夢見町の史
Let’s どんまい!
January 04
続・永遠の抱擁が始まる 1
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/186/
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「ねえ、それ、なんの話?」
3人の遺骨と関係のなさそうなことを彼が言い出すものだから、あたしは素直な疑問を口にしていた。
「コールセンターなんて、5000年前はなかったじゃん」
彼はというと、何事もなかったかのように前菜に手を伸ばしている。
「これは屁理屈だけどね」と、彼は前置きを入れた。
「5000年前にコールセンターが無かったなんて証明はされてないじゃないか。もしかしたら、あったかも知れない」
「ホントに屁理屈だ」
「まあね。そもそも僕はさ、何についての話をするとか、まだ何も宣言していないよ?」
「まあ、そうだけど」
何か引っかかる。
彼が遺骨と無関係の話を持ち出すとは思えない。
しかし彼の話には女性が登場していないのだ。
今の物語が、果たして何に結びつくのだろうか。
できれば仲良し親子が抱き合って天国に行くといったような、素敵な終わり方をする話が聞きたい。
それを話してほしい理由が、あたしにはあるのだ。
あたしは攻め方を変えた。
「じゃあ、してよ、宣言」
「そうきたか」
「あの3人のお話をするって、宣言して」
「仕方ないな」
彼はフォークを置くと、そっと口元を拭う。
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<阿修羅のように1>
ぶっきらぼうな印象の馬車乗りに料金を支払い、私は故郷の地に足を降ろす。
埃っぽい風が、私のスカートをはためかせた。
仕事の依頼がなかったら、自らここを訪れることはなかっただろう。
ここには様々な思い出がある。
楽しいこともたくさんあったが、それらを帳消しにするような不幸も、ここで味わった。
「まだ10歳だったなあ」
独り言が自然に出て、私は1人、苦笑する。
懐から手紙を取り出し、差出人の名に目をやると、今回の依頼人は男性であるようだ。
指定された広場へと、私は歩を進めた。
私は様々な物語を数多く覚えていて、それらを大衆に語ることによって生計を立てている。
いわゆる語り部というやつだ。
イベントという形で自ら人を集めて喋ることもあれば、今回のように依頼を受け、出向くこともある。
上手に話すことに関してはまだまだ修行の必要を感じるが、生活出来る程度の収入ならあって、そこそこに名も広がってきている。
女が語り部をやっていることも、片腕が無いことも珍しいのだろう。
同情されるのか、私に定期的に依頼してくれる固定客までいる。
広場に着く。
遊具やベンチが設置されているところを見ると、小さな公園であるようだ。
兄弟らしき小さな子供が2人、ブランコに乗って遊んでいた。
依頼者は、まだ到着していないのだろう。
私はベンチに腰を下ろす。
「お姉ちゃん!」
ブランコに乗っていた子供たちが、私のほうに駆け寄ってきた。
女の子と男の子だ。
6歳と3歳の兄弟といったところか。
姉らしき少女が目を輝かせている。
「お姉ちゃん、お話聞かせてくれる人?」
「え? そうだよ」
この子たちはどうやら依頼人の関係者らしい。
子供と接すると、自然と笑顔になる。
私は兄弟たちに微笑んだ。
「ねえ、お嬢ちゃん。クラークさんは、いつぐらいになったら来るかしら」
「もう来てるよ!」
「え?」
さっと辺りを見渡す。
それらしき人物は、どこにも見当たらなかった。
「どこかしら?」
「ほらここ。クラークだよ。クラークの、クラちゃん」
「え?」
少女は、自分の弟らしき少年を示している。
私は思わず目を見開いた。
「この子が? 手紙は、大人の人が書いたみたいだけど」
「いえ、とんでもない。あの手紙は僕が書きました」
少年から発せられた大人びた口調に驚く。
どう見ても3歳ぐらいなのに、この子があんなしっかりとした文章で、あたしに仕事の依頼を?
「本当に? 君がお手紙で、あたしにお話を頼んでくれたの?」
懐から依頼状を取り出し、クラーク少年に見せる。
「これを、君が書いたの?」
「はい、僕からの依頼です」
「はあ」
最近の子はどうなっているのだろう。
マセているどころのレベルではない。
彼から感じる知性や品格は何事なのだ。
このクラーク少年が本当に依頼状をしたためたのだとしても納得いきそうに思えることが不思議でならない。
「報酬についてはご心配なく。手紙にあった額をきちんとお支払いしますので」
「はあ」
「お姉ちゃん、早くお話して!」
少女が嬉しそうにピョンとジャンプした。
「でも、ちょっと待って」
私はベンチから腰を上げ、2人の前でしゃがむような体勢を取った。
「お金なんだけど、それって、どこから持ってきたの? お父さんやお母さんに貰ったの?」
クラーク少年は、静かに口を開いた。
「僕らには両親がいません」
「あ、そうなの。ごめんね」
「いえ。ちなみに今回用意したお金なんですが」
「うん」
「元々蓄えてあったものです」
「あ、そうですか」
まさか3歳児に敬語を使う日が来るとは思わなかった。
「じゃあ、今日のお客さんは、君たち2人ってことでいいのかな?」
「ええ、そうですね」
「そう! お話してー!」
「そっか」
子供から料金を頂戴することに、なんだか複雑な気分になる。
話し終えたあと、報酬額は半分ぐらいに負けておこう。
「じゃあ、2人ともベンチで座って聞いてね。どんなお話がいい?」
すると依頼者、クラーク少年はわずかに目を伏せる。
「失礼を承知でお願いします」
「はい?」
「あなたが既に知っている物語ではなく、あなたが想像しながら物語を作り、それを聞かせていただけませんか?」
「え?」
どういうことだろう。
そんな依頼は初めてだ。
私は正直、戸惑いを隠せなかった。
「あたしがストーリーを作るの? いや、そういうのはやったことが」
「是非、お願いします。報酬を倍にしてくださっても構いません」
「いや、ちょ、それはいい!」
「お願い、お姉ちゃん!」
少女が泣きそうな顔で横槍を入れた。
「お願いします」
クラーク少年も真剣な眼差しだ。
「解った! 解ったよ!」
私は大袈裟に片手を挙げて、降参の意を示す。
「でも、つまらない話になると思うよ? いいの?」
「構いません」
「構わないんだ…」
なんだか不思議な依頼である。
子供らしい子供から頼まれたなら、それはただの気まぐれによる依頼だと判断できる。
だがこのクラーク少年、何か他に真意がありそうで怖い。
「じゃあ」
あたしはある種の覚悟を決め、改めて2人を前にする。
「どんなお話がいい?」
「無礼や失礼を承知でお願いします。気に障ってしまうとは思うのですが、どうしてもお話していただきたいことが」
「ん?」
クラーク少年は、痛みに耐えるかのような、辛そうな表情を浮かべている。
彼から発せられた次の言葉は、私の頭を一瞬だけ真っ白にした。
「片腕の女性が主人公で、失った腕が蘇るような結末にしてください」
続く。
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/188/
January 03
今度の遺骨は3体だった。
そのことが、まるで私たちの素晴らしい未来を暗示しているように思えてならない。
面倒臭がる彼を強引に正装をさせ、あたしはあの店が良いと強く望んだ。
「まあ、この店は僕らにとっても思い出深いからね」
「でしょ? 結婚記念日には最適でしょ?」
彼と結婚して、今日で丁度1年だ。
お祝いということで、少しお高い印象の、この店を選んだ。
去年はここで、あたしは彼からプロポーズを受けたのだ。
ウエイターがキャンドルに火を灯し、去る。
「ねえ」
彼に、見方によっては意地の悪そうな笑顔を向けた。
「また見つかったね」
「ああ」
彼がメニューから顔を上げる。
「僕も見たよ。今度のは3体で1組」
去年は、抱き合う男女の遺骨が海外で発見され、ちょっとした話題を呼んだ。
5000年から6000年前のもので、その抱き合う様は素晴らしく綺麗に見えた。
直情的に「死ぬときは愛する人とこうなりたい」なんて、少女のような夢想を当時はしたものだ。
最近発見された遺骨はというと、親子バージョンとでもいうべきだろうか。
3体の遺骨が抱き合っている。
やはり5000年以上も昔の人骨だ。
母親と思われる女性と、2人の子供。
外側の子が8歳ぐらいで、真ん中の子が5歳ぐらいと推定されている。
その3人が抱き合った状態で発掘されたのだ。
「あの3人はさ、なんであんな風に抱き合ってたの?」
あたしが5000年以上も前のことを彼に質問するには訳がある。
彼は去年、太古の男女が抱き合って果てた理由を独自に想像していて、その物語をあたしに聞かせてくれたのだ。
怖い話もあったけど、好みの話もあった。
彼のことだから、今回の話も用意しているのではないか?
