夢見町の史
Let’s どんまい!
2011
December 23
December 23
第1話・再会
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/457/
------------------------------
「早苗だから、さっちゃんって呼ばれてるの」
そのさっちゃんとはクラスが別々なので、一緒の班になれるなんてことはなかった。
僕は古いお寺や仏像なんかを見て回るのは嫌いじゃないんだけど、周りの友達はこういうのが退屈みたいだ。
「早く自由時間になんねーかなあ」
「まあまあ」
僕は親友の肩を叩き、なだめる。
「せっかくの修学旅行なんだからさ、そういうこと言わない言わない」
紅葉が綺麗な古都は今、日本ではどこでも見られる街並みに変わってしまっているけれど、僕は秋の涼しげな空気を目一杯に吸い込んだ。
宿泊先の旅館は雰囲気のある木造の建物で風情があるし、料理も凄く美味しくて、僕はとっても満足だ。
入浴時間が限られているけれど、温泉があるというのもポイントが高い。
「近藤! お前、ジャンケンに負けたんだから、みんなの布団引いてから来いよ」
「とほほ…」
「じゃ、俺ら先に行ってるからなー!」
慣れない作業だけど、どうにか人数分の寝床を用意して、僕はあたふたしながらようやく浴場へと向かった。
「いい湯だなあ~」
僕があまりにももたもたしてしまったからなのか、みんなはもう上がってしまった後のようだ。
大急ぎで来たんだけどなあ。
大浴場には僕以外誰も人がいなくて、なんだか貸し切りをしているようで贅沢でもあり、同時にこんなに広いにもかかわらず1人きりで入っていることを寂しくも思った。
「あれ?」
どうやら誰か来たらしい。
脱衣所からガヤガヤと声が聞こえる。
だけど、なんだか様子がおかしいぞ?
喧騒に違和感を覚えた。
「うわあ! 広~い!」
「あたしたちが1番乗りみたいねー」
女子たち!?
なってこったァ!
焦って来たせいで男湯と女湯を間違えた!?
どうしよう!?
みんな僕に気づかず、こっちに来る!
僕は忍び込んだ暗殺者のように気配を絶つと、そそくさと岩で出来たライオンの陰に隠れ、女子たちに背を向けると、口元から下を湯船に沈める。
「さっちゃん、胸大きい~」
「ちょ。ちょっと! やめてよう!」
嘘だろォ!?
さっちゃんまで居るのかよぉー!
またさらに見つかっちゃいけない要素が増えた。
僕はさらに水面に身を隠し、ぶくぶくと顔を沈める。
------------------------------
みんなでわいわいお風呂に入るのも楽しいんだけど、1人でゆったりする時間も好きだ。
きゃっきゃと騒ぐクラスメイトたちを眺めながら、あたしはどこかの岩陰でのんびりしようと浴場を見渡す。
あの口からお湯を出してるライオンの辺りでいいかな。
湯に浸かって、ゆっくりと奥へ。
しかし、そこには既に先客があった。
あたしと同じ発想をする人も、そりゃいるよね。
メガネを外しているのでぼんやりとしか見えない。
短めのショートカットにしているその人はよっぽど温泉が好きなのか、頭の上半分しか湯面に出しておらず、こちらに背を向けているようだ。
あたしはその隣で足を伸ばすことにした。
とてもリラックスできていることが、自分でも解る。
「気持ちいいね~」
と、隣に声をかけた。
「さっちゃん…!? いえ、ううん? そ、そうね。き、気持ちいいわ?」
自然に声をかけたら、不自然な声が返ってきた。
それはそれは見事な裏声で、あたしは一瞬押し黙る。
「ねえ、大丈夫? のぼせてるの?」
「いいええ。だ、大丈夫だわ?」
「だわ…? ねえ、平気? なんか耳まで赤くなってるみたいだけど」
「本当に平気ですわよ? お構いなく」
とても平気とは思えない声色だ。
どこかふらふらしているし、これは湯あたりを起こしているんじゃないかしら。
「ねえ、無理しないで、具合が悪かったら先に上がるんだよ?」
「上がれるもんならさっさと上がりた…! ううん、なんでもないわよ?」
様子どころか言葉遣いまでおかしい。
あれ?
そういえば…。
あたしの脳裏にちょっとした疑問が浮かぶ。
うちのクラス、ここまで髪の短い子、いたっけ…?
