夢見町の史
Let’s どんまい!
May 18
will【概要&目次】
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<そこはもう街ではなく・3>
「涼! 下がってろ!」
叫ぶと同時に大地は木刀を小さく振り下ろし、女友達の右手首を打つ。
そうでもしなければ自分が刺されてしまうからだ。
彼女は手首の痛みを感じたらしく顔を歪めたものの、それでもひるまずに大地にナイフを向けようと身構える。
瞬間、大地は木刀を大きく振りかぶると、目で殺気を演出した。
反射的に頭部をかばう彼女に対し、大地は木刀を構えたまま下から蹴りを放ち、再び友人の手首に打撃を与える。
ようやく相手の手からナイフが離れた。
数歩下がって間合いを広げると、大地は落ちた刃物を後方へと蹴り去る。
固い物がフローリングの廊下を滑る音がして、ナイフが戦闘の圏外に行ったことを耳で確認した。
大地の目線の先には、見慣れた顔が手首をさすっている。
「どういうつもりだ、サヨ」
木刀を構えたまま、大地は訊ねた。
サヨというのはいわゆるニックネームで、正確には小夜子が本名だ。
涼と同じく、彼女も中学時代からの友人である。
仲間内では最もおとなしく、たまに勘違いをしておかしな発言をする、いわゆる天然ボケタイプというやつだ。
以前から吹奏楽部に所属するなどし音楽を愛し、今は音大に通っている。
普段のファッションはおっとりした顔つきに合ったものが多く、派手さはない。
この日も白のコートに茶色いブーツを履いていた。
大地が再び小夜子に問う。
「サヨ、お前、何があったんだ?」
彼女が問答無用で刃物を、おそらく殺すつもりで大地に向けてきた理由がどうしても解らなかった。
小夜子は手首をさすることをやめ、静かに両手を胸の前まで持ち上げる。
手首は痛むであろうが、彼女の骨に異常がないことは大地がよく解っていた。
木刀を振るった際もしっかりと手加減をしていたからだ。
小夜子が取った構えは、戦いのためのであることが一目瞭然だった。
肩まで伸びた黒髪を耳にかけ、小夜子はにやりと口の端を歪ませる。
大地は内心「くそ」と毒づいた。
車1台が通れるぐらいの小道の途中に、小夜子が住む一軒屋はある。
その玄関を最初にノックしたのは涼だった。
「こんにちはー! 誰かいませんかー!」
街に電気が供給されていない今、インターホンは意味を成さないのだ。
普段だったら小夜子本人であったり、彼女の兄であったり、または両親などがドアから出てくるところなのだが、さて今日はどうだろうか。
「サヨー! いないかー!? いないみたいだな」
中からの反応を感じ取れなかった涼は扉を叩くことをやめ、ドアノブを掴んで回す。
すると何の抵抗もなく玄関は開いた。
鍵がかかっていなかったのだ。
「サヨの奴、無用心だな」
涼がそうつぶやいていた。
もちろんこれは「小夜子が消えていなかったら」の話で、街の住人と同じく彼女が姿を見せないことは充分に有り得る。
小夜子の家に2人で入り、大地は行儀良く並べられた靴に目をやる。
家族の物と思われる靴の中に、年頃の女性が履くようなものはなかったが、念のため涼に訊ねる。
「こん中にサヨの靴、ある?」
すると涼は「ない」と断言をした。
大地は「そうか」とわずかに首を傾げる。
涼は大地と違って戦いには向かない反面、観察力と記憶力が凄まじい。
ニュース番組を1度見ただけでも内容やデータの全てを記憶し、細々とした場面で役に立ってきていた。
他人の生年月日や年齢は聞いただけですぐに記憶するし、ほんの少し髪を切っただとか指輪を変えたとか、細かいことにもすぐに気がつく。
その涼が「小夜子の靴がない」と言うからには、小夜子もまた大地たちと同じく消えなどおらず、外出してしまった可能性を示唆していた。
「ん?」
と涼が視線を下に下げる。
並べられた靴のすぐ先はフローリングの廊下が伸びていて、居間とダイニングに続いているはずだ。
靴を脱いだ者がスリッパを履くまでの間、足を冷やさぬようにと玄関先には白い小さな絨毯が引かれている。
その絨毯に、靴のまま上がり込んだかのような足跡が薄っすらと見受けられた。