そう思ったのだ。
彼は「まずは乾杯しようよ」と、ウエイターを呼ぶ。
選んだ食前酒は、去年と同じ銘柄だった。
あたしはそれとは別にソフトドリンクを注文する。
「お互い、結婚生活1年達成、おめでとう」
グラスを鳴らせた。
「でさ、さっきの話は? あの3人は、なんで抱き合ってたの?」
居ても経ってもいられないといった体で、あたしはキャンドル越しに彼にせがむ。
「あれは残念だけど、他者から埋葬された可能性が高いね」
涼しい顔で、彼は手元にグラスを置いた。
「え?」
「何らかの理由で死んだ親子が埋葬時、抱き合わせられたんじゃないかな」
「なんでよ!」
「だって、下には花が敷き詰められた形跡があるんでしょ?」
「う。そうだけどさ」
なんだかガッカリだ。
彼のことだから、今度も何かしらのストーリーを思い描いていたのかと期待していたのに。
結婚2年目からして、早くも倦怠期だろうか。
「そんなことよりさ、君、あの世から電話があったら、どうする?」
「へ?」
話の展開がまるで解らない変な問いに、あたしは間の抜けた声を出した。
「あの世からの電話?」
「そう」
「どうするって言われても、誰からなのか、とか、何の用事なのかによるでしょ?」
「まあ、そうだよね」
そこで彼はクスリと笑う。
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<エンジェルコール1>
モニターには、ある男の人の個人情報が全て映し出されている。
次のお客様は初老で、職業は裁判官。
頭が良くなきゃこなせないお仕事なんだろうな。
脳の性能を見ると、凄くいい。
賢い人ほど慎重だから、今回は手強いかも知れないなあ。
僕はいつものようにヘッドフォンをし、カタカタとキーボードを操作する。
今日は休日とあるから、長話に持ち込むのは難しくなさそうだ。
通話ボタンをクリックすると、呼び出し音が耳の奥で鳴った。
職場ではたくさんの仲間たちの話し声が、ちょっとしたざわめきのように満ちている。
礼儀正しくデスクが並んで、その1つ1つにモニターと機器、回転椅子と同僚がセットになって、続いている。
真横を向けば合わせ鏡みたいだ。
これが何列もある。
自分の職場ながら、規模の大きさが頼もしい感じ。
「もしもし?」
先方が出たみたいだ。
僕は丁重で、少し高めの声を意識した。
「お休み中のところ、大変失礼致します。わたくし、先日まで見守らせていただいておりました、天使のロウと申します」
「天使?」
「はい、さようでございます」
人間のほとんどは、この時点で驚きの声を上げる。
この人も例外じゃないみたいだ。
「天使、とは? 見守っていた?」
「はい、見守らせていただいておりました」
嘘じゃないよ。
モニター越しにだけど、この人のことは先日まで見てた。
「天使だとして、何故私に電話を?」
「はい、本日はですね? 人生に関わる重大な情報をお知らせするため、お電話させていただきました」
「ほう」
「実は、大変申し上げにくいのですが、地球はじき、惑星規模の天変地異に見舞われてしまいます」
そこで相手は返事をしなくなっちゃった。
この人頭いいから、きっと話の真偽を図っているんだろうな。
慌てたら怪しがられるから、構わず続けちゃえ。
「混乱させてしまい、誠に申し訳ございません。今から16年後のことでございます。地表に生きる9割もの生物が死滅するといった大規模な災害が起こってしまうんですね」
「それが事実なのだと、どう証明する?」
「未来のことですので証明自体は難しいのですが、もしよろしければ、今宵の夢にその災害時の映像を流させていただくことは可能でございます。そういった手段が使える点も考慮していただいて、わたくしが天使であることをご信頼いただければと思うのですが、いかが致しましょう?」
「そんなことが出来るなら、やってもらおうか」
「かしこまりました。ただ激しい災害の夢でございますので、非常に恐怖を感じさせる内容となっているんですね? そこのところ、ご了承いただければと存じます」
「いいだろう。今夜だな?」
「はい。正確には、明日の朝方ですね。起床されるしばらく前に、夢を放映させていただきます」
「解った。それで、そんな大きな災害が起こることを教えて、どうしたいんだ? えっと、君は天使の…」
「はい、ロウでございます」
「ロウ君の用件は、何かね?」
実は用件があるってこと、見抜いちゃったかー。
察しがいいのは助かるけど、こっちのペースを崩されるから困るよ。
「はい、問題は、その天変地異が起きた後のことでございます」
「ほう」
「先ほど申し上げました通り、地表の生物は9割も死滅してしまいます。そこで人間の数も著しく減少してしまうんですね」
「そうだろうな」
「そうなりますと、魂の調整が取れなくなってしまいます。通常の場合ですと、人は死亡しますと魂が抜け、あの世で留まった後、再び人へと生まれ変わりを果たします」
「ふむ」
「しかし天変地異が起きますと、1度に多くの魂が天に召されてしまいます。一方現世では少数の方しか生き残れないんですね? そうなりますと将来、多くの魂が生まれ変わりをする際、人間になりたくとも、その頃はもう、人間の数が足りないのです」
「つまるところ、人間以外の動物に生まれ変わる可能性が高いというわけだね?」
「はい、さようでございます。ただ問題なのは、哺乳類や爬虫類なども数が減ってしまいますので、プランクトンですとか虫などといった、非常に小さい生物に生まれ変わってしまう可能性がございます」
「ふむ、それで?」
いよいよ本題その1だ。
僕はきゅうっと息を飲んだ。
「はい。そこで僭越ではございますが、来世で人間になることを今から諦めていただきますと、私どもとしても助かるんですね。その代わりといってはなんですが、より充実した人生を楽しんでいただくために、わたくしどもからプレゼントをご用意させていただきました」
「プレゼント?」
「はい。願いを叶えさせていただいております」
「願い? 願いといっても、範囲があるんじゃないのかね?」
「ええ。一応ですね、こちらで設けさせていただいたポイントがございます。小さな願い事ですと数ポイントで叶いますが、大きな願い事ならそれだけ多くのポイントを消費するといった形になるんですね」
「なるほどな。だいたいでいいから教えてもらいたんだが」
「はい、なんでございましょう?」
「何を叶えると何ポイント必要なのか、1ポイントあたりの価値を知りたい」
「そうですね。まちまちではございますが、例えば億万長者になるといった願い事ですと、その規模にもよるのですが、だいたい500ポイントほど消費するかと思います。もし今何かしら叶えたいことがございましたら、わたくしがお調べし、消費ポイントのお見積もりをさせていただくことも可能でございますよ」
「いや、結構だ。それで、もし私がイエスといえば、何ポイント配給されるのかね?」
「はい、人生を楽しむに充分な1000ポイントでございます。今を大切にするためにも、是非わたくしにお任せください」
「任せると言った場合は、具体的にどういった契約を結ぶんだね?」
「はい、このお電話でお申し付けいただくだけで、わたくしが責任持って、今後の生活を手助けさせていただきます。面倒なことは一切ございませんので、安心してお楽しみください」
すると、沈黙。
もう一言、僕からなんか言ったほうがいいのかな。
でも、考えてるのを邪魔して怒られても嫌だし。
「そうだな。少し時間をもらえるかね。色々と考えてみたい」
