夢見町の史
Let’s どんまい!
July 15
それでも、このチームなら絶対に全国大会に行ける。
そんな気がしてならない。
「イーッヒッヒッヒ!」
「違ァーう! もっと『魔力使って調合してます』って感じで笑う!」
「イ~ッヒッヒッヒ!」
部員たちはぐつぐつと煮えたぎった謎の液体を、杖でかき混ぜている。
大人1人が丸々入ってしまえるほど大きな壷を、たった1人で相手にしなくてはいけないから大変だ。
キャプテンがパンパンと大きく手を叩く。
「やめ! 集合! みんな、解ってる? これは黒魔術の儀式なんだよ? 今みんな、誰も本気で呪ってなかった。やる気ないなら帰っていいから」
今シーズン、魔女部の練習は例年よりも遥かに厳しい。
それでも、泣き言を言う部員は1人としていなかった。
今年のインターハイ進出が、日々の練習にかかっている。
誰もがそれを強く意識しているのだ。
「次はホーキングの練習!」
壷が隅に追いやられ、数々のホウキと巨大な扇風機が用意される。
これらは全て、全員で部費を出し合って購入したアイテムだ。
全員がホウキをまたぎ、キャプテンが扇風機のスイッチに手を添える。
「飛んでるってだけでなくて、『結界張って生きてます』って雰囲気が大事だからねー!」
「ウィッチ!」
「よーし! 始め!」
部室内に生じた風が、暗幕をはためかせた。
風に向かい、部員たちは股にホウキを挟む。
「MPなければ落ちちゃいますって危機感を少しだけ表す! そう! 飛べない魔女はただの魔女だからねー!」
キャプテンの魔女ネームは、マジョガリータ。
部活動が終った後も、家で魔女トレに明け暮れている。
その最中に左足首を捻挫したが、自ら特製の薬草を調合し、ものの見事に傷を悪化させた。
子供の頃から儀式に目がなかったという副部長のハロウィンは、最近になって宅配のアルバイトを始めたらしい。
あれほど魔力がなさそうに見えた新入部員たちも、いつの間にか付け鼻が定着している。
このメンバーだったら、きっと全国制覇ができる。
いつしか目に涙を浮かべ、キャプテンが再び怒号を放つ。
「そこ! 重心のバランスが悪い! ミサ! 旅客機に手を振るなんてアドリブ要らない! 全員もっと『高所恐怖症ではありません』みたいな余裕も表現する!」
全ての努力が必ず報われるとは限らない。
それでも、このチームなら絶対に全国大会に行ける。
そんな気がしてならない。
ここ男子校だけど、きっと大丈夫だろう。
July 13
キーボードの上で、俺の手は止まっている。
気分が滅入る。
なんだか陳腐な発想しか浮かんでこないからだ。
「こんばんはー! 上がるよー!」
いつものようにノックを省略して、女友達が押しかけてきた。
「いやあ、空が混んじゃってさー」
彼女は玄関脇にホウキを立て掛ける。
「あんたン家、着陸するのが難しい! 電線が邪魔!」
「いきなり文句かよ!? なんでこの忙しい時に遊びに来るんだ!」
「ん? 何かやってたの?」
彼女がパソコンのモニターに注目したので、俺は「魔女ってお題で小説を書かなければならないんだ」と説明をした。
「締め切りがめっちゃ早くてさ。他にもやらなきゃいけないことがあるから、どうにかして今日中に仕上げたいんだ」
「ふうん、魔女かあ」
何気ない仕草で彼女が片腕を振る。
台所で物音がし、すぐに酒のボトルやらグラスやらが宙を移動して部屋に入ってくる。
スッと、ちゃぶ台の上に乗る。
この女、またしても勝手に人の酒を飲むつもりなのだ。
「俺の酒飲んでもいいけど、一緒にアイデア考えろよな」
「小説の?」
「そう。魔女ってお題、なかなか難しくってさ。正直、何も思いつかないんだよ」
「魔女ってお題じゃなきゃ駄目なの?」
「駄目なの。今回はそういう企画だから」
「ふうん」
彼女がメンソールのタバコを口に咥えた。
人差し指から小さな炎を生み出し、それに火をつける。
「難解なお題だなあ」
「だろ? 困っちゃってさあ。なんか魔女についての知識とか、ない?」
行儀悪く煙を吐きながら、「ないよ」と彼女はつぶやいた。
友人は空中を泳ぐ煙を睨み、ドクロにしたりハートにしたりと形を変えて遊んでいる。
「だいたい魔女でしょ? いるわけないじゃん、そんなの」
「だよなあ。どっかに本物の魔女がいたら、取材できるのになあ」
だからいないってば。
どこか色っぽく言って、彼女は笑った。
July 01
ちょっとした創作活動です。
今回は実験ということで、試しに「音楽」というお題で短文を書くことになりました。
記念にここに載せておきますね。
それではフィクションの短い物語、2つ続けてお楽しみください。
<せめて何か持て>
スポットライトの光と熱気。
逆光だからといって、ステージから客席が見えないなんてことはない。
僕らの音楽は、今夜も大勢を奮い立たせている。
「ではここで!」
エコーを絞ったマイクに、僕は声を通す。
「メンバー紹介をしたいと思います! まずはドラム! タカシ!」
心臓に直接響いてきそうな打撃音が打ち鳴らされる。
タカシのドラムソロはいつ聴いても熱く、激しい。
「続いてベース!」
タカシのドラムに、心地よい低音がリズミカルに加わった。
「ユタカ!」
小刻みなドラムと全く同じリズムで、ユタカは弦を弾く。
言いたくはないけれど、さすがだ。
「続いて!」
僕はヒロシをちらと見て、彼を手で示す。
「エアギター! ヒローシ!」
ヒロシが、まるでそこにギターがあるかのように、何もない宙を強くかきむしる。
素晴らしくスピーディで、心が込められている。
最高に熱く、激動的で、ヒロシのそれは、まるで獅子が咆えるかのようだった。
無音の雄たけびだ。
ヒロシは鋭く頭を上下させ、やがて恍惚とした表情を浮かべると、力尽きたかのようにその場にしゃがみ込む。
同時に、客席から歓声と拍手が盛大に起こった。
「サンキュー!」
手ぶらのまま、ヒロシが叫んだ。
再び盛大な拍手。
なんで盛り上がるんだろう、うちのバンド。
<地球の名曲>
「人類最大の発明は何だと思う?」
友からの唐突な問いかけに、僕は戸惑う。
「急に言われても…。えっと、なんだろう。お金かなあ」
なんだか違うような気がするけれど、でも、正しいと思われる解答がなかなか思い浮かばない。
なんだろうなんだろう。
きっと身近な物に違いない。
「あ! 解った!」
突然閃き、僕は確信を口にする。
「言葉だ!」
自信のある答えだった。
しかし友はというと、フンと鼻を鳴らせただけだ。
「言葉? 確かに言語は優れた発明だ。しかし、使いこなせる人間は少ない」
彼女らしい、シビアな演説が始まる。
「相手に理解させるための説明ができる奴は極めて少ない。相手からの説明を理解できる奴など、さらに稀少だ。人類に言葉など、まだ早い。宝の持ち腐れだ」
相変わらず手厳しい。
では友は、何こそが人類最大の発明だと言うのだろうか。
「間違いなく、音楽こそが人類の宝だろうな」
言い切るからには彼女のことだ。
何かしらの根拠があるのだろう。
「生物学的には、生きることに音楽は必要ない。音楽が無いせいで滅ぶことなどないだろう。人が音楽に興じるということはつまり、生物として余裕があるということだ。他の生物だったら生きるだけで精一杯で、音楽どころじゃないだろうからな。音楽の発明は、人類が余裕のある生物であることを証明している」
なんだか難しいけれど、なるほどなあ、と思う。
でも同時に、そうかなあ、とも思う。
音楽は、人類だけのものではないような気がしたのだ。
僕らは例えば、恋愛をする。
それは種族繁栄のためを思ってするのでは、当然ない。
ある鳥は求愛のために鳴くとされているけれど、訊ねてみれば案外、「自分の声が好きでね。鳴きたいから鳴いているのさ」なんて、さらりとした答えが返ってくるかも知れない。
僕は立ち上がり、窓に手を伸ばす。
「何をしている?」
「君に、聴いてもらいたい曲があってね」
唄う当人たちにしてみれば、それは奏でることを楽しんでいるだけなのかも知れない。
音を楽しんでいるのなら、それはもう立派な音楽だ。
窓を開けると、秋の風が、鈴虫の音色を部屋に招き入れる。
「どうだい? 人間の他にも、優秀な音楽家がいるだろう?」
「ふむ、確かに」
珍しく友は自説を曲げたようだ。
僕らは長椅子に背を預け、ゆっくりと目を閉じる。
March 15
永遠の抱擁が始まる1はコチラです。
永遠の抱擁が始まる2はコチラです。
<例えば世界が滅んでも>
街には様々な噂が溢れている。
死神が出ただとか、原因不明の病気が流行っているとか、建設中のバベルタワーは神にだって作れない物になるだろうとか、もうすぐ天変地異が起こるとか。
どこかでは大型の移動式シェルターを作って、動物を乗せ、大洪水に備える奴もいる。
俺はといえば、普段通りだ。
いつものように、老齢になる馬に、「今日も踏ん張ってな」と首筋を撫で、手入れをし、馬車を走らせている。
乗せた客は2人組みだ。
服装、乗せた場所、時刻から察するに、踊り子だろう。
目的地を聞けば、やはり飲み屋だ。
これから出勤らしい。
「ねえねえ、お兄さん」
暇を持て余しているのか、声をかけてくる。
話しかけてくるんじゃねえよと、心の中で密かに返す。
「なんでしょう?」
用件を聞こうとしたら、何故か1人が「きゃはは」と声を立てた。
最近の馬車乗りはサービスの一環として、移動中に楽しい話をする奴が多いと聞く。
俺もどうやら、そういった「愉快な馬車乗り」だと思われたらしい。
「この馬、もうおじいちゃん?」
「ええ。もうずっと頑張ってくれていますよ」
「きゃはは」
何が可笑しいのか、解らない。
「お馬さんもさ、加齢臭ってするの?」
「どうでしょうね。するんじゃないですか?」
「だからかー。この馬車、なんか変な匂いするもん」
「きゃはは。やめなよー。でも、確かにスピードはないよね」
俺は馬が好きでこの商売をしている。
だが、ここまで人間と接する機会が多いとは思わなかった。
黙って馬車を走らせ、会話を必要としないものだと思っていた。
俺は馬車を停め、振り向きもせずに言う。
「代金、要らねえよ。テメーらもう降りろ」
こいつらに悪気がないことは解る。
だがこいつらは、自分が無礼だと気づいてはいない。
何が侮辱に該当し、それがどれだけ罪深いことなのかを知らない。
その無知が、俺を怒らせる。
説教をするつもりさえ起きなかった。
小娘どもはピヨピヨと「それが仕事なんでしょ」という類の正論を喚いている。
「仕事放棄だ。だから金を取らねえって言ったんだろうが」
「このこと、あんたンとこの会社にチクるからね!」
「すっごい失礼な態度だよね! 絶対チクるー!」
その「すっごい失礼な態度」というのは、お前らが引き起こしたことなんじゃねえのか?
