夢見町の史
Let’s どんまい!
2011
December 17
December 17
どうやら2回で、僕のプロポーズは成功したみたいだ。
「僕が、君のお婿さんになってあげる」
「なんか男らしくないー」
それならと、僕は僕なりに頭を捻る。
じゃあ、これならどうだろう?
「…一生、君を守るよ」
「それだったら、まあ、いいかな」
あの頃は毎日のように遊んでいたっけ。
僕の初恋はとても早くて、当時はまだ3歳だった。
お相手は近所に住む同い年の子で、名前はさっちゃん。
黒いふわふわの髪が印象的な、明るい女の子だ。
マセているというか、あの時は子供ながらに相思相愛で、結婚の約束までしてたっけ。
「あたしが16歳になったら結婚しよー!」
「ダメだよ、さっちゃん。男は確か、18歳にならないと、結婚できないんだよ」
「じゃあ、なおくんが18歳になったらね!」
「うん!」
「いつなるの?」
「えっとね、えっとね、今3歳だから、ずっと先の3月!」
「どんぐらい先?」
「わかんない。18歳になったら!」
それで、近所の大桜の根元に2人で作った婚約指輪を埋めたんだった。
懐かしいなあ。
今もまだ埋まっているんだろうか。
さっちゃんは、元気にしてるかなあ。
------------------------------
なおくん、今頃どうしてるのかなあ。
凄くカッコよくなってたりして。
あの頃、あたしのせいで肩を大怪我しちゃってたけど、傷になってないかな。
女の子ってゆうのはどんなに幼くても女の子だ。
まだ3歳だったけど、あたしはそのときからお洒落するのが大好きで、いつもお気に入りの帽子を被っていた。
なおくんという同い年の男の子のことが大好きで、その帽子も彼のために身に付けていたものだ。
当時、あたしたちは両想いで、今となっては恥ずかしいんだけど、いつでも一緒にくっついて遊んでた。
公園なんかにも行ったし、近所の高校の裏に丘があって、そこでもちょくちょく探検ごっこしてたっけ。
桜の花びらがまるで大雪みたいに降ってて、凄く綺麗だった。
「あっ!」
突然吹いた風に、お気に入りの帽子が飛ばされる。
帽子はふわふわと空に上って、やがてゆっくりゆっくり、木の葉みたいに右に左にと揺られながら落ちてきた。
崖から突き出た岩に、ふわっと帽子が着地して、あたしは泣き出しそうになる。
大人でも手が届かないぐらいの高さに、帽子が引っかかってしまったからだ。
「ちょっと待ってて、さっちゃん」
なおくんが迷うことなく崖にしがみついた。
「いいよう! なおくん、誰か呼ぼうよう!」
「大丈夫! すぐ取るから待ってて!」
落ちたら死んじゃう!
なんて、今となっては有り得ない危機感を、その時は持ったものだ。
それでも当時は幼いながらも真剣に心配してて、あたしはずっと声を張り上げ続けた。
「もういいよう! なおくん! 降りてきてよう!」
「平気平気! 落ちるわけな…!」
そして彼は落ちた。
なおくんは帽子を取るときに手を伸ばしすぎたせいで、バランスを崩してしまったのだ。
なおくんの左肩から血が滲んでいるのを見て、あたしは帽子のことなんかどうでもよくなって、大泣きしながら大人の人を呼びに走り回った。
何針縫ったとかなんとか。
後日になって、親がお詫びのために、あたしと一緒になおくんの家まで行ったんだったなあ。
なおくんは怪我をしたにもかかわらず、いつも通りの笑顔で、「はいこれ!」って帽子を返してくれた。
あたしたちは絶対に結婚するんだって、お互い決めてて、それは運命なんだって当たり前のように思ってて…。
でも、そうじゃなかった。
あたしのパパが転勤することになって、この町を引っ越さなきゃいけなくなった。
「なおくん、ごめんね。ごめんね」
「やだ! さっちゃんが遠くに行っちゃうの、やだよ! いつか帰ってくる?」
「わかんない…」
「じゃあ僕が18歳になっても結婚できないじゃん! さっちゃんなんて、嫌いだ!」
「なおくん…」
あれが最後の大喧嘩だったなあ。
向かい合わせになった電車の席に座り、あたしはママの横でしょんぼりと下を向いていた。
この町を出ることなんかよりも、大好きななおくんにもう逢えないことと、そのなおくんに嫌われてしまったことが悲しくて悲しくて、とてもじゃないけど顔を上げることができなかった。
目を閉じると、今にもなおくんの声が聞こえてきそうな気がする。
「さっちゃーん!」
そう。
なおくんはいつもあたしの名を呼んでくれてた。
「さっちゃーん!」
よほどなおくんに逢いたいのか、錯覚の声が大きくなってきているような気がする。
「さっちゃーん!」
え?
