夢見町の史
Let’s どんまい!
2010
November 23
November 23
動けない。
目が覚めているし、体勢は中腰だというのに、俺と悪友はすっかり金縛り状態だ。
「トメ、なんか喋れよ」
俺が促すと悪友は、
「お~」
それだけ言って再び黙り込んだ。
俺たちの視線の先には、空のロックグラスが2つ置いてある。
彼の母親は、実の息子でもない俺たちを本当に可愛がってくれていた。
高校時代は特に大食漢だったというのに、ジンのおふくろさんは当たり前のように、家族以外の夕食をいつでも用意してくれる。
「うちの子よりも食べるなんて。あんたたちのせいで、また家計に大打撃だわ」
その言葉は不思議と嫌味に聞こえない。
放課後はだいたい、俺はトメと一緒にジンの家で遊んでいた。
それこそ毎日のように、夜分までだ。
団地であるにもかかわらず無遠慮にげらげらと大声で笑う俺たちは、思い返してみればうるさいと叱られたことがない。
当時のトメは、なんというか、不良?
いや、そんな不良を次々とぶっ飛ばしてしまうような、派手な悪ガキだった。
俺は俺でハードにヘビーな家庭環境だったりもしたから、2人してなかなか痛快な評判を立てられていたものだ。
だから、ジンの家にこのような電話がかかってくるのも、仕方のないことなのかも知れない。
「お宅のジン君、めさ君と仲がいいみたいだけど、大丈夫ですか?」
「あのトメ君が、ジン君と遊んでいるみたいで、心配になって電話しました」
その告げ口に、ジンの母は堂々と胸を張ったのだそうだ。
「ジンの友達を選ぶのは、私じゃなく、ジンですから」
高校2年の昼休み。
弁当を平らげてのんびりしていると、校内放送が耳に入る。
空手道部顧問、K先生の声だ。
「空手道部員、めさとトメ、中庭に集合しなさい。繰り返します――」
なんで神妙な声色なのだと、俺はトメと一緒になっておろおろするばかりだ。
「トメ、俺たち最近、なんか怒られるようなこと、したっけ!?」
「わっかんねえよ~、どれのことだかよ~。取り合えずオメー、先に行って謝っとけよ~」
「やだよばか! テメーも一緒に来い!」
よく解らんが怒られる。
どの悪さがバレたのか解らんが、何かがバレた。
そうとしか考えられなかった俺にもトメにも、K先生の言葉は意外だった。
「もうすぐ母の日でしょ」
なんじゃそりゃ。
と、内心首を傾げる。
K先生は、不思議そうな顔をしている俺たちに構わず、続ける。
「あんたたち、ジンの家にいつもお世話になっているんでしょう? こないだね、個人面談でジンのお母さんと話したんだけど」
そういえばK先生は、ジンのクラスの担任でもあった。
「ジンのお母さんね、あんたたちのこと、実の息子と同じぐらい可愛いって言ってたわよ」
例えばケーキが1つしかなかったとする。
そうなったらジンのおふくろさんは、そのケーキを綺麗に3等分して、ジンと、トメと、俺に与えるのだと、K先生は直接、おふくろさんから聞いたのだそうだ。
「そんぐらい想ってもらってんだから、あんたたち、次の母の日にぐらい、花かなんか買って、渡してやりなさい」
それだけを伝えるために全校放送を使ったK先生も凄いが、ジンのおふくろさんの慈愛も凄い。
俺たちは「はい!」と勢いよく返事をし、その場を後にした。
俺とトメは、相も変らずジンの家でメシを喰う。
「おかわり、いいっすか」
「若いうちは遠慮しちゃいけないの」
「じゃあ俺も!」
「お前ら、なんでいつも俺より多く喰ってんだよ、このクソガキ!」
賑やかな食卓だ。
こうして満腹になり、満ち足りた顔をして俺とトメは家路につく。
ジンのおふくろさんは、江戸切子というガラス細工が好きだと耳にしたことがある。
それはそれは綺麗なグラスなのだそうだ。
だけどそれは非常に高価で、高校生に買えるような代物じゃない。
ではやはり花を買うべきか。