腹の中ではそのように思っていたのだが、俺は自分の気持ちを言葉にするほど器用じゃないし、苛立ってもいる。
だからただ大声で、「早く出ていけ」と怒鳴った。
「ロウェイ、ちょっと」
会社に戻ると同時に、社長に呼び出される。
案の定、あの踊り子ども、本当に会社に苦情を言いに来たらしい。
「お前、仕事やる気、あるのか?」
小娘の軽率な言動に腹を立てるなという説教にだったら甘んじるが、どうして仕事への熱意を疑われるのか解らない。
いや、正確には、解る。
俺が客を減らしたことに、社長は憤っている。
その事実を曲解し、先走って、客を減らした理由を勘違いしているのだ。
俺に仕事をやる気がないのだ、と。
さっきの客がいかに自分達の無礼を伏せ、どう大袈裟に俺のことを悪く言っていたのか、想像も容易だった。
解らないのは、何故に社長は、付き合いがある俺よりも、見知らぬ小娘の言葉を信じたのか、だ。
「悪いって思っています」
若い娘に立腹してしまった度量は、我ながら狭いと思う。
「言うだけなら簡単なんだよ!」
社長の檄は、いつだって的確ではない。
「お前はな、客を客だと思ってないんだよ!」
俺のどんな態度でそう思われたのかは、なんとなく解る。
確かに俺の接客態度は最悪だ。
でも、その態度の理由は、客を客だと思っていないからではない。
それなのに、どうして断定されているんだ、俺は。
他の可能性が想像できないのか、社長は。
「威圧して、ふんぞり返って、お前、王様じゃねえンだぞ!」
俺がいつ、威圧して、ふんぞり返ったのか解らない。
俺がいつ、王様を気取ったのか解らない。
社長が何故、こちらの言い分を尋ねてこないのか解らない。
「だいたいお前、馬小屋に毛布を持ち込んでるだろ!」
話題の展開が読めない。
寒い夜、ワラだけだと馬が凍える想いをするだろうと思って、それで確かに棲み家からは毛布を持ち込んだ。
馬小屋が持ち込み禁止だと知ってはいるが、それは火事や病気を避けるためのルールだ。
日干しした毛布ぐらい、問題ないはずだ。
「お前、ルールは破るものだと思ってないか?」
覚えているのはそこまでだった。
どうやら、俺はキレてしまったらしい。
気がつくと、社長が顔を押さえ、うめいている。
「ロウェイ、お前はクビだ!」
クビのついでだ。
社長をもう1発殴って、俺は馬小屋に向かった。
「済まねえな。俺、不器用でよ。またクビになっちまったよ。短い間だったけどよ、今まで、ありがとな」
馬の頭を撫で、抱き込む。
「最後まで面倒、見てやれなかったよ。ごめんな」
相棒は、ブルルと声をかけてくれた。
毛布は、きっと社長に捨てられてしまうだろう。
それでも相棒にかけ、俺は馬小屋を後にする。
悪いことは重なるものだ。
酒場でヤケ酒に明け暮れていたら、いつの間にやら酔っ払いに声をかけられていて、いつの間にやら会話をさせられ、いつの間にやら喧嘩をし、いつの間にやら数人を半殺しにして、気づけば何故か、俺だけが店を追い出されていた。
どうやら俺は、どこにいたって悪者扱いをされるらしい。
よろよろと家路を進み出す。
「あの、もし」
店のドアが開いた気配がして、すぐに背後から女の声がしたが、どうせ説教の類だろう。
無視して進む。
「あの、もし」
もう1度聞こえたので、振り返る。
女は、シスターだった。
暴力はいけませんなどと、解っていることでも言いに来たのだろうか。
「なんの用だ?」
「あの、私、お酒が飲めないので、酔ってはいません。そこのお店の方にお願いされて、まだ小さなお子さんに絵本を読んでいて、寝ついてくれたので、帰りの挨拶をさせて頂いてたんです」
「それがどうした」
「さっきの喧嘩を見て…」
「それで?」
「あなたが心配になりました。痛そうだったから」
「痛そうなのは、まだ店の中で伸びてる奴だ。俺じゃねえよ」
「いえ」
シスターは、少し間を置いた。
「あなたが、痛そうだったんです。ずっと我慢させられて、辛かったんじゃないかって」
被害者扱いをされたことが初めてで、驚く。
まじまじとシスターを見た。
「差し出がましくって、ごめんなさい」
女はペコリと頭を下げる。
「私、いつも、すぐそこの教会で暮しています。何もない小さな教会なんですけど、手当てぐらい、できますから」
俺の両拳は皮膚が擦り切れ、腫れていた。
冷水に浸され、包帯を巻かれる。
口元のわずかな傷も、消毒された。
「あの、なんつうか、…すまねえな」
ボソリとつぶやくように、ようやくそれだけを振り絞るように、言った。
馬以外の奴に礼を言うだなんて、慣れていないから苦労した。
「あなたは、傷つけられているんだと思うんです」
シスターは申し訳なさそうな顔をしている。
「なんで、俺がそうだと思うんだ?」
「自分の心を傷つけられて泣く人もいれば、怒る人もいます」
何を言い出すのか読めない奴もいるのだと、またもや驚かされる。
「あなたは人の気持ちが解るから、怒るんだと思うんです。嘆く感情が、怒りに変わっているんだ、とも。さっ
きの争いの後、あなたはスッキリしていないように見えました。悲しそうな顔に、なってました」
「そうだったのか、俺は」
そうかも知れない。
少なくとも、この女の言うことには説得力を感じる。
「手当て、その、…ありがとう」
いつの間にやら手当ては終わっていて、俺は教会の外でシスターの顔を見ている。
「いえ。遅い時間なのに、引き止めてしまって、ごめんなさい」
「いや、そんなこたァねえよ。ちゃんとシラフになったら、礼しに来るからよ」
「お礼だなんて、気になさらないで下さい。でも、またいらして下さいね」
「え、ああ、おう」
手当てをされたのは、拳や殴られた傷だけではなかった。
今まで蓄積されていた胸の憑き物が落ちた。
そんな清々しい気分だ。
酔って危なっかしかった足元も、今ではシャンとして、歩けている。
夜空を見上げると、月がいつもより少しだけ大きく見えた。
仕事を失ったものだから、俺は昼間から「昨日の礼だ」と称し、教会を訪れる。
本当の目的は、もっとシスターと話をしたい、ただそれだけで、会話が嫌いな俺としては珍しい。
「あら」
「おう、来たぜ」
シスターの周りには、小さな子供達がいた。
「誰ー?」
「この兄ちゃん、誰ー?」
「この方はね、私のお友達なの。ちょっと待っててね」
シスターが使った「お友達」という言葉が、心地良い。
「おう、昨日、どうもな」
「お気になさらないでって言ったのに」
くすくすと笑う仕草さえ、俺の何かを救っている気がした。
「俺よ、何か買ってこようと思ったんだけどさ、人に何かやったことなくてよ。花にしようと思ったんだけど、花瓶がどこに売ってるのか知らなくてよ。手ぶらで来ちまったよ」
「いいんですよ。ゆっくりしていって下さいな。今、お茶を煎れますね」
「いや、気にしねえでくれ。そんなことされたら、また明日、礼を言いに来なきゃならねえ」
「あら。だったら尚更です。紅茶、お好きですか?」
「おう、好きだ。いやそうじゃねえ。俺は何かタダ働きしに来たんだ。昨日の礼によ」
「いいから、子供達のお相手、お願いします」
「待ってくれ。俺ァ子供、苦手なんだよ」
訴え空しく、シスターは台所があろうと思われる教会奥に行ってしまった。
「お兄ちゃん、なんていうの?」
「おいおい、なつくなよ。名前か? ロウェイだ」
「ロウェイー、いくつー?」
「縄跳び、できる?」
「絵本読んでー!」
「うるせえな! いっぺんに喋るなよ! 絵本なんて持ってくんな! 俺ァ字ィ読めねえぞ!」
声を張り上げると、子供らはきゃっきゃと手を叩く。
昨日の小娘どもと同じようなはしゃぎようだが、不思議と腹が立たない。
「なあシスター、むかつく客と、あのガキども、どう違うんだろうな」
紅茶を馳走になりながら、どうして子供に腹が立たないのかが気になって、疑問をぶつけた。
シスターはニコリと笑む。
「それは、ロウェイさんが、心の中でしゃがんであげているからですよ。昨日のお客さんにはロウェイさん、対等に接したんだと思います。だからイライラしちゃったんでしょうね」
「そうか、昨日の小娘どもも、子供だと思ってしゃがめば良かったのか。でも、そんなの失礼じゃねえか? なんか手加減されてるみてえでよ」
「手加減、いいじゃないですか。本気で来られたらほうは、背伸びに疲れちゃいます」