本当に聞こえてる…?
車窓を押し上げ、身を乗り出す。
そこには、息を切らせたなおくんの姿が。
「なおくん!? なんで!?」
「さっちゃん、これ!」
なおくんが手渡してくれたのは、茶色いクマのぬいぐるみだ。
「プレゼント! 大事にしてね」
「なおくん…」
「また逢えるよね? それまで寂しいと思って、ぬいぐるみ」
「なおくん! 大好きだよ! また逢おうね! 絶対絶対逢おうね!」
「うん! 待ってるよ! 元気でね! …元気でね、さっちゃん!」
発車を知らせるベルがなって、やがて電車が進み始める。
なおくんは、電車の速度に合わせて駆け足になった。
あたしも座席から降りて、車内を進行方向とは逆に走り出す。
手を、大きく大きく振りながら。
あれから14年、かあ。
懐かしいなあ。
今になって彼のことを思い出す理由が、あたしにはあった。
「間もなく~、桜ヶ丘~、桜ヶ丘~」
またまたパパの都合で、あたしたち一家は元の町、この桜ヶ丘に戻ってくることになったのだ。
さすがに街並みは昔のままじゃない。
なおくんの家も、どの辺りなのか思い出せないし、すぐに見つかるとも思えない。
けど、逢えたらいいな。
なんてことを葉書に書き連ね、ポストに投函する。
これがラジオに採用されて、運命の人に聴いてもらえますようにと祈りを込めて。
あたし、帰ってきたよ、なおくん。
------------------------------
「ちょ、やめてくださいっ!」
「ああ~ん? いいじゃねえかよ~? ちょっと付き合えよ、ね~ちゃ~ん、コラァ~」
なんだか穏やかじゃない声を聞いたような気がして、反射的に僕はビルとビルの間を覗き込んだ。
思わず息を呑む。
女の子が、2人組の不良に絡まれているじゃないか!
「お茶しに行こうぜ~? カワイコちゃ~ん。あっあ~ん?」
「やめてください! は、離して…!」
女の子は壁に背を付けていて、2人がそれに覆いかぶさるような体勢になっている。
不良の片方が彼女のメガネを取って地面に放る。
「ちょ…! なにするんですか!?」
「言うこと聞かねえと、もっと酷いぜ~? コラァ~」
は、早く止めに入らないと!
僕は震える足をガクガクさせながら前に出した。
「や、やめなよ! 嫌がってるじゃないか!」
「ああ~ん?」
不良たちが僕に注目する。
このままどうにか2人をおびき寄せて、女の子が逃げられるようにしないと…!
僕はごくりとツバを飲んだ。
「嫌がってるのを無理矢理連れて行くのは、よくないよ」
「なんだあ? テメー、生意気じゃねえかコラァ!」
「ぶっ飛ばすぞコラァ!」
胸ぐらを掴まれ、壁に押し付けられる。
横目をやると、女の子は胸の前で手を組みながら、その場でおろおろと佇んでいる。
なにやってんだ!
