夢見町の史
Let’s どんまい!
September 08
山々や木々。
川の美しさからしても、ここが東京都内とは信じられない。
あまり寝ておらず、しかも前日に大酒かっ喰らったにも関わらず、不思議と二日酔いにはなっていなかった。
2日目の昼。
起きてからはしばらく、川で遊ぶことにした。
水着を持参していたのに着替えなかったのは、足だけ浸かる気でいたからだ。
あと、ただ単に面倒臭かった。
この時の俺はジンベエを着ていて、背中に宴会用グッズ「キューピットの羽」を着け、頭部には変な黄色いマスクを装着していた。
部屋でやったカードゲームで、また負けたからである。
どんな角度から見ても立派な変態であったが、罰ゲームなので仕方ない。
川辺に下りようと、数人で部屋を出る。
すると、一緒に泊まっていた女子が外の風に当たっているのが判った。
俺と目が合う。
彼女は俺の格好を見て、挨拶をしないと、不信そうな表情を露骨に見せた。
頭に被っていたのがマスクではなく、パンツだったとしても彼女は同じような目線を俺に向けていたに違いない。
「ち、違うんだ!」
浮気がバレた彼氏のように、俺は激しく言い訳をした。
「これはただの罰ゲームで、決して俺の個人的な趣味とかじゃないんだ! 解るでしょ!?」
彼女はたった一言、
「話しかけてこないでください」
涙が出そうになった。
川には他のコテージを利用している知らない人たちがいて、俺を見ないように気をつけている。
さすがに耐え切れなくなって、羽とマスクは脱いだ。
川の水に足を浸す。
ひんやりとしていて、実に気持ちがいい。
足場は石ころだらけで、うっかりすると転びそうだ。
そんな不安定な場所に、誰かがビーチボールを放ってきた。
それがきっかけだ。
みんな自然と円になり、川の浅瀬でビーチバレーが始まる。
ビニールのボールは大きくて、軽い。
ちょっとした風に簡単に流されてしまう。
「あ」
ボールは俺の頭上を大きく飛び超えて、川の中央部に落下した。
そこから最も近いのは、俺だ。
「めささん! 早く取ってきて!」
「やだよ!」
俺は水着を履いていないのだ。
ボールが落ちたエリアは間違いなく、腰まで浸かる程度に深い。
あんなところまでボールを取りに行ったら、濡れちゃうじゃないか。
徐々に流され行くボールを指差して、若者が叫ぶ。
「めささん! いいから早く! ボールが流されちゃう!」
やだってば!
水着の人が行ったらいいじゃん!
「俺、カナヅチなんですよ! めささんが行ったほうが、絶対にオイシイですって!」
そう?
でもやだ!
川の水、冷たい!
駄々をこねていると、男子の1人が手を挙げる。
「だったら俺が行くわ」
なんかカッコイイことを言い出した。
ちょっぴり嫉妬するけども、でも助かる提案だ。
するとほぼ同時に、他の男子2名も手を挙げた。
「いや、俺が行くよ」
「いやいや、俺が行くって」
3人とも徐々にムキになってゆく。
「俺が行くって!」
「いいってば! 俺が行くよ!」
「いやいや、ここは俺が!」
置いてきぼりにされた感があって、ついつい俺も手を挙げる。
「だったら俺が行くよ!」
すると3名、綺麗に声を揃えた。
「どうぞどうぞどうぞ!」
どちきしょう。
俺は上島竜兵のように川に飛び込んだ。
川は、思ったよりも深かった。
俺のジンベエがどうなってしまったかは、皆さんの想像にお任せしたいと思う。
ボールを救出して戻ってくると、いつの間にか新たな遊び道具が増えていることに気づく。
水鉄砲だ。
案の定、撃たれる。
「やめてやめて!」
俺は必死になって抵抗をした。
「俺、水に濡れたくない人なの!」
乾いた部分のほうが少ない男が一体何を言っているのだろうか。
「ところでさあ」
俺は下流に目をつける。
川を少し下ると、見るからに水の流れが速くなっているのだ。
もの凄く冒険心をくすぐられるじゃないか。
「ねえ、みんな。あっちに行ってみない?」
こうして、男子たちはざぶざぶと川の中を。
