夢見町の史
Let’s どんまい!
July 10
will【概要&目次】
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<万能の銀は1つだけ・3>
ガルドの家の前には多くの花が手向けられている。
やがて運び出されるであろう棺にも、少しでも死者を慰めようと色とりどりの花が敷き詰められているに違いない。
角にある花屋の脇道に入ってしばらく進むとレンガ作りの家並みが通行人の左右に展開される。
ガルドの家はその内の1軒で、そこは普段なら小鳥のさえずりぐらいしか耳に入らないような物静かな場所だ。
だが今は葬儀のため、すすり泣く訪問者たちの声に取り巻かれている。
待ち合わせに来ないガルドを心配に思い、レーテルがこの家を訪ねた頃はもう遅かった。
謎の連続殺人事件は親友の自宅でも発生していたのである。
現場検証のために既に集まっていた自衛士隊や家の周囲を取り囲む野次馬たち。
本来そこにあるべきではない彼らの存在がレーテルの血の気を引かせ、全身を総毛立たせる。
内心わずかに感じていた不安はもしかすると予感の一種だったのかも知れないと、レーテルは呆然と考えていた。
ぽつり、ぽつりと雨が降り始める。
弔いの儀はその翌日に行われた。
見晴らしの良い丘に棺を埋める頃になると雨は本格的に勢いを増し、それは号泣する天の涙を連想させた。
神父が祈りの言葉を捧げ、弔問者一同は雨具も身につけず両手を組んで目を閉じている。
棺に最後の土がかけられ、レーテルは静かにそれまで閉じていた目を開けた。
「ガルド」
ふと友の名を口にしてみる。
最愛の女性を殺されてしまったガルドの心境がどんな有り様なのか全く想像もつかなかったため、どう声をかけていいのかレーテルには判断がつかないのだ。
ガルドは黙って、10歳になる息子の背に手を添え、自分の妻が埋葬された辺りを見つめていた。
息子のルキアも無言で、下唇を噛んで何事かに耐えるような表情だ。
ガルドの家で一体何が起こったのか。
詳細までをレーテルは知らない。
現場に駆けつけていた自衛士や周囲の野次馬から集めた断片的な情報を組み立てみると、どうやらガルドの妻は息子をかばって背中を切りつけられ、死に至らしめられたらしい。
つまり息子であるルキアが犯人を目撃した可能性は極めて高いのである。
問題は、目の前で母親を殺されたばかりの子供に不躾な質問ができないことだ。
ガルドの妻は聡明で美しく、ガルドが剣士の資格を取るまえから彼をささえてきたと聞き及んでいる。
愛妻家として知られるガルドの悲しみも尋常ではあるまい。
小高い丘でひとしきりの冥福を祈り終えると、レーテルと同じ考えを持ったのか、はたまた剣士一家から近づきがたい気配を感じたのか、彼ら親子に声をかける者はなかった。
雨は、まだ降っていた。
翌日になってレーテルは残された親子のことが心配になり、自分からかける言葉がないことを知りつつも再びガルドの家を訪れる。
玄関の金具でノックをすると、普段着をだらしなく着崩したガルドが「おう」とレーテルを迎えてくれた。
飲んでいたらしく、ガルドからは酒の匂いがする。
居間にはいつものような明るさがなく、パンを焼くための釜戸も閉められていて、テーブルの上には商店から買ってきたと思われるパンと干し肉、そして酒瓶とで散らかっている。
ガルドの伴侶がもしいれば、ただちに片付けろと夫を叱っているに違いない。
レーテルが驚いたのは、ガルドの息子もテーブルについていたことだ。
ルキアの前にも当然のようにグラスが置かれている。
父親に似たのか10歳にしては大きな体の子供は少し顔を赤らめ、自分の膝を両手で鷲掴みにしていた。
「おいガルド」
レーテルは目を見張って親友に詰め寄る。
「まさかお前」
「ああ。ルキアにも飲ませた。朝っぱらからな」
そう堂々と返されては何も言えない。
レーテルは「そうか」とだけつぶやいた。
「酒はいい」
ガルドがフンと鼻を鳴らせる。
「怪我をしたら消毒もできるし、痛みも紛れさせる。心の痛みであってもな」
親友の言葉を聞いて、レーテルは「らしくない」と思ったが、いやそれほど妻を失った苦しみは凄まじいのだと考え直す。
息子に酒を振る舞ったのも、彼を慰めるためだろう。