「でもよ、しゃがみ続けるってもの、疲れるじゃねえか」
「その時は、そうですね。いっそ、立ち上がっちゃいましょうか」
「いいのか、素に戻っちまっても」
「ええ。たまにそうして、自分の目線に戻ってあげるんです。相手に、本当の自分を見せてあげるのも、たまには刺激になるでしょう?」
「俺にゃあまだ、よく解らねえや。バカだからよ」
人間相手なのに、こんなに喋れるのかと、我ながら意外だ。
この日はガキどもと一緒に夕飯まで喰わせてもらい、帰宅する。
明日も「昨日の礼」が必要じゃねえかと、帰り道で独り言をつぶやいた。
昨日の礼は何だかんだと結局、毎日言いに来るようになっていた。
雨漏りをする天井を直せば果物を貰い、ガキどもの相手をすれば紅茶を出され、夕飯時だと質素ながらも食事を馳走される。
おかげで、礼を言い足りない。
「なんだか、あんたには貰いっぱなしだ」
「私も、ロウェイさんからは色んなもの、いっぱい頂いていますよ」
「そうなのか? 何もやってねえぞ、俺ァ」
「元気、貰っています」
「そうかなあ。あんたは、俺がいなくても元気だと思うんだけどなあ」
「そんなこと、ないですよ。私、ロウェイさんが来てくれるようになって、笑う回数が増えました」
「ホントか」
人が喜んで、自分まで嬉しくなるなんて、また1つ思い知ってしまった。
「なあ」
前々から気になっていたことがあって、俺は尋ねる。
「あんた、いい人いないのかい?」
「恋人、という意味ですか?」
「おう。あんた、器量もいいし、優しいじゃねえか。男が放っておくわけねえだろ」
するとシスターは、ころころと笑った。
「私、神様に仕えていますから、そういうのはないんです」
「あ、そうか。そうだったな。あんた俺に聖書なんて読まねえし、すっかり忘れてた」
「お望みとあれば、読みますよ?」
「いや、勘弁してくれ。眠くなっちまう」
2人で笑い合う。
神様がライバルか。
などと洒落たことを考えて、俺は内心で慌て、その想いをかき消した。
俺みたいな無粋な奴に言い寄られても、困るだけだろう。
「さてと、そろそろ帰ェるわ。今日も邪魔しちまったな」
「とんでもないです。いつでも邪魔しに来て下さい」
「邪魔って言い切られるのも嫌だな」
「あはは。そうですね。ごめんなさい」
「いや、いいって」
そこでふと、口元に添えられたシスターの手に違和感を覚える。
手の甲に、赤紫のアザがちらと見えた。
「どうしたんだい、その手」
「ああ、これですか。いつの間にか。どこかでぶつけたのかしら」
「いけねえなあ、気をつけねえと。あんたに何かあったら、ガキどもが泣くぜ。じゃ、帰るわ。お大事にな」
「はい。ありがとうございます。みんな、ロウェイさん、お帰りになるわよ」
子供達の集合は、もはや毎日の儀式だ。
「ロウェイー! また明日ねー!」
「ばいばーい!」
「おう、また明日な、ガキども」
1人1人の頭をくしゃくしゃと乱暴に撫で、家に向かう。
月が、またさらに大きく見えた。
崖の側面を掘り抜いた横穴に、俺は住んでいる。
人と会いたくない頃に、俺はこんな素っ頓狂な棲み家を作った。
木の板を外し、洞窟のような我が家に入る。
「シスター、びっくりするだろうなあ」
俺は気味悪くニヤニヤ笑って、今夜も唯一の特技を振るった。
キャンパスに、絵の続きを描き始める。
普段から世話になりっぱなしだというのに、俺には物を買う金も尽きている。
プレゼントといったら、俺には絵を描くことぐらいしか思いつかない。
下書きはもう出来ていて、あとは色を塗るだけだ。
教会の前に、ガキどもと、シスターと、俺が立っている。
買ってやれなかった花を、ここぞとばかりに周囲に咲かせた。
「喜んでくれるといいなあ」
そうだ。
3日ばかり教会通いを我慢して、さっさとこいつを完成させちまおう。
その思いつきは、俺を少し寂しい気持ちにさせたが、時間の先行投資だと割り切った。
俺は腕をまくる。
絵が完成した日、俺は熱を出していた。
体温を計る物がないからどれだけの熱なのかは解らないが、おそらく高い。
いつの間にやら、手にはシスターと同じような赤紫のアザができていて、それは日に日に少しずつ大きくなっているように思えた。
最近、他にもおかしなことがある。
月が徐々に大きくなっているのも、考えてみれば不自然なことだ。
地面も、たまに揺れるようになった。
どれもこれも、初めての現象だ。
耳鳴りがするのは、気圧に何かしらの変化が起こったということだろうか。
表からは、どこか遠くでゴーっと、濁流のような重低音が聞こえる。
心なしか、体重が軽くなったり、重くなったりと、毎日一定のリズムで変化する。
その変化は微妙に、やはり日が経つにつれ、重量の幅が大きくなっている気がした。
絵の完成からさらに1週間。
俺は寝込みながら、街で聞いた2つの噂を思い出していた。
流行り病のこと。
天変地異のこと。
手のアザはもはや両手両足に現れ、体の中心に向かって進行している。
どうにか身を起こして、よろめきながら、俺は出入り口の板を外した。
表に出て、俺は息を飲む。
「マジかよ」
月が、大き過ぎる。
もうすぐ落ちてくるんじゃないか思えるほどに、月は夜空の数割を支配していた。
もはや眩しいぐらいで、色は黄色ではなく、灰色に変色してしまっている。
天変地異だ。
もうじき、とんでもないことが起こる。
こうなってしまっては、誰でもそう確信するだろう。
地面が小刻みに震え、轟音もどこかで鳴っている。
熱で朦朧とする意識を奮い立たせ、俺は街に向かって、よろよろと歩き出した。
「シスター、いるかー! おーい! ガキどもー!」
教会の中には人影はない。
「どこだー! おーい!」
叫びながら、ドアを開けて回る。
そこで俺は、「なんてこった」と言わずにはいられなかった。
1番奥の部屋は、子供達の部屋だった。
2段ベットが並んでいて、その全ては埋まっている。
「なんてこった。マジかよ。なんてこった」
ガキどもはみんな、全身を赤紫にさせ、息絶えていた。
部屋の奥には椅子があって、シスターが座っている。
顔が、肌色ではなかった。
抱いている子供は、もう息を止めてしまっているのだろう。
「おい、シスターよお! 大丈夫か! おい! なあ!」
肩を揺さぶる。
ゆっくりと、彼女は目を開けた。
「ロウェイ、さん…?」
「おう、俺だ! 大丈夫かよ!」
「わ、たしは、だいじょう、ぶ、です…」
「くっそう! なんてこった! ガキどもが…! みんな…! あんな元気だったじゃねえかよ!」
「ロウェイさん、会えて、嬉しい」
ベットの1つ1つを確認していると、シスターは「子供らは、天に召されたんですよ。神様に守られたんです。だからロウェイさん、悲しまないで」と、途切れ途切れに言った。
その目は、俺がいない方向を見つめている。
シスターの目は、見えなくなっていた。
「そんなの、俺は納得できねえよ!」
涙でぐしゃぐしゃになりながら、俺はシスターから子供を奪い、小さな亡骸をベットの中に寝かせる。
シスターを抱きかかえ、外に出た。
月が近いせいか、病のせいか、シスターの体は驚く程に軽かった。
「あんたに、見せたいものがあるんだよ。ごめんな。遅くなって、ごめんな」
いくら彼女が軽いとはいえ、俺は俺で衰弱している。
それでも、シスターが目を閉じたら2度と目覚めないような気がして、俺は声を張り上げ続けた。
「俺よ、驚かそうと思って内緒にしてたんだよ。ごめんな。もっと早く言えばよかったよ」
「なに、を、内緒、に…?」
「俺、俺よ、絵、描いたんだよ。あんたと、ガキどもに見せたくってさ。ごめんな。俺、遅かったよ」
「絵、描くんですか、ロ、ウェイ、さん」
「おう! もう完成したんだ!」
シスターの目は、もう見えていない。
それは解っている。
抱きかかえた時も、彼女の目は俺を追ってはいなかった。
それでも、俺はみすぼらしい洞穴のような棲み家に、シスターを連れていきたかった。
絵を、どうしても見せたかった。
地鳴りが激しくなり、ドラゴンの咆哮を思わせるような音も徐々に迫ってきている。
自分のふらつく足を、ずるずると1歩1歩、ゆっくりと前に進ませる。
その前進は沈もうとする夕日のように遅く、微々たるものだ。