考えてみれば初めてのプレゼントだから、形に残る品が好ましいのだが。
悩んでいるうちに、翌月。
ふとした疑問があって、トメに訊ねる。
「なあトメ」
「あ~ん?」
「あのさ、母の日っていつ?」
「俺が知ってるわけねえだろ~」
「だよなあ」
重たい話だから原因は端折るが、とにかく俺にもトメにも母の日に物を贈る習慣が元々ない。
何月何日が母の日なのか、どちらも素で知らなかったのである。
知らなかったのだが、1つだけ間違いなく言い切れることがあって、俺は口を開いた。
「母の日、たぶんもう過ぎたぞ」
「俺もそんな気がしてたよ~」
ここまでばかな少年たちも、年月さえ過ぎれば成人する。
二十歳を迎える頃は、俺もトメを給料を貰うようになっていた。
母の日がいつなのかも人から教えてもらって覚えた。
遅れてしまったが、K先生からされた指導を実行するのは今しかなかろう。
トメと酒を飲みながら、ふっと切り出してみる。
「今度よ、江戸切子買いに行かねえ?」
「おう、いいぜ~」
前々からおふくろさんが欲しがっていた、江戸切子のロックグラス。
これを渡せば、少しぐらい安心してくれるのではないか。
「俺たち、これが買えるぐらい、仕事頑張ってます」
江戸切子は、そんなメッセージをおふくろさんに伝えてくれそうな気がした。
お金をたくさん用意して、トメと一緒に高級百貨店へ。
そこはきらびやかな、なんだかよく解らん商品が輝きを放っていて、俺たちを威嚇しているかのようだ。
油断したら肉体ごと蒸発させられてしまいそうである。
ガラス細工や食器、壷などの売り場なのに、何故かいい匂いまでするし、わけが解らん。
店が凄いのか俺たちが駄目なのかも解らん。
倒れる前に先を急ごう。
やがて、目的の品がショーウインドウの中で光っているのを見つけ、足を止める。
江戸切子のロックグラスは2種類あった。
どちらも赤と青のペアグラスだ。
俺とトメは無言で頷き合う。
おふくろさん、パパ殿とお酒飲むの好きだし、これはペアグラスのほうがよろしかろう。
パパ殿にもお世話になっているからな。
「問題は、どっちのペアグラスにするか、だけど」
「それも答え出てんだろ~」
トメの言う通り、悩むまでもなかった。
2種類あるペアグラス。
片方は1万程度と安いが、色が単調である。
もう片方は見事なまでの淡い美しさで、それぞれ優しげな桜色と空色がキラキラしている。
金額を見ると、べらぼうに高い。
自分用には絶対に買わない額だ。
「安いほうは、安い」
と、トメは当たり前のことを口にする。
「なんだけどよ~、こっちのすげーやつ見ちまったら、高えほう買ってくしかねえだろ~」
同感だった。
安いほうは単純な柄で納得がいかない。
俺たち2人の金を足せばどうにか手が届くこともあるし、このやたら高いほうを買おうと、心から決めることができた。
ただ、俺たちはどちらも店員さんを呼びに行こうとしない。
あまりにも高いので、購入するのに心の準備が必要なのだ。
「そろそろ店員さん呼ぶ?」
「いや、まだ早えだろ~」
「だよな! 俺もそう思ってた」
俺とトメは30分ほど、店の中を見渡したり、深呼吸を繰り返したり、曲げようと念じるかのようにグラスをじっと眺めたりした。
どうにか魂を振り絞るかのように財布から現金を振り絞ると、俺とトメはなんだか肩の力が抜けてしまっていた。
2人して虚ろな目をし、上空を見るともなく見る。
「なあトメ」
「あ~?」
「高え買い物したついでにさ、パーっといいメシ喰って帰らねえ?」
「ああ~、いいぜ~」
「じゃあ店は俺に任せろ。こないだお客さんに連れてってもらったとこが、なんか豪華で美味かったんだ。そこ行こうぜ」
「いいぜ~」
ところがそこは「なんか豪華」どころではなく普通に高級料亭で、メニューを見ると飛び上がりたくなるようなお高い食事ばかり。
二十歳そこそこの小僧どもが辺りを見渡すと、客の誰もがスーツ姿で全員政治家にしか見えない。