そのままどっかに逃げてくれ!
「テメー! よそ見してんじゃねえぞコラァ!」
僕を壁に押し付けている男が拳を振り上げた。
ばきっ!
という音が頭の中に響いて、僕は地面に尻餅を付く。
「いてて…」
「カッコ付けてっからそういう目に合うんだコラァ!」
「西高の風神テツと雷神カズをナメんじゃねえぞコラァ!」
そのとき、「ピー!」と甲高い高音が鳴り響く。
「こらー! お前ら、そこで何やってる!?」
お巡りさんだ!
助かった!
不良たちがうろたえる。
「やっべえ! ポリ公だ!」
「お、覚えてやがれ!」
警察官に追われ、不良たちはどこかに走り去っていった。
「あの…」
胸の前で手を組んだまま、女の子がこちらに歩み寄ってくる。
彼女はハンカチを取り出すと、それをおずおずと僕に差し出してくれた。
「痛い、ですよね? すみませんすみません」
「いやいや、僕は大丈夫。それより、君は? 乱暴なこと、されなかった?」
「あ、あたしは大丈夫です」
「そっか、ならよかった…」
女の子を見ると、彼女はさっき外されたメガネを拾ったらしい。
いつの間にか分厚くてまん丸なメガネをかけている。
かなり目が悪いようだ。
「痛く、ないですか?」
「大丈夫大丈夫!」
差し出されたハンカチで僕は口元を拭い、よろよろと立ち上がる。
「あの、ありがとう、ございました」
うつむいたまま、彼女は小声でそう言った。
自分のせいで僕が殴られてしまったのだと、責任を感じているんだろう。
暗い声色だった。
「大丈夫だよ、僕は。あ、ごめん。ハンカチ、汚しちゃったね。洗って返すよ」
「いえ! 大丈夫です!」
あまりに強く言い切られてしまい、ついハンカチをそのまま返す。
じわじわと、危機が去ったことを実感した。
なんだか安心してしまい、僕は思わず本音を口にする。
「無事に済んでよかった。…けど、怖かった~」
その一言に彼女はクスリと笑い、やがて僕らは2人で大笑いした。
------------------------------
「あの、お名前、教えてください」
訪ねると彼は、
「いやいや、そんな! 名乗るほどの者じゃないよ! たいしたことできなかったしね」
そう遠慮して、そそくさとどこかに行ってしまった。
「あ、待ってくだ…!」
しかし言うのが遅くて、彼の後ろ姿はあっという間に雑踏へと消えた。
「なんでもっとちゃんとお礼言えなかったのよ~! あたしのばか~! …あれ?」
さっき彼が転んでいたところに、何か落ちてる。
なんだろう?