「そうですよね。大切なことでございますから、慎重になられたほうが良いかと思います」
こりゃ逃げられちゃうかなあ。
契約取れないと、お給料に響くんだよなあ。
「ロウ君といったな。明日の夜にまた電話をくれないか」
「かしこまりました。夜といいますと、19時ぐらいでよろしいでしょうか?」
「そうだな。それぐらいで頼む」
「かしこまりました。それではわたくし、担当のロウが、明日またお電話させていただきます。ご対応のほど、よろしくお願い致します」
「うむ」
「今宵の夢は非常に恐ろしいものとなるかと思いますので、どうぞ心を決め、就寝なさってくださいませ」
「解った」
「本日はお電話の時間をいただき、誠にありがとうございます」
それでは失礼しますって言って、僕は「回線切断」のボタンをクリックする。
夢アリの欄にもチェックして、と。
これでオーケー。
僕が実は悪魔なんだってこと、バレてなさそうだ。
向こうから電話してくれって言ってきてたもん。
もしかしたら、明日はいい返事貰えるかも。
期待しちゃうね、こりゃ。
続く。
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/187/
August 15
<まえがき>
今から始まります物語は、以前書いた「永遠の抱擁が始まる」の番外編に該当します。
前作を読んでいない方にも意味が通じるよう気をつけはしましたが、以下の作品をご覧になっていただければさらに理解しやすいのではないかと存じます。
永遠の抱擁が始まる1
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/17/
永遠の抱擁が始まる2
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/18/
永遠の抱擁が始まる3
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/19/
今回登場しますのは「永遠の抱擁が始まる2」の登場人物ですので、2だけをお読みいただくだけでも充分ですし、時間がない方はもちろん、どうぞこのまま読み進めてくださって構いません。
楽しんでもらえたら嬉しいですよ。
それでは、死神エリーと教師のその後をお贈りさせていただきます。
この作品を、ある人に捧げます。
<1年振りの嘘だけど>
「先生、さようならー!」
「はい、さようなら」
放課後、いつもの風景。
僕が小さく手を振ると、生徒も同じく右手を上げる。
小学生らしい無邪気な笑顔が、僕の隣にいる死神にも向けられた。
「エリー先生も、さようならー!」
「2度言わせるな」
普段と変わらず、彼女は冷たく冷静な口振りだ。
「私は教師じゃない。先生と呼ぶな」
エリーと呼び捨てにしろ、ということらしい。
僕がエリーと手を繋いでから、もうすぐ1年になろうとしている。
ほんの少しでも手が離れてしまうようなことがあれば、僕の魂は自動的にエリーに食べられてしまうわけだから、周りの人たちからは「大変だね」とか「気が抜けないでしょう」などと心配してもらえる。
でも、意外なことかも知れないけれど、慣れてしまえば案外苦労することもなくて、自分でも不思議なんだけど、今となってはエリーから解放されたいというストレスがない。
死神と人間が一緒に生活するだなんて聞いたことがないけれど、エリーと僕は今もこうして手をしっかりとロープで固定し、繋いでいる。
人からよく聞かれるのが、「着替えるときはどうするの?」
これはちょっと面倒臭いんだけれども、まず僕とエリーの手を縛っているロープを外すことから始めなきゃならない。
で、自由になっているほうの腕を袖から抜いて、その手でエリーに触れる。
そうすれば、今まで繋いでいたほうの手を離すことができるというわけだ。
これで、もう片方の袖からも腕を抜くことができる。
実は日常で最も緊張するのが、この着替えだったりする。
一瞬でもエリーから離れれば僕は死んじゃうからだ。
死んじゃうってゆうか、魂が消滅してしまう。
お風呂やおトイレは、最初は緊張した、というか恥ずかしかった。
普通これらは1人でやるべきことだし、いくら人間じゃないからといって女の子と一緒というのはやはり気分が落ち着かないものだ。
「エリー、頼むからこういったときだけは変身して、別の姿になってよ」
「何故だ」
「だって、恥ずかしいじゃないか!」
「知るか。お前の采配でどうにかしろ」
「そんな無茶な! お願いだから早く姿を変えて! もたもたしてたら、取り返しがつかないことになるぞ!」
結局、エリーには王様の石像に化けてもらって、事なきを得た。
お手洗いで用を足すのも一苦労だ。
でも考えてみたら、エリーのほうが面倒な思いをしているのではないかと、たまに彼女を心配に思うことがある。
エリーからしてみれば、餓死の道を選び、さらに生態の違う生物と生活しなきゃいけないからだ。
そんな苦難を、去年のエリーはどうして選択したのだろう。
いつか、エリーがふと漏らした言葉がある。
「死神は人間の魂ではなく、名前を食すのかも知れないな」
1年前、僕はエリーに名前をつけた。
それ以来、エリーは何だかんだと理由をつけて、食事を一切しなくなっている。
自分の名前を貰えたから、他人の魂、つまり名前を喰う必要がなくなったと彼女は言いたいようだ。
死神の食事というのがまた便利というか変わっていて、人間の素肌に直に触れ、離すと同時に魂が勝手に摂取される仕組みになっているのだそうだ。
うっかりエリーに触れてしまった僕はつまり、一生エリーから離れるわけにはいかない。
ちなみに死神は長生きで、エリーが餓死するよりも、僕がおじいちゃんになって死んじゃうほうが先になりそうだとのこと。
我ながら奇特な人生が約束されている。
「今の生徒に別れ際、何か渡していたな。何だ?」
エリーが涼しげな視線を僕に向けた。
「ああ、当直日誌だよ。彼は明日から当直になるんだ」
なるべくエリーに興味を持たれないように、僕は神経を遣って応えた。
細かい質問を重ねられると、すぐにボロが出てしまうからだ。
僕はエリーと出会ってからずっと、相も変わらず嘘をつけないままでいる。
嘘を言うと、口が勝手に動いて「嘘だけど」と自分から白状してしまうのだ。
1年前にエリーにかけられた暗示がまだ生きていて、その点だけは本当に困っている。
あれは先月のことだっただろうか。
ペットが死んだことである生徒が悲しんでいて、僕が慰めようとした際に、実際にぶちかました言葉がこれだ。
「君の猫ちゃんはね、これからは君の心の中で、ずっとずっと生き続けていくんだよ。嘘だけど」
一瞬にして何もかもが台無しになった。
エリーは無神経にも面白がるだけで、嘘を言えるように暗示を解除してくれる気配がない。
死神の特色というか、特殊能力が「超強力な催眠術を瞬時にかけられる」ことだったりする。
迷惑なことだ。
エリーは若い娘の姿に見えるけど、それは暗示によってそう錯覚させられているだけで、実は人間の白骨と同じ姿をしている。
人とぶつかったりでもしたら魂を喰ってしまうということで、彼女は真っ黒なフード付きのマントで全身を覆ってはいるものの、見た目はお洒落で可愛らしい女の子。
なんか釈然としない。
出会い頭、エリーは僕に罰ゲームみたいな暗示をかけた。
世界一の正直者に勝手にされて、もう1年になるわけだ。
ちょっとした親切の嘘も言うわけにはいかなくなって、親戚にも怒られたことがある。