------------------------------
背後に来たさっちゃんがほんの少し黙ったから嫌な予感はしたんだ…。
「あなた、誰…?」
その言い方からして、今の僕、もの凄く警戒されてる。
誰かと訊かれても返す言葉がなくて、僕は黙り込むしかなかった。
さっちゃんが皆に顔を向けるような気配を、背後で感じる。
「ちょっとみんな! こっち来…!」
「わああ!」
慌てて僕は振り返り、さっちゃんの口を手で覆って塞いだ。
「んんー! ん? んン?」
「そう! 近藤だよ! お願いだから静かに!」
と、僕は声を抑えた。
「間違えて女湯に入っちゃって、出られないんだ!」
「ンー、うん」
「あ、ごめん」
さっちゃんの口から手をどけると、彼女は湯船の中の体を手で隠しつつ、僕に背を向けた。
僕も慌ててそっぽを向く。
さっちゃんが小声になった。
「本当に、近藤くん…? あたし今、メガネなくて…」
「残念だけど、本当に僕だよ。でも信じて。僕、本当にここが男湯だと思って…」
「男湯だったよ?」
「え?」
「ここ、時間帯で男女の入浴時間、変わるから」
「ああ!? そうだ! 忘れてた! 僕ジャンケンに負けたからそれで…!」
「しっ! 静かに!」
「あ、ごめん」
どうやらさっちゃんに嫌われずに済んだようでそこは一安心だけれども、でもまだまだピンチだ。
「さっちゃん、僕どうにか出たいんだけど、どうしよう…」
「ええっと、ちょっと待ってて!」
背中越しに水音が聞こえた。
さっちゃんが立ち上がった気配があって、僕はついドキッとしてしまった。
僕の真後ろには今、産まれたまんまの姿のさっちゃんが…!
ちゃぷちゃぷと彼女はどこかに行って、やがて遠くから大声がした。
「きゃあ! 滑ったあ! あ、あたしのメガネがー!」
どうやら彼女は転んだ振りをしてくれたらしい。
不器用ながらに演技をしてくれた。
「あはは! あんたってどうしていつも何もないところで転ぶのよー!」
「だってー!」
「メガネがなんて? 落としちゃったの?」
「うん、あっちに滑って行っちゃった、と思うんだけど」
「どっちどっちー?」
「あっちー!」
女子たちの目が浴場の片隅に行っているうちに、僕はそそくさと脱衣所へと早歩きをした。
助かった…。
------------------------------
「さっきのお礼がしたいんだけど」
夜、近藤くんがそう進言してくれた。
鼻にティッシュを突っ込んでいるけど、これはのぼせたせいで鼻血でも出したのだろう。
「どんなお礼がいいかなあ?」
「そんなのいいのに」
「いいからいいから! このままじゃ僕の気が済まないから! なんでもいいから、なんか言ってみてよ」
「そうだなあ」
考え込む。
あまり図々しいお願いじゃなくて、近藤くんも一緒に楽しめるようなことがいいよね。
「あ!」
思いついた。
うちの班の子たちがさっき「男子の部屋がどんな感じなのか見てみたいよね」などと盛り上がっていたのだ。
「あのね? 近藤くん、嫌だったら断ってね?」
「うん、なんでもいいよ。なに?」
「うちの班のみんなで、近藤くんたちの部屋に遊びに行っても、いい…?」
------------------------------
「そんなのいいに決まってるよ!」
間髪入れず、僕は力強く言い切っていた。
こうして消灯後の今、この部屋は夢のようなことになっている。
中には「女なんかに興味ねえよ」と強がっている男子もいたけれど、「興味なければ喋らなきゃいいさ」と軽く流した。
最初は誰もが何を訊ねて何を話したらいいのか判断できないみたいで、ぎこちなかった。
でも、自己紹介とかなんだかんだやっているうちに盛り上がって、時間はあっという間に過ぎてゆく。
本来だったら「俺今日は寝ねえから!」なんて断言した奴がぐーぐーといびきをかいたり、「うちのクラスで1番可愛いと思う女子って誰?」なんて普段なかなかできない話をしたりする時間帯だ。
ドアに1番近かったのは親友の春樹だ。
その春樹が何かに気づき、小さく叫ぶ。
「やっべ! 見回り来る! 安田先生だ!」
「マジ!?」
ただ起きているってだけでも怒られてしまうだろうに、今はよそのクラスの女子を連れ込んでしまっている。
これが先生に見つかったら反省文どころじゃ済まされない!