拾い上げてみる。
それは生徒手帳だった。
手帳には見覚えがある。
あたしと同じ、桜ヶ丘学園の生徒手帳だからだ。
彼のかも知れないと思って中を開くと、案の定。
優しげな目をしたあの人が写っている。
「近藤、直人…?」
まさかね。
あの人が実はなおくんだった、なんて話が出来すぎてる。
あたしはクスリと笑って、歩き出す。
手帳にある住所に向かって、さっきのヒーローに落し物を届けるために。
------------------------------
生徒手帳を届けてくれた彼女は畑中早苗と名乗った。
「わざわざ、ありがとう」
「いえ、とんでもないです!」
彼女はあたふたと両手をバタバタ降って、その振動でズレたメガネを慌ててかけ直す。
「助けてもらったのに、ちゃんとお礼できなくてすみません!」
「そんな! 気にしないでよ。なんだか僕のほうが恐縮しちゃうからね」
「あ、はい! そうですよね!? すみません!」
「いやいやいやいや」
「じゃああたし、これで失礼しますっ! さっきは本当にありがとうございました!」
ガバッと勢い良くおじぎをして振り返ると、そのまま走って、彼女は行ってしまった。
とっても慌ただしい子だなあ、とその時は思ったものだ。
本来ならこの縁はここで終わるんだろうけど、でもそうじゃなかった。
2年生の秋。
印象的なメガネを廊下で見かけ、ふと立ち止まる。
「あ、あの時の…」
廊下で同時に口をポカンと開け、しばらく2人とも固まってたっけ。
「桜ヶ丘の生徒だったんだ」
と、僕。
すぐ隣の教室に畑中さんがいたことを、当時の僕は知らなかったのだ。
「あたし、転校してきたばかりなんです」
「あ、そうだったんだね」
廊下の真ん中で彼女は指をもじもじと絡ませ、うつむいていた。
そんな時、次の授業を知らせるチャイムの音が。
「あ、教室に戻ら…、きゃあ!」
焦って急ぎ足になったからなのか、彼女は何もない床につまずいて転んだ。
その反動で、畑中さんのメガネが落ちる。
「大丈夫!?」
手を貸すために、僕はしゃがみ込んだ。
「ありがとう」
その目を見て、胸が激しく高鳴る。
こんなに可愛らしい目をしていたなんて、メガネが厚いせいでちっとも知らなかった。
彼女の綺麗な瞳が真っ直ぐ僕に向けられている。
「あの、あたしの、メガネ…」
「え!? あ、ああ! あそこだ! はい、これ」
「あ、ありがとうございます」
人前で転んでしまったことが恥ずかしかったのか、彼女はそのまま教室へと駆け込んで行く。
僕はポカンとその場に取り残された。
畑中早苗さん、か…。
ふと、初恋の人が頭をよぎる。
さっちゃんの「さ」は、早苗の「さ」…?
なんて、まさかね。
そんな上手い話、あるわけがない。
僕は苦笑いをしながら自分の教室へと戻る。
第2話「募る想い」に続く。
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/458/
------------------------------
参照リンク。
【ベタを楽しむ物語】春に包まれて
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/380/
「僕が、君のお婿さんになってあげる」
「なんか男らしくないー」
それならと、僕は僕なりに頭を捻る。
じゃあ、これならどうだろう?
「…一生、君を守るよ」
「それだったら、まあ、いいかな」
あの頃は毎日のように遊んでいたっけ。
僕の初恋はとても早くて、当時はまだ3歳だった。
お相手は近所に住む同い年の子で、名前はさっちゃん。
黒いふわふわの髪が印象的な、明るい女の子だ。
マセているというか、あの時は子供ながらに相思相愛で、結婚の約束までしてたっけ。
「あたしが16歳になったら結婚しよー!」
「ダメだよ、さっちゃん。男は確か、18歳にならないと、結婚できないんだよ」
「じゃあ、なおくんが18歳になったらね!」
「うん!」
「いつなるの?」
「えっとね、えっとね、今3歳だから、ずっと先の3月!」
「どんぐらい先?」
「わかんない。18歳になったら!」
それで、近所の大桜の根元に2人で作った婚約指輪を埋めたんだった。
懐かしいなあ。
今もまだ埋まっているんだろうか。
さっちゃんは、元気にしてるかなあ。
------------------------------
なおくん、今頃どうしてるのかなあ。
凄くカッコよくなってたりして。
あの頃、あたしのせいで肩を大怪我しちゃってたけど、傷になってないかな。
女の子ってゆうのはどんなに幼くても女の子だ。
まだ3歳だったけど、あたしはそのときからお洒落するのが大好きで、いつもお気に入りの帽子を被っていた。
なおくんという同い年の男の子のことが大好きで、その帽子も彼のために身に付けていたものだ。
当時、あたしたちは両想いで、今となっては恥ずかしいんだけど、いつでも一緒にくっついて遊んでた。
公園なんかにも行ったし、近所の高校の裏に丘があって、そこでもちょくちょく探検ごっこしてたっけ。
桜の花びらがまるで大雪みたいに降ってて、凄く綺麗だった。
「あっ!」
突然吹いた風に、お気に入りの帽子が飛ばされる。
帽子はふわふわと空に上って、やがてゆっくりゆっくり、木の葉みたいに右に左にと揺られながら落ちてきた。
崖から突き出た岩に、ふわっと帽子が着地して、あたしは泣き出しそうになる。
大人でも手が届かないぐらいの高さに、帽子が引っかかってしまったからだ。
「ちょっと待ってて、さっちゃん」
なおくんが迷うことなく崖にしがみついた。
「いいよう! なおくん、誰か呼ぼうよう!」
「大丈夫! すぐ取るから待ってて!」
落ちたら死んじゃう!