神経を研ぎ澄ましてみると、まだわずかに血の臭気が空気に混じっている。
酒の香りでこれをかき消したいのかも知れない。
「せっかくだからオメーも付き合えや」
ガルドが台所に行き、やがて新しいグラスを片手に戻ってきた。
「乾杯はできねえけどな」
「ああ」
酒を受け取ると、レーテルはそれに口をつける。
おそらくこれは妻と毎晩飲むためにあった酒なのだろう。
「さらに、酒の良さは他にもある」
ガルドは不意に息子を眺めた。
「なあルキア。酒ってのは人をお喋りにさせるんだ。ちょいと語らせてもらうぜ」
声を出さずにルキアは頷く。
それを確認してガルドは言った。
「オメーの母ちゃんは偉大だった。俺の留守中、オメーを守って母ちゃんは死んだんだってな?」
ルキアは「うん」と答え、さらに目の前のグラスを持つとその中身を飲み干した。
「俺が選んだ女は、テメーの息子を命懸けで守れる女だったんだ」
ガルドは続ける。
「オメーは胸を張ってろルキア。そんなスゲー母ちゃんからオメーは生まれたんだ。ルキア、お前は強くなれ。剣士でなくてもいい。俺より強くなって、いつか母ちゃんみてーな女をテメーの手で守れ」
するとルキアは初めて顔を上げる。
その瞳には小さな炎のような光が宿っているように、レーテルには見えた。
「おう」
「いい返事だルキア。母ちゃんの敵討ちは俺たちに任せろ。ぜってーオメーの気も晴らしてやる。だがな、そのためには仇が何者なのか知りてえ。オメーが何を見たのか教えてくれ。そんなこと思い出させるのは酷かも知れねえが、オメーはいつか俺よりも強くなる男だろ?」
レーテルは理解をした。
ガルドが息子と共に酒を飲んだのは、現実から逃げるためでもルキアの気を紛らわせるためでもなかったのだ。
犯人拿捕のために自らが奮い立つためであり、そのための情報を子供から得るためだった。
空になった息子のグラスに、ガルドは酒を注ぐ。
「教えてくれルキア。オメーあの日、何を見た?」
優しげな父親の目を、ルキアは真っ直ぐと見つめ返した。
「壁にかけてあった短剣が勝手に動き出した」
「なに?」
ガルドが壁に目をやる。
そこには盾や2本の細身の剣が交差するようにかけられている。
短剣もいくつか横向きにレンガの壁に添えられていた。
「短剣って、そこの短剣か?」
「うん」
「勝手に?」
「ああ、勝手に。誰も触っていないのに、独りでに動いた。俺のほうに真っ直ぐ飛んできて、母ちゃんが俺をかばう感じで抱きついた」
ルキアの話によると、母親は何度も背中を切りつけられ、刺されたのだという。
さぞかし目を覆いたくなるような光景だったに違いない。
致命傷を受けながらも母親は近くにあった花瓶に手を伸ばし、窓の外にそれを投げて人を呼ぶと、再びルキアに覆いかぶさったのだそうだ。
「どの剣だ?」
ガルドが訊くと、ルキアは壁を見て「あれ?」と目を大きくする。
「なくなってる」
それまでレーテルにあった心当たりがつい口を突いた。
「もしかしてガルド、お前自分の大剣とは別に、クレア銀でできた剣を持ってるか?」
「あ?」
次にレーテルはルキアの目を見た。
「なあルキア、その短剣はクレア銀でできたやつじゃなかったか?」
親子の回答はというとほぼ同時だ。
「クレア銀の短剣なら1本持っている」
「飛んできたのはその剣だ!」
やはりクレア銀か!
レーテルの目にも光が宿り始めている。
親友が愛した女性の仇、必ず追い詰めてみせる。
「俺ァ女を見る目には元々自信があったんだ。やっぱり俺の目に狂いはなかったぜ」
ガルドは息子の頭をポンポンと軽く叩いた。
「俺の女房は大事なものを命懸けで守れる女だった。俺の女房が産んだ男は将来、俺よりも強くなれる男だった」
行くぜ相棒!
友からの声にレーテルは立ち上がる。
「今ルキアから聞いた話を自衛士らに教える」
「ああ、そうしよう」
「ルキア、オメーの世話は適当に頼んどく。俺がいねー間、この家を任せるぜ」
「おう!」
ちょっと着替えてくると言い残し、ガルドは居間を後にする。
窓から外を眺めると、雨はもう上がっていた。
<巨大な蜂の巣の中で・3>に続く。
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