「赤ちゃん産まれたんですね。いやあ、元気な赤ちゃんだなあ」
「でしょう? 可愛いでしょ。将来は舞台役者さんになるかなあって思うのよね」
「……」
「なんで黙るの」
「すみません。僕、嘘を言えないんです」
あれは実に気マズかった。
「先生ー! エリー先生ー! さよーならー!」
木造校舎の中、さっきとは別の生徒が僕らを追い越し、走り去ってゆく。
「廊下を走るなー! 気をつけて帰るんだぞー!」
「はーい!」
「私は教師じゃない。2度言わせるな」
「はーい!」
エリーは思いの他、生徒たちに受け入れられている。
むしろ僕よりエリーのほうが慕われているんじゃないかと、思わず勝手に傷つきそうになるぐらいだ。
物事をストレートにズバズバと言い切ってしまうエリーのキャラが、どういうわけか子供たちにウケている。
「最近」
エリーが口を開いた。
「職員室で何を書いている?」
「なんでそんなことを?」
「何やら時間をかけているようなのでな」
言葉に詰まる。
抜き打ちテストの作成だと言えば嘘だし、超簡単にバレる。
すると今度は何の意味があって嘘をついたのかを質問されるに決まっているじゃないか。
何としてでも隠し通さなきゃ。
あれは何ヶ月前のことだったか。
エリーに字が読めないと知ったときは、しめたと思ったものだ。
エリーは常に僕の隣にいるから、子供たちに口頭で作戦を指示するわけにはいかない。
どうしたもんかと、実は結構悩んでいたのだ。
「あれね。ちょっとした個人指導だよ」
エリーの顔をチラ見する。
僕の口から「嘘だけど」が出なかっただけに、疑われなかったのだろう。
そうかと無機質に、エリーは言った。
そもそもエリーの好奇心は偏りが激しい。
僕にとっては超重大な事柄なのに「私には関係ない」なんて冷めているかと思えば、「数字に隠された人格は、それこそ数字と同じ数、つまり無限に存在している」などと訳の解らないことを延々と喋り続けたりする。
しかもそれを算数の授業中に始めてしまうのだから、たまらない。
もうホント困る。
何をどう考えているのか全然解らない存在、それがエリーだ。
でも、話が全く合わないかと訊かれれば、これはそうでもない。
唯一、僕とエリーが共通して好むのが音楽だ。
エリー曰く、
「文字通り骨身に染みる」
何ちょっと上手いことを言ってるんだろうか。
以前はある酒場のピアニストが殺されるといった物騒な事件があって、それは許せないと珍しくエリーが感情的になり、犯人を特定したこともあった。
元々はバンバン人の魂を食べまくっておきながら、音楽家がいない世界は許せないらしい。
自分勝手も極めてしまえば芸術になるんだろうか。
「ところで」
再びエリーが口を開く。
「お前、私に何か隠し事をしていないか?」
なんて的を得た質問をしてくるのだろうか。
そりゃ確かに僕はエリーから見て、細々と怪しいことをしていたとは思う。
でも今回だけは、僕はエリーを騙す必要があるのだ。
さて、じゃあどう応えよう。
ちょっぴりピンチだ。
「僕がエリーに隠し事? なんでそう思ったのさ」
「テスト期間でもないのに職員室で書き物をする時間が長すぎる。生徒との会話でもどこか気を張っている印象を受けた。私から何か質問をすれば、お前は普段なら考えられないぐらい大雑把な返答をし、明らかに言葉を選び、当たり障りのないことしか答えない」
「ですよねー」
探偵か?
ここで「何でもないよ」と応えれば「嘘だけど」と勝手に口が動く。
こうなったら、こないだ思いついた作戦を試すしかない。
「はは。何を疑っているんだか。じゃあ、こんなのはどうかな、エリー」
自然とお腹に力が入り、鼓動が高まる。
成功するだろうか。
「今から嘘を言うよ、エリー。聞いていてくれ」
「ほう」
「僕はエリーに隠し事をしている。嘘だけど。嘘だけど」
「ふむ」
「これで解っただろう?」
「何がだ」
「思った以上に伝わらなくて残念だ」
僕がエリーに隠し事をしているって点が嘘なんですよ。
つまり僕は何も隠していないんですよ。
って言いたかったんだけど。
校舎の玄関をくぐる。
夏の日差しがふと、エリーと初めて逢った日を思い出させた。
青空には見事な入道雲が浮かんでいて、あの日もこんな晴れ晴れとした天候だった。
強い日差しの中、僕とエリーは並んで家路につく。
夏休みに入ると、僕の仕事は極端に減る。
数日は家でごろごろと過ごしたり、いつもの酒場に音楽を聴きに行ったりする平和な日々。
そんなある日、珍しく僕は日中からエリーを連れ出した。
「エリー、ちょっと寄りたいところがあるんだ」
「どこだ」
「学校。体育館」
石造りの街、いつもの風景。
路上で果物が売られ、たまに馬車が通り過ぎる。
店舗の壁から吊るされたランプの火は今は消えていて、夜が来るのを待っている。
設置されているベンチには、商人らしきおじさんが葉巻を吹かし、一服ついていた。
歩きながら、エリーはまじまじと僕の顔を見つめている。
「お前、何を企んでいる?」
「え!? 何? 企むなんて、そんな」
「お前は先日、嘘を言ったな」
「え、あ、うん? 何のこと?」
「あれは嘘だった」
「と、言うと?」
するとエリーは、覚えのあるセリフを口にした。
「僕はエリーに隠し事をしている。嘘だけど。嘘だけど」
「ああ、あれね。それが、何よ」
「何故、嘘だけどと2度言った?」
「きゅう」
何も言い返せない。
確かに僕はあのとき、失敗をしていた。
会話を誤魔化すことだけに集中すべきで、僕は嘘を口にすべきじゃなかったんだ。
「最後の『嘘だけど』が、私の暗示による自白なのだな?」
観念し、僕は頷く。
「1度目の『嘘だけど』はお前が自分の意思で口にしたフェイクだ。『僕はエリーに隠し事をしている。嘘だけど』までがお前の言葉。2回目の『嘘だけど』が自白。つまりそれは、お前が私に隠し事をしていることを証明している」
「はい、すんませんでした」
「何を隠している?」
「ごめんエリー! まだ言えないよ!」
「まだ?」
「もうちょっとだけ待って!」
「いつまでだ」
「体育館に着くまで!」
「すると、どうなるんだ?」
僕はそれで、何も言わなくなった。
黙ってエリーの手を引き、校庭を横切る。
体育館の前に立ち、扉を開けた。
中は薄暗い。
窓から漏れるわずかな日光が照らし出すのは、僕のクラスの生徒たちだ。
全員が揃って、並んでいる。
「エリー先生!」
学級委員長が大声を出した。
同時にランプに明かりが灯り、生徒全員が口を揃える。
「お誕生日、おめでとう!」
さすがのエリーも、何が起きたのか理解できていないようだ。
一瞬だけ固まった。
「どういうことだ?」
エリーが小さい顔を僕に向け、視線を鋭くする。
「今日は私の誕生日なのか?」
「そうだよ! さあ、座って!」
生徒たちの真正面に置かれた2脚の椅子に、僕らはそれぞれ腰を下ろす。
「さん、はい!」
学級委員長が指揮棒を振った。
やがて耳に届くのは、我が教え子たちによる大合唱、お誕生日の歌だ。
餓死や苦労を選んでまで、僕を生かしてくれている死神。
エリーがその気になれば、僕は呆気なく魂を食べられてしまうだろう。
いや、むしろエリーからすれば、さっさと僕の魂を食べてしまうことのほうが自然なのだ。
なのにエリーは着替えるときも離れないようにと、いつもしっかりと僕の体を掴んでいる。
僕はエリーに何もしてやれないのに。
なのにエリーは自分の命を犠牲にしてまで、僕との共存を選んでくれた。
出会ったあの日は、この学校を救ってもくれた。
感謝しないわけにはいかないじゃないか。
そうだ。
エリーに、プレゼントをしよう!