なんて、今となっては有り得ない危機感を、その時は持ったものだ。
それでも当時は幼いながらも真剣に心配してて、あたしはずっと声を張り上げ続けた。
「もういいよう! なおくん! 降りてきてよう!」
「平気平気! 落ちるわけな…!」
そして彼は落ちた。
なおくんは帽子を取るときに手を伸ばしすぎたせいで、バランスを崩してしまったのだ。
なおくんの左肩から血が滲んでいるのを見て、あたしは帽子のことなんかどうでもよくなって、大泣きしながら大人の人を呼びに走り回った。
何針縫ったとかなんとか。
後日になって、親がお詫びのために、あたしと一緒になおくんの家まで行ったんだったなあ。
なおくんは怪我をしたにもかかわらず、いつも通りの笑顔で、「はいこれ!」って帽子を返してくれた。
あたしたちは絶対に結婚するんだって、お互い決めてて、それは運命なんだって当たり前のように思ってて…。
でも、そうじゃなかった。
あたしのパパが転勤することになって、この町を引っ越さなきゃいけなくなった。
「なおくん、ごめんね。ごめんね」
「やだ! さっちゃんが遠くに行っちゃうの、やだよ! いつか帰ってくる?」
「わかんない…」
「じゃあ僕が18歳になっても結婚できないじゃん! さっちゃんなんて、嫌いだ!」
「なおくん…」
あれが最後の大喧嘩だったなあ。
向かい合わせになった電車の席に座り、あたしはママの横でしょんぼりと下を向いていた。
この町を出ることなんかよりも、大好きななおくんにもう逢えないことと、そのなおくんに嫌われてしまったことが悲しくて悲しくて、とてもじゃないけど顔を上げることができなかった。
目を閉じると、今にもなおくんの声が聞こえてきそうな気がする。
「さっちゃーん!」
そう。
なおくんはいつもあたしの名を呼んでくれてた。
「さっちゃーん!」
よほどなおくんに逢いたいのか、錯覚の声が大きくなってきているような気がする。
「さっちゃーん!」
え?
本当に聞こえてる…?
車窓を押し上げ、身を乗り出す。
そこには、息を切らせたなおくんの姿が。
「なおくん!? なんで!?」
「さっちゃん、これ!」
なおくんが手渡してくれたのは、茶色いクマのぬいぐるみだ。
「プレゼント! 大事にしてね」
「なおくん…」
「また逢えるよね? それまで寂しいと思って、ぬいぐるみ」
「なおくん! 大好きだよ! また逢おうね! 絶対絶対逢おうね!」
「うん! 待ってるよ! 元気でね! …元気でね、さっちゃん!」
発車を知らせるベルがなって、やがて電車が進み始める。
なおくんは、電車の速度に合わせて駆け足になった。
あたしも座席から降りて、車内を進行方向とは逆に走り出す。
手を、大きく大きく振りながら。
あれから14年、かあ。
懐かしいなあ。
今になって彼のことを思い出す理由が、あたしにはあった。
「間もなく~、桜ヶ丘~、桜ヶ丘~」
またまたパパの都合で、あたしたち一家は元の町、この桜ヶ丘に戻ってくることになったのだ。
さすがに街並みは昔のままじゃない。
なおくんの家も、どの辺りなのか思い出せないし、すぐに見つかるとも思えない。
けど、逢えたらいいな。
なんてことを葉書に書き連ね、ポストに投函する。
これがラジオに採用されて、運命の人に聴いてもらえますようにと祈りを込めて。
あたし、帰ってきたよ、なおくん。
------------------------------
「ちょ、やめてくださいっ!」
「ああ~ん? いいじゃねえかよ~? ちょっと付き合えよ、ね~ちゃ~ん、コラァ~」
なんだか穏やかじゃない声を聞いたような気がして、反射的に僕はビルとビルの間を覗き込んだ。
思わず息を呑む。
女の子が、2人組の不良に絡まれているじゃないか!