街道はまだまだ、めまいがする程、遠くまで伸びていた。
「もう、ちょっとだけ、辛抱な」
「ロウェイさん。少し、休みましょう」
「駄目だ。俺は大丈夫なんだ。待っててな」
息が切れ、視界がぼんやりと歪み始める。
とうとう、俺は震える地面に膝をついてしまった。
神様よ、あんまりじゃねえか。
あんたに仕えたこの人だけでも、せめてどうにか、幸せな最後を迎えさせてやってくれよ。
今まで祈らなかったのは謝るよ。
俺ァどうなってもいいからよ。
だから、頼むよ、神様よ。
生まれて初めて、神に乞う。
涙のせいか、病のせいか、視界がさらにぼやけた。
「頼むよ! 神様よォ!」
魂からの咆哮はしかし、謎の轟音の中へと消える。
シスターを地面に下ろし、息を整える。
地面の揺れは収まるどころか、さっきよりも大きくなっていた。
遠くから、さらに別の地響きが近づいてくる。
懐かしいリズムで、地面が脈を打った。
遠くから、何か来る。
涙を拭って、目を細める。
「相棒!」
蹄の音が力強い。
先日まで一緒に働いていた、馬車を引いていた、あの馬だった。
寒い夜には毛布をかけ、毎日声をかけていた、年老いた、俺の相棒だ。
「来てくれたんだな、ありがとな。神様よ、ありがとな」
最後の力を振り絞るかのように、俺は再びシスターを抱きかかえ、相棒の背中に乗せる。
俺もまたがって、相棒の首筋を撫でた。
「俺からの、最後のお願いだ相棒。今日も踏ん張ってな」
ささやかな我が家に着くとシスターをベットに横たえ、キャンパスを近くまで運ぶ。
油の絵の具はもう固まっていた。
俺はシスターの手をそっと持ち上げる。
「さあ、見てくれ。俺が描いた絵だ」
俺の赤紫の手が、シスターの赤紫の指を取り、導く。
「これが教会だ。ほら、屋根も直ってるだろ。こいつがガキども。顔はな、みんな今の俺達に向かって、笑ってる。で、これが俺で、これがあんただ」
説明しながら、俺は泣いた。
せいぜい悟られないよう、声の震えを抑える。
「前に俺、花を買ってこれなかったじゃねえか。だから、教会の周りに咲かせたんだ。黄色いやつと、オレンジの花だ。あんたみてえな、太陽みてえな色にした。いっぱい咲いてるだろ」
シスターは弱々しくもしっかり、微笑んでくれた。
「こんなに、綺麗で、暖かい絵、初めて」
「そうか。気に入ってもらえて、嬉しいよ」
「ロウェイさん」
地響きの音や、謎の轟音のせいで、彼女のか細くなった声が聞き取りにくい。
一言だって聞き漏らしてなるものかとばかりに、俺はシスターの口元に耳を近づける。
「なんだ?」
「私、実は、ロウェイさんに、隠していることが、あるんです」
「なんだ、どんなことだい」
「私が病気で、頭がおかしくなったなんて、思わないで下さいね」
「当たり前だろうが。信じるぜ」
「良かった…」
そう言って、彼女は長い話を始めた。
「実は、私も、子供達も、この世界の人みんな、ロウェイさんのこと、騙していたんです。ロウェイさんが生まれてから今までに知ったことって、全部嘘なんですよ」
最初は、何を言っているのか解らなかった。
黙って、俺は彼女の言霊の続きを待つ。
「この世界、全部が嘘なんです。ロウェイさん1人を騙すための、偽物の世界なんです。人間は、本当は、ロウェイさん1人だけなんです」
「じゃあ、あんたは人間じゃないのかい」
「そうなんです。神様が、ロウェイさんを騙すようにって」
「なんでまた」
「ロウェイさんは、実はまだ産まれる前なんです。産まれる前に、ロウェイさんに試練を受けてもらっていました。今までずっと」
「試練?」
「そうです。これに合格したら、ロウェイさんは改めて本物の世界で産まれるんです。ロウェイさんは優しい人だから、絶対に合格します」
「そりゃ、ありがてえな」
「これ、内緒ですよ、神様には。私が打ち明けたって、誰にも言わないで下さいね」
「おう。約束する」
「私はもうすぐ死んじゃいます。でも、それも、神様が書いた台本ですから。嘘の世界のことですから」
「おい、待てよ」
「悲しまないで下さいね。私は、本当は死にません。この世界は登場人物が多いから、1人で何役もこなすんです。今のこのシスター役が死んでも、私はちゃんといますから。また別の誰かになって、ロウェイさんの前に現れます」
相槌が打てなかったのは、信じていないからではない。
涙で、声が出せないのだ。
「他の役になったら、私はロウェイさんに、試練のこととか、今の私のこと、絶対に知らないフリ、しちゃいます。もしかしたら、ロウェイさんを怒らせちゃう役かも知れません。でも、もしそんな人が現れても、その人は、私かも知れないから、ぶたないで下さいね」
何度も何度も、俺は頷いた。
「私、この後、神様にお願いしてみます。ロウェイさんが恋するような女性の役になりたい、って。できれば、神様に禊を捧げていない役。そしたら、私、ロウェイさんに、お嫁さんにしてもらいたいです」
どうにか返事をしなくては。
一緒に住もうな、と。
今度はちゃんと働くし、穴にも住まねえ。
喧嘩もしないし、腹も立てねえ。
ぶっきらぼうな性格も直すよ。
約束しようと、口を動かそうとする。
それでも先に喋ったのは、彼女だった。
「好きですよ。あなたが。私、あなたに会えて、よかった」
シスターはそして、ゆっくりと瞼を閉じる。
安らかな寝顔のようなその顔は、やはり赤紫に染まっているけども、俺には最高に綺麗で、何よりも偉大に見えた。
もはや聞こえてはいないであろう彼女に、囁く。
「おう。俺ァまた、あんたを好きになるよ」
このまま世界は、1度終わるのだろう。
そんな気がした。
大洪水が起こり、大陸を全て飲み込むかも知れない。
1つだった大陸は、バラバラに砕かれるかも知れない。
バベルタワーは崩れ去り、箱舟と呼ばれる移動式シェルターが役に立ち、人類がいつか再び繁栄するかも知れない。
高速で移動した大陸はやがて速度を落とし、水が引いた後の世界には洪水伝説だけが残るかも知れない。
もしかしたら「1夜で消えた幻の大陸」なんて言い伝えが、どこかで語られるかも知れない。
例えばそんな時代が来たとしても俺は、決してこの手を離さない。
March 15
<だから死神はフードを被る>
さらった女が死神だった。
いやマジでだ。
うっかりしましたとか、そういうノリじゃ済まされない。
犯罪者が人間失格なのだとしたら、僕なんざ犯罪者としても失格である。
スタッガーリーの1人娘を誘拐すべく、小心者にも実行可能っぽい計画を立て、ガクガク震えながら待ち伏せをした。
やってきた若い女の人に、僕は声をかける。
「おおお、お父さんが大変なんです!」
声が上ずったのは演技ではなかった。
「とにかく大変なんで、行きましょう!」
我ながら芸術的なテンパり具合だ。
娘はというと、ものの見事に全く動じていない。
「お前は何か勘違いをしている」
冷静な声色だった。
「勘違いじゃないんです! あなたのお父さんが、もう大変なんです!」
「大変なのはお前だ。私に父がいるのか?」
「いるじゃないですか! いやここにはいないけど!」
「どこだ」
「こっちです!」
娘の手を引こうと手を伸ばす。
彼女はそれを、すっとかわした。
「触るな。案内してもらおう」
最近の若い女の人は、王様みたいな喋り方をするのだなあ。
足の震えや胸の鼓動を抑えながら、ぼんやりとそんなことを思った。
隠れ家に到着してする最初の仕事は、ドアに鍵をかけることだ。
次の仕事は、謝ること。
「ホントすみません! 実は、お父さんが大変というのは嘘、ってゆうか。ええ。でもあの、ここでしばらく、人質になって下さい! 危害とかは加えないんで、お手数ですがお願いします」
「私に父がいるというのも、嘘なのか?」
不意を突くような質問をされ、言葉に詰まる。
「え?」
「2度言わせるな。私に父がいるというのも、嘘なのか?」
「え?」
問いの意味が解らない。
スタッガーリーの娘は、どうして父親を存在から疑っているんだろう。
椅子に腰を下ろし、足を組んで落ち着いている態度も、人質の様子にしては不自然だ。
「あの、スタッガーリーさんの娘さんですよね?」
恐る恐る訊ね返すと、娘は何かしらを察したような顔をした。
「そういった本人確認は、最初にするべきだ」
ですよねー。
ってゆうか、しまった!