「見ろよトメ。海原雄山がいっぱいいるぞ」
「オメーよぉ~、ちょっといいどころじゃねえじゃねえかよ、この店よ~」
「俺が連れてきてもらったときはご馳走になるって立ち位置だったから、ここまで高えって知らなかったんだよ!」
「どうすんだよ、注文よ~」
「『やっぱいいです』って帰るのは果てしなく恥ずかしいな。江戸切子返品しに行く?」
「冗談言ってる場合じゃねえよ~。どうすんだよ、マジでよ~」
「今ある金で食えるもん頼むしかねえだろ」
こうして俺たちは2人でビール1本と枝豆を仲良くつつき、店の人に聞こえるように「あ、そろそろ社長んとこ行かねえと」などとわざとらしくほざくと、ぐーぐー鳴る腹の音を聞かれながら店を後にした。
「――なんていう苦労をして、トメと一緒にこれを買ってきましたよ」
母の日にプレゼントを渡すと、ジンのおふくろさんはとても喜んでくれた。
「ありがと。じゃあさっそく使おうかしらね」
ただの焼酎も、グラスがいいと美味しそうに見える。
おふくろさんは「ありがと」ともう1度言ってくれた。
あれから10数年。
空色のほうのグラスは割れてしまったけれど、おふくろさんは半身不随になってしまったけれど、今でも息子たちを心配してくれている。
トメも俺も、正月は自分の実家ではなく、ジンの実家に顔を出ようことが自然な儀式となっている。
自分の家にはちょくちょく帰っているけれど、ジンの実家には正月という名目があったほうが伺いやすいからだ。
「お、いらっしゃい。どうぞ」
「お邪魔します~」
「明けましておめでとうっす、パパ殿。おふくろさんいます?」
「いるよ。お~い! めさとトメ来た」
「あら、いらっしゃい」
「明けましておめでとうございます~。これ、酒買ってきましたよ~」
「こっち氷! 割る用の氷!」
「じゃあ飲む用意しなきゃねえ」
「あ! 俺やりますよ! グラスどこですか?」
「そこ。その棚の上から2番目」
示されたそこに手を伸ばすと、桜色が淡い輝きを放っていて、それはそれはとても綺麗な江戸切子だ。
「じゃあかんぱーい!」
「今年もよろしくお願いしまーす」
「ってゆうかジンはどこ行ってんだよ、あいつ~」
「だよな! 実の息子がいないでどうするって話だよなあ」
パパ殿も、おふくろさんも、にこにこと俺たちの漫才のような会話を聞いて微笑を浮かべている。
「トメお前、もしかして今日、連絡もしないでいきなりここに来たの!?」
「おう、アポなしだよ~」
「ばかか! おふくろさんとパパ殿がどっか出かけてたらどうすんだよ!」
「勝手に入って待ってるつもりだったよ~」
「どこのピッキング犯だお前は! もうパパ殿、電話番号教えてください! 来年は俺から電話1本入れてから来ます!」
にこにこと俺たちの漫才のような会話を聞いて微笑を浮かべている、俺たちの母さん。
彼女の手元では桜色が淡い輝きを放っていて、それはそれはとても綺麗な江戸切子だ。
目が覚めているし、体勢は中腰だというのに、俺と悪友はすっかり金縛り状態だ。
「トメ、なんか喋れよ」
俺が促すと悪友は、
「お~」
それだけ言って再び黙り込んだ。
俺たちの視線の先には、空のロックグラスが2つ置いてある。
彼の母親は、実の息子でもない俺たちを本当に可愛がってくれていた。
高校時代は特に大食漢だったというのに、ジンのおふくろさんは当たり前のように、家族以外の夕食をいつでも用意してくれる。
「うちの子よりも食べるなんて。あんたたちのせいで、また家計に大打撃だわ」
その言葉は不思議と嫌味に聞こえない。
放課後はだいたい、俺はトメと一緒にジンの家で遊んでいた。
それこそ毎日のように、夜分までだ。
団地であるにもかかわらず無遠慮にげらげらと大声で笑う俺たちは、思い返してみればうるさいと叱られたことがない。
当時のトメは、なんというか、不良?