僕は咄嗟にさっちゃんの手を掴んだ。
誰かが慌てて電気を消し、部屋は真っ暗闇に。
物音からして、みんな布団に潜り込んだようだ。
僕はさっちゃん布団に引き入れる。
2人で頭から布団を被って息を殺した。
心臓の音が高まる。
なんでここまでドキドキするのだろう。
先生がガチャリとドアを開けて、この部屋を覗き込んでいるからか?
解らない。
シャンプーのいい香りが、すぐそこでするからか?
解らない。
布団の中で、さっちゃんが僕に抱きついてきているからだろうか?
解らなかった。
先生が去ったあとも、僕らは「気配を消すため」という名目で、しばらくそのままの体勢でいた。
------------------------------
あれから、前以上に近藤くんを意識するようになってしまい、彼を見かけても何も話しかけられなくて、あたしはずっとうつむいてばかりいた。
時間ばかりが過ぎてゆく。
あたしがメガネをやめてコンタクトをするようになった冬。
クリスマスもバレンタインも、あたしの期待するような出来事は起きなくて。
さらに時間が流れ、春。
近藤君が17歳の誕生日を迎えたときも、何もしてあげられなかった。
それでも同じクラスになれたらいいなあ、と密かに思っていたら、その願いが通じたらしい。
あたしたちは3年生で一緒になった。
そして、夏。
「僕の伯父さんが民宿やってて、何人かで行こうと思うんだ。さっちゃん、夏休みにどう?」
あたしはそれでようやく「行きたい」と、素直な笑顔を近藤くんに向けることができた。
------------------------------
ずっと変な意識をしていたせいでさっちゃんとなかなか話せなかったから、「安くしとくから友達でも連れておいで」と言ってくれた伯父さんに感謝感謝だ。
おかげで、彼女を誘ういいきっかけになった。
去年の修学旅行から全く接することができなかったツケを取り戻すかのように、僕らは海で大はしゃぎをした。
「あはは。待てー!」
「やだー!」
浜辺で鬼ごっこをしてさっちゃんを追いかけたり、
「何を書いてたの?」
「ううん! なんでもないっ!」
「いいじゃん、教えてよ」
さっちゃんが砂浜に何かしらの落書きをしていたことを執拗にからかったり。
「今日はこれに乗ろうよ」
僕が叔父さんからゴムボートを借りてきたのは、2日目のお昼だ。
台風が近いせいか波が荒ぶっているけれど、僕はこれにさっちゃんを誘って一緒に乗った。
少し沖に出る。
「きゃあ!」
突然の大波にボートが激しく揺れて、さっちゃんを海面へと放り投げる。
「あはは。大丈夫? さっちゃん」
手を差し延べるが、しかし。
さっちゃんはバシャバシャと水面をかき、暴れている。
まさかさっちゃん、泳げない!?
僕はさっちゃんを抱えようと、大慌てて飛び込む。
しかし、その判断は間違っていた。
溺れる人というのは必死だから、目の前に何かあったら無条件でしがみついてしまう。
正面から近づいてしまった僕はしたがって、さっちゃんに羽交い締めにされてしまい、そのまま一緒に溺れることとなってしまった。
「さっちゃ、ちょ…! 離し…!」
このままじゃ2人とも助からない!
息ができなくて、海水が鼻から口から入ってきて苦しい。
死ぬってこんなに辛いことなのか…!?