と、心の中で絶叫する。
背筋に嫌な汗が噴き出し始める。
僕は、誘拐する相手を間違えていたらしい。
スタッガーリー家とは無縁無関係の、赤の他人をさらってしまった。
「ホントすみませんでした! 人違いでした!」
目覚しいスピードで、僕は腰を直角に曲げる。
どう詫びたらいいのか分からないが、こうすることしか思いつかなかった。
「人違い、か。確かに私は人とは違う」
不思議な発言に顔を上げる。
僕はそこで、とんでもないものを見た。
「おうわあ!」
思わず発した奇声と同時に、後方の床に尻をつく。
目を疑えば疑うほど、自分の視力の良さを呪った。
「どうだ。『人違い』であろう」
ガイコツだ。
椅子に腰掛けた骨が、なんか言ってる。
さっきまで若い女性だったはずが、いつの間にか白骨に姿を変えていた。
理科室に置いてあるような模型なんかじゃない。
膝の上で両手の指を絡ませて組んだ。
動いてる。
「これが私の本当の姿だ」
骨が声を発した。
本当の姿とかって、いきなり簡単に見せてもらえるものなんだ。
と、驚愕とは裏腹に呑気なことを考える。
「ももも、元の姿にもどもど、戻って下さい」
どうにか口を動かす。
ガイコツはすぐに、さっきの娘の姿に変化した。
「デザインとしては人間と同じなのに、怖いのか」
同じっちゃあ同じだけど、人が骨だけの姿になるには、まず死ぬことから始めなきゃいけないわけで。
そう冷静に返したかったけれど、僕の心は落ち着いてなんていられない。
「あああ、あんた、なんなんですか!?」
「死神だ」
ここでもやはり、「ああ、死神だったんですか。それで納得」だなんて返せなかった。
「死神って…」
「その通称は人間が勝手につけただけだ。私は別に、死の神様というわけではない」
だったら安心。
だなんて思えるものか。
「両親の記憶なんて無いからな。私がどうやって生まれたのかは知らない。そこでお前が父の存在を思わせるから、興味を持って来たのだが」
「ホントすみません!」
「嘘だったわけか。それはいけないな」
「ホントすみません!」
ここまで「ホントすみません!」を連呼するのも珍しいけども、他に言葉が出ないのだからしょうがない。
死神とは具体的に何なのか、正体が骨って以外に、他にどんな能力や特徴があるのか、知りたいなとは少しは思ったが、正直な気持ちとしては、帰って頂きたい願望のほうが強い。
「ホントすみません! でも、あの、人違いだったんで、お引取り願えないでしょうか…?」
「そうはいかない。常々、獲物の生態や常識について知っておきたいと思っていたからな。しばらくはお前を観察することにした。だから私はお前の魂を喰わず、正体を明かし、嘘をつけないようにもしておいた」
「ええ」
あまりに当然のように言われたので、思わず相槌を打ってしまった。
えっと、どこに突っ込むべきだろう。
獲物って言いました?
俺の魂を喰うとか何とかって、どういうことですか?
嘘がなんだって?
「お前が私の質問に正確に答えられるよう、まずは私の事情を覚えてもらうことが必要だな。前情報として、知識を持っておけ」
なんか勝手に仕切ってる。
「死神が他の生物と最も異なる点は、食事にある」
どうやら帰ってはくれないようだ。
「普通の生物は有機物を捕食し、エネルギーを得て、血肉に変換させるが、死神は違う。喰うのは魂だけだ。肌と肌が触れ、離れた瞬間に食事を自動的に開始する。しばらくは、素手で私に触るな」
用が済んだら触ってもいいと解釈できる。
「あの、魂を喰われてしまうと、どうなるんですか?」
「知らん。魂を喰われたことがないからな。私は」
ごもっとも。
「ただ、少なくとも死体は残る。抜かれた魂は私の一部になるわけだから、もし死後の世界があるならば、喰われた魂はそこに行けないだろう」
ただ死ぬってだけでも嫌なのに。
「物質的な肉体があるのに食料が霊的な物であるという点が、死神の特色になるわけだ。摂取時には直に対象に触れなければならない。そのために必要な能力が、今お前が見ている擬態だ」
僕がもう帰ってしまいたい。
「催眠術の一種だ。こちらが想定する姿形を、相手の脳に直接認識させる。この声も、私が実際に喋っているわけではない。喋ろうにも、私には声帯がないからな」
要するに「娘に見えるけどホントは骨で、人間のやり方で喋ろうとしたらカタカタ鳴るだけですよ」ってことか。
「魂は、人間の物が1番だ。動物の魂を喰うことも可能だが、それらはいくら摂取しても満たされない。だから私は人間の街を点々としているのだが、今のこの姿、初対面でいきなり人に触れることに適しているか?」
突然の質問に戸惑う。
柄の悪い大男や、酷く顔色の悪い亡霊みたいな風体だったら警戒されてしまうだろうけども、今目の前にいるような若い女の姿だったら、そりゃちょっとは相手の地肌に触れる確率が上がるかも知れない。
でも、そのことを教えたら、犠牲者が増えてしまうではないか。
「いやあ」
犯罪者失格ついでだ。
僕は口を開く。
「もっとこう、髪を振り乱して血の涙を流しながら、やたらシャカシャカと動く、機敏な老婆のほうがいいと思います。嘘だけど」
応え終えた瞬間「あれ?」と、つぶやく。
可笑しそうに死神が笑った。
「そうか。この姿は駄目か」
「え。ええ、そうですね。良くないです。嘘だけど」
「ではしばらく、このままの姿で行動するか」
納得されちゃった。
そもそも僕は、どうして嘘を嘘だと自分から暴露しちゃっているのだろう。
死神は、何事もなかったように続ける。
「どうしてこの姿が良いのか、他にはどんな姿が警戒されずに済むのか、そういった法則を私は知らない。しばらくお前に憑いて、人間を間近で研究させてもらう」
「あの、それはいいんです。嘘だけど。あれ? まただ。なんで勝手に…」
「お前はもう、嘘を言えない。正確には、嘘を言うことは出来るが、直後にそれが嘘だと自供してしまう」
「なんですって!?」
「2度言わせるな。自分の身で体験済みだろう。暗示の一種だ。この擬態が『脳の思い込み』を利用しているように、私はそういった暗示をかけることに長けている。お前はいきなり私に嘘をついたからな。それでは困るので、術をかけた」
あっさりと重大なことを告げられる。
嘘を言うと、勝手に口が動いてしまうだなんて。