いや、そんな不良を次々とぶっ飛ばしてしまうような、派手な悪ガキだった。
俺は俺でハードにヘビーな家庭環境だったりもしたから、2人してなかなか痛快な評判を立てられていたものだ。
だから、ジンの家にこのような電話がかかってくるのも、仕方のないことなのかも知れない。
「お宅のジン君、めさ君と仲がいいみたいだけど、大丈夫ですか?」
「あのトメ君が、ジン君と遊んでいるみたいで、心配になって電話しました」
その告げ口に、ジンの母は堂々と胸を張ったのだそうだ。
「ジンの友達を選ぶのは、私じゃなく、ジンですから」
高校2年の昼休み。
弁当を平らげてのんびりしていると、校内放送が耳に入る。
空手道部顧問、K先生の声だ。
「空手道部員、めさとトメ、中庭に集合しなさい。繰り返します――」
なんで神妙な声色なのだと、俺はトメと一緒になっておろおろするばかりだ。
「トメ、俺たち最近、なんか怒られるようなこと、したっけ!?」
「わっかんねえよ~、どれのことだかよ~。取り合えずオメー、先に行って謝っとけよ~」
「やだよばか! テメーも一緒に来い!」
よく解らんが怒られる。
どの悪さがバレたのか解らんが、何かがバレた。
そうとしか考えられなかった俺にもトメにも、K先生の言葉は意外だった。
「もうすぐ母の日でしょ」
なんじゃそりゃ。
と、内心首を傾げる。
K先生は、不思議そうな顔をしている俺たちに構わず、続ける。
「あんたたち、ジンの家にいつもお世話になっているんでしょう? こないだね、個人面談でジンのお母さんと話したんだけど」
そういえばK先生は、ジンのクラスの担任でもあった。
「ジンのお母さんね、あんたたちのこと、実の息子と同じぐらい可愛いって言ってたわよ」
例えばケーキが1つしかなかったとする。
そうなったらジンのおふくろさんは、そのケーキを綺麗に3等分して、ジンと、トメと、俺に与えるのだと、K先生は直接、おふくろさんから聞いたのだそうだ。
「そんぐらい想ってもらってんだから、あんたたち、次の母の日にぐらい、花かなんか買って、渡してやりなさい」
それだけを伝えるために全校放送を使ったK先生も凄いが、ジンのおふくろさんの慈愛も凄い。
俺たちは「はい!」と勢いよく返事をし、その場を後にした。
俺とトメは、相も変らずジンの家でメシを喰う。
「おかわり、いいっすか」
「若いうちは遠慮しちゃいけないの」
「じゃあ俺も!」
「お前ら、なんでいつも俺より多く喰ってんだよ、このクソガキ!」
賑やかな食卓だ。
こうして満腹になり、満ち足りた顔をして俺とトメは家路につく。
ジンのおふくろさんは、江戸切子というガラス細工が好きだと耳にしたことがある。
それはそれは綺麗なグラスなのだそうだ。
だけどそれは非常に高価で、高校生に買えるような代物じゃない。
ではやはり花を買うべきか。
考えてみれば初めてのプレゼントだから、形に残る品が好ましいのだが。
悩んでいるうちに、翌月。
ふとした疑問があって、トメに訊ねる。
「なあトメ」
「あ~ん?」
「あのさ、母の日っていつ?」
「俺が知ってるわけねえだろ~」
「だよなあ」
重たい話だから原因は端折るが、とにかく俺にもトメにも母の日に物を贈る習慣が元々ない。
何月何日が母の日なのか、どちらも素で知らなかったのである。
知らなかったのだが、1つだけ間違いなく言い切れることがあって、俺は口を開いた。
「母の日、たぶんもう過ぎたぞ」
「俺もそんな気がしてたよ~」
ここまでばかな少年たちも、年月さえ過ぎれば成人する。
二十歳を迎える頃は、俺もトメを給料を貰うようになっていた。
母の日がいつなのかも人から教えてもらって覚えた。
遅れてしまったが、K先生からされた指導を実行するのは今しかなかろう。
トメと酒を飲みながら、ふっと切り出してみる。
「今度よ、江戸切子買いに行かねえ?」
「おう、いいぜ~」
前々からおふくろさんが欲しがっていた、江戸切子のロックグラス。
これを渡せば、少しぐらい安心してくれるのではないか。
「俺たち、これが買えるぐらい、仕事頑張ってます」
江戸切子は、そんなメッセージをおふくろさんに伝えてくれそうな気がした。
お金をたくさん用意して、トメと一緒に高級百貨店へ。
そこはきらびやかな、なんだかよく解らん商品が輝きを放っていて、俺たちを威嚇しているかのようだ。
油断したら肉体ごと蒸発させられてしまいそうである。
ガラス細工や食器、壷などの売り場なのに、何故かいい匂いまでするし、わけが解らん。
店が凄いのか俺たちが駄目なのかも解らん。
倒れる前に先を急ごう。
やがて、目的の品がショーウインドウの中で光っているのを見つけ、足を止める。
江戸切子のロックグラスは2種類あった。
どちらも赤と青のペアグラスだ。
俺とトメは無言で頷き合う。
おふくろさん、パパ殿とお酒飲むの好きだし、これはペアグラスのほうがよろしかろう。
パパ殿にもお世話になっているからな。