思いついた瞬間、僕はテストを利用して、生徒たちにサプライズの協力を申し出ていた。
「サービス問題! もうすぐエリーの誕生日です。夏休みのある日なんだけど、協力してくれる生徒に10点!」
生徒たちは誰1人欠けることなく、全員が丸を書き込んでくれていた。
テスト用紙をめくっても、めくっても、丸、丸、丸。
目頭が熱くなったけれど、すぐそばにエリーがいるものだから、我慢するのが大変だった。
きっと10点あげるなんて書いていなくても、彼らは全員丸を書き込んでいたことだと思う。
僕は残業のフリをして、サプライズの決行日時やら合唱曲の曲目だとか、練習をこっそりやれる場所など色んな指示を日誌に書いて、当直の生徒に渡していた。
それで今日。
子供たちの歌声は、いつかの合唱コンクールのときよりも断然に良くて、大きく響いている。
エリーに目をやると、彼女はただ黙って座っている。
「どうだい、エリー」
訊ねると彼女は「素晴らしい」と微動だにせずに言った。
「やはり音楽は人類最大の発明だ」
「そうか、嬉しいか。ふふふ」
「嬉しそうなのはお前だ。やはりお前は群れを成す生物特有の考え方をする」
「何とでも言え」
「どうして今日が私の誕生日だと?」
「覚えてないかい? エリー」
「何をだ」
僕は照れ臭くて、精一杯大声で歌う生徒たちに視線を戻す。
「今日は、僕とエリーが出会ってから丁度1年目なんだよ。僕がエリーに名前をつけた日が8月15日なんだ。君が『エリー』になってから、1年が経ったんだよ」
エリーは「なるほど」とつぶやいた。
「お前は私に名前だけでなく、誕生日までくれるのか」
「さすが察しがいいね。そうだよ。生徒たちからのプレゼントが歌。僕からのプレゼントは、誕生日」
「お前は死神から食欲を無くす天才だ」
これは褒められたのだろうか。
なんだかよく解らないけど、気分がいいのは確かだ。
気合い入れて段取り組んで、本当によかった。
でも、来年はどうしよう。
生徒たちは全員が声を揃え、嬉しそうに、それでいて一生懸命に唄っている。
さすがに毎年これをやるのは大変じゃないか?
同じパターンは2度と使えないわけだし、アイデアを出すのも一苦労なんじゃ?
エリーは足を組みつつも、つま先を上下させリズムを取り始めている。
だいたいエリーにだけここまでのお祝いをしておいて、他の人にこれをやらないのは不公平にも思える。
かと言って全ての知り合いにサプライズパーティを開くわけにもいかないし。
歌が終わり、僕は右手で、エリーの左手を持ち上げた。
どうしても拍手が必要なとき、僕はいつもこうしている。
互いに空いているほうの手を使い、2人で拍手を送るのだ。
「おい、お前たち」
2人で1つといった風変わりな拍手をしながら、エリーが教え子たちに問う。
「アンコールは頼んでいいのか?」
いいよー!
と誰かが言い、学級委員が再び指揮棒を持ち上げる。
エリーは椅子に掛けながら、足を組み直した。
どう考えても、毎年こんなお祝いをするのは無理だよなあ。
やがて、さっきとは違う曲が耳に入ってくる。
やっぱり元気のいい歌声で、気持ちが篭っているように感じられた。
お祝いする側である子供たちは明らかに、祝うことを楽しんでいる。
でもなあ、毎年やるとなるとなあ、と僕は思う。
誰もが喜んでくれているみたいで悪いんだけど、エリーの誕生日会は今年限りにしておこう。
僕は、そう固く心に誓った。
嘘だけど。
<あとがき>
きっかけは、ある読者様からのメールでした。
「私には、めささんのファンである姉がいます」
続けて、そのお姉様が最近色々なことに大変苦労されていること。
あまり元気がなく、持ち直しても、また新たな災厄に見舞われてしまったこと。
次にやってくる災難にびくびくするようになってしまったこと。
そんなお姉様の誕生日が近いというようなことなどが綴られていました。
「姉の誕生日プレゼントを制作してもらえませんでしょうか」
どうやらこれは、そういったお願いのメールのようです。
もちろんタダとは言いません、とも書いてありました。
「ただでさえめささんは、多くの方の誕生日をブログでお祝いしている方です。それはとても大変で、とても素敵なことだと、見ていていつも思います。なのでこうした依頼は、他の多くの方々や、何よりもめささんに良い心証を与えないのではないかと悩みました。けれど、間違いなく姉の喜ぶ顔が浮かびますし、お仕事としてならば(めささんの作品を、私が買ったということになるので)成立するのでは、と思っての相談です」
姉妹愛も、俺への思いやりも、他の読者様への配慮なども感じられました。
この時点で、俺は無料で引き受けることを決めていました。
お金を貰ってしまったら、俺からの祝いたいという気持ちが嘘になってしまうような気がしたのです。
電話番号も記載されていたので、俺は早速電話をかけました。
「お姉さんの誕生日当日に、何か書いてアップするというのはいかがでしょう?」
妹さんは、とても喜んでくれました。
「本当ですか! ありがとうございます! 姉も大喜びすると思います! じゃあ、報酬なんですけど、いくらぐらい振り込んだらいいですかね?」
「いや、それは結構ですよ。俺も個人的に、お姉さんをお祝いしたいと思っちゃったんで」
「え、でも、無料で書いちゃったら、めささんの読者さんが『ズルい!』とか『私も祝って!』とかってなっちゃいません?」
「大丈夫。みんなきっと解ってくれますよ。心の狭い読者様がいないのが、うちの特徴なんです。俺、恵まれてるでしょ?」
「でも、だからってタダというのは…」
「そうですよね。タダだと、あなたの顔が立たないですもんね」
「はい」
「じゃあ、こうしましょう。いつか会うことがあったら、1杯奢ってください」
これが、今作を考え、綴った理由です。
三流栞さん、ご覧になっておりますでしょうか?
作中にもあった今日、8月15日は、あなたの誕生日です。
何かと大変なことが立て続けに起きているようですが、最高の未来がまだ先にあります。
どっかで厄払いでもして、新しい1年を楽しんでお過ごしいただければ、これに勝る喜びはありません。
妹様ともども、心よりお誕生日の祝福を申し上げます。
三流栞さん、お誕生日、本当におめでとうございます!