と思っていたら、僕を掴んでいた腕がふわりと離れる。
どうにかボートまで泳ぎ、掴まって一息つくと、僕は再び青ざめた。
「さっちゃん!」
彼女は、僕よりも先に気を失ってしまっていた。
ボートを浮きにし、ようやくさっちゃんを浜辺まで運んできた。
彼女は気を失っていて、このまま大事に至ってしまうのではないかと、僕らはてんやわんやだ。
成績優秀な伊集院くんや白鳥麗子さんといった頼り甲斐のあるクラスメイトがたまたま岩場を見に行って不在だったことも、タイミングが悪かった。
「どうしよう!?」
春樹に頼ると、あいつは断言をする。
「人工呼吸だ近藤!」
「そんなの、やったことないよ! 佐伯さんは!?」
女子は女子で「あたしだってないわよ! いいから早くやって近藤くん!」と、何故か僕に振る。
「そんな! 命が関わってるのに、僕なんかじゃ…! 春樹やってくれよ!」
「俺のほうがもっとわかんねえよ! 佐伯やれよ!」
「あたしはこの場で最もそういうのに詳しくないわよ! いいから近藤くん!」
「だ、だって! 無理だよ人工呼吸なんて! 春樹! 頼む!」
「そ、そうか。これも人命救助だ、し、仕方ねえ…。…あのさ、人工呼吸って、舌入れてもいいんだっけ?」
「やっぱり僕がやるよ春樹」
改めて、まじまじとさっちゃんを顔を見つめる。
彼女は目を閉じたままだ。
こんなときにそんなことを感じちゃいけないのは解ってる。
解ってはいるんだけど、人工呼吸、かあ。
言うまでもなく、それはマウス・トゥ・マウスだ。
唇に、唇をあてなくてはならない。
さっちゃんの唇に、僕の唇を…。
いやいやいかん!
そんな邪な発想を持つなんて不純だ!
これはキスじゃなくて、人命救助なんだから!
僕はさっちゃんの鼻を摘んで、口を近づける。
そんな僕の様子をまじまじと見つめる春樹と佐伯さんの視線を感じた。
あと1秒で、僕の唇はさっちゃんの唇と接触する。
というそのとき、
「あたし溺れてた!?」
ガバっとさっちゃんが起き上がり、彼女の額が僕の顔面を強打した。
「ぐあッ!」
遠のく意識の中、思う。
次に気を失うのは、どうやら僕のようだ。
------------------------------
優子ちゃんや春樹くんの話によると、近藤くんは溺れて気を失っていたあたしを助けようとしてくれたらしい。
それなのに、あたしが急に起き上がってしまったせいで…。
浜辺に立てたパラソルの下で、あたしは両膝を揃え、崩した正座のような姿勢で涼んでいる。
近藤くんの頭は、そんなあたしの太ももの上にあった。
「そのうち勝手に目を覚ますよ」
春樹くんはそう言って笑っていたけど、あたしは責任を感じてしまい、とても近藤くんを放って遊ぶ気になんてなれない。
近藤くんの寝顔は、なんだか無邪気な子供みたいで、男の子にこんなこと言っちゃいけないのかも知れないけど、可愛い。
茶色がかった短い髪を、少しだけ撫でてみた。
「あれ?」
近藤くんの左の肩に、傷のような跡があることに気づく。
正面や背中から見たら解らない角度だ。
これは確かに傷跡だった。
再び、幼かったあのときを思い出す。
風で飛ばされた帽子を取るために崖に上り、そこから落ちて左肩を怪我をしてしまった男の子…。
あたしの運命の人だった、なおくん。
近藤くんの下の名前は、直人…。
なおくん…。
「そんなまさか」
以前もなおくんイコール近藤くん説を勘ぐったことがあった。
あの時は冗談を思いついたような感覚だったけど、でも今は違う。
「んん~。…あれ? さっちゃん?」
近藤くんが目を覚ます。
「ご、ごめん! ずっと、その、膝枕、しててくれた…?」
「あ、ううん! こちらこそごめんね! あたしが勝手に溺れちゃっただけなのに」
「とんでもないよ!」
近藤くんが起き上がる。
「さっちゃんが無事でよかった~」
その笑顔は、間違いなく一緒だった。
幼少時代、あたしの帽子を取ってくれたときのなおくんの笑顔と、一緒だった。
「あの、近藤くん」
「ん? なに?」
「その肩って、怪我でもしたの?」
「あはは」
近藤くんは照れたように頭を掻いた。
「そうなんだ。子供の頃、崖から落ちてね」
「それって、何かを取りに登ったとかで?」
すると彼は目を丸くする。
「よく解ったね! なんで解ったの?」
間違いない。
この人だ。
この人、なおくん本人だったんだ。
あたしと将来を誓い合った、運命の人…。
…この一連のエピソードはハガキに書いて、いつものラジオ局に投稿しておこう。
誰にも話せない、あたしの秘密。
あの人に気づかれたら恥ずかしい。
でも、気づいてほしいから。
第3話「すれ違う想い」に続く。