そんなバカな。
思いつくままに嘘を並べ立てて、確かめることにした。
「僕は大統領だ。嘘だけど。あ、ホントだ。昨日は空を飛んでハトとスピードを競った。嘘だけど。ああ、やっぱり! くっそう。僕は今まで嘘をついたことがない! 嘘だけど。駄目か! ええい! お前のことが大好きだー! 嘘だけど。ああッ!」
「落ち着け」
「元に戻して下さい!」
「駄目だ」
「そうですか」
これでは誘拐をやり直そうにも確実に失敗してしまう。
さらわれる側だって、いきなり知らない男に「お父さんが大変なんです。嘘だけど」なんて告げられた日には、リアクションに困るだけだ。
僕はがっくりと地面に両手をついた。
死神が、椅子から立ち上がる。
「お前は普通に生活するだけでいい。私は時に質問をするだけで、お前の邪魔はしない」
それを聞いて僕は「ああ」と言い、さらに首を地面に向け、曲げた。
隠れ家と称した小屋を出て、街に戻る道を行く。
腹が立つぐらいに天気が良い。
強い日差しが、僕と死神と、木々と小鳥とをまんべんなく照らしている。
死神はずっと僕の横を歩いているから、知らない人が見たら、健全なデートに見えるかも知れない。
僕に恋人や奥さんがいなくて良かった。
それにしても死神だなんて。
僕は溜め息をついた。
今でも信じられない。
効率良く人の魂を喰らうために人間を研究するだなんて、僕のいないところやってほしい。
だいたい、こいつはいつまで僕に付きまとう気でいるのだろう。
用が済んだら、もしかして僕は喰われてしまうのだろうか。
そんなの、めちゃめちゃ嫌だ。
ってゆうか、今が夏休みで良かった。
常に若い女性が隣にいるこの状況は、とてもじゃないけど皆に説明できない。
あと、誘拐も諦めなくちゃ。
色んなことを考えているうちに、僕らは街に辿り付いていた。
「ああ」
数度目になる溜め息が自然と漏れる。
「これから、どうすればいいんだ…」
「2度言わせるな。お前は普通に生活をすればいい」
「その普通の生活っていうのは、いつも女の人と一緒だと、何かと困るんだよ。誰かに君のことを聞かれたら、なんて応えたらいいの…」
「当たり前のことも言わせるな。そんなことはお前の采配でやれ」
「嘘も言えないのに!?」
「ある程度なら、私が話を合わせてやる」
「つまり、嘘を言えるように戻してはくれないんですね…」
取り合えずは便宜上ということで、僕は死神のことをエリーと呼ぶことにした。
安直な命名だったけれど、でも、とてもじゃないが「死神さん」とは呼んでいられない。
そんなの、誰かに聞かれたら困ってしまう。
そのことを告げたら、エリーは「そうか。エリーか」とつぶやいた。
「名前か。ふむ。人間から魂以外のものを貰ったのは初めてだ。そうか、エリーか」
喜んでくれたらしい。
街は今日も賑わっている。
出店に並んだ果実に足を止める者、通りを徐行して人波に気を遣う馬車、設置されたベンチで煙草を吹かす者。
僕の心情とは裏腹に、平和な光景だ。
「1つ疑問があるのだが」
エリーが腕を組んだ。
「お前は最初、私を誰かと間違えていたな。誰と間違えたんだ?」
「それはその、えっと、人さらいになろうと思ってて」
「何故だ。習慣なのか?」
「そんな日常であってたまるか!」
人に聞かれては困る会話になりそうだ。
僕はエリーを連れて、そそくさとアパートの自室に引き篭もる。
「実は僕は、小学校の教師なんだ」
「ほう。それが何故、誘拐犯に転職を?」
「転職じゃない!」
喜劇とかで、こういう取り調べがありそうだな。
なんて思いながら、僕はエリーに誘拐の動機を話す。
僕の父親には夢があって、最初は町外れに小屋を作り、そこで塾のような活動をしていた。
さっき僕が隠れ家として利用した小屋が、それだ。
親父は昔から、子供のことが大好きだった。
「子供にとって、親の次に出会う大人はな、先生なんだ。だから先生は、人間の見本でいなくちゃいけない」
親父の口癖だ。
念願を叶えて、今では小学校を設立し、親父は子供達の将来を助けている。
息子としては誇らしくって、少しでも手伝おうと、僕はそれで教員になった。
小学校を建てるにあたって、親父は借金をしていた。
富豪で有名なスタッガーリー氏が、金を貸してくれたと親父は喜んでいた。
担保は、小学校の土地だ。
土地は元々、祖父が遺してくれたものだった。
「なるほど」
エリーが頷いた。
「その金貸しが、お前の職場の土地を欲しがった、というわけか」
察しが良い。
その通りだった。
スタッガーリーは様々な嫌がらせをして、親父の建てた小学校の株を下げた。
あらぬ噂を流し、放火まがいのボヤを起こし、通学路に馬車を走らせ、生徒の身まで危険に晒した。
「おたくの学校に息子を通わせるわけにはいきませんので」
そう判断する保護者が増えたのも必然だ。
このままでは学校が潰れてしまう。
借金が返せないことで、土地がスタッガーリーの物になってしまう。
僕は両拳を握る。
「親父がさ、黙って、汗流してさ、焼けた教室を片づけてたんだ。それ見てたら、スタッガーリーがどうしても許せなくなって」
「群れを作って生きる種族らしい発想だな。それで、金貸しの娘を誘拐して、身代金を入手し、手っ取り早く職場を救いたいわけか」
「身もフタもない言い方だけど、その通りです。裁判を起こしたんだけど、スタッガーリーは口が巧くて、どうしても勝てないし…」
「サイバン? ああ、あの豪華な口喧嘩のことか」
「まあ、そうとも言えます。お?」
玄関の方向から、ノックの音がした。
珍しいことに、来客だ。
「エリーはここにいて下さい」
部屋に死神を残し、玄関を開ける。
「先生」
「なんだ、お前らか」
生徒達だった。
今まさに学校の話をしていたところに、奇遇なことだ。
子供らは3人で来ていて、それぞれが神妙な顔つきをしている。
「どうしたんだ? 遊びに来たなら、僕は忙しいから駄目だぞ」
「うん…」
様子がおかしい。
僕はしゃがんで、目線を低くした。
「どうか、したのか?」
「先生、あのさ」
「うん?」
「学校、なくなっちゃうって、本当?」
どうやら、子供達の間でも噂になっているらしい。
僕は精一杯、優しい表情を作った。
「誰がそんなこと言ったんだ。学校がなくなるわけないだろう? 嘘だけど。げえ!」
しまった!