この作品が、俺からのプレゼントです。
気に入ってもらえたら嬉しいですよ。
この作品を、三流栞さんに捧げます。
ハッピーバースデイ。
March 06
風に吹かれることのない無数の白い瞬きが、つくづく空の無限さを感じさせていた。
満月が赤く、三人の旅路を照らしている。
視界が許す限りに、膝ほどに高い草の絨毯がどこまでも広がっていて、遠方には山々がぼんやりと眺められた。
初めて目撃する夜に親友は大いにはしゃぎ、それを尻目に案内人が口を開く。
「この世界には昼の季節と夜の季節とがあって、夜とは必ずしも毎日訪れるものではありません。この『夜がくる場所』を除いては」
レビトは前方をまっすぐに見つめ、あなたの前を歩いていたが、やがてふと立ち止まる。
「さあ、ご覧なさい。あれが砂時計の塔です」
「なんと! あそこまで巨大な塔だとは思っていませんでした」
塔は闇のせいで形しか判らず、それでも遠くから強大な存在感をあなたに与えた。
雲一つない星空を背景に、塔は大地から生えた角のようにどっしりとし、天に向かって伸びている。
もし雲があればそれに届きそうなほどに高い。
砂時計の塔という名称から、あなたは上下対称のアンバランスな形状を想像していたのだが、実際には上にいくほどに塔は細まっている。
「さあ、あの扉を」
見上げても頂上が見えないほどに塔に近づく頃になると、レビトは入り口を示す。
塔は全て木で作られているようで、重そうな両開きの扉も同様だ。
あなたは竜の浮き彫りが施された扉の、取っ手を掴む。
ラトが「神の実が成る樹を見に行きたい」と駄々をこねたのを、あなたは一喝した。
砂時計の塔は内部さえも全て木造で、あなたは足を踏み入れた瞬間にどういったわけか馴染み深い空気を感じ取る。
「この塔の、どこまで登れば僕らは元の世界に戻れるのでしょうか?」
木で出来た長い螺旋階段を上りながらあなたが問うと、レビトはうつむいた。
「もう、すぐです」
「おや?」
あるべき気配がなくなっていることにあなたは気づき、身の毛が立つような心地に襲われる。
「ラトがいない!」
階段を見下ろすと、手すりのない螺旋が闇に向かって下りていて、底が見えることはない。
背後から着いてきていたはずの親友の姿がなく、あなたは激しく狼狽する。
落ちていたら助からないと思い、あなたは背筋を凍らせた。
「ラト! ラトー! どこだ!」
「この世界には、人間は二人しかいません」
案内人が、謎の言葉を発する。
「次の扉を開ければ、あなたは元の世界に戻れるでしょう」
「そんなことより、ラトがいなくなりました! 彼を探さなければ!」
「彼は、大丈夫です。消えてしまったのは、あなたのほうなのだから」
「どういうことです!?」
「彼が一緒だと困るのです。先ほど私が魔術を使い、あなたと共に彼から逃げました」
「なんですって!?」
「さあ、扉を開きましょう」
階段がようやく終わり、レビトが扉の前に立つ。
「ちょっと待ってください!」
あなたは案内人に激しく詰め寄る。
「ラトから逃げたとは一体どういうことなんですか!?」
レビトは儚い者を見るかのように、あなたの目を見つめている。
「何もかもお話しします。そのためにもまず、この扉を開くことが必要なのです」
彼女が扉を押し開けた。
開かれた扉の向こうには見覚えがある景色が広がっていて、だからこそあなたは現実を信じることができない。
そこは、あなたが暮らしていた街だった。
偽の夜に覆われた街並みには一切の人気がなく、見慣れたはずの光景をどこか不気味にあなたは感じた。
「さあ、元の世界です」
「どういうことですか、これは!」
無人の街並に、あなたは踊り出る。
「僕の街が、どうしてここに! それに、何故誰もいないんだ!」
案内人は、そこでもやはりあなたの前に立ち、先を進んでいく。
あなたは早足になってレビトの後を追った。
彼女はうつむいて、あなたの目を見ようとせず、悲しげに言う。
「あなたは今まで疑ったことがないのですか?」
「なにを!」
「自分が今まで知ったことの全てが、真実であるか、否かを」
レビトは角を曲がり、商店を抜け、やがて袋小路に差し掛かる。
樽に隠されたドアに手をかけた。
「あなたが地下だと思って育ったこの場所は地下ではなく、むしろ上空にあったのです。この塔こそが、あなたが暮らしていた町」
「なんですって!?」
「あなたは、ただ単に外に出てしまっただけなのです」
「そんな馬鹿な! 外は灼熱の世界のはずです!」
「三千年も経てば、汚染は浄化されます。あなたは、生まれた時から嘘を教え込まれてきたのです」
「まさか! 外に出ただけですって!? ここが異世界だと言ったのはレビト! あなたではないですか!」
「それは、近くにラトがいたからです」
「太陽だって二つもあった! それこそ異世界のように!」
「三千年前、小さな太陽は木星と呼ばれていました。当時は惑星規模でも大変動が起こり、この世界の軌道も変わったし、木星が高熱化し、第二の太陽となったのです」
レビトがドアの中に入ってゆく。
そこは、あなたもよく知った場所、木の部屋だ。
あなたは彼女を追うように続いて部屋に入る。
室内は、あの時のままだった。
あなたの作った小さな太陽が倒れていて、レイヤの木が立っていて、薄暗い。
「私は、この実を食べることを目的としていました」
熟れて地面に落ちていた赤い木の実を、レビトは拾い上げる。
以前、手作り太陽をラトに見せた日に、あなたも一緒に見た、一つだけ実ったレイヤの実だ。
「この実を口にした者は、楽園から追放されることになります。それは言い換えれば、この世界から脱出するということ」
実を手にし、レビトはあなたに体を向ける。
「私はずっと待っていました。この神の果実が実るのを」
「それはレイヤの実だ! 神の実なんかじゃない!」
「いえ、神の実です」
レビトはさらに哀愁を瞳に宿らせ、あなたを見つめている。
「神の実を実らせる巨木は人を飼う者の手によって削られ、塔の形にされました。この世界で最も大きな樹こそが、砂時計の塔。それがあなたの故郷です。あなたは元々地下ではなく、大木の中で暮らしていたのですよ」
「意味が解らない! そもそも、そんな、樹を削るだなんて馬鹿げたことを! そんなことをしたのは何者ですか! 人を飼う者ですって!?」
「あなたは今までずっと飼われ、監視されていました。この世には、人間はもう二人しかいないのです。あなたと私の二人だけしか」
最後のお別れにと、レビトは全てを語り出す。
「私は科学という名の魔術で、この部屋に穴を開けました。この実が熟し、落ちる頃に」
あなたは顔を青ざめさせ、それでも彼女の話に黙って聞き入る。
「空間を繋げ、落下した実が私の元にくるようにしてあったのです。しかし落ちてきたのは実ではなく、あなた方でした。この部屋に開けた穴は、物が通過したら消滅し、そして二度と開けることができません。あなた方が落ちてしまったことにより、穴は永久に閉じてしまったのです。私は予定を変更し、あなた方をこの塔まで送り届けることにしました。私一人に対しては、この塔は扉を開いてはくれません。したがって私はあなたを飼い主に回収させると同時に、自分で直接この部屋に来ることにしたのです」
「信じられない!」
あなたは絶叫する。
「ここが僕の街であるはずがない! この世界こそが偽物なんだ!」
「まだ気づいていないのですか?」