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/459/
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参照リンク。
【ベタを楽しむ物語】春に包まれて
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/380/
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/457/
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「早苗だから、さっちゃんって呼ばれてるの」
そのさっちゃんとはクラスが別々なので、一緒の班になれるなんてことはなかった。
僕は古いお寺や仏像なんかを見て回るのは嫌いじゃないんだけど、周りの友達はこういうのが退屈みたいだ。
「早く自由時間になんねーかなあ」
「まあまあ」
僕は親友の肩を叩き、なだめる。
「せっかくの修学旅行なんだからさ、そういうこと言わない言わない」
紅葉が綺麗な古都は今、日本ではどこでも見られる街並みに変わってしまっているけれど、僕は秋の涼しげな空気を目一杯に吸い込んだ。
宿泊先の旅館は雰囲気のある木造の建物で風情があるし、料理も凄く美味しくて、僕はとっても満足だ。
入浴時間が限られているけれど、温泉があるというのもポイントが高い。
「近藤! お前、ジャンケンに負けたんだから、みんなの布団引いてから来いよ」
「とほほ…」
「じゃ、俺ら先に行ってるからなー!」
慣れない作業だけど、どうにか人数分の寝床を用意して、僕はあたふたしながらようやく浴場へと向かった。
「いい湯だなあ~」
僕があまりにももたもたしてしまったからなのか、みんなはもう上がってしまった後のようだ。
大急ぎで来たんだけどなあ。
大浴場には僕以外誰も人がいなくて、なんだか貸し切りをしているようで贅沢でもあり、同時にこんなに広いにもかかわらず1人きりで入っていることを寂しくも思った。
「あれ?」
どうやら誰か来たらしい。
脱衣所からガヤガヤと声が聞こえる。
だけど、なんだか様子がおかしいぞ?
喧騒に違和感を覚えた。
「うわあ! 広~い!」
「あたしたちが1番乗りみたいねー」
女子たち!?
なってこったァ!
焦って来たせいで男湯と女湯を間違えた!?
どうしよう!?
みんな僕に気づかず、こっちに来る!
僕は忍び込んだ暗殺者のように気配を絶つと、そそくさと岩で出来たライオンの陰に隠れ、女子たちに背を向けると、口元から下を湯船に沈める。
「さっちゃん、胸大きい~」
「ちょ。ちょっと! やめてよう!」
嘘だろォ!?
さっちゃんまで居るのかよぉー!
またさらに見つかっちゃいけない要素が増えた。
僕はさらに水面に身を隠し、ぶくぶくと顔を沈める。
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みんなでわいわいお風呂に入るのも楽しいんだけど、1人でゆったりする時間も好きだ。
きゃっきゃと騒ぐクラスメイトたちを眺めながら、あたしはどこかの岩陰でのんびりしようと浴場を見渡す。
あの口からお湯を出してるライオンの辺りでいいかな。
湯に浸かって、ゆっくりと奥へ。
しかし、そこには既に先客があった。
あたしと同じ発想をする人も、そりゃいるよね。
メガネを外しているのでぼんやりとしか見えない。
短めのショートカットにしているその人はよっぽど温泉が好きなのか、頭の上半分しか湯面に出しておらず、こちらに背を向けているようだ。
あたしはその隣で足を伸ばすことにした。
とてもリラックスできていることが、自分でも解る。
「気持ちいいね~」
と、隣に声をかけた。
「さっちゃん…!? いえ、ううん? そ、そうね。き、気持ちいいわ?」
自然に声をかけたら、不自然な声が返ってきた。
それはそれは見事な裏声で、あたしは一瞬押し黙る。
「ねえ、大丈夫? のぼせてるの?」
「いいええ。だ、大丈夫だわ?」
「だわ…? ねえ、平気? なんか耳まで赤くなってるみたいだけど」
「本当に平気ですわよ? お構いなく」
とても平気とは思えない声色だ。
どこかふらふらしているし、これは湯あたりを起こしているんじゃないかしら。
「ねえ、無理しないで、具合が悪かったら先に上がるんだよ?」
「上がれるもんならさっさと上がりた…! ううん、なんでもないわよ?」
様子どころか言葉遣いまでおかしい。
あれ?
そういえば…。
あたしの脳裏にちょっとした疑問が浮かぶ。
うちのクラス、ここまで髪の短い子、いたっけ…?
