夢見町の史
Let’s どんまい!
February 14
凧揚げだったらやってもいい。
最初にそう言い出したのはチーフだ。
お正月に遊んでほしくて「構って構って」と駄々をこねたところ、返されたセリフがそれだった。
「たたた、凧揚げ!?」
隣に座っていたスー君が驚いて、体をぶるぶると震わせた。
絵に描いたかのようなびっくり具合だ。
チーフは普段からクールな印象なので、まさか少年心満載に「凧揚げ」とくるとは思わなかったのだろう。
だからってリアクションが大きすぎだ。
「この歳で凧揚げやったら、逆に面白いと思うんだよ」
そんなチーフの意見に、俺は瞳を輝かせる。
「やろう! 正月は凧揚げだー!」
で、何故か2月になった。
二日酔いだったりテンションが上がらなかったりで、延期になりまくったのだ。
一応、俺にもチーフにも、やる気だけはあった。
それは一緒に行くことになったスー君にしても同様だった。
スー君は姪っ子から凧を貰ってくれていたし、俺も繋ぎ足す用のヒモを大量に準備していた。
特に、言いだしっぺのチーフが素晴らしかった。
彼はわざわざ東急ハンズまで足を運び、凧の売り場を訪ねると、そんな物は販売されていないと思い知らされた。
チーフは結局、壁などに飾る用の和凧を購入したのだそうだ。
飛ぶのだろうか。
「俺が買った和凧には凧糸が付いてない。めさが用意したヒモと組み合わせて使おう」
「了解!」
俺が用意したのは凧糸というより、断然に重い作業用の麻紐である。
そのことだけは当日までの内緒だ。
でないとまた怒られる。
そうこうしているうちに、2月の13日。
起きて俺はチーフに電話を入れた。
前もって「今日こそは」と決めてあったのだ。
どんなに二日酔いであろうと、何があっても絶対に、次回こそは凧を上げよう!
例え風邪で熱が出てしまったとしても、必ず!
でも雨が降ったら延期ね?
男らしいのか軟弱なのかよく判らない意思表示も、前日からしてあった。
「もしもし、チーフ? 起きた?」
「なあ、めさ。相談なんだけど、今日はやめないか?」
「駄目! 絶対やるのー!」
「二日酔いが酷いよ」
「やだ! 絶対に凧上げる!」
「だいたい凧揚げって、企画からして良くないよ」
「チーフが言い出したんじゃん! とにかく公園に現地集合ね! 早く来てね!」
かくして俺は何度も「早くに集合しよう」とチーフに念を押した。
にもかかわらず、遅刻をしやがった。
ちなみに、遅刻をしたのは俺とスー君だ。
だだっ広い公園のベンチで、チーフが寒そうにタバコを吸っている。
「ごめんちょ。待った?」
「おう」
チーフの足元には、予想より遥かに大きな四角い凧が横たわっていた。
なんとなく、親愛なるバーの店主を思い出す。
イージーバレルのマスターは何気に凧揚げの達人で、いつかチーフにアドバイスをしていた。
「和凧は宙でクルクル回っちゃうから、足を2本ぐらい付けておくといいよ」
ここでいう「足」とは、帯状に切り取った紙のことだ。
これが凧の下方に付いていると、とっても安定した飛びっぷりを見せてくれるのだという。
チーフの凧に目をやる。
アドバイスの通り、いい感じにバランスが取れそうな新聞紙の足が2本、しっかりと装着されていた。
「俺、二日酔いの状態で、起きて5分で工作したのは初めてだ」
1人黙々と新聞紙にハサミを入れていた33歳。
お疲れ様です。
さて。
公園の、さらに開けたエリアに俺たちは移動する。
「ここでいっか?」
「だねー」
そこはたまたま、俺の思い出の場所だった。
数年前に、空手のライバルと決着をつけようと派手に決闘をした場所だ。
そんな昔話を、チーフに話す。
「こんな人目の多いとこでやったのか。聖戦だな」
「うん。なんかね? ハルマゲドン! って感じだった」
RPGのような会話をしつつ、まずは和凧に糸、というか、ヒモを取り付ける作業に入る。
「めさ、それは凧糸じゃねえ」
「風の力を信じようよ。なんだかんだいっても、結局は飛ぶって。飛ぶ飛ぶ」
「飛んでんのはお前の頭だ」
その瞬間、信じられない出来事が発生する。
そばを歩いていた犬が、いきなり猛ダッシュで駆け寄ってきて、地面に置いていた凧を全力で踏みつけた。
中型犬による、まさかのサプライズだ。
犬はかなりのハイテンションで、無駄に絶好調だった。
俊敏なフットワークで、凧にガンガン蹴りをくれている。
俺たちに何か恨みでもあるのだろうか。
犬に言葉が喋れたら、奴は間違いなくこう言っていたはずだ。
「ぜってー飛ばさせねーよ!? 上げるなっつーの! マーキングすっぞコラァ!」
こんなに酷い仕打ちは初めてだ。
やんわり撫でて、犬を凧じゃない土地に誘導しようと試みる。
俺やスー君が手を伸ばすと、犬はそれを素早くよけた。
どうやら犬は、構ってほしいのではなく、あくまで凧を攻撃したいだけらしい。
一瞬だけ逃げた犬は、驚くべきスピードで再び凧に飛び乗った。
「どうしても凧を飛ばすというのなら、俺を殺してからにしろ!」
とんでもない気迫の犬である。
「凧揚げだけは絶対に許さねえ! これでもか! これでもか! ひゃっほーう!」
人の凧の上で、この犬は実に楽しそうだ。
「ぜってー阻止してやる! たとえこの命に代えてもな!」
決死の覚悟をもった勇敢な中型犬。
「どかせるものなら、どかせてみな!」
しかし犬は、飼い主さんに怒られ、どっかに連れ去られてしまった。
「と、とにかく、上げようか」
「そうだな」
チーフにスー君に俺。
誰もが30代だ。
寒空の下、大の大人たちによる凧揚げが始まろうとしている。
「ヒモの取り付け、OK!」
「よし、めさ、走れ!」
「うい!」
「フランス語で返事をするな」
チーフに凧を構えてもらい、俺はヒモを手に、一気に走り出す。
後編に続く。