僕は今、嘘がつけないんだった。
生徒達は3人同時に、「え?」というような顔をする。
「違う違う! 違うんだ! 今のはな、そういう意味じゃなくって」
「うん? えっと、どういう意味?」
「つまりな? 学校がなくなるなんて話が嘘だってことさ。嘘だけど」
「え?」
「いやだから、学校は大丈夫なんだ。嘘だけど。違う! 嘘じゃない! 嘘だけど。いやいや、嘘なのは僕が最後に『嘘だけど』って言ったことが嘘なんだ。嘘だけど。くっそう!」
「先生?」
「エリー! 今だけでいいから解除してくれ!」
「エリーって、誰か来てるの?」
「いや、ああ。そうなんだ。先生の妹がな。嘘だけど。どちきしょう!」
「どっち? ってゆうかさ、先生。もしかして、学校がなくなるって、本当なの?」
「そんなことはない! 嘘だけど。いやいや、分かった! 本当のことを言おう! 僕に困った質問をしないで頂きたいと、僕は今思っている!」
「なんでそこで自分発見するんですか先生」
「僕もそう思った。まあ、落ち着こうじゃないか」
「先生だけだよ、取り乱してるのは」
「全くだ」
咳払いをして、誤魔化す。
「ところでお前ら、そんな話、どこで聞いたんだ? クラスのみんなも、もう知ってるのか?」
「うん。知ってる。学校にお金がないから、潰れちゃうんだってみんな言ってる」
「マジか」
「マジ。大通りで今、ユニー達が募金活動してるし」
「なんだって!?」
駆け足で街に出ると、エリーも当然のように着いてきた。
人込みの隙間を縫って進む。
まだ声変わりをしていない、幼い大声が耳に入ってくる。
「募金をお願いしまーす!」
「僕達の学校が、なくなろうとしています! 募金をお願いしまーす!」
「お願いしまーす!」
男子も女子も、声が枯れていた。
ずっと、叫んでいたのだ。
普段無口のテフラも、いじめっ子のレレイも、ガリ勉のロークスも、必死になって、声を張り上げている。
親父が黙ってボヤの残骸を片づけているのを見た時と、同じ感覚に陥った。
目頭が熱くなり、動悸が早まる。
子供達が、叫んでいる。
自分のため。
学校のため。
声をガラガラにして、叫び続けている。
お前達も、親父が作った学校を、好きでいてくれたのか。
「エリー、ああいうのを見て、どう思う?」
「群れを作らなければ生きていけない種族特有の発想だと思う」
「そうか。人間は、違う考え方をするんだ」
「ほう」
「僕は決めたぞ」
「何をだ?」
「僕はさっき、訪ねて来た教え子達に嘘をついて、それを嘘だと言ってしまった」
「あれは面白かった」
「あの『嘘だけど』の部分を、僕はこれから嘘にする! 世界初、嘘をつかない泥棒だ!」
「何を言っているのか解らん」
「学校を守るんだ」
「どうやって?」
「スタッガーリーの家に侵入するんだ。金か、土地の権利書を盗む」
エリーはそれで、「発想が成長していないな」とだけつぶやいた。
深夜。
僕はスタッガーリー邸の堀を乗り越える。
運動神経には自信があった。
本来は骨だけだからか、エリーも身軽で、平気で僕に着いてくる。
番犬の類はいなくて、僕は1階の窓を枠ごと外し、屋敷に潜り込む。
素人の僕が簡単に侵入できるだなんて話が上手過ぎると少し心配に思ったけど、実際はこんなものなのかも知れない。
空き巣は普通、主人の留守を狙うものだそうだ。
だけれども、犯行時刻に寝静まった夜を選んだのはベタ過ぎて、案外正解なのかも。
だったらいいな。
不安を押し殺すための思案に暮れつつも、僕はランタンに火を入れて、それっぽい部屋の発見に努める。
最初に開けたドアがトイレで、エリーに「そういう用は先に済ませておけ」と誤解をされた。
富豪だけあって、屋敷は想像以上に広い。
あと、暗くて怖い。
エリーがいてくれて、心強い気がすることが救いだ。
初めての泥棒は不安で不安で、見取り図の用意がないことや、金庫の開け方を知らないことを思い出し、僕はずっと手に汗をかいていた。
下ごしらえといえば覚悟を決めたことと、簡単な工具や明かりを用意したことぐらいで、早くも失敗の予感がする。
下手したら、スタッガーリー氏本人の寝室を開けてしまうかも知れない。
そうなったら、「部屋を間違えました」と謝るしかないだろう。
屋敷について、何の知識も下ごしらえもないことに、僕は廊下の途中で思い知ることになった。
「おい、お前ら! 何してる!」
警備員が雇われているとは、思わなかった。
明かに腕っ節の強そうな体格の良い男が、ランプを床に置き、腰の棒を抜く。
首から下げた笛にも、手は添えられていた。
きっと、あれを吹かれたら、わさわさと人が集まるに違いない。
「あ、あ、いいぇ。違うんです」
リズミカルにどもり、僕は何がどう違うのかといった説明を綺麗に端折る。
助けを求めるように、エリーを見た。
いや駄目だ。
いくらピンチといえど、警備員の魂を食べさせるわけにはいかない。
どうしよう。
「エリー、どうしよう」
小声で囁く。
エリーはやはり、冷酷だった。
「当たり前のことを言わせるな。自分の采配でやれ」
マジでか。
いや、でも、僕にはこんな場面で役に立つような特技がない。
情けない話だけど、エリーに頼るしかないのだ。
覚悟ならもう、決めてきた。
僕は覚悟をしていたんだ。
思い出せ。
1人黙々と学校を整備していた親父、街頭で声を張り上げていた生徒達のことを思い出せ。
「エリー、頼み、いや。取り引きだ」
警備員が棒を構え、こちらに歩み寄ってくる。
「誰も殺さずに、僕を助けてくれ」
「そしたら、何をしてくれるんだ? お前は」
「僕の魂をやる。盗みが成功したら、僕の魂を食べていい」
「動くな!」
警備員の怒声が、横槍になった。
「エリー、頼むよ」
「お前は愚か者だ」
エリーは無感動に言う。
「その取り引きは成立しない。お前が失敗しようが成功しようが、魂を喰う喰わないは、私が自由に決めることだ」
「何を話している! お前ら、後ろを向いて手を頭の上に組め!」
絶望感で、僕の頭がいっぱいになる。
「エリー」
ワラにもすがる想いで、僕は死神の顔を見つめた。
なんて冷たい表情をしているんだろう。
見た目は若い娘なのに、なんて人間味のない顔つきなんだ。
「あ!」
この、今のエリーの顔だ。
これを利用できるじゃないか。
この場を切り抜ける最高の閃きが、僕に降りてきた。
「警備員さん」
間合いを縮めるようにこちらに近づく大男に、僕は笑顔を向けた。
「彼女をよく見て下さいよ」
僕自身、最初に見間違えたぐらいだ。
間違いない。
エリーは、スタッガーリーの娘そっくりなんだ。
これで警備員をやり過ごせる。
「彼女、スタッガーリーさんの娘さんですよ。嘘だけど。僕は、こちらのボーイフレンドでして。嘘だけど」
僕今、会心の作戦実行中、合間合間で何か言った?
「嘘を言うな!」
警備員の人が、すっごく怒った。
それにしても「嘘を言うな」なんて、失礼な話だ。
僕は今、それをやろうとして失敗したのに。
大男が、さらに決定的な事実を怒鳴る。
「確かに似ているがな! お嬢様はこないだ心臓麻痺で亡くなったばかりだ!」
「なんですって!?」
「そう言えば、今の私の容姿なんだが」
エリーまでもが、僕に驚愕の真実を告げる。
「先日喰った娘の姿なんだ、これは」
「マジで!?」
「うむ。亡骸の持ち物を調べたらな、馬車の切符があったから、それを使ってこの街に来た」
「お嬢様の名を語るってこたァ、お前ら…」
ピーと、小鳥の断末魔のような高音が鳴り響く。
警備員が、警笛を吹いたのだ。
いよいよ、お終いだ。
警備員や用心棒達がぞろぞろと、ある者は眠気に耐えるような目で、ある者は飛び起きたかのように駆け足で、廊下に集まる。
僕らは、完全に囲まれてしまった。
誰かが点けたのだろう。
廊下のランプが灯っている。
サーベルやら木製の警棒が、僕とエリーに向けられた。
「困ったな」
エリーがつぶやいた。
「このままでは、私まで攻撃されてしまう」
彼女はそして、僕だけにしか聞こえない小声になる。
「私がいいと言うまで、私を見ないようにすることを勧める。行くぞ」
どこに?
