夢見町の史
Let’s どんまい!
May 14
「めさー! 遅い! 早くカウンターに入って働けー!」
入店早々フロアレディの皆に言われ、俺は「ごめんごめん」と謝りながら店の奥に進む。
カウンター内部からの風景が、なんだか懐かしい。
でも俺、スナックSを辞めてもう3年ぐらい経つのに、なんで働かされるのだろうか。
今日はお客さんとして来たのに。
正気に戻ってカウンター席に腰を下ろす。
隣には、近所でも有名なK氏の姿があった。
彼は本当に凄い。
歳はそこそこ中年で、印象としては「ちっちゃいおっさん」という感じなのだが、あんまり可愛くない。
彼は新人のフロアレディを見るとまず「お前は頭が悪いデスよね~」とか「お前は嫌いだ」などと口走り、傷つけるところから始める。
そのクセすぐ「デートしてくだサ~い」って言うし、お誘いの瞬間だけ何故か女の子の目じゃなく、俺の顔を見るし。
おかげで過去、うっかり電話番号を交換してしまったことがある。
背もたれが高くない椅子なのに後ろに体重をかけて寝入るから、体がマトリックスみたいに沿るし。
そんな不自然で居心地の悪そうな体勢でも絶対に起きないし。
そりゃ近所で有名にもなるわけだ。
しかし久々に見るこのK氏、どうやらしばらく見ない間に成長していたらしい。
「迷惑かけてないからいいデスよね~」
口癖のバリエーションが増えていた。
変化がない点は、何を言っているのか解からないことと、他人に対して無神経なところだろうか。
「モンブランちゃん? あの女は頭が悪いデスよね~」
モンブランというのは、この店を週に1回手伝っているフロアレディのことで、何気に俺の妹だ。
実の兄貴のすぐ横で、妹をただのバカ扱い。
すげえ。
そのことが可笑しくてたまらず、俺はげらげらと笑っていた。
ところが、他のお客さんたちが気まずそうだ。
「うわあ、あの人、お兄さんの真横で妹さんのことを頭悪いって言った~」
「めささん笑ってるけど、実は気を悪くしたんじゃないか?」
そう顔に書いてある。
気を遣わせては、皆様の楽しい酒が台無しだ。
俺は店内に聞こえるように突っ込みを入れる。
「Kちゃん、兄貴のそばでそういうこと言わないの! もっと陰で言いな!」
「だってモンブランちゃん、頭が悪い…」
「のぉーい! 言ってるそばからまた言ったー! 確かに妹は『頭が悪い』けど、オメーは『頭がおかしい』よ!」
そのやり取りを喜んだのは、うら若きフロアレディだ。
腹をかかえて笑っているところを見ると、彼女も以前、K氏に何事かを言われ、ショックを受けた経験があるのだろう。
目でお礼を言ってきた。
彼女のその笑顔に、K氏が嬉しそうな表情を浮かべる。
彼のお目当ては、どうやら今目の前にいる彼女のようだ。
「じゃあ、デートしてくだサ~い」
じゃあってなんだ。
なんでそれを俺に言うんだKちゃん。
「めささんの言う通りですよ、Kさん。デートのお誘いする時は、ちゃんと相手の目を見ないと」
「そしたらデートしてくれるんでスか~」
それとこれとは別問題だよ、Kちゃん。
「なんで誰もデートしてクレないのでしょうカ~。ボク、こんなにいい男じゃないでスか~。ボクはいい男」
そんなことないよ。
「じゃあ、デートしてくだサ~い」
だから何故そこで俺を見る?
いい?
Kちゃん。
デートに誘いたいなら姿勢を正して、まっすぐ女の子の目を見て、真摯な態度で言わなきゃ駄目だよ。
しっかり相手に伝えなくっちゃ。
そうすれば向こうだってちゃんと、「ごめんなさい」って言うんだから。
「あはは! めささん、ちょっと聞いてくださいよ」
大笑いしながら、従業員の彼女が言う。
「あたし、Kさんに初対面で『お前は男だ』って言われたんですよ。それなのにデートしてくれって言われても、行きたくないですよねえ」
またそういうこと言ったの!?
駄目でしょKちゃん、ごめんなさいは!?
「迷惑かけてないからいいデスよね~」
ううん、すっごく迷惑かけてるよ。
「あたし、本当にショックだったんですよ」
Kちゃんは新人みんなにそういう扱いをしちゃうんだよ。
気にしない気にしない。
「でも、迷惑かけてないからいいデスよね~」
いいえ、迷惑かけてます。
そこまで見事な迷惑も珍しいよ。
だいたいね、この子なんかKちゃんのせいで毎晩泣いてたんだぜ?
土砂降りの中、傘も差さずに。
俺と抱き合って、2人で号泣したんだから。
「ね~、めささん。抱き合いましたよね~」
ね~。
「じゃあボクも~」
だから「じゃあ」ってなんだ!
あと、今の「抱き合った」の下りは凄く解かりやすい冗談なのだから、突っ込みお願い申し上げたい。
元職場は、相変わらず平和でした。