「お茶しに行こうぜ~? カワイコちゃ~ん。あっあ~ん?」
「やめてください! は、離して…!」
女の子は壁に背を付けていて、2人がそれに覆いかぶさるような体勢になっている。
不良の片方が彼女のメガネを取って地面に放る。
「ちょ…! なにするんですか!?」
「言うこと聞かねえと、もっと酷いぜ~? コラァ~」
は、早く止めに入らないと!
僕は震える足をガクガクさせながら前に出した。
「や、やめなよ! 嫌がってるじゃないか!」
「ああ~ん?」
不良たちが僕に注目する。
このままどうにか2人をおびき寄せて、女の子が逃げられるようにしないと…!
僕はごくりとツバを飲んだ。
「嫌がってるのを無理矢理連れて行くのは、よくないよ」
「なんだあ? テメー、生意気じゃねえかコラァ!」
「ぶっ飛ばすぞコラァ!」
胸ぐらを掴まれ、壁に押し付けられる。
横目をやると、女の子は胸の前で手を組みながら、その場でおろおろと佇んでいる。
なにやってんだ!
そのままどっかに逃げてくれ!
「テメー! よそ見してんじゃねえぞコラァ!」
僕を壁に押し付けている男が拳を振り上げた。
ばきっ!
という音が頭の中に響いて、僕は地面に尻餅を付く。
「いてて…」
「カッコ付けてっからそういう目に合うんだコラァ!」
「西高の風神テツと雷神カズをナメんじゃねえぞコラァ!」
そのとき、「ピー!」と甲高い高音が鳴り響く。
「こらー! お前ら、そこで何やってる!?」
お巡りさんだ!
助かった!
不良たちがうろたえる。
「やっべえ! ポリ公だ!」
「お、覚えてやがれ!」
警察官に追われ、不良たちはどこかに走り去っていった。
「あの…」
胸の前で手を組んだまま、女の子がこちらに歩み寄ってくる。
彼女はハンカチを取り出すと、それをおずおずと僕に差し出してくれた。
「痛い、ですよね? すみませんすみません」
「いやいや、僕は大丈夫。それより、君は? 乱暴なこと、されなかった?」
「あ、あたしは大丈夫です」
「そっか、ならよかった…」
女の子を見ると、彼女はさっき外されたメガネを拾ったらしい。
いつの間にか分厚くてまん丸なメガネをかけている。
かなり目が悪いようだ。
「痛く、ないですか?」
「大丈夫大丈夫!」
差し出されたハンカチで僕は口元を拭い、よろよろと立ち上がる。
「あの、ありがとう、ございました」
うつむいたまま、彼女は小声でそう言った。
自分のせいで僕が殴られてしまったのだと、責任を感じているんだろう。
暗い声色だった。
「大丈夫だよ、僕は。あ、ごめん。ハンカチ、汚しちゃったね。洗って返すよ」
「いえ! 大丈夫です!」
あまりに強く言い切られてしまい、ついハンカチをそのまま返す。
じわじわと、危機が去ったことを実感した。
なんだか安心してしまい、僕は思わず本音を口にする。
「無事に済んでよかった。…けど、怖かった~」
その一言に彼女はクスリと笑い、やがて僕らは2人で大笑いした。
------------------------------
「あの、お名前、教えてください」
訪ねると彼は、
「いやいや、そんな! 名乗るほどの者じゃないよ! たいしたことできなかったしね」
そう遠慮して、そそくさとどこかに行ってしまった。
「あ、待ってくだ…!」
しかし言うのが遅くて、彼の後ろ姿はあっという間に雑踏へと消えた。
「なんでもっとちゃんとお礼言えなかったのよ~! あたしのばか~! …あれ?」
さっき彼が転んでいたところに、何か落ちてる。
なんだろう?