そう聞き返そうとエリーに視線を向けた瞬間、世にも恐ろしいものを、僕は目の当たりにしてしまった。
廊下が静まり返る。
僕だけではない。
本当に怖い時っていうのは逆に、何も声が、悲鳴でさえ出せない。
息を吐けるのに、吸い込めない。
警備員や用心棒が、顔にある穴の全てを最大まで広げ、固まっている。
僕もきっと、同じような有り様だったに違いない。
1人はガタガタと震え、武器を落とした。
1人は尻餅をつき、失禁した。
1人は思い出したように絶叫し、這って逃げようとジタバタしている。
誰もが、それぞれの表現で、恐怖心を最大限に表していた。
「さ、逃げるぞ」
僕の隣にいる恐ろしい者が言って、歩き出す。
そうか、これ、エリーなんだ。
わずかな予備知識のおかげで、僕はどうにか、立っていることができた。
エリーの後を追うため、足を前に出そうと試みる。
「うわあァ! アアあああ! ンのやらァー!」
男の奇声が、甲高く響いた。
警備員の1人が、逆ギレしたらしい。
エリーに向かって、警棒を振り上げている。
「エリー!」
叫んで、僕はエリーの腰元に飛びついた。
そのままの勢いで、僕らは床に擦られるような形で叩きつけられる。
警棒による攻撃は幸いなことに、エリーにも僕にも、直撃することはなかった。
「危なかった…」
今の見た目はハゲそうになるぐらい怖いエリーだが、正体は骨だからだろう。
感触は堅くて細く、体温がない。
離そうとしたら、手の形をした骨の感触が、僕の手を掴んだ。
「離れるな。喰われるぞ」
エリーはそして、襲いかかってきた警備員の前に立つ。
「子供達に、この姿を見せてやろう」
警備員に対して、エリーは意味の解らないセリフを吐き捨てた。
しかし、僕に鳥肌を立たせるには充分な言葉だ。
ところが、どんな効果があったのだろう。
警備員は白目をむいて、気を失ってしまった。
「ひいいいい!」
また別の悲鳴。
バスローブを纏った固太りのおっさんが、目を大きく見開いて泡を吹き出し、後ずさっている。
知っている顔だった。
騒ぎを聞きつけ、様子を見に来たのだろう。
「スタッガーリー」
「こいつが金貸しか」
エリーのコメントはそれだけだった。
特に興味を引かなかったらしい。
怯える中年の前を通り過ぎ、僕の手を引きながら、エリーは屋敷の出口に向かう。
土地の権利書なり現金なり、盗むなら今だとちょっとぐらいは思ったけれど、もう僕にそんな気力はなかった。
「うむ。今回はちゃんと戻れた」
夜風に吹かれる頃には、エリーは娘の姿に戻っていて、僕はようやく安堵する。
でも、胸の奥は重くて、鬱積したままで、暗い気分だ。
「エリー、さっきのは一体…」
「やはりお前も見ていたか。反応で解った。さっきのは、やはり擬態の一種だ」
「どうして、それで警備員達があんなに…?」
「相手にとって、最も恐ろしいものが見えるようにと暗示をかけた。見えた物はだから、各自で違っていたはずだ」
そうか、だからか、と納得をする。
「お前には、何が見えた?」
エリーに訊かれ、どうせ嘘を言えないのだからと、僕は告白した。
「…自分の姿が見えたよ。大金を持って、高笑いする自分の姿だった」
「そうか。攻撃を仕掛けてきた男に、私が声をかけたのを覚えているか?」
「うん。覚えてる」
「あれもな、相手にとって、最も恐怖心を覚える言葉に聞こえるよう、暗示をかけた」
「だからか。僕には、『子供達に、この姿を見せてやろう』って、聞こえたよ…」
「だから見ないほうがいいと言ったのだ。以前、初めてこの暗示を使った時は、元の姿に戻ることができなくてな。苦労したものだ。見られて騒ぎになるのも面倒だったから、人気のない場所を探し、壁に向かって立つ毎日だった」
エリーは珍しく饒舌で、「黙って立っていただけなのに無理矢理に振り向かされ、勝手に魂を提供してくれた男がいた」などと喋り続けていて、それには僕は相槌も打たず、ただ呆然とする。
「どうした。覇気が消えているぞ。まだ恐れているのか?」
「いや、うん。いくら学校のためとはいえ、僕は誘拐だの泥棒だのしようとしててさ、それがさっきの高笑いする自分なんだって思うと、僕はなんて駄目な教師なんだろう、って。先生は、人間の見本でいなくちゃならないのに」
エリーは黙ったまま、僕の顔を見つめている。
「おまけに、素手で触っちゃいけない死神に抱きついちゃって。エリーがこの手を離したら、僕は死ぬんだなあって。覚悟はしてたはずなのに、さすがに怖いよ。それに、これじゃあただの犬死だ」
「実に愚かだな」
「うん。でも、もういいんだ。悪いことに手を染める前に死ねたほうが、マシかも知れない。だからエリー、もういいよ」
「何がもういいんだ?」
「僕の魂、食べてくれ」
夜風がまた吹いて、僕らの髪を撫でる。
風が収まると、エリーは口を開いた。
「実に愚かだ」
「え?」
「お前は今、様々な勘違いをしている」
「え? 勘違い? どんな?」
「まず、私が切り札として使ったさっきの暗示はな、相手にとって最も恐ろしいものが見えるように化けたんだ。そこまではいいか?」
「え、ああ」
「そこでお前は、自分自身の姿を見た」
「そうだけど」
「それで、何故お前はそれを、自分の正体だと解釈したんだ? 重ねて言うが、私が成ったのは、そいつが恐ろしいと感じる物だ。つまり今回のケースは、お前が最も恐れていた物が、犯行後の自分自身であると判明しただけに過ぎない。お前の実像とは無関係だ」
「あ、え、ああ。そ、そうかも」
「まだあるぞ」
「え」
「お前は先ほど、『素手で触っちゃいけない死神に抱きついちゃって』と言ったな?」
「え。い、言いました」
「死神じゃない」
「は?」
「エリーだ」
お前がつけた名だ、忘れるな。
そう言って、エリーは僕の手を引く。
どこに向かう気でいるのだろう。
「お前はさらに、『これじゃあただの犬死だ』とも言った」
「だって、学校を救えなかったじゃないか」
「決めつけるな。さっきの金貸しにな、お前にやったのと同じ術をかけておいた」
「と、いうと」
「奴もお前と同じく、もう嘘が言えない。言っても、直後にそれが嘘なのだと自供する」
「スタッガーリーが!?」
「これで口八丁は使えない。サイバンとやらにも、勝てるんじゃないのか?」
ああ。
どんどん、心に光が差してくる。
そんな心地がした。
今なら、もう思い残すことはない。
「ありがとうエリー。なんとお礼を言ったらいいのか」
「礼、か。群れを作らなければ生きていけない種族特有の発想だな、それも」
「そうだ。助け合わなきゃ生きていけないんだ、人間は」
星空には雲がなく、月は明るい。
晴天を清々しく想えるって、素晴らしいな。
こんな最後で良かった。
僕は空を見上げて、そのまま目をつぶる。
エリーは当初、「肌と肌が触れ、離れた瞬間に食事を自動的に開始する」と言っていた。
触った瞬間ではなくて、離れる瞬間。
今繋いでいるこの手が離れると同時に、僕の魂はエリーに食べられるというわけだ。
ぎゅっと強く握っていた最後のぬくもりから、僕は握力を緩める。
「ありがとうエリー。思い残すことはないよ。エリーに食べられるなら、僕は後悔しない」
「確かに。喰われたら後悔することさえできない」
「いいから早く喰ってくれよ! 僕の気持ちが変わる前に!」
「そのことなんだがな、私は決めたんだ」
え。
と、目を開けて、エリーの顔を見る。
いつの間にか、僕の手に伝わる感触が、堅い骨ではなくなっていた。
女の子の、手だ。
体温も感じる。
エリーが、僕の触感にまで暗示をかけていた。
「私は滅びることにした」
「なんだって?」
「死神はおそらく、他にもいるだろう。だが、私は滅びる」
「なんでまた」
「触ったら死ぬと知りながら、私を助けたな、お前は。その前は、私に名前をくれた」
「え、だって呼び名に困ると思って」
「私に喰われた魂は、転生できない。それがな、なんだか勿体無く思えた。お前はまだまだ、私に何かくれそうだ」
僕はなんだか必死になってしまい、「何も持ってないよ」と訴える。
でも、エリーにはシカトされてしまった。
「お前はきっと、私が食事をするのを嫌がるだろう。だからもう、食事もしないことにしたぞ、私は」
なんか勝手に仕切ってる。
「そんなことしたら、エリーが死んじゃうじゃないか」
「当たり前だ。しかし試したことがないからな、食事をやめてどれぐらい生きられるのかは解らない。お前の一生分ぐらいは余裕で持つとしても、もしかしたら5000年ぐらい耐えられるかも知れない」
長生きなことだ。
「お前が死んでも、一応手は離さないでおいてやる。そうだな。お前が骨になる頃に、私が正体を現せば、遺骨だと思われるに違いない」
正体なのに、死体の擬態になるのか。
便利なんだか、なんなんだか。
「というわけで、お前の家に行くぞ。確か、黒いフード付きのマントがあったな。あれを私にくれ。こう見えて、私は全裸なんだ。誰かと接触したら、魂を喰ってしまう」
「いや、ちょ、待ってよエリー」
「何を待たせる。ロープも用意してもらおうか。私達の手を縛って、離れないようにしておくとしよう」
「おいエリーったら!」
「心配するな。マントもロープも、擬態で隠してやる」
「いやそうじゃなくて!」
「うるさいな。さっきから、何を言いいたいのだ、お前は」
「僕の家ならそっちじゃない! こっちだ!」
エリーの手を引っ張り返す。
全く、なんて人生なんだろう。
いつでも女の人と手を繋いでいるなんて状況、どうやって子供達に説明したらいいんだ。
ホント冗談じゃない。
授業とか、風呂とかトイレとか、問題は山積みだ。
だいたいこのままだと、結婚もできないじゃないか。
そんな文句をつらつらと重ねる。
エリーの返事は、極めてシンプルだった。
「細かいことは知らん。お前の采配でやれ」
どうやら、マジで一生このままらしい。
僕は、死ぬまでずっと、エリーと手を繋いで暮すのか。
そんなの、死んだってごめんだ!
心の底からうんざりし、僕は嫌で嫌でたまらない気持ちになった。
嘘だけど。