レビトの銀色の瞳には、涙が浮かび始めている。
「あなたの友人の名は?」
「ラトがどうした!」
「では、私の名は?」
「レビト! 偽名でないのならな!」
「あなたの父、母の名は?」
「ルークにマナト! それがどうしたんだ!」
「それでは、あなたの名は?」
まるで頭に岩を落とされたかのような衝撃を、あなたは味わう。
あなたは今まで生きてきて、ただの一度も名を呼ばれたことがなかった。
「あなたには名前がありません」
呆然と、それでもどこかで激しく頭を巡らせ、あなたはただ立ち尽くしている。
レビトの目からついに雫がこぼれた。
「あなたは、他の者と区別される必要がないのです。だから名前を与えられませんでした」
「嘘だ」
「この街の住民は、あなた以外は全員、人を飼う者の操り人形です。ご両親も、ご友人も、全て」
「やめろ」
「この街も、与えられる情報も、何もかもあなた一人のために作られた虚構なのです」
「やめろ!」
今までの生涯で最も大きい声を、あなたは出す。
「僕に、世界を返してくれ!」
あなたが叫ぶと同時に、何かが破裂したかのような炸裂音が部屋中に響き渡った。
赤い実がレビトの手を離れ、床を転がり落ち、止まる。
案内人は崩れ去るかのように両膝を床について、やがてゆっくりと前のめりに倒れ込んだ。
うつ伏せになった彼女の向こうには、ラトの姿があった。
「ラト!」
あなたは親友に駆け寄ろうとする。
しかし違和感があって、あなたは足を止め、ラトの様子を伺った。
表情の全くない彼を見るのは、初めてのことだった。
ラトは右手に黒い道具を持っていて、それは短い棒を直角に折り曲げたような形をしている。
あなたはそれが武器なのだと直感した。
ラトが口の端を吊り上げる。
「この女、最初に異世界に迷い込んだなどと嘘を言ったのは、やはり俺の目を気にしてのことか。この人間を気絶でもさせてここまで運ぶようならまだしも、何もかもバラしやがった」
「ラ、ラト? どういうことだ?」
「人飼いはもうやめだ。それにしても、まだ外に人間の生き残りがいたとはな。全て滅んだとばかり思っていたが、この女はどうやって生き延びたんだろうな。殺す前に訊いておけばよかったか」
「ラト、お前、なにを?」
「お前を身近で観察し、想像を巡らせては楽しんでいたよ。あと数十年ほど飼って、その頃にこの世界の正体を教えれば、お前は今以上に苦しんでいたんだろうってな」
「おい、冗談はよせよ、ラト」
「お前が産まれる前はな、いくらか他の人間もいたんだ。だが思うように繁殖しなくてな。徐々に数を減らしていった。お前が最後の1人だったんだ」
「おい、なに言ってんだよ、ラト。お前、本当にラトなのか?」
「ちなみにお前の両親な、お前を産ませてすぐ始末してやった。使い道が思いつかなくなったんだ」
「なんだよ、はは。お前、ちゃんと喋れるんじゃないか」
「どけ。その実は俺が喰う。実は、最初から直接自分で取って喰うつもりだったんだ。それを、そこに転がる女に邪魔をされたのさ」
「そうだ、ラト!」
あなたは親友に顔を近づけ、「にー!」と笑ってみせる。
どのような感情からか、あなたは涙を流していた。
人を飼う者は、冷ややかに「どけ」ともう一度言った。
「ラト! 目を覚ませよ! お前、操られてるんだな? それとも偽物か? はは。いつもの調子に戻れよ。頼むよ。戻ってくれよ」
するとラトはあなたに笑って見せる。
いつか見た絵画にあった、悪魔のような残酷さを秘めた笑顔だ。
暗くなった殺風景な部屋に、その表情はどこか映えて見えた。
ラトが、覚えのある言葉を発する。
「馬鹿だな、お前は。それは今までの人生のほうが間違えているんだ。先入観、ってやつだよ」
「うわああああ!」
あなたはついに暴走し、親友に殴りかかる。
この世のどこまでが嘘で、どれが真実なのか解らない。
疑うべきが何で、受け止めるべき事実はどこにあるのか。
上とか下といった概念さえも嘘なのか、目に見えるものも、耳に入る音や声も信じてはいけないのだろうか。
自分は果たして、存在しているのだろうか。
あなたが知っているラトは、もう2度と現れないのだろうか。
この偽物を倒せば、あるいは強く叩けば、親友は元の無邪気さを取り戻してくれるのだろうか。
あなたの攻撃を一切避けようともせず、微動だにしないで、ラトは残虐そうに高笑いを続けている。
あなたはやがて疲れて、ラトにしがみついたまま崩れ、嗚咽した。
「世界は正体を現すと、僕から友人さえも奪うのか!」
ラトは「フン」と鼻を鳴らせ、実に向かって歩こうとした。
案内人はそこで死体を演じることをやめて立ち上がり、あなたが作った太陽を起こし、起動させる。
強力な光は、部屋にある物全てを照らし出した。
壁に映った木や、自分や、ラトの影を見て、あなたはボロボロになった短剣に手を添える。
以前ラトから受け取った刃は、廃墟となった教会をあなたに思い出させた。
「天使の殺し方を知っていますか?」
「天使と悪魔は、同じ生き物なのです」
「影を刺すのです」
「ぼぼぼ、僕は、ささ、さ、刺さないでね」
あなたは再び絶叫をする。
壁に投影された友の影に、渾身の力を込めて刃を突き立てた。
ラトは驚いたような表情を浮かべ、両手で胸を押さえ、その場に座り込む。
「ラト!」
短剣を捨て、あなたは親友に駆け寄って、抱き起こした。
手製の太陽に照らされながらラトは、真っ直ぐにあなたを見つめている。
「その実は、お前らが喰っても無駄だ。俺に喰わせろ。喰えば、俺は輪廻の輪から外れ、無になることができる。人飼いなんて余興に構う必要もなくなる」
「ラト! ラト! すまん! ラト!」
「また1からやり直しだ。お前ら、人間どものせいでな」
「ラト! 大丈夫か! ラトぉ!」
「フン」
ラトは最後に、思いっきり明るい笑顔をあなたに見せる。
「ぼ、ぼぼ、僕は刺さないでねって、いい、い、言ったのに」
そして彼は、目を閉じた。
「うわあああ! ラトー!」
あなたは親友を抱きしめる。
電球の寿命がきて、あなたの太陽は消え、木の部屋が再び闇を取り戻す。
あなたは二度と動くことのない親友を床に横たえると、頭を抱えてうずくまる。
やがてよろよろと立ち上がると、あなたは無心で木の実を拾った。
赤子のように泣きじゃくりながら、あなたは実にかじりつく。
味など解らず、ただひたすらにかじり続けた。
その実には、この世界から脱する効果がある。
ただの人間であるあなたにとって、それは死ぬということだ。
レビトと名乗った案内人、つまり私は二千年も昔にこの樹から実を取って口にし、永遠に死ぬことができない体になってしまっていた。
太古の武器でさえ私を殺すことはできない。
不死になってからさらに千年後に私は再び実を食し、膨大な知恵や知識を手に入れる。
神の木が育つ条件が二つの太陽であることや人類の真の歴史、千年毎に実る神の実の効果などの全てを知る。
次に実る追放の果実を食べなければ、私は永久に生き続けるしかないのだ。
そのことを、知恵の実は私に教えていた。
私は黙って、銀の瞳であなたの背中を見つめている。
案内人として、あなたを導こうではないか。
その実であなたは解放される。
せめて安らかにと、私は実を食すあなたを止めないだろう。
このまま始まりを終え、終わりを始めようではないか。
背後に立っている私の気配に気づくことなく、あなたは夢中で実をむさぼり続ける。
