯っぽく舌を出す。
「だって、演技じゃないもん」
「え?」
「じゃ、またねー!」
たたたっと駆けて、佐伯は自分の家へと入っていった。
俺はその場に立ち止まり、ただただ首を捻るばかりだ。
演技じゃなかった?
演技じゃなかったら、なんだったんだ?
俺にはなんだかよく解らん。
ったく、相変わらず変な女だぜ。
続く。
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/386/
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