女子たちは陸地を歩き、皆で下流を目指す。
水位は太ももぐらい。
流れは思った以上に急だ。
急流の先は見た感じ、足が着かないような色をしていて深そうだった。
うっかり流されようものなら、軽く死ねる印象を受ける。
「こりゃあ、どこまで行けるか限界が知りたいね」
「ですね! すげーロマンがある!」
俺たち男子は、この時点で既にお馬鹿さんだった。
ギリギリまで進むということは、どこが限界であるのかを自分で見極めなくてはならないということだ。
それが判る頃というのは、流されている最中である。
先頭を行っていたのは、先ほどカナヅチ発言をしていた男子だ。
泳げない分、ウォーキングが上手で、彼はぐんぐん先に進んでいってしまう。
「すげー! 流れが速い!」
早いのはお前の歩調です。
さすがに危険を感じ、俺は彼に「ちょっと待って!」と口を開きかけた。
いざという時、掴める距離に彼にいてほしかったからだ。
ところが俺は「ちょ」までしか言えなかった。
カナヅチの男子が突如、スピードアップした。
あれはマラソンランナークラスの速度だった。
速すぎる。
どう見ても間違いない。
彼は流されていた。
今だからこそ笑って書けることだが、当時は本当に焦った。
遠目で見たら流しそうめんみたいに、彼はつるんと流されちゃっている。
だいたい、なんでカナヅチの奴が先にガンガン進んじゃってたんだよ!
心の中で毒づきながら、俺は流れの先を目指して飛び込む。
溺れてる人を助けるときは、正面からではなく、背後から近づく。
でないと掴まれて、助ける側まで溺れてしまうからだ。
後ろから近寄ったら胴体などを持ち、仰向けになるようにして呼吸をさせる。
間に合わなかったら、人工呼吸だ。
急流の中、平泳ぎで加速しながら、俺は救命方法を脳内で復唱していた。
ところがどっこい。
俺が着ているジンベエは、水中では邪魔にしかならない。
水の抵抗をモロに受けてしまう。
思った方向に泳ぐことが全くできない。
やがて足が届かないポイントに到達する頃になると、自分の顔を水面に出すので精一杯といった有様だった。
溺れるとしたら、恋に。
とか言ってる場合じゃない。
マジ流され、マジ溺れだ。
身動きが取れん。
どうしましょう。
先に行ったはずの男子に目をやる。
彼は自力で足の着く場所まで辿り着いていて、そこには本当に安心した。
あとは俺だけだ。
でもまあ、泳ぎにくい服装だったとはいえ、そこは流れも緩やかになっていたので無事、どうにか岸まで移動することができた。
「いやあ、怖かった!」
「でしたねー」
2人で無事を祝い合う。
「水難事故が起こる理由、リアルに解りましたよ」
「俺もだよ。この経験のおかげで、次からは無茶する奴を止めてやれるね」
「あれ?」
男子の視線に釣られて、俺も上流に目をくばらせる。
なんと、3人目の犠牲者が流されてくるところだった。
仲間が増えたと喜ぶところかも知れないが、さすがに冗談を言える状況ではない。
俺は川の中に戻り、彼を受け止める体勢を整えた。
「君も来たか」
「だって、めささんとあいつ、2人で流されて行っちゃうんですもん。助けなきゃ、と思って」
「俺が飛び込んだ動機と一緒だ。でもさ、流されている間は、誰か助けることなんて不可能だと思ったでしょ」
「思いました思いました! ありゃ無理ですよ」
「だよねー。とにかく、上まで戻ろう」
目指すべき上流に、再び視線を走らせる。
そこには、やはり俺たちを助けるつもりになっていたのだろう。
4人目の男子が心配そうに、こちらに来ようとしていた。
流された3人組は必死になって、大声を張り上げる。
「来るなーッ!」
「ひーきーかーえーせー!」
「こっちには絶対、来ちゃ駄目だーッ!」
このマジっぽさが、川の危険度を浮き彫りにしていた。
これをお読みになった皆さん、水難事故は簡単に発生します。
本当に気をつけて。
「山とか川だけじゃねえ。温泉にも危険はいっぱいだ」編に続く。