「問題は、どっちのペアグラスにするか、だけど」
「それも答え出てんだろ~」
トメの言う通り、悩むまでもなかった。
2種類あるペアグラス。
片方は1万程度と安いが、色が単調である。
もう片方は見事なまでの淡い美しさで、それぞれ優しげな桜色と空色がキラキラしている。
金額を見ると、べらぼうに高い。
自分用には絶対に買わない額だ。
「安いほうは、安い」
と、トメは当たり前のことを口にする。
「なんだけどよ~、こっちのすげーやつ見ちまったら、高えほう買ってくしかねえだろ~」
同感だった。
安いほうは単純な柄で納得がいかない。
俺たち2人の金を足せばどうにか手が届くこともあるし、このやたら高いほうを買おうと、心から決めることができた。
ただ、俺たちはどちらも店員さんを呼びに行こうとしない。
あまりにも高いので、購入するのに心の準備が必要なのだ。
「そろそろ店員さん呼ぶ?」
「いや、まだ早えだろ~」
「だよな! 俺もそう思ってた」
俺とトメは30分ほど、店の中を見渡したり、深呼吸を繰り返したり、曲げようと念じるかのようにグラスをじっと眺めたりした。
どうにか魂を振り絞るかのように財布から現金を振り絞ると、俺とトメはなんだか肩の力が抜けてしまっていた。
2人して虚ろな目をし、上空を見るともなく見る。
「なあトメ」
「あ~?」
「高え買い物したついでにさ、パーっといいメシ喰って帰らねえ?」
「ああ~、いいぜ~」
「じゃあ店は俺に任せろ。こないだお客さんに連れてってもらったとこが、なんか豪華で美味かったんだ。そこ行こうぜ」
「いいぜ~」
ところがそこは「なんか豪華」どころではなく普通に高級料亭で、メニューを見ると飛び上がりたくなるようなお高い食事ばかり。
二十歳そこそこの小僧どもが辺りを見渡すと、客の誰もがスーツ姿で全員政治家にしか見えない。
「見ろよトメ。海原雄山がいっぱいいるぞ」
「オメーよぉ~、ちょっといいどころじゃねえじゃねえかよ、この店よ~」
「俺が連れてきてもらったときはご馳走になるって立ち位置だったから、ここまで高えって知らなかったんだよ!」
「どうすんだよ、注文よ~」
「『やっぱいいです』って帰るのは果てしなく恥ずかしいな。江戸切子返品しに行く?」
「冗談言ってる場合じゃねえよ~。どうすんだよ、マジでよ~」
「今ある金で食えるもん頼むしかねえだろ」
こうして俺たちは2人でビール1本と枝豆を仲良くつつき、店の人に聞こえるように「あ、そろそろ社長んとこ行かねえと」などとわざとらしくほざくと、ぐーぐー鳴る腹の音を聞かれながら店を後にした。
「――なんていう苦労をして、トメと一緒にこれを買ってきましたよ」
母の日にプレゼントを渡すと、ジンのおふくろさんはとても喜んでくれた。
「ありがと。じゃあさっそく使おうかしらね」
ただの焼酎も、グラスがいいと美味しそうに見える。
おふくろさんは「ありがと」ともう1度言ってくれた。
あれから10数年。
空色のほうのグラスは割れてしまったけれど、おふくろさんは半身不随になってしまったけれど、今でも息子たちを心配してくれている。
トメも俺も、正月は自分の実家ではなく、ジンの実家に顔を出ようことが自然な儀式となっている。
自分の家にはちょくちょく帰っているけれど、ジンの実家には正月という名目があったほうが伺いやすいからだ。
「お、いらっしゃい。どうぞ」
「お邪魔します~」
「明けましておめでとうっす、パパ殿。おふくろさんいます?」
「いるよ。お~い! めさとトメ来た」
「あら、いらっしゃい」
「明けましておめでとうございます~。これ、酒買ってきましたよ~」
「こっち氷! 割る用の氷!」
「じゃあ飲む用意しなきゃねえ」
「あ! 俺やりますよ! グラスどこですか?」
「そこ。その棚の上から2番目」
示されたそこに手を伸ばすと、桜色が淡い輝きを放っていて、それはそれはとても綺麗な江戸切子だ。
「じゃあかんぱーい!」
「今年もよろしくお願いしまーす」
「ってゆうかジンはどこ行ってんだよ、あいつ~」
「だよな! 実の息子がいないでどうするって話だよなあ」
パパ殿も、おふくろさんも、にこにこと俺たちの漫才のような会話を聞いて微笑を浮かべている。
「トメお前、もしかして今日、連絡もしないでいきなりここに来たの!?」
「おう、アポなしだよ~」
「ばかか! おふくろさんとパパ殿がどっか出かけてたらどうすんだよ!」
「勝手に入って待ってるつもりだったよ~」
「どこのピッキング犯だお前は! もうパパ殿、電話番号教えてください! 来年は俺から電話1本入れてから来ます!」
にこにこと俺たちの漫才のような会話を聞いて微笑を浮かべている、俺たちの母さん。
彼女の手元では桜色が淡い輝きを放っていて、それはそれはとても綺麗な江戸切子だ。
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