あなたはやがて、呼吸を止めた。
私はあなたの亡骸に近づいて、半分になってしまった実を拾い上げ、口へと運ぶ。
March 04
最後のアダム 1
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そこには壁も天井も存在しないし、地面の広さに果てがない。
旅を続ければ続けるほど、あなたは「つくづく異世界なのだな」と思い知る。
巨人でさえも手を届かせられないであろう位置にたたずんでいる物が太陽で、その下にある形を変えない真っ白な煙が雲。
限りなく広がる草木の床が大地で、さらに遠くに見える波のような影が山。
そして、終わりのない空間が空なのだと、あなたはそれまで全く知らずにいた。
砂漠を通過して森を抜け、あなた達は今、大草原を進んでいる。
「あそこで休憩しましょうか」
案内人が泉を見つけ、それを指で差した。
泉の周囲には、いかにも果実が実っているであろう樹木が生い茂っていて、それを見たラトが歓喜の声を上げる。
「みみ、実ー! 実!」
友のはしゃぎように、あなたは少し笑った。
そして、「実」という言葉から、あなたは初めてこの世界に来た日のことを回想する。
あなたがあの時、どうして気を失ってしまったのかは、未だ自分でも解らない。
あの落下するような感覚は、何だったのか。
どうやってこの世界に来たのか。
あの日、目覚めた瞬間から、あなたにとってはこの現実こそが夢のようだった。
上半身だけを起こすと、見たこともない壮大な景色が周囲を覆っていて、あなたは未知からくる恐怖のせいで、混乱をした。
「お目覚めになられたようですね」
すぐそばから発せられた声に、あなたは鋭く振り返る。
細身の娘がしゃがんでいて、あなたを見つめていた。
物静かな瞳をしているその娘は、白銀の薄い衣を身にまとっていて、足には皮のサンダルを履いている。
髪飾りは銀の鎖で編み込まれていて、同じく銀色をした長い髪が、風になびく。
彼女が身に着けている物のいたるところから、どこか品格を感じさせる細い鎖が伸びていて、それも風に吹かれ、わすかに揺れていた。
彼女はまるで、いつか絵本で見た精霊のようだった。
「ここは、あなたが住んでいた世界とは、全く別の世界です」
敵意を感じさせない娘の口調が、あなたにかすかな安らぎを与える。
彼女の話を聞けば、未知は未知ではなくなり、それで不安や恐怖は拭われるような心地がした。
「ご覧なさい、太陽を」
言われるがままに見上げると、強い光を発している丸い物体こそが太陽なのだと、あなたは初めて理解する。
「この世界には太陽が2つあります」
頭上には大きな太陽があって、視線を下げると小さな太陽もまた、地平線の近くで力強く輝いていた。
本物の太陽は、自分が作った太陽とは比べ物にならないほどに神々しく、眩しくて、あなたは少しばかりの恥を覚える。
「あの2つの太陽のおかげで、この世界には滅多に夜が来ないのです」
夜。
その言葉はあなたに、ラトを連想させた。
「ラトは!? 僕の他に、もう1人、近くにいませんでしたか!?」
「彼なら」
娘は静かにあなたの背後、木が群生している所を手で示す。
「あそこにいますよ」
目を凝らすと、木と木の間で蝶を追いかけ回している親友がうかがえて、あなたは安堵する。
「この世界には、よく人が迷い込んでくるのです」
娘に視線を戻すと、彼女は既に立ち上がっていて、うやうやしく頭を下げている。
「私の名はレビト。あなたを導く者です。この世界に来てしまった者を、元の世界に送り届けることを使命としています」
「お聞きしたいことが、山ほどあります」
あなたはようやく腰を上げ、レビトの前に立つ。
改めて見ると、彼女は、瞳までもが銀色をしていた。
「お答えします。ただそれは、旅を続けながらにしましょう」
「旅、ですか?」
「この世界には、1ヶ所だけ、『夜がくる場所』があるのです。あなた達は、そこに行かねばなりません。私が案内しましょう」
「よよよ、夜が見れる! 夜!」
いつの間にかこちらまで来ていたラトが、飛び跳ねながら両手を叩いた。
あなたには、何もかもが初めてのことだ。
旅も外気も、景色も、異世界も。
この外が、自分達の世界の外ではなくて良かったと、あなたは思う。
もし元の世界の外だったなら、あなたは毒を含んだ空気のせいで死に、砂の中に溶けてしまっていたことだろう。
「夜がくる場所には」
レビトはこの世界の様々なことを知っていた。
「砂時計の塔が建っています。あなた達が元の世界に帰るには、その塔に登らなくてはなりません」
言って、レビトは歩き出す。
あなたは慌てて親友を呼び寄せ、彼女の後に続いた。
旅の最初に、あなたの中で大きかった感情は不安だったが、それは次第に好奇心に取って代わられる。
飛べば、天空を覆い隠すほどに巨大な鳥。
「大地を憎む者」と呼ばれる、大剣で何度も地面を突き刺し続けている鎧。
連なった山脈にぽっかりと開いた巨大な横穴からは、向こう側の光景さえも望めた。
夜のない世界では日数の経過が解りにくかったが、数日に渡って旅を続け、気がつけばあなたは次の景色を楽しみに思っている。
あなた以上に好奇心が強いラトにとっては、さらに胸が躍っているに違いない。
「ねねね、ねえ! れれ、れび、れび、レビト! ここ、この実の他には、どどど、どんな、どんな実がある?」
泉のほとりで座り、黄色い果実の皮を剥き、喉を潤していると、やはりラトが騒ぎ出した。
「せせせ、世界一、おおお、美味しい実、どど、どこ? どれ?」
「そうですね」
案内人は静かに微笑んだ。
「この世界には、1000年に1つしか実らないという『神の果実』という実がありますよ」
「そそそ、それ、それ、おお、美味しい?」
「味は、どうでしょう? ただ、その実を口にした者は、ある変化が訪れるとされています」
その話にあなたは興味を示し、ラトに代わって問う。
「それを食べると、どのように変化するのです?」
「最初の実は」
レビトの憂うような横顔は、どこか寂しげに見えた。
「口にした者に永遠の命を与えました」
最初の実、と彼女は言った。
神の実は、実る毎に違う効果があるということだ。
「では、次の実は?」
「禁断の知恵を」
「では、さらにその次は?」
「そこまでは、あまりよく知られていません。『始まりを終わらせる実』とも、『終わりを始まらせる実』ともいわれています」
「それは、どういうことですか?」
「ねえねえ!」
興奮を抑えきれないらしいラトが、大きな声であなた達の会話に横槍を入れた。
「どどど、どこにある! そそ、その実! 実! どこ行けば食べれる?」
「ラト、話を聞いていたのか? 1000年に1つしか実らないんだぞ」
「ででで、でも! でも!」
「その果実は、この世界で最も巨大な樹に実ります」
続けてレビトは、ラトを喜ばせるようなことを告げた。
「その雲よりも高い樹は、もう近く。夜がくる場所に立っていますよ」
やったー!
とラトは両手を挙げて、もう既に幻の実を食べられる気になっている。
夜がくる場所。
そこには夜があって、元の世界に帰るための巨塔が建っていて、世界最大の樹木が雲を貫いている。
あなたはその景色を思い浮かべた。
「さあ、行きましょう。もうすぐ、夜がきます」
「よよ、夜!?」
やったー!
とラトが、再び両手を挙げた。
目的地が、いよいよ近いのである。
最後のアダム3に続く。