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背後に来たさっちゃんがほんの少し黙ったから嫌な予感はしたんだ…。
「あなた、誰…?」
その言い方からして、今の僕、もの凄く警戒されてる。
誰かと訊かれても返す言葉がなくて、僕は黙り込むしかなかった。
さっちゃんが皆に顔を向けるような気配を、背後で感じる。
「ちょっとみんな! こっち来…!」
「わああ!」
慌てて僕は振り返り、さっちゃんの口を手で覆って塞いだ。
「んんー! ん? んン?」
「そう! 近藤だよ! お願いだから静かに!」
と、僕は声を抑えた。
「間違えて女湯に入っちゃって、出られないんだ!」
「ンー、うん」
「あ、ごめん」
さっちゃんの口から手をどけると、彼女は湯船の中の体を手で隠しつつ、僕に背を向けた。
僕も慌ててそっぽを向く。
さっちゃんが小声になった。
「本当に、近藤くん…? あたし今、メガネなくて…」
「残念だけど、本当に僕だよ。でも信じて。僕、本当にここが男湯だと思って…」
「男湯だったよ?」
「え?」
「ここ、時間帯で男女の入浴時間、変わるから」
「ああ!? そうだ! 忘れてた! 僕ジャンケンに負けたからそれで…!」
「しっ! 静かに!」
「あ、ごめん」
どうやらさっちゃんに嫌われずに済んだようでそこは一安心だけれども、でもまだまだピンチだ。
「さっちゃん、僕どうにか出たいんだけど、どうしよう…」
「ええっと、ちょっと待ってて!」
背中越しに水音が聞こえた。
さっちゃんが立ち上がった気配があって、僕はついドキッとしてしまった。
僕の真後ろには今、産まれたまんまの姿のさっちゃんが…!
ちゃぷちゃぷと彼女はどこかに行って、やがて遠くから大声がした。
「きゃあ! 滑ったあ! あ、あたしのメガネがー!」
どうやら彼女は転んだ振りをしてくれたらしい。
不器用ながらに演技をしてくれた。
「あはは! あんたってどうしていつも何もないところで転ぶのよー!」
「だってー!」
「メガネがなんて? 落としちゃったの?」
「うん、あっちに滑って行っちゃった、と思うんだけど」
「どっちどっちー?」
「あっちー!」
女子たちの目が浴場の片隅に行っているうちに、僕はそそくさと脱衣所へと早歩きをした。
助かった…。
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「さっきのお礼がしたいんだけど」
夜、近藤くんがそう進言してくれた。
鼻にティッシュを突っ込んでいるけど、これはのぼせたせいで鼻血でも出したのだろう。
「どんなお礼がいいかなあ?」
「そんなのいいのに」
「いいからいいから! このままじゃ僕の気が済まないから! なんでもいいから、なんか言ってみてよ」
「そうだなあ」
考え込む。
あまり図々しいお願いじゃなくて、近藤くんも一緒に楽しめるようなことがいいよね。
「あ!」
思いついた。
うちの班の子たちがさっき「男子の部屋がどんな感じなのか見てみたいよね」などと盛り上がっていたのだ。
「あのね? 近藤くん、嫌だったら断ってね?」
「うん、なんでもいいよ。なに?」
「うちの班のみんなで、近藤くんたちの部屋に遊びに行っても、いい…?」
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「そんなのいいに決まってるよ!」
間髪入れず、僕は力強く言い切っていた。
こうして消灯後の今、この部屋は夢のようなことになっている。
中には「女なんかに興味ねえよ」と強がっている男子もいたけれど、「興味なければ喋らなきゃいいさ」と軽く流した。
最初は誰もが何を訊ねて何を話したらいいのか判断できないみたいで、ぎこちなかった。
でも、自己紹介とかなんだかんだやっているうちに盛り上がって、時間はあっという間に過ぎてゆく。
本来だったら「俺今日は寝ねえから!」なんて断言した奴がぐーぐーといびきをかいたり、「うちのクラスで1番可愛いと思う女子って誰?」なんて普段なかなかできない話をしたりする時間帯だ。
ドアに1番近かったのは親友の春樹だ。
その春樹が何かに気づき、小さく叫ぶ。
「やっべ! 見回り来る! 安田先生だ!」
「マジ!?」
ただ起きているってだけでも怒られてしまうだろうに、今はよそのクラスの女子を連れ込んでしまっている。
これが先生に見つかったら反省文どころじゃ済まされない!