拾い上げてみる。
それは生徒手帳だった。
手帳には見覚えがある。
あたしと同じ、桜ヶ丘学園の生徒手帳だからだ。
彼のかも知れないと思って中を開くと、案の定。
優しげな目をしたあの人が写っている。
「近藤、直人…?」
まさかね。
あの人が実はなおくんだった、なんて話が出来すぎてる。
あたしはクスリと笑って、歩き出す。
手帳にある住所に向かって、さっきのヒーローに落し物を届けるために。
------------------------------
生徒手帳を届けてくれた彼女は畑中早苗と名乗った。
「わざわざ、ありがとう」
「いえ、とんでもないです!」
彼女はあたふたと両手をバタバタ降って、その振動でズレたメガネを慌ててかけ直す。
「助けてもらったのに、ちゃんとお礼できなくてすみません!」
「そんな! 気にしないでよ。なんだか僕のほうが恐縮しちゃうからね」
「あ、はい! そうですよね!? すみません!」
「いやいやいやいや」
「じゃああたし、これで失礼しますっ! さっきは本当にありがとうございました!」
ガバッと勢い良くおじぎをして振り返ると、そのまま走って、彼女は行ってしまった。
とっても慌ただしい子だなあ、とその時は思ったものだ。
本来ならこの縁はここで終わるんだろうけど、でもそうじゃなかった。
2年生の秋。
印象的なメガネを廊下で見かけ、ふと立ち止まる。
「あ、あの時の…」
廊下で同時に口をポカンと開け、しばらく2人とも固まってたっけ。
「桜ヶ丘の生徒だったんだ」
と、僕。
すぐ隣の教室に畑中さんがいたことを、当時の僕は知らなかったのだ。
「あたし、転校してきたばかりなんです」
「あ、そうだったんだね」
廊下の真ん中で彼女は指をもじもじと絡ませ、うつむいていた。
そんな時、次の授業を知らせるチャイムの音が。
「あ、教室に戻ら…、きゃあ!」
焦って急ぎ足になったからなのか、彼女は何もない床につまずいて転んだ。
その反動で、畑中さんのメガネが落ちる。
「大丈夫!?」
手を貸すために、僕はしゃがみ込んだ。
「ありがとう」
その目を見て、胸が激しく高鳴る。
こんなに可愛らしい目をしていたなんて、メガネが厚いせいでちっとも知らなかった。
彼女の綺麗な瞳が真っ直ぐ僕に向けられている。
「あの、あたしの、メガネ…」
「え!? あ、ああ! あそこだ! はい、これ」
「あ、ありがとうございます」
人前で転んでしまったことが恥ずかしかったのか、彼女はそのまま教室へと駆け込んで行く。
僕はポカンとその場に取り残された。
畑中早苗さん、か…。
ふと、初恋の人が頭をよぎる。
さっちゃんの「さ」は、早苗の「さ」…?
なんて、まさかね。
そんな上手い話、あるわけがない。
僕は苦笑いをしながら自分の教室へと戻る。
第2話「募る想い」に続く。
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/458/
------------------------------
参照リンク。
【ベタを楽しむ物語】春に包まれて
http://yumemicyou.blog.shinobi.jp/Entry/380/
PR