男のそれよりは小さな足跡に思えたが、何者かが侵入したことは間違いなさそうだ。
「俺が先行くよ」
有事の際があった場合、足元が靴下では滑ってしまって踏ん張りが利かなくなる。
そこで大地は侵入者に習い、ブーツのまま上がり込み、絨毯を踏んだ。
小夜子の家に刻まれた足跡は極めて薄いものだった。
今日び土の上を歩くことがほとんどないためなのだろう。
やや小振りな足跡は3歩ほどで途切れていて、右手の階段を上ったのか居間に向かったのかがはっきりしない。
小夜子はこのとき、既に息を殺して大型のナイフを構えていたに違いなかった。
大地がダイニングに続くドアをくぐった瞬間、胸を目がけて刃が直進してきたのだ。
大地がこれを直撃させることなく対応できたのは、木刀の中心部を持って警戒をしていたからに他ならない。
もし柄の部分を握ったままだったら、狭い廊下で木刀は邪魔にしかならなかったはずだ。
反射的にナイフを木刀で受け流すと同時に、大地は信じられないものを見た。
相手が小夜子だと判明したのはこの瞬間である。
人違いで襲われた可能性を考慮し、大地はわずかに後退し、小夜子の反応を伺う。
「俺だよ、サヨ」
しかし小夜子は口元に笑みを浮かべると左半身を前にし、ナイフを右手にしたまま向かってくる。
背後にいるはずの涼に対し、大地が怒鳴ったのはこのときだ。
「涼! 下がってろ!」
その後の小競り合いで小夜子の武器を取り除けはしたものの、大地は様々な疑問を頭に描いていた。
小夜子は自宅内であるにもかかわらず薄茶色のブーツを履いていて、玄関にあった足跡の持ち主を限定させている。
つまり小夜子はわざわざ玄関で靴を履いてから自宅に潜伏していたことになる。
さらに、小夜子の取る戦闘体勢にも府に落ちないものがあった。
まるで隙がないのだ。
一朝一夕でできる構えではなく、明らかに訓練を受けた者の体勢だ。
例えば小夜子が催眠術などで操られていたとしても、こうはならない。
本人に戦闘経験がないためだ。
瞬発力や筋力が増強することはあっても、構えが玄人に匹敵するわけがない。
大地は自然と、以前通っていた道場のことを思い返していた。
ある程度、腕が熟達すれば道着の着こなし方を見るだけで相手の力量を知ることができる。
構えを見るということは、それに似ていた。
今目の前にいる小夜子は間違いなく実力者だ。
中学から楽器の演奏ばかりしていた友人がこの雰囲気を出すことは年単位の稽古が必要で、大地が知る限り小夜子にはそのようなことに時間を費やすことがなかったはずだ。
ライバルの和也と一緒になって小夜子に護身術を教えたときも、彼女は不器用を極めたかのように奇妙な動きを繰り返すだけだった過去は印象深い。
大地は木刀の真ん中を握りつつ腰を落とし、目で小夜子を威圧をする。
小夜子からすればこれにより、素手で襲い掛かれば返り討ちに遭うことが明白になっているはずだ。
同時に彼女の逃走を未然に防ぐ効果もある。
そうして相手の動きを封じておき、大地は確信を口にする。
「お前、サヨじゃないな? 誰だ?」
「なに!?」
背後から涼の慌てたような声色が届く。
「サヨじゃない!?」
「ああ」
大地は小夜子に似た女から目を逸らさずに告げる。
「もしこいつがサヨだったら、ここまで隙のない構えは取れない」
「大地君、勘がいいのねえ」
小夜子と全く同じ声だ。
いや、それよりもこいつは俺の名前を知っている。
そのことのほうが重要だ。
大地はさらに考えを巡らせた。
姿形が小夜子と同じこいつは、俺のことを知っている。
その上で襲いかかってきたわけか。
攻撃の1つ1つは、こちらが抵抗しなかったらまず間違いなく致命傷を負わされていた。
つまり殺す気で向かってきたということになる。
「目的はなんだ? お前は誰だ」
街から住人が消えたことと無関係ではあるまい。
心の中で、大地はそう直感していた。
小夜子そっくりの女は「内緒よう」と、再び静かな微笑みを浮かべている。
<万能の銀は1つだけ・3>に続く。
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