僕は咄嗟にさっちゃんの手を掴んだ。
誰かが慌てて電気を消し、部屋は真っ暗闇に。
物音からして、みんな布団に潜り込んだようだ。
僕はさっちゃん布団に引き入れる。
2人で頭から布団を被って息を殺した。
心臓の音が高まる。
なんでここまでドキドキするのだろう。
先生がガチャリとドアを開けて、この部屋を覗き込んでいるからか?
解らない。
シャンプーのいい香りが、すぐそこでするからか?
解らない。
布団の中で、さっちゃんが僕に抱きついてきているからだろうか?
解らなかった。
先生が去ったあとも、僕らは「気配を消すため」という名目で、しばらくそのままの体勢でいた。
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あれから、前以上に近藤くんを意識するようになってしまい、彼を見かけても何も話しかけられなくて、あたしはずっとうつむいてばかりいた。
時間ばかりが過ぎてゆく。
あたしがメガネをやめてコンタクトをするようになった冬。
クリスマスもバレンタインも、あたしの期待するような出来事は起きなくて。
さらに時間が流れ、春。
近藤君が17歳の誕生日を迎えたときも、何もしてあげられなかった。
それでも同じクラスになれたらいいなあ、と密かに思っていたら、その願いが通じたらしい。
あたしたちは3年生で一緒になった。
そして、夏。
「僕の伯父さんが民宿やってて、何人かで行こうと思うんだ。さっちゃん、夏休みにどう?」
あたしはそれでようやく「行きたい」と、素直な笑顔を近藤くんに向けることができた。
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ずっと変な意識をしていたせいでさっちゃんとなかなか話せなかったから、「安くしとくから友達でも連れておいで」と言ってくれた伯父さんに感謝感謝だ。
おかげで、彼女を誘ういいきっかけになった。
去年の修学旅行から全く接することができなかったツケを取り戻すかのように、僕らは海で大はしゃぎをした。
「あはは。待てー!」
「やだー!」
浜辺で鬼ごっこをしてさっちゃんを追いかけたり、
「何を書いてたの?」
「ううん! なんでもないっ!」
「いいじゃん、教えてよ」
さっちゃんが砂浜に何かしらの落書きをしていたことを執拗にからかったり。
「今日はこれに乗ろうよ」
僕が叔父さんからゴムボートを借りてきたのは、2日目のお昼だ。
台風が近いせいか波が荒ぶっているけれど、僕はこれにさっちゃんを誘って一緒に乗った。
少し沖に出る。
「きゃあ!」
突然の大波にボートが激しく揺れて、さっちゃんを海面へと放り投げる。
「あはは。大丈夫? さっちゃん」
手を差し延べるが、しかし。
さっちゃんはバシャバシャと水面をかき、暴れている。
まさかさっちゃん、泳げない!?
僕はさっちゃんを抱えようと、大慌てて飛び込む。
しかし、その判断は間違っていた。
溺れる人というのは必死だから、目の前に何かあったら無条件でしがみついてしまう。
正面から近づいてしまった僕はしたがって、さっちゃんに羽交い締めにされてしまい、そのまま一緒に溺れることとなってしまった。
「さっちゃ、ちょ…! 離し…!」
このままじゃ2人とも助からない!
息ができなくて、海水が鼻から口から入ってきて苦しい。
死ぬってこんなに辛いことなのか…!?
と思っていたら、僕を掴んでいた腕がふわりと離れる。
どうにかボートまで泳ぎ、掴まって一息つくと、僕は再び青ざめた。
「さっちゃん!」
彼女は、僕よりも先に気を失ってしまっていた。
ボートを浮きにし、ようやくさっちゃんを浜辺まで運んできた。
彼女は気を失っていて、このまま大事に至ってしまうのではないかと、僕らはてんやわんやだ。
成績優秀な伊集院くんや白鳥麗子さんといった頼り甲斐のあるクラスメイトがたまたま岩場を見に行って不在だったことも、タイミングが悪かった。
「どうしよう!?」
春樹に頼ると、あいつは断言をする。
「人工呼吸だ近藤!」
「そんなの、やったことないよ! 佐伯さんは!?」
女子は女子で「あたしだってないわよ! いいから早くやって近藤くん!」と、何故か僕に振る。
「そんな! 命が関わってるのに、僕なんかじゃ…! 春樹やってくれよ!」
「俺のほうがもっとわかんねえよ! 佐伯やれよ!」
「あたしはこの場で最もそういうのに詳しくないわよ! いいから近藤くん!」
「だ、だって! 無理だよ人工呼吸なんて! 春樹! 頼む!」
「そ、そうか。これも人命救助だ、し、仕方ねえ…。…あのさ、人工呼吸って、舌入れてもいいんだっけ?」
「やっぱり僕がやるよ春樹」
改めて、まじまじとさっちゃんを顔を見つめる。
彼女は目を閉じたままだ。
こんなときにそんなことを感じちゃいけないのは解ってる。
解ってはいるんだけど、人工呼吸、かあ。
言うまでもなく、それはマウス・トゥ・マウスだ。
唇に、唇をあてなくてはならない。
さっちゃんの唇に、僕の唇を…。
いやいやいかん!
そんな邪な発想を持つなんて不純だ!
これはキスじゃなくて、人命救助なんだから!
僕はさっちゃんの鼻を摘んで、口を近づける。
そんな僕の様子をまじまじと見つめる春樹と佐伯さんの視線を感じた。
あと1秒で、僕の唇はさっちゃんの唇と接触する。
というそのとき、
「あたし溺れてた!?」
ガバっとさっちゃんが起き上がり、彼女の額が僕の顔面を強打した。
「ぐあッ!」
遠のく意識の中、思う。
次に気を失うのは、どうやら僕のようだ。
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優子ちゃんや春樹くんの話によると、近藤くんは溺れて気を失っていたあたしを助けようとしてくれたらしい。
それなのに、あたしが急に起き上がってしまったせいで…。
浜辺に立てたパラソルの下で、あたしは両膝を揃え、崩した正座のような姿勢で涼んでいる。
近藤くんの頭は、そんなあたしの太ももの上にあった。
「そのうち勝手に目を覚ますよ」
春樹くんはそう言って笑っていたけど、あたしは責任を感じてしまい、とても近藤くんを放って遊ぶ気になんてなれない。
近藤くんの寝顔は、なんだか無邪気な子供みたいで、男の子にこんなこと言っちゃいけないのかも知れないけど、可愛い。
茶色がかった短い髪を、少しだけ撫でてみた。
「あれ?」
近藤くんの左の肩に、傷のような跡があることに気づく。
正面や背中から見たら解らない角度だ。
これは確かに傷跡だった。
再び、幼かったあのときを思い出す。
風で飛ばされた帽子を取るために崖に上り、そこから落ちて左肩を怪我をしてしまった男の子…。
あたしの運命の人だった、なおくん。
近藤くんの下の名前は、直人…。
なおくん…。
「そんなまさか」
以前もなおくんイコール近藤くん説を勘ぐったことがあった。
あの時は冗談を思いついたような感覚だったけど、でも今は違う。
「んん~。…あれ? さっちゃん?」
近藤くんが目を覚ます。
「ご、ごめん! ずっと、その、膝枕、しててくれた…?」
「あ、ううん! こちらこそごめんね! あたしが勝手に溺れちゃっただけなのに」
「とんでもないよ!」
近藤くんが起き上がる。
「さっちゃんが無事でよかった~」
その笑顔は、間違いなく一緒だった。
幼少時代、あたしの帽子を取ってくれたときのなおくんの笑顔と、一緒だった。
「あの、近藤くん」
「ん? なに?」
「その肩って、怪我でもしたの?」
「あはは」
近藤くんは照れたように頭を掻いた。
「そうなんだ。子供の頃、崖から落ちてね」
「それって、何かを取りに登ったとかで?」
すると彼は目を丸くする。
「よく解ったね! なんで解ったの?」
間違いない。
この人だ。
この人、なおくん本人だったんだ。
あたしと将来を誓い合った、運命の人…。
…この一連のエピソードはハガキに書いて、いつものラジオ局に投稿しておこう。
誰にも話せない、あたしの秘密。
あの人に気づかれたら恥ずかしい。
でも、気づいてほしいから。
第3話「すれ違う想い」に続く。
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/459/
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参照リンク。
【ベタを楽しむ物語】春に包